ブラック・ブレット Monsters:Rulers of Earth   作:アマナットー
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お久しぶりです。


追うもの、追われるもの

 

 

 

 

 

 

 

 

 暖かな水の中に漂う、ふわふわした浮遊感が、『わたし』が覚醒してから最初に覚えた感触だった。

 その暖かな水が抜かれる音が、覚醒してから『わたし』が最初に聞いた音だった。

 違和感を覚えて薄く目を開ければ。薄い緑色が視界を覆っている。ふと上を見れば、次第に下がっていく水位がぼんやりと見えた。

 いまだ夢の境を行き来していたぼんやりとした意識は、やがて水がなくなって素肌が露出した瞬間、その身を覆った初めての『寒さ』によって一気に覚醒へと押し上げられた。

 このとき、『わたし』は『わたし』自身を守ってくれている環境が急速になくなっていくことがわかった。

 逃れようと手を挙げるも、それは伸びきる前に透明な壁に阻まれる。どの方向へ進もうとも、その手は必ず硬く透明な壁に阻まれ、下へ向かおうにも、鼻と口から空気を贈るチューブが身体を拘束し、体をそらすことはできない。

 やがて『わたし』を包み込む水はなくなり、口元を覆うマスクが外れる。

 全身を大気にさらした『わたし』はその身を覆う肌寒さに思わずしゃがみこむ。

 自身を守ってくれる環境がすべてなくなったのだと理解した瞬間、得体のしれない不吉なかたまりが『わたし』を抑えつけてくるのを覚えた。

 ここはどこだ、『わたし』は誰だ、どうしてここにいる。

 疑問が『ココロ』を埋め尽くす。

『わたし』は『わたし』を知らない。どうしてこのような場所に居るのか。何故存在しているのかすら『わたし』には分かっていなかった。

 たいして寒くもないのに、体温は体の内側からまるで水が流れるように下がり、なのに血は沸騰しているかのように体中をかけめぐる。初めての感覚に、どうすればいいのか全くわからない。

 寒くて、心細くて、何より怖かった。

『わたし』は、しらずしらずのうちに手を伸ばした。

透明な壁に行く手を阻まれても、出口を探し求めてぺたぺたと這いまわる。たとえそれが無駄な行為だと頭の片隅で理解していても、『わたし』はそれをやめなかった。

 それは、『甘え』だった。

 はかなき命が親、もしくはそれに連なる保護者に己の加護を求める、精いっぱいの行為。

『わたし』は、ぬくもりを渇望していたのだ。

 

 そして、その手は唐突に握られた。

 そのとき、『わたし』は初めて自分の目の前に他人がいることを認識した。

 多少焦点が合わないおぼろげな視界でもはっきり見えていたのは、こちらを泣きながら見つめる男の顔だった。

 その男は何も言わず、ただ自分を抱きしめた。

 よく見ると男以外にも見知らぬ人達がいて、男と『わたし』を囲んでいる。

 その人たちは全員が鎧を身にまとった、変な人たちだった。『むし』のような造形のヘルメットから光る眼は赤や緑と様々で、目の前の鎧が異形な存在にしか見えなかった。何人かは部屋に置いてある大きな箱を操作していたが、『わたし』にはそれが何なのかわからなかった。

 

『わたし』は彼らを知らない。自分を護ってくれる存在であるという証拠も、保証もどこにもないのに。不思議とそれまで『わたし』を抑えつけていた得体のしれないかたまりは、あっさりと取り払われた。

 

 次の瞬間、張りつめた空気から解放された安堵からか、こらえようのない睡魔が『わたし』を襲う。身体から徐々に力が抜けていくが、『わたし』はそれに身を任せて男に身を預ける。

 

「もう、大丈夫だ」

 

 再びおぼろげとなっていく意識の中、『わたし』の耳は最後に男の声を聞き取ると、そこで『わたし』の意識は暗転した。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 時刻が午後七時半を回ったころ。友幸は蓮太郎と二人そろって勾田病院の廊下を歩いていた。記憶が正しければこの時間帯は入院患者のランチタイムで、院内は人の数がまばらとなる。時折忙しそうな看護婦や、掃除用具が満載されたリヤカーをのろのろと押す高齢の清掃員などが通り過ぎるだけだ。

 なんとなく床に目をやったが、友幸はそれをすぐに後悔する。蛍光灯の青白い光が磨き上げられたワックスに反射して網膜に直撃したのだ。

 目の奥の神経が押しつぶされるような鈍い痛みを感じ取って友幸は目をそらす。本当ならそれは院内を明るく照らすはずのものだが、友幸にはどうしても、ホラー映画の撮影などで病院全体の雰囲気をどことなく薄暗く演出する舞台装置のようにしか思えなかった。

 友幸はちらりと隣を歩く蓮太郎に目をむける。

 

「本当にいくのか?」

「あたりめーだろ」

 

 言い終わらないうちに予想していた答えが返ってきた。

 

「どうしても?」

「どーしても、だ」

 

 断言する蓮太郎の目は、どこか吹っ切れたように座っていた。

 彼が目覚めてしばらく会話してから、友幸は少しだけ席を外していた。天童民間警備会社の面々と一緒にいさせるためだ。彼女たちとは積もる話もあるだろうから、部外者の自分は早々に退散したのだ。

 その後は休憩所で仮眠し休んでいたため、あれ以降の動向を友幸は知らないが、戻ってきたとき、彼が開口一番に蛭子影胤追撃作戦への参加を表明した時には目を見張った。

 

「そっか」

 

 いったいどのような出来事があったのかはわからないが、なんにせよそこまで固く決意したのならば、なにも聞かないことにする。自分にそんな権利などないのだから。

 

 やがて床に大きな正方形の穴がでんと現れる。時間も時間なため、穴の闇からうっすらと除いている傾斜角度が四十五度もありそうな急な階段は、まるで死者を冥界へいざなう入り口のように見えた。これで壁に松明が掲げられ、近くにケルベロスかなにかの魔物を配置すれば完璧だっただろう。

 だが、そんな一般人なら躊躇しそうな不気味な階段も今はもう慣れたもので、二人はそこを何の苦もなく降りていく。そして、仰々しい悪魔が描かれた扉が二人を出迎えた。

 病院から見てみればかなり、というかあってはいけないレベルの、とてつもなく縁起の悪いシロモノだが、ここを根城にする人物に一般常識を説いてはいけないことは、関係者の間では暗黙の了解となっていた。

 ゲームでいえばラスボスが待ち構えていそうな扉をよっこらせと押し開けると、濃い芳香剤と防腐剤の入り混じった強烈な臭いが身体を包みこむ。

 目的の人物はすぐそこにいた。

 

「せんせー、来たぞ」

 

 蓮太郎の声に反応し、手術着を着込んだ女性がこちらへ振り向く。

 ガストレアの研究者にしてこの地下霊安室の女王、世界七賢人の一人である室戸菫だった。

 最初は興味なさげにちらりとこちらを一瞥したが、次の瞬間まるで時が止まったかのように硬直した。

 

「……まさか」

 

 菫は小さくつぶやくと手袋を外し、蓮太郎へ詰め寄る。そのまま両手で蓮太郎の頭をガシッと掴むと、鼻先にくっつきそうな勢いで顔を寄せはじめた。

 

「せ、先生!?」

 

 突然のことに蓮太郎は狼狽する。

 いくら手のかかる変人とはいえ、ちゃんと身だしなみさえ整えれば木更に勝るとも劣らない美貌を持つ女性だ。そんな美人に鼻先まで詰め寄られれば、誰だって顔を赤くすることだろう。ましてや蓮太郎の年相応な、純粋かつうぶな心ではさらに動揺せざるを得ず、彼の顔は火が出そうなほど真っ赤になった。

 

「蓮太郎君口を開けたまえ」

「は、どういうこと――」

「いいから」

「アッハイ」

 

 だがそれも一瞬のことだった。ペンライトを取り出した菫は口の中を調べたり、網膜を照らし始める。どう見ても簡単な健康チェックだ。

 

「……どったの、先生?」

 

 明らかに様子がおかしい菫に友幸が恐る恐る声をかける。むろん、彼女は元からおかしいのだが。

 

「……友幸君」

「なんでしょう」

 

 振り向いた菫は、マスク越しでもわかるほど何か信じられない物を見たような、凄まじい形相をしていた。

 蓮太郎と友幸の顔を何度も見返して確認を取ると、驚きの声を上げた。

 

「なぜ蓮太郎君は生きているのかね!?」

「……………………は?」

 

 しばらくの間、気の抜けた空気が地下霊安室を支配した。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

「いやーすまんすまん。君がでっかいカマキリに襲われて瀕死の重傷を負っていたと聞いてね。詳細を聞いて、ああこりゃ死んだなと思っていたのさ」

「随分と物騒な早とちりだな」

「そうそうそれでそのでっかいカマキリだけどね、数時間前に切り落とされた両腕のカマが運び込まれたんだ。君たちもたまにはいい仕事をするね。つるりとした断面は牛の霜降りのようで実にきれいだったよ。肉だって機関砲をあれだけ受けておきながら、少しも痛んじゃいなかった。外骨格が衝撃の大部分を吸収する構造だったからね。いまは見ての通り傷だらけだけど、この状態でもおそらく戦車砲の一発は耐えられるんじゃないかな?」

「すげえスルーされたんだけど」

「俺に言うな」

 

 だよな、と蓮太郎は頬をひくつかせて乾いた笑いをもらす。菫とこのようなやりとりをすることは今に始まったことでもない。だが、菫がこうして普段通りの反応を彼らに見せてくれることは、裏を返せば彼女が蓮太郎の生存に安堵していることに他ならなかった。

 

「そうそう、ちょうど二人に渡すものがあるんだった」

 

 話題を切り落とされた巨大カマキリのカマから転換し、菫は机の下に忍ばせておいた袋を二つとると、彼らに軽く投げ渡した。

 友幸は『友』とマジックでそれぞれの名字がでかでかと書かれたそれを受け取って中身を見る。そこには、これから必要になる弾薬や、野戦服をはじめとした装備が一式が入っていた。

 蓮太郎のほうは、所持しているXD拳銃に取り付けるサイレンサーやウェストポーチなど非常に簡素で、友幸にはとてもこれから影胤を追撃する者の装備には見えなかった。

 それらを見る蓮太郎の目は、感謝とめんどくさい感情が入り混じった複雑なもの。おそらく、これを用意してくれた人物に心当たりがあるのだろう。

 これは私からの餞別だ、と続いて菫から投げ出されたものを受け取る。血のように赤い液体で満たされた注射器だった。

 

「AGV試験薬だ。なるべく使うんじゃないぞ」

 

 ふたりはその名を聞いて瞠目し、聞き間違いかと思わず菫と注射器に視線を行き来させる。

 しかし、二人一変に死んだらここの訪問客が減るからな、と苦笑する菫は、このような状況で偽物を渡すような人物ではない。

 

「しかしまあ、君と蓮太郎君がいつの間にか知り合っていたとは驚きだね。本来は君たちがそれぞれ来ると思っていたんだが、いっぺんに渡すことができて手間が省けたよ。同じことを二回も言うのはめんどくさいからね」

「えぇ、彼とはすぐに打ち解けることができましたよ。主に貴女関連の愚痴や悩みで」

「おやおや、こんな不幸面のロリコンヒモ野郎といい歳こいた中二病患者との三角関係とは、私もモテルようになったものだ。うれしすぎて腹を掻っ捌いてそこに反吐をまき散らしたい気分だよ」

「……なんか、ごめんなさい」

「冗談だ」

 

 そういって菫はひらひらと手を振るが、前言撤回。どこまでが冗談なのかまるで分からない。

 

「……友幸君、頼みがあるんだが」

 

 と、ここで菫は椅子に腰かけて脚を組む。おちゃらけた雰囲気が一変して真面目な顔つきとなった。

 

「すまないがすこしばかり席を外してくれないかい」

「……えぇ、いいですよ」

 

 友幸にはその理由がわからなかったが、彼女のどこか含みのある視線から意思をくみ取り、言われたとおりに退出する。友幸にもちょうど、やるべきことがあった。

 部屋を出て携帯を取り出し、ある登録ボタンをワンプッシュする。数コールぐらいなって、相手が電話に出た。

 

「もしもし、頼みたい事があるのですが………」

 

 

 

******

 

 

 

ゆったりと照らす夕日の下に輝く海原。見渡す限りに続く深い蒼と橙色の空の色は優雅に調和し、誰にも認められることのなく作られた絶景はガストレア大戦の始まりから終わりまで、変わらずそこにあった。

 

 だが、その時。その景観を乱すような巨大な気泡がいくらか浮かんできた。

 人の丈もある気泡は海水を大きく押しのけ、ゴボリゴボリと大きな音を立てて澄んだ青を白色に替えては消えていく。

 海底火山の噴火にしては小さく、海洋生物が吐き出した空気にしては大きいそれは、その下で何かが起きていることが容易に想像させる。

 そのとき、海面が一際大きくうねり、渦巻く波の間から鈍く光る長大な影が翻った。深淵の海底を思わせる青に近い群青色と、鱗がもつ特有の光沢の銀のストライプ、そして背びれを彩る黄金の輝きが、神話の生物のような神秘的な様相を醸し出す。惜しむらくは、その姿を拝める存在が近場にいないことだろう。

 影は、その身をくゆらせ再び波間へと消えていく。

 それが行く先の海底では、壮絶な死闘が繰り広げられていた。

 

 

 

 底知れぬ闇の中で舞い上がった泥が、視界を覆う。

 数百メートルはくだらない泥の嵐はすさまじい勢いで広がり、海底をのみ込んでいく。視覚を主な情報源としている生物は、閉ざされた視界は不安を掻き立てられ、冷静さを失わせていくだろう。

 だが、もしその場で己が身を振り払えば、払うほど泥は舞い上がって視野は狭まり、自身をその場に自然と拘束させるフィールドとなる。その状況から脱する方法は、人知を超えた聴覚や嗅覚で補うか、一刻も早くその場から離れることだ。

 そのとき、泥の中に不意に影が差したかと思うと、のそりのそりと百は下らない天突く巨体が這い出てくる。

 その正体、ガストレアの中でも最強格の存在であるステージVの『スコーピオン』は、前に進むと同時に体中に存在するあらゆる目を使って周囲に視線を集中させる。スコーピオンは、迫りくる脅威から必死にその身を遠ざけようと、地響きを鳴らしながら山のような巨体を前進させていた。

 ふと、背後の泥煙が不自然に歪む。

 

「ヒュオオオオオオオオン!!!!!!」

 

 スコーピオンが咆哮し、より一層足に力を込める。しかし、その動作は迫りくる影には非常に緩慢で、隙だらけでしかない。

 かくしてその脅威は泥煙から飛び出したのもつかの間、その長大な身体でスコーピオンにまとわりつくと、思い切り締め上げた。

 途端にギシリとスコーピオンの頑丈な体躯が軋み、体中にある眼のいくつかがゴムまりのように押し出され、大量の血と共に海の彼方へと消えていく。深海でも圧潰しないはずのそれは、まとわりつく影の長くしなやかな身体からは想像できない、敵対するものを絞め殺すために発達した柔軟な筋肉によって深海の水圧をはるかに上回る圧力をまんべんなく与えられていた。

 残った目をギョロギョロと動かし、正体を探る。そして、スコーピオンは何十にも重ねられた身体の向こうからそいつの姿を見た。

 水中で唸り声をあげるそいつは、ヘビのような長い身体とワニのような頭部に生やした鮮やかな赤い触角にゆったりと伸びた二つの髭のような器官、えらから生えた体毛はたてがみのごとく首元を覆って、大きく裂けた口からは棘のような乱杭歯が鋭く輝き、見るものの背筋を凍らせる。スコーピオンの知るところではなかったが、その姿は東洋の伝説の生物である『龍』に酷似していた。

 

「ギュオオオオオオ!!!!!!」

 

 地獄の万力のような圧力に耐えられず、スコーピオンは何とも名状しがたき悲鳴を上げ、体躯をくねらせ脱出を試みるが、いくら動いても締め付ける力が強くなるばかり。スコーピオンには思考する能力はなかったが、このままだといずれ絞殺されることはおのずと理解できた。

 岩礁に擦るようにして押し当て、大きく移動し、岩壁へ思い切り体当たりすると満身の力を込めて擦り付け、自身の体を叩きつけるようにして海底に押し当てる。

 一刻も早く振るい落とさんと何度も何度も同様の行動を繰り返すが、依然として状況は好転することがない。触手は同様に拘束され使い物にならず、口で攻撃しようにも、口の周辺には絶対に奴の体が姿を見せない。

 より速度を上げて海底や岩礁に押し当てるが、ギリギリと締め付けは強くなるばかりだ。

 そして、次の岸壁へ叩き付けようと大きく身をひねらせた時、突如として奴の頭部が目に飛び込み、直後に自分の視界の一つがブラックアウトする。食いちぎられた目玉を龍の顎が噛みつぶす様子が残った視界に入ってきた。遅れて更なる激痛が襲う。龍は再び顎を開くと、別の目玉へと再突入した。

 目玉をえぐられ、食いちぎられる痛みに、スコーピオンはより一層力任せに海底の隆起した部分へ、あちらこちらに体当たりを繰り返す。

 何度も体当たりされ、さすがの龍も苦しそうなうめき声をあげるが、それでも締め付けを緩めない。目玉を食いちぎることをやめると、退化したひれに備わる巨大なかぎづめを突き立て、更に力を込める。

 その時、鈍くくぐもった音が連続してスコーピオンの身体の内側から鳴り響いた。軋みを上げていた骨が砕け、内臓が潰れていった音だった。

 

「ギィィガアアアアアアア!!!!!!」

 

 耐え切れず、スコーピオンは悲鳴を上げる。大きく開けた口から血が逆流し、海中で溶けた。

 生まれて初めて味わう痛みに視界がゆがみ、気が狂いそうになる。いや、もうなっているのかもしれない。

 次第にもうろうとする意識に、スコーピオンは生まれて初めての感覚を覚える。それが何かはわからないが、とてつもなくおぞましいものであるのは確か。

 

 そして、意識が完全に落ちると思われた瞬間、突如猛烈な圧力が消えた。

 押しつぶされるような力がいつの間にか消え、スコーピオンはその状況が理解できずそのまま体が前につんのめっていくのを感じた。

 起き上がろうとして、混濁する意識がそれを阻む。

 海底を虫のように這う形になって、ようやく自分の体に負った傷の深さを思い知らされていた。

 ふと顔を上げると、真っ赤に染まってぼやける視界の中、自身を絞め殺さんと殺気だっていた龍がはるか彼方へ泳ぎ去って行くのが見える。

 

 敵が逃げた。

 危機は回避されたのだ。

 

 普通ならばその事実に安堵し、休息に務めることだろう。

 驚異的な治癒能力を持つステージVでもいまだ再生しない、身体の傷。

 その原因は、龍から発せられていた忌まわしい『チカラ』が再生能力を大きく阻害していた。

 とにかく直したい。スコーピオンは海底にその巨体を横たえる。

 休んでいる間に龍が戻ってくる可能性もあったが、スコーピオンはとにかくこの傷を癒したかった。

 しかし、しかしだ。

 身の安全が確保されたはずなのに、ぼやけた頭がさえ、動悸が早まり、緊張は増していく。この焦燥感はいったい何なのだろうか?

 漠然とした危機感を覚え、スコーピオンはゆっくりと頭を上げたそのときだった。

 

 

 

 ドーン、と雷のような地響きが響いてくるのを、その耳がとらえた。

 聞き間違いかと耳を澄ませるが、火山が噴火するような音は規則的に響き、こちらに近づいてくる。

 残った目を駆使して、自身に迫りくるものを探した。

 

 

 

 そして、見つけた。

 『それ』は青白い光を身にまとっていた。

 

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 

 同時刻。

 ヒオとマナは、突然発せられた避難訓練に戸惑いつつも、あらかじめ用意していた避難用具を自室で整え、東京エリアの地下シェルターへと足を運ぼうとしたときだった。

 

「………………ッ!」

 

 最初に、異変に気が付いたのはヒオだった。

 不意に顔を上げるとベランダに出ると、何かに恐怖するような表情で夜空を見上げた。

 彼女の、人知を超えた超能力を有する独特の感性が、東京エリアの遥か彼方で起こった変化を感じ取ったのだ。

 

「おねえちゃん!!」

 

 同じく異変を感じ取ったマナが、珍しく取り乱して駆け寄る。力が姉よりわずかに勝る分、さらに多く感じられたのだろう。

 説明しようのない異様な感覚が、二人を襲っていた。

 寒気や怖気に近い。酷く気持ち悪い何かが、遠く離れた場所で蠢いているのを朧気に感じる。

 

「…………来る」

 

 ヒオは誰に言い聞かせることもなく呟く。胸元のペンダントを、手が白くほど強く握りしめていた。

 マナもそれが伝染ったかのように虚空を見据える。

 体の芯から冷えるような悪寒が全身を覆い、自然と息が荒くなる。祈るように虚空を見上げることしかできない。避難のことなど、もう頭に入らない。考えることすら困難になるほどに、『それ』の存在感は大きすぎた。

 あまりにも巨大で、あまりにも強大で、あまりにも絶対的。

 その存在を一言で表すならば……神。

 それも……すべてを破壊し、蹂躙し、『無』へと還元する破壊紳。

 

 ――――来る――――

 

 言葉が重なる。これまで以上に、狂いもなくきれいに重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴジラが来る」







 海龍王 マンダ

 体長:約500メートル
 体重:不明

 石炭紀からペルム紀後期まで生息していた巨大生物の末裔。完全に水中生活に適応した超巨大水棲怪獣で、最新鋭潜水艦でさえ耐えられない深海の水圧にも平気で活動する。陸上でもある程度行動が可能。
 発光器官や出し入れ可能なロレンチーニ器官など、水棲生物由来の特徴を数多く備えている。







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