納合リコの腑に落ちない話 作:ホラー領域
「あ、やっぱりそこ出身なんですねリコさん」
私は軽く頷いた。たまたま見かけた投稿の中に、まさか地元が出てくるとは思わなかった。
おかげで、いました話とつながりがあるんじゃないかって、変に考えてしまう・
「……まあ、流石に違うよね。怖いけど、流石に作り話だろうし」
「でも、読んでて、変にリアルでしたよね。ああいう話ってフィクションだと思ってても、どっかで“あるかも”って思っちゃうんですよ」
後輩くんの追撃を受けて、
私は読むのをやめて、コーヒーに口をつけた。苦味が喉を落ちる感触が、ふいに記憶を引っかける。
「……でも、そうだね。わかるよ。“ありえない”のに、“あるかも”って思っちゃうのって」
「というと」
「実際に体験するとさ、なんていうか、“変なリアルさ”ってあるんだよ。これフィクションだったら逆にチープになるなってくらい、ありふれてて、でも異常で……」
「……もしかして、まだ何かあるんですか?」
私は鼻で笑って、カップを机に置いた。
「“また”じゃないよ。前にも言ったじゃん、私は霊感とかゼロだから。ただ、あのときのは――今思い出しても、ちゃんと怖かったなあ」
「それ、どんな話だったんですか?」
後輩くんが目を輝かせて身を乗り出してくる。少し迷ってから、私はゆっくりと口を開いた。
「アパートに住んでた頃の話なんだけどさ――」
今の職場に来たのが4年前だったかな。その更に1年以上前の話になるんだけどさ。
アパートに住んでいた頃のことを思い出すと、必ずあの夜のことが浮かぶんだ。
東京に出てきてすぐの頃だったんだけどさ。右も左もわからないまま、とにかく目の前の生活をなんとか回すだけで精一杯だった。
なんせ私、貯金もろくに無かったからさ。仕事もとにかくお金が良さそうな工場で働いてた。
初めての一人暮らし。工場の夜勤と日勤が交互に続く変則的な勤務。生活は不規則で、心身のリズムはとっくに壊れていた。駅から徒歩10分、築40年の木造アパート。外階段を上がった二階の角部屋を城にして暮らしてたんだ。
隣の部屋には、いつ寝ていつ起きてるのかよくわからないおじさんが住んでいて、昼間から缶ビール片手にテレビを見ていた。
なんでわかるかって? そのアパートさ、天井も壁も薄くて、誰かが咳をすればそれがどこからの音かまでわかる。そんな場所だったんだ。
まあ私は気にしていなかっけど。……いや、気にする余裕もなかった、かな。
夜勤明けで昼過ぎに帰ると、カーテンを閉めたままの部屋に直行して眠りにつく。朝方の勤務のときは、帰ってきたあと夕食を済ませて、録画したドラマをぼんやりと見て気が付いたら眠りについていた。
不健康すぎるって? まぁ当時はまだ若いから何とかなるかなって思ってたし。
そんな日々の中で、あの出来事が起きた。
最初は、眠りの中に差し込んだほんの小さな違和感。
どこかで、コツン……と小さな音がした。
ベッドの上で私はその小さな音がどうしても気になって、意識をその方へ向ける。ベランダ、私が寝ている部屋にある大窓。そこから響いたから、窓に何かぶつかったのかなって思ってたんだ。
瞬間、窓が割れた。
ガラスが飛び散った、大きな音を立てて、部屋が無茶苦茶になる。理解が進まない頭は次いで、部屋に何かが入ってこようとする音を耳にする。多分、人間。
だから私はベッドから飛び起きて、その侵入者を見ようと目を開けた。
目を開けたとき、部屋はまだ暗かった。
カーテンの隙間から、外の街灯の光がぼんやりと差し込んでいて、時計を見ると午前二時を少し回ったところだった。
部屋のどこにもガラス片は落ちてないし、誰かいるわけでもなかった。しばらくして、「部屋で寝ている夢を見ていた」と納得がいく結論が出て、肩の力を抜いた。
なんだよもー……って言って、もう一度ベッドに体を預けて、考える。
……夢、だったんだよね? と。
夢だったのか、現実だったのか。部屋の様子からして夢以外の何物でもない筈なのに、現実だったかもと疑う自分がいた。
あの音。耳がそれを忘れないでいる。何かが当たるような、やや鈍い音。寝返りを打ちながら顔をベランダに面した、ガラス窓に向ける。
カーテンに隠されているそれは、今もこの部屋とベランダの境界を閉じてくれている頼もしい存在。
ベランダ。
とくに広くもない、洗濯機と物干し竿があるだけの空間。
そこから音がした……ような気がした。だけど、何度思い返しても、確信は持てない。
うん――それが最初だった。
その日から、少しずつ、おかしな夜が始まったんだ。
日を追うごとに眠りは浅くなり、何度も目が覚めるようになっちゃってさ。時計を見ると、いつも決まって深夜二時前後。
眠い目をこすりながら天井を見つめる。そのうち、何かがカサ……と動くような気配に、心臓が跳ねた。虫がいるのかもと思って、殺虫剤片手に部屋中探しまわったりしたっけ。
でも音の正体はわからない。風の音かもしれない。近所の猫かもしれない。そう自分に言い聞かせる。気にすることはあっても……窓のほうに向き直る勇気は出なかった。絶対にカーテンを開けるようなことはしないのは、開けた時そこに誰かいたら怖いから。
部屋中を探して何もないから安心だよねと自分に嘘をついて、掛布団を頭までかぶせて二度寝。
でも、目を閉じても、まぶたの裏に窓が、その向こう側のベランダの様子が浮かんでくる。そこから、誰かが中を覗いている気がして。
だから私は、見ないようにした。聞こえないふりをした。
そんな生活を続けて、一週間、二週間目ぐらいだったかな。満足に寝られなくなったせいで生活が上手く行かないようになってさ。ある日とうとう普段なら絶対にやらないようなミスをやっちゃったんだ。必死に謝って、その内に私の中で「もう終わりにしよう」って決心がついたんだ。
その日の夜、私は布団に入らず、明りを消した部屋の中でじっと待っていた。
これで二時を過ぎても何も音がしなければ、私が気にしすぎだったですむから、そうしたらとっとと寝ようって。待っていた。
そうして待っているとさ、隣の部屋のおじさんのいびきとか下の階の部屋で鈍い足音とかが偶に聞こえてきてね、単にこのどれかの音を聞き間違えていたのかもって、思えてきたんだ。
──コツリ、小さい石がガラスに当たるような音がするまで。
それは投げ当てたってよりかは、誰かが石をもってガラスをゆっくりと叩いたような、そんな音だった。
やっぱり寝ちゃおうかななんて気を緩めていた私は、一種体が固まって、そのあとゆっくりと窓辺に歩み寄り、カーテンの端をそっとめくったの。
カーテン向こう側は暗かった。月明りも見えない深い闇で、何も見えなかった。何もなかった。
……気のせいだよね? そう自分に言い聞かせて、ベッドに戻る。瞼を閉じる。けれど、眠れなかった。
今眠ったらまた夢に、あの音が、侵入者が出てくるって思っちゃって、むしろもう部屋の中にいるんじゃないかって思って。
誰かがそこにいて、じっとこちらを見ているんじゃないかって。ただ、重い沈黙だけが部屋を支配していた。
今日まで見た悪夢の中の私は、最後必ず侵入者を見ようとしていた。でも見ようととすると必ず夢が覚める。ベランダからやってきた侵入者は何をしに来たのか、何故毎回ベランダから入り込もうとするのか、わからなくて怖い。
隙間風。ぬるい風がどこからか入り込み、布団を被っている筈の私にまとわりついた。
その風は、どこからともなく聞こえてきた物音の正体のようで。
はっとして飛び起きた。
やはり部屋は静まり返っている。だが、ベランダの方から、また音が聞こえた。
今度は、もっとはっきりとした「ドン」という音。それにあわせて私の体、いや部屋が揺れた。数瞬後、何か大きなものがベランダの床に落ちる音がした。
心臓が跳ね上がる。空耳じゃないそれに、私はまた窓に近づく。確実に何かがある、怖い。でも、見ないと。
私の意識は音の正体を知るということに支配されていた。震える手でカーテンをめくる。
──サッカーボールがあったよ。
サッカーボールが、ベランダの床に転がっていた。えぇ、とあまりに怖くないものがあったからそんな小さな声を漏らす。少し考えて、近所の子供が蹴りこんだのかと、窓を開けて回収してあげようかなと思って窓のカギに手をかける。
いや、おかしくないか? 思い直して、カギを開けずに手を離した。
真夜中に突然現れたその物体は、どうかんがえても不気味だ。
ここは二階だ、道端でボールを蹴っていても二階まで飛んでいくような蹴り方をするか? まさか投げ込まれたのか、それなら目的はなんだ。
今こうして、私が窓を開けようとしたのが狙いなら? 身体の芯まで冷える。
その時、窓の外の闇の中に、誰かの気配を感じてしまった。
目を凝らしても、何も見えない。
けれど確かに、そこに誰かがいる。見ている、私を見ている。じっと、たくさん、見ている。
呼吸もできないほどの恐怖に包まれながら、私は、カーテンを強く締めて、布団に潜り込んだ。いつもより強く掛布団を握り締めて、怖くない、怖くないって祈って。眠ろうとした
その時、窓の外の闇の中に、誰かの気配を感じてしまった。
目を凝らしても、何も見えない。
けれど確かに、そこに誰かがいる。見ている、私を見ている。じっと、たくさん、見ている。
呼吸もできないほどの恐怖に包まれながら、私は、カーテンを強く締めて、布団に潜り込んだ。いつもより強く掛布団を握り締めて、怖くない、怖くないって祈って。眠ろうとした。
……が、眠れなかった。
心臓の音がうるさい。体中に張り付いたような冷汗がシーツをじっとりと濡らしていく。目をつぶっても、さっきの気配が瞼の裏に張り付いていて、思考を離さない。
そして――
ピンポーン……。
チャイムの音が鳴ったんだよね。
こんな時間に。深夜二時をまわっている。
心臓が跳ねたというより、ひっくり返った。凍った空気が一気に肺に流れ込んできて、喉が乾く。安っぽい電子音がこの世のものとは思えないほど耳に残っていた。
静寂が戻る。部屋の空気はピンと張り詰めていて、針のように肌を刺してくる。
サッカーボールを取りに来た非常識な人間がいるだけであってくれって思いながら、布団の中に隠れてた。
部屋の中には誰もいない。はず。
ドアの覗き穴を見に行こうかと思ったけど、体が震えて言うことをきかないのだ。
ピンポーン……。
またね、二回目が鳴った。
しかも今度は、扉越しに微かに誰かが喋っているような音が混じっていた。……何を、話している? でも内容は聞き取れない。まるで、何人もの声が重なって、何かを囁いているような、そんな音だった。
――ドン、ドン。
今度は玄関のドアが叩かれた。
硬く、重い音。拳ではなく、何か鈍器のようなもので、鈍く、確実にノックしているような。
ドン、ドン、ドン……。
回数が増える。間隔が短くなる。ドアのカギは確かに閉めている、チェーンだってしている。でも、こんな木造アパートの扉じゃだめかもしれない。
私は口を手で塞いだ。声が漏れそうだった。悲鳴を上げたら、それを呼び水に何かが入ってきてしまうような気がして。
携帯電話を手探りで探す。指が震えて、なかなか画面が反応しない。ロックを解除して、警察に電話を――
画面が真っ暗になった。
バッテリーはまだ残っているはずだった。でも、落ちた。再起動しようとしても、何も起きない。
――ドン、ドン、ドン、ドン!!
激しくなっていくノック。
もう、これはノックなんかじゃない。破壊行為だ。ドアを壊す気だ。心臓が、爆発しそうだった。
私は無意識に、一つの助かる方法を考えていた。ボールだ、ボールが目的のはずなんだ。これをベランダから外に落とせば帰ってくれるはずなんだ。
だから、今玄関で誰かが扉をたたいてる間ならベランダには誰もいないはずだ。そうであってくれって。願いながら、布団から出て、ベランダに近づいた。
……カーテンの隙間から、誰かが覗いていた。
間違いなかった。目が合った。私の顔を、まっすぐに見ていた。
真っ黒なシルエット。目だけが、ぼんやりと濁ったように白く光っていて、私と目が合ったら消えた。
その瞬間――ドアのノックが止まった。
息を呑んだ。
耳を澄ます。
……何も聞こえない。
がらんとした静寂だけが、部屋を満たす。
私は、ずっとそのまま動けなかった。
時間が止まったように感じた。音も、気配も、すべてが無くなった。けれどそれは決して「安心」ではなかった。
異常な静けさ。まるで、この世から取り残されたような錯覚。
どれくらいそうしていたかわからない。
気がつくと、外は少し明るくなっていて、朝が近いことを告げていた。
私はカーテンをそっと開けた。
……もう、誰もいなかった。
でも、ベランダの床には、あのサッカーボールがあった。
そして、玄関ドアの外には、なぜか――
真っ黒な手形が、べったりと残っていた。
……って話なんだけどさ、どう? やっぱ長かった?
あはは、さっきの地下通路と違って結構本格的だったでしょ。後輩くん、口を開けたまま固まってるじゃん、思わず笑っちゃったよ。
本当だよ。だから、あれ以来すぐに仕事辞めて、オートロックのマンション探して引越したの。借金してでもあの部屋、もう無理だったから。
後輩くんは、そういう経験ある? へぇ今も家族と暮らしてるんだ。いいね仲良さそうで。
で、それから何年も何も起きてないし、今こうして笑って話せてるんだから、私的にはもう終わった話。……多分ね。
霊感? あるわけないじゃん。うちの職場でも霊感あるって子はいるけど、その子が”いる”って言う場所だと何にも感じないし。
あっもうコーヒーなくなっちゃった。え、淹れてきてくれる? 悪いね。ありがとう。
……で、こんな私が共感できる読者のホラーについてなんだけど……お、もう探しあててるってさすがだね。じゃあ君が淹れてくれている間に読んでおくよ。
ええと、うん。うん?
ちょっと、後輩くーん?
あの、これホラーってより犯罪被害って感じの内容なんだけど。
いやそりゃ犯罪も怖いけど、これなんか違くない?
確かに、「玄関に色付きの妙な落書きがされている時は泥棒の下見のサインです」は結構怖いけどさ。これ載せたら怒られるって。
いや笑わないでよ、君結構いい性格してるね。本当。
next 「寝落ち通話」 7/5更新予定
※前書きにミスがあったので若干修正しました。
設定変更したのを忘れていたことによる弊害、深く謝罪します