四宮鳳翔は契りたい   作:羽林

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 結局のところ、早坂と鳳翔の間に何も起こらなかった。いや、早坂が湯船から出ようとする鳳翔の手をかなりの力で引っ張ったことで体勢を崩した鳳翔の足が滑った結果、事故のような形で局部に相手の手が触れたり頬が胸に当たったりというような体勢になりはしたのだが、鳳翔は頑なに早坂と一線を越えようとはしなかった。

 

 

 早坂が自己嫌悪しながら外湯に入っている間、鳳翔は内湯に入り直して先程の事を考えていた。

 

 

(本当にアイツなんだったんだ?危うくほんの少しの間違いで取り返しのつかないところまで行くところだったんだけど……)

 

 

 三年前の夏休みのように相手から一方的に手を出されたというような形なら兎も角、「事故の結果本能のままに過ちを犯してしまいました」となったら、今度こそ眞妃に顔向け出来なくなる。ただでさえ、眞妃が大学を卒業するまでに四宮の全てを掌握した上で四条家をどうにかしようと企んでいる現状でそれをしてしまえば、いよいよ自分が自分で居られなくなるようなそんな気がしていた。

 

 

(つーかそれで早坂の裸に目を奪われてた俺って……ほんとヤダ)

 

 

 鳳翔は自身に流れる好色の血を恨み、女々しく考える。鳳翔は早坂の昔より一段も二段も膨らみを帯びていた胸や扇情さを帯びた腰回りに沸き立ちそうになった自分の血をかつて直接その目で見た眞妃のキス顔を思い出す事でなんとか抑えたのだ。

 

 

(あーもう。出よ出よ。かぐやの顔見て落ち着こう)

 

 

 今日も平常運転で気持ち悪い事を考える鳳翔だったが、ある事に気付く。

 

 

(しまった。浴衣もタオルも向こうに置いて来たままだ……)

 

 

 脱ぎっぱなしで外湯の近くに放置していた浴衣。早坂から離れるのに必死で手に取るのを忘れていたと思い出す。頭に巻いてたタオルはおそらくだが、途中で落としてしまったのだろう。もし、それらを取りに行ってまた早坂の裸体を見ても理性を強くしたままでいれるだろうか。情けないことに鳳翔にその自信はなかった。

 

 

 取りに行って早坂の身体に我慢できなくなるリスクを負うか、それとも裸のまま急いで部屋に戻ってかぐやに変態のレッテルを貼られるリスクを負うか。目下それが問題だった。

 

 

(まぁ、新しいタオル取ってそれ一枚巻けば良い話だ。うん)

 

 

 一昨日怒られたばかりだが、こうとなっては仕方ない。

 鳳翔は内湯を出てタオルを探そうと──

 

 

「早坂、あいつ……」

 

 

 内湯を出た先の廊下。綺麗に畳まれた浴衣とタオルがそこにはあった。

 流石に罪悪感で居た堪れなくなった鳳翔は何がいけなかったのかよく分からないが、後で早坂に会ったらとりあえず謝罪しようと心に決めた。

 

 

 

 

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 朝食を食べた後、荷物を纏めてチェックアウトした三人は今日本で唯一ジュゴンが見られると噂の水族館に来ている。四宮グループの御曹司の鳳翔ではあるが水族館という施設を訪れた事は何回もある。小学生の時かぐやと一緒に貸し切りにしてもらった上で見に行ったのもそうだし、一般客が数多群がる中を翼と一緒に訪れた事さえあった。

 

 

 そんな中、早坂は珍しく後ろめたそうな彼に声を掛けられたことで目を見開いた。

 

 

「その……ほんと、何というか……ごめん。色々と」

 

 

 中学生のかぐやは向こうで水槽の中の魚介と睨み合って哲学している。

 自販機で買った飲み物をついでとして早坂に手渡す形で彼は話し掛けたのだ。

 早坂は気まずさで目を逸らしながら答えた。

 

 

「いえ、私が手を引っ張ったのが悪いんですし、別に若様が謝る事は……」

 

 

 彼が眞妃を今もまだ好きでいる事は承知している。手を出してほしくなかったと言えば嘘になるが、それはそれとしてむしろあそこでホイホイ手を出されていた方が今後彼を信用出来なくなっていただろうと早坂は気持ちを新たにしていた。

 

 

「そうか」

 

 

「ただ……」

 

 

 館内の照明のせいかどこか暗い面立ちのように見える彼が早坂をマジマジと見る。

 早坂は勇気を振り絞った。

 

 

「私も藤原さんみたいに翔くんって呼んでも良いですか?」

 

 

「え」

 

 

「その、擬態の一貫として……ですよ?四宮家の御曹司とその幹部の娘が余所余所しいというのも変ですし……ダメ、ですか?」

 

 

「……良いぞ」

 

 

 彼は暫く逡巡した後、ぶっきらぼうにされどどこか歯に噛みながら了承した。

 その表情はかつて早坂に向けられていた笑みを彷彿とさせ、早坂もまた微かな笑みを浮かべた。

 

 

 だからこそ、数ヶ月後に起こったそれは早坂にとって許し難いものとなる。

 

 

 

 

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 中学時代のある時期、永らく彼に想いを寄せる早坂は藤原千花という生き物に対してその警戒を眞妃より厳重にしていた節がある。

 発端は旅行のずっと前の朝食の席でのことだった。

 

 

「藤原……って藤原千花のこと?ピアニストの」

 

 

「そう。昨日突然勝負しようと言って来て大変だったのよ。ゲームで負けてしまってそのまま友達になることになって。本当に変な子よ」

 

 

 かぐやのボヤきを聞いて愉快だったのか半笑いした彼は朝っぱらからステーキを一切れ口に運んだ。

 

 

「まぁ、良かったじゃん。久々に友達出来て」

 

 

「まだ認めたわけじゃありませんけどね」

 

 

 おかげで早坂はまたかぐやが友人候補に密かに課す試験の採点者として駆り出される羽目になる。その内容を簡単に言えば、かぐやが候補者に対して秘密を守れるかどうかを試すのだ。早坂はそんなかぐやを臆病な人だなと思う一方で、彼のためだと自分に言い聞かせてかぐやの情報を本家に流している自分が何を考えているんだなどと自省した。

 

 

「……それにしてもかぐやに勝負で勝ったんだ。あいつ」

 

 

「鳳翔はピアノやってたんだし、知ってるのよね。藤原さんのこと」

 

 

「まぁな。そんな話すわけでもないけど……結局、俺は藤原とは勝負してないままだった」

 

 

 早坂はどこか名残惜しそうに呟く彼の姿が気になった。

 

 

 それから月日は経って、かぐやと藤原がすっかり互いを親友だと認識するようになる。

 一方で早坂は悶々とする日々を送っていた。

 

 

 気付いた時には彼と藤原があだ名で呼び合っていたのである。彼にあだ名で呼ばれる女子などどの学年を見渡しても藤原しかいない。事実、藤原と彼がデキているのではないかなどという噂も立っていた。

 それだけではなく、彼は京都などに足を運ばない休日に藤原と一緒にラーメンを食べに行くことが少なくない。テーブルマナーなどお構いなしで勢いよく食べたせいであろうラーメンのスープが跳ねた痕が残った彼の服を見つめる早坂は危機感を抱かざるを得なかった。

 

 

 正直、早坂からすれば藤原は眞妃より遥かに厄介である。藤原はどことは言わないが早坂に持っていないものを持っているし、“藤原”として総理大臣を輩出した血族であることは鳳翔の相手として四宮家と敵対関係にある四条家の令嬢である眞妃より遥かに現実味がある。そうなれば早坂は太刀打ち出来ないだろう。掻っ攫われてそのままゴールインとなればお手上げだ。

 

 

 だからこそ、早坂は藤原に牽制を入れることにしたのだ。

 

 

 中等部の校舎。サッカー部の昼練には律儀に顔を出す彼が水飲み場で頭から水を被っていた時を見計らい声を掛ける。幸いにして人は居なかったというよりそのタイミングを見計らったのだ。

 

 

「そう言えば聞いていませんでしたね。どうして藤原さんとあんな風にあだ名で呼び合うことになったんですか?」

 

 

「なんか向こうの方から言って来たんだよ。まぁ俺から見ても掴み所なくて面白いヤツだからまぁ良いかなって思ったわけさ」

 

 

「……そうですか」

 

 

 すると彼は思い出したように早坂に対して注意した。

 

 

「そうだ。お前が俺をどう呼ぶかは任せるけど、俺はお前を絶対あだ名で呼ばないからな」

 

 

「それは……どうしてですか?」

 

 

「藤原だったら女友達って事で済むけど、お前の場合そうも行かないだろ」

 

 

 目を逸らしがちに言う鳳翔の意図を知らない早坂は微笑み混じりにからかった。

 

 

「翔くん、かっわい〜⭐︎」

 

 

「……それ校外で呼ぶの絶対止めろよ。つかギャルモードの時だけにしてくれ」

 

 

「おっけー⭐︎」

 

 

「……ホントに分かってんだろうな」

 

 

 今度こそ早坂は頷いた。すると牛の足音のような音がドタドタ響く。彼は来たなと呟き、早坂もそれに同意した。

 

 

「翔くんに早坂さん!珍しい組み合わせですね!」

 

 

「……藤原」

 

 

「もう〜、ダメですよ。翔くん。私を何と呼ぶんでしたっけ?」

 

 

「……千ちゃん」

 

 

 早坂は彼の頬を指で小突く藤原に内心イラッとした。嫉妬である。にぱぁと朗らかに笑った藤原は彼に正解ですなどと言った。それから早坂の方を一瞥した後、彼に話しかけた。

 

 

「二人で一体どんな話をしてたんですか?」

 

 

「んっとね〜⭐︎翔くんと一瞬にお寿司食べに行こうって話になってて〜」

 

 

 反撃のため平然と嘘を吐いた早坂を鳳翔は勢い良く振り向いてガン見する。

 一方の藤原はたじろいだ。

 

 

「あぁ、早坂さん親が四宮グループの幹部ですもんねぇ。翔くんと一緒にお寿司食べに行くくらい仲が良くても全然不思議じゃないですよね〜」

 

 

 その内、早坂は動揺する藤原に密かに同情することになる。

 明らかに藤原は良くも悪くも鳳翔に面白い女としか認識されていなかったのだ。

 

 

 

 

 

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 ある朝。早坂はソワソワしていた。嫌な予感がして気が気じゃない。あろう事か彼がかぐや同伴だったとはいえ、かの藤原宅に泊まったのだ。総帥雁庵の健康診断の結果が芳しくなく、その余波で鳳翔の京都行きがキャンセルになったのを機に、かぐやが遠回しな言い方で誘ったのだ。無論、藤原が快くオーケーを出した上でのことである。

 彼は自身の体調を鑑みて行くか行かないか迷っていたようだったが、結局藤原宅でお泊まりすることになった。あまりに急な事で早坂が介入する余地など全くなかった。

 

 

(かぐや様が一緒なら、変な事にはなってない……よね?)

 

 

 内心自問自答する。そろそろかぐやたちを迎えに渋谷の方へ行った車が別邸に戻って来る頃だ。早坂の緊張は頂点に達しようとしていた。

 

 

(帰って来た)

 

 

 防犯システムを管轄するタブレットを操作して門を開ける。黒光りする送迎車が別邸の敷地に入って来た。建物の側に駐車し、降りて来た運転手が後部座席のドアをゴトンと開ける。鳳翔とかぐやはそれを待って降りて来た。

 

 

「お帰りなさいませ。若様、かぐや様」

 

 

「……あぁ」

 

 

 どこか上の空な彼を早坂は訝しむ。いつもの覇気が消えている。彼は千鳥足のような足取りで自室へと戻って行った。早坂が不意に思うとこでは、それは三年前と同じ彼だった。

 

 

「あの、かぐや様。あれは一体……?」

 

 

「なんか朝から変なのよ、あの子。遊び疲れたのかしらね。遅くまでゲームしてたから」

 

 

「はぁ」

 

 

 かぐやが言うには、昨日彼は藤原三姉妹をゲームで大人気なくコテンパンにしたらしい。それでいて藤原の両親や叔父に対しては接待プレーをした結果、怒った三姉妹が本気の彼に勝つまでゲームをする羽目になり、気付いた時には彼は既に寝落ちしていたと言う。

 

 

 話を程々にかぐやは部屋へと戻って行った。一方で早坂は運転手からそれぞれの分の荷物を受け取る。昨日かぐやたちが着ていた服を別の使用人に渡して洗濯させるためだ。そうこうするうちに午前の仕事を終えた早坂は彼の挙動を不審に思った。

 

 

(一体何だったんだろう)

 

 

 久々に死んだ目をしていた彼を思い浮かべる。しかし、考えても答えが出るはずがない。早坂はかぐやたちに出す昼食の最終確認のため厨房へと向かって行った。

 

 

 

 

 

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 彼の専属の執事が京都に赴いているため、代理のような形で早坂が彼の部屋のクローゼットに洗濯した服を収納しようと部屋に入った際、それは起こった。

 俗に言う修羅場だ。

 

 

「何ですか?それ」

 

 

「……」

 

 

 早坂は見てしまった。彼の手首が赤く腫れているのを。淡々と無表情で彼に尋ねる。

 

 

「藤原さんですか?それを付けたの」

 

 

「……違う」

 

 

「じゃあ藤原さんの姉妹のどちらかですか?まさかお母さんとか言わないですよね?」

 

 

「……な訳ねぇだろ」

 

 

「じゃあ誰ですか?お父さんですか?それとも叔父さん?あるいは」

 

 

「妹」

 

 

 吐き捨てるように言った彼に早坂は息を呑んだ。何と言って良いか分からない。早坂は藤原がかぐやの友人になるにあたって当然その家族関係その他は把握していた。藤原千花の妹と言えば──

 

 

「妹さんって小学生ですよね?小学生に手を出したんですか?」

 

 

「手を出したというか向こうから出された」

 

 

 早坂は何を言ってるんだこの人はと思って鳳翔をゴミを見るような目で見た。

 

 

「ははっ……武道を何種も収めてきた若様が手を出された?女子小学生に?妹さんってそんなにお強いんですか?それ達人どころの話じゃないですよね」

 

 

「……ある意味強いとは思う。起きた時には全てが終わってた」

 

 

 早坂は嘘だと言って欲しかった。いや、あるいは彼が言っている事は嘘なのではないかと疑っていた。彼が尋常でなく武芸に優れており、それこそ若かりし日の剣豪将軍足利義輝もかくやと言うほどである事は周知のことである。

 崩れ落ちそうになる足を必死に踏ん張らせた。

 

 

「あの手の娘からしたら俺なんてカモに見えたんだろうな。飛んで火に入る夏の虫……って感じか?あそこまで何というか……大体、襲いたい部門第一位って何?二位以下に誰がいるの?他に何の部門があるの?人が寝ているところを拘束してそのままって……えぇ?」

 

 

 もう聞きたくない。早坂はいっぱいいっぱいだった。

 

 

「それで……どうするんですか?妹さんのこと」

 

 

 彼が教師陣や各委員会の要職に就く生徒あるいはVIP組と呼ばれる面々を丸め込んで中等部あるいは高等部の校則を色々と変更させたというのは早坂も聞いたことがある話だ。

 それが出来る彼ならどんな報復をするものか知れたものじゃない。

 

 

「……流石に小学生相手にどうこうするわけには行かないでしょ。またやるなら話は別だけどさ」

 

 

 全てを諦めたかのような目をした彼はそう言ってベッドに寝転がって呟いた。

 

 

「はァ。どうしよ。結局こうなるんだな。俺は」

 

 

 死んだ目をした早坂はそのまま吐き捨てるかのような彼の独り言を無視して無言で俯きながら彼の自室より立ち去った。

 

 

 

 

 

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 翌週。早坂は彼が眞妃と学校で人目を気にせず話しているのを目撃した。あまりにも意気のあった会話に周囲はお似合いだなどと囃し立て、更には密かに交際していたのではと好き勝手に言い合っていたが、彼は嘘を吐いて翼の仲介あっての事だと一蹴した。

 自分が彼の言葉の真偽を疑って気落ちしている間に更なる事態の悪化を招いたと知った早坂だったが、時既に遅しだった。

 

 

 中等部卒業式。早坂は今度こそ母が来てくれた事に喜んだ一方で、彼の藤原妹との疑惑は姉千花とは別ベクトルで常軌を逸する藤原妹によるタチの悪い悪戯を彼が盛大に勘違いしただけだったと知り、やってしまったと深く後悔した。

 

 

 そして、高等部に進学。一学期中に彼はどういうわけか海外留学のため、この国を去った。

 

 

 対する早坂はと言えば、昔と同じように彼のためだと自らに言い聞かせてはかぐやの情報を黄光に流し続けたり仕事としてかぐやの恋愛頭脳戦を身を粉にしてサポートしたりする毎日だ。おまけに彼の専属執事までもが彼の留学に同行したため、若くして別邸一番の古株となった早坂が使用人や別邸の管理を取り仕切ることに。半分以上今の早坂の忙しさの原因はこれにある。

 

 

 だが、心労が溜まるのはやはり恋愛頭脳戦のサポートだ。進級して半年が経とうとしている今になっても続くかぐやのある意味で彼以上に面倒な恋愛観による回りくどい作戦の数々のせいで早坂は日々疲労感に襲われている。

 うっかりマスメディア部の紀かれんや巨勢エリカとの関わりを深くしてしまったのも早坂の疲労の増加に一役買っていた。

 

 

(今頃あの人は何してるんだろう?)

 

 

 この一年半近くの間に四宮家の家督争いの状況は大きく変化した。黄光の息子である彼が圧倒的な力を見せつけたことで情勢は決したのだ。これまで形としては三兄弟の三つ巴だったのが今や黄光の家督継承が確実という状況になっている。むしろ、なおも捲土重来を期す雲鷹が黄光の力の根源と化した鳳翔を担ぎ上げて利を得ようとするのではとかぐやが予想するほどだ。血生臭い抗争が終わるとはまるで考えていないらしい。

 

 

(あの人も、散々手を染めたんでしょうね)

 

 

 あんな無理矢理に事を進めた裏には相当な犠牲を伴ったに違いない。

 しかし、よくよく考えてみれば──

 

 

(むしろ、嬉々としてやってるんじゃ……)

 

 

 今の早坂は彼が眞妃に向ける歪んだ好意について知っている。彼は眞妃のことが好きな余り、眞妃に好意を寄せる他の男子生徒の情報を掴むや否や、相当なスピードでこれを退学の憂き目に遭わせているのだ。それはあまりに異様な退学者数とその男女比に現れている。かぐやがこれを知った時どうしようもなく気持ち悪いと思う一方で、その隣に居た早坂はただただ無心になっていた。

 

 

(けど、実際私にそういうことしてくれたら──)

 

 

 不思議と悪い気はしないんだろうなと思う自分が居る。早坂は早坂で七歳の頃から四宮家特有の教育をかぐやの隣で受けて来た分、彼への好意と相まってその手の行為に対する抵抗感は比較的薄れていた。彼にそれほどまでに執着してもらえたらどんなに気分が良いことだろうなどとどうしても考えてしまう。

 

 

「ほんと、昔に戻りたい」

 

 

 考えても仕方ないことである。どうしようもなくなって、気を紛らわそうと伸びをした。

 早坂にとってかぐやの近侍になる前の日々は──たとえそれが奈央が糸を引いていたものであったとしても──幸せ以外の何物でもなかった。

 かぐやにこき使われるようになった今となってはより強くそう思う。彼からの冷遇を元はと言えば黄光に注意されたが故のものだと思えば、かぐやからのぞんざいな扱いは彼ほど酷くはないが自発的に行われている分より厄介だった。

 

 

「どうせなら、あの時にそのまま……」

 

 

 ベッドに寝転がった早坂は左手を胸に右手をデリケートゾーンにやりながらあの時掴んだ彼の感触を思い出し、今まで見てきた彼の色々な顔を脳裏に浮かべる。あの混浴から時が経って早坂が考えるに、眞妃との行為を想像して興奮したという内容の彼の発言はただの言い訳だろうと結論が出ていた。あの時の硬い感触は今も早坂の右手に残っている。小刻みにその細い指を動かすその様はとても昔かぐやに男は性欲で動く生き物だなどと得意げに言い放った者とは思えない淫れぶりだ。

 

 

 それから何分経っただろうか。

 ふと、眞妃と親しげに話す彼の顔が目に浮かんだ早坂は舌打ちしそうになった。興が削がれたとばかりに乱れた寝巻きを整える。

 

 

「ほんと、眞妃様じゃなくて私だったら良かったのに」

 

 

 毎晩毎晩早坂は現実逃避のため一人幸せだった幼少期や意味のない仮定に浸っている。

 それが早坂の日常の一部であった。

 

 

──プルルル、プルルル

 

 

「!」

 

 

 深夜に掛かってくる電話という非常識極まりない代物に早坂は興醒めするもスマホの画面を見てはっと息を呑んだ。彼からの電話だった。ほんの一瞬喜びで舞い上がりそうになったが、すぐにどうせ仕事絡みだろうと冷静さを取り戻す。

 

 

「……若様」

 

 

『よう、早坂。そっちは確か深夜だろ?少し時間大丈夫か?』

 

 

 久々に聞く彼の声。電話越しとはいえ、早坂の頬を緩めるには十分だった。

 

 

「いえ、問題ありません」

 

 

『そうか。手短に話す。そろそろ留学終えて日本に戻るつもりだから、かぐやにそう伝えてくれ』

 

 

 感無量になった早坂ではあるが、ギャルモードでもないのに彼と素で話すことなど許されない。彼が眞妃と疎遠だった中等部の頃とは違うのだ。平静を装って彼に伝える。

 

 

「若様、よくぞご決断くださいました。別邸の使用人一同、心よりご帰還をお待ちしております」

 

 

 これが今の早坂が彼に伝えられる精一杯の言葉だった。

 ここ一年で負担が倍増したお守りのストレスと相まって嬉しさのあまり一筋の涙が目から溢れた。

 

 

『いや、俺ホテルに泊まるつもりなんだけど』

 

 

「……え?」

 

 

『だ・か・ら、俺ホテルに泊まるつもりなの』

 

 

「……なんで?」

 

 

 思わぬ言葉についタメ口で喋ってしまう。案の定、彼は少し気を悪くしたのか声のトーンを下げて話し始めた。

 

 

『そんなの自分の胸に手を当ててよく考えてみろ』

 

 

 先程までそのようにして淫れていた早坂はビクッとするが、ここで引き下がるわけにはいかない。あくまで自分がこの別邸のトップとして彼の世話をしていたらというかねてよりの妄想もといシュミレーションを元に彼を別邸に繋ぎ止めるべく、即興でプレゼンテーションをし始めた。

 


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