ゼロの使い魔〜Warrior of Light〜 作:ヒカセン
少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。
朝の鐘が、まだ微睡む春先の朝に響き渡る。
トリステイン魔法学院の寮の小さな部屋で、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは目を開けた。薄桃色の髪が枕に散り、冷えた空気が頬を撫でる。寝台の脇には磨いたばかりの杖、机の上には昨夜まで開いていた詠唱書と、封をし損ねたままの便箋が一枚。
(今日は、あの日)
胸の奥で、固い結び目がひとつ鳴る。
──サモン・サーヴァント。貴族にとって、そしてこの学院に通う者にとって、何にも増して“メイジであること”を証す日。
失敗すれば退学となる。そしてすなわちそれは、この国において貴族でありながらメイジになれなかった落ちこぼれを意味する。
寝台から降り、ルイズは鏡の前でマントの襟を整えた。結び目は乱れていない。顔色も悪くない。唇にほんのわずか色を差す。背筋は真っ直ぐに──公爵家の名を背負う者の姿勢で。
そしてふと、便箋に手を伸ばしかけ、指を引っこめる。母に宛てた言葉は、昨夜も結局書けなかった。書けば、弱気が滲む。だから書かない。彼女は白紙の手紙を引き出しに仕舞うと、代わりに杖を掴んだ。
「失敗なんて──するわけないわ」
小さく呟いて、部屋を出る。
◇
食堂は焼きたてのパンとスープの匂いで満ちていた。テーブルを行き交う制服の群れ、笑い声と噂話。ルイズはトレイを取り、空いている隅の席へ向かう。そこへ、小さく近付く足音。
「おはようございます、ミス・ヴァリエール」
黒髪の少女が恭しく頭を下げた。学園のメイドであり、この時間には厨房の手伝いをしている庶民の娘──シエスタだ。澄んだ瞳に、純粋な心配が揺れる。
「おはよう、シエスタ。……パン、もう少しもらってもいい?」
「はい、すぐに。……その、今日、ですよね」
「ええ。だから、しっかり食べて力を出すの」
シエスタは嬉しそうに頷き、おかわりのパンを持ってくる。ルイズはスープをひと口。喉に温かさが落ちた瞬間、胸の奥の結び目が少しだけ緩む。
(落ち着いて。いつも通り。書き取りも、杖さばきも、何度も何度も磨いたじゃない)
卓上のざわめきが耳に刺さる。
「今日の“ゼロのルイズ”は一体どんな爆発を見せてくれるんだろうな」
「爆発の後片づけ、またコルベール先生かしら」
匙を置く手が瞬間、固まった。すぐに笑みを作って、立ち上がる。シエスタが心配そうに覗き込むのを、軽く手で制した。
「大丈夫よ。あなたも仕事に戻って」
「……はい、ミス・ヴァリエール。応援してます」
その声は、丁寧で、まっすぐだった。
◇
午前の授業は、いつもより短く切り上げられた。教壇で、丸眼鏡のコルベールが、サモン・サーヴァントについてさらりと確認する。
ルイズは板書を、他の誰よりも丁寧な字で写していく。言葉をひとつ飛ばせば式が崩れる。崩れれば、笑いが起きる。笑いが起きれば──。
(大丈夫。覚えている通り。一言一句、線一つだって間違いはないわ)
教室の扉の向こうから、まだ冬の冷たさを含んだ風が吹きこんだ。紙がめくれ、ルイズはそっと押さえる。指先に、微かな震え。誰にも気づかせない。脆さは、見せれば形を得てしまう。胸の奥に伏せて、公爵家としての誇りの下に隠しておく。
休憩の鐘が鳴ると同時に、廊下の向こうから、からりとした声が飛んだ。
「おはよう、ルイズ。顔つき、悪くないじゃない」
炎色の髪を揺らして近づいてくるのは、キュルケ・フォン・アンハルト=ツェルプストー。艶やかな微笑はいつも通りだが、今日のそれはどこか軽く、肩の力が抜けている。
「フン、当たり前よ」
「ふふ、そうこなくちゃ。それで、ねえ、ルイズ。──頑張りなさいよ」
ルイズは一瞬だけ瞬いた。キュルケはわざとらしく肩をすくめる。
「なによ、励まされるのは意外?」
「…………同情はいらないわ」
「可愛くないわねぇ。まぁ、それでこそあんたなんでしょうけど」
赤毛の少女の瞳の奥に、薄い心配の色が宿っているのを、ルイズは見ないふりをした。強がりは甲冑だ。
少しでも緩めてしまえば、その隙間から言葉という矢が突き刺す。でも、今だけはほんの少しだけ緩めてもいい気がしたのだ。
「アンタこそ、頑張りなさい」
「ふふっ、当たり前よ」
二人は並んで廊下を歩く。中庭へ通じる大扉の先、青空がひらけていた。すでに生徒たちが集まり、半円に並んでいる。教師たちが控えに立ち、儀式用の円陣が中庭に精密に描かれている。
タバサが風に蒼い髪を揺らし、本を閉じて列に加わった。ギーシュが薔薇をひと振りして見物の女子に笑いかけ、モンモランシーに小突かれている。そんな光景が、今日は妙に遠い。
授業の開始を告げる鐘が鳴り、コルベールの声が空に溶けた。
「では、これよりサモン・サーヴァントを始めます。自らの魔力で、縁ある従者を呼びなさい」
◇
最初の詠唱が終わると、小さな梟が光の中から現れた。拍手。次は犬、次は蜥蜴──キュルケの番で、赤い火が渦を描き、サラマンダーが尾で大地を叩いた。生徒たちが歓声を上げ、熱が頬を過ぎる。
タバサの杖先が静かに揺れ、青い竜が弧を描いて降り立った時、空気がひとつ沈黙した。畏怖の色。視線が、自然と最後のひとりに集まっていく。
(来た)
ルイズは一歩、前へ出る。
指先の汗。乾いていく喉。遠くで鳥が鳴いた。
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」
名を呼ぶ声に、彼女は顎を上げた。杖を胸の前で立てる。
(家の名だけでもない。私自身の魔法で、この学園に思い知らせるの。私は……“ゼロ“じゃない!)
詠唱の初めの音を、舌の裏で転がす。語尾ひとつで式の位相は逸れる。何度も鏡の前で練り直した修辞。磨いた発声。空気の厚みに合わせて息の量を微調整する。彼女は知っている。知っていても、怖い。
「──我、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが命ずる。遠き彼方より、我が契約の従者よ、姿を現し、闇を払いて我が身を護りし者となれ」
コントラクト・サーヴァントの詠唱にはある程度の定型文に生徒が思い思いに召喚したい使い魔のイメージに併せてアレンジを加える。そしてルイズもその例に漏れず、彼女は“ゼロのルイズ“と揶揄される今の辛く冷たい闇夜のような今を変えてくれる使い魔を望んだ。
(お願い……応えて!!)
空が、静かに色を変えた。風の線が編み直され、音が遠のく。
周囲の何人かが息を呑む気配。嘲りの用意をしていた視線が、一瞬だけ宙づりになる。
「サモン・サーヴァント!!」
最後の句を結ぶ。杖先が光る。白が弾ける。
轟、と。
──だがそれは、いつもの爆発ではなかった。鋭い衝撃音ではなく、空気が一気に引かれるような、音の輪郭のない衝動。
風が彼女のマントを掴み、髪が舞い、視界の中心に影が立ち上がる。
人の影。背が高い。鈍色の重厚な鎧が陽光を弾き、首元には見慣れぬ紋章。背には重厚な盾、腰には使い込まれた長剣。その堂々たる姿は、まさにどこかの宮廷に仕える騎士そのものだった
「また転移かよ……」
ザラつくざわめきが、一瞬だけ凪いだ。
「に……人間?」
誰かが呟く。コルベールの眼鏡がきらりと光を反し、教師たちが互いに目配せする。
ルイズは脳裏に過ぎる“失敗“という言葉に膝が笑いそうになるのを、意地で止める。
「アンタが、私の使い魔……?」
「いや、俺に聞かれても分からんが……」
「アンタ、人間よね?」
「おう」
短いやり取り。それは周囲の生徒達の耳にしっかりと届き、沈黙を破る笑い声が1つ、また1つと増えていく。
「さすがは“ゼロのルイズ“だ! 人間を召喚しやがった!」
「いや、あの爆発に紛れて雇っておいた家の騎士かそこらの傭兵でも連れてきたんじゃないか」
「それもそうか! あの“ゼロのルイズ“がそもそも召喚自体できるわけが無い!」
サモン・サーヴァントで人間を喚び出すという前代未聞の事態に戸惑う彼女の心を心無い言葉が抉っていく。
「使い魔、召喚。なるほどねぇ……。また転移かと思えば召喚だった訳だ」
混乱するルイズを他所に、男はよく分からない事を呟いて得心がいったように頷いた。そして深いため息を一つ吐くと、場違いな程に余裕のある苦笑いを浮かべる。
「分からんと言ったのは訂正だ。多分俺がお前の使い魔ってやつになる……んだと思う」
「に、人間が使い魔なんて聞いたことないわよ!」
「そう言われてもなぁ……」
今回だけは誰もが認める成功をして、周囲を見返してやりたいと思っていた。だが、結果は成功とも失敗とも言えない予想の斜め上を行くものだった。
いや、周囲の嘲笑を思えば失敗だったと判断しても良いだろう。
「ミスタ・コルベール! やり直しをさせてください!」
「ミス・ヴァリエール、それはできない」
真剣な表情で思案していた様子のコルベールに訴えた一縷の望みすらも絶たれ、いよいよ普通に立つことさえままならなくなる。
俯きスカートの裾を掴みせめて膝は折るまいと歯を食いしばるが、溢れる何かを堪えきれずに視界が滲み始めた、そんな時だった。
「あー、なんかごめんな?」
ふと、ゴツゴツとした感触が頭に触れた。
視線を上げれば、申し訳なさそうな表情の男が頭を撫でていた。
篭手越しでごわついて、不器用でぎこちない。
そもそも貴族の娘に勝手に触れるなんて信じられない。
控えめに言って最悪の行動だったが、ただただ純粋な思いやりを感じさせるその表情と声音、そして頭を撫でる手つきからルイズは慕う次姉の姿を幻視した。
「髪が痛むじゃない……!」
「おっと、悪いな」
それ故にルイズは怒れなかった。それどころか、初対面の男に何故か安心感すら覚えてしまったのだ。
怒れば良いのか悲しめばいいのか、それとも使い魔となることが確定した男が少なくともいい人そうなのを喜べばいいのか。
──最早ルイズの情緒はぐちゃぐちゃである。
「ミス・ヴァリエール、少し落ち着きなさい」
「ミスタ・コルベール……はい」
ようやく思案を終えたのか、コルベールがルイズを庇うように二人の間に割って入る。
「はぁ、ようやく責任者のお出ましか」
「申し訳ございません。私はここ、トリステイン魔法学院で教師を奉じ、この度の使い魔召喚の儀を監督しておりますコルベールと申します」
「俺はそうだな……センとでも呼んでくれ」
今考えたということを隠そうともしない様子で答える男にコルベールは冷たい汗が背中を伝うのを感じる。
(これは、しくじりましたね)
人間が召喚されるという、古代の文献にしか書かれていない異常事態に学者気質の悪癖が露呈してしまったが、本来であれば責任者である自身が一番最初に動くべきだったのだ。彼が呆れても無理はない。
「状況はある程度理解している。んで、最終の確認になるが俺は帰れないんだよな?」
「はい。残念ながら送還の魔法はございませんので」
「そうか。なら俺はこの子の使い魔になるしかないのか?」
「それは……」
コルベールは言い淀む。
トリステインでは見慣れない上等な鎧に只者ではない気配を身に纏う男はただの騎士ではないだろう。ともすれば貴族か、それに連なる者である可能性も大いにある。そんな人物を使い魔にするなど、余りにもリスクが高すぎる。
ただの平民であれば強制も出来たが、今判断するには少なくとも時期尚早なのだ。
「ならない選択肢も、ございます」
そう答えるのが精一杯であった。
そもそも、感情の面でいえば人間であろうと是非彼はにはルイズの使い魔になって欲しい。あれほど努力を積み重ねてきた生徒が報われないのは、余りにもむごいではないか。
「ミスタ・コルベール……!?」
だが、そんな葛藤を知る由もないルイズは恩師の言葉に絶望の表情を浮かべる。少なくとも彼は、このサモン・サーヴァントのルールに則って使い魔になるように説得してくれると信頼し、黙っていたからだ。
「め、命令よ! アンタ私の使い魔になりなさい!」
「いらんと言われたりなれと言われたり忙しねぇな」
「だって、だって……!」
男の言葉は尤もである。今の状況に一番振り回されてるのは彼なのだから。だが、例え人間であってもサモン・サーヴァントをやり直せない以上、彼にはどうしても使い魔になってもらわなければならない。そうでなければ、使い魔を得られなかったとしてルイズは学園を退学になってしまう。
どうやって彼を説得すればいいのか、貴族の娘とはいえ16歳の少女が直面するにはあまりにも複雑怪奇で辛く苦しい現状に、ルイズはそれでもなんとか思考を巡らせる。しかし、
「んー、まぁお前がいいならいいぜ、なってやるよ」
彼の返答は、そんなあっけらかんとしたものであった。
ちなみに主人公の(見た目)装備はナイトのAF5です。