ブラック・ブレット Monsters:Rulers of Earth   作:アマナットー
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 いまさらですが、この小説はコミカライズ版も下地にしています。


『宴』の始まり

森はすでに途切れ、海から運ばれてくる風が前髪を揺らし、潮の匂いが鼻孔に流れてくる。

しばらくは、あの巨大な牙の持ち主に思慮めぐらせていたが、立ち止まっている暇がないとすぐに切り上げて移動を再開し、五人はいま、見晴らしのいい平野部の、小高い丘の上に立っていた。

将監とほかの民警はここらで夜営していたらしく、足元には携帯食料の袋や弁当のパックに、割り箸が散らばっている。量からみると、思ったよりも大所帯のようだ。作戦はもうすぐ始まるとみていいだろう。

 

「……あそこに、影胤がいるのか」

 

眼下に広がる市街地を見渡し、蓮太郎がつぶやく。

三日月形の湾に沿った小さな町だ。大戦前は過疎化に悩まされていたかもしれないが、それなりに活気だっていたかも分からない当時の姿は見る影もなく、荒れ果てて不気味なほど静まり返っている。大戦時に呼びかけられた避難勧告や、それに伴う疎開によって一夜にしてあけられたのだろう。

視線を市街地の中央にある道路に沿って上に移動させれば、その先にある教会と思しき白い建物に唯一明かりが灯っている。自らの居場所を堂々とさらけ出すやり方に、影胤の並々ならぬ自信が見て取れた。

 

「蓮太郎、みんな」

「あぁ、俺たちも降りよう」

 

友幸とリンダもうなずく。

だが、夏世だけは真剣な顔をして、耳をそば立てていた。

 

「みなさん――静かに」

 

その時、銃声が聞こえてきたことに一同は目を見開く。その一発を皮切りにし、続けざまに破裂音のような銃声と高い剣戟音が続く。どうやら始まったようだ。

 

「……ついに始まったか」

「街がドンパチにぎやかになってきたな」

「夏世、静かにというのはこのことだったのか!?」

「いいえ」

 

延珠の質問を静かに否定する。ガサガサと茂みの奥から音が鳴っているのを聞こえ、その理由を察した延珠はハッとした。

 

「別件です」

 

その瞬間、五人が歩いてきた道から四本足の獣が弾丸のような速度で飛び出してきたのを見て、蓮太郎はぎょっとした。

 

「ガストレア!?」

 

飛び出してきたのは鹿のガストレアだった。上半身をセンザンコウのような皮骨板で覆い、防御力を高めている。鹿のガストレアは瞳を赤く輝かせると跳躍し、放物線を描いて夏世へと飛びかかった。

しかし、彼女は冷静だった。

 

「左前、一歩半」

 

軌道を正確に読み取った夏世が、瞳を赤く輝かせると、言葉通りに左前へ一歩半進む。たったそれだけの動きで、鹿のガストレアは標的をつかみ損ね、慣性を殺し切れずに背を向けたまま走り去る。しかし、すぐに急制動をかけて右反転すると、再度爆発的に加速して夏世に向かって突進する。

 

「急な反転により距離計れず――」

 

月光をギラリと反射した赤く輝く目は残像となり、剣山のごとき角が刺し貫かんと大気を斬り裂く、当たれば即死の一撃。

しかし彼女は動じない。

 

「右前脚着地時、バランスを崩す」

 

そう言ってひょいとしゃがむと背負っていたガンケースがジャンプ台となり、失速せずに突っ込んだガストレアはそのまま空中へ高く飛び出し、バランスを崩した。その隙を逃さず、夏世はショットガンを構えて引き金を引く。吐き出された弾丸は的確に脳天を貫き、悲鳴を上げる間もなくガストレアは動かなくなった。

 

「なぜ……ガストレアの動きがわかるのだ?」

「考えるんです」

 

心底不思議そうな延珠の質問に、いつも通り淡々と答える。

次の瞬間、背後の森から突如ステージⅡからⅢのガストレアが飛び出してきた。どの生物にも共通する、無防備で狙いやすい死角を突いた突撃。対する夏世はショットガンをリロードせずに、そのままおろす。それを見たガストレアは、まるで歓喜するように彼女へ迫る。

そしてその爪が届こうとした瞬間――

 

「そのための『力』ですから」

 

――地面から舞い上がったワイヤーによって切り刻まれ、一瞬のうちにバラバラになった。

おそらく、バラニウム製のワイヤートラップだ。ある程度の重量がかかると発動する仕組みなのだろう。

四人は驚愕を露わにする。わずか一分にも満たない間で、瞬く間に複数のガストレアを斃した夏世の実力に、すっかり度肝を抜かれていた。

 

「尾けられていたようですね。狭い森の中から平野に出るところを狙っていたのでしょう。大型のガストレアは森の中では速度が出ませんから」

 

彼女の状況を把握する言葉を聞きながらも、四人は唖然として何も言えないでいた。まるで最初からそうなるのを見越していたかのような展開。計算されつくした、神業めいたガストレアへの対処。

千五百八十四位という高位序列者の位階は、伊達ではなかったのだ。

 

「夏世……聞き忘れていたけど、お前って何のイニシエーターなんだ?」

「私はモデル『ドルフィン』。イルカの因子を持つイニシエーターですよ」

 

蓮太郎の質問に答えると、少女は小さく微笑む。だが、すぐに顔を再び真剣なものに戻すと、背をこちらに向けた。

友幸がその意図に気が付き、息をのんだ。

 

「みなさんはここで道草を食わずに早く港へ向かってください」

「……君はどうするんだ?」

「ここに残ります。ここで誰かが食い止めない限り、勝っても負けても全滅しますよ」

 

そう言いながらフルオートショットガンの空になったドラムマガジンを取り外す。

時を待たずして、抜けたばかりの森から低い鳴き声や高い唸り声が聞こえてきた。今でも散発的に響いてくる街からの銃撃音におびき寄せられたのだろう。

夏世はフルオートショットガンを地面に突き立てて背嚢を下ろすと、ありったけの予備弾倉を地面に並び始める。徹底抗戦の構えだ。

ザッ、と夏世の隣に四人がたった。

 

「……みなさん?」

「悪いけど……君ひとり残していくのは忍びない」

「俺もだ。それに、街には将監のほかにも同序列、もしくはそれ以上のペアだっているはずだ。なら俺たちもいっそここに残って――」

 

言葉はショットガンの甲高い銃声でさえぎられた。散弾に当たった飛行型のガストレアが木の葉のように森に落下していく。

 

「――馬鹿を言わないでください。私たちがここを守っていたとしても、もし将監さんたちが負けていたとしたら、すべてが水泡に帰してしまいます。蛭子影胤との交戦経験が少ない私でも、彼の実力は把握しているつもりです。本来ならここにいる五人でも勝つのは難しいでしょう。その中でも、あなたたちは私よりはるかにましな戦力になる。そう判断したからこそ、私は残るんです」

「だからといって、妾たちはお主ひとりを残してなどいけぬ!!」

「あんなたくさんのガストレアを一人で相手取れんのは、シュワかスタローンぐらいしかいねえぞ!!」

「なら、私はそれに連なりましょう。イニシエーターのハリウッド入りです」

「けどよッ!!」

「それに――」

 

――将監さんなら、そうします。

そうぴしゃりと言い放つ夏世の気迫に気圧され四人は押し黙る。

 

「私はあの人の道具です。道具として戦い、死ねるんです。そしてあの人も振り返ることなく、新しい相棒と手を組んで戦い続けるでしょう」

「……なんでッ、お前はそこまで自分で自分を道具に見られるんだ……」

 

蓮太郎が問いかける。与えられた理不尽に怒り、覚えた反発を押し殺すように。

友幸も、言葉に出さずとも心情は一致していた。

 

「お前がそう考えられるようになったのはどうしてだ? 将監のせい、なのか? もし、そうだとしたら……俺はあいつを許せねえ……ッ」

 

憤る彼の言葉に、彼女は何も答えない。

延珠の身体が震える。顔は泣きそうなほど歪み、夏世から目を放さない。

リンダは歯を食いしばりながら、夏世を鋭い眼差しで見つめている。

友幸は顔色一つ変えることもなく無言でこぶしを握りしめた。

 

「それでいいんです」

 

ふと、先ほどまで覚めていた夏世が顔をほころばせ、声を柔らかくして言った。

 

「ですが、勘違いしないでください。私はここで死ぬ気はありませんし、そう命令も受けていません。様子を見て、適当なところで切り上げますよ。自分を道具という私に頼まれるのは、あなた方にとって不愉快かもしれませんが、将監さんをよろしくお願いします」

 

まっすぐに蓮太郎、友幸、延珠、リンダの瞳を順に捉えながら、夏世は言う。

四人はそれぞれ顔を見合わせ、歯噛みしながらも頷くと、そのまま何も言わずに背を向けると、一気に丘を駆け下りた。

ふとした拍子に止まってしまいそうになる。それでも四人は自分の足に鞭を打ち、ひたすらに市街地に向かって走り続ける。背後から聞こえてくる銃撃音に後ろ髪を引かれながらも、振り払って五人は必死に足を前に送り続けた。

 

 

 

夏世はそれを見送ると、これから始まる地獄への入口を振り返る。

徐々に増えていく赤い光、その数を見るのも、相手にするのも、イニシエーターとして活動して初めての規模だった。

ショットガンを握る手に力が入り、自然と手が震える。

本当なら彼らもここに残ってもらい、ガストレアたちの足止めを一緒に引き受けてもらいたかった。だが、ここで残っていては取り返しのつかない事態を招く可能性も高い。

今できうる限りの最善策、それを夏世は極めて冷静に選択したのだ。

それに、と夏世は四人の顔を思い浮かべる。

彼らなら、きっと東京エリアを守ってくれるだろう。論理的に物事を志向することの多い彼女だが、この時ばかりはなぜか、そんな根拠のない希望を確信できた。

だからこそ、自分は彼らを守るのだ。

夏世は目を閉じて大きく息を吸い、吐いた。

 

「千寿夏世、まいります」

 

死にたい奴から、かかってきなさい。

開いた眼が、真っ赤に光った。

 

 

 

街に入った四人は建物の影を縫うようにして進みながら辺りの様子を窺う。先程まで銃声が聞こえていた街の中心に近づいていたが、なぜか先程から銃声も剣戟音も聞こえてこない。

不安を覚えながらも、一先ず状況の把握の為に街の中心へと向かうことにした。無論、ここは紛れもなく未踏査領域なので、ガストレアを警戒することも忘れない。

ゆっくりと進んでいけば、遠くから見てもさびれた印象を見せていた街の様子がより鮮明に目に入る。

名も知らぬ市街地は見事に荒れ果てていた。

舗道には雑草がはびこり、割れたアスファルトが時折つま先をすくう。道端には乗り捨てられた乗用車やトラックがさび付いていた。建物はコケやシミが張り付いて、電柱にツタが絡まっている。

通り過ぎた年季の入ったおもちゃ屋らしき店舗には、店先のカゴに十年前でも古臭いと言われそうなデザインのソフトビニール製のヒーロー人形があった。紙に書かれた値段は紫外線で色褪せ判別はできなかったが、乱雑に積み重ねられているところを見るに、安売りされていたのだろう。風に吹かれて飛んできた新聞記事の見出しには、ガストレアに関する記事がでかでかと写し出されている。今もそうだが、昔もやはり、あの怪物たちに関する関心ごとは大きかったようだ。

略奪はみられなかったが、破壊の後はままあった。今通り過ぎた、何かに押しつぶされたように倒壊した家屋は、ガストレアによるものだろう。

海に隣接しているこの市街地は、港部分にも倉庫街やボート、小型船が係留していたが、錆びついて半壊しているのがほとんどだ。

人だけが一気に消えた町は寒暖の差と潮風の腐食効果によって、ただ朽ちるのを待つのみとなっていた。

友幸は舞い上がったほこりでむせそうになるのをこらえて、戦争で奪われた平穏を感じ取る。願わくは、これと同じ状況が東京エリアにも起こりませんように。

突然、延珠が短い悲鳴を上げた。

視線をたどり、それがなんなのかわかると四人は一様にうめく。

人の右腕だ。硬直した手に握られた拳銃は、銃口がきれいに寸断されている。持ち主は何が起きたかわかる前にこの世を去ったことだろう。

その時、平屋の家屋の中からごとりと音がして、反射的に銃口をそちらに向けた。

 

「誰か……いるのかッ……」

「……伊熊さん?」

「……テメエらは……」

 

夏世のパートナーである伊熊将監が、半壊した家屋の壁に背中を預けて立ちつくしていた。顔の下半分を覆うドクロスカーフは破れ、傷だらけの身体をさらしながら、絶え絶えの呼吸を繰り返す将監は遅々とした動作でこちらを見やる。

 

「……あんときのガキと、眼帯か……来るのが、遅えんだよ」

「ってことはアンタ、倒したのかッ?」

 

将監は無言で首を振った。怒鳴り返す気力も残っていないらしい。

 

「気を、つけろ。あいつらは、化けモンだ……手も足も、出る前に切り落とされた」

 

言ってから、膝の力が抜けたのか、ズルリと背中からずり落ちてその場に座り込む。

友幸は何も言わずにケースを下ろすと、中から救急セットを取り出した。

 

「傷を見せてください」

「……何を、言って……」

「いいから見せろッ」

 

問いに答えず、友幸は無理やり彼を地面へ寝かせた。将監も抵抗らしい抵抗を見せず、黙って横になる。

うつぶせにさせると、真っ赤に染まったタンクトップの背に、深々と走る刀傷を見て息をのんだ。血がわずかしか流れていないところを見ると、すでに夥しい量が流れてしまったとみていい。医療に関する知識がなくても致死量だということがわかる。もはや、気力で意識を保っているのだろう。

 

「わかるだろ……俺はもう助からねェ。処置する、だけ、無駄だァ……」

 

凍りついた友幸を後ろ目で見て嘲笑するように言うと、将監は大きく咳き込んで吐血した。

蓮太郎は小さく口を開けてそれを見つめる。目の前にいる死にかけた人間が、防衛省であった荒くれ者と同一人物には見えなかった。

友幸は舌打ちすると、針と糸を取り出して将監の刀傷を縫い始める。刺す痛みに将監がうめいたが、暴れずに逆に問いかけてきた。

 

「なぁ……なんで、助ける? こんなチンピラみてェな俺をヨォ……」

「あなたの『道具』に頼まれた」

「……夏世か」

 

わずかに顔を上げて反応を見せた。

友幸は頷く。

 

「あいつは今、ここに来るガストレアの群れを足止めするために戦っている。お前が生きていることを信じて、俺たちがこのエリアを救ってくれると信じて、たった一人で戦っているんだ。途中で逃げるとは言っていたけど……それは嘘だ」

「……だろうなッ、あいつぁ死ぬまでやれっつったら、言葉通りに従う、使い勝手のいい『道具』だからな……」

「そう教え込んだのは……アンタなのか?」

 

蓮太郎が口を挟んだ。それはどうしても問いかけたい疑問だった。

将監はにべもなく肯定した。

 

「あぁ、そうだよ……そして、それは俺も同じだ」

 

蓮太郎を含めた全員が困惑した。

将監が自分で自分を『道具』と明言したことに動揺を隠せない。ほかならぬ将監が、一番道具扱いされることを嫌いそうなのに。

周囲の動揺をよそに朦朧としていく意識の中、将監は続ける。

 

「犯罪者の親持ちだった俺ァ、生まれた時からだれにも必要とされるような存在じゃなかった。蛙の子は蛙って理論で、健全な人間として見られるこたぁついぞなかった……」

 

理不尽が、将監の生きた人生を覆い尽くしていた。そしてそれは、十年たっても変わらなかった。

それでも将監は真っ当なであろうとした。だが、その願いは無残にも打ち砕かれた。そんな自分を受け入れる社会など、世の中にありはしなかった。ある日、いわれのない罪状で、世間から切り離されたところにぶち込まれた。

その時に悟った。自分は、『普通』を求めることはできないのだと。

その時に決心した。なら自分は自分にとっての『普通』を生きていこうと。

その時に将監は、生きるために力を求めた。中でも一番近くにあったのが、暴力だった。だから将監はそれを振るった。ふるい続けた。理性など無視して、ただ本能のままに生きる。人をねじ伏せ、ほしいものを無理やり手に入れる。

それで、少なくとも自分の物事は上手くいくようになった。

 

「夢って、いうのはさァ、かなえられれば、いい旨味よ。けど、同時に猛毒でもある。それがかなえられねえモノだったらなおさらだ。俺みたいな輩ァ、それ以上の価値なんざ求めちゃいけねえ。それを忘れれば忘れるほど、日常ってやつに触れようとすればするほど……毒にやられて傷を負う」

 

暴力を振りかざし、殺して奪う。そんな輩を受け入れる場所など、今の時代のどこにあろうか。

だったら、初めから求めなければいい。夢なんてみなければいい。

そして気が付いたときには、自分はここにいた。

戦場はいい。腕力しか能のないやつでも、唯一自分の存在を感じられるから。

変に口達者な人間も、崇高な目的を掲げる人間もいない。そういうやつらから、先に死んでいく。

 

「戦場だけが俺の生きられる場所だった。だから……俺は進んで三ケ島さんの『道具』になった」

 

会社の駒として働き、戦い、そしていつか死ぬ。だが将監にはそれで充分だった。居場所を教えてくれた会社と、その社長には感謝こそすれ、そこに後悔はなかった。

 

「それァ、夏世も一緒だ……生まれも、生き方も選べねえ、世界から弾かれたヤツ。だから、俺は……アイツを『道具』として使うんだ。その間だけ、その時間だけで、あいつの、存在を、唯一正当化……できるからな」

 

友幸は自然と手を止めて、将監の話に聞き入っていた。

蓮太郎は目を大きく見開いて将監を見つめる。握る拳に自然と力が入り、ギリ、と噛みしめた歯から音が鳴った。それに呼応するように、彼に対する認識が大きく崩れ去った。分かっていたのだ。やり方こそ違えども、彼はわかっていたのだ。

 

「もう、いいだろ……俺にかまうんじゃねェ……さっさと行けッ!!」

 

そういうと、将監は大量に喀血した。脈は遅く、体温が刻一刻と下がっていく。破れた肺に血が入ったのか掠れた呼吸を繰り返している。

 

「あぁ、そうするよ……すまなかった。でも――」

 

友幸は立ち上がると腰に手を伸ばし、鈴なりに連結されたプラスチック製の注射器を取り出した。菫から『できれば使うな』と言われたが、今がその時だった。

 

「――今の言葉は相棒の前で言え」

 

キャップを外し、遠慮なく背中へ突き立てて、一気に薬液を注入した。血のように赤黒いそれは、みるみるうちに将監の体内へ吸い込まれていく。

びくん、と将監の体が大きくはねた。

うなり声をあげながら、陸に上がった魚のようにのたうちまわる。全身が発する熱に、体内で蠢く悪寒に耐えられないのだろう。

目が、真っ赤になっていた。

次の瞬間、それはおこった。背中の刀傷をはじめ、全身の刺傷に、肉まで除く裂傷が、目に見えて小さくなっていくのだ。

やがて傷が何事もなかったかのようにふさがると、血にぬれて破れたタンクトップと皮膚にこびりついた乾いた血痕だけが残った。

 

「芹沢……それって」

「あぁ、AGV試験薬だ。こういうのにはもってこいだろ?」

 

蓮太郎の言葉に、友幸はこともなげに言う。事実、将監の傷はすべて再生していた。

二十パーセントの超高確率でガストレア化するという副作用こそあったが。

さて、と友幸は将監のそばに近寄ると額をペシペシ叩く。

 

「もしも~し、誰かいますか~?」

 

返事は空気を押しのける鉄拳だった。

顔面に突如走る衝撃。友幸は為す術も無くその場で一回転宙返りをし、そのまま地面にたたきつけられる。

よろよろとおぼつかない足取りで、二メートル近い巨漢が立ち上がった。

 

「てんめぇ……殺す気かゴルァ!!?」

「さっきまで死にかけていた人に言われたくないです」

 

鼻を抑えて微妙にくぐもった声を漏らしながら友幸は立ち上がる。

幾度か鼻を鳴らして鼻血が出ていないことを確認すると、にこやかにほほ笑んだ。

 

「でもまぁ、殴ることができる元気があるなら、もう大丈夫ですね」

「……チッ」

 

将監は舌打ちすると、地面に落ちていた自分のバスターソードを拾い上げ、肩に担ぐ。

それを見て友幸も顔を真剣なものに直すと、重々しく口を開いた。

 

「伊熊さん。頼みがありますが、いいですか?」

「……夏世、だろ? いわれなくともわかってらぁ。どこだ?」

「あなたが野営していたところに程近い場所に」

 

将監はそのまま四人に背を向けた。友幸は、彼があっさりと承諾したことにいささか拍子抜けする。影胤討伐に執念を燃やして、もっと駄々をこねるかと思っていたが。

ただ、心配事が一つだけあった。

丘を見上げれば、聞こえてくる銃撃音が時折混じるガストレアの鳴き声に比例するように苛烈さを増している。戦局がどちらによっているかおおよそ判断できるだろう。今から彼が行っても果たして間に合うかどうか。

友幸はちらりと下を見やる。相手もこちらの目を見て意図を察し、頷いた。

 

「リン、頼む」

「あ~いよ」

 

言うが早いか、リンダは将監の懐に滑り込むと両足首を掴み、まるで発泡スチロールを持ち上げるように将監を頭上に掲げる。

 

「お、おいテメ、なにしやが――」

「しゃべるな、飛ばすぞ」

 

次の瞬間、力を解放したリンダは全速力で元来た道を突っ走っていった。

急な展開に頭の理解が追い付かないのか、将監の普段耳にすることのない野太い悲鳴が壁面にこだまする。

十分な助走をつけない急加速によって、いまごろ彼の体にすさまじいGがかかっているだろうが、彼の頑丈さを考えればたぶん大丈夫だろう。

見送って、満足そうな笑みを浮かべながら友幸は踵を返した。傍にいる蓮太郎と延珠に視線をくべる。

完全に場の雰囲気にのまれて空気と化していた二人がハッと立ち直った。

 

「行こう、二人とも」

「……あぁ!」

「了解だ!」

 

三人は再び歩き出した。

 

 

 

目的地に近付くにつれ、吹いてくる潮風に含まれる血臭が次第に濃くなっていくのが嫌でもわかった。鼻をつまみたい衝動に駆られながらも歩みを止めず、通りに続く角で立ち止まる。

銃を構えて、蓮太郎は大きく口で深呼吸した。

 

「延珠、芹沢、通りに出るぞ。何を見ても悲鳴を上げんなよ」

「これ以上何があるというのだ、蓮太郎っ」

「大丈夫、スプラッターは見慣れている」

 

通りに飛び出る。目の前に広がる光景に延珠が喘いだ。

 

「蓮太郎……これはなんなのだ……こんなの」

「……二人とも、俺、ベジタリアンになる」

 

通りの至るところに、死体が転がっていた。

両眼の眼窩を撃ち抜かれたイニシエーターが、空虚な瞳で忘却の彼方を静かに見つめていた。銃殺されたペアの死体は互いをかばうように折り重なっている。壁に右半身を埋めているプロモーターは、脳天から股まで縦一直線に切り裂かれていただけだった。首だけになったイニシエーターは驚愕の表情を張り付けたまま三人を凝視している。

だれもかれもが、防衛省で見た民警ばかりだ。

彼らの鮮血で彩られた通りは、まるでこの先に続く教会へのレッドカーペットのよう。

三人は戦慄する。これが、奴らの所業だと言うのか、だとしたらそいつらは、人に化けた悪魔そのものに違いない。

そして、その悪魔は『宴』を始めるのだ。血で血を洗う、狂った宴を。

 

「パパァ、ビックリ。ホントに生きてたよ」

 

主催者は、桟橋で何かを待つように佇んでいた。

片方は腰に指した二本の小太刀に黒いワンピース。もう一方はワインレッドの燕尾服に袖を通した仮面姿、シルクハットの怪人。

その双方に、傷は一つとして無く、実に『宴』に見合った正装と言えるだろう。

 

「……きっと来るとは思っていたが、実に遅かったねェ、二人とも。今夜はこれほどまでに月がきれいなんだ。せっかくだから一曲踊っていかないかい?」

「……妾は淑女たる者、殿方のお誘いに乗らねばならぬのはわかるが、今宵は丁重にお断りさせてもらう」

「あいにくだけど、俺らはジョーカーが奏でる死の円舞曲(デス・ワルツ)を踊るイカれた趣味なんぞこれっぽっちもないんでね」

「その代わりといっちゃなんだが、パーティー会場のぶっ壊し方なら存分に心得ている……ケースはどこだッ、蛭子影胤ッ!!」

 

友幸はケースの側面に固定していたジャマダハルを両腕に装着し、蓮太郎は拳銃を静かに構え、延珠は目を光らせて脚に力を込めた。

生ぬるい風が肌を撫でていく。月を背後に、二挺拳銃を持った蛭子影胤はゆっくりと振り返り、鷹揚に手を広げた。

 

「幕は近い。決着をつけよう、里見くん、芹沢くん」

 

血だまりに映る美しい月は、これから始まる『宴』に狂喜乱舞するかのごとく赤色に染まっていた。




 夏世ちゃん生存ルート確定。
 コミカライズの将監さんは、なんやかんやでいい人やでぇ……。







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