イマドキのサバサバ冒険者   作:埴輪庭

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魔竜始末

 ■

 

 ヨルシカの総身が竜血による魔力に満たされ、彼女は思いのままに力を振るった。剣の一振り、足の一蹴りが音の壁を叩き割り、その衝撃力はヨルシカ自身の肉体とシルマリアの竜体を血霞へと変えた。

 

 肉体が耐えきれずに、攻撃の度にヨルシカの肉体は崩壊してしまう。だが、崩壊の瞬間に再生する為問題はない。

 

 一時的にせよ竜の魔力を取り込み、肉体を強化するというのはただの人間には出来ない。それができるという事は、ヨルシカという女性はもはや人間ではなくなってしまった事の証左であった。

 

 だがヨルシカはそれならそれでいいと割り切っていた。

 両親から貰った体が別種のものになってしまった事への仄かな罪悪感はあるが、それよりも大事なものがあるからだ。

 

 ──これまでの戦い、私はヨハンの足を引っ張ってばかりだった。いつも、いつでも彼に助けられていた

 

 宙空を高速で蹴りつけ、大気の壁を破壊する反動で空高く舞い上がる。

 

 ──これからは違う。私は強くなった。そしてもっと強くなる。私は彼の剣だ

 

 右拳を引くと、拳に赤黒い魔力が収束していく。

 

 ──私という剣を、彼に捧げる

 

 落下の勢いそのままに、ヨルシカは拳を振り下ろし、シルマリアを殴りつけた。

 

 打撃音と言うには余りに大きすぎる轟音が響き、脳を揺らされたシルマリアが一時的に行動不能となる。

 

 ヨルシカの余りにも異常な戦闘能力は、当然の事ながら彼女一人のものではない。そもそもが特別な人種なのだ。

 アシャラ王家の血を引き、その王家というのも元をただせば始祖がエルフェンの伝説的な戦士の血を引いている。

 その身に宿る魔力は常人のものではない。

 

 更に彼女は内に二柱の神と一体の魔を宿す連盟術師ヨハンとも様々な意味で繋がっている。

 肉体と精神を重ね合い、そしてある種の誓約を捧げ合った二人はもはや一心同体と言っても過言ではない。

 

 "剣" というものは単一の金属で造り上げるより、様々な金属を重ね合わせる積層鍛造の物の方が優れているという。

 今のヨルシカはまさにそれで、力の源泉でもある血と精神を積層鍛造した一本の剣であった。

 

 大地に降り立ったヨルシカが"飢血剣" サングインを構える。

 彼女の得意とする突きである。

 ただし、剣先に籠められている必殺の気配は、かつて魔狼を貫いた時の比ではない。

 

 切っ先は魔竜の頭部。

 魔竜シルマリアは何を思ったかその首を垂らし、死を前に悔い改めているような死罪人のような風情であった。

 

 だが殊勝な態度を見せてはいてもヨルシカに容赦という言葉はない。

 

 練磨され、研ぎ澄まされた一閃が放たれ──…

 

 クロウの肘と膝に挟み止められた。

 

 ──蹴り足挟み殺し!?

 

 ヨルシカは瞠目した。

 いつの間に近寄ってきたのか。

 そもそも、自身の突きを生身で受けるとは。

 

 黒い魔力と紅い魔力が削り合い、相克する。

 

「…何のつもりかな?」

 

 ヨルシカの、殺意すら籠った問いかけにクロウは涼しい声で答えた。

 

「この竜は、意識を取り戻したみたいです。さっきまでとは全然違う。何かに…操られていたのかな。よくわかりませんが。殺す前に、本当に死にたいのか、なぜ襲ってきたのか聞いてみたかったんです。殺さなくて済むのならそれがいい…。そう思いませんか。人と竜でも分かり合えるかもしれない。だったらせめて分かり合おうという努力は必要だと思うんです」

 

 ヨルシカはクロウの言に、どの口が、と内心で吐き捨てるものの、ひとまず頷くに留めた。

 ヨルシカは勇者クロウは殺しを躊躇する性格ではないと見ている。

 

 ──ヨハンは彼を勇者に見えないと言っていたけれど、私も同感だ。私の目には彼は勇者ではなく、独特の哲学をもった殺し屋にしか見えない

 

 ■

 

 体と頭に強い衝撃を受けた水竜シルマリアは長い悪夢から目覚めたような心地でいた。自身の肉体、心にあれほど強く食い込んでいた狂熱の棘がすっかりと抜け落ちたように思える。

 

 だが、悪夢から醒めてももう長くはないようだと諦念の沼に沈む。自身の命が急速に抜け出しているのだ。

 

 長年、彼女は自身の内にもう一人の自分が居るのをどこか俯瞰的な視点で視ていた。

 

 そのもう一人の自分は凶暴で、乱暴で、本来の自分ではない何かだった。彼女は破壊を尽くそうとするもう一人の自分を食い止めようとしたが、その些細な抵抗はただの一度も成功したことはない。

 

 何故こんな事になってしまったのか、彼女はもう思い出す事ができない。

 

 ただ、"護ろう" として、失敗した。

 それだけは覚えている。

 

 彼女は悲し気に啼いた。

 啼き声は彼女の体の内に共鳴し、外へと漏れ出る。

 同時に、自身の姿や周囲の状況を知覚した。

 恐らく狂った自分を止めてくれたのであろう小さい姿を幾つか認め、止めを刺されるのを待つ様に首を垂れた。

 

 空の欠片の様な美しい鱗は彼女の自慢であったのだ。

 それがいまやどうだ、全身から饐えた臭いを放ち、まるで血のように禍々しい色に染まってしまって。

 こんな体では魚たちは一緒に泳いではくれないだろうなと思うと、彼女はとても悲しくなってしまった。

 

 水竜シルマリアはこの様な姿のままで生きる事を想像するだけで、もう一度狂ってしまいそうだった。だから殺してほしいと強く願う。

 

 ・

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 クロウに促されたヨルシカは渋々シルマリアの様子を伺った。確かにこれまでとは明らかに違う。

 

「凶気を感じない…」

 

 ヨルシカは死に逝くシルマリアを見て呟いた。

 クロウが頷く。

 

「そうか、君はもうだめなんだね。大丈夫、大丈夫だよ。死は終わりじゃない。次の命の始まりなんだ。俺が…僕がそうだった。そんなに悲しそうにしないでも大丈夫だよ。怖がらないで…僕らは敵として出会った。今度は…仲間として出逢おう」

 

 クロウはうわごとのように呟き、シルマリアの頭部に抱きついた。クロウはシルマリアの気持ちが何となくわかったようなつもりでいた。勿論錯覚である。

 ただ、同類としての嗅覚が働いたのだ。

 クロウは殺意には敏感だが、希死の意思にも敏感である。

 シルマリアが死にたがっていることを察して、せめて恐れる事なく輪廻の環に還って欲しいと願っているのだ。

 正真正銘の善意に他ならない。

 

 ヨルシカはそんなクロウを、もしかしたら本当に勇者なのかな?と思い始めていた。

 

 瞬間、コーリングが閃く。

 黒い刃がシルマリアの首元の、傷つけてはいけない部分を完全に切断した。

 

 ヨルシカは目を見開いて驚いた。

 クロウの手際にではなく、クロウの人間性にだ。

 

 ──私には殺すなといいつつ、自分では殺すのか!やはり殺し屋か何かかもしれない…

 

「あの竜に触れた事で、気持ちがわかりました。彼か彼女かはわかりませんけど…あの竜は死にたがっていた。苦しんでいた。だから、救いました。死は最後の最期で訪れる救いでなくてはならない。理不尽に与えられるものであってはいけないと思うんです」

 

 ヨルシカは無言で背を向けた。

 イカれた事を散々聞かされたヨルシカは、もう愛しの恋人に逢いたくて逢いたくて仕方がなかったのだ。


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