朝。スマホを片手に、私は誰もいない教室で静かにWEBサイトを開いています。ライブハウス
まぁ後藤さんなんですけど。
『次のライブまでには、クラスメイトに挨拶できるくらいになっておきます!!』
ステージでお客さんへ背中を向けるに終始したライブを反省してのことでしょう。私も山田さんも思わず胸が熱くなってしまいました。
さて、実のところ私は、後藤さんが他の同級生に突然話しかけられるようになるとは思っていません。何せ、一応はバンドのメンバーとしてステージに立った私のことも未だ名前を呼んですらいないくらいですから。そこまで接する時間がなかったにせよ、これは後藤さんの他人と接するハードルの高さを物語っているでしょう。
なので、誰もいない時間帯に登校しておくことにしました。後藤さんは私がクラスメイトだと気づいていないでしょうが、もし早朝から学校に到着し、教室に見知った顔しかなければ話しかけるのは比較的容易でしょう。まさか同じクラスで隣の席だったなんて、と。うってつけの話題もあることですし。
と言うことで、後藤さんの宣言を達成するお手伝いをすべく早朝に登校した次第でした。ちなみに開いているWEBサイトというのは先達バンドマンたちのブログですね。
我ながら達観していると言うか悲観的と言いますか、セッションさせてもらった結束バンドの固定メンバーとしていつまでも居られるとは考えていません。少なくとも現状は。
未だお互いのことをよく知りませんし、遠からずまたメンバー探しに悩む羽目になる可能性は大いにあります。なので、円滑にバンドメンバーと関わる方法だとか、関係が長続きするコツを勉強するのです。
インターネット上に
えぇと? バンドが長続きする方法はメンバーを信頼すること……なるほど、至言ですね。というか思い当たる節があります。
中学のバンドでは他メンバーの四人は私を軽んじていたでしょうし、私は私でお隣さんとの練習に心奪われるばかりで、他のメンバーの演奏を下に見ていたかもしれません。そして信頼関係を築くには、結局のところ相互理解。つまり会話が必要不可欠でしょう。やはり私にバンド活動と言うのは難しいようです。
しかし、諦める訳にもいきませんからね。自身の欠点は明確なのですから、結束バンドのメンバーと信頼関係を築けるよう、積極的にお話していくことをひとまずの目標としましょう。
そんな小学生未満の宿題を自身に課したと同時、隣の席に気配。ちらりと視線を向ければ、それはやはり後藤さんでした。ブログの閲覧に夢中で気づきませんでしたが、すでに始業寸前で教室には同級生が揃っていました。
後藤さんの挨拶を見逃してしまったでしょうか? と少し焦りましたが、彼女の様子を見るにそんなことはなさそうです。もしそうであれば、勢いのまま私に挨拶してくれてもおかしくはないですし。
それもなければ、座ったまま俯いて小声で何かを呟き続けているところから、まだ心の準備をしている段階なのかなと見受けられます。
「かかか簡単なことだよねおはようって言うだけそしたらおはようって返してくれるだろうしそこから話が広がるかもだし……でででももし返してくれなかったらどうしようギター持ってきたときも誰も話しかけてくれなかったしもうみんな心の中で『後藤ってキモくね? 無視しようぜ』ってなってる可能性がががが」
ついには壊れたラジオのように、体を震わせながらガガガと口から溢すようになりました。
──ふむ、これは無理かもしれませんね。この時点で後藤さんが気負ってしまっているのは明らかですし、仮に他の生徒へ挨拶できたとして色よい反応が返ってくることは無いでしょう。だって後藤さんの周囲に座っている皆さん、私を除いて明らかに引いてますもの。
ところで、後藤さんが宣言したのは"クラスメイトに挨拶できるようになる"ということですから、それは受動的でも問題ないのではないでしょうか。要するに、挨拶をされた時、それに対して返せれば十分達したことになるのではないか、と。
そうして自らに建前を用意して、実のところお話したいと思っていた彼女へと、私はようやく口を開いたのでした。
「おはようございます、後藤さん。ライブではお世話になりました」
「あっ──エッ」
まさか自分が先に挨拶されるとは思っていなかったのか、焦ったように後藤さんは顔を上げました。そしてすぐに、今日も良くはない顔色でビシリと硬直するのです。
「後藤さん、挨拶ですよ。おはようございます」
先んじて声をかけられたこと。その
それらが後藤さんの脳内を埋め尽くした結果、後藤さんは酸素に喘ぐようにパクパクと口を開閉します。
私はゆっくりと待ちました。頭の中を整理して。混乱から脱した彼女が、"おはようございます"と返してくれることを期待して。
「グッ、がっ、ぎっ、ゴッ、ごごご──ごめんなさぃ……」
「どうしてそうなったんですか?」
前途多難なようでした。