川べりに出たジュードは、涼やかなせせらぎの音に耳を傾けながら歩を進めていた。陽光を反射してきらめく水面。その中で、見覚えのある影がはしゃぎ回っているのを目にして、思わず足を止める。
「はっ! なかなかやりますね!」
「フォウ、フォーウ!」
「ふっ、当たりませんよ!」
水飛沫が弧を描き、川面に無数の輪紋が広がっていく。そこで夢中になって遊んでいるのはXとフォウだった。二人はまるで子どものように、互いに水を掛け合い、声をあげて笑っている。
「えっと……何してるの? あの2人」
呆れ半分、微笑ましさ半分の声を漏らすジュード。
隣に立つマシュが、いつもの落ち着いた口調で答えた。
「どうやらお二人とも意気投合されたようで、どちらが多く水を相手に当てられるかを競い合っているようです」
「なるほど……」
ジュードはつい呆れつつも、その光景を再び眺める。水しぶきに透ける光、無邪気に跳ねる声。いつもは戦いと緊張に覆われている旅の中で、ふと訪れた小さな平和の時間だった。
しばらく無言で並んでいたが、ジュードは気づけば口を開いていた。
「ねぇ。マシュはさ……今、楽しい?」
マシュはわずかに瞬きをし、視線をジュードへ向ける。
「楽しい……と、仰いますと?」
「あ、いや……ほら、マシュってさ。たぶんお金に目がくらんだアルヴィンに無理矢理付き合わされる形で、僕たちと逃亡生活をすることになってるんでしょ? だから、もしかしたらマシュは嫌々ついてきてるのかなって思って。あんまり2人っきりになることもなかったし、何となく聞いてみたくて」
「なる、ほど……。そう、思われていましたか」
ジュードの言葉に躊躇いがちに語るマシュ。
「もしかして、違った?」
おかげでジュードが首を傾げてしまうも、マシュはすぐさま返事をする。
「いえ、中らずと雖も遠からずではありますが……」
マシュは一度川の方へ視線を戻し、短く息をつく。その横顔に浮かぶ表情は、柔らかいけれども、どこか遠いものだった。
「……正直、私にはわかりかねます」
「わからない?」
「はい。私は今まで、何かを望んできたことはありませんでした。こうして傭兵をするのも、つい最近になってからですし。もっと言えば……こうして多くの人に、街に、この世界に触れること自体が初めてでしたから」
「そうなの? もしかして、マシュもエリーゼと同じでどこかに閉じ込められてたとか?」
「それは……」
マシュの言葉はそこで途切れた。川のせせらぎが、答えを遮るように響く。
ジュードはすぐに首を振り、苦笑いを浮かべた。
「あ、いや……言い辛いことならいいんだ。触れちゃいけないことだったら、ごめんね」
「いえ、そういう訳では……」
マシュはかすかに唇を動かしたが、やはり言葉にはならなかった。
そんな彼女に、ジュードは穏やかに言葉を重ねる。
「でも……そういうことなら、なおのこと楽しまないとだね」
「……楽しむ?」
「だって、誰かに追われているだけの人生って、何か嫌じゃない? それならさ、せめてこの時間をかけがえのない学びの時間だと思うようにすれば、多少は自分の心の慰めにもなるかなって。……まぁ、これはアルヴィンに最初に言われたことを、仕方なく実践してるだけなんだけどね」
そう言いながらジュードは空を仰いだ。水面に映る雲が流れ、陽光がその間を縫うようにきらめいていた。
「ジュードさんは……嫌、なのですか? この時間が」
マシュの声は、どこかためらいを含みながらも、真っ直ぐだった。
マシュの問いかけに、ジュードはしばし視線を川面に落とした。流れに揺られる光の反射が彼の瞳に映り込み、言葉を探すように唇が動く。
「……正直、望んだものじゃなかったよ」
静かな声が、川のせせらぎの上に重なる。
「ついやっちゃったお節介のせいで、ここまで来ちゃったって感じだし。でも、それでも結局は僕が選んだってことになるんだろうから……だったらせめて、自分を納得させるだけの理由ぐらいは、自分で作らないとかなってさ」
「ジュードさん……」
淡々と語られる言葉の奥に、苦い後悔と、それを必死に噛み砕いて飲み込んできた痕跡が見え隠れする。
「それに……自分でもビックリしてるけど、案外この旅も悪いものじゃないのかなって思えてはいるんだ」ジュードは小さく笑みを浮かべ、風に揺れる前髪を払う。「ミラみたいな人に出会えたこともそうだけど……イル・ファンから出ようとすら思わなかった僕にとって、今までの出来事は全部刺激的なものでしかなかったし。もちろん、良いことばかりじゃなかったよ。ハウス教授――僕の先生だった人が亡くなって、クレインさんを助けることが出来なくて……ミラの足だって。自分の力の無さにガッカリすることだってあったけど……でも、それでもさ。やっぱり僕は、こうして外の世界に出たことを、悪いことだとは思えないんだ」
その横顔を見つめるマシュは、言葉を失っていた。ジュードの言葉は決して飾られていない。けれど、その飾り気のなさが、胸の奥にずしりと響く。
「だから、マシュもそういう風に思えたらいいかなって思ってさ」
「楽しむ……この旅を……」
マシュはそっと胸に手を当てた。鼓動が自分のものとは思えないほど強く打っている。
「出来るのでしょうか? 私に。こんな、私に……」
「大丈夫だよ。なにせ、僕にだって出来たんだから」
ジュードは即座に、迷いのない口調で言い切った。
「と、言いますと?」
「……ちょっと、言いづらいんだけどさ。僕、医学校でもあんまり友達いなかったんだよね。人と接するの、苦手でさ。何度も会ったことのある人なら何とかなるけど……そういう人って、だいたいハウス教授の橋渡しがあったからだし。もし自分一人でってなると、たぶん無理だったと思うからさ」
ジュードが少し照れたように視線を逸らすと、マシュは意外そうに目を瞬かせた。
「そう、なのですか?」
「うん。だけど今、僕たちはこうしてお話しできてる訳じゃない? それってきっと、この旅があったからこそだと思うんだ。きっと普通に過ごしていたら出会わなかった僕たちが、こうして普通に話し合えていられるのは、あの体験があったから……経験を一緒に味わってきたからだって、僕は思うんだ」
「だから、この旅は悪いものではなかったと?」
「うん。だから大丈夫。きっとマシュにも出来るよ」
ジュードが柔らかく微笑むと、マシュはその笑顔をまるで宝石のように目に焼き付けた。その瞳には、驚きだけではなく、言葉に出来ない感情の揺らぎが浮かんでいる。
だが――
「……って、何言ってんだろうね? 僕。ちょっと偉そうに語り過ぎちゃったよ」
ジュードは急に頬をかき、視線を逸らした。
マシュの純粋すぎる視線に、照れ隠しのように手を仰ぐ。
「あ! このことは、レイアには内緒にしておいてね? 絶対に、『ジュードってば、やっぱり根暗なんだから~! もっと自分からアピールしてかなきゃダメだよ? という訳で、今日は寝ずに友達作りの特訓だ!』とか言って、本当に付き合わされそうだからさ」
慌てふためきながら、マシュに口止めをお願いするジュード。
すると――
「……ふふっ。はい、ここだけの内緒です」
マシュが小さく笑った。その笑みは、これまで硬い仮面で覆われていた顔からふとこぼれ落ちた、あまりにも自然で柔らかなものだった。
「……」
ジュードは思わず息を呑む。驚きに目を見開き、彼女の笑顔をじっと見つめてしまう。
「……えっと。何かおかしなことを言いましたでしょうか?」
視線に気づいたマシュが、戸惑ったように首を傾げる。
「あ、いや、ごめんね。マシュがそうして笑ってるの、初めて見た気がするからつい……」
「そう、でしょうか?」
マシュは自分の頬に手を添え、そっと川面に映る姿を覗き込んだ。揺れる水面が光を反射し、彼女の顔を淡く歪ませている。自分でもその表情を確かめるように目を細める仕草は、どこか不器用で愛らしかった。
「でも……うん。マシュにはそっちの方が似合ってるよ」
穏やかに告げられた言葉に、マシュは一瞬息を詰める。胸の奥が熱を帯び、目を逸らそうとしても逸らせない。
「ジュードさん……」
その名を呼んだ瞬間――
「おやおや?」
不意に割って入る声がした。振り返れば、全身ずぶ濡れのXと、頭を振り回して水を飛ばしているフォウがいた。
「レイア嬢を差し置いての、まさかのマシュ嬢への猛アピール。てっきりジュードさんの本命はマクスウェル様かと思いましたが……」
「ちょっ!? な、なにいきなりやってきて変なこと言ってるの!? ……っていうか、びしょびしょじゃん!」
ジュードは慌てて身を引くが、飛沫は容赦なくかかってくる。
「まぁ、私の体は水で出来てますのでお気になさらず。それより災厄の――ではなく、保護者の大精霊フォウさん? ジュード君の判定やいかに?」
「フォウフォ……フォウ!」
勢いよく跳び上がったフォウの小さな足が、ジュードの顔面を直撃した。
「あ痛っ!?」
仰け反ったジュードの頬にじんわり赤みが広がる。
「流されるだけの子供かと思ったが、でかしたぞ! と、フォウさんを果せですよ?」
「褒められてたの!? 僕!」
「フォウフォウ! フォウ!」
「しかし、それはそれで何かムカつく、とのことだそうです」
Xが真顔で補足すると、フォウが威嚇するようにジュードに唸る。
「なんかわからないけど、理不尽だよ……」
顔を押さえたまま項垂れるジュードを見て、マシュは思わず口元を押さえ、けれど隠し切れずに笑みを零した。
「ふふふっ。とりあえず、まずは体を乾かしましょうね。フォウさん」
マシュはいつの間にか用意していたタオルを取り出し、小さな体にそっとかけてやる。タオルの端で水気を吸い取られると、フォウは目を細めて心地よさそうに身を揺らした。
その様子にジュードは肩を竦めて、苦笑を漏らす。
「……全く。どっちが保護者なんだか」
言葉を聞き取ったフォウが、鋭い視線をジュードに向ける。
「フォウ……」
「ちょっ!? ごめんて!」
慌てて両手を振るジュード。その姿を見て、Xはしたり顔で頷く。
「どうやらこれは、主従関係が決まったと見ていいのでは?」
「僕、フォウの下なの……?」
「フォウフォウフォ!」
「弟子になるには十年早い――と、フォウさんは申しております」
「しかも、断られたし!」
川辺に笑いが弾ける。重苦しい空気を纏っていた彼らの間に、ようやく柔らかな風が流れたようだった。
やがて、マシュはタオルを丁寧に畳み直し、フォウの体をすっかり拭き終えると、抱き上げるように胸に収めた。
「それでは、いったん宿に戻りましょうか。フォウさん」
「フォウ!」
「あ、では私も一緒に」
Xが濡れた髪を払いながら軽やかに手を上げる。
「うん。また後でね」
ジュードが笑顔で手を振ると、マシュは一瞬だけ立ち止まり、振り返った。
「……それと、ジュードさん」
「ん?」
空の明かりを受けて、その瞳はほんの少し潤んでいるように見えた。
「ありがとうございました。お気持ち、聞かせてくださって」
その真摯な言葉に、ジュードは小さく息を吐く。
「ううん、別に大したことは言ってないよ。でも、マシュの何かに役立てたら嬉しいかな」
「はい。本当にありがとうございます」
深々と頭を下げると、マシュはフォウを抱きしめ、Xと共に石畳の道を歩み去っていった。その背中は小柄で頼りなくも見えるが、今は確かに強さを宿しているように思えた。
残されたジュードはしばしその姿を見送り、やがて独り言のように呟いた。
「さてと……それじゃあ、僕はまだこの辺をブラブラしてるかな?」
川面を渡る風が涼やかに頬を撫でる。静かな時間が流れかけたそのとき――
ゴォォン……と、重々しい鐘の音が町中に響き渡った。
「あ、鐘の音。急いで、闘技場へ行かなきゃ」
ジュードは小走りに駆け出す。彼の影が長く伸びて、やがて石畳に飲み込まれていった。
お聞きしたいのですが、1話何文字ぐらいが読みやすいでしょうか?
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