「まったく、聖王陛下は無茶を押し通して一人で進まれる
付いて行く我らの必死さたるやを知らないのだろうな」
アランは銀の槍を抜き払いながらぼやく。
「だが、英雄らしい行動ではある」
銀の刃が自分の姿を返している。
随分と血色が良くなったものだと自分でも思う。
カダインの魔道士たちには感謝しなければならない。
咳一つせずに戦いに挑めることに。
アランは生来のものか、後天的に得てしまったものか、大病を抱えていた。
医術の心得や治療の杖を振るえるものでも癒せないもの。
だが、それを知ったカダイン魔道学院の研究者たちはその研究を進め、眠る間もなく続けられた研究の結果、
その病を完全に克服させる手段を手に入れた。
元より開派の理念は兵士ではなく遍く人々の為の魔道を、である。
病からの救済は理念の最も重要な部分を占めているといっても過言ではない。
「準備整いましてございます、アラン将軍」
「では、手筈通りに進めるぞ」
槍を手鏡のようではなく、武器として構えなおす。
「我らの目的はジョルジュ及びアストリアとの交戦だ
可能そうな方から狙い、更に可能であればここで決着も付けようぞ」
アラン麾下の騎兵たちがそれぞれの武器を構える。
そこに一つの声とて存在しない。
「全軍、……突撃」
四侠となり、聖王国の騎士となった彼には一つのジンクスのようなものがあった。
戦場において怒号をあげない。
静かに、確実に。
声などよりも、もっと我らの心根を表現するものがある。
それは馬蹄の響き。
我らが踏ませたその音色はいかなる蛮族の雄叫びよりも雄々しく戦場に響き渡る。
我らの咆哮はそれに混ぜ合わせられぬ雑音なのだ。
聖王国騎兵部隊は選抜されたアラン麾下の騎士たちによって新たな戦場が切り開かれた。
────────────────────────
「アストリア様!後背を突かれました!!
騎兵です!」
「……ほう、ということはグルニアか?」
「いえ、旗は……アリティア聖王国です!!」
アストリアは対峙するトムスから目を離さずに、しかし音で状況を探る。
(静かだ、戦の咆哮一つ無いなど……)
聞こえてくるのは自軍の悲鳴ばかり。
敵軍の音であろうものは馬蹄の音だけ、長くアカネイア傭兵として戦うアストリアにとってもはじめての状況だった。
だが、アストリアにはより気がかりなことがある。
単騎で先行したミディアだ。
彼女の強さはもはやアストリアを超えているだろうことは彼も承知している。
しかし、激しやすい彼女は単騎駆には向かない性格をしている。
横合いからの対処ができないのだ。
(……私が行くしか無いのだが……しかし……)
ジョルジュはトーマスを討ち倒したあとに高所を取るために移動しているため、姿が見えない。
ここを離れればトムスと聖王国の騎兵に挟まれて甚大な被害が出る。
「アストリア様、ここは我々だけでも問題ありません!
しかしオーエン家の血を引く彼女を失えばアカネイアの兵団の士気に影響が出ます!
どうか、ミディア様を!」
「……すまぬ!」
アストリアは剣の冴えと同じ程に鋭い足さばきで敵陣を切り抜けていく。
「せ、聖王国が来ただと?
漁夫の利を狙ってか……、ハゲタカどもめ!」
攻略軍がそちらに気を取られている間にトムスはミシェランへと近づく。
傷は深い。
問題なのは治癒ができる僧侶は城内にまで戻らねばいない事。
「と、トムス……わ、わしのことはいい……」
「何を言っている、我らは二人で一人ではないか
自らの手足を引きちぎって逃げ出す者などこの世におらぬ」
「自分の傷の深さは自分でわかる、お前は逃げてくれ、トムス……」
咆哮一つなく馬蹄だけが響いている。
それはやがて、十分に蹂躙したことを示したのか、こちらへと近付いていた。
────────────────────────
ジョルジュは高所を求めて移動する、が、それは言い訳に過ぎないと自分で思ってもいた。
ジョルジュの部隊は弓兵と馬を持たない手練の
元々、アカネイアには常駐の兵団はそう多くない。
そのため、アカネイア傭兵と呼ばれる『専属契約を結んだ傭兵』を常備軍代わりにしている。
ジョルジュと共に動くのは元騎士だったり、所領を何らかの理由で失ったりなど訳有の貴族やその徒弟であったものが多い。
彼らは他の部隊からもあぶれた者ばかりだが、それでもジョルジュには従っている。
それはひとえに彼の性格を理解しているからだ。
「ジョルジュ隊長、オレらははぐれているミディア隊の馬廻りに移ります」
「すまん」
弓兵たちには高台となる場所に陣取り、それぞれが散発的な攻撃を始める。
相手を打ち倒すというよりは注意をこちらに向けるためのもの。
背中や横っ腹を衝かれた軍を立て直すのが目的である。
ジョルジュはようやく目的地に到着する。
そこにはぐったりと横たわっているトーマスがいた。
「……」
矢を引き抜く。
その後に薬瓶を取り出すと、それを飲み下させ、応急手当をしておいた。
「じょ、……ジョルジュ、……様、どうしてここに」
「寝ているといい、トーマス
この戦いの後にアカネイアにはお前のような男が必要だ
オレのように五大侯の血などに踊らされぬアカネイア人がな」
失血は致命的ではないが、それでもトーマスの意識を再び昏倒させるには十分だった。
薬の力もあるだろうから、数時間の後には立って歩けるほどになるだろう。
それまではとばっちりを受けないような場所に彼を安置しておく必要がある。
ジョルジュはトーマスを抱えると、城壁内の一室に彼を置き去りにした。
彼は熱烈なニーナ信者であるミディアや、その恋人アストリアのように自分たちの正義を持たない。
自分が正しいと思えたことなど一度もない。
何故今もアカネイア攻略軍として、いや、なぜ戦い続けているのか。
彼が戦わないことを選べば、より多くのアカネイアに血が流れるからだ。
五大侯の名誉を持って弓を取れば従うものも多くなり、その腕前を以て大将首を取れば兵士たちは死なずに済むことも多い。
(……言い訳だな
オレは怖いのだ、結局は……人に失望されることが)
大陸一と謡われる名は元々はメニディ家が喧伝のために作った風聞だった。
ジョルジュは失望されることを恐れ、弓の練習をした。
し続けた。ひたすらに、ひたすらに打ち込んだ。
彼にはメニディ家の当主ノアのような優れた射手として才能があったわけではない。
ただ、彼には人並みの恐怖心があっただけだった。
失望されることへの恐怖心が。
いつからかその絶大な修行の時間によって彼は名実ともに大陸一の弓騎士となった。
戦乱が始まり、その弓で多くの命を奪っていった。
だが、それでも恐怖は拭えず、そして戦いの中で正義を見つけることもできなかった。
(トーマス、オレはお前のようにこそなりたかった
己の正義を信じて弓を取れるような男に)
ジョルジュは宝弓パルティアを握ると再び戦場へと戻る。
己を信じられず、しかし、それでも戦場に立たねばならない男の背中はなによりも悲痛に満ちていた。