待合室でジュードたちは落ち着かぬ時間を過ごしていた。木の椅子は硬く、窓から差し込む陽光さえ緊張を和らげることはできない。
やがて扉が開き、エリンが戻ってくる。
「母さん」ジュードが立ち上がる。
「おばさん……。あの人、ミラは……」レイアが不安げに尋ねた。
「あの患者さんなら、大丈夫よ。お父さんを信じなさい」
エリンは柔らかな笑みを浮かべながらも、声には揺るぎのない確信がこもっていた。
「うん……」ジュードは胸の奥で小さな安堵を感じる。
「それより、何があったの? 大変なことがあったんだろうけど……」
母の眼差しは優しく、それでいて真剣だった。心配よりも、息子の口から真実を聞きたいという意志が宿っている。
「えっと……その、何から話せばいいかな……」ジュードは視線を宙に泳がせる。あまりに多くの出来事が一度に押し寄せ、言葉が定まらない。
そんな息子の様子に、エリンはふっと微笑んだ。
「ふふっ、大丈夫よ。せっかく帰ってきたんだから、ゆっくり話してちょうだ――」
その瞬間。
「先生! 先生!」
待合室の空気を破るように、扉が荒々しく開け放たれた。駆け込んできた男性の息は荒く、額には大粒の汗がにじんでいる。
「どうしました?」
「じいさんが屋根の修理中に落っこちて……意識がないんだ」
男性の声は切羽詰まっており、背後に差し込む陽光さえも緊迫を煽るようだった。
「わかりました。すぐ行きます。ちょっと行ってくるわ。後をよろしくね」
エリンの返事は早かった。迷いなく白衣の裾を翻し、駆け出す準備をする姿は、母であるよりも先に治療師としての顔を見せていた。
「え……そんな! せっかくジュードが帰ってきたのに!」
レイアが抗議の声を上げる。けれどエリンは優しい眼差しで振り返り、ジュードにだけ一言残した。
「また後で聞くからね、ジュード」
「うん、大丈夫だから。早く行ってあげて」
ジュードはわずかな寂しさを胸に押し込み、笑顔を作って見送った。母の背中が光の向こうへ消えていくと、残された部屋に静けさが戻ってくる。だがその静けさは、どこか取り残されたような心細さを伴っていた。
「忙しないのですね」
ジャンヌが思ったことを口にする。
「まぁ、お医者さん、ここにしか無いしね」
一方のジュードは諦めたように笑うと、「なるほど」とジャンヌは納得する。
そうして生まれた短い沈黙のあと、レイアが不意にジュードへと視線を向ける。大きな瞳に茶目っ気を宿し、そっと彼の頬へ指先を伸ばした。
「……そういえば、泣きべそ、もうかかないんだね? ミラが心配だよーってさ」
指先のひんやりとした感触に、ジュードは一瞬驚いたように瞬きをする。レイアの笑顔は悪戯っぽく、しかしその奥にはどこか懐かしい温かさがあった。
「なんだよ、それ。昔からほとんど泣いたことなんてないよ。それに泣きべそ掻いていたのはどっちかっていうと……」
言いかけて、ジュードは慌てて口を噤む。
「なに?」
レイアが首をかしげる。
「いや、なんでも……」
曖昧に言葉を濁してごまかすジュード。
彼女は納得のいかない顔をしながら、首を傾げた。
「それはそうと……レイアこそ、どうしてうちで働いてるの?」ジュードが話題を変えるように問い掛ける。
「え?」
「だってレイア、別に医者を目指してる訳でもないでしょ?」
「そうなのですか?」
「そ、それは……」
ジュードとジャンヌの追及に言葉を詰まらせ、視線を泳がせるレイア。その頬がほんのり赤くなるのを、ジュードは気にした風もない。
その時。背後の診察室の扉が重々しく開き、低い声が割り込んだ。
「社会勉強の一環として預かっているに過ぎん」
「大先生」レイアが姿勢を正す。
「父さん……」ジュードの声はかすかに緊張を含んでいた。
ディラックは眼鏡越しに二人を見渡し、淡々と告げる。
「普段接しない相手と接することは、宿泊処の娘であるレイアにとって、貴重な経験に繋がるだろうからな」
「そ、そうそう! そんな感じそんな感じ」
レイアは気まずそうに笑いながら、慌ててディラックの言葉に同調したが、どこかしらごまかしの色が濃かった。しかしその軽い調子を父親は一顧だにしない。眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、次の矛先をジュードへと向けた。
「お前にもそんな経験を積ませるために、イル・ファンでの生活を許したのだが……」
言葉を切り、彼は息子をまっすぐに射抜くように見つめる。
「どうしてそんなお前がここにいる?」
「それは……」
返答を探そうとしたジュードの喉が詰まる。父の視線の重さに押し潰されそうになる。
「……まぁいい」ディラックはそれ以上を問わず、踵を返した。「こちらへ来なさい」
重々しい声に従い、ジュードはレイア、ジャンヌと共に奥の部屋へと足を進める。薬草の香りが濃く漂う室内。その中央の寝台には、穏やかな寝息を立てるミラの姿があった。
「ミラ!」
ジュードは息を呑み、思わず駆け寄る。
「ミラ様!」
ジャンヌも声を上げ、寝台の傍にひざまずいた。
「安心しなさい。今は眠っているだけだ」
ディラックの冷静な声が二人の肩を撫でるように届く。
「そう……」
安堵の吐息を漏らしながら、ジュードはミラの傍らに立ち尽くした。だが、次の瞬間――
「彼女は足の怪我だけではない。合併症による免疫力低下も著しい」ディラックの声が鋭くなる。父ではなく医師の顔。その厳しさが矢のように突き刺さった。「なぜ無理をさせた」
「……」
ジュードは言葉を失う。
「答えなさい! 学校で教わらなかったとは言わせん」
叱責の声は鋼のように硬い。ジュードの胸が締め付けられ、喉の奥からやっと搾り出すように言葉がこぼれる。
「すみま……せん」
「あまり彼を責めないでください」その場を支えきれず、ジャンヌが割って入った。真剣な眼差しをディラックに向ける。「これは我が主が己の意思で決めたこと。それはジュードの責任では決してなく……」
「君は黙っていなさい。今はジュードと話しているんだ」
ディラックの声は一切の反論を許さぬ冷徹さを帯びていた。
「で、ですが……」
食い下がろうとするジャンヌ。しかし彼は気にせずジュード見る。
「彼女には体の状態を告知したのか?」
ディラックの声が、静まり返った診察室に低く響く。その視線は鋭く、逃げ場を与えない。
ジュードは一瞬ためらったが、唇を噛み、やがて絞り出すように言った。
「話したよ。……父さんなら治せるかもしれないって」
「話にならん!」
ディラックの怒声が、冷たい壁に跳ね返って部屋を震わせる。
「どうして? 父さんは前に、足を失った人を歩けるようにしたことがあるんでしょ!?」
ジュードは必死に食い下がる。拳を握り、ミラの眠る寝台を振り返りながら。
「いいか? ジュード」父は低く、しかし鋼のように硬い声で言い放った。「お前の言っているのは医療ジンテクスという物のことだ」
「医療ジンテクス……」
その単語を反芻しながら、ジュードの胸に冷たいものが落ちる。
「そうだ。どこで聞いたのかは知らないがそれはいい。だがいいか? あれはお前が思うほど生易しい施術じゃないんだ。諦めなさい」
「でも! あれがあれば、ミラはまた歩けるようになるんでしょ!? なら……!」
ジュードの声は震えていた。焦燥と願いが入り混じる。
「ジュード!」ディラックは一歩踏み出し、眼鏡の奥から息子を射抜く。「あれは神経に直接繋ぐ。しかも、その神経を覆うものもない状態でだ。つまり、神経が常に外気に晒されているに等しい状態になり、足があるというだけで痛みに襲われかねん代物だ。常人には、まず耐えられん」
冷徹な説明が刃のように突き刺さり、ジュードは一瞬息を呑んだ。しかし、諦めることはできない。
「それでも……それでもミラはきっと……!」
その言葉に、父の表情はさらに厳しくなる。
「大体、お前、学校はどうした? 先ほど彼女から聞いたぞ。ガンダラ要塞に行ったそうだな」
「それは……」
心臓を握り潰されるような痛み。父の追及に、ジュードの声が途切れる。
「お前のような学生が、なぜそんな所へ行った? いつからお前は、そんな危険なことに関わって――」
「……もう、いいよ!」
堰を切ったように叫んで、ジュードは父の言葉を遮った。視界が滲み、呼吸が乱れる。
次の瞬間、彼はドアに手をかけ、勢いよく診察室を飛び出した。
「ジュード!?」
レイアが慌てて叫ぶ。
「ジュード……」
ジャンヌの声はかすかに震えていた。
その時、ちょうど廊下の向こうからエリンが戻ってくる。戸惑いを隠せないまま、走り去る息子とすれ違った。
「……何かあったの?」
彼女の問いかけに、ディラックは無言で立ち尽くす。瞳の奥に沈む影は、父としての苦悩か、それとも医師としての冷徹な意志か――判別はつかなかった。
お聞きしたいのですが、1話何文字ぐらいが読みやすいでしょうか?
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1000文字以内
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1~2000文字以内
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2~3000文字以内
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3~4000文字以内
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4~5000文字以内
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5000文字以上