息が白く千切れ、雪煙の中に消えていく。 幾度も角を曲がり、ようやく辿り着いた出口──そこには、既に兵士たちが整然と槍を構え、逃げ道を完全に塞いでいた。
「くっ……既に手を回されていたか」
ミラの眉が険しく寄る。
「ごめん……やっぱ、私のせいで……」
レイアの声は凍えるように弱かった。自分の失敗が連鎖して仲間を追い詰めている、その重さに押し潰されそうになっていた。
「レイアのせいじゃないってば」
ジュードが短く振り返り、彼女の目を真っ直ぐ見つめる。
「それよりもどうします? 流石に万事休すってやつでは?」
Xが肩を竦める。冗談めかしてはいるが、その瞳には焦燥が隠しきれない。
「だが、それでもこんな所で時間を浪費している場合ではないのでな。突っ込むぞ!」
ミラは一歩前に出る。冷たい風が彼女の髪を荒々しく舞わせた。
「ちょっ、待ってミ──」
ジュードの声が最後まで届く前に──
「どけどけーッ!!」
突如、地響きが雪原を揺らした。
別の地区から現れた影が、城門前の兵士たちを次々と薙ぎ倒していく。雪煙の向こうに現れたのは、鋭い爪と大きな翼を持つ魔物──。
「なんだ?!」
ミラの目が見開かれる。
「あれは……ワイバーン?」
マシュの声が震える。
二匹のワイバーンが雄叫びを上げ、槍を持った兵士たちを易々と吹き飛ばしていく。その背に跨る影を見て、ジュードの瞳が大きく揺れた。
風を切って駆けるワイバーン。その背から姿を現したのが、見慣れた男だったからだ。
「ユルゲンスさん!」
「どうやら間に合ったようだな」
ユルゲンスの声は、雪原に轟く雄叫びよりも力強く響いた。
「これはどういうことです?」
Xが問いかけに、ユルゲンスは口元を僅かに緩めた。
「約束しただろう? ワイバーンを貸すと」
「で、でもその……」
ジュードが言葉を詰まらせる。
「私たちが追われているのを気付いていないお前でもあるまい」
ミラが鋭い視線を送る。
「まぁ、そうなんだがな……」
ユルゲンスは頭を掻き、雪を振り落とした。
だが次に口を開いた彼の声音は、真摯そのものだった。
「君たちには借りがある。それも、命懸けの戦いに身を投じてくれたという、大きすぎる借りがね。ならば──その借りを返すため、全てを擲つ覚悟をせねば、釣り合わないというものだろう?」
「そんなこと……」
レイアが震える声を漏らす。
「ですが、それだとミスターは今後……」
マシュが言いかけたが、ユルゲンスは手を挙げて制した。
「なに、気にするな。確かに“売国奴”と罵られるだろうが……それでも、自分の保身のために君たちを見捨てるような真似をすれば、それこそキタル族の名折れというものさ」
「ユルゲンスさん……」
ジュードの胸に熱いものが込み上げる。
「名折れ……」
ジャンヌが小さく呟いた。その言葉に、心の奥にある影がかすかにざわめく。
「それが、お前の誇りか」
ミラが問いかける。
「ああ」
ユルゲンスは力強く頷く。
「ただ、すまない。今回の件、仲間には猛反対されてしまってな。おかげで連れてこられたのは、この二匹だけなんだ」
ワイバーンが低く唸り、彼に傅くように翼を畳む。
「乗り心地は不安だが、勘弁して欲しい」
ユルゲンスは不器用に笑った。吹きつける雪風に帽子が白く濡れ、それでもその眼差しは揺るがぬ炎を宿していた。
「うむ。ワイバーンを連れてきてくれただけでも十分だ」
ミラが静かに頷く。
「そもそも、僕たち一人一人が操れたかどうか怪しかったですし……ありがとうございます、ユルゲンスさん」
ジュードの声には感謝と同時に、不安の影も滲んでいた。
だが、安堵が胸に広がるより早く、別の足音が雪を踏み締めて迫った。
兵士たちの群れ、そしてその先頭に立つ二つの影──。
「……ほう。ジャオの代理の長が、我らに牙を剥くとはな」
ウィンガルの声は、氷柱のように冷ややかだった。
「どういう料簡か、説明してもらえるか?」
「ウィンガル様……」
ユルゲンスは一瞬だけ逡巡したが、やがて胸を張った。
「申し訳ありません。ですが、私には彼らが賊とは到底思えぬのです」
「貴様の理解など要らぬ。貴様らはただ王の命に従っていればよいのだ」
ウィンガルの瞳は剣より鋭く光る。
その言葉に、ユルゲンスの眉がわずかに動いた。雪明かりに照らされる横顔は、決意に強張っていく。
「……そうですね。確かにそれが正しいことなのでしょう。私が……ガイアス王の飼い犬ならば」
「なに?」
ウィンガルの声が低く唸る。
「ですが!」
ユルゲンスの声が雪原を震わせた。
「私には意思がある! 覚悟がある! 誇りがある! その全てを以てして、私は私なのです! ですから……!」
「戯言ね」
プレザが唇を歪める。
「そんな奴がたくさんいたら、それこそ以前のア・ジュールに戻っちゃうじゃない。あなた、あんな時代の方がよかったの?」
「いいえ。それはありえません」
ユルゲンスの眼差しは静かに彼女を射抜いた。
「この国の混迷、それは誰もが望むべくもない未来。間違いなくガイアス様が王になられたことは、民にとっても、そして私にとっても幸福なことでしょう」
「ならば――」
ウィンガルが口を開こうとする。だが、ユルゲンスはそれを遮った。
「だが、王はこうも仰った。民の幸福とは、その生に迷わぬ道筋を見出すことだと」
「それって……」
「さっき、ガイアス王が言ってた……」
ジュードの目が大きく揺れ、レイアも震える声で続ける。
「だけど、今はどうでしょう? 私は迷ってしまっている。何故、彼らがこんな目に遭わねばならぬのだ、と。あれだけ我らのために手を尽くし、命を賭けて戦ってくれた彼らが、と」
「ユルゲンス……」
ミラの胸に、言葉にならぬものが広がる。
「あなたは仰った。王の命に従っていればよいと。──ですが! 私の迷いは本当にそれで晴れるのでしょうか? 本当に私は、幸福なままでいられるのでしょうか? 彼らをどうして救わなかったのかと、どうして助けなかったのだと、王の命に従っていれば、私はこんな悩みに苛まれることはなかったと、心の底から思えたのでしょうか!?」
ユルゲンスの叫びが夜空を突き抜けた。雪を踏む音さえ消え、沈黙が彼の言葉を際立たせる。
「あなた……」
プレザの顔にも、揶揄ではない複雑な色が浮かんだ。
「正直、答えはわかりません。後悔先に立たずと言う以上、後悔するかどうかなど、その時になってみないとわからないものなのでしょうから。──だからこそ! 私は後悔をする前に、自分を省みる前に! 今の自分の心に従うと決めたのです!」
ユルゲンスは拳を握りしめ、声を震わせる。彼の背に積もる雪が、熱を持った体温で音もなく溶けていく。おかげで周囲の兵たちも、戸惑うように互いの顔を見合わせている。
一方のウィンガル。
「……それが貴様の答えか?」
ユルゲンスを見定めるように低く問う。
「ええ、これが私の答え──私だけの答えです。他のキタル族の者とは既に決別しているが故に」
「……よく吠えた」
ウィンガルの目は氷のように冷たいままだった。
「その意気に免じて、その言葉を信じよう。貴様は既にキタル族から離反した大罪人だと」
「気遣い感謝いたします」
ユルゲンスは微かに笑んだ。だが、その眼差しは真剣そのものだ。
「──ミラ殿」
「なんだ?」
「ここは私に任せて、どうか離脱を」
「で、でも!」
ジュードが叫ぶ。
「こんな数、1人で相手なんか……」
レイアの声も震える。
「それでも、あなた方が空を飛ぶまでの時間は稼げましょう」
ユルゲンスは振り返らず、ワイバーンの背に彼らを促す。その背は広く、雪嵐の中にあってもなお揺るぎない壁のようだった。
「ユルゲンスさん……」
ジュードの喉が震え、言葉はそれ以上出なかった。
その瞬間、ミラが決断の刃を下ろすように声を上げる。
「ジュード、行くぞ」
ミラの声は鋼のように揺るぎなかった。
だが、その強さはジュードの胸に深い葛藤を生む。
「え?! で、でも、このままじゃユルゲンスさんは……!」
振り返れば、ユルゲンスは堂々と兵の前に立ちふさがり、まるで一人で軍勢を飲み込もうという気迫を放っていた。その背は巨大で、同時に孤独でもあった。
ミラは短く首を振る。
「これが彼の誇りだというのなら、ここで捕まる方が奴の名を汚すことに繋がる。そうだろう?」
「それは……」
ジュードは言葉を失った。ユルゲンスの決意を見れば、反論するのは彼の心を否定するに等しい。だが、頷けば二度と会えない別れになるかもしれない──その思いが胸を締め付けた。
迷いを振り切れずにいる彼に、ユルゲンスは朗らかな笑みを浮かべる。
「では! 道中お気を付けて! いざ──」
その声を遮ったのは、静かに歩み出る足音だった。
「お待ちください」
皆が振り向く。そこにいたのはジャンヌだった。
「え? ジャンヌ?」
レイアが目を丸くする。
ワイバーンの前で逡巡していた一行を背に、ジャンヌは真っ直ぐユルゲンスの傍へと歩んだ。
ジャンヌは膝を折り、深く頭を垂れた。
「ミラ様。先程までの私をお許しください。私は……エリーゼのことばかりを気にかけ、本来の責務を放棄してしまっておりました」
その声は震えていたが、同時に芯の強さを宿していた。
ジュードの胸に痛みが走る。
「ジャンヌ……」
顔を上げた彼女の瞳には今までにないほどの決意が溢れていた。
「ですが、先程のレイアへの『精一杯励んでいる』という言葉。そして今のユルゲンスへの『誇り』という言葉。この胸にしかと刻みました。……ですので! ここはどうぞ私めにお預けください。必ずや、我が主の旅立ちをお守りしてみせましょう」
「ま、待ってよ! ジャンヌまでって、そんな……!!」
レイアの声は悲鳴に近かった。
ミラはしばし無言でジャンヌを見つめ、やがて静かに頷いた。
「……わかった。今まで世話になった」
「ミラ!」ジュードは抗議しかける。
だがジャンヌは穏やかに微笑み、深く頭を下げた。
「はい。こちらこそ、最後の最後しかお役に立てず、申し訳ございませんでした」
その姿に、ジュードの胸は張り裂けそうになった。置いていけば彼女は──。だが、それこそが彼女の選んだ誇りなのだ。
ミラはワイバーンに跨がり、手を差し伸べる。
「ジュード、急げ!」
「で、でも……」
「あ~、もう! はいはい、こっちの操作はお任せってね!」
Xが声を上げた。
「今までありがとうございました」マシュが深々と頭を下げる。
「え? えっ?! 本当に置いて行っちゃうの!?」
一方レイアは信じられないと、旅立つものと残る者を何度も見比べてしまう。
「時間が無い。置いていくぞ!」ミラの声が鋭く響いた。
「……くっ。ごめん!」
ついにジュードはミラの手を掴み、ワイバーンの背へと引き上げられる。
レイアは涙を滲ませ、マシュに抱えられて別のワイバーンへ。
振り返る最後の瞬間、彼女は声の限りに叫んだ。
「ジャンヌ! ユルゲンスさん!!!」
レイアの悲痛な叫びが夜空を裂いた。
その声を振り払うように、ウィンガルが鋭く命じる。
「逃がすな! 撃ち落とせ!!」
カン・バルクの石畳に響く兵の靴音。彼らが次々と詠唱を開始し、精霊術の光が無数の矢となって空に向かおうとした──その時。
「させません! ──主の御業をここに。我が旗よ、我が同胞を守りたまえ! 我が主はここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)!」
ジャンヌが旗を空に突き立て、力強い声で祈りを紡ぐ。
瞬間、彼女を中心に眩い光が広がり、聖域のような結界が立ち上がった。
放たれたア・ジュール兵たちの精霊術は悉く弾かれ、火も雷も氷も、その光に触れた瞬間に掻き消されていく。
「くっ……」
ウィンガルが奥歯を噛みしめる。
振り返ったミラは、その光に包まれたジャンヌの姿を一瞬だけ見つめ、すぐに顔を前に戻した。
「行くぞ!」
ワイバーンの翼が空気を裂き、カン・バルクの城壁を越えて舞い上がる。
Xの操るもう一匹も後に続き、ほどなくして二頭の影は闇に溶けるように遠ざかっていった。
「忌々しい……」
プレザが冷たい笑みを浮かべ、兵に命じる。
「あなたたち、至急ワイバーン部隊に連絡。決して逃がさないよう伝えなさい!」
「はっ!」
数人の兵が駆け出し、残された戦場には緊張が満ちていく。
静まり返った空気の中、ユルゲンスはゆっくりと息を吐いた。
「さて……彼女らが逃げ切った以上、もはや我らにするべきことは残されてはいないのだが……」
その声音には、どこか達観した響きがあった。
だがジャンヌは毅然とした態度で旗を握り直す。
「それでは、あなたの誇りがただ穢されるだけ。ですから、最後までその手を緩められませぬよう。私もお手伝いいたしますので」
ユルゲンスは思わず目を細め、わずかに笑んだ。
「……すまない」
その短い言葉に込められたのは謝意か、それとも別れの挨拶か。
彼自身にも判別がつかなかった。
「ふ~ん、まだやるんだ?」プレザが退屈そうに首を傾げる。
「時間が無い。早急に終わらせる」ウィンガルの声は冷酷だった。
しかし、ジャンヌは鋭く言い返す。
「そううまく事が運ぶとは思わないことです」
ユルゲンスは大剣を構え、地面を蹴った。
「──ええ。最後の最後までこの意地を貫かせてもらう故、お覚悟を!!」
その雄叫びとともに、ユルゲンスとジャンヌは数多の兵士へと突撃していった。
二つの影が光に飲まれ、炎と雷鳴の渦の中に消えていく。
彼らの誇りを掲げた旗は、なおも夜空に翻り続けていた。
お聞きしたいのですが、1話何文字ぐらいが読みやすいでしょうか?
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