公安局の石つぶて   作:もずくスープ

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誰よりも狙われた女

 

 

 場所を改め近くの高架下の公園にて。

 街灯の光が届ききらない暗がりの中ベンチに座った、というか私とサオリさんによって座らされた先輩が眉間に皺を寄せて黙りこくっている。

 時折上を走る車の音が聞こえるのみで、私たちはしばしの間沈黙を続けていた。

 

 [まさぐる]からの[わしづかみ]という恥辱CCコンボが極まって路上にダウンした先輩に、私はサオリさんがどこからともなく持ってきて私に渡してきた縄で迅速に拘束を施し速やかにその場から移動した。

 その手際の良さといったらまさしく熟練誘拐犯もかくやといった風だった。

 

 隙ができたのを見て先輩から逃げる、もしくは拘束した先輩を置いてどこかに行くということをしなかったのは、ひとえにこの先の事態をややこしくしないためだ。

 サオリさんと私の関係が露呈したあの状況でもし先輩を置いていってしまえば、間違いなく先輩は多分に誤解を孕んだ認識のまま尾刃局長や公安局に報告してしまっただろう。

 そんなことになったら修羅と化した局長が私とサオリさんを追いかけることになる。

 本来私を助けてくれただけのサオリさんにとても迷惑のかかる展開だ。

 

 なので私は先輩をその場に置き去ることをせず、場所を移して冷静になった先輩に丁寧に説明し説得することを選んだのだ。

 現状の沈黙は公安局を出てからさっきまでの私の軌跡を既に洗いざらい打ち明けてしまい、それに補足するようにサオリさんが説明した後の先輩の飲み込み待ちだった。

 

 しかし今更ではあるが、咄嗟の判断だったとはいえ拘束までするのは正直やりすぎちゃった気がしないでもない。

 

 渡されたから流れ作業でやっちゃいましたけど現職警官を縄で縛るってとんでもない暴挙ですよこれ。

 しかも割とお互い様とはいえその直前の行動はどう捉えても婦女へのわいせつ行為ですからね。

 先輩を婦女と解釈してよいものか主観的には甚だ疑問ですが、客観的には完全にギルティ。通報されたら間違いなく私の方がお縄につきます。

 

 もしかしなくても私結構やばいことやってます。

 ここにきて爆誕する新生コマの犯罪武勇伝。

 ちょっとサオリさんの元で経験値を蓄えすぎたのかもしれません。

 こんなにも非行に慣れてしまった私は果たして今後娑婆でマトモに生きていけるのでしょうか?

 こんな調子じゃいよいよ錠前さんちのメイドーター(maidaughter)になるしか道はないのでは?

 

 サオリさんに迷惑を掛けまいとすればするほどサオリさんから離れられなくなりそうになる不思議。謎がつきませんね。

 

 あの暴虐の悪魔たる先輩が拘束され無力化されてる光景が嗜虐心を煽ってエロティックなんだ、なんてIQの低いエロモブみたいな思考に逃げながら私は目の前で黙りこくる先輩を眺めていると彼女の体を縛っている縄に目がいった。

 縛るときは夢中になっていたので気づきませんでしたけどよく見るとこの縄黒と黄の色が入ってますね。

 私はどうも居た堪れないこの間を埋める意味合いも兼ねてサオリさんに尋ねた。

 

「これってトラロープですよね。もしかして拾ってきたんですか?」

「とらろーぷ? さっきの場所に都合良くあったものだが。なるほど、これはトラを縛るための縄なのか。通りで切断面が荒い状態で地面に落ちていたんだな」

「違いますよなんですかその超限定的な用途の縄。大体その状況だとトラはロープ食いちぎって逃げてるじゃないですか恐ろしい。標識ロープ、つまり立ち入り禁止を示すために張るロープのことです。引きちぎれたように見えるのは多分放置されて端が劣化したからです」

「そうなのか。なら一体なんの"とら"なんだ?」

「色が黒と黄色だからですよ。トラ模様のロープだからトラロープです」

「……独特な発想だな。なるほど勉強になった」

 

 いたって平凡な発想ですよ。独特なのはサオリさんです。

 確かによく落ちてますけどあんまり拾っちゃダメですよこういうのは、ばっちいので。

 

 私とサオリさんのどうでもいい会話に呆れたのか、それまで縛られたままむすっと黙っていた先輩がため息をついた後割り込んで口を開いた。

 

「それが人を縛っておいてする会話かよあほらし。……あー話を整理すると、コマは子ウサギタウンで何者かによって川に捨てられ加えて大雨による増水によりこの町まで流された、あんたはそんなこんなで土手に打ち上げられたこいつを拾い看病と衣食住の面倒を見た。それで、コマはこのテロリストに恩義もあって厄介事に巻き込むまいと不審者との接触も知らせずのこのこ一人で出てきて、あんたはそれに気付いてこいつを探しにきたら揉み合う私とコマを発見した、と大体そういうことか?」

 

 グレイト、ブラボー、コングラッチュレーション。

 いつになくクールでクレバーな先輩に私は胸の内で惜しみない称賛を送った。

 やはり言葉を尽くせば心は通じるものですね、縛り付けた甲斐があったというものです。

 

 半目で私とサオリさんを睨む先輩に私は満点を示すため鶏のように一生懸命首を縦に振った。

 先輩はそんな私を特大級の馬鹿を見るような目で見てガクッと項垂れた。

 

「はあぁぁ………………。……まあまず、それについては、こいつの上司として礼を言わせてくれ。部下が世話になった、感謝する」

「いや私はただ、勝手にやっただけだ」

 

 座った状態で頭を下げながら謝意を述べた先輩に、サオリさんは慣れてなさそうに身じろぎしながら否定の言葉を返す。

 先輩はそんなサオリさんの返事でよしとせず、頭を上げると今度はサオリさんの目を真正面から見据えてゆっくりと説くように言葉を並べた。

 

「勝手だろうが何だろうが助けられたのは事実だ。もしこいつがそのまま土手に放置されてどっかの不埒な輩に利用されちゃ、公安局としては大問題だ。そうならずに済んだのはあんたの行動のおかげだ。私らの面子にも関わる、ここは素直に受け取ってもらえるとこっちとしては助かる。さっきは私も混乱しててトチってた。その事についても謝らせてくれ。早まって銃を向けてしまい申し訳なかった」

「あ、ああ。そうか。まあ、……構わない? でいいのか?」

 

 先程までと打って変わって慇懃な態度で非礼を詫びる先輩に、サオリさんは益々居心地が悪そうにしながらも先輩の謝罪と感謝を受け入れた。

 

 先輩が頭の固い警官じゃなくて良かったですねサオリさん。これでも先輩は私以外には意外と話が通じる常識人で通ってるんです。

 まあ先輩としても犯罪者に借りを作りたくないという打算的な思惑もあるのだろうが、ひとまずサオリさんの行動の意義を彼女が認めたことは私にとっても喜ばしいことだった。

 私はホクホク顔になりサオリさんの行動を第三者に認められた喜びを伝えるために横から彼女の手をぎゅっと握った。

 サオリさんはよくわかってなさそうな表情だったが、困惑しながらも私の手を握り返してくれた。

 何ていうか、二重の意味であったかいです。

 

 サオリさんに謝罪を受け取ってもらえた先輩はしかし、一転して声と表情を厳しいものに変えて「ただし」と付け加える。

 

「幸か不幸か私たち公安局からこいつが逃れた後、頼るあてもないコマに都合よくあんたが現れたのは正直疑わしいと私は思ってる。コマの話すさっきの不審者の言葉じゃないが、こいつにとっちゃその流れは少し出来すぎだ。勘違いしないでほしいがあんたの経歴を根拠にそう判断してるわけじゃない。ただ偶然と親切心のみと断定するには、この状況に作為的なものの介在を否定しきれないというだけだ。あんたがさっきの場で私に言われるまで姿を見せなかったのだって不自然だ。コマを泳がせて監視していたと見れなくもない」

「……事実としてそう見えるというのなら、私には何も言えることはない。しかし警察の言うことに大人しく従ってやる義理もない。怪しいからササネから離れろと言われても、彼女がそれを強く望まない限り私は好きなように行動させてもらうぞ」

 

 サオリさんが私を保護してくれたという事実は認めつつも毅然とした口調で改めてサオリさんへの疑念を口にした先輩に、サオリさんも堂々たる態度でそれを受け入れつつ自らの意思を主張した。

 

 まあそりゃあすぐに打ち解けて仲良しハッピーとはいかないだろうが、腰の低い姿勢を見せた数秒後にしかも縛られた状態で簡単にその態度を翻した先輩に私は引いた。そして特に意外そうでもなくそれを平然と受け入れたサオリさんにも。

 心臓強すぎですかこの人たち。なんでそんなすぐ敵対ムーブに戻れるんです?

 相手への遠慮とか引け目とか、もっとこうなんかあるでしょ普通。

 

「まあ良いさ、別に私もすぐにそうだと決めつけるつもりはないからな。おいコマ、とりあえずお互い交戦の意思はなしだ。これでお前の期待通りの展開か?」

 

 サオリさんの返事を聞いた先輩は鼻を鳴らしてそれに答えた後、サオリさんの手を握りながら一人慄いていた私に向き直った。

 私は名残惜しくもサオリさんの手を離して、先輩としっかり目を合わせお腹に力を込めながらその問いかけに答える。

 本題はここからだった。

 

「そうですね。概ねは」

「"概ね"っつーことは、まだなんかあんのか? つか私を落ち着かせるのが目的ならこの縄はもう良いだろ、さっさと解け」

「あ、それは駄目です。その縄は私への理不尽な暴力防止措置でもありますから。野生の野蛮人はしっかり教育してから野に放たないと、私に被害が及びます」

「んだとテメエ。私をなんだと思ってんだ潰すぞガキがお"ォ?」

「ひぇ。そ、そういうところ! そういうところですよ野蛮人! さも当然の権利かの如く人を恫喝しないでください! そんな態度取るなら罰としてまた揉みますよ!?」

「上等だコラ。今度はカッチカチにして迎え撃ってやるからかかってこいこのクソ痴漢魔」

 

 無敵かキサマ卑怯だぞ。

 第二形態で弱点隠しだす敵はクソボスの典型です。開発さん修正して!

 って違います、小学生の昼休みじゃないんだから。

 こんな生産性の欠片もないやりとりしてる場合じゃないんですよ。

 

 問題は意図せず私とサオリさんの管理下に置かれた先輩の身柄についてです。

 捕まえた張本人である私ですら何故か予期していなかったこの展開、とはいえこれを利用しない手はありません。

 今後の先輩の出方によっては私は、不本意ではあるが非常に危うい選択を取らざるを得ない。

 この先を変える重大な選択だ。

 再び顔を引き締めて私は目の前の先輩に問いかける。

 

「先輩はこの後、どうされるおつもりですか?」

「そんなのお前を公安局に連れ帰るに決まってるだろ」

「アウトですよ。それを聞いてはいそうですかと私が縄を解くわけないじゃないですか」

 

 私が今一番恐れていることはそれなのです。

 仮にここで私が先輩に公安局に連れ戻されてしまえば、土下座行脚で折檻祭りは何とか回避したとしても、その後に待つのは組織と自分への嫌悪を抱き続けてしかしそこから抜け出すことも叶わない地獄の日々だ。

 十分に選択の余地があった段階でも敬虔な羊として沈黙することを選べなかった私が、警察組織そのものへの猜疑心を抱えたまま平然とそこに居られるわけがない。

 次に爆発する時はもっと大きな騒ぎを起こすか、もしくは私がどうしようもなくイカれてしまうかの二択だろう。

 

 とにかく公安局に戻ることだけは絶対に許容できない。

 そのことを先輩に認めさせない限り私と先輩の和解は決して成立しない。

 

 私はその強い意思を持って先輩に交渉を持ちかける。

 

「先輩を解放するには条件があります。私を公安局に連行するのを諦めること、そしてこれから私がやろうとすることを邪魔しないこと。この二つです。これが受け入れられないというのなら、公安局との対立を招いてでも私は先輩をここに置いて行き自らの目的を果たしに行くつもりです」

 

 私の要求を聞いた先輩はこれでもかとその眉間に皺を寄せて、過去最高に厳しい表情を向けて低く唸るように私へと怒りの感情を飛ばす。

 

「自分がどれだけ馬鹿なこと言ってるか分かってんのかお前。ついさっきあんな目に遭ったばかりで、まだ自分の置かれた状況の危うさが理解できないのか。今のお前に公安局以上に安全な場所はない。外や内なんて分かりやすい領域の話を飛び越えて、どこからでも狙われてるんだよお前は。その上好きにさせろだと? 寝言は寝て言え」

 

 やはり彼女はその要求を一蹴した。

 私にとっての最善の選択は公安局に戻ることだと、彼女はその考えを譲らないつもりだった。

 しかし私にはそれが最善だとはどうしても思えない。

 むしろそれは私にとっての最悪だと、私は本気でそう思う。

 

「どれだけ私の身が危険であろうとも、それが私の意思や行動を変える理由にはなりません。それにもし先輩の言うように警察内外を問わず多くの人間が私を狙っているというのなら、公安局だって安全な場所にはなりえませんよ。先輩や局長は大した力もないへっぽこヒラ警官をこの先ずっと、常に、一時たりとも目を離さず監視するおつもりですか? 一つ一つの仕事に張り付いて張り付かせて、生活上避けられないトイレやお風呂や睡眠をとるその片時すらも? そんな自由意志を封じられた囚人のような生活私は望んでませんし、現実的にも不可能です。この端末や先輩へのメッセージのことを考えると公安局にだってスパイが紛れ込んでいる可能性は否定できないでしょう。どこからだって手が伸びてくるというのなら、それこそ私の居る場所が内でも外でも関係ありません」

「だとしてもだ。リスクはお前を野放しにしている現状より圧倒的にマシになる。仮に不埒な連中に手を出されたとしても取れる対応とその早さが違う。預かり知らぬところで事を運ばれちゃあ私たちには打つ手なしなんだよ」

 

 即座に簡潔に反駁した先輩のその言葉を聞いて、ずっと感じていた私と先輩の意識の隔たりを私は具体的な感覚をもって理解した。

 どうやらまだ彼女は認めないつもりらしい。

 しかしそれではいつまで経っても話は前に進まない。

 ならばと私もこれ以上なく明瞭明白にそれを示すために、強い口調でその言葉を彼女に突きつけた。

 

「それは公安局にとっての都合であって、私の都合じゃありません」

 

 吐き捨てるように否定した私に先輩は明らかにその顔に不快さを滲ませた。

 

 彼女は苛立ちを溢れないよう露骨にその感情を押し止めながら、なおも私に食い下がった。

 

「分からない奴だな。お前の身体一つで私たちの立場が大きく揺るがされる状況なんだよ。都合も都合、それは組織の都合でしかも一大事だ。防衛室の目も上層部の目も絶えず私たちに注がれている。ゆっくりと首を締めるように私たちの動きを縛りながら、私たちには預かり知らぬ何かを確実に進めながらな。厄介事を抱えに抱えた今の公安局にお前を遊ばせるような余裕は欠片たりともない。お前だけの問題じゃなく組織としての問題だ。勝手な我儘と詭弁で組織全員の今後を危険に晒すつもりか」

「分かってないのは先輩です。言ったはずですよ。私は警察とはもはや縁を切った人間です。今更どんな事情があろうとも文字通り、関係が無いんです」

 

 彼女は私の不遜な物言いに目の色を変えて口を出そうとしたが、私はそれを遮って話を続けた。

 申し訳ありませんが最後まで言い切らせてもらいます。言い切らないと意味がない。

 

「組織のためだなんて月並みな集団論理を持ち出されても私の心が変わることは決してありえませんし、あまつさえあなたたちの庇護の元、自身で負うべき責任の全てを差し出し他者に委ねるなんて自ら尊厳を汚すような選択を、どんな理由があっても許容するわけにはいきません。私は私の考えのみによって、私の身のあり方を決めます。そこに警察やら公安局やら、先輩やら尾刃局長やらの事情を一切影響させることはない。それは公安局を出てから今日までずっと守ってきた、自分に課した最も大切なルールです」

 

 そこまで言うと、今度こそ彼女は冷静ではいられず目の色を変えて私に食って掛かった。

 

「だったらだ!! 何でてめえはどこぞの地下で大人しく隠れることもせずのこのこ表に出てきやがったんだア"ァ"!? 危険人物と分かっていながらテロリストの家に居着いたり突然現れた理解者気取りの馬鹿に呑気に話を聞きに行ったり、単身敵地に乗り込もうなんて短気を起こしたりしたんだこのクソアホが!! てめえの勝手はどこまで無茶苦茶か、もっぺん頭冷やしてよく考えてみろアホンダラッ!!」

 

 遂に爆発した先輩の怒りが咆哮となって私の身を叩いた。

 彼女の身を縛る縄が音を立てて軋み、獰猛な獣が今にも襲い掛からんとするかの如き威圧感が空気の震えとして狭い夜の公園を隅々まで鳴動させる。

 その激しさと猛々しさに自身が生物的弱者であることを嫌と言うほど思い起こされ、制御できない生理反応が私の体をにわかに支配する。

 

 足はすくみ腰はガクガクと力を失ってまともに噛み合わず、満足に立つことすら出来ない私は思わず後ろに倒れ込みそうになる。

 一瞬前までの強気をすっかり失い恐怖の色を隠すこともなく露わにした私の様子を見ても、先輩は追撃の手を緩めず私へと怒鳴り散らした。

 

「自分で自分のことも守れねえ雑魚が分も弁えず偉そうに自分勝手な理屈を捏ねて、あげく警察と自分は無関係だあァ!? なら耳と目を閉じ口をつぐんで何も考えず何も追わず、惨めに這いつくばってでも生き汚く保身に尽くすのがお前の責任だろうが!! 何でお前はそんな簡単なこともできず、分別のないガキのように自傷に走ってまで周囲を引っ掻き回し続ける!? てめえのその幼稚でお利口様な脳みそと体は他に比べてそんなに崇高で貴いものかよ!? 答えろコマ"ァ!!」

 

 荒れ狂う奔流のような怒りの波に、堪らず私は一目散に逃げたくなった。

 脳に刻みつけられたその習性により条件反射的に私の腰が折れ曲がりそうになる。

 そうした方が楽になると体は知っているのだ。服従してしまえばそれ以上の恐怖に晒されることはないと。

 

 しかし、今回ばかりはどんな楽にも逃げるわけにはいかない。

 ここで逃げることはこの先の全てと、今までの全てから逃げることと同義だった。

 みっともなく怯え震える体に私は鞭を打ち、恐怖で張り付いた喉を必死にかっ開いて、張り合うように大きな声で先輩に叫び返した。

 

「そ、それがっ、私にとって譲れない全てだからですッ!! 今の警察が何をしてるのか、公安局が何をしてるのかは知りません! あの日の思いが尾刃局長や他のみんなに届いてなかったとしてもっ、残念ですけどそれでも構わない! 辞めると決めた時には既に、私は組織の未来を自分の未来とを重ねる資格を失いました。なら部外者がしゃしゃり出てそれについてとやかく意見するのは筋違いです、だけどっ! 過去のヴァルキューレが、私の憧れたヴァルキューレ警察学校が最初からその存在意義を偽りで塗りたくり一部の人間の利益のために働く欺瞞に満ちた組織だったのなら、それは警察官としての誇りを目指した私自身への裏切りです! 幼い憧憬を胸に正義を夢見た一人の少女の全てを否定することなんです!」

 

 サオリさんのアパートのカビ臭い畳のにおいを嗅ぎながら朦朧と頭の中を廻旋し思考を犯していたその考えを、私は明確な言葉にして目の前の彼女に叩きつけた。

 

 私にとって受け入れ難い真実を吹き込んだあの彼女に思い知らされた現実とは、ヴァルキューレが私の理想を根底から裏切ったことなどではない。

 ヴァルキューレとして自らを定義付けた私自身が既にその私の全てを否定していたということ。

 その目指したヴァルキューレとしての誇りの具現を一身に委ねた尾刃局長その人をも、その欺瞞が貫いていたという疑いによる自らの執着の破滅。

 その事実そのものだった。

 

 あの日公安局のオフィスに捨ててきた過去が、捨ててきたつもりで拠り所にしていたその過去が、虚妄の産物だったなんてことを無惨にも無責任にも私は過去の幼い自分に押し付けたくなかったのだ。

 そのために私はその真実を残酷な暴力としてではなく自らの決着によって確かめ終わらせたかった。

 他の誰の手でもなく、私自身の手で。

 

「公安局では私は績なし能なし恥もなしの、なしなしスーパーろくでなしです。そんな私でもヴァルキューレであることにはちゃんと誇りを持てたんです。なら最後くらいは、そんな自分への答え合わせをしてあげたい」

 

 悲しいくらいに後ろ向きな動機だが、それでもこの気持ちは破滅しきった私の自尊心を支える最後の砦だった。

 何を否定されても、これだけは折るわけにはいかないのだ。

 

「ヴァルキューレが何者だったのか。私は何者だったのか。それを確かめられる方法があるのならたとえ無駄だろうと自傷だろうと、やります。それが私に残された自分自身への最後の責任なんです」

 

 半ば泣きそうになりながらそれでも口を動かす私を見た先輩は、何かを言おうとして、しかし口を噤み無言で返した。

 気付けば知らずのうちに再び固く握ってしまっていたサオリさんの手に私は自分が情けなくなりながらも、ゆっくりとその手を離して何も言わずにいてくれるサオリさんに心の中で感謝した。

 顔を服の袖でガシガシとひとしきり乱暴に拭った後、確かな足取りで先輩へと近づく。

 揺らぐことなく私を睨む先輩の目を見つめ返しながら、私は彼女にその想いの全てを込めて静かに宣言した。

 

「ですので私は、警察も公安局も関係なく、私自身のために、かつての夢も希望も守るべき尊厳すらも残っちゃいないこのちっぽけな体を使って、その裏切りと欺瞞を終わらせに行きます。今よりもっと小さかった、半分くらいの背丈の無垢で純粋だったかつての少女のためにも」

 

 私が丁寧に吐き出した思いの丈を余さず受け止めた目の前の彼女は、見定めるように強い視線で私を見据えていた。

 その目から怒りや苛立ちの色はとっくに消えていたが、代わりに厳しさだけがそこには表れていた。

 

「……抽象的な物言いで誤魔化すなよ。結局お前は何がしたいんだ」

 

 絞り出すような声音で先輩が私に言う。

 言葉にしてみれば簡単なそれを、思えば私は随分と回りくどい道筋で導いてきたような気がする。

 そんなことを少し可笑しく思いながらも私は答えた。

 

「ヴァルキューレが過去から現在に渡って行っている不正の真相。そして彼女たちがいつからその行為に手を染めていたのか。それを知ることです」

「知ればもう取り返しはつかないぞ。おそらく一生な」

「構いません。過去を捨てて私はここにいます。その過去にどういう意味があったのか、それが分かるなら私は未来も捨てる覚悟です」

「……簡単に言ってんじゃねえよ。その言葉の意味、本当に分かって言ってんのか」

「簡単じゃありませんよ。ヴァルキューレへの憧れは私の全てでしたから、文字通り全てを懸けた意志です。信じてきた過去や幼い日の私の気持ちすらからも逃げてまでなあなあに生きるなんて、そんな未来なら私はいりません。そういう覚悟をようやく思い出しました」

 

 私の言葉を聞いて先輩は静かに目を閉じ押し黙った。

 ここまで来てようやく、本当の意味での交渉が始まったのだった。

 それは長い沈黙の始まりを意味した。

 

 これで彼女が頷かないのなら和解は不成立、交渉は完璧に決裂だ。

 私と公安局は対立することになり、この瞬間から私と先輩は本当の意味で敵同士になるだろう。

 

 座したまま黙して語らない先輩に私がヤキモキしながら焦らされていると、思わぬところから援護射撃があった。

 私の後ろから近づいてきたサオリさんが私の肩に手を置いて口を開いた。

 

「……ササネが一人で敵地に赴くというのなら私は止めようと思う。体調も万全でない状態で危険を犯すのは無謀、今すぐにでも暖かい場所で寝かせるべきだ」

 

 味方かと思ったら伏兵でした。

 

 本当にサオリさんはそれが好きですね。

 サオリさんは私をグッピーか何かだと勘違いしてませんか?

 そこまで虚弱じゃありませんよ私。何なら浮浪者生活でも二週間は続けられた逞しい子ですけど!

 

 私が抗議の言葉を発する前にサオリさんはしかしと続けた。

 

「ササネにもササネの意思がある。聞いた限り、とても強い意思がな。私の判断でその意思を妨げて良いものか私には分からないが、少なくとも否定するのは違うと思った。警察の事情は知らないが、お前たちの都合で無理矢理彼女を縛り付けるのも、同様に私は違うような気がする」

「サオリさん……」

 

 落として上げるなんて高等テクニック一体どこで身に付けてきたんです? 惚れてまうやろ!

 事実上の舎弟からもはや心からの舎弟になってしまいそうです。

 テロリスト界のビックスターはやはりカリスマ性も段違いなのか。

 私は感激と畏敬の念を込めてサオリさんに熱視線を送った。

 

「部外者が言ってくれるな。お前の保護者ごっこと私たちのそれは違う。個人的感情や道義的問題じゃなく、組織が組織として生きるか死ぬかの話だ。次元を落として勝手なことを語られたくはない」

「いや違わない。組織の在り方を決めるは組織じゃない。それを率いる長でもない。そこに帰属する個人の思いの集まりが組織を組織たらしめる。そこに大きな隔たりがあればそれは組織として成り立たない。……私とアズサの考えが違ったように、お前たちの考えとササネの考えは違う。一方的な押し付けはやがてすれ違いとなり、修復不可能な亀裂となって必ず破綻する。どれだけ正しく見える理屈や道理で取り繕ってもそれが片方の立場を押し付けるものである限りはな。所詮は形を持たない幻想、等しく虚しいだけだが、少なくともそういう壊れ方をしたものは二度とは戻らない。今の私なら、そういうふうに思う」

 

 眉根を寄せて悩ましげな表情をしながら述べたサオリさんの意見に、先輩はその言葉が軽はずみな感情論ではないことを悟ったのか再び黙ってしまった。

 まさかサオリさんがそんなことを考えていたなんて、ただの強面イケボなお姉さんじゃなかったんですね。

 

 複雑なバックボーンがありそうなそのサオリさんの言葉は私の胸にも何かしら思わされるところがあった。

 それを聞いて私の頭には一人の人が浮かんでいた。

 組織の長としての責任と個人の思いの板挟みになって苦しんできた彼女の顔を私は胸の内で思い描いた。

 

 現実に妥協することを選んだ彼女に一方的な理想を押し付け傷付けたという意味でなら、私もその罪を咎められるべき人間であることは間違いないだろう。

 正しさの主張や感情的な否定ではなく、本当であれば私もちゃんと一人のヴァルキューレとして彼女に向き合うべきだったのだ。

 

 しかし自らの理想のためにそれを切り捨て勝手に飛び出してきた結果今の私があり、そしてきっと今の公安局があるのだろう。

 もし彼女と再会することがあったのなら、その時はちゃんと彼女に謝りたいと私は心から思った。

 

 私の反省をよそに何事か考え続けていた先輩は、ふっと一つ短く息を吐いたかと思うとガシガシと頭を掻いて盛大に続く息を吐き出して目を開いた。

 

「……くそ。ああもう、どいつもこいつも好きなこと言いやがって。わかったよチクショウが。……コマを無理やり公安局に戻そうとするのは止める。お前の意志を尊重するよ、コマ。これでいいか?」

「先輩! ほ、本当ですか? 嘘はなしですよ? そんなこと言って陰で尾刃局長とコンタクトを取って包囲影打ちなんてしたら酷いですよ?」

「しねえよバカ。信じろ、って言っても難しいかも知れないが。お前が自分で戻っていいと思えるまでは、私もお前の意思に反する行動の強要はしない。やりたいことも、好きなようにやれ」

 

 頷いてもらわないと困る状況ではあったが、まさかこんなに素直に認めてくれるなんて。

 まるで反抗期を経て理解を示した親みたいな変化です。毒上司から良い上司に進化ですか? その進化、信じても良いんですね?

 なまじ虐げられていた期間が長いだけに心から信用できないのが悲しいところです。

 

「ただし、お前の目的に私も同行する。お前をここで見失うわけにもいかない」

「うぇ。え、でもそれは、まだ警察に所属してる状態の先輩がそれをするのはとんでもなく不味いんじゃ……。一生の危険だってついさっき……」

「元々警察内部の不審な動きは私も探ってたんだ。リスクに関しちゃ対して変わらねえよ。むしろ何の後ろ盾もないお前がよっぽど危ないんだっつの。まあでも、どうしたって突っ込む馬鹿がいるんならそいつのケツを持ってやるのも上司の仕事だろ。馬鹿一人に全ての結果責任を背負わすよりは遥かにマシな判断だ。愛する後輩を見捨てるほど私の血は冷たくねえ。最後までそのケツ拭いてやるよ、バカコマ」

 

 実にイイ顔をしながらイタズラっぽく笑った先輩に、私は開いた口が塞がらなかった。

 

 これ以上に衝撃的な展開は後にも先にもないかもしれない。

 私は迸る感情をそのままに深夜だということも考慮せず今日一番の大声で叫んだ。

 

「……あの極悪非道下劣鬼畜の先輩が、愛に目覚めた!? 愛ゆえに!? 愛ゆえに悪魔ですらこんなに人が変わってしまうというの!? こ、これはヤバいですよ!! 天地がひっくり返るようなビッグニュース!! 今すぐキヴォトス中にこの事実を広めなくては……ッ! ごうがいー!! ごうがいー!!」

「やかましい! 深夜だろうが騒ぐなどアホ!」

「なるほど、これが愛か」

「てめえも茶化してんじゃねえこのテロリスト!」

 

 顔を赤くしてキレた先輩に脛を蹴り上げられるまで、私は気恥ずかしさを誤魔化すためしばし夜の高架下の公園で騒ぎ続けた。

 何はともあれ今後を大きく左右することになるその決別は、今のところは何とか避けられたようだった。

 

 

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