次の目的地
蒼く静まり返った海の上を、一隻の巨大な船が音もなく滑るように進んでいた。船体はまるで二艘の船を横に並べたかのような異形をしており、その上に広がる無数の帆は、まるで白銀の翼のように青緑色をした空の光を受けて柔らかく輝いている。
潮風を孕んだ帆が軋む音が、静かな海原に響き渡る中、追っ手をなんとか振り切った一行は、船の甲板で束の間の安堵を得ていたが、その空気の中でエリーゼの表情は沈んでいた。
彼女は振り返る。すでに水平線の向こうへと消えたル・ロンド。その町に残してきた人物の姿が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
「……あの人。レイアのお姉さんは、大丈夫でしょうか?」
小さく零した問いに、風よりも先に反応したのはレイアだった。
「あ~、大丈夫大丈夫! 見たでしょ? あれ。ああなったお姉ちゃんは、もう誰にも止められないから」
頼もしげな声音に、ジュードが頷く。
「うん。だから街の警備主任とかもしてるんだもんね」
アルヴィンも口の端を上げる。
「確かに。そんな奴なら心配はいらねぇな」
船を撫でる波音に混じり、緊張がひととき和らぐ。だがすぐに、ミラが切り込んだ。
「それはそうと、レイア。何故、私たちを追ってきた?」
「え?」と目を瞬かせたレイアに、ミラの瞳は冷ややかに向けられる。
「我々の旅が大変なのは気付いているだろう? 今回のようにラ・シュガル軍に狙われる可能性だってある」
レイアは息を呑み、答えに詰まった。
「それは……」
ジュードも眉をひそめる。
「そうだよ、レイア。色々あったせいで、良いとかダメとか言えなかったけど……マルタさんの言葉が本当なら、ソニア師匠(せんせい)たちに内緒で来ちゃったんでしょ? それは絶対にマズイよ……」
言葉の重さに押され、レイアの肩が小さく震える。だが、すぐに胸を張り、声を荒げた。
「わ、分かってるって! 分かってるけど来たんだよ!」
「何故だ?」と、ミラの視線が鋭さを増す。
「それは……」レイアはすぐさま鞄を漁り、一枚の手紙を取り出すと、真っ直ぐミラに差し出した。「……ちょっとこれ、読んで!」
その仕草を不思議そうに見つめるエリーゼ。
「なんですか、あれ……?」
ローエンは肩をすくめる。
「さて?」
「細かいことはそれに書いてきたから、見て」レイアは真剣な表情で続ける。「あと、絶対に他の人には見せないでね」
「僕たちと一緒に行く理由を?」とジュードが尋ねる。
レイアはこくりと頷く。
「うん、百個くらいある」
「百個?!」ジュードの声が甲板に響く。
そんな騒ぎを余所に、手紙を受け取ったミラが静かに目を通す。紙をめくる音だけが、波と風の間に響いた。
やがて、ミラの唇に柔らかな笑みが浮かぶ。
「……ふふ、なるほど」
「ミラ?」と怪訝そうに尋ねるジュードに、彼女は頷いた。
「いいだろう。一緒に行こう。気に入ったよ、人間らしくて。ふふふ」
「い、いいの?」
「ああ。これだけの理由を示されては仕方あるまい。ふふふ」
「?」
ミラの答えに、皆は首を傾げる。何が書かれていたのかは誰にも分からない。ただ、レイアの目には決意の光が宿っていた。
「さって、お許しが出たとこで……みんな、よろしくね♪」
彼女は船灯の明かりを受けて、笑顔を咲かせた。
「よろしくー!」とティポが跳ねる。
「よろしく、です」エリーゼも控えめに続いた。
甲板の片隅から、Xが苦笑混じりに呟く。
「随分な大所帯になりましたね~」
「それでも、なすべきことは変わらんさ」
ジュードはそんなミラの横顔を見つめ、ふとローエンに向き直る。
「だね。……そういえば、ローエン」
「なんでしょう?」
老紳士は穏やかな笑みで返事をする。
「乗る時、バタバタしてて聞きそびれちゃったんだけど……」
その言葉に、アルヴィンが先んじて口を挟んだ。
「この船がラコルム海停行きってことか?」
ジュードは頷き、仲間たちの視線が一斉に自分へ集まるのを感じた。
「ラコルム海停、ですか?」
エリーゼが小首を傾げ、エリーゼに抱かれていたティポが顔を出す。
「どこそこー?」
しかし、ジャンヌは苦笑を浮かべるばかりだった。
「さぁ? 私も地理に明るくはないので」
その場の戸惑いを見計らったように、マシュが淡々と説明を添える。
「ラコルム海停はア・ジュールの首都、カン・バルクに最も近い海停となります」
「えっと……つまり?」とレイアが首をかしげると、ジュードが表情を引き締める。
「僕たちが目指したいイル・ファンはラ・シュガルの首都。それなのに、どうしてア・ジュールの方に行っちゃってるのかってことだよ」
「……あ~、なるほど」
レイアがようやく合点がいったように頷く。
「うむ。そういうことなら、私も気になるな」
ミラの声音は静かだが、その瞳には鋭い光が宿っていた。
ローエンは一呼吸置き、潮風を軽く吸い込んでから語り始める。
「端的に言うと、この戦力では現在のガンダラ要塞を突破するのは不可能だと思われるからです。以前、ミラさんが負傷され、脱出を試みた折にゴーレムの起動を確認しましたが、みなさんがカラハ・シャールを去った後も、ガンダラ要塞のゴーレムは起動したままとの情報を得ました」
「ゴーレム?」
その響きに、ミラは興味深そうに首を傾げる。
「ち、ち、地の精霊を使った人間の兵器……なんですよ」
エリーゼが震える声で補足する。彼女の指先が小さく握り締められているのを、ジュードは見逃さなかった。
「ほう」
ミラは短く感嘆の息を漏らすが、その瞳はなお冷ややかに輝いている。
「ミラはあの時、倒れてたから知らないと思うけど」
「うむ、そうだな」
ジュードとミラのやり取りを受け、ローエンが重々しく告げる。
「アレと戦うには、師団規模の戦力と戦術が必要になります」
「我々だけでは不足という訳か」
「ええ。騎士王さんのお力をお借りできれば、問題は無かったでしょうが……」
その言葉に、Xが苦笑しながら肩を竦める。
「流石に無理ですね~。そんなことをしたら、今度はアルトリアちゃんが賊扱いされて、少なくともカラハ・シャールの自治権関係で、町は再び戦火に巻き込まれるでしょうから」
ローエンは小さく頷いた。
「ええ」
「でも、なんでそれでア・ジュール?」とレイアが問いかけると、すぐにXが片眉を上げる。
「もしかして、ア・ジュール側の陸路を経由して、イル・ファンへ向かうおつもりで?」
「はい」
ローエンの肯定に、甲板の空気がざわめく。
「ほう、そりゃまた」アルヴィンは顎に手を当て、皮肉げに笑う。「でもよ、ファイザバード沼野はどうすんのよ?」
ジュードは小さく息を吐き、アルヴィンの疑念に理解を示すように頷いた。
「そうだよね」
その言葉に同調するようにマシュとXも頷く。三人の間に流れるのは「問題を直視するべきだ」という共通認識だった。
一方、事情をのみ込めずにいる顔ぶれ――ミラは腕を組み、エリーゼは不安そうに首を傾げ、レイアとジャンヌは互いに顔を見合わせる。ティポはといえば、ただ首を左右に揺らしながらきょとんとした様子を見せている。
重苦しい沈黙を破ったのは、マシュの冷静な声だった。
「ファイザバード沼野はイル・ファンの北にある広大な沼地の名前です」
「ガンダラ要塞と対をなす、ラ・シュガル最大の自然要害って言われてるんだ」
ジュードが補足するように説明を加えると、Xも肩を竦めながら口を開いた。
「ちなみに東は海、西は山脈がありますので」
「ふむ。守りは完璧だな」
ミラの感想は端的だった。その声には、理解よりも直感で状況を捉える強さがあった。
「でもそれなら、そこを通るのって無理なんじゃないの?」
レイアが素直な疑問を口にすると、アルヴィンが顎をさすりながら答える。
「ああ。あそこ、霊勢が滅茶苦茶で通り抜けられないって話だったと思うけどよ」
ローエンは彼らの視線を受け止め、落ち着いた声で告げる。
「いえ、変節風が吹きましたので、現在は地霊小節(プラン)に入りました。つまり……霊勢が火場〈イフリタ〉から地場〈ラノーム〉になったこの時期であれば、ファイザバード沼野も落ち着いているはずです」
「全然わかりません……」
エリーゼは困惑の色を隠せず、か細い声で呟いた。
「安心しろ。私もわからん」
ミラの淡々とした言葉に、緊張がわずかに和らぐ。
「えっと、つまり……」とジュードが考えをまとめかけると、アルヴィンが軽く手を振った。
「ま、とりあえず問題なさそう、ってことでいいんじゃねーの?」
「はい。いいってことです」静かに微笑んだローエンは頷きつつも、すぐさま気を引き締める。「時間もあまり残されていないようなので」
「何が―? なんで―?」
ティポが首を傾げると、老紳士の声は一段と重みを増した。
「先ほど、ガンダラ要塞のゴーレムは起動したままと言いましたが、これはラ・シュガルが開戦準備を始めた証と思われるからです」
「開戦って……まさかア・ジュールと!?」
ジュードの声には驚きと恐怖が入り混じっていた。胸の奥に冷たいものが走り抜ける。
「おそらく」
ローエンの簡潔な答えが、甲板に重く落ちた。
Xは小さく肩を竦めて付け加える。
「確かに、ナハティガルに何らかの大きな動きがあるって情報は掴んでますけどね~。当然、上からの情報なんて貰えないので、憶測が多分に含まれてますけど」
「戦争……ですか? 怖い……」
エリーゼは呟きつつ、つい側に居たジャンヌに抱き着いてしまう。
それを優しく受け入れたジャンヌを横目に、ミラは目を細め、海の彼方を睨むように言った。
「ナハティガルが動き出したということは、奴に勝算が生まれたからということになるだろう。そして、奴が持つ他にはない武器となると……」
ジュードはごくりと唾を飲み込む。
「……もしかして、クルスニクの槍?!」
ローエンは静かに首を振る。
「私はその物を見たことはありませんので、詳細はわかりません。……ですが、ミラさんが必死に追いかけるほどの物です。それ相応の力は有しているかと」
「そうだな」ミラの声は低く、決意を帯びていた。「あれがマナを集めることぐらいしか私もわかってはいないが……それだけのマナを集めているとなれば、大量破壊兵器としての機能は十分にあるだろう」
「そんな……」
ジュードの胸に重苦しい絶望が広がっていく。
だが、ミラの瞳は揺るがない。
「だからこそ、戦争などに使われる前にクルスニクの槍を破壊しなくてはな」
「……だね」
ジュードの声は決意に満ちていた。その瞳には迷いがなく、仲間と共に進むべき道を真っ直ぐに見据えている。彼を中心に、甲板に立つ面々の士気は少しずつ高まりつつあった。
だが、その中でただ一人、アルヴィンだけは肩を竦めて気楽な笑みを浮かべていた。
「ま、何でもいいさ。この逃亡生活が早いとこ終わってくれるんならさ」
「ちょっと、アルヴィン」
ジュードがたしなめるように声を掛ける。真剣さの混じった眼差しに、アルヴィンはどこ吹く風とばかりに片手を振った。
「俺はほら、エリーゼ姫の護衛のためにいるだけだしな」
「いやーん、うれしー! アルヴィン君は友達だねー♪」
ティポが両手を振ってはしゃぐ。
「お前じゃねーよ」
即座に切り返すアルヴィン。
「Σ(゚д゚lll)ガーン」
わざとらしい悲鳴を上げて項垂れるティポに、エリーゼは小さく笑ってから、真っ直ぐにアルヴィンへ頭を下げた。
「ありがとう、です」
その礼に、彼の口元がわずかに柔らぐ。だがその瞬間――
「やるじゃん、アルヴィン君!」
レイアが悪戯っぽく笑いながら背中を叩く。
「お前まで、君付けって……」
アルヴィンは溜息混じりにぼやいた。
そんなやり取りに、冷静な声がこだまする。
「ともかく、行く先は見えた」
ミラが凛とした調子で告げ、視線を前方へ向ける。朝焼けの海の彼方、まだ見ぬ運命の地を見据えるその眼差しは揺るぎない。
「後は、クルスニクの槍を破壊するため、急いでファイザバード沼野を目指すだけだ」
「うん」
ジュードも力強く応じた。胸の奥に広がる不安は消えない。だが、それ以上に仲間たちと共に立ち向かう勇気が、確かに彼の心を支えていた。
船は波を裂き、暗闇の中を進み続ける。目指す先に待つのは苦難か、それとも希望か――その答えはまだ誰にも分からなかった。
お聞きしたいのですが、1話何文字ぐらいが読みやすいでしょうか?
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