港町サマンガン海停。潮の匂いとざらついた潮風が吹き抜けるその埠頭に、ジュードたちの一行はようやくたどり着いていた。波間にきらめく白い光は美しいが、疲労を背負った彼らにとってはどこか遠い世界の輝きのようにも見える。
「船があるといいけど……」
海を見渡しながら、ジュードは誰にともなく呟いた。その声は希望というより、祈りに近い。
その時、背後から荒い息遣いとともに声が飛んできた。
「ミラ様! ようやく追いつけました!」
駆け寄ってきたのはイバルだった。汗で額を濡らしながらも、その瞳は喜びで満ち溢れている。
「イバル? どうしてここに?」
勢いよく自分に傅くイバルに、ミラが首を傾げてしまう。
「手配書にミラ様を見つけ、心配で馳せ参じました」
忠誠心に彩られた言葉。だがその言葉に、アルヴィンは肩をすくめる。
「ま~た面倒な奴が来たよ」
ジャンヌが鋭く口を開いた。
「イバル。ニ・アケリアを守る使命はどうしたのです?」
「村の者たちも皆、ミラ様の力になることを理解してくれました」
誇らしげに答えるイバルを、ミラは深く息を吐いて見つめた。
「全く……お前という奴は……」
呆れを滲ませるミラ。一方のイバルの視線はミラに釘付けになっていた。だがその眼差しの先に映ったのは、かつての威厳ある姿ではなく――車椅子に座り、足を失った精霊の主の姿だった。
「……ミラ様? そのお足はどうなされたのです?」
声が震える。衝撃に顔色が変わり、握りしめた拳が小さく震えた。
ミラは静かに瞼を閉じ、一行を見渡した。
「……すまない、皆。少しイバルと二人にさせてもらえないか」
「え? でも……」と戸惑うジュードの肩を、アルヴィンが気安げに叩いた。
「まぁまぁ、ジュード君。面倒事を引き受けてくださるってんだから、俺たちはそっと出て行ってやろうじゃないの」
「あ、ちょっと!」
抗議もむなしく、彼は半ば強引に引きずられていくジュード。
Xは「では、私も」と短く告げて後に続き、マシュも一礼して姿を消す。残ったジャンヌが一歩退き、軽く頭を垂れた。
「では主よ。ごゆっくり」
そうして場を去ると、港の喧騒が遠ざかり、静けさが二人を包み込む。
「場所を変えよう」
ミラが促すと、イバルは慌てて車椅子の背に手をかけ、ぎこちないながらも大切そうに彼女を押した。
◇ ◇ ◇
「な、なんですと!? ジャンヌやあの子供は、何をしていたというのだ!!」
近くの埠頭で揺らめく波を見つめながら、自身に起こったことを語るミラに、イバルの顔は絶望に染まる。
「やめろ、イバル」ミラの声は低く、しかし毅然としていた。「これはあいつらのせいではない。私の判断が招いた結果だ」
「俺ならば、そもそもそんな目に遭わせません!」
拳を握りしめ、悔しさに唇を噛むイバル。
「どうだかな」ミラは静かに言い返し、そして遠い目をした。「とにかく、そういうことだから、歩けるようになるために、私たちはこれからジュードの故郷へ行こうと思っている」
「なぜです、ミラ様!」イバルの叫びは必死そのものだった。「そんなどこの馬の骨ともわからぬ奴の故郷に行くなど! ここはニ・アケリアにお戻りください! さすればそのお足もきっと……」
「どうなるというのだ?」
冷ややかな言葉が、イバルの胸を突き刺す。
「え……?」
「ニ・アケリアに戻って何をすれば足は戻る?」
ミラの眼差しは揺らがず、まるで真実を試すかのように彼を見据えていた。
イバルは言葉を失い、唇だけが震える。
「それは……」
「そういうことだ。方法があるのなら、私はどこへでも行くさ」
静かな決意の声。イバルの胸に重くのしかかる。
「くっ……。お世話役は俺なのに……」
呻くように吐き出された言葉に、ミラは小さく眉を寄せた。
「イバル……?」
その問いかけに、彼は激情を抑えきれず叫んだ。
「そうです! 元来、ミラ様のお世話役として我が身を顧みず務める従者――誇り高く尊ばれる御身を支える唯一の巫子! それが俺です! それなのに俺より後に来た女が、巫子たる資格を持たぬ偽者が、お側にいるのがそもそもの間違いだったんだ! だから!」
「イバル! いい加減にしろ!」
雷鳴のような叱責が室内に響き渡った。
「ミ、ミラ様……」
怒声に打たれたイバルは肩をすくめ、視線を落とす。忠誠と独占欲の狭間で揺れた心は、たちまち小さな子供のようにしぼんでいくのだった。
潮風が、湿った匂いを運んでくる。二人きりで立つ埠頭の周囲は、まるで別の世界のもののように喧騒とは程遠い。
そうしてイバルにとっては長い時間が、ミラにとっては一瞬の出来事があっという間に過ぎたと、ため息を一つ吐き、胸元へと手を差し入れたミラ。
「……はぁ。……イバル、お前にこれを託す」
手のひらに収められたのは、小ぶりながらも重々しい気配を放つ円盤状の物――クルスニクの槍から切り出された、"鍵"と呼ばれるものだった。淡く輝く光が石室の暗がりに浮かび上がり、イバルの瞳を釘付けにする。
「これは?」
「これは、私の命と同じくらい大事なもの。四大の命も、これにかかっていると言っていい」
「四大様の!?」
イバルの声が裏返る。精霊の主を崇めてきた村人として、それがどれほど重大なものか瞬時に理解したのだろう。
「いいか、イバル。これを誰の手にも渡らぬよう、守って欲しい」
イバルは震える手で鍵を受け取り、胸に押し当てた。
「そのような重要な役目を……お任せください!」
「頼む。そして――お前はそのままニ・アケリアに帰れ」
「は?」
期待に昂ぶっていた心が、瞬く間に冷水を浴びせられる。イバルは戸惑いに目を見開いた。
「お前の使命はニ・アケリアを守ること。そして、その鍵を誰の手にも渡らぬよう守ること。ならば、私と行動を共にするのはおかしな話だろう?」
「ミ、ミラ様! しかしですね……」
「イバル。何度も言わせるな」
冷たくも揺るぎない言葉に、イバルは「くっ……」と口をつぐむ。
「約束、決して違えるなよ?」
長い沈黙の後、イバルは唇を噛み、絞り出すように答えた。
「……わかり、ました」
彼の胸に去来するのは忠誠か、それとも悔しさか。胸の奥に燃え残る執念は、まだ消えぬまま揺らめいていた。
◇ ◇ ◇
――その頃、石畳の広場に立つジュードは、どこか落ち着かぬ面持ちで遠くに見えるミラとイバルのやりとりを見つめていた。
「まだ話してるのかな?」
港を渡る潮騒に混じって、仲間たちの声が耳に届く。
「あの巫子殿、話長いだろうからな。流石のマクスウェル様も手を焼いてんじゃねぇの?」
アルヴィンが笑い混じりに肩をすくめる。
マシュは控えめに提案した。
「では、この間に船のチケットの手配でもしておきましょうか」
「賛成です」Xが元気よく応じる。「話が終わるのがいつになるのかわかりませんし、すれ違いで行っちゃったとか悔しいですもんね」
「悔しいかどうかはわかりませんが……」とマシュが首を傾げると、ジュードは首を振った。
「僕はミラを待ってるよ」
「では、私も」とジャンヌが毅然とした声で続く。
「んじゃ、後でな」
軽く手を振ったアルヴィンたちは港の方へと歩み去り、ジュードとジャンヌだけが広場に残った。
潮風が頬を撫で、遠くでカモメの鳴き声が響く。待ち時間が永遠に思えるほど長く感じられた頃――向こうからイバルがズシズシと音を立てるように歩いてくる。
「……あ、イバル。ミラとは話し終わっ――」
ジュードが声をかけるより早く、彼は高らかに宣言した。
「見ろ! このミラ様からの信頼の証を!」
「え?」
差し出されたのは、謎めいた光を放つ鍵。だがジュードもジャンヌも、その正体に見当もつかない。
「なんです? それは」ジャンヌが問い返す。
「これこそが、ミラ様からの信頼の証! 即ち、この俺が本物の巫子であるという証拠!」
イバルの目は勝ち誇った光に満ち、口調はいつになく昂然としていた。
「は、はぁ……」と曖昧に頷くしかないジュード。
「いいか? 忘れるなよ! 最初の巫子はこの俺で! 本物の巫子は、この俺だということをな!」
声高に言い放つと、イバルは踵を返し、その場を後にしてしまった。
港風が残響をさらい、呆気にとられた沈黙だけが残る。
「な、なんだったの。あれ?」
「さて……彼のことなど私に聞かないでください」
ジュードの問いかけに、ジャンヌはため息をついた。
その時、ミラが自ら車椅子の車輪を回してゆっくりと現れた。彼女の表情には疲労と、それ以上に深い覚悟が刻まれている。
「全く、イバルにも困ったものだよ」
「ミラ様」
ジュードが問いかける。
「えっと……話はついたってことでいいのかな?」
「ああ。待たせてすまない」
「仕方ありません。あれは基本、人の話を聞かない存在ですから」
「あはは……」
ジャンヌとジュードのやり取りに微笑ましいものを感じたミラ。
「そうだな。悪い奴ではないのだが……まぁ、今はいいか。それより、準備ができたならすぐにでも発とう」
「お、ナイスタイミングってな」
するとアルヴィンたちが声を出しつつ、ミラたちの元へと戻って来る。
「暇だったので、既にチケットは手配しておきましたよ~」
手にした何枚かの紙をヒラヒラと見せながら笑顔を見せるX
「そうか」
「じゃあ、ル・ロンドへ出発だね」ジュードの声に、皆がうなずく。
港の先に停泊する船の帆が風を孕み、次なる旅路の始まりを告げていた。
一行は波音を背に、ル・ロンドへと向かう船へ乗り込んでいった。
昨日は急な体調不良により配信ができませんでした。申し訳ございませんm(__)m
お聞きしたいのですが、1話何文字ぐらいが読みやすいでしょうか?
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1000文字以内
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1~2000文字以内
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2~3000文字以内
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3~4000文字以内
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4~5000文字以内
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5000文字以上