翌朝。
柔らかな朝の光が差し込む広間にて、ミラはクレインへ問いかけた。
「状況はどうだ? ガンダラ要塞から連絡は来たか?」
しかし返ってきたのは期待とは異なる答えだった。
「残念ですが、まだ……」
「そうか」
短く答えるミラ。その声音にはわずかな苛立ちが混じっている。
隣にいたローエンが静かに補足する。
「それほど、警備は厳重ということですね」
だが、ミラの表情からはすぐには納得の色が消えなかった。
「焦らない焦らない」壁に背を預けながら、アルヴィンが口を挟む。「焦って事を起こせば、却って面倒な事になるのは目に見えてんだからさ」
「うむ……」
ミラは唸るように答えた。言葉の真意は理解している。だが心はなお急いていた。
そんな彼女の様子を見て、クレインがやわらかな声で助け舟を出す。
「お急ぎなら、手配状況の確認にローエンを向かわせましょうか?」
ミラはしばし逡巡し、それから頷いた。
「……そうだな。頼む」
「では、そうしましょう」
そうして一行は皆で庭へと出た。
◇ ◇ ◇
外に出ると、ローエンが馬の手綱を手に彼らの期待を背に受けていた。朝日を浴びたその姿は、どこか出立の気配を濃くしている。
「ではローエン。よろしく頼む」
「かしこまりました」
クレインの言葉に答えたところで、ドロッセルが心配そうに声をかける。
「ローエン、どれくらいで戻ってくるの?」
「そうですね。一日もあれば戻れるかと」
「それなら、もしかしたら明日にはみなさんとお別れかもしれないのよね」
寂しげに言うドロッセル。その横でミラは淡々と返す。
「首尾よく進んでいればそうなるかもしれないな」
するとドロッセルはぱっと表情を明るくし、唐突に声を弾ませた。
「それなら、エリー、ミラ。それにジャンヌとマシュも! 皆でお買い物に行きましょう♪」
「お買い物? 行こう行こう!」
ティポが飛び跳ねながら同調する。
「決まりね♪ さっそく行きましょ」
言うや否や、ドロッセルはミラとマシュの両腕を素早く掴んだ。さらに反対側からはエリーゼが恐る恐るマシュの腕をとる。
逃がすまいという彼女たちの先手に、ミラは目を瞬いた。
「まて、話がみえない」
「エリーとお買い物の約束したもの。明日お別れかもしれないのなら、チャンスは今日だけよね?」
「それはそうだな。行ってくるがいい」
そう応じるミラの言葉に、ドロッセルとエリーゼは嬉しそうに目を交わし合った。
「じゃあ、出発~」
「出発~!」「しゅ、出発~」とエリーゼとティポが元気に声を揃える。
「だから、なぜこうなるんだ? 私が行く必要はないだろう?」
必死に抗議するミラをよそに、腕はしっかりと掴まれたままだ。
「レディ・ミラに同意致します。私が共に参る必要性は……」
マシュも淡々と不満を口にするが、アルヴィンが肩をすくめて笑う。
「たまにはいいんじゃねーの? お前、全然普通の女の子っぽい生活とかしてねぇんだし」
「……今、とても悪意を感じたのですが?」
じとりと睨むマシュに、アルヴィンはわざとらしく目を逸らした。
しかし、何故かフォウは出てこなかった。
「ミラも、たまには人間の女の子っぽいことするのもおもしろいかもよ」
ジュードの言葉に、ミラは腕を引かれながら小さく首を傾げる。
「ふむ、なるほど。だが厳密には私に人の性別の概念は当てはまらないぞ。現出する際に人の女性の像を成したが……」
「大丈夫です、我が主よ。私も傍におりますので」
毅然と宣言したのはジャンヌだった。その表情には奇妙な決意と、どこか楽しげな色が混じっている。
「いや、待てジャンヌ。何が大丈夫なのかがわからんぞ。そもそもお前のその顔、実はお前自身が一番何かを楽しみにしているのではないか?」
「な、何を仰いますか! 私は特段、この都会と見紛う程の喧騒に憧れなど抱いてはなく、ただひとえにミラ様のためを思ってですね――」
必死の弁解をしながらも、その手はしっかりとミラの腕を掴んで離さない。
こうして、女子たちに両腕を引っ張られ、否応なく引きずられる形となったミラとマシュ。彼女たちは笑顔と活気に満ちた一団に混じり、広場へと連れ出されていった。
広場へと駆けていく少女たちの背を見送りながら、クレインはふと空を仰いだ。穏やかな陽光が降り注ぐ中で、彼の目に浮かぶのは安らぎの光景。――それは同時に、守らなければならないものの象徴でもあった。
「……この今の幸せのために、僕も決心しなければいけないかも知れませんね」
ぽつりとこぼした言葉に、すぐ傍にいたジュードが振り返る。
「クレインさん?」
その声音には、僅かな緊張が滲んでいた。
ローエンも目を細めて問いただす。
「旦那様……もしや……」
クレインはゆっくりと頷いた。
「ああ。やはり、民の命をもてあそび、独裁に走る王を、これ以上野放しにすることなんてあってはならないと、改めて決心したよ」
その決意に、アルヴィンの表情が険しくなる。
「……まさか、反乱を起こす気か?」
「え?! それって……!」
ジュードの目が大きく見開かれる。
しかし、クレインの声には揺らぎがなかった。
「ナハティガルの独裁は、ア・ジュール侵攻も視野に入れたものと考えられます。そして彼は、民の命を犠牲にしてでもその野心を満たそうとしている。このままでは、ラ・シュガル、ア・ジュールともに無為に命が奪われ、奴を頂点とした独裁的な世界が生まれてしまうことでしょう。……それは決して看過できることではありません。特に僕はこの地の領主です。僕のなすべきこと、それは、この地に生きる民を守ること」
「……なすべきこと……」
ジュードはその言葉を反芻するように呟いた。
「そう。それが僕の使命なのです。……だからこそ、ここで見ているだけではいけないと」
「クレインさん……」
ジュードの瞳には、尊敬とも羨望ともつかぬ光が宿っていた。
クレインは真っ直ぐに彼を見据え、静かに手を差し伸べる。
「宜しければ、力を貸してくれませんか?」
「え? 僕たち?」
「ええ。私1人で事を起こそうとしても意味はありません。小さなうねりでは、大きな本流を動かすことはできないのですから。……ですが、そんな小さなうねりでも、一所(ひとところ)に集めたその時にはきっと、ナハティガルを凌駕出来るほどの力に、未来になるはずですから。革命という名の、大きな変革に」
その言葉の重みに、ジュードの喉が小さく鳴る。
「……ぼ、僕は」
「大丈夫。何も前線で戦えというつもりはありません。僕たちは、ナハティガルを討つという同じ目的をもった同志。その誓いを、想いを、一つに出来れば、私はとても心強いと、そういうだけですので」
そう告げたクレインは、柔らかな笑みを浮かべていた。差し出された右手は、ただの握手ではなく、未来を共に背負う誓約のように見えた。
ジュードは手を伸ばしかけて……止まる。
胸中を占めるのは恐れか、それとも責任の重さか。彼自身にも答えは見つからなかった。
――だが、その答えを探す時は、永遠に訪れない。
「かっ!?」
鋭い声と共に、クレインの身体が大きく揺れる。
アルヴィンの驚き、ジュードの戸惑い、そしてローエンの絶望。
そんな彼らの視線が一点に注がれる。
それは胸元に突き刺さる一本の矢。
心の蔵に風穴を開けたその矢からは鮮やかすぎるほどの赤が、衣を染め上げるようにあふれ出す。
「……え?」
現実を受け止めきれず、ジュードは声を失う。
「だ、旦那様!?」
ローエンが悲鳴に似た声を上げ、ジュードも叫んだ。
「ク、クレインさん!!?」
「ちぃ!」
アルヴィンだけが即座に矢が飛んできた方向を探る。
すると屋敷の塀の上――そこに弓を構えたラ・シュガル兵の姿があった。
「させるかよ!」
アルヴィンの銃口が火を噴き、兵士の身体を弾き飛ばす。弓が手から滑り落ち、兵士はそのまま庭へと転落した。
二の矢が放たれるか否か、而して生死の確認などしている暇はない。
今は――胸を撃ち抜かれたクレインの命こそが、何よりも優先されるのだから。
「マズイ! この矢の位置は旦那様の心臓を射抜いて……!」
矢が深々と突き立つ。胸を射抜かれたクレインの体がぐったりとしている。
ローエンの顔色が、みるみる青ざめていく。
「ロ、ローエン……」
かすれた声で名を呼ぶ主に、ローエンは必死に首を振った。
「喋らないでください、旦那様!」
「ク、クレイン……さん……」
その場に立ち尽くすジュードの呼吸が荒くなる。
自分が撃たれたかのように胸が苦しく、体がすくんで動けなかった。
「ジュードさん! 早く治療を!」
必死に叫ぶローエンの声も、耳の奥で遠く霞んでいく。
「はっ……はっ……」
「ジュードさん! ジュードさん!!」
「あっ……ああっ……!」
取り乱す少年の肩を、アルヴィンが荒々しく掴んだ。
「ジュード!!」
「っ!!」
突如、頬に痛みが走る。
殴られた衝撃に目を見開くジュードを、アルヴィンが鋭く睨みつけた。
「ちゃんと見ろ! こいつを助けられんのはお前だけだろうが!」
「……あ。う、うん……っ!」
我に返ったジュードは震える指先で術式を描き始める。
光がクレインの胸を包み込むが、溢れ出る血は一向に止まらない。
「くそっ……なんで……なんで血が止まらないんだ……!」
ジュードの焦燥の中、クレインは穏やかな眼差しで彼を見つめた。
「……ありがとう。ジュードさん」
「旦那様っ!!」
「ローエンも、今までよく仕えてくれた……」
「何を……何を仰いますか! 旦那様はまだこれからもカラハ・シャールを、このラ・シュガルを引っ張っていくお方! それなのに……」
「無理を言わないでくれ。自分の体だ。自分の状態は一番、自分がよくわかっている」
その声は、あまりに静かで、あまりに確かだった。
「僕はここまでのようだから……一つだけ……一つだけお前に……いや、あなたに頼んでもよろしいでしょうか?」
「私に? いったい何を……」
「国のこと……この国の未来を、あなたに……」
「それこそ無理です! 私に、そんな力は……」
「無理じゃないはずだ……『あなた』なら……きっと……きっ、と……」
最後の言葉は途切れ、クレインの体から力が抜け落ちる。
ジュードの術も虚しく、二度とその胸は上下しなかった。
「旦那……様……」
「そん……な……」
ローエンの掠れた声が、静寂の中に沈む。
その時、駆け込んできた兵士たちが凍り付いた。
「クレイン様! ……え? これはいったい……」
兵士の狼狽を前に、ローエンは顔を上げ、静かに言葉を発した。
「何か報告することがあるのでしたら、私が聞きます」
「は……はっ! ラ・シュガル軍が領内に侵攻。街中でも戦闘が発生している模様です」
「おいおいおい。なんだかやばくなってきたな」
アルヴィンが吐き捨てる。
「もしかして、侵攻のためにクレインさんを? ……って、街にはミラたちがまだ!」
ジュードが声を震わせる。
「……そうですね。このままここで悲しんではいられない。私たちは、お嬢さまの保護に参りましょう」
「いいの? クレインさんは……その……」
ジュードの言葉に、ローエンは主の亡骸を見つめ続ける。
胸に押し寄せる悲しみを噛み殺し、深く息を吸い込んだ。
「良い訳がありません。ですが、このまま立ち止まり、みすみすお嬢様まで失えば、それこそ旦那様に顔向けできません」
「だな。なら、ちゃっちゃといこうぜ」アルヴィンが短く言う。
「……うん」ジュードも頷いた。
ローエンは最後にクレインの傍らに跪き、深く頭を垂れる。
「……旦那様。旦那様をこのままにして行くことをお許しください……」
その声音には、決意と痛切な祈りが混じっていた。
一礼した彼は兵士へと振り返り、厳かに告げる。
「ここはお任せします。クレイン様のご遺体は、くれぐれも丁重に扱うように」
「はっ!」
涙を堪えたローエンの背に、ジュードとアルヴィンが続く。
三人は迷いなく街へと駆け出した。
燃え上がる戦火の中へ――。
お聞きしたいのですが、1話何文字ぐらいが読みやすいでしょうか?
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