腹ペコ毒蟲   作:真っ黒黒うさぎ

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あと3話で五条ルートは終わります。七海ルートになかった視点もちょいちょい出てくる予定です。


三十一話 プリンと雑誌とから揚げくんと。

 その年の夏は暑かった。絶賛自由を謳歌中の歌姫と、はじめて海に行った櫻は海を楽しんだ。家入は万が一の時に負傷した呪術師を治さなければならないため行けず、「チッキショォォ!!」とコウメ太夫のように叫んでいた。

 

 櫻の水着は色々とピチピチで、周囲の視線を感じた歌姫は絶対にパーカーを脱がないように言った。念のため男避けで一年ズを二人連れて来ている。七海も灰原も不自然に櫻の方を見ない。

 

「何で同伴する人を五条さんにしなかったんですか…」

 

「私が嫌だったからよ」

 

「あとで僕ら二人が一緒に海に行ってた、って五条さんにバレたら面倒くさいことになるだろうねぇ……」

 

「ねぇねぇ、みんなでバレーボールしよ!!」

 

 海へわぁーっと走ってからくらげにビビり、すぐに戻ってきた櫻がそう言う。やはり一年二人は彼女の方を見ない。

 

「私は苦手なので遠慮します」

 

「僕も…」

 

「青春! 青春しようよ!!」

 

 押しに押され、男たちは渋々重い腰を上げた。男女ペアで組んだり男と女に分かれて戦ったり。全勝した櫻はVサインを決めた。

 

 途中、歌姫のボールを顔面に受けた七海は鼻血を流し、灰原も別の意味で鼻血が出た。現在灰原はビーチパラソルの下で休んでいる。隣で様子を見る櫻はいたいけな一年を埋め始めていた。

 

 その後かき氷を食べたり、本格的な砂の城を作った。海だというのにほとんど泳がず帰還した。

 

 帰りに四人で撮った写真をうっかり五条に送ってしまった櫻は、「歌姫と二人で行くって言ってたよな?」と非常に面倒くさい彼ピに捕まることになる。

 

 

 

 

 


 

 

 星漿体の護衛任務が失敗に終わった。星漿体の少女が殺されてしまったのだ。五条が送ってきたツーショット写真にいた、水着姿の少女。この人物が殺された星漿体だ。

 

「まだ中学生だったのか…」

 

 人生はまだまだこれからの時期で、この世のためにその身を捧げる。現代の人身御供だ。

 

 楽しそうに笑う少女の姿をしばらく眺めていた櫻は携帯を閉じ、流れる車窓の風景に視線を移した。その日のハンマーを握りしめる力は強く、廃墟をぶち壊しながら呪霊を圧殺した。

 

 

 

 高専の空気は重かった。家入は教室の居心地の悪さを感じていて、よく安倍の元に来る。任務後から夏油と五条の雰囲気が変わったらしい。暗いというか、常にピリピリしている。任務に加わった七海と灰原もこの件に思うところはあるようだ。

 

「安倍先輩、アイツらをガツンとする方法ってないですか?」

 

「励まそうってこと?」

 

「はい。ビンタでも尻を蹴るのでもいいですよ」

 

「物理的なショック療法か…」

 

 落ち込む後輩たちに何かできないものか…と考えていた櫻は、これまで良い方法が思いつかなかった。家入の案でいいなら、彼女にもできることがあるかもしれない。

 

 

 ということでまず家入とともに一年の教室に行き、「何だ?」と首を傾げた二人の生徒を殺した。灰原は床に倒れ鼻血をドクドクと流し、七海は机に突っ伏すようにして倒れている。犯行を目撃していた家入は恐ろしい所業に開いた口が塞がらない。

 

 櫻は先に七海を屠り、次に腰を抜かした灰原を始末したのだ。

 

「うら若き少年たちになんてことを……!! 私もいいですか?」

 

「いいよー」

 

 ダッ、と駆け出した家入は身長差を存分に活かして胸に飛び込んだ。故郷のおっかさんを思い出した。

 

 

 残るはあと二人で、先にどちらを葬るかの話になる。夏油が先だと五条に逃げられる可能性が高いため、先に五条を仕留めることになった。

 

 先ほどから「殺す」「葬る」などの物騒な単語が飛び交っているが、これはあくまで櫻なりの──院長仕込みの、人の励まし方である。

 

 二年の教室はしかし一人しかいない。五条は机に足を乗せ、ボーボボの漫画を読んでいる。夏油は今いないようだ。坊ちゃん、と櫻は後ろから声をかけ、五条が振り向いたタイミングで抱きしめた。

 

「っ……!?」

 

「大丈夫ですか、坊ちゃん」

 

「何がっ…」

 

「悟の坊ちゃんはいつでも甘えにきていいですからね」

 

 最後の「トクベツに」は、ボソボソと五条の耳元で囁いた。

 

 中途半端な位置で固まっていた五条の手が、櫻の体にまわる。そのまま熱い空気になりそうだと感じた家入は、空気を読み教室から出ていった。さすがに教室でおっぱじめはしないだろう。

 

 ──と、そこで彼女は一年の教室の前に立っている夏油を発見する。悲惨な中の様子に缶コーヒーを口につけたままフリーズしている。家入は叫んだ。

 

「安倍先輩! やせいのゲトウが現れました!」

 

捕獲して(モンスターボール)!!」

 

 櫻は五条を引きはがし、教室からスライディングで出る。夏油はすでに逃走を選んでいた。当然逃がすわけにはいかない。彼女は走り、その後を家入が追う。教室には呆然とする五条だけが残された。

 

 この後、櫻はさすがに教師から叱られた。

 

 

 

 

 


 

 

 いつでも甘えにきていいと言ったのは櫻だ。向こうはどうしても……どう〜しても、五条に甘えてきて欲しいのだろう。

 

 というわけで夜、女子の寮に来た。当然高専の寮は男女別である。普通ならこんな時間に男がいたら即通報ものだが、いるとしても安倍や家入しかいない。家入はすれ違ったとしても、おそらく「盛るなよ」としか言わない。

 

 五条の装備はポケットにDS、手に漫画だった。ノックした後で彼は気づく。付き合っている男女が同じ部屋にいる時、いったい何をするのだろう? 

 

「なにー? 硝子ちゃ……んじゃない」

 

「………よっ」

 

 扉が開いたはいいものの、五条の視線は櫻と合わない。床の木目ばかり見てしまう。心臓が早鐘を打った。あの甘い匂いがする。

 

「夕飯を集りに来たんですか? まぁタッパーに詰めてあるので、レンチンすればホットで食べられますよ」

 

「晩飯はもう食ったからいい」

 

「じゃあ何用で?」

 

「……おっ、お前が言ったから、来てやったんだろ」

 

「あぁ、甘えに来たんですか。ならどうぞ」

 

 櫻はその場で手を広げた。ただ一向に五条が動かないので扉を閉めようとして、足を挟み込まれた。どんどん坊の機嫌が下がっているのは顔を見ているとわかる。一方で何を思っているかは言葉では中々表さない。

 

「何かして欲しいことを言うのも、甘えることですよ」

 

「……とりあえず中に入っていい?」

 

「靴は脱いでくださいね」

 

「俺を何だと思ってるんだよ」

 

 部屋の間取りはどこも似たものだ。ただベッドや机など多少位置が変えてある。五条は興味本位で押し入れを開けたり、ベッドの下をのぞいた。

 

 押し入れの下は季節の違う服がケースに入れられていて、上の段は壁を傷つけないで接着できるフックに、無数の仮面がかけられていた。何ちゅーところに呪いの空間を作っているんだ。

 

 櫻は氷の入ったグラスにオレンジと炭酸をかき混ぜながら答える。入学したての頃は壁に飾っていたが、歌姫に「こわい…」と言われて今の場所に移したらしい。

 

「俺がやったウルトラマンもあるじゃん」

 

「どうぞ坊ちゃん、オレンジ炭酸割りです」

 

「おう、サンキュ…」

 

 方やストローがあるコップと、方やストローがないコップ。明らかにある方が五条に差し出されている。彼はない方を取り飲んだ。炭酸が口の中で弾ける。しかし先ほどのイラッ、は炭酸の泡のようには抜けない。

 

「じゃあベッドに移動してください」

 

「……………は?」

 

「ほらほら」

 

 促されるまま五条はベッドに座った。その隣に櫻も座る。さすがに二人分の体重が乗ると軋んだ。

 

 そこでようやく悟は相手の方を見た。長い黒髪が鎖骨や背中を通ってベッドの上に落ちる。この色は闇だ。呪いと混ざったらきっと、二度と掬い取れない色だ。

 

 

「──あれ? ちょ、待っ」

 

「そのまま上体だけ、こっちに傾けて」

 

 ポフッ、と五条の顔が胸に突っ込んだ。いや、突っ込まされた。Tシャツにプリントされたアルファベットの『a』が目と鼻の先にある。そのまま櫻はぎゅーっと抱きしめ、愛犬の頭を撫でるようにわしゃわしゃと撫でた。

 

「おまっ、お前!!!」

 

「暴れられるとこそばゆいので動かないでください」

 

「下着ッ!!!!」

 

 を、付けてない。視線をずっと逸らしていた彼は気づかなかった。気づいた時には自分の足で地雷を踏んでいた。

 

 離れようとする者と抱きしめようとする者で争いが起き、ベッドがギシギシと軋む。ついには倒れた五条の顔にそのまま櫻がのしかかった。骨ばった手が一瞬ピクリと動き、力を失ったように床に落ちた。

 

「あら、坊ちゃん?」

 

 櫻は体を離して下に押しつぶしている男の様子を見た。白と青のグラデーションの中に赤い血がよく映える。首元まで茹だったタコのように真っ赤だ。五条はゼェゼェ息をしていて、目に透明な膜が張っている。部屋の明かりを受けてうすい膜に白い波が生まれる。

 

 その表情に櫻の胸がときめいた。可愛らしいな、と思った。甘やかして、甘やかして甘やかして甘やかして、その熱で溶かしてあげたい。

 

 これは奉仕の気持ちなのだろうか? それとも子育て? 

 

 七海へ向く身も心も焼身自殺するような激情とは違う。弱火でじっくりと煮込んでいくような、不思議な感情だ。これもまた、“好き”という感情なのだろうか? 

 

「下りろよっ……」

 

 彼女はまたがっていた坊から下りてテーブルのティッシュを差し出した。ベッドに被害はなかったが、彼女のTシャツは血で汚れた。櫻は考える人になる。視線が相手のスウェットに注がれた。様々な数式が脳内で飛び交…う代わりにパントマイムをするバリヤードが大量発生する。

 

「さすがは特級ですね」

 

 直後、櫻の顔に枕が叩きつけられた。

 

 

 

 

 


 

 

 その翌日、五条が教室に行くと夏油に背中を叩かれた。家入には「私の部屋まで軋む音が聞こえてきたぞー」と言われる始末だ。この同級生二人にはデリカシーがないんか? 

 

 何かあったって? あぁ、あったとも。あの後枕の衝撃で櫻は気絶し、五条は即行で部屋に帰った。気絶させたことは一切自分は悪くないと思っている。

 

 

 お昼に櫻から謝られてもそっぽを向いた。午後は任務が入りそのまま向かった。弁当は渡されたけど食べていない。

 

 いら立ちは呪霊にぶつけられ、特級相当が一瞬で消し炭になった。時刻は深夜である。もうすぐで土曜だ。補助監督に寄らせたコンビニで雑誌や晩飯を買った。自然とスイーツに手が伸びる。

 

「見てぇな。でも録画忘れたんだよな」と思っていた金曜の映画はすでに終わっていた。それがまたいら立ちのジェンガを上乗せする。ピリつく彼に怯えっぱなしの補助監督の態度もイラつく。些細な一つ一つが腹の中で混ざり合う。

 

 

 部屋に着くとシャワーを浴びに行く気力もなく、ベッドに倒れた。「ハァ゛ー…」とクソでかいため息が漏れる。

 

 天内理子の件や昨日の件。映画を見逃したことやコンビニの店員がジロジロと自分を見ていた視線や、震える子うさぎみたいだった補助監督の態度! すべて──すべてムカつく!! 

 

 その時ベランダからコツン、と音がした。首だけ動かすと、そこに安倍がいた。大声を出しかけた五条は慌てて口を押さえ、扉を開ける。普通に開けたらガラガラ、と音がするそれをなるべくゆっくりと動かす。

 

「何でここにいんだよ…!」

 

「寮の、玄関は閉まってるので、外から移動してきました!」

 

 お互い小声で、しかし口調は強く話す。いくら何でもど深夜に男女が同じ部屋にいるのはまずい。

 

「帰れ!」と言う五条に、櫻は「わかりました! 失礼します!」と、靴をベランダに置いて彼の部屋に侵入した。カンバステーションって知ってるかい? 宇宙人よ。

 

「男の子の部屋ってこんな感じなんですね」

 

「おまっ、漁るな…!」

 

 押し入れをそっと開いたり、ベッドの下にあった『いちご100%』を発見したり。漫画を引ったくった五条は顔を赤くする。思春期の息子の部屋で一番やってはいけないことをしたな。

 

「……何しに来たんだよ」

 

「心がモヤモヤしたままなのが嫌なので来ました」

 

「…昨日のことは俺も悪かったから帰れよ」

 

「………謝ってもらったけど、まだモヤモヤしてます」

 

「そのモヤモヤって何?」

 

「うんと…悟坊ちゃんといると、弱火で煮込まれている気分になるんです」

 

「は?」

 

「少しずつ心が温かくなって、陽だまりの中にいるような気分になれます。あなたと一緒にいると、とても楽しい。それは確かです」

 

 それは、それは恋なんじゃないだろうか? いや、五条にだってわからな────いや、もう自覚しているこの感情を、目の前の宇宙人も持っているだって? あり得ない。

 

 何せ今でも七海を見る櫻の目は、燃えるように熱い。そんな姿を見るたびに振り回される五条は堪ったものではないし、五条にうざ絡みされまくる七海も堪ったものではない。

 

 送りつけた天内理子とツーショット写真は櫻にはまったくダメージになっていなかったし。その写真も、理子との思い出の痕跡になってしまった。

 

 あの少女と新しい思い出を作ることはできない。だから、その写真が“痕跡”だった。天内理子が生きていた証拠だった。

 親友含めてバカ騒ぎをしたあの海が、はるか昔にように感じられる。でもあの青い色だけは色褪せることがない。まるで呪いのように。

 

「……ッ」

 

 一気に固く蓋をしていたあらゆる感情が吹き出してきた。目元を拭う五条に驚いた櫻は、歩み寄って頭を撫でる。身長はもう、ほんの数センチの差で五条の方が高かった。

 

「抱きしめていいですか? 意固地なサモエドさん」

 

「………」

 

 櫻が抱きしめるよりも先に五条の方から抱きついた。背中に腕を回して、肩に顔を埋める。大声で泣くのだけは意固地にこらえた。

 

 

 抱きつくコアラになった男をそのまま引きずって、櫻は部屋の電気を消した。一時間経った頃にはおそろしく整った顔が腫れぼったくなっていた。

 

 そろそろ部屋に戻ろうかな、と思った彼女の手首が掴まれる。サモエドは眉を下げて彼女を見ていた。まだ甘え足りないらしい。そのままベッドに座って、抱きしめて、倒れて、空の目に見つめられる。今は夜だが、そこにはずっと沈まない蒼がある。

 

「コンビニの、袋に……その、プリンがあって」

 

「はい?」

 

「………」

 

 指を指されたコンビニの袋を櫻は確認した。中身をテーブルに出す。確かにプリンがある。雑誌も。あとから揚げくん。

 

「…………ははっ!」

 

「笑うなよ…!!」

 

「あぁ、はは、ふふふ。えぇえぇ、なるほど」

 

 ひとしきり笑った櫻は目尻に浮かんだ涙を拭う。永遠の八歳だと思っていたのに。

 

 

「いいですよ、五条くん」

 

 

 微笑んだその顔を悟は多分、ずっと忘れることはないだろう。

 

 これは、この恋は、彼の初恋だった。


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