グラでの決戦から時間は少し遡る。
魔道の国カダイン。
各地での研究を終えたヨーデルとエルレーンはそれぞれの日常、つまりは研究に戻るはずだった。
「エルレーン、ガーネフ司祭がお呼びだ」
「僕を?」
「急げよ」
「……わかったよ」
カダインの秩序を破壊したガーネフに対して憎悪を抱いているかと言われれば、
無いわけではない。
だが、エルレーンが憎むのは常に自分の弱さ、至らなさであった。
こうしてガーネフに呼ばれ、会ったとしても憎んだりは──
「エルレーン、灰のオーブの調子はどうか」
髪を後ろに撫で付けた鷲鼻の男。
年齢は相当な高齢のはずだが、それを感じさせない若々しさがある。
それがこの男をより不気味に見せていた。
「その……僕のオーブはまだ」
「であれば急ぎレフカンディへと向かえ、儀式が行われるそうだ
誰を犠牲にするつもりかまでは知らんが、暴走されて灰のオーブが無駄になっても困るのでな
余剰分でもお前であればマフーを生み出すだけの力は回収できるだろう」
「……」
「何をしておる、早く行け!時間は黄金、それも後で買い戻せぬものぞ!」
「は、はい」
帰ってきてすぐに出張。
決して憎んだりは……しないとは言い切れない。
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とんぼ返りというべきか、なんというか、足の早い馬車を走らせて再びレフカンディへ。
エルレーンの優秀さについてはレフカンディ侯カルタスは極めて高く評価しており、
揉み手をする勢いで邸へと招き入れた。
「オレルアンに抜かれたと聞いたが」
「通してやったのですよ、オレルアンが金を積んだのでね」
「そうなのか」
聞いた話だと王弟でありアカネイア攻略部隊を率いるハーディンは高潔な人物だと聞いている。
となれば、話をつけたのは違う人物なのだろうか。
それとも存外、ハーディンという男は世慣れしている人物なのか。
だが、それを気にしている暇もあまりない。
「儀式をすると司祭から聞いて、手伝うようにと」
「おお、流石はガーネフ様
儀式は明日の日が昇る前に行います」
「……そうか、わかった」
「それまでは部屋を用意しますのでそちらでお休みください」
止められないものだろうか。
……止めたところで、そのあとはどうすればよいのかもわからないが。
案内された豪奢な部屋の椅子に座ると、表情を曇らせる。
何をするべきなのだろうか。
ふいに机の上にある鏡に目が行く。
彼は自己評価については、少なくとも外見をどうこう評価するタイプではない。
対外の評価で言えば美少女とも取れるほどに美しい顔立ちをした少年である。
「……ひどい目の隈だな」
当然か、とエルレーンは思う。
眠ると言っても馬車の中であったり、研究に椅子の上であったり、
休息なんてろくに取れていない。
しっかり睡眠を取れば妙案の一つでも浮かぶかもしれない。
睡眠の魔力に手を引かれるように、大きなベッドに不釣り合いな小さく細い体を横たえ、そうして眠りに就いた。
(よく考えたらこの一週間、八時間も寝てないんじゃないのか……ああ、泥のように、……眠い……)
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瞼が重い。
いや、痛いと表現できるだろう。
どれだけ寝ていたのか。
誰も起こしに来ないのも妙であるが、起こす気にならないほど深く寝ていたのか。
猫のように骨を鳴らし、深紅で染められている外套を纏う。
華奢な体をこれで隠さねば魔道士としての威厳もへったくれもない。
扉を開く。
暗い。
廃墟のような静けさだ。
遠く、恐らくは儀式に使う部屋で音がする。
その部屋自体は前回来た時に呪紋などの配置を手伝ったから場所はわかる。
自分抜きで儀式を始めたというのだろうか?
折角来たカダインの魔道士を放置して進めるような『勿体ない』真似をあのカルタスがするだろうかと思う。
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「おい、質問しているんだが」
「ま、待ってくれ、本当に知らないんだ!」
エルレーンが目を覚まし、歩き始める直前辺り。
レフカンディの邸は地獄と化していた。
黒い甲冑に黒い毛皮の外套を纏った人相の悪い男が儀式の場に踏み込んできたのだ。
儀式の前に全員でのリハーサルを行っていた彼らは全くの不運で一網打尽にされた。
抵抗はした。
意味があったかは薄い。
彼が、ではなく、彼が鳴らした鈴に釣られるように現れた海賊風の亡霊たちに出入り口を封じられ、
逃げようとしたものは撫で斬りに、抵抗しようとしたものは縦斬りにされた。
生き延びているのは最早カルタスとその側近のみ。
「もう一度言うぞ
オレは・ジオルから・話を・聞いている」
言葉を区切るようにしながら黒い男が質問する。
「どれほど耳が遠かろうと今のはしっかり聞こえただろう
タリス王国の王女シーダ、サムスーフに売った、よなあ?」
「それは」
ぎゅん、と鉄塊が唸り、側近の一人が凡そ人体としてはあり得ざる死に方をする。
真っ赤な液体がじわじわと、とめどなく『人体だったもの』から溢れ出た。
「話す気はないか
商売人としては素晴らしいのかもしれんな」
亡霊たちはなにかの意思を受け取ったかのように、側近の一人の手足を掴むと、無造作に引っ張り始め、
やがて彼も『だったもの』にされる。
「大絶叫だったな」と無感動に黒い男が言う。
「別に殺す必要もないのはわかっているが、シーダを探しているってのに、時間を取られてむしゃくしゃしている
オレからすればお前らは音の鳴るおもちゃみたいなもんだ
できるだけ大きい声で泣いてくれ」
「待て!待てえ!!!話す!!
シーダ王女だろう!!」
カルタスは観念したように言う。
「ああ、グラの街で捕らえた後にサムスーフに売った!
タリスに対しての切り札にすると言っていた!」
「タリスに?」
「ディールと同じだ!奴も国が欲しいのだろうさ!
アカネイアの大貴族ではなく、ただ一人の王になりたいのだろう!
お、愚かなことだ!国の経営など金にもならん!!」
「……なるほどな
それともう一つ、灰のオーブはどこだ?」
「なっ、なぜそれを」
「五大侯であれば持っているだろう、カダインからもたらされたはずだ」
「こ、ここにある」
懐から取り出されたはそれを掴み、片手であっさりと砕く。
灰はまるでこの世界にはなかったかのように霧になって消えていった。
海賊の亡霊たちは手足を掴む。
「な、何を!?
すす、全てを話したぞ!!」
黒い男は鉄塊めいた大剣を大上段に構える。
「ま……待てっ!!」
少年……エルレーンは事態を掴めないまま、抱えた道徳心に突き動かされるようにして扉を開いた。