親愛なるお隣さん   作:TrueLight

9 / 13
全身全霊を

 明くる日。私は後藤さんと一緒に再びSTARRY(スターリー)を訪れていました。目的はもちろん、ミーティングで決まったバイトの為です。到着してからはどうすべきかと事前に伊地知(いじち)さんに確認したところ、店長である彼女のお姉さんがいらっしゃるので一声かけておいて欲しいとのことでした。

 

「後藤さん、入りますけど……大丈夫そうですか?」

 

 今日も私の背後にピッタリと付いて来た後藤さんの表情を(うかが)います。残念ながら後藤さんと一対一で交友関係を築くことは出来ていませんからね、一緒にバイトを続けられるようサポートすべく、彼女の調子には気を遣おうと思います。未だ学校でも一緒に食事したりというのも叶っていませんし、歩み寄ってもらえるよう努力しなくては。

 

「はっ、はい……。 に、虹夏(にじか)ちゃんも、わざわざメッセージで気遣ってくれたし、ちゃんとお仕事できるようが、がんばります……!」

 

 視線を合わせてはくれませんでしたが、その瞳にはある種の決意が見て取れました。これならひとまずは大丈夫そうです。……しかし、後藤さんは伊地知(いじち)さんのことを名前で呼んでるんですよね、今思えば。おそらく向こうが名前で呼んでいるから、というような距離感だとは思うのですが、その点に関して言えば、後藤さんは私よりバンドメンバーと距離を詰めていると言えます。

 

 後藤さんに比べれば対人能力はあるつもりですが、実際のところバンド内に溶け込んでいるのは彼女のほうかも知れません。結束バンドで続けていくという考えも薄かった当初は、皆さんを名字呼びで統一しようと考えていましたが、バンド仲間として関係を深めていくのであれば名前やニックネームで呼んだほうが良いのでしょう。タイミングを見て後藤さんに(なら)うべきでしょうか……。

 

「チケットの販売は5時からで──なんだ、世代(じぇね)ちゃんか」

伊地知(いじち)さんのお姉さん? こんにちは」

虹夏(にじか)ちゃんのお姉さん……!?」

 

 STARRY(スターリー)の入り口で少し考えていると、声をかけてきたのは伊地知(いじち)さんのお姉さんでした。バイトの件で(うかが)ったと言えば、中に通して話を聞いてくれます。

 

「これからは店長って呼んでくれればいいから。新しいバイトが入るってのも虹夏(にじか)から聞いてる。キーボードの世代(じぇね)ちゃんに──ごめん、そっちの子は? ギター弾いてた子だよね」

 

 私は結束バンド加入前からメンバー募集の掲示などをさせてもらった経緯もあって、すでに名前を知っていただけているようですが。伊地知(いじち)さんのお姉さんが──店長が後藤さんを見るのは、おそらく初ライブ以来でしょう。ミーティングの時は不在だったようですし。

 

あぇっ、あのっ。ごっ、後藤ひとりっ、です。よろしくお願いします、へへ……

 

 店長から暗に自己紹介を促された後藤さんは、噛みながらも名前を口にし、最後には笑顔まで浮かべてみせました。……やはり、後藤さんは凄いですね。愛想笑い一つ浮かべられない、どころか見せようという発想すらしない私と比べ、たしかに笑んで見せたのですから。すごく引き()ってますが。努力する姿勢こそが(たっと)いのだと私は知っています。初ライブの時に抱いた彼女への尊敬は、やはり正しかったようですね。店長が後藤さんの顔に引いていたとしても。

 

「おっ、二人とも早いね~っ」

「や」

 

 バイトとしての顔合わせを済ませていると、入り口階段から伊地知(いじち)さんと山田さんが降りてきます。お二人も、私たち同様学校帰りのようですね。その後は店長と伊地知(いじち)さんのやり取りに後藤さんが怯えたりとありましたが、後藤さんは伊地知(いじち)さんに。私は山田さんに仕事を教えていただく流れになりました。

 

「今日は掃除と受付だけ。ぼっちが習ってるキッチンとホールは今度やる。とりあえず見て真似して。分からないことがあったら聞いて欲しい」

 

 まずは掃除ということになりましたが、山田さんも後輩に教えたりという経験は無いらしく、見て盗めという方針になりました。見様見真似で出来ないことでもありませんし、特に口も挟まず山田さん同様掃除に精を出します。掃除する箇所や道具がルーチン化しているようでテキパキと処理する山田さんについていくのですが。

 

「……なんと言いますか、もともと綺麗なので思っていたより大変ではありませんね」

 

 日頃から力を入れているらしく、隅々まで片付いていて掃除をする甲斐はあまり感じられませんでした。

 

「平日のはじめはこんなもん。客が入って、ライブも始まると一気に汚くなる。本番はライブが終わって客が帰った後」

「なるほど。基本的には、一日に二回清掃作業が入るんですね。それでも日頃からやればあまり苦労はしなさそうですけれど」

「土日とかシーズンイベント期間はまた別。バレンタインとか凄い。演者がステージから客にチョコ放ったりして、ホールが茶色まみれになったこともある」

「それはまた……」

 

 内心の作業の軽さを口にすれば、山田さんからそんなエピソードが。だとすると、節分にはステージやホールが豆だらけになることもあるのでしょうか。考えたくも無いですね、掃除する側に立ってみれば。

 

 そうして作業の詳細を始めとしてアドバイスをいただきつつも、意外に雑談に花開き穏やかに時間が進みます。私が山田さんのバイトの愚痴を聞いていただけという現実からは目を背けましょう。

 

 ひとまず清掃を終えると、ちょうどチケット販売が始まる時間になり。私は受付けをする山田さんの隣で、半券を回収する役割を与えられました。業界ではチケットの半券をもぎ取るということから"もぎり"というスタッフの名称として通っているとのこと。あまりに簡単すぎる役割ですが、これをしながら山田さんとお客さんのやり取りを見て覚えろ、ということなのでしょう。

 

「当日券1枚ください」

「はい……本日はどのバンドを観に来られましたか」

「アレクサンリズムです!」

 

 ライブのチケットとは別に、ドリンク用に別で用意されているピックをお客さんに渡しています。話を聞いたところ、ライブを鑑賞するためには必ずドリンクも購入しなくてはならないらしく、チケット+ドリンクを総合して入場料となるようです。お客さんは3000円を支払い、STARRY(スターリー)のホールへと下っていきました。

 

「私たちの初ライブも同じ金額だったんですか?」

 

 お客さんの応対を終えた山田さんに聞いてみます。ここからは開演時間に近づくにつれ忙しくなるでしょうし、お客さんが来ないうちに疑問は解消しておきましょう。

 

「あれはドリンク込みで2000円。STARRY(スターリー)は学生バンドだと安くなる」

「同級生をお客さんとして誘いやすくするためでしょうか」

「それもあると思う。でも多分、虹夏(にじか)のため」

「納得です」

 

 それを始めとして、これからのノルマや以前の初ライブ出演に至った流れを聞かせてもらいます。どうやら初ライブについては伊地知(いじち)さんが集客やノルマを負担する形で強行したらしく、それもあって今後は平等にノルマを背負う形にすべく例のミーティングが行われたとか。初ライブこそ私もほとんどサポートのような扱いで、後藤さんに至っては飛び入りでしたから罪悪感もありませんが。もしこれからの活動で伊地知(いじち)さんに金銭的な負担が集中するようでは立ち行かないでしょう。この話も含めて、ミーティングでバイトをする事になったのは結束バンドにとって想像以上に重要な出来事だったようです。

 

 その後は徐々に増えていくお客さんを山田さんが(さば)き、私は切り取った半券をバンドごとに分けて数えたりしました。

 

「よ、お疲れさん。もう中入ってていいぞ。今日のバンドはどれも人気あるし、勉強になるだろうから観とけ」

「おぉ……店長太っ腹。行こう世代(じぇね)

「あ、はい。お疲れ様です」

 

 しばらく受付に従事していると、そうして店長が代わってくれました。バイト中にライブを鑑賞できるのは(まれ)なのか、普段は読みづらい表情にも喜色を浮かべて山田さんが私の手を引きます。それに身を任せつつ店長に会釈すると、店長は片手で軽く手を振り見送ってくれました。話は逸れますが、いつの間に山田さんは私のことを呼び捨てにするようになったのでしょう? 初対面は"世代(じぇね)ちゃん"だったような……私も後藤さんを真似て、相手に合わせて呼び方を変えてみましょうか。つまり、リョウと呼んでみるとか。

 

 いえ、難易度が高すぎるのでやめておきましょう。

 

 受付から入り口階段を降りると、ドリンクカウンターで伊地知(いじち)さんと後藤さんが迎えてくれました。店長が受付を代わってくれたことを話せば、伊地知(いじち)さんは実姉をツンデレだと評します。パッと見は少し怖い印象の店長ですが、そう聞くと親しみが持てますね。

 

 ところで、伊地知(いじち)さんと後藤さんも作業が落ち着いたばかりらしく。ここで後藤さんが仕事の反省を口にしていました。どうやらあまり上手くいかなかったようです。……と言うか、私は彼女のサポートをすべく奮起したはずだったのですが。一緒に行動できなければサポートも何もありませんね、一緒にがんばりましょうだなんて無責任に言うべきでは無かったかも知れません。

 

 そんな後悔をしていると、伊地知(いじち)さんが後藤さんをフォローしていました。

 

「わ、私みたいなミジンコ以下に、どうしてそんな優しくしてくれるんですか……?」

 

 伊地知(いじち)さんの言葉で気が軽くなった様子もなく、後藤さんはそう卑下(ひげ)します。私も自己肯定感が高い方ではありませんが、にしても後藤さんのそれは比較になりませんね……。自分を本気でミジンコ以下と称するのは彼女くらいなものでしょう。

 

「……あたしね、このライブハウスが好きなの。だからライブハウスのスタッフさんがお客さんと関わるのって、ここと受付けくらいだし……良いハコだったって思ってもらいたいって気持ちがいつもあって──」

 

 後藤さんの言葉に、伊地知(いじち)さんは澄んだ瞳で心の内を明かしました。

 

「すっ、すすすみません……そんな場所で、ど下手な接客を……」

「いやちがっ、そうじゃなくて……あたし。ぼっちちゃんにも良いハコだったって思って欲しいんだ」

「──っ」

「楽しくバイトして、楽しくバンドしたいの──いっしょにっ」

 

 後藤さんに話す伊地知(いじち)さんの瞳は、お目当てのバンドを求めてライブハウスへ足を運んだお客さんに。彼ら彼女らが集まっているホールに向けられています。その横顔は、お客さんに向ける表情は。今までに見た伊地知(いじち)さんのどんな表情より、魅力的に映りました。尤も、そこまでのお付き合いではありませんけれど。

 

「まっ、いつかは笑顔で接客できるようになって欲しいのもあるけど! ……あっ、ぼっちちゃん。始まるよ!」

 

 茶化すようにそう締めくくると、ステージに上ったバンドのフロントマンがマイクに声を入れて。そしてライブが始まったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 初めてのバイトを終えて、帰宅し。時間こそ遅くなりましたがいつものように二人分の料理を作っていると、無意識に息がこぼれました。

 

 山田さんの言っていた通り、清掃業務はライブが終わり、バンドやお客さんが帰ってからが本番でした。たくさんの人が歩いたホールはもちろんのこと、楽屋でも飲食物のゴミや、持ち帰り忘れたのか雑誌なども放置されており、綺麗にするのにはそれなりに時間がかかりました。

 

『たまに忘れたように見せて家庭ごみを放置してくのも居るから。そういう時は店長に報告』

 

 山田さん自身そうした場面に直面したことがあるようで、色々経験談を交えて仕事を教えてくれましたね。今日のバイトで私は山田さんと。後藤さんも伊地知(いじち)さんと親交が深まったのではないでしょうか。次は伊地知(いじち)さんに指導をお願いしても良いかも知れませんね。

 

「……はぁ」

 

 そうして何度もバイトのことを思い返し、最後には同じ顔を頭に浮かべるのです。

 

『どっ、どうぞぉ……』

 

 ライブ中、ドリンクを交換に来たお客さんの対応をした後藤さん。目は半開きで、口は引き攣った笑みを浮かべていて。

 

 それでも後藤さんは、笑顔で接客することに挑戦したのです。直前に、伊地知(いじち)さんから願われたように。伊地知(いじち)さんのライブハウスに対する想いを聞いて、自分もその力になるべく足を踏み出したのです。

 

「……嗚呼(ああ)

 

 後藤さんに募るこの感情を表現するのは難しく。尊敬という言葉が最も妥当だと思っていますが、人付き合いが不慣れな私ではそれも自信を持って言えることではありません。

 

 ですが間違いないのは、時折こうした感想を抱くことです。初ライブの時の。店長と顔合わせをした時の。お客さんにドリンクを手渡す時の。

 

 後藤さんの懸命な顔が。たまらなく──。

 

「綺麗、でしたね」

 

 心から、そう思うのです。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。