海停。
大小様々な船が出入りし、船乗りたちの怒号と波音が入り混じる巨大な港湾は、暗闇に包まれている空でありながら熱気に包まれていた。
潮の香りと、海鳥の鳴き声。異国の荷を積んだ商人たちの声が、響き渡っている。
その人混みの中を、できるだけ目立たぬよう歩いていた少年――ジュードは、目当ての船を見つけて指を差した。
「たぶんアレだよ、ミラ。あれに乗ればイラート海停に辿り着けるはず」
周囲の視線を気にしつつ、声を潜めるジュード。しかし、彼の心配など意に介さぬ様子で、堂々と歩いてきた少女――ミラは顎を上げて言った。
「ほう、あれがそうか」
ジュードの気苦労も知らず、涼しい顔で船を見やる。
「まぁ、一文無しのミラは無賃乗船になっちゃうけどね」
「使命のためだ。仕方あるまい」
どこまでも真顔で言い切るミラに、ジュードは苦笑を浮かべる。
「あはは……それより、僕はここまでだね。ハ・ミルまでの道はきっと海停の人に聞けばわかると思うし、ニ・アケリアまでの道はハ・ミルで聞けばいいと思うから」
「うむ、ではな。助かったぞ、ジュード」
「ううん、気にしないで」
別れの言葉が自然と口をついて出る。だがミラはふと足を止め、ジュードを振り返った。
「それはそうと、君はこれからどうする? おそらくだが、私を匿ったことはもう……」
「だろうね。……とはいえ、もうやっちゃったことだし、色々言っても今更だと思うから」
肩をすくめ、けろりと笑うジュード。その強がりを、ミラはじっと見つめる。
「そうか。まぁ、私からは頑張ってくれとしか言えんな。私には君をどうこうできる時間がないのでな」
「いいんだ。僕がやりたくてやったことだから」
気丈な笑みを浮かべ、相手を安心させようとする少年。その姿に、ミラは唐突に彼の頭に手を伸ばした。
「うえっ? な、なに?!」
「いや、私にも分からない。君を見ていたら、ついこうしたくなった。以前、読んだ本のせいかも知れん」
大きな手が、少年の頭をやさしく撫でる。ジュードの瞳が驚きに揺れた。
「なんて本?」
「『魔法の手、瞳は鏡』」
「それ、育児本じゃないか。僕は赤ちゃんじゃないよ」
「む。君には適さない方法だったか? 人は元気がない時に撫でられると喜ぶことがあると本で読んだんだが、難しいな……」
くすぐったさと恥ずかしさに、ジュードは耳まで赤く染める。だがその心は、不思議と軽くなっていた。
「……僕、元気ないように見えた?」
「そうだな。少し」
「そっか……あはは、少しは気が楽になった気がする。ありがとう、ミラ」
「ふむ? どうやら元気が出たようだな」
満足げに微笑み、ミラは手を放す。二人の間にあった緊張が、ほんの一瞬、柔らかなものへと変わっていた。
「では、私は行く。ジュード、壮健でな」
「うん、ミラも気をつけ……」
そうしてその場を立ち去ろうとしたミラの別れの言葉だが、最後まで告げられることはなかった。
「見つけたぞ! 金髪の女!」
鋭い声が人混みを裂く。次の瞬間、ざわめきが広がり、二人を包む空気が一変した。
さっきまでひしめいていたはずの人混みは、いつの間にか霧が晴れるように消え失せ、二人の周囲だけがぽっかりと孤立している。港の喧騒は遠ざかり、代わりに武具の金属音と、兵士たちの重苦しい気配だけが押し寄せていた。
ジュードとミラが顔を上げると、そこにはラフォート研究所にいた兵士とは色の違う赤を基調とした兵士たちと、どこかで見たことがある顔の人物の姿があった。
「……えっ? って、あれ? エデさん?」
驚愕の声を漏らしたジュードだが、その驚愕は兵士に囲まれたと戸惑いと、その視線の先によく知る顔があったという二つの意味合いがあった。
「――先生? ジュード先生?!」
兵士の列から一歩踏み出した男――エデが目を見開く。彼はかつてジュードが治療した患者のひとりであり、腰を痛めて診察に訪れ、妻の誕生日にどうしても動きたいと語っていた男だ。
そんな彼が、今は剣を腰に下げ、冷徹な鎧に身を固めて立っている。
「ど、どういうことです? そこの彼女には軍特法によるS級犯罪者の嫌疑がかけられています。そんな彼女と何故あなたが一緒に……?」
「エ、S級って!? さっきの人も言ってましたけど、研究所に侵入しただけで国家反逆罪だなんてどうして……」
一方、ジュードは彼の職業は知っていたようで、エデの言葉にのみ狼狽していた。
「さっきの人? それに侵入しただけって、どうしてジュード先生が彼女の事情を? ――まさか、彼女と一緒に居た男というのは……」
「あっ……」
不用意に言葉を漏らしたことで、ジュードは自らを窮地に追い込んでしまった。
「不用意だぞジュード。どうやらまだ気付かれてはいなかったようだし、無関係を装っておけば、或いは……」
冷静に告げるミラ。だがジュードは苦い顔をして俯いた。
「……しまった。ついさっきまで、バレてる前提で話してたから、つい……。で、でも、S級犯罪者って、どうして……。僕たち、本当に研究所に無断で侵入しちゃっただけで……」
「そ、そうなのですか? それなら、違法ではありますが、ここまでの扱いは確かに……。とはいえ、我々にも詳細は明かされていなくて、突然ラ・シュガル軍全部隊に命令が出されただけですので。ジュード先生とも思いませんでしたし」
「全部隊?! そんな大げさな……」
ジュードの驚愕に、エデは困惑を隠せない表情を浮かべた。
「私もそう思いますが、なにぶん王の勅令ですので我々にはどうしようも……」
「隊長、あまり捕縛対象者に情報を流すのは……下手をすれば、ナハティガル王どころか、騎士王(セイバー)様にも何を仰られるか」
部下の一人が低く諫める。
その言葉にハッとしたエデは、自らが馴れ合いに近い会話をしてしまっていたことに気付き、顔をしかめた。咳払いを一つして、すぐに口を噤む。
「……申し訳ありませんが、ジュード先生。そちらの方共々、ご同行願えますでしょうか? 応戦許可も出ていますので、抵抗はされないで頂きたいのですが……」
硬い声音でそう告げるエデ。その背後では兵士たちが一斉に武器を構え、空気は張り詰めていた。
「そ、それは……」
ジュードは言葉を失い、エデの視線が鋭くぶつかり合う。
一方のミラ。どこか面倒そうに話を聞いており、やはりあまり危機感を抱いていないよう。
――しかし。
「何を躊躇している?」
沈黙の均衡を破るように、鋭い声が飛んだ。その声に、エデの顔色が一変する。他の兵士もまた振り返ると息を呑む。
「え? ……あ、あなた様はっ!!」
慌てて振り向いたエデの瞳に映ったのは、金色の鬢の髪を揺らす一人の少女だった。
年若く見えるその姿は、一見すれば愛らしいとすら形容できるが、彼女のまっすぐに伸びた背筋はその足取りは軍勢の誰よりも揺るぎなかった。
揺れる青のドレスは風を孕み、裾にあしらわれた金の縁取りが光を反射して静かに輝く。白を基調としたスカートは清廉さを象徴するようで、どこか聖女のような気配すら感じさせる。金糸のような髪は丁寧にまとめられ、その瞳は曇りひとつない蒼。冷静さと覚悟を宿したまなざしは、まさに“王”の風格を漂わせていた。
瞬間、兵士たちの空気が一変する。誰もが息を呑み、慌てて姿勢を正すと、一斉にその少女の到着を出迎えるように頭を垂れた。
エデもまた例外ではない。額に汗を浮かべながら、深く頭を下げる。
その異様な光景に、ミラは「誰だ?」と眉をひそめ、首を傾げる。
一方でジュードは、青ざめた表情を浮かべていた。何か思い当たる節があるらしく、その瞳には恐怖の色が濃く滲む。
「ま、まさかあの人……騎士王(セイバー)アルトリア!?」
「……誰だ? せいば?」
「『騎士王(セイバー)』は通称で、本名はアルトリア・ペンドラゴン。ラ・シュガル軍の大総督にして、ファイザバード会戦でただ一人無傷で生還した最強の騎士――つまり、この国で一番強い人だよ!」
「ほう」
ミラはただ感心したように短く声を漏らす。だがジュードの声は震えていた。
「でも……そんな人まで、僕たちを捕まえるために出てきたっていうの?」
絶望を滲ませるジュードの視線を、女性騎士――アルトリアは冷ややかに受け止める。氷のような双眸は一切の感情を映さず、ただ任務を遂行する意志だけがそこにあった。
「彼らを捕縛するよう指示が出ていたハズだ。なのに、何故まだ彼らを捕らえられていない?」
「も、申し訳ありません……で、ですがその……」
鋭い視線に晒され、エデは思わず言葉を詰まらせる。背筋に冷たい汗が伝った。
アルトリアはそんな部下の狼狽など意に介さず、再びジュードたちへと視線を戻す。
「……しかし、情報に間違いはないのか?」
「と、仰いますと?」
「奴らが捕縛指示のあった大罪人に相違ないのかと聞いている。この大した脅威を感じないこやつらが」
「そ、それは……その…………はい、おそらくは……」
どう答えるべきか迷った末に、エデは観念したように答える。内心では否定したかった。だが、相手は曲がりなりにも自分の上司。誤魔化すことなど到底できない。
「そうか。しかし、こんな者たちの捕縛のために私まで駆り出すとは……ナハティガルは何を考えて……」
独りごちるアルトリア。その声は冷たく、だが微かに苛立ちを含んでいた。
「あ、あの……!」
恐る恐る、ジュードが声を発する。
「……大罪人が私に声をかけるとはどういった用向きだ?」
「大罪人って、何かの間違いじゃないでしょうか? 僕たちは確かに勝手に研究所に入っちゃいましたけど、それだけでS級犯罪者だなんて……」
「侵入しただけ?」
アルトリアは僅かに首を傾げ、すぐに横目でエデを見る。
「奴の言葉は確か?」
「わ、分かりません……なにぶん、我々も急に出された指示でしたので……ジュード先生が大罪を犯すような人では無いという思いはありますが……」
戸惑いながらも正直に答えるエデ。その言葉に、アルトリアは再び思索するように瞳を細める。
「それが真実だとすれば、何故そのような者たちをS級犯罪者にしたと……」
「そろそろいいか?」
不意に口を開くのはミラ。
「私は急いでいてな。お前の疑問は、それこそお前のリーダーにでも聞いてくれ」
やはり、この場の空気を気にしていなかったと、船に向かうべく背を見せる。
「あ、ちょっ、ミラ!」
「という訳で私は行く。ジュードのことも私が巻き込んでしまっただけだ。そのように配慮しておいてほし……」
「――待て」
アルトリアの短い一言が、空気を再び緊迫させる。
ミラは一歩進めた足を止め、渋々と振り返った。
「……なんだ? すまないが、こっちにはお前の悩みに付き合ってやる暇はないんだが」
「それは別に構わん。それよりも貴様だ。いや、貴様らか。貴様らを逃がす訳にはいかん。理由は分からないが、お前たちは今ここで処断した方が良さそうなのでな」
その言葉とともに、アルトリアの手がゆるりと腰の剣へ伸びた。
鞘鳴りの音が、港に静かな死の気配を落とす。
「しょ、処断!?」
耳を疑うようなアルトリアの言葉に、ジュードの顔から血の気が引いた。
だが驚いたのは彼だけではない。
「お、お待ちください!」
エデが慌てて前に飛び出し、ジュードたちを庇うように両腕を広げて立ちはだかった。
「ナハティガル王のご命令は捕縛のはずです。それなのに、命を奪うなど何故……?」
必死の訴えに、アルトリアは冷然とした声音で答える。
「考えてもみろ。不法侵入程度の相手に、この私が当てがわれたのだぞ? しかも、命令は捕縛。となれば、だ。奴らにはナハティガルにとって後ろ暗い何かがあるのやも知れん。我々には伝わっていない……あるいは敢えて伏せられている何かがな」
「騎士王(セイバー)様?」
エデが息を呑む。
アルトリアはわずかに目を細め、そのまま言葉を続けた。
「――いずれにせよ、奴らをここで処断すれば、奴の思惑も挫けるだろう。そちらの方が私としては好都合だ」
「で、ですが!」
「そこをどけ」
「ぐあっ!」
次の瞬間、エデの体は無造作に突き飛ばされ、石畳を転がった。
彼を障害にすら数えぬかのように、アルトリアは足を止めることなくジュードたちに迫る。
「エデさん!」
ジュードが叫ぶ。
しかしアルトリアは冷ややかに告げる。
「そもそも卿は奴らに心を砕きすぎている。そんな者にこれ以上の勤めは任せられん。それは……私の役目だからな」
「な、何を……」
エデは呻きながら起き上がろうとするが、その声はアルトリアに届かない。
彼女はすでに剣を抜き払っていた。
刀身は目に見えぬほどの風に包まれ、形状を識別できない。唯一、柄の意匠から「剣」であると分かる程度。
「あれは……っ! まさか聖剣!?」
ジュードは息を呑み、さらに後退った。
一方、ミラは落ち着いた面持ちで剣を見つめる。
「聖剣……そうか、奴があの……」
何かを知っているかのような含みを持った声音。しかし、説明する暇はなかった。
アルトリアが両手で聖剣を握りしめると、纏っていた風が一気に荒れ狂い、暴風のような圧が周囲を襲う。港の兵士たちでさえよろめき、先ほど地に伏したエデにまで強烈な風圧が叩きつけられる。
「私を知らずとも、どうやら聖剣は知っているようだな。……ならば、覚悟しろ! 風王(ストライク)……む?」
まさに刃が振り下ろされようとしたその瞬間。
何か小さな物体がアルトリアに向けて放たれた。
彼女は咄嗟に剣を振るい、それを打ち払う。しかし次の瞬間、炸裂音と共に白煙が立ちこめ、辺り一帯を覆った。
「くっ……これは、煙幕か」
「おいおい、マジかよ。今のは完全に不意をついたはずなんだけどな~? ……ったく、ラ・シュガル最強は伊達じゃないね~」
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