公安局の石つぶて   作:もずくスープ

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ヴァルキューレ水着イベにて新登場したコノカ視点での番外編です。初見で読まれる方はある程度この先を読んでから戻って読まれる方が良いやもしれません。

現時点で更新中の話が区切りの良いところまで行くまでは、一旦ここの先生視点回の後ろに仮置きさせていただきます。具体的にはおそらくあと2〜4話進んだところで戻すと思います。


【Ep:ex_コノカ】公安局イチ無能なあいつ

 

 

 

「おらおらァ! へばってんな! しゃきしゃき動け! 的当て競技じゃねえんだ突入に手間取ってどうする!」

「レディ、ッ…………、クリア!」

「目視が甘い上に遅い! そんなタラタラしてたんじゃ敵を視認する前にテメエがやられちまうぞ!」

 

 最初あいつを見たとき、正直いけすかない奴だと思った。

 「ここに立てることが私の誇りです」なんて顔をしながら毅然とした態度で壇上に登り、馬鹿真面目が空気を伝って来るかのようなでかい声ではきはきと誓文を述べるあいつの姿を、あたしは心底うっとうしく感じた。

 

「そこのチビ! 何段差に引っかかってこけてんだアホ! 主席様だか何だか知らねえがそんなんじゃ蚊にも負けちまうぞヘナチョコが! 止まるな走れ走れ!」

「イエスマム!!」

「誰がマム(奥様)だ殺すぞクソガキ!」

「イエスマム!! あっ違う、い、イエスママ!!」

「てめえよっぽど私にシバかれたいみたいだなオイ!」

 

 そいつは筆記試験を満点で通過したと聞いて、まず仲良くなれないだろうなと思った。

 まるで子供のような貧相な体躯。それに頭でっかちときた。

 体を動かすのが好きなあたしとは絶対に相容れない存在だろうとあたしは決めつけた。

 エリートだかなんだか知らないが、この手の連中はどうせ捜査局あたりに行って防衛室や上に胡麻を擦りながら温室培養されるんだろう。

 そんな僻み根性に似た一方的な負の感情を抱き、あたしはあんなのとは違って必ずや武勲による栄誉を掴み取ってやると息巻いていた。

 

「お前は、……連携は粗いが新人にしては中々動けていたな。よし良いだろう、合格だ。尾刃の方でCQBの指導をつけてもらえ」

「了解っす。こんなんちょろいっすよ」

「先輩への言葉遣いに関しては要指導だな。行け、その舐めた性根を尾刃に叩き直してもらってこい。…………おら寝てんなアホ、まだ腕立て百も終わってねえだろうがチビ。こんなんじゃ日が暮れても罰の千回終わんねえぞ」

「もうむ、無理、……です」

「無理だと思うから無理なんだよ。大丈夫だ、脳が拒否しても筋肉は動く。筋肉ってのは意識の限界を超えてからが本領発揮なんだよ」

「いみがわからない……」

 

 だがあろうことか、そいつはあたしと同じ公安局に配属された。

 なぜなのか。どう考えても不適格だろ。

 あたしはそれを知ってイライラした。

 恐らく主席である本人の希望もあったのだろうが、その人事を通す上層部にもそれを望んだ本人にもあたしはまるで信じられないような思いだった。

 

 こんなのがバリバリの実動部隊の公安局にいても何の役にも立たない。

 努力したのか多少は動けていたが射撃能力以外は公安局水準での平凡にも至っていない。

 良くて組織のお荷物、悪ければ果てしなく迷惑なだけの厄モノじゃないか。

 配属前の指導訓練を終えたその日のあたしの感想はそれに尽きた。

 

 そしてそのあたしの予想通り、あいつは入局初日で盛大にやらかした。

 あたしはそれ見たことかと得意気になり、上がっていた溜飲を割とすぐに下げることになった。

 

 

 正式にヴァルキューレの一員として仕事をするようになってしばらくすると、あいつは入学当初の時のような精一杯棘と気を張って周囲を威嚇するような雰囲気をさっぱり霧散させていた。

 代わりにあたしら公安局の新人指導係的存在でもあった先輩に散々召使の如く扱われ、へらへらと媚び諂いながら従ったり、しかし時には急に暴れて反抗したかと思えばすぐ地を舐めさせられることになったり。

 あたしが気に入らないと思っていた頭脳派エリート然としたあいつの姿は欠片もそこには残っていなかった。

 

 なんだかそれはそれで、あたしは気に入らなかった。

 入学式のあの時の姿は確かにあたしにとって鼻につくものだったが、今のあいつのそれは見ていてどことなく痛々しかった。

 気概も野心も十分で本来はもっと組織中枢で活躍できたであろう人間が、簡単にプライドをへし折られ先輩方やあたしら同期の分のお茶汲みまでさせられているその様に、あたしは不覚にも憐れみを抱いてしまったのだ。

 

 弱いくせに、分不相応な欲を掻くからそうなるんだ。

 言い訳がましくそんなことを思ったが、なんとなく今のあいつにそんな言葉を掛けるほどあたしは冷血にはなれなかった。

 

 順当に公安局の雑用係に落ち着いていくあいつとは対称的に、あたしは行く現場行く現場で活躍してどんどんとその成果を積み上げていった。

 元々口より拳な質で荒事になれば誰よりも役に立てる自信があった。

 その自信を嘘じゃなく現実にしていって、あたしは公安局内で確固たる立場を築いていった。

 半年も経つ頃になれば、同期の中じゃ頭一つ抜けて出世頭で期待の的だった。

 姉御  カンナ副局長みたいに二つ名がつくほどの活躍には流石に及ばなかったが、それでもヴァルキューレ警察内では狂犬の再来だ一番弟子だなんてひそかに噂もされ持ち上げられた。

 

 あたしは鼻が高かった。

 やっぱり警察に必要なのは退屈な事務処理をこなすための脳みそなんかじゃなく、腕っぷしの強さだと実感した。

 この調子なら今の姉御のポストをあたしが引き継ぐのも夢じゃなかった。

 毎日が楽しかった。多忙な環境でこそあれその出撃の多さすらもあたしの生活を鮮やかに彩るスパイスになっていた。

 あたしの警察人生はこれ以上なく順風満帆だった。

 

 

 そんな日々の中、いつものようにその日も突然の出撃命令に応じて軽くテロリストを狩ってきて、後片付けを警備局に押し付け我先にとオフィスへの帰還を果たしたところだった。

 たまには気分を変えようと朝の一杯をティーバッグではなく茶葉で入れたのだが、これにビシッと一本茶柱が立っていたためその日のあたしは朝から凄く気分が良かった。

 ついさっきのしてきた犯罪者の話を誰かにでも話したいと思うくらい、るんるんな調子であたしはオフィスの扉をくぐった。

 しかしその日は偶然か非番と出撃が重なってそのタイミングでオフィスにいるのはあたしだけだった。

 一瞬肩を落としかけてしかし「いや、そんなわけはない」とあたしは思いとどまった。

 

 他の誰もいなくてもあいつだけは絶対にいる。

 あいつが書類仕事から解放されることなど、余程人手がないときの出撃時以外には殆どありえないからだ。

 あたしは確信をもって、デスクの横にいつもバケツと雑巾が常備されているあいつの席を見た。

 そこにはあたしの予想通り、あの貧相な体躯の公安局の雑用係がいた。

 こちらも予想通り、山ほどの書類を脇に置いて。

 

 あたしはその机に積まれている書類の多さにうへえという顔をしながら、思い付きのまま気分のままあいつに近づいてみた。

 ペンを持ちながらうつらうつらと舟を漕いでいたあいつの手元には、『キヴォトス事件簿~野望への序録~』などとでかでか表紙に書かれたノートが置かれていた。

 あたしはそれを小説か何かだと思い「同僚が出撃してるって時にこいつ遊んでたのか?」と呆れ、ちょっとの憤りを感じながら何とはなしにそれを手に取ってみた。

 

 変哲もないノートだ。少し大きめであるA4サイズの、黄色の表紙で方眼五ミリ……。

 まるで現場を検分する鑑識のように慎重にそれを見定めて、その中身についても検めんとあたしはいざ指に力を入れて表紙を弾いた。

 はらりと捲れて流れていく、そのノートの頁は悉く情報で埋め尽くされていた。

 気軽に覗いたその薄紙の中には、ここ最近に起こった事件に関する新聞の切り抜きやそれに関する自分の考察や改善策などの書き込みがぎっしりと詰め込まれていたのだ。

 本当に一枚一枚、少しの余白もなく、びっしりと。

 

 気が触れてるんじゃないかと思った。やばい奴だと思った。見ちゃいけないものを見たと思った。

 別に特段奇抜なものではない。言ってしまえばただの記録帳、普通より少し几帳面に録されてるだけの。

 それでもあたしはそのノートの中身を見たとき、心臓の裏側を小突かれたような慮外の衝撃を感じた。

 あたしはびっくりしすぎて思わず崩しそうになった脇の書類の山を咄嗟に押さえ、そのスクラップブックをすぐに元の位置に戻し、何も見なかったことにして挙動不審な様を晒しながらそそくさと自分のデスクに戻った。

 意味不明な心臓の動悸に襲われながら、あたしは未だ呑気に舟を漕いでいるあいつの後姿を恐々と覗いた。

 

 普通そこまでできるものか? なんでそんなことできるんだ?

 新入生代表として華々しくスタートを切ったもののすぐに落ちこぼれ、鳴かず飛ばずあるのは先輩からのきっつい扱きだけという地獄のような毎日の中で、こいつはよくもまあまだ淡い期待に縋ってこんなことをしていられるものだと、あたしはその神経の太さに呆れ紛いの尊敬の念と同時にうすら寒い何かを背中に感じた。

 どうしてこいつはこんなにひたむきでいられるのか。どうして僻みから怒りを爆発させて周囲に当たり散らすことをしないのか。反対に、現状に思い詰め死んだようにノルマをこなすだけの機械にどうして成り下がらないでいるのか。

 

 ついには机に頭を着けてがっつり居眠りし始めたそいつの横顔は、悪夢に魘されるような寝顔ではなく能天気で気の抜けきったものだった。

 涎を書類に垂らしながら「だぁからせんぱぃ、おかきはせんべいじゃないですぅ」などと呑気に寝言を吐いてる。

 あたしは何故か、その横顔に強い苛立ちを感じた。

 あたし自身よくわからない感情だった。

 怒っているのは誰に対してか。あいつか、公安局か、先輩方か、あたし自身か。

 わからないのがもどかしい、けどわかってしまえばあたしはもう二度とあいつの顔を直視できないような気がした。

 だから無理矢理蓋をする。そして余計にあたしは苛立ちを募らせる。

 

 あたしは多分それまで生きてきた中で一番イライラしながら立ち上がり、給湯室であっつあつの紅茶を作ってやりあいつのデスクに叩きつけるようにして置いていった。

 本当に何だかわからずムシャクシャしたが、あいつの慌てて飛び起きるその姿を見てあたしは少しだけ満足した。

 長閑な昼下がりのあたしとあいつだけのオフィス、生暖かい陽気な午後のことだった。

 

 

 そんなこんなで一年が終わり、誰もが予想した通りに姉御は公安局の局長となり、そしてあたしは望み叶って副局長となった。

 あたしは喜んだ。姉御とあたしでツートップを飾れるなんて最高だった。

 一年間指導要員としてあたしらの面倒を見ていたシカコ先輩はその事績を認められ(ほとんどの時間はあいつと一緒だったし、あたしは早々に現場での仕事を覚えたためあんまり世話してもらった記憶もなかったが)部長に昇格した。

 そしてあいつは相変わらずヒラヒラの平。雑用扱いの役無し局員だ。

 

 後輩の入局や新年度という環境の転換期なのもあってあたしは以前にも増してその多忙さに身を埋めた。

 重要な役職をもらったのは良いものの、望んでいなかった書類仕事も増えてしまい、結果的にあたしは喜びと悲観と半々だった。

 そんな心機一転皆が忙しそうにする中でも相変わらずあいつは呑気に雑用してるんだろうなと見てみると、なぜかあいつもちょっとだけ忙しそうだった。

 あの日あたしが盗み見したノートとは違う、小さなメモに何事かを一生懸命に書き込んでいる。

 何やらあいつと姉御が二人でどこかに行くのを見たという局員も少なくなかった、反面その詳細を把握している局員は誰もいなかった。

 一時期姉御があいつをストレス解消のサンドバッグにしているとかいう妙な噂が流れたことがあったが、もしかしてそのとき姉御とあいつの間で何かあったのか。

 あたしはすごくすごーく気にはなっていたが、忙しい毎日にわざわざそれを問いただす機会もなく、ただ順調なだけのあたしの日々は風のように過ぎていった。

 

 そして、そしてあいつは突然に公安局を去って行った。

 ヴァルキューレからすらも、あいつはいなくなった。

 あたしたち公安局員の心に大きな穴を穿ち、眩い光と暗い影を置いて、さっぱり姿を消してしまったのだ。

 

 

 その日から、姉御はあいつの発見に躍起になった。

 なんとしても見つけると、その様は意地になっているようにも、ただ自分を傷つけているだけのようにも見えて、あたしは何も言えず姉御の意思に従った。

 しかし我武者羅な姉御の働きに反して、捜索はそれを妨害する動きもあって上手くいっていなかった。

 不思議なことに連中はまるで公安局の行く手を知っているかのように的確にその道を塞いでくる。

 ここにきて現場仕事中心である公安局の政治力のなさが仇となっていた。

 停滞と警戒の中で、不穏と焦りがあたしたちの内側にじわじわと嵩を増していく。

 時間だけが徒に過ぎて、解決のための糸口は掴むどころかその存在すら次第に疑わしくなっていった。

 

 そんな折に防衛室は公安局に厄介な仕事を持ってきた。

 公安局としてはそんなことよりもあいつの発見が急がれたが、防衛室はボスだ。姉御は、公安局は逆らえなかった。

 姉御は嫌々ながらもそっちの仕事にかかりきりとなり、並行して捜索も続けた。

 あたしの方はと言えば、姉御たちが専念して一刻も早くそっちの仕事を終えられるようにそれまでの一般業務、すなわち暴動の鎮圧やテロの制圧などの任務において局長代理として現場で陣頭指揮を取っていた。

 休暇は取りづらくなったが元はと言えば望んでいた方の仕事。心晴れやかにとはいかないがさしたる異議もなくあたしはその業務に専心した。

 

 しかし強いて挙げるのなら、一つだけ不満はあった。

 姉御は子ウサギタウンの任務を進めながら、自身のサポートをあたしではなくシカコ先輩に任せた。

 公安局代表としての防衛室との面談も一部彼女に委任し、あいつの捜索においても姉御が仕事に拘束されている間はその責任を彼女が請け負った。

 

 シカコ先輩は強いし頭も切れる。認めたくはないが副局長であるあたしよりもその腕は確かだ。

 その上で事務仕事もできるし立ち回りも上手い。

 ただ一つ、あいつの御守をやっていたという点で上からそこまで評価されなかったというだけだった。

 そんなあいつがいなくなったのだから、そりゃあ上も彼女の利用を歓迎するし、姉御もあたしなんかよりシカコ先輩を頼る。

 部長としての立場も重すぎず軽すぎず誰にとっても都合がいい。

 そんなことは誰が言わずとも皆理解していた、していたのだがあたしはそこでも少なからず思うところがあった。

 なんだかんだと皆あたしのことを持ち上げながら、本当に必要とされているのは結局ああいう人間なのかと。

 

 いや、警察に必要なのは腕っぷしだけなんだ。

 特に公安局という、ヴァルキューレにとっては特別な存在で武の象徴たる精鋭にはそれだけが求められる。

 力のない奴に正義など語れない。力あってこそ名誉も勲も得られるというもの。

 あたしは一人意固地になってそんなことを思わないでもなかったが、その考えが正しいのかどうかも今では分からなかった。

 とりあえず現時点では、姉御から任された業務のためにその力を振るう事しかあたしにできることはなかった。

 

 

 その雨の日。あたしは例の如くぷちぷちとせからしくはしゃぐテロリストの制圧任務を遂行した。

 数も武装も大したことはなく、一時間と経たずあたしらは任務を終える。

 しかしどうにも不吉な予感をあたしは感じ取っていて、意味もなくきょろきょろと警戒したりしていた。

 湿気で髪やらメイクやらが駄目になっていないかとふと気になり、あたしは鞄から手鏡を取り出して、ぎょっとした。

 手鏡に罅が入っていたのだ。物が何の脈絡もなく割れたり壊れたりするのは典型的な不吉の予兆だ。

 しかも、もしやと思い自分の鞄を確認するとそこに下げていたお守りもいつの間にか一個なくなっていた。紐が解けて落としたわけではなく、半ばから千切れて消えていたのだ。

 

 これは相当やばい。絶対によくないことが起きる。

 あたしはそう確信してさっさと切り上げようと目の前で動き回る局員たちに指示を出した。

 

「撤収ッ撤収ッ! このチンケ共さっさと処理して戻ったらオフィスで待機だ! 今日はもうこれで仕事終わりなっ!」

「えっ、でも副局長! 西区で確認されてた質の悪いゴロツキ連中の炙り出し作戦がこの後の予定でしたよね!?」

「馬鹿かお前今ですら結構な雨じゃん! こんなんじゃどんな悪党も巣ごもりだっつの! 風邪引く前に全員てっしゅーッ!」

「あんたまた妙なジンクスとか何とか言ってんじゃないだろうな! 仕事を何だと思ってんだー!」

「いやあでも確かにこの雨じゃ作戦も厳しくないか? 何よりこの時期に風邪は引きたくないし……」

「そーだろがッ! 部下の体調を気にしてあげる優しい上司に感謝しろよお前ら!」

 

 案の定、雨はあたしらがオフィスに戻る頃には土砂降りになっていた。

 その後雨足は益々強まり、遂には数年に一度規模の大雨にまでなった。

 

 皆思い思いの方法で服を乾かしながら、湿気塗れのオフィスであたしらは他の局員たちの帰還を待った。

 姉御が率いる子ウサギタウンの方では、この大雨を機として子ウサギタウンの集中捜索を敢行したようだった。

 捜査において雨は敵でもあり味方でもある。

 証拠を洗い流す忌々しき厄介ものでもありながら、ターゲットの動きに制限をかける素晴らしい障壁にもなるのだ。

 あいつが子ウサギタウンの方にいるのなら、捕まえるのにこれ以上のチャンスはない。

 姉御らしい、セオリーに基づいた堅実で思い切りのある判断だ。

 

 きっと長くなるだろうとあたしらは気長に待っていたが、予想に反して姉御たちは早めに切り上げ夕方になる前には戻ってきた。

 彼女たちの服は濡れていない場所を探す方が難しいくらいにずぶ濡れで、廊下には彼女たちから滴る水で川が出来ていた。

 

「あ、姉御おかえりっす。うわ、びしょ濡れじゃないすか。風邪引きますよ」

 

 姉御は声をかけたあたしに何も返さず、ただ持っていたものをデスクの上に置いた。

 少し湿っていて天板に張り付いたそれは、子供サイズと見紛う程に小さい型のヴァルキューレの制服で。

 まぎれもなくあいつの服だった。

 オフィスで待機していた局員たち全員の目がそれに吸い付いて離れない。

 姉御がそれをここに持って帰った意味を、あたしらは現実として受け止めざるを得なかった。

 ここにきて、あいつの安否は決定的に不確かなものになってしまったのだ。

 

 

 それから姉御はタガが外れてしまったかのように、以前にも増して殆ど不眠不休で子ウサギタウンの建設業務と捜索に明け暮れた。

 局員たちの心配の目を無視して働き詰め、オフィスに戻れば簡素な飯をコーヒーとともに胃に流し込み、数分と経たずにそれを終えればまた子ウサギタウンの方へと戻っていく。

 もう誰が見ても危険な状態だった。過労で倒れる寸前だ。

 しかし誰もそれを言い出せない。言ってしまえば姉御はより責任を感じてもっと自分を追い込むだろうから。

 その傍らであたしはと言えば、現場に出れない姉御やシカコ先輩の代わりにちまちまと小粒なテロリストどもを潰しまわる日々。

 あいつの捜索には依然として加われない状況で、子ウサギタウンで何が起きているのかも完全には把握できていない。

 

 何もかもが上手くいっていない現状に、あたしの中で焦りだけが日に日に大きくなっていく。

 姉御が倒れてしまわないか。あいつが死んでいやしないか。

 その焦りから目を背けようとする度に、あたしの頭にあの日のあいつの顔がフラッシュバックした。

 あの無防備で能天気な寝顔。

 誰に頼られることも知らず、警官としての責務に報いる喜びも知らない、無垢で無意味なあどけない存在。

 あの時のあいつに、あたしは声を掛けるべきだったのだろうか。

 何かしてやれることが、あったのだろうか。

 らしくもなく思惑に溺れそうになる日々の中でどんなにその問いの答えを探しても、今のあたしに出来ることと言えば先輩方の代わりに無法者どもの相手をすることくらいだった。

 

 

 しかしその憂鬱の繰り返しの中に、突然にも僅かな進展が見られた。

 あいつを襲ったという連中を姉御がボコして連れてきたのだ。

 般若すら優しく思えるほどの姉御の剣幕にすっかり縮み上がっていたその浮浪者集団(と同行していた公安局員たち)をあたしたちはテキパキと処理して、一時的に抜けていたシカコ先輩の穴を埋める形であたしは姉御の補助をした。

 今まさにその仕事の一つである押収品のリストアップに関する報告を纏め、あたしはそれを姉御に伝えた。

 

「以上が姉御がしょっ引いた浮浪者集団のリストと、所有していた武器等押収品のリストっす。一体どれだけの建物からネコババしたらこんなに豪勢に蓄えられるもんっすかね。しかも妙なことにこのリストの中の武器には結構高価な品もあります。立ち退いた住民たちが置いていったものを盗ったのか、よもや本当に連中の言ってたっていう”サポーター”がいる可能性も…………姉御、聞いてます? 姉御? カンナ局長?」

「……っ……あ、ああ。すまん、少しぼうっとしていた。何だ」

「いやだから、姉御が引っ張ってきたあの色んな意味でくっさい連中すよ。装備が充実しすぎてるし、どっから持ってきたのかカイザー製の高価な装備品類すらあったし」

「……そのことか。確かに奴らは臭う。勢力として大きい割には別に確認された浮浪者集団と人を奪い合っている様子もなかった上、その物資も潤沢だった。どこから調達したのかとその詳細を問い質しても濁すばかりで一向に口を割らない。……奴等の裏にも糸を引く何者かがいるのか。だが、であれば何のメリットがあるのか」

「……ほんと、水にぶち込んでも取れない嫌な臭いっすよね。面倒だからまとめて燃やしてやりたい気分っす。今相手にしてる他の連中もアジトごと燃やしてやれたらすっきりするんすけどねえ」

 

 冗談めかして肩を竦めたあたしに姉御は少しだけ表情を崩したあと、こちらに向き直っておもむろに頭を下げた。

 上官が部下に軽々しく頭を下げるなんて、立場を重く見る彼女には滅多なことではない。

 

「お前に現場を任せきりになってしまってすまない。本来は私が責任を持って全て指揮するべきなんだが」

「いっすよ。こういう時のための副局長でしょ、頭上げてください。これ以上姉御が働くといくら姉御が姉御だとはいえ確実に倒れます。そうなったら困るのはあたしらっす。今の公安局を支えられるのは姉御と、ここにいないシカコ先輩くらいっすから」

 

 あたしは切実な思いと少しの自己嫌悪を込めて姉御にそう言った。

 

「……悪い」

「謝んないでください。一旦離れてるっていうシカコ先輩は、まだ何も?」

「ああ。まだ連絡はない。私が事を急いで台無しにしては元も子もないからな、彼女からの報告を待つつもりでいるが、状況は複雑そうだ。まだ先のことになるだろう」

「はあ~、心労は溜まる一方っすね~。本当にあいつはどこにいるんだかですし、上や防衛室は何を考えてるんだかですし。マジで、あいつ見つけたら姉御本気で一発かましてやってくださいよ。絶対そんくらいしてもいいですよこれは」

 

 あたしが肩をぐるぐる回しながらおちゃらけてそう言うと、姉御はやっとその眉根に寄った皺を少し解いて笑った。

 よかった、まだ笑えるくらいの余裕は残っていたようだ。

 いや違うか。やっとこさ事態に少しの進展が見られたために張り続けてきた気が緩んだのだ。

 なんにせよあたしはちょっと安心して、しかしまだ油断もできないなと気を引き締め直した。

 できれば姉御にはこのタイミングで僅かばかりでも休んでほしいが。

 

 さてどんな口実をつけて姉御をベッドに括りつけようかとあたしが頭の中で算段をつけていると、姉御はふとオフィスの外の雰囲気に意識を向けて言った。

 

「しかし……なんだ? 今日はやけに館内が騒々しいな。何か大きな事件でも起きたか?」

「なんなんすかね。もしそうだったら公安局にいの一番に連絡が来ると思いますけど。……防衛室長がアホ毛ひっこ抜かれて気絶でもしたんすかね」

「それは、どう反応すべきか……」

「局長っ! た、大変です! テレビ点けてくださいッ!」

 

 馬鹿なことを言っていると、血相を変えた局員の一人がオフィス内に飛び込んできて叫んだ。

 あまりに迫真の表情で急に現れたので入り口近くの局員などその勢いに驚いて倒れ込んでいたが、その拍子に偶々近くにあったリモコンを触ったのだろう、壁に備え付けられたモニターにぱちっと色がついて音が流れ出す。

 その時オフィスにいた全員がスピーカーから流れる声に反応してそちらを向き、そして例外なく言葉を失った。

 

 大きなモニターに映し出されていたのは、真っ黒になって白煙を吐いているヴァルキューレ警察学校第3分校の本棟ビルだった。

 敷地内には消火活動を終えた消防車が二、三台並んでおり、その後ろには報道陣と見られる人だかりがある。ビルの足元にはヴァルキューレ警察の姿も見えた。

 しかしそんなことより何よりも、あたしらの目を引いたのはその横に置かれたある生徒の顔写真。

 あたしたちがずっと探し求めていたその顔が、そこにはあった。

 横の姉御が、そのすぐ下に表示された文字をうわごとのように声に出して読んだ。

 

「『警官一名が生死不明』……? 『三黒ササネ容疑者』だと……?」

「消息不明とされている生徒は部長ですッ! そ、捜査局は、この第3分校爆破の実行犯がこっ、コマっ、……三黒で間違いないと……! つい先ほど彼女を緊急指名手配したとして、状況の説明に今こちらに向かっているとのことで……」

 

 なんでだ。どうしてそんな。

 

 なぜ公安局よりも先に捜査局と警備局が現場に?

 既にメディアが群がってる状況なのに公安局には一報もなし?

 なぜそんなことになっているのに、今の今まであたしらには何の報告も上がらなかったんだ?

 

「局長!」

 

 気づけば姉御は猛然とオフィスから飛び出していた。

 あたしはその跡を追うことはせず、テレビの前でただ茫然と立ち尽くすだけだった。

 パンク寸前の頭には疑問符ばかりが襲いかかってくるが、こんな事態にも関わらずあたしの意識はそれよりももっと深い内側に沈み込んで浮かび上がることを拒絶していた。

 

 あの陽気な午後の、微睡むあいつの横顔が目の裏に染み付いて消えない。

 確かにあたしはあいつのことは好きじゃなかった。昔は公安局の一員とすら認めたくなかった。

 多分あいつもあたしのことは嫌いだっただろう。お互いそこまで話すこともなかったがその感じはずっとあった。

 だけど、……だけどあたしとあいつは恐らく他の同期の誰よりもお互いを意識していたはずだった。

 正反対なお互いの姿を見て、『ああお前が羨ましい』と、あたしとあいつは思っていたんだ。

 

 あいつが辞表を叩きつけた日、あたしは一層その思いを強くした。

 あたしだけじゃない、あいつ以外の全員があいつのその強さが欲しいと思ったはずだ。

 だからあたしらは死に物狂いであいつを、お前を探してたっていうのに。

 それが、なあ、どうしてこんなことになったんだよ。

 

 あたしらはどこから間違っちまったんだ。

 お前とあたしらの間にあるこのどうしようもない隔たりとすれ違いの原因は、一体何なんだ。

 何があたしらをこんな場所に追い込んで、お前をそんな所に行かせちまったんだ。

 

 なあ答えろよ、ササネ。

 

 

 

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