バーミア峡谷を進むジュードたちは、鬱蒼とした断崖の奥にひっそりと口を開く洞窟に辿り着いた。内部からは、不気味な光が脈打つように洩れている。まるで生き物の鼓動を思わせる光景に、一行は思わず足を止めた。
「これは……イル・ファンで感じた気配……?」
先頭を歩いていたミラが眉を寄せ、低く呟く。
「ミラ?」
ジュードが不安げに問いかける。
「……どうやら、目的の場所に辿り着いたようだ。気を抜くなよ。何が出るかわからん」
ミラの鋭い視線が洞窟の奥へと吸い込まれていく。その緊張に引き寄せられるように、ジュードたちも一歩、また一歩と足を踏み入れた。
中に広がっていたのは、自然の洞窟というよりも人工的な空間で、全体を包むようにして、薄暗い蒼の光が空間を支配していた。岩肌に埋め込まれるように設置された巨大な装置から絶え間なく紫色の何かが噴き出しており、床には無数の筋が走り、中央にはまるで儀式の祭壇のような円形の構造物が存在している。
その天井からは、幾本もの触手のような根が垂れ下がり、中心には異形の繭のような物体が浮かんでいた。螺旋を描くように伸びる根や蔦が、無数に絡み合う繭を支え、周囲には紫の粒子が舞っていた。粒子はまるで生命を持つかのように空間を漂い、幻想と恐怖が混じり合った光景を作り出している。
そして――その繭に向けて何かを放つ装置の側には、奇妙な構造を持つ密閉された部屋があった。頑強な金属の枠に囲まれたその小部屋の窓からは、人影がかすかに見える。――カラハ・シャールの人々だ。
「これは……」
ジュードが息を呑む。
「どうやら、あの球体にマナを送り届けているようだ」
ミラが指し示す先、天井から垂れ下がる繭状の結晶。その上に座す謎の球体に向かって、紫色の光の正体――捕らえられた人々から奪ったマナの奔流が吸い上げられていた。
「マナを? それは一体……」
理解できない事態にローエンが首を傾げる――が。
「ぐぅぅ……」
呻くような声が聞こえ、全員の視線が吸い寄せられる。装置の一部に閉じ込められた青年――それは間違いなく、クレインだった。
「旦那様!」
ローエンが叫ぶ。普段は冷静な彼の声に、滲む焦燥。
「……いったい、何が起きているの?」
ジュードが唇を震わせる。
「わからん。だが、これさえ壊してしまえばっ!」
ミラが剣に手をかけ、装置へと踏み出そうとする。
「待って、ミラ!」
ジュードが慌ててその腕を掴んだ。
「ん? どうした、ジュード? 何故、止める?」
「不用意に触ったら、またあの時みたいになるかもしれないんだよ?!」
イル・ファンでの悪夢のような記憶が脳裏をよぎり、ジュードの声は震えていた。
「しかし、これは止めねばなるまい?」
「それはそうだけど……」
激しく言葉を交わす二人の背後で、ローエンは冷静に目を細め、魔法陣の構造を読み取っていた。
「……展開した魔法陣は閉鎖型ではありませんでした。余剰の精霊力を上方にドレインしていると考えるのが妥当です」
「えっと……」
エリーゼが戸惑い、ティポが首を傾げる。
「どういうことー?」
「今のは忘れてください。要は谷の頂上から侵入し、術を発動しているコアを破壊できれば助けられる、ということです」
「そうか。では行こう」
ミラが短く言い、瞳に決意を宿す。
ジュードも力強く頷いた。仲間たちの視線が一つに集まり、クレイン救出のために歩みを揃える。
こうして一行は、谷の頂上を目指して駆け出した。
◇ ◇ ◇
谷の頂上に辿り着いたジュードたちは、吹き荒れる精霊力に思わず息を呑んだ。
深い峡谷の中央に、立ち上る紫の光柱。大地を割って出現しているそれは、まるで空と地をつなぐかのように一直線に伸び、周囲の空気すら揺らめかせていた。
光は濃く、そして妖しく輝き、眩いほどの輝度をもって周囲の岩肌や草地を照らし出す。辺りに立ち込める紫の輝きが、不気味な音と共に脈動していた。
「くっ……この高さは……」ミラが険しい顔をする。
「どうするよ?」アルヴィンが肩をすくめて問いかけた。
「時間がありません」ローエンが冷静に告げる。「噴き上がる精霊力に対して魔法陣を展開します。それに乗ってバランスをとれば、無事に降下できるかもしれません」
「つまり飛び降りると?」マシュが眉を寄せる。
「ってことは、コアを狙うチャンスは一度か」
「しかも、ローエンが精霊術を使う以上、遠距離への狙撃はお前頼りだ」
「うわ~、嬉しい信頼だこと」
ミラの言葉に、アルヴィンは銃を手に軽口を叩く。
ジュードは一瞬だけ逡巡し、そして決意を込めて言った。
「……行こう。みんなを助けなきゃ」
「ああ。他に手はない」ミラも頷く。
「ふふふ。なかなか度胸がおありだ」ローエンが目を細め、アルヴィンが横から「見かけによらずな」と笑った。
そんな中、ローエンがふとエリーゼへ目を向ける。
「お嬢さんはここで待っていますか?」
だが、少女は強く首を振った。その手をそっと取ったのはジャンヌだった。
「では、こうしていましょう」
「……うん」エリーゼはか細く答える。
「ふふっ。手は離さないでくださいね」ローエンが諭すように言い、ジャンヌも微笑んだ。
「ええ」
その様子にエリーゼも勇気をもらい、深く頷く。
「では、参りますよ!」
ローエンの展開した魔法陣が鮮やかな光を放ち、一同を包み込む。彼らはその光に導かれ、谷底へと一気に降下していく。
まるで激しい嵐に呑まれるように、周囲からの風に揉まれ、平衡感覚が失われそうになる中――
「見えた! アルヴィン!」ジュードが叫ぶ。
眼下に浮かぶコア。その標的を視認したものの、揺れる光流に阻まれ、アルヴィンの狙いは定まらない。
「だが、こう揺れちゃ……!」
その時、ジュードが決断した。
「これなら!」
彼は迷いなくアルヴィンの胸元に飛び込み、銃口を支える肩となる。片耳を塞ぎながら、体で銃を安定させたのだ。
「……気がきくな」アルヴィンが口元を吊り上げる。
――そして。
狙い澄ました一撃が放たれる。
銃声が轟き、弾丸は正確にコアを撃ち抜いた。
すると、吸収していたマナに耐え切れなくなったと、眉が眩い閃光と共に自壊。閉じ込められていた人々が次々と外へと解放され、谷間に歓声と安堵が広がった。
やがて地に降り立った一行の中で、真っ先に走り出したのはローエンだった。
「旦那様!」
崩れ落ちるように横たわるクレインを見つけると、ローエンの声は震えた。
「……うう」
「旦那様?! 旦那様!!」
「……大丈夫だ。聞こえているよ、ローエン」
ローエンの腕の中で優しい笑みを浮かべたクレイン。
「良かった……」老執事は膝をつき、震える手で主人の腕を握り締める。
「ちょっと診せてください」
すると、すぐにジュードが近づくと、冷静に脈を確かめた。
「ジュードさん?」
ジュードの振る舞いが分からないというローエンにマシュが補足する。
「ジュードさんは医学校で医学を学んでいたことがあるそうです」
「おぉ、それは」ローエンが頷いた。
「……体力が少し消耗してますけど、それぐらいのようですね。おそらくこうして立ち上がれないのは、マナを吸収されたことによる疲労感かと」
ジュードの言葉に目を丸くするローエン。
「先ほども仰っていましたが……マナを吸収とは一体?」
「実は前に似たような装置を見たことがあってね。おそらくだけど、これは同じ物なんじゃないかと」
「そうですか」クレインは安堵の息を吐いた。
「……なにはともあれ、ご無事でなによりです。クレイン様」
涙ぐむローエンを前に、クレインは苦笑しつつ言った。
「はは……すまない。少し先走り過ぎたようだ」
「いえ、旦那様が生きていてくださってなによりです」
その様子を見ながら、ミラは視線を装置へと移した。
「やはり、この装置……あの時、ラフォート研究所で見た物と同じ物か」
「たぶんね」
自分の言葉に短く応じたジュードの言葉を聞きつつ、ミラはクレインに問いかける。
「それで? 結局、何があったというのだ?」
クレインは苦い表情を浮かべた。
「どうやらナハティガルは、ここで何かの実験を行おうとしていたようで……」
「それで強制徴用なんて手を打ってきたと?」
「おそらく。無論、そのことをあの男を問い詰めようとしましたが、親衛隊に捕らえられてしまい、結局会えずじまいで……」
それ以上の情報は無いというクレインには、ミラはただ「そうか」と諦めるように頷いた。
「も―こんなとこ、早く出よ―よ―!」とティポが場違いな調子で叫ぶと、アルヴィンも肩を竦める。「だな。長居は無用だ」
そうして、クレインの救出は済んだと、一行が出口へと向かおうとしたその時――。
突如、爆発した繭が脈動を始めた。光が溢れ、谷全体を揺るがす衝撃が走る。
「危ない、下れ!」ミラが叫ぶ。
繭が裂け、中から這い出してきたのは、強大な魔物だった。
まるで羽化した蝶のように、光の翼は、青から紫へと滑らかに色を変え、天を裂くような威圧感を放っている。天井の高みにまで達するその光の存在は、ただそこにあるだけで圧倒的だった。理屈や言葉では到底測れぬ何かが、この場に降臨した――そんな確信めいた空気が張り詰めていた。
「な、何こいつ……!?」ジュードが目を見開く。
「こやつ、強力な精霊術を纏っています」ローエンが声を低めた。
「こいつを産むのが、奴らの目的か!」ミラが歯を食いしばる。
「でも、待って……この感じ、どこかで……」ジュードの胸に得体の知れぬ既視感が走る。
「分析は倒してからにしてくれ!」
「来るぞ、構えろ!」
ミラが声を荒らげ、アルヴィンが銃を掲げる。
「旦那様は急いで皆さんとここを!」
一方ローエン。今はクレインの体を労わるべきとクレインに叫んだ。
「一応、こちらでも援護いたしますが……」マシュが盾を構える。
「大丈夫です。自分の身は自分で守ってみせますので。それよりも、そちらをお願いします」クレインが強い眼差しで答える。
ジュードは仲間たちを見回し、力強く叫んだ。
「行くよ!!」
◇ ◇ ◇
ミラの双眸が鋭く輝き、手に宿す精霊力が形を成していく。
「はあああぁ!」
弱り切った魔物に向けて、一気にトドメを刺そうと剣を振り下ろす――。
だが、その瞬間、ジュードが声を張り上げた。
「待って!」
振り下ろされる寸前で、ミラの動きが止まる。
「なんだ?! なんのつもりだ!」
鋭い声が響き、ジュードを睨みつける。
ジュードは真剣な眼差しで、言葉を続けた。
「……よく、感じてみてよ」
ミラは訝しげに目を細めた。
「……なに!?」
視線をジュードから魔物に移すと、倒れたはずの魔物の身体が淡い光を帯び始めていた。輪郭が揺らめき、やがて霧のように散っていく。
「これは……」とジャンヌが息を呑む。
光の欠片を見つめながら、ジュードが静かに告げた。
「微精霊だよ」
ローエンの表情に驚きが浮かぶ。
「おお、これは……」
ふわりと舞う光が周囲を照らし、ティポやエリーゼが無邪気にはしゃぐ。
「すごい、すごーい!」
「きれい、です」
やがて霧散した魔物の気配は消え、そこにはただ、澄んだ輝きだけが残っていた。ミラは剣を下ろし、しばしその光を見送る。
そして小さく呟いた。
「……ありがとう」
「……え?」ジュードが目を丸くする。
ミラは苦笑に似た表情を浮かべた。
「我を忘れ、危うく微精霊を滅するところだった」
「あ……うん……」
ジュードは少し頬を赤らめ、照れ隠しのように視線を逸らす。
そんな二人を眺めつつ、ローエンが皆へ呼びかけた。
「さぁ、カラハ・シャールに戻りましょう。みな、大量にマナを吸い取られて相当弱っているようですから」
「だね。途中で魔物に襲われたりしたら大変だ」ジュードもすぐに頷く。
アルヴィンは肩を竦め、苦笑を浮かべる。
「帰るまでがクエストってか。面倒だが、しゃーない」
ミラは皆の顔を見渡し、静かに言葉を結んだ。
「では、行こうか」
仲間たちは再び歩みを進め、谷を後にした。
お聞きしたいのですが、1話何文字ぐらいが読みやすいでしょうか?
-
1000文字以内
-
1~2000文字以内
-
2~3000文字以内
-
3~4000文字以内
-
4~5000文字以内
-
5000文字以上