さて、無事に、と言っていいかは分かりませんが。とりあえず全員姿を見せて演奏することになってからは、ライブに出演する際の名前はどうするかという話題になりました。
私は本名で出ることにしましたが、またも山田さんの発言により、後藤さんは"ぼっち"と名付けられてしまいました。本人は初めてあだ名をつけられたそうで嬉しそうでしたが、それで良いのでしょうか……まぁ私は、
次いで後藤さんがバンド名に言及すると、これもまた山田さんが"結束バンド"だと教えてくれました。
思い返すと私が中学の頃に所属していたバンドは、メンバーの誰かが考えた、"仲良し"をどこかの国のオシャレな言語に訳した名前でした。その輪に入ってはいなかった私には今更どうでも良いのですが、結束という単語はなかなか悪くないように思えますね。
詳しく調べたことこそありませんが、バラバラの物を束ねるというような意味合いのはずです。出会ったばかりの私たちを1つのグループとするのであれば、的を射たバンド名なのではないでしょうか。
「かわいいよね?」
いつか絶対にバンド名を変えると意気に燃える
「結束バンドさん、そろそろ出番ですけど~」
ついにその瞬間が訪れたのでした。
「
後藤さんが気にした様子もないので構わないんですけどね。というか、お客さんに背を向けてであろうが姿を出して初めて演奏することを思ってか、後藤さんの方が些細なことを気にしている余裕が無さそうです。
釣られて緊張してしまわないよう、ひとつ深呼吸。頑張って後藤さんを支えると約束したのですから。嘘つきになってしまわないよう、懸命に演奏しなくてはいけませんね。
音は感情を表す。
今回の演奏を。ライブを楽しく過ごすことだけを考えましょう。
「初めまして! 結束バンドでーすっ!!」
そして、私たちの初ライブが幕を開けたのです──。
「いやー無事終わったー! ミスりまくったー!!」
「MC滑ったね」
「お疲れさまでした」
なんとか大きなアクシデントもなくステージを終えた私たちは、控え室で大きく息を吐きました。実力を発揮できなかったのか少し悔しそうな
まぁ山田さんの弄りは友人ゆえの、親しみから来るものなのでしょう。気安く憎まれ口をたたける仲というのは良いものですね。
……さて、舞台からハケる段になってから一言も言葉を発していない後藤さんに視線を移しましょう。
「ぜぇ……ぜぇ……カフっ。ヒッ、ひぃ……」
疲労困憊の擬人化と言って差し支えない有様でした。壁に両手をついて、両足をがたがた震わせながら肩で息をしています。
無理もないですね、初めてのバンド。初めて人前で演奏する機会が、ライブハウスのステージだったのです。それに、後藤さんは私と同じく他人と関わるのが得意じゃないんでしょう、などと考えていましたが、この期に及べばその印象も生ぬるいということがハッキリと分かります。
つまり、後藤さんの他人に対するそれは対人恐怖症に近いとすら言えるでしょう。そんな彼女が、客席に顔を向けなかったとはいえ、結束バンドの演奏中ずっと舞台でライトを浴び続けたのですから。私では後藤さんの精神的負荷を推し量るのは不可能です。
……けれど、彼女の真っ青な顔色を。今にも崩れ落ちそうな姿を見て、私は不思議と心が温かくなりました。
バンドのキーボードというのは、ドラムと並んでステージの最奥でメンバーと客席を一望できるポジションにいます。ですので、私には最初から最後まで、後藤さんの様子が見て取れたのです。
率直に言って、苦しそうでした。表情は恐怖に歪んでいるようにさえ思えました。
それでも、ところどころにミスはありつつも、後藤さんは演奏を止めませんでした。舞台から降りることはありませんでした。
彼女にとって楽しさより、おそらく苦しさの方が
演奏が終わった瞬間──思わず、見惚れてしまいました。
苦しそうなのは、間違いなくて。顔色はなおも悪くなり、何かを堪えるように歯を食いしばっていて。鼓動を落ち着けるよう、ジャージの胸元を掴む左手は震えていて。
しかし、その最後の最後に──後藤さんは、笑ったのです。
瞳には涙が見えました。目元は零れ落ちそうなそれを耐えるべく歪んでいたようにも見えました。人によっては、後藤さんの様子は悲しみに泣き出す寸前にも映ったでしょう。
けれど、私には確かに。万感の思いを以て、最後には
「ヒュー……ふぅー……ふぅー……。……み、みなさん……」
ようやくと言った様子で呼吸を落ち着けると、か細い声で後藤さんは私達に声をかけてきました。山田さんは考えの読めない表情で、
「だ、大丈夫? ぼっちちゃん」
「な、なんとか……。それより、すみません、きちんと演奏、出来なくて……」
「そんなことない、よく頑張った。私は上手かったけど」
「そうだよ! すごく頑張ってくれたよっ! リョウはひと言余計!!」
未だ言葉はたどたどしく、息は整わないようでしたが。
ので、
「正直、ちょっとミスは多かったですね」
「カッ──!」
後藤さんの体がびくりと震え、
……言葉の順序を間違えたのかも知れません。ですが許してほしいのです、私だって後藤さんほどとは言わないまでも、他人と仲良く話した経験なんてほとんど無いのです。ライブ中に後藤さんに対して感じたことをそのまま口に出そうとしましたが、急に気恥ずかしくなってワンクッション入れてしまっただけなのです。
こういうのは勢いが大事ですね。もしかしたら顔が赤くなってるかも知れませんが、私の言葉で後藤さんがライブの思い出をより良いものだったと記憶してくれるのなら、この場限りの羞恥心なんて捨て置くべきなのでしょう。
「でも……すごく良いステージだったと思います。ずっと後藤さんのこと、見えてましたから。緊張で全身がちがちなのに、懸命にギターをかき鳴らしてくれて。後藤さんが必死でライブに向き合ってくれたからこそ、途中のミスで焦ったりせず、私達も最後まで全力で演奏できたんだと思います」
「アッ、エッ、あぅ……」
やはり実際に口に出すというのは大切なようです。思い返していて、ライブのときの後藤さんが。ステージで最後に見せた
顔を真っ赤にしている後藤さんに気づかず、私は彼女の手を取って。どうかこの熱が伝わるようにとギュッと握って、言葉を続けました。
「バンドを組んでライブをした経験はあります。けれど、今日のライブが一番素敵なライブでした。
せめて、あなたのギターが、と明言しておくべきだったのかな、なんて。あとになってふと思い返しました。なぜかと言えば、
「す──……す? す──!?」
私の言葉を
「ぼっ、ぼっちちゃんが死んだー!? これから歓迎会なのにー!!」
「私は眠いからパスで」
結局この後は後藤さんの回復を待ち、お互いのロインを交換するに留めて解散となってしまいました。普段まったく喋らないのに、急に口を動かすものではありませんね。反省。