ザイラの森の逃避行
慣れないワイバーンでの逃避行は、ひどく長いものに思えた。突風に煽られ、鱗の硬い背に体を預け続ける緊張感が、誰の心も消耗させていた。
やがて追跡の影を振り切ると、ジュードたちは眼下に広がる深い森へと身を潜める決断を下した。
そこは淡い雪が舞い落ちる森の小道。白く覆われた地面にはわずかな足跡が残り、空は重く垂れ込めた雲の隙間からわずかに青さをのぞかせている。左右を高い岩壁に囲まれたその道は、やがて樹々の影へと続いていく。冷たい風が木の枝を揺らし、まるで時間がゆっくりと流れているかのような、凍てついた静寂の世界だった。
而して彼らの心臓の鼓動だけは、決して落ち着いてくれることはなかった。
一方、その中で唯一落ち着いているミラは、休ませているワイバーンの首筋を撫でつつ、名残惜しげに息を吐いた。
「本来なら、もう少し飛びたいところだったのだがな」
その声音には、不本意さと同時に、まだ飛翔の昂揚を胸に残したまま降りざるを得なかった苛立ちが滲んでいた。
Xが肩をすくめる。柔らかな調子ながら、口にする言葉は現実的だ。
「仕方ないですね~。このまま空を進めば、敵に見つかるのは時間の問題でしたし、流石に地の利――いえ、空の利は向こうが上。どちらかが囮となる作戦でも、突破は難しかったでしょうから」
「そうか……」とミラは短く応じたが、その目はなおも木々の隙間から覗く空を惜しむように追っていた。
一方でジュードは言葉少なに沈黙を守っていた。握り締めた拳は湿った大地の冷たさを感じても緩まず、胸中を渦巻く思いを押し殺すばかりだった。
レイアがその横顔を見つめ、小さく問いかける。
「……ねぇ、ジュード。ユルゲンスさんやジャンヌは、今頃……」
その声は掠れ、言葉の続きを吐き出すことをためらっているかのようだった。
ミラが静かに瞼を伏せる。
「ふむ。彼らには感謝せねばな。おかげでこうして逃れられたのだから」
マシュも頷き、胸に手を当てる。
「はい。あのお二人があの場に残ってくださらなければ、きっと……」
「そうだけど……」とレイアの声は揺れていた。
残された者の心に残るのは感謝と同じくらいの痛み。失われた背を思えば、前を向くほどに後悔が刺さる。
「……ねぇ、本当にこれで良かったのかな?」
とうとうジュードの唇から漏れた言葉に、沈黙が広がる。
ミラはその迷いを断ち切るように、静かにしかし鋭く告げた。
「それは今、語るべきことではないな」
「ミラ……?」レイアが振り返る。
「ここで立ち止まり、彼らのことを思い返しても、何もなるまい。むしろ、ここで立ち止まれば、それこそあいつらの振る舞いは無駄になる。だから――」
「だから、先に進まなきゃって?」ジュードが問い返す。
「そうだ」
迷いのない瞳でミラは頷いた。
Xもそれに同調するように声を重ねる。
「ですね。私たち――というか、マクスウェル様の目的はクルスニクの槍の破壊。それを成し遂げてこそ、彼らに報いれるというものでしょう」
「その通りだ。ゆえに、追手のワイバーン部隊が引いたのを確認次第、ワイバーンでイル・ファンを目指すとしよう」
ミラの言葉は冷徹にさえ響き、レイアは「ミラ……」と胸の奥で小さな痛みを覚える。
だがその場を破ったのは、沈黙を押しのけるように発せられたジュードの声だった。
「待って」
マシュが驚きに目を見張る。
「ジュードさん?」
「どうした? まさか戻ろうなどという――」とミラが険しい視線を送る。
だがジュードは首を振り、決意溢れる眼差しでミラを見つめる。おかげで彼女は笑みをこぼす。
「……ふっ。そんなことを言う君では無かったな。聞こう」
「ありがとう。しばらくなんだけど、このまま歩いて南下した方がいいと思うんだ」
「何故だ?」ミラの瞳が鋭く光る。
「僕達を追ってるワイバーンの部隊が少ないからだよ」
木々のざわめきが、彼の言葉を裏付けるかのように静けさを強調する。
「少ない……でしょうか?」マシュが小首を傾げる。
ジュードは頷き、理路を積み上げるように言葉を続ける。
「うん。こっちのワイバーンはたったの二頭。それは向こうにも知られているはず。だったら、僕たちを確実に捕らえるなら、もっと大規模な部隊を投入すればいい」
ミラは腕を組み、深く頷いた。
「なるほど……確かに、ここまで大した数の追手はいなかったな」
その声を受けて、Xが思案げに口を開く。
「ラ・シュガルとの戦いに備えて、あまり数を割けなかったのではありませんか?」
レイアがはっと顔を上げる。
「そういえば……ハ・ミルって所が襲われたって話だったよね?」
ジュードは周囲の森に耳を澄ませながらも、冷静に推測を口にした。
「おそらく、そのためだね。だから、このままイル・ファンに直行するのは危険なんだ」
「えっと……」とレイアは眉を寄せる。
ジュードはその視線を受け、仲間たちに説明を続けた。
「たぶんだけど、ガイアス王はラ・シュガルからの侵略に備えて、ラコルム海停やハ・ミルに繋がる要地に、ワイバーン部隊を配置してると思うんだ」
湿った森の空気に緊張が走る。
Xは腕を組み、なるほどと小さく呟いた。
「道理ですね。敵国の艦船を押し止めるなら、港や海停は真っ先に抑えるべきですし」
マシュも深く頷き、言葉を重ねる。
「それにハ・ミルが落とされたというのであれば、確かにその辺りへの部隊の配置は必須です」
ジュードは木々の影を見上げながら、続ける。
「そう。だけど、そんな中で僕たちがイル・ファンにワイバーンで向かおうとするとどうなると思う?」
問いかけに、レイアが息を呑んだ。
「それは……」
代わりにマシュが口を開いた。
「道中――いえ、空路を選ぶなら、必ずラコルム海停周辺の部隊の付近を通らざるを得ない、ということですね」
「しかも――」とXが指先で森の奥を指し示す。
「それを避けながら飛ぼうとすると、今度はこの辺りにいる私たちを追いかけてきたワイバーン部隊に見つかる、と」
森のざわめきの中で、ミラは短く笑い、しかし目は鋭さを増す。
「なるほど。ここから向かおうとすると、わざわざ奴らに見つかりに行くようなものか」
「うん」ジュードは力強く頷いた。
「だから少し時間はかかるけど、ファイザバード沼野の近くまで地上を南下してから、ワイバーンでイル・ファンに行った方が安全だと思うんだ」
レイアは真剣な顔つきでその言葉を反芻する。
「なるほど」
仲間の視線を一身に受け、ジュードは問いかけるように続けた。
「どうかな?」
しばしの沈黙ののち、ミラはジュードをまっすぐに見据えた。その瞳の奥には、確かな信頼が宿っている。
「……いいだろう。君の意見を採用しよう。正直私は、ワイバーンの件で時間をかけ過ぎたと反省していた。……だが、ユルゲンスとの繋がりが無ければ、私たちは間違いなくあそこで捕らえられ、為すべきことを為せなかったことだろう。故に、まっすぐ目的地に進めばいいというものではないと、今の私は痛いほど理解したつもりだからな」
「ミラ……」
ミラの言葉に感嘆するジュード。
彼女の口からそんなことが出るなんてという驚きもあるが、それ以上にミラが彼らのことを大事に思っているということが分かったことに素直に喜んでいた訳だ。
ミラの言葉にマシュが背筋を正し、力強く答える。
「了解です」
Xは軽く両手を広げ、少し和らいだ声で笑った。
「ではでは、ワイバーンを連れて歩きましょうか。ミラさんのおかげで、だいぶ大人しく言うことを聞いてくれるようですし」
その言葉に呼応するかのように、二頭のワイバーンが低く嘶いた。木々の間に反響するその声は、森全体を震わせるほど重い。
ジュードはその音を聞き、改めて心を固めるように頷いた。
「そうだね。それじゃあ、行こうか」
こうして彼らは、深き森を抜け、ファイザバード沼野を目指して歩み出した。湿った土の上に刻まれる足跡は重く、それでも確かな未来へと続いていった。
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