茂山影男   作:真っ黒黒うさぎ

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9話

 翌朝、影男は高熱を出した。昨日の夕立が原因である。夕飯の後に夏油の通知表を見て、五条と二人ではしゃいでいたのが嘘のようだった。

 

 朝ご飯だと起きてきた影男はフラフラしていて、顔が真っ赤だった。バッタリと倒れた彼に夏油は驚き、ちゃっかり泊まっていた五条も夏油の声でソファーから起きた。

 

「ガキって貧弱だなー」と宣ったデリカシーゼロ男は家から蹴り出される。やれ保険証だ、やれ病院の予約だと朝からリビングは大騒ぎだった。

 

 診断は夏風邪である。病院で体温を測った時は39度近く、顔にびっしょりと汗をかいていた。夏油は自販機でスポーツドリンクを買い水分補給を取らせ、ペットボトルを額に当ててやった。

 

 この後冷えピタなど色々買い揃えなければならない。夏油が風邪を引いたなんてそれこそ何年も前の話だし、影男もこれまで風邪を引いたことがなかったから、家に必要なものがない。

 

「大丈夫かい、影男くん…」

 

「………」

 

 小さく頷いた子供に、夏油は並々ならぬ罪悪感を覚えた。

 

 

 

 

 

 熱は数日もすれば下がり、まだ咳は出るが食欲もほとんど戻った。あとは残りの薬を飲み、完全復活を待つのみだ。

 

「よっ、影男!」

 

「モブくん、風邪は大丈夫!?」

 

 今日は見舞いに真希・真依姉妹が来ていた。真希は生首ではなく、紙袋に入った菓子のお土産を渡す。ウイルス対策で夏油以外はマスクをしている。影男は二人の顔を見て嬉しそうに笑ったが、すぐ後ろめたさで口がごもった。

 

「あのっ……ゴホッ! 二人に嘘ついてごめんね…」

 

「私は影男をそんな悪い子に育てた覚えはなかったんだけどなぁ〜?」

 

「 真 希 」

 

「うお…そう怒んなよ、真依。ただのジョークだろ」

 

 ハァー、とため息をついた真依は二人が怒っていないことを話す。影男がついた嘘は誰かのためを思った“良い”嘘だったから、と。

 

 ただし悪い嘘をついたなら、真希によるくすぐり地獄の刑に処されることが決まった。手をわきわきさせる姉の姿はおっさん臭い。

 

 

 その後雑談をするうちに、影男の体調が改善したら花火を見に行かないか? ──という話になった。幸いもうすぐ近場で花火大会が行われる。男二人が青春を繰り広げた場所から、空に咲き乱れる満天の花々を拝むことができるだろう。

 

 そうと決まれば浴衣の準備だ。真依は張り切っていた。影男は買いに行けるか微妙なので、影男の分は二人が選ぶことになった。

 

 

 しかし当日、あいにくの雨模様だった。花火大会は中止になる。姉妹の落胆は大きかった。溜まっていた宿題の処理に追われていた影男も、一夏最後の思い出作りができないとなり落ち込んだ。

 

 こういう時の大人である。

 

 夏油は三人にある提案をした。それは親友や知人を巻き込んでのイベント。彼の話を聞いた三人は、瞳を輝かせた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 場所は高専。空は星の煌めきで装飾されている。学校に許可を取った上で校庭で花火大会が行われることになった。

 

 安全対策で水の入ったバケツと、消火器。それと五条悟が用意してある。この三つがあれば万が一のことは起きないはずだ。最後の一つがふざけてやらかさなければ。

 

 真依や真希、影男は浴衣を着ている。五条や夏油、家入は私服で、美々子と菜々子も私服だった。パンダは自前の毛皮を着ている。監督の夜蛾は皆から少し離れた場所でパイプ椅子に座り見守っていた。

 

 

「はじめまして、影男くん。私は夜蛾美々子」

 

「私は夜蛾菜々子」

 

「俺パンダ」

 

 

 影男に挨拶にきた三名のうち、最後の一名…いや、一匹の異物感がすごい。しかし茂山影男はそんなことを気にする少年ではない。彼はパンダに抱きつくと、そのまま幸せそうな顔で昇天した。

 

 このモフモフは何だろう。全人類をダメにする危険な柔らかさと弾力を持っている。影男はこの感触を味わうために生まれて来たのかもしれない。

 

「それで、あっちにいるのが私たちとパンダの保護者」

 

「……え、待って。パンダもその中に入ってるの?」

 

「そーだよ。パンダは正道の子供で、私と美々子は正道の養子なの」

 

 人間からパンダが生まれるわけはないのだが、影男の脳内は「そうなのか…」で終わった。

 

 影男もまた自己紹介して、三人と一匹。ついでに乙女センサーを作動させた一人と、それに続く形でもう一人が加わり、子供たちの花火天国が始まる。あちこちで暗闇に包まれた夜を彩る火花が咲く。

 

 

 大人こども組も花火を楽しんだ。家入は線香花火を楽しみ、誰より童心を楽しむ五条はねずみ花火を量産したり、勢いよく火花が噴射するタイプの花火を複数本束ね、高火力の花火を堪能する。

 

 夏油は保護者目線で立っていたが、夜蛾に蹴り出され渋々五条の輪に加わった。大人ぶっていた姿もすぐになりを潜め、高専時代に戻った。親友とバカをやっていた頃の、あの笑顔だ。

 

 

「フッ……」

 

 

 夜蛾はこのひと夏の光景を、胸に刻んだ。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 秋といえばそう、運動会である。

 

 影男には一つの目標があった。徒競走で一位……を取るのは難しいので、ビリにならないことだ。一学期に計った50メートル走のタイムは13秒台とかなり遅い。

 

 真希と真依の運動会は初夏に行われ、真希はぶっちぎりの一位。真依も一位を取っていた。

 

 影男は毎日の練習で忙しい中、家に帰っても宿題を終えてから走る練習をした。しかし闇雲に走ってもタイムは縮まらない。元々少ない体力で無駄にエネルギーを使うとすぐにバテてしまう。

 

 影男を応援する夏油は効率の良い走り方(フィーム)の練習を教えた。さらに休日には体力づくりを兼ね、真希ティーチャーがメガホン片手に走り込みを手伝った。「オラオラァ! 死ぬ気で走れやァ!!」と叫ぶ姿は猛獣のそれだった。

 

 練習の甲斐もあり影男のタイムはみるみる縮み、11秒台をきるようになった。これでもまだ遅めな方だが、はじめと比べれば大きな進歩である。あとは本番までどこまで追い込むかだ。

 

 

 

 そして土曜開催の当日。張り切ってお弁当を作ってきた真依と、練習の集大成を見にきた真希。それと最近買ったばかりのデジカメを持参した夏油が訪れた。おまけで髪が黒い五条もいる。

 

「黒くなってね?」と真希が尋ねると、五条は「大人の事情ってやつ」と答えた。

 

 キャンプ用の小型のテーブルと椅子を用意すれば完璧だ。ただ一人飛び込みで参加したので一人分足りない。その時は真依か真希のどちらかを膝に乗せればいいんじゃね、と呟いた五条は命知らずな男だった。

 

「さすがに来てる人間が多いねぇ」

 

「運動会ってこんな感じなんだな」

 

 野郎な座り方で辺りを観察する男二人はもれなく目立っている。真依と真希はこの二人と距離を置けないものかと悩んだ。

 

 

 運動会が始まると、順々に競技が始まる。二年生の徒競走は最初の方にある。他にも玉入れやダンスなど、影男の出番はある。

 

「………」

 

「何だよ真依、そんなにソワソワして。トイレなら一緒に行ってやろうか?」

 

「違うわよ! ……早くお昼にならないかな、って」

 

 真希も協力したが、真依は朝からみなのお弁当作りを頑張った。影男以外はおまけみたいなものだが、みんなで食べても美味しいだろうと思っている。

 

 そうこうしているうちに二年の徒競走が始まった。赤色の帽子をかぶった影男は側から見ても緊張している。しかし周囲にも人がいるため前が見えにくい。真依から視線を送られた夏油は、ススッ…と五条を差し出す。

 

 しゃーねぇな、と片腕に一人ずつ乗せる形で五条は姉妹を抱える。予期せぬ事態に真希は抵抗したが、影男の番が来たことに気づくと意識がそちらに向いた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 影男は緊張していた。自分の疾走順が迫るたびに心臓は激しいビートを刻み、ドラマーが暴れ馬のドラムスティックを手懐ける。最後にシンバルが鳴り響いた瞬間、スタートが切られるだろう。

 

 自己暗示するように影男は胸に手を当て、「大丈夫、大丈夫」と呟いた。

 

 地面に向いていた視線を前に向けると、ふと観衆の中からひょっこりと顔をのぞかす見知った顔が目に入る。夏油は片手にデジカメを持ちながら手を振っていて、真希はガッツポーズ。真依は両手を握りしめていた。

 

 

(────そうだ、もっと自信を持て)

 

 

 真希も夏油も手伝ってくれた。真依も真希との練習中に差し入れをくれた。五条は時折家のソファーで横になり、漫画を読んだりゲームをしたりしていた。

 

 

 

 スタート位置に立った。バンと、発砲音が鳴る。前へ前へと影男は走った。空気の抵抗を感じながら、それさえ味方につけるように足で地を蹴る。

 

 走る周囲の子供や、それどころか夏油たちの姿も今の彼には見えていない。

 

 肺が痛む。滲み出た汗が流れて、別れのきらめきを告げる。ただ、走る。走り切る。

 

 

「…!!」

 

 

 後ろから勢いよく何かがぶつかった。その拍子に影男も倒れる。殺しきれない速さでザザ、と地面に腕やひざが擦れた。鈍い痛みに生理的な涙が浮かぶ。

 

 後ろを向いたそこには影男よりは軽傷なものの、ところどころにすり傷を作ったクラスメイトの姿があった。

 

「う、ううっ、痛いよぉ……」

 

「………」

 

 二人を残して、他の子供たちはゴールした。放送はハプニングを伝えている。このクラスメイトがつまずき、それに押される形で影男も転んだのだ。放送テントの方から慌てて駆け寄ってくる担任の姿が見える。

 

 色んな考えが彼の頭の中によぎる。吐く息が荒い。

 

 転んでしまった。傷が痛い。さっきまでは魔法がかかったように聞こえなかった周囲の声が、地鳴りのように聞こえてくる。その一つ一つは意味のある言葉をなさない。まさしく呆然としていた影男の耳に、泣きじゃくるクラスメイトの声が耳に入った。

 

 その顔を影男は見る。土と血が混ざって肌を流れ落ちた。痛みを堪え立ち上がる。

 

 

「いっしょに、最後まで走ろう!」

 

「………!」

 

 

 少年は涙を拭い、差し出された影男の手を掴んだ。走っていた担任はその光景を目の当たりにし、立ち止まる。放送は『二人とも最後まで頑張ってください!』と応援した。帽子の色は違うけれど、そこに敵味方の境界はない。

 

 影男は先に少年をゴールさせる。そのあと二人はすぐに保健室に連れて行かれた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 お昼。おそろしい勢いで子供達の胃にお弁当の中身が吸収されていく時間。影男は夏油が座っていた椅子に座り、美味しそうに昼ごはんを食べていた。

 

 真依が「美味しい?」と聞くと、「うん!」といつも以上に元気なお返事をくれる。ポポポ、と少女の頬が赤く染まった。

 

 

「しっかしあのまま走ってたら、一位を狙えたかもしれねぇのになぁ…」

 

 真希は少し残念そうに話す。けれど一位を取る以上の価値をこの少年は見せてくれた。「まっ、よく頑張ったな!」と背を叩かれた影男はむせる。

 

「ところで大丈夫なの、モブくん? 午後って確か、一、二年生の親子競技があったじゃない」

 

「あっ……」

 

「その傷で走るの難しそうだと思うんだけど…」

 

 影男の腕や膝にはガーゼが貼られている。見た目はかなり痛々しい。

 

 ちなみに親子競技は親と子がペアを組み走るものだ。お昼と同時進行で別の競技も進んでいて、今は自由参加のパン食い競争が行われている。

 

「うーん…痛いけど、走れなくはないよ」

 

「……そう?」

 

「それに…」

 

 影男はチラリと夏油を見た。デジカメの写真を確認していた彼は、影男の視線に気づくとにっこりと笑って手を振る。真依は「あぁ……」という声を出した。まぁ、間違いなく一位は取れそうだ。

 

 

「つーか悟のやつどこに行ったんだ?」

 

「あぁ、悟ならさっきの放送を聞いてノリノリで走って行ったよ」

 

 直後、黄色い悲鳴が上がった。パン食い競争の列で、何やら奇妙な動きで準備運動している男がいる。順番はすぐに来た。五条は目をハートにさせている淑女たちにウインクのサービスをする。飛ばされた弾丸が次々とターゲットに着弾する。

 

「おい、今誰か倒れる音がしなかったか…?」

 

「五条さんはそんなにパンが食べたいんだ」

 

「違うわよ影男くん。あれは今まで運動会に参加できなかったタイプの人間だから、その分楽しもうとしてるのよ」

 

 真依たちも禪院家の人間だ。同じ五条家の、それも寵児だったら家でどんな扱いを受けてきたか想像できる。運動会とは縁のない人生だっただろう。

 

 真希は嫌なやつの顔を思い出し、うえっ、と舌を出した。

 

「五条さんは撮らないんですか、夏油さん?」

 

「うん、撮らない」

 

 女子たちに手を振りながら余裕の走りでパンにたどり着いた男は、顔に直撃したパンを咥え一着でゴールした。捕まえたのはポイントの応募シールがついた焼きそばパン。それを頬張りながら席に戻ろうとした五条は、女子に囲まれしばらく帰ってくることができなくなる。

 

 

 その後も親子競争でビリの状態から夏油が鬼神の走りで一位を取ったり、フォークダンスで子供たち三人が踊ったり、楽しい時間があっという間に過ぎていった。

 

 

 

 そして閉会式が終わり、帰りの時間になる。撤収作業中に椅子に座ったまま眠りに落ちた三人を見て、夏油と五条は顔を見合わせた。

 

 いったい三人はどんな夢を見ているのだろう。

 

 

 秋の空気が、徐々に深まりつつあった。


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