これは一つの楽譜を巡る物語。一人のハンターの生き様を綴った物語。

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冥府へ誘う鎮魂歌

『本当なの、アル?』

 

 繁華街の雑音に混じり、携帯電話から声が漏れる。

 それは聞き取りやすい女性の声。不安や恐怖に苛まれる者を安心させ、憤怒の感情に支配される者は落ち着きを取り戻す。

 聴く者に安らぎを与える天性の声の持ち主は、ここから数百キロも離れた所から弟子と通話をしていた。

 

「本当ですよ先生、あのルーペ=ハイランド氏が寄越した情報ですよ? 信憑性は高いと思います」

 

 それなりに広く、周囲に様々な店が並ぶ大通りはヨークシンシティと何処か似通った所がある。

 その通りを歩きながら探索のスペシャリストと名高いハンターの名前を出した人物は、はっきり言ってかなり目立っていた。

 季節が夏だというのも不審な目を増長する。今がもう夕方で気温も下降の一途を辿るとしても、この暑い気温の中、全身をすっぽり覆う裾の長い真っ黒のポンチョというのはそれなりに目立つ姿だろう。

 しかもその人物が付属のフードで顔を覆い隠し、サングラスを装着していれば、人混みの中で彼を中心に無人エリアが形成されるのも当然の事だった。

 

「…………まあ、またガセの可能性も充分ありえますけど」

『そうね。でも、私は諦めたりしない。何年、何十年掛かってでも、アレは必ずこの世から消す』

 

 リラックス感を増大させる声色に込められる明確な意思は、そのまま弟子の元へダイレクトに響き渡る。

 電話先の彼女がどのような表情、どのような想いで告げたのかを如実に感じ取り、弟子も無意識に右手を――黒の皮手袋に包まれた手で、変哲の無いバイオリンケースの取っ手を力強く握っていた。

 

「俺だってそうですよ。最近温暖化現象とかが騒がれてますし、流石に来年こそは半袖シャツで街中を歩きたいもんです。長袖なんてもううんざりですから」

 

 フードとサングラスで表情は窺えない。

 それでも男性にしては少し高い声に含まれる徒労と落胆が、彼の気持ちを雄弁に語っている。

 分厚い生地の長袖文字シャツに使い古された紺色のジーンズ。その上からはポンチョを着込み、両手には皮手袋まで着用している。

 まるで素肌を晒すのを嫌っているのか。この男には肌色面積が圧倒的に少なかった。

 いつの間にか繁華街を抜け、男性は――まだ十代後半になったばかりの少年は、そのまま郊外へ出る道を歩く。

 

「――なにより、俺にはアレを抹消する義務がある」

 

 言葉から滲み出る僅かな殺気。

 身体からは陽炎のようにオーラが零れ、周囲の木々が慌ただしくざわめき立つ。

 日はもう完全に沈み、夜の帳が降り立っていた。

 

『…………アル、何度も言うけど貴方に責任は――』

「ありますよ。確かに作ったのは俺じゃない。でも、俺はアイツの身内で、クソジジイの孫です。不本意だけど、身内の不始末は身内がケリを付けないと」

 

 心を乱して不安定になった『纏』を正し、反省しつつ、電話越しに漂う憂いの言葉に即座に反応する。

 彼女の言う通り、コレは彼に責任は無い。それ所かアルと呼ばれた少年も彼女と同じ被害者の一人だ。

 しかし、そんな事は関係ないと彼は思う。

 あの作品を生み出し、その圧倒的な才能と作り出した作品達に込められた鬼気迫る想い、独創的で恐怖を煽る旋律から、一部の者から魔王の名を与えられてしまった少年の祖父。

 その経緯から始まった不幸の連鎖を止めるのは、身内として、そして被害者の一人として、当然の事だと考えていた。

 

『……ごめんなさいね。私も行ければ良いのだけれど』

「いや、先生は今年の試験官なんでしょ? 大丈夫ですよ、たかがマフィアのアジトを潰すぐらい俺ひとりで大丈夫です」

 

 少年に対人戦闘の奥義――『念能力』の基礎を教え込んだ彼女は、現役のプロハンターの一人。

 少年も三年前に通ったハンター試験の試験官に指名されてしまった彼女は、現在ハンター協会で細かい打ち合わせの真っ最中。

 試験まで半年近くの時間が残されていたとしても、彼女達試験官側にとっては、『まだ半年』ではなく『もう半年しかない』の方が正しいのかもしれない。

 そのまま謝罪合戦や雑談を経て、人気の無い林の中を歩き続けること数十分。

 ゴールである大物マフィア――レッドフェル一家の私有地が見え、彼は歩みを止めた。

 

「さて、と。そろそろ目的地へ到着です。朗報を待っていてくださいよ、センリツ先生」

『……無理はしないのよ、アルペジオ』

 

 先生であるミュージックハンターとの通話を終え、アル――アルペジオ=トッカータは、眼前に見える巨大な門と外壁を見上げた。

 

「さーってと、頑張ってみますか!」

 

 どこからどう見てもただの不審者。

 その姿には似合わないバイオリンケースを持つプロハンターは、正々堂々と正門まで歩み寄った。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「よし、意外とちょろい」

 

 アルペジオの言う通り大物マフィアの邸宅にしては予想以上に楽だった。

 元々一般人では念能力者に太刀打ち出来ないとしても、流石に銃火器で武装されては何かと面倒。それでも警備で徘徊するマフィア達はアルの歩みを止めることが出来ない。

 正門前で見張りをする者。屋敷に辿り付く前に彼を仕留めようと、広大な私有地の林へ殺到した者。彼等は例外無く今は地面に横たわっている。

 彼が手にしているのがたった一つのバイオリンだけだというのに。

 

「この調子で虱潰しに探していけば……って、またか」

 

 名のある美術・骨董品のコレクターで知られるマフィアの親玉の屋敷らしく、その邸宅は城と表現して良いほど広大だ。

 外にいた見張りや組員を無力化して屋敷に侵入。そのまま保存部屋を虱潰しに探している途中、聞こえてきた大量の足音に心の底から嘆息する。

 襲撃はこれで八回目。

 どれほど組員が詰めているのかと、ゴキブリのように這い出てくる組員達が鬱陶しかった。

 

「『幻想曲(クラシック)――』

 

 左手にバイオリン本体を、右手に弓を持ちながら立ち止まる。

 前後から足音と怒号が響く中、彼は一つの彫刻のように、全く緊張を感じさせない優雅な姿で彼等の到着を待った。

 その姿を例えるなら、静かな湖畔。荒々しい空気を否定し、少年の周囲に静寂が漂う。

 そして曲がり角と階段から黒服達が姿を表した途端、少年の右手が旋律を奏でた。

 

「――『泣く子も黙る子守歌(フリーズ・ララバイ)』」

 

 その曲は子守唄の名に相応しかった。

 音調はゆっくりと、それでいて母親に抱かれている時のような安心出来る優しさを帯び、聴く者を魅了して次第に眠気を誘う天使の子守唄。

 水面に零した水滴のように、優しい旋律は波紋のように周囲へ広がる。

 演奏に乗せられたオーラは聴き手の中に浸透し、黒服達は夢の世界へと誘われていった。

 

 オーラを音に変化させ、具現化したバイオリンで奏でる事で他者を攻撃する具現化・変化の複合能力『たった一人の舞台演奏(ワンマン・クラシック)』。

 

 先生であるセンリツが癒しに特化しているのなら、彼の能力はそれ以外に浅く、広く、効果は多岐に亘る。効果範囲は彼女と比べて短いものの、その多様さは充分脅威に成りえた。

 特に今使った能力は消費したオーラを上回る念防御力を持つ者に効き目は無いが、非念能力者にとって強力無比な一撃必殺。

 威力を増幅するために困難な発動条件があるものの、この歳で一流のバイオリニスト兼ミュージックハンターのアルペジオ=トッカータは、複数の演奏で戦う能力者だった。

 

「うし、これで……ありゃ」

 

 数十秒という短い独奏曲を終えたアルペジオは周囲を見て困ったような声を上げる。

 何故ならば、眠っている面々に混じり立ち上がろうとしている者が三人ほど確認出来たからだ。

 彼等は生まれたての子鹿のように足を震わせ、ゆっくりと立ち上がる。

 それでも眠気は感じているのか。

 三人とも例外無く、頭に片手を当て、時たま頭を振り、必死に眠気と格闘していた。

 

「うーん。俺の芸術的な演奏が理解出来ない荒んだ心の持ち主……いや、いけないな。俺の実力が不十分だったってことだ。人の所為にしたらいけないって師匠にも言われたし」

 

 バイオリンと弓を持ったまま腕を組み、うんうんと勝手に納得するアルペジオ。

 ちなみに今いった『師匠』とはセンリツでなく、念の応用技や戦闘技術を叩き込んだドSな宝石ハンターの事を指す。

 見た目十代の癖に実年齢が五十代というトンデモ師匠の鉄拳制裁を思い出し、自分でも大袈裟と思うほど背筋が震え上がった。

 心成しか優しくも怒気の含まれた彼女の幻聴まで聞こえるのだから、もはや末期である。

 

「て……てめぇか。さっきからウチのもんを……昏睡状態にして回ってるって侵入者はっ」

「舐め腐った真似してくれんじゃねえか、ああン?」

「楽に、死ねると思うんじゃねぇぞ……ゴラぁああ」

「ちょ、昏睡ってあんたら――ッ!?」

 

 殺さないだけマシだと思え馬鹿野郎という発言と共に新たな演奏で物理的に昏倒させようとしたアルペジオは、弦に弓を走らせる直前に悪寒を感じ、そのままの体勢で背後を振り返る。

 今の彼に、怒声を浴びせるマフィアの声は聞こえない。構えている拳銃やドスも範疇に無い。彼はただ、背後にある階段から上ってくる異常者達の気配に呑まれていた。

 

(……なんだよ、コレ。一体誰が……ッ!?)

 

 濃厚な死と恐怖感を植え付ける気配の持ち主達が廊下へと踏み込んでくる。

 瞬間、全身から冷や汗がじわじわと滲み出た。

 

「まさか、アタシ達の他に侵入者がいるとはね」

「まあ、コイツのお陰でここまで楽だったけどな」

 

 歩み寄ってくるのは四人の男女。

 前を歩く二人はジャポンという島国で好まれるような服装に身を包み、纏う雰囲気とは裏腹に気安い調子でアルペジオの方へ歩み寄ってくる。

 ピンク色の髪を纏め上げ、胴着のような服を着たツリ目の女性。

 ちょんまげに無精ひげ、着流しを着て腰の帯びに刀を差す男。

 その少し後ろには女性用スーツとハイヒール姿の美人がいる。

 そして、

 

「見張りを全員眠らせたのはお前か?」

 

 額に刻んだ十字の刺青に黒コートを着たオールバック男が言葉を発した瞬間、言い様の無い重圧がアルペジオに重く圧し掛かった。

 

(いやいやいやいやいや! 目の前のツリ目美人やジャポンサムライ、その後ろの巨乳美人も相当だけど、何だよあの黒髪オールバック!? ……プレッシャーがハンパねぇ!?)

 

 蛇に睨まれた蛙の如く身動きが出来ない。

 自分は圧倒的に弱者であり、搾取される側だという事実を否応無しに押し付ける。

 勝てるイメージが浮かばない。額から流れ出る汗が頬を伝い、廊下に垂れる。

 すると一つの轟音が鳴り響き、飛来した何かがアルペジオの頬を掠めた。

 頬には横一文字に赤い線が引かれている。そこから垂れる少量の血が、床の汗と混じり合った。

 

「チッ、外したか。おい、お前ら――」

「ちょっと黙ってろよ鈍感ヤクザ!?」

 

 しかしこの攻撃は幸いにも、蛙状態だったアルペジオを復活させる。

 傷を負う事で迎撃意識を取り戻し、呪縛にも似た無言の拘束から彼を逃す。

 それでも絶望的な状況に涙を流し、彼は叫んだ。

 

「くらえ!」

 

 即座に弦上に弓を走らせる。

 先ほどの子守唄とは違い、音調が激しく荒々しい演奏が場を満たす。

 音は衝撃波となり、彼を中心に周囲へと急速に解き放たれた。

 窓ガラスが木っ端微塵に打ち砕かれ、壁や廊下を傷付ける。

 邪魔者を掃除するかのように無差別に放たれた破壊の旋律は、眠っている者も含め、黒服達を壁際までふっ飛ばし、余すこと無く昏倒させた。

 動くのは演奏者であるアルペジオ。そして、猛然と疾走する刀の男。

 

「うわっ!?」

 

 とっさにバイオリンケースを具現化する。

 空中に出現したケースは過剰にオーラを込められ、二メートルまで巨大化。盾にする。

 

「はぁ!?」

 

 しかしバイオリンケースは盾の意味を成さなかった。

 剣尖が走り、男の刀はケースを容易に両断する。

僅かにケースを傾けたことで斬線の軌道が微かに逸れ、断面越しに居合いを放った男を見れば、彼はまるでアルペジオを褒めるかのように、口笛を吹くような仕草を見せた。

 

「やるじゃねえか。なら、これでどうだっ!」

 

 常人には到底不可能な間合いからケースを両断した男は、右腕を横に振った勢いを利用して身体を反転。

 アルペジオを見ずに片足で更に飛び込み、強烈な回し蹴りを空中で放った。

 

「――――ッ!?」

 

 踵がアルの脇腹を強襲し、声にならない悲鳴を響かせる。

 両手からバイオリンと弓が零れ落ち、宙を舞う。

 男の一撃は『堅』を用いたアルペジオの防御力を容易に突破し、肋骨に幾つもの皹を入れた。

 

「がはっ……げほっ!?」

 

 扉を突き破り、近場の部屋へと無理矢理蹴り飛ばされる。

 どうやらこの部屋は仮眠室だったらしい。

 複数あるベッドを薙ぎ倒し、壁に激突して漸く停止する。

 朦朧とする意識の中。血を吐き、俯いていたアルペジオは、部屋に入ってきた四人分の足音を確かに聞いた。

 

「待て、マチ、ノブナガ」

「あン? こいつに用があるのか、団長」

 

 刀を構えるノブナガという男に続き、いつの間にかアルペジオの身体を念糸で縛り上げていたマチという女性を見上げ、次いで二人のボスと視線を合わせるアルペジオ。

 死神の足音が遠ざかる事に安堵するも、予想出来なかった事態に別の意味で警鐘が鳴った。

 

「殺すな。そいつには訊きたい事がある」

 

 ノブナガやマチだけでなく、発言者の隣にいた女性まで頭にクエスチョンマークを頭に浮かべる。

 とりあえず死の気配が霧散した事を朦朧とする意識下でなんとか理解した。

 

「……あー、あんたらもマフィア? それとも盗人?」

「あン?」

 

 痛みを我慢してアルペジオは話しかけた。

 反応したノブナガではなく、リーダーと思しきオールバックへと。

 これは言うまでも無く彼の痩せ我慢。

 生き残るため、弱気な姿勢を見せず強気に振舞うために、恐怖を無理矢理押し殺した。

 

「俺としてはさ、あんたらが何しようがどうでも良いし、邪魔はしない。何だったらここのマフィアの掃討も手伝う。だからちょっと共同戦線を張ろ――」

「――条件次第だ」

 

 残念ながら会話の主導権を握る事は出来ず、有無を言わさないプレッシャーを発する男は、生殺与奪を握ったまま彼を見下ろした。

 

「俺の質問に全部答えろ。そうすれば、まだ殺さない」

「……『まだ』、まだですか、あはは……ハァ」

 

 用が済めば相手は殺す気満々。

 少しでも逃げる気配を見せれば身体に巻きつく念糸が問答無用でアルペジオを締め上げ、ノブナガの刀が首を飛ばすだろう。

 更に四人は自分よりも圧倒的に強い。

 現状を打破する手段が思いつかないアルペジオは、ヤケクソ気味に乾いた笑みを浮かべた。

 

 一応頑張るけど、こりゃダメだ。

 

 そう彼の顔は物語っている。

 

「パクノダ」

「了解」

 

 スーツ姿の女性――パクノダがアルペジオに近寄り、ハイヒールが床を打つ音が耳に入る。

 同時に聞こえてきた新たな怒声も耳に入ったのか。オールバックはノブナガとアイコンタクトを行った。

 

「一つ目の質問だ。お前の目的はなんだ?」

 

 ノブナガが一人で廊下に出て残りの掃討に取り掛かる中、オールバックの男――クロロの声と視線は、嘘は許さないという命令が込められていた。

 

「……探し物がここにあるって聞いたからだよ。それの真偽を確かめに来たんだ。ちなみに俺は、あんたらが何をしようがノータッチを決め込む気満々です、はい」

 

 パクノダに触れられながら始まった質疑応答。

 何故触れているのかに少しだけ疑問が生じるも、今は生き残る術を見つけるのに必死なため、彼には気にする余裕が無い。

 慎重に言葉を選ばなければ、一瞬で念糸は首を絞めるだろうから。

 

「何を探している?」

「『闇のソナタ』って楽譜」

「……確か魔王が作曲したとかいうアレか」

 

 命の危機も忘れ、その博識ぶりにアルペジオは目を丸くする。

 音楽業界でも知る人が少ない楽譜の事を知っていた事に驚きを隠せなかった。

 

「何故探す?」

「この世から消し去るため。あんなクソッタレなモノは百害あって一利無しだ」

 

 闇のソナタ。

 アルペジオを始めとした沢山の人々の運命を変えた元凶。

 演奏し、聴いたりすると災いが降りかかる呪いの楽譜。

 八歳の時に家の倉庫で楽譜を見つけ、演奏してから、アルペジオの人生は狂い出した。

 

(そうだ。俺はアレを消し去るまで死ねないっ)

 

 この僅かな時間を回想に当て、生きる決意を新たに宿す。

 蹴り飛ばされた衝撃でフードとサングラスが外れ、露わになった幼さが残る少年の顔。切れ長な黒い双眸は、真っ向からクロロを睨み付ける。

 その意思を、心情を感じ取ったかは定かでは無い。それでもアルペジオの表情を見て、クロロの口元が微かに笑ったように見えたのは事実だ。

 現にこの場にいる二人の女性は僅かに驚いていた。

 

「二つ目の質問だ。お前の能力なんだ?」

「あんたも見た二つだよ、あとは色々」

 

 とはいえ実力行使に出たら瞬殺されるのは目に見えているため、心の底から神に祈る事しか出来なかった。

 そして、その祈りが通じたのか。クロロは少しだけ考える素振りを見せ、拳を口元に当て思考の海へと浸かり始める。

 裁判官の告げる罪状を待つ犯罪者の心境で待たされること数十秒。クロロはアルペジオの背後へ視線を向けた。

 

「パクノダ」

「この子の言っている事は全部本当よ。私達を狙った賞金首ハンターでもないし、楽譜を探しに来たというのも本当ね」

 

 パクノダは対象者の記憶を読み取る能力者。もしくは読心に近い能力を持つと分かった瞬間に敵対関係ではないし邪魔をする気は無いと意思を膨らませ、胸中で叫ぶ辺り、アルペジオという少年はかなり必死だ。

 そしてパクノダへ期待の眼差しを向けて直ぐ絶対零度の視線を返され目を逸らすヘタレでもある。

 そのようなやり取りを終えた時、不意に両手を拘束していた念糸が解かれた。

 

「ここでバイオリンを具現化してみろ。それ以外の事をしたら殺す」

 

 訳が分からなかったものの、何も行動を起こさなければ殺されてしまうため命令に逆らおうとは思わない。

 両手を上げたまま慎重に立ち上がり、脇腹に走った痛みに顔を顰めながら、アルペジオは自身の相棒を具現化した。

 そのまましばらく刻が止まる。

 演奏すれば良いのか。それとも立ち竦むのが正解なのか。

 どうやら今の現状、クロロの意思を読み取れないのはアルペジオだけらしく、二人の女性は平然としていた。

 

「――今さっき演奏した曲。あれはリレイヴ=ベインディンが作曲した『楽園』だな」

「……よくまあご存知で」

 

 つくづく博識な奴だと、思わず感嘆の息も出てくる。

 こうして先程の尋問とは違う、クロロの能力を発動するための質問が開始された。

 

「最高難易度を誇り、一流の音楽家でも完璧に演奏出来る者は早々いない。彼の作曲した物の中でも高い評価を得ていた筈だ」

「……えーっと、何が言いたいんですか、ダンチョーさん?」

 

 アルペジオにはさっぱり意図が分からなかった。

 音楽に関する会話なので苦ではないにしても、些か場違いではないかと思ってしまう。

 少なくともまだ銃声と悲鳴は聞こえているため、急ぎの用で無い限り、趣味に走る質問は自重するべきだ。

 これがクロロの他人の念を盗む能力の発動条件だとは思わない彼にとって、至極当然の感想だった。

 それでも質問は続く。

 

「微かに聞こえていた子守唄もリレイヴの作曲だった。子守唄には名に相応しい効果を与えた癖に、『楽園』というタイトルが付いた曲を攻撃用に選んだ理由はなんだ?」

「…………あんたが今言ったでしょ、あの曲は超難しくて、凄く人気だって」

 

 平常時でも演奏が難しい最高難易度の独奏曲。

 僅かな失敗で全てが台無しになるこの曲を、極限状態で完璧に演奏する事に意味がある。

 そう一人のバイオリニストは語った。

 

「だから選んだんだよ。たとえ戦闘中でも美しい音色を、聴く者が満足出来る演奏を提供する。それがプロ魂ってもんだ。集中し辛い戦闘中だからこそ、俺は最も難しい演奏を行い、美しい旋律を奏でてみせる。その事に意味があるんだ」

 

 それにこの完璧に演奏するというのはワンマン・クラシック全ての曲に通じる発動条件だったりする。

 あえて難しい曲を選び、自分を追い詰める事で、威力の向上を図っているのだ。

 

「それに楽園ってのは、罪ばかりを起こす人間に神が裁きを与え、善人だけの世の中を作ったって物語があるから楽園ってタイトルなんだ。別に攻撃用にしてもおかしくないだろ」

「なるほど、な。確かに、ある意味的確だ」

「そういうこと。俺は演奏にプライドを持ってんの。だから子守唄の方は相手が感動しないと効果が発揮しない能力に……って、今の無し! 何でもない何も言ってない!」

 

 この場に師匠こと若作りなプロハンターが居たら『敵に発動条件を教えてんじゃないわさ!』という怒鳴り声と共に鉄拳制裁が待ち受けていただろう。

 それなりに実力はある癖に変な所でドジなヘタレ。

 それが彼に関わった者達の共通見解だったりする。

 そして調子に乗ってしまったこの発言が、彼の生死を決定付けるものとなった。

 

「具現化出来ても能力者の演奏技能が高くなければ使えない能力、か」

 

 能力を奪えてもクロロに演奏技術が無いため発動出来ない。

 興味を無くした眼差しを向けてアルペジオを恐怖させた後、クロロはパクノダへと向き直った。

 

「パクノダ。コイツの能力で目ぼしいものはあるか?」

「――そうね。この子、除念が使えるわ」

 

 パクノダのこの発言は、クロロとマチを驚愕させるものだった。

 他人の掛けた念を除去する能力――除念。

 ただでさえ除念師の数は少なく、それも死者の残した念にまで干渉出来る優秀な除念師は最高クラスの稀少度を誇り、その数は世界でも十指に満たない。

 アルペジオがどの程度の力量を持つ除念師なのかは定かでは無いが、それでも有効利用出来る事に変わり無かった。

 

「殺すには、ちょっと惜しいね」

「いると便利よ」

「盗っても意味は無いが、生かしておく価値はある」

 

 何やら頷き合っている三人に目をやり、殺される心配は無さそうだと安堵して、アルペジオは腰が抜けたように崩れ落ちた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「…………そして何なんだこの状況は」

「あぁ? 無駄口叩いてねえでさっさとそれを調べろ」

「なんだよ偉そうに。俺は奴隷じゃ――」

「団長が何て言ったか覚えてるか? 両手と命が無事なら良い、だ。つまり今ここで俺が足一本ぶった切っても――」

「何でもお申し付けくだせえ、ちょんまげのダンナ!」

 

 あれからコレクションの保管部屋に連れて行かされたアルペジオは、現在館の者を皆殺しにしてきたノブナガとクロロをお供に家捜しの真っ最中。残りの二人はもう一つの保管部屋に向っている。

 一応、彼等の探し物に闇のソナタを付け加えて貰えたのは良いとしても、奴隷のように働かされるのは勘弁願いたいのが正直な気持ちだ。

 少なくとも肋骨に皹の入った少年に課す仕事ではないだろう。

 

「ま、俺の初撃に反応したんだ。中々見所があるガキじゃねえか。もうちょい修行すれば団員候補として推薦してやっても良いかもな」

「団員? そういやさ、あんたらいったい何なんです?」

 

 箱の中にあったホルマリン漬けの赤い瞳からは目を背け、見なかった事にしてから硬く蓋を閉める。

 彼等の狙いは『神の眼』という異名を取るエメラルド。

 よって世界七大美色に数えられるお宝にも目もくれず、棚の奥を調べるために古い小さな壷を持ったアルペジオは、

 

「俺達は盗賊だ。幻影旅団って知ってるか?」

 

 

 

 ――ノブナガの発言で氷付き、両手からは壷が零れ落ちた。

 

 

 

「…………げ、げげげ……幻影旅団? は、ははは……マジですか」

 

 幻影旅団。

 プロハンタークラスでも迂闊に手が出せない最強の盗賊集団。

 A級首の彼等の実力を知らないハンターはいない。時価数億ジェニーの壷が粉々になったのもお構いなしに、アルは恐怖で震えながら珍獣を見るような目でノブナガとクロロに視線を往復させた。

 

(………………よく生きてるな、俺)

 

 ありがとう除念能力。そう思わずにはいられなかった。

 そして少しビクビクしながら宝を漁ること数分。

 ついにこの時が訪れる。

 

「トッカータ。お前の探し物はこれか?」

「え、ちょっと貸して!」

 

 背後を高速で振り返り、クロロの持つ黄ばんだ紙束に飛びつくアルペジオ。

 引っ手繰るように奪ってから楽譜に視線を送り、震える手で一枚一枚捲って確かめる。

 クロロとノブナガも作業を中断し、部屋の中央で一心不乱に検証しているアルペジオを見ていた。

 

「…………間違いない。闇のソナタだ」

 

 楽譜に込められたオーラを『凝』で確認。

 何より直筆の楽譜の文字が祖父の筆跡と一致する。

 諸悪の根源。その内の一つを、アルペジオは漸く手に入れた。

 

「曲は……ハープか」

 

 彼が演奏したのはバイオリン。そして先生であるセンリツが演奏したのはフルートの曲。

 真の目的の楽譜では無かったにしても、憎むべき楽譜である事には変わらない。

 燃やしても能力が消え去るか判断が付かないし、何らかしらの迎撃システムが組み込まれているかもしれない。

 だからアルペジオはテーブルの上に楽譜を置き、バイオリンを具現化する。

 この呪いを解くために――祖父が残した死者の念を消し去るために、彼は念を学んできたのだ。

 

「よし、じゃあさっさとコイツをこの世から――」

「待て」

 

 早速除念作業に移ろうとした途端に掛かる静止の声。

 目下最大の目的を邪魔され、自然と彼の目付きが鋭くなる。

 気分を害していると理解して尚、発言者であるクロロは自分勝手な事を口にした。

 

「その楽譜に興味がある。まだ消すな」

 

 クロロには好奇心が人より旺盛な所がある。

 読書が好きなのもその一部であり、盗賊家業で貴重なお宝を鑑賞し、愛でる部分からも、その有様を示している。

 しかし、この楽譜の被害に遭った者からすれば、容認出来ない指示だ。

 

「――――どういうこと?」

 

 殺意の篭った口調と眼光にノブナガは目を細め、腰にある愛刀へ手を伸ばす。

 居合いの体勢に入るノブナガを制したのは、クロロだった。

 

「そのままの意味だ。演奏し、聴けば災いが降り注ぐという呪われた楽譜。消すのはその効果をこの目で見てから――」

 

 クロロは、思わず口を閉ざしてしまう。

 ノブナガもクロロと同じで目を見開き、息を飲んだのが空気で分かった。

 二人が沈黙するのを冷やかに見詰め、アルペジオは捲っていた袖を下に戻す。

 外気に触れさせた、醜く、腐敗した死体のような色と形状をした皮膚を隠すために。

 

「これで満足? 身体の変化は、どの曲も同じな筈だ。呪いが……念の発動条件を満たせば、全身がこうなる」

 

 演奏し、聴いた曲の長さに比例し、全身を醜く作り変える魔王の能力。

 その際の激痛は大抵の者を死へと誘い、生き延びたとしても生き地獄を味合わせる。

 両手と上半身に掛けて呪いの掛かった身体は、お世辞にも健康的とは言い辛い。

 医学的には健康でも、決して一目に晒せる代物ではない。

 彼も、先生であるセンリツも、楽譜は違えど闇のソナタを演奏し、この身体を得てしまった。

 

「これがこの楽譜に込められた能力だ」

 

 この念能力『闇のソナタ』の厄介な所は、オリジナルをなんとかしなければコピーされた楽譜を演奏し、聴いても、発動条件を満たしてしまう点にある。

 アルペジオの祖父である作曲家が最後に手掛け、無意識に込めてしまった不浄の念。

 

 

 ――魔王と呼ばれるのなら、いっその事それらしく振舞おう。

 ――演奏者や聴く者が恐怖、絶望し、心身さえ病んでしまうような傑作を生み出そう。

 

 

 その想いで作られた稀代の名作は彼が死亡した瞬間、死後強まる念としてこの世に誕生し、真の意味で完成を果たす。

 そして、その能力をその身に浴びて手痛い洗礼を受けた結果、アルペジオとセンリツは念能力を習得した。

 この世にある死者の念を、死と呪いを振り撒く発信塔である楽譜を葬るために。

 

「それに言っとくけど、音楽的価値も全く無い。元々がオカルトめいた話で信用していない人が殆どだし、そもそも存在自体を知らない人が多い」

 

 一部のコアなファンが居たものの祖父の作曲した楽譜が大々的な脚光を浴びる事は無かった。

 そして、最後の遺作を演奏し、聴いたファン達も、ファンであったがために呪いを受け、全員が既に死亡している。

 もしかしたら大成出来なかった無念さも、この強力な念を強く、そして歪にしてしまったのかもしれない。

 

「そうか」

 

 効果を確かめられ、価値が無いと知れたためか。もうクロロの興味は楽譜ではなく、これから行う除念能力に向けられていた。

 

「これで終わりだ。『幻想曲(クラシック)』――」

 

 クロロが、ノブナガが。そして美しいエメラルドの入ったケースを持ちながら入室してきた二人も、何処か悲しい旋律を耳にする事になる。

 アルペジオから放出される大量のオーラを氷河のように寒く、冷たく、それでいて美しい調へと変えた。

 

「――『冥府へ誘う鎮魂歌(シルヴァーノ・レクイエム)』」

 

 それは死者の魂を浄化し、安らぎを与え、冥府へと誘う優しい調べ。

 筆舌にし難い悲しさを含みながらも、聞き入り、安心してしまう音の旋律は、アルペジオの込めた膨大なオーラと魂を癒して冥土へ送る鎮魂歌の性質もあり、この世に留まった不浄の念を取り払う。

 死者すらも感動させる演奏技術があってこその技。死者の残した念のみに使用出来る限定的な除念能力。

 長年の修行と並々ならぬ鋼の意志で奏でられる鎮魂歌は、しばらくの間、静寂な館に鳴り響いた。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

『じゃあ、ハープの楽譜だけは葬れたのね』

「ええ、その筈ですよ。これでハープの楽譜だけは、演奏しても害は無いはずです」

 

 あの夜から一週間が経過し、今日漸く、今まで試験準備の関係で音信不通だったセンリツと通話を果たすアルペジオの姿が昼のカフェテラスの中にあった。

 夏の日差しは相変わらず陰りを見せず、地上を容赦なく灼熱地獄へと変えている。

 パラソルの下でコーラを飲むアルペジオの顔には、大量の汗が浮かんでいた。

 

『そう……ありがとう、アル』

「よしてくださいよ先生。俺は貴女の弟子。弟子の成功は先生の成功でもあるんです。それにお礼を言うならフルートの楽譜を葬った時にしてください」

 

 そう、目的はまだ1/4しか達成出来ていない。

 彼の戦いは、まだまだこれからなのだ。

 

『それとこれとは話が別よ。私は貴方に基本的な念しか教えていない。その力を昇華させ、楽譜の一つを葬ったのは、間違いなく貴方の功績。だから、ここは素直にお礼を受け取って欲しいの。闇のソナタの被害者の一人として、ね』

「はぁ、口では先生に敵わない」

 

 それでも感謝されて嬉しいのか。その達成感もあり、彼の口は嬉しそうに微笑みの形を作っている。

 自分の除念が祖父の念に通用する。今まで苦しい修行に耐え、探索の人生を送っていた甲斐があったというものだ。

 依頼料をぼったくられ、何年も待たされたとしても、闇のソナタを見つけ出したルーペ=ハイランドには今度会った時にお礼をしようと堅く誓うアルペジオだった。

 

『そうね。ところでアル。貴方、どこか怪我でもしたのかしら? 心音に少し乱れがあるわ』

 

 その異常とも呼べる聴覚からアルペジオの状態を聞き取ったセンリツの技能は、もはや神業の域に達している。

 誤魔化すのも一苦労だろう。

 

「あー。ちょっと予想外な怪物級の能力者がいまして、脇腹に一発くらいました。軽い打打撲なんで問題無しです」

 

 本当、全治二週間の怪我で済んだのは本当に運が良かったと彼は思う。

 絶で休息に努めているので、あと二・三日で完治するはず。

 怪我の詳しい事は話さずにそれだけを告げた。

 

『そう。怪我を負った点については、嘘は付いてないわね、嘘は』

「…………先生、男には痩せ我慢をしなくちゃいけない時があるんですよ」

 

 この女性を騙しきる事は一生出来ないに違いない。

 残りのコーラを一気飲みし、氷をガリガリ噛み砕いてから、深い深い溜め息を吐く。

 そして、センリツの声とは別の音を察知した。

 

「っと、すみません先生。なんかキャッチが入りました。何かあったらまた電話します」

『あら、そうなの? 分かったわ。身体には気を付けてね』

 

 祝杯を上げるために近い内の再会を誓い、後ろ髪を引かれる思いながらも通話を切る。

 途端に発する着信音を聞き取りながら、ディスプレイに表示される着信先を読み取った。

 

「さてと、誰からなの……か……な?」

 

 名前を見て、引き攣った笑みを彼は浮かべる。

 その名はつい最近、一週間前に電話帳に載った新入りの名前。

 報復が怖くて出来ないが、ハンターサイトに乗せたら一儲け出来るんじゃないかと思える恐怖の人物からの電話は、一瞬にしてアルペジオを奈落に叩き落した。

 

「………………どうしよう。会いたくないけど、シカトしたら殺されそう」

 

 

 

 後に依頼という形で度々強制的に除念を使わされ、果ては勧誘までされるようになるのを、彼はまだ知らない。

 

 

 

「――あー、もしもし」

 

 額の刺青に逆さ十字のコート着込む盗賊団の団長からの電話。その依頼に応えながら、彼は先ほどよりも深く溜め息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 ――――彼の戦いは、まだ始まったばかり。

 

 

 

 

 










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