ようやくにしてカダイン魔道学院が安定し、兵科として魔道兵が実戦配備手前まで来た頃。
アリティア聖王国の事情を知るものは祝福に沸いていた。
聖王后シーダの妊娠、そしてその半月もしないうちに聖王国女王リーザの妊娠が確認できたのだ。
暫くは政務をしていたが、二人ともがそれが難しくなる頃に聖王が『代理』という形で仕事をバトンタッチ。
そうして世間に広く周知されることとなった。
聖王は現人神であり、聖王后は巫女のようなものであるという認識が広まっており、
一夫一妻が暗黙的に敷かれているこの大陸でも批判的な態度を取るものは少なかった。
人々からすれば聖王は人間ではないからだろう。
このまま平穏に時間が流れればよいが、そうならないのが戦乱の常でもある。
『オレルアン軍、パレス攻めを開始』
それは妊娠とはまた違う形で聖王国を揺るがせるニュースとなった。
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「オレルアン軍のアカネイア攻略軍の主力がパレス攻めを始めたそうです」
フレイの言葉に対してオレは質問をする。
「主力って、狼騎士団か?」
「いえ、攻略軍の主力はジョルジュ殿とミディア殿、そしてアストリア殿とのことです」
「おげげ、アカネイア王国のお歴々かよ」
「噂ではパレス内部で騒ぎがあったらしく、それに乗じて逃げ出したミディア殿、ボア殿がオレルアンに合流
オレルアンへの合流の呼びかけから戦局がそちらへ傾いたとのことです」
ノルンが付帯情報をつらつらと言う。
ジョルジュはアカネイア五大侯が一つ、メニディ家の子で大陸一の弓使いなどと呼ばれている。
ミディアもアカネイア五大侯が一つ、『あの』シャロンが司っていたディール家、そこに連なるオーエン家のご令嬢だ。
そしてアストリアは大陸でも名を響かせている傭兵で、アカネイアに、正確にはミディアのために戦っている。
ボアはアカネイア王国の司祭であり、ミロアに次ぐ発言権を持っていた男だ。
「軍を編成してくれ」
「どちらへの進軍をお考えですか?」
「オレルアンだ、連中の後背を衝く
今更オレに騎士道なんぞを語ろうとする奴はいないよな」
「軍議を開きます、聖王陛下は」
「数日内に出立する、オレは一人でも戦える、というか、一人でしか戦えんしな」
「……先遣軍を用意しますので、どうかそれまではお待ち下さい」
ここで駄々をこねても仕方がない。
オレは承知したことを伝える。
こことはまた別に話しておくべき相手がいるからだ。
アリティア聖王国でのオレの私室にリーザとシーダに足を運んでもらう。
妊娠してはいるが、まだ腹の大きさがそこまで目立つほどでもない。
政務から離れているのは周りの人間の勧めもあってのことだった。
エルレーン、ガーネフ、それにメイドたちが部屋に集まっている。
「孕ませておいて悪いんだが、オレは戦に行かにゃならん
ここでオレルアンにパレスを取られると計画にかなりの狂いが生じるんだ」
現状の聖王国が持つ大義名分はアカネイアの不甲斐なさをベースにしているところがある。
そこにアカネイアを取り戻したオレルアンが登場されると大義を失いかねない。
後背を衝く形となれば名誉は損なわれるが、それは多少のことだ。
パレスに陣取られるのと違って『ひとときの悪評』で終わらせられる。
「シーダにはどんな戦場にでも連れて回す約束をしたのに、すまん」
「いいえ……今はお腹の子を守ることが私の一番大事なことですから、レウス様は安心してご出立なさってください」
「リーザ、エリスやマルスのときと違って夫不在な状況ははじめてか?」
「ええ、そうよ」
「不安か?」
「不安って言ったら残ってくれるのかしら?」
「残るって言ったら自分の仕事をなさい、って言うことくらいはわかる」
リーザはふふ、と笑って
「あなたの分までシーダと仲良くしているから、戦働きをして凱旋なさって」
「……ありがとう」
彼女がハグを求めるようにして手を広げたので応じる。
耳元で「シーダにも忘れずにね」と囁く。
世話焼きのリーザに従ってシーダに向き直る。
「あっ、えっと……」と、困ったような声をあげてから顔を赤くしながら、リーザに習うように腕を広げた。
「……もう、寂しい気持ちになっています」
「そんなに時間掛からんから安心しろ、な」
そんなことんなでイチャイチャとしていると後ろからガーネフが
「少しばかりよいかね、陛下」と声をかけてきた。
いやあ、お待たせしてすみません。
「以前に受け取っていたものの解析だが」
現在のガーネフだが、
カダイン魔道学院の初代学長はやはりガーネフ以外にはありえないとオレは思っており、
引き続きその椅子に座ってもらっている。
ただ、技術的な検証を含めた研究に時間を使ってもらいたいので実質的に運営をしているのは学長の下に用意したグループに任せる形である。
この『以前受け取っていたもの』とは、オグマが持っていた擬剣ファルシオンから手に入れたオーブのようなものだ。
あの武器から取れたものであればよほど価値のあるものだとも思っていたし、
何よりガトーの手が入ったものであれば彼に関わる情報を得られるかもしれない。
「灰のオーブに近い性質を持っている、とは言え効力の消去という部分は持っていないが」
「受け皿にはなるってこと?」
「正確には求める形になるもの、ではあるがの」
「灰のオーブがキャンバスなら、アレは粘土みたいなもんか」
ただ、その変化させるための技術はまだまだ開発が必要であり、
研究素材があれ一つなので壊さぬよう細心の注意を払わねばならないため、研究の進みは牛歩もいいところだという。
「次に、これが主題ではあるのじゃが」
そう言って取り出したのは魔道書である。
「これは?」
「マフーだ
……ああ、無論、闇のオーブや灰のオーブは使っておらん
正確にはマフーに近い力を持つものよ」
ガーネフ曰くに、自分よりも魔力や精神力に劣るものを束縛する力があるものらしい。
言ってしまえば彼はマフーを操ってやっていた行いの逆のもの、つまりは非殺傷武器を作り上げたわけだ。
今も結局は扱いの難しさや量産性の目処の無さが問題のようではあるらしいが。
「わしが扱えばよほどの相手でもない限りは縛り上げられるであろう
陛下の家族はわしがこれで守るゆえな、安心して遠征されよ」
老紳士はそれが贖罪になると考えているのか、それともオレやオレの家族を親しい者として守ろうとしてくれているのか、
闇のオーブを手にする以前の、或いはより昔の生真面目で実直な男へと立ち戻った事を察することができる。
だからこそ、
「頼んだぜ、ガーネフ老」
オレは親愛を込めてガーネフをそう呼んだ。感情が伝わったのか、彼も小さく笑う。
多くは語る必要もないだろう。
お前の罪を許すだとか、これから報いていこうなんてのは結局おためごかしだ。
オレもガーネフも精算するのなんて土台無理な罪を背負っているし、これからだって作り続ける。
ガーネフだってそれは理解している。
だからこそ、ただ頼りにするのだ。
その多忙の中であれば塞ぎ込む隙も無くなるだろう。
「しかと任された」
悪の司祭ガーネフでも、魔王ガーネフでもない。
聖王国の魔道士ガーネフとして頷いた。
少なくともオレはそう受け取った。