「メルツ将軍、砦から出てくる人間を確認したとのことです」
メルツと呼ばれた男はサムスーフ侯爵領での軍事顧問の一人である。
命令系統の確率のために外様ではあるが将軍の位をベントより預かっていた。
彼はレフカンディ侯爵に仕えていた外様の騎士だったが、オレルアンと軽い衝突を行ったあとに金を握らされて道を開けたことで職を辞した。
アカネイアへの道を守護するレフカンディ家に入ったのは戦いを期待してであったからだ。
その後にスカウトされたのが同じ五大侯のサムスーフで国盗りを狙っているからと言われ、喜んで召し抱えられることを選ぶ。
広く物事を見れる男であり、実務経験も豊富。
彼が外様の騎士や軍事顧問という形で雇われているのは年齢的にも一線で武器を振るうのが難しいという客観的な判断をくだされたのに従っているからだ。
騎士として生まれ、守ってきた場所から名誉職(彼からすれば閑職)に送られたことがその自認の始まりでもあった。
武器を振るえなくなったのはつまらないが、それでも指揮官としての道は思った以上に楽しく、年嵩を重ねても現場から離れる気は置きなかった。
「何部隊だ?」
「二名、だそうです」
「二部隊でなくか」
「はい」
タリスに兵無しとは聞いていたが、本当にあっけなく終わるかもしれない。
おそらくその二名は死兵として突き進む傭兵のオグマ、それに三人の配下のいずれかだろうと当たりをつける。
「サムシアンどもを進ませろ、予定通り戦力を計る」
メルツの命令でサムシアンが進撃させられる。
(オグマ、か……まさか彼と戦えるとはな)
自分よりも年下のオグマに、メルツは憧れにも似た感情を持っていた。
自分の主に連れられて見た剣闘士の戦いで、あれほど勇壮に戦う男を彼は見たことがなかった。
それだけでなく、相手への慈悲を願う姿は戦士としてではなく、吟遊詩人が唄う騎士のような振る舞いにすら感じた。
彼がタリスに囲われた話は聞いていたが、それを思い出したのは少し前の、タリス攻めの為の軍議による報告からであった。
(私がもっと若ければ、手合わせを願いたかった
だが、今の私の土俵は
だが、オグマが相手だ。
油断はできまい。
「マムクートどもに準備をさせておけ」
奴隷商から買い上げたマムクートはベントの隠し玉の一つである。
タリスを手に入れたあとの侵略兵器として考えられていたが、使い潰してもいいという許可は事前に受けている。
ベントにとって、手に入れたあとではなく、手に入れる今こそが重要なのだ。
「……偉大な剣闘士をこんな手段で討ちたくはないが……ホースメンの部隊にも準備をさせておけ」
────────────────────────
最前線。
サムシアンたちは殺しで使ってきた愛用の斧を握る。
ちょろい仕事だ、と思っていた。
ガルダの海賊どもが何とかできる島なんて、サムシアンの自分たちであれば余裕もいいところだ。
だが、いつだって予想なんてのは儚いものだ。
「ゥ儂のォ、名前はァ、モォォスティィィンッッ!!!」
大喝。
空気が震えるような、否、大気が狂ったように震えるほどの大声が放たれる。
「我が蛮勇の記憶をォ、取り戻すためのォ、贄となれェェェいッッ!!!」
ぎゅん、とその姿が消える。
筋肉の塊が、一瞬で消える。
「なっ」
首を掴まれたサムシアンはそのまま大きく跳躍していた。
モスティンと共に。
急速に落下し、その地点には大喝に正気を失っていたサムシアンたちがいる。
掴まれたサムシアンはそれらに叩きつけられ、微塵に千切れ、立ち呆けていたものたちも砕かれ、散らばった。
「
叫ぶ。
彼が暴れ狂っていた時代の、その姿を同道したオグマは知らない。
いや、今この島で知るものは誰もいない。
大陸を広く見たとして、それを知るのはグルニアのロレンスくらいのものだろう。
「どうしたァァァ!儂はまだ剣すら抜いておらぬぞァァッッ!!!」
「ひっ、ヒィイイイ!!!」
サムスーフの悪魔とまで言われ、恐れられた山賊が恐怖一色に染まり、武器を捨てて四方に散らばるように逃げる。
「オグマ、山賊どもが市民を傷つけかねん……わかっておるな」
振り返るその瞳は理性に溢れていた。
オグマは承知しましたとだけ言って、山賊たちの背を追い、確実に仕留めていく。
(このままでよいのだろうか、それで姫を助けることができるのだろうか……)
オグマは懊悩していた。
────────────────────────
「メルツ将軍!サムシアンが潰走しました!」
「もう、か?」
「は、はい」
「オグマ、私が知るよりも腕を上げ──」
「敵はオグマではありません」
「……なに?」
「タリス王、モスティンです!」
アカネイア大陸には幾つもの英雄譚が存在する。
不滅のアイオテによる激戦。
勇者アンリによる魔竜退治。
歴史上の更に過去から伝わるおとぎ話として、銀の剣によって紡がれる英雄譚など、枚挙に暇がないほどだ。
だが、それは生きた伝説とも言えない。
しかし、生きた伝説と言われるものの全ては眉唾なものである。
蛮勇のモスティンの物語もタリスが作ったプロパガンダでしかないとメルツは考えていた。
その報告を受け、メルツが陣幕から出る。
高所に置かれたそこから見下ろし、確認できるのはこの世ならざる光景と言ってよかった。
一人の男が、軍を圧している。