喧騒と油の匂いに包まれた大衆食堂は、昼時を迎え活気に満ちていた。木のテーブルがところ狭しと並べられ、皿を抱えた給仕たちが人波を縫うように駆け回る。笑い声や談笑、注文を飛ばす声が重なり合い、落ち着いて食事を楽しむにはあまりにも賑やかすぎる場所だった。
そんなざわめきの中で、ジュードは落ち着かない様子で席に腰を下ろしていた。目は自然ときょろきょろと動き、客たちの顔や出入り口の方ばかりを追ってしまう。
「決勝の相手、気になっちゃう?」
反対側の壁際で気楽そうに肘をつくアルヴィンが、にやにやと口角を上げて問いかけてきた。
「うん、それはね」
ジュードは曖昧に返しながらも、胸の奥には得体の知れない緊張があった。勝ち進んだことへの安堵と、決勝で待つ未知の相手への不安。どちらも隠しきれず、目の動きに表れていた。
「ジュード君好みの、めちゃくちゃ可愛い子だったらどうする?」
「なっ……! あ、相手がどんなだって、そんなの関係ないよ!」
思わず声を荒げるジュード。だが、その反応は明らかに余裕を欠いていて、レイアが横から意地悪そうに口を挟む。
「ホントに~?」
「な、なんだよ、レイアまで」
「べっつに~? ジュードって、やらし~んだ~って思っただけ~」
「や、やらしいって!」
頬を赤くして慌てふためくジュードを見て、アルヴィンが堪えきれずに笑う。
「くくく……」
茶化す二人のやり取りを、ユルゲンスは苦笑混じりに眺めながら口を開いた。
「まぁまぁ。それにしても決勝か……本当にここまで来られるとは思わなかったよ」
その声には感心と同時に、僅かな驚きが混じっていた。だがレイアは胸を張って答える。
「優勝するって言ったでしょ!」
「ははは、すまない。じゃあお詫びに、君たちが優勝すると信じて……この後すぐ、誰かをやってワイバーンの使用許可を取ってこよう。すぐに飛べるようにな」
頼もしげに言うユルゲンスに、ミラが短く頷く。
「うむ。頼む」
だが彼の瞳はその後すぐ、探るように彼らを見据えた。
「しかし、結局君たちはワイバーンを使ってどこへ行くつもりなんだい?」
問いかけに、ジュードの胸が一瞬強く跳ねた。
「えっと、それは……」
思わず視線が泳ぎ、言葉が出ない。
逡巡を見せる彼を横目に、ミラが静かに口を開いた。
「イル・ファンだ」
「イル・ファン? 確かそこはラ・シュガルの首都だったはずだが……しかし、どうしてワイバーンで? 船で行けばいいのではないか?」
ユルゲンスの問いに、再び場の空気が張り詰める。ミラが口を開こうとした、その瞬間。
「それはほら、ラ・シュガルで何やら騒ぎがあったみたいでね」
アルヴィンがさりげなく割って入った。片手でグラスを弄びながら、飄々とした調子で言葉を紡いでいく。
「俺たちみたいな怪しい連中は、イル・ファンに入る手段が限られちまってるんだ。ただの傭兵だってのにさ」
「なるほど……。確かに最近、ラ・シュガルの兵がア・ジュールに足を伸ばしたって話も聞いたな」
「そうそう。そして俺たちは、そこの依頼主であるミラ様をイル・ファンへ送り届ける依頼を受けていてな。何としてでもイル・ファンに行きたいって訳。……あ、もちろんミラ様の素性は聞いてくれるなよ? 色々事情があるみたいだからな。……な、ミラ様?」
「うむ?」
あっけらかんと頷くミラの様子に、ユルゲンスは短く息をつく。
「そう、か……。それにしては随分とバラエティ豊かな顔ぶれだが……まぁ、ここまで協力してくれている以上、根掘り葉掘り聞くのは野暮ってものか」
「ああ、そうしてもらえると助かるよ」
アルヴィンの笑顔には余裕があったが、その裏には冷たい計算が潜んでいた。ジュードはそれを見抜きながらも、胸の奥で「助かった」と小さく安堵する。
一方、隣でレイアが感嘆の声を漏らした。
「凄い……流れるように嘘を……」
「元々、こういう事態を想定しておりましたので」
マシュが落ち着いた声で補足し、ジュードは「なるほど」と呟いた。
「確かにこういう事だって、普通はあるよね」
「はい。ですので――」
ちょうどその時、香ばしい匂いを漂わせながら料理がテーブルへと運ばれてきた。皿の上に並ぶ肉の照り、湯気を立てるスープ。
「おっと、ようやく来たようだね。では、食べようか。力をつけて、決勝も頼むぞ」
ユルゲンスが明るく声をかけると、待ちわびていたレイアが元気いっぱいに手を挙げた。
「やっほ~! いっただきま――」
「レイア。まずはおしぼりで手を拭いてから」
ジュードが横からきっぱりと制した。
「わ、わかってるって! ジュードは小姑か何かなのかな?」
「小姑って……」
不満げに唇を尖らせるレイア。そのやり取りを見ながら、ジャンヌが優しくエリーゼに声をかけた。
「さぁ、エリーゼも手を拭きましょう」
「はい」
「僕もピカピカにしてー」
ティポが調子よく口を挟む。
「……どこに手があるので?」
無機質な声で問うXに、マシュはおしぼりを取り上げて柔らかく続けた。
「では、フォウさんも」
「フォウ!」
「いや、そいつは口で直接食うだろ」
アルヴィンが呆れたように笑うが――
「フォウ!」
「痛っ!」
小さな前足が勢いよく彼の顔を蹴り上げた。
「あ、動かないでください。フォウさん」
マシュは慌てて制止するが、フォウは不満げに鳴き声を上げる。
「なるほど。これがテーブルマナーというやつか。本で読んだことがあるぞ」
ミラが感心したように呟く。
「あたたた……でも、別に良くね? 手掴みで食う訳じゃねぇんだし」
痛む頬を押さえながらアルヴィンがぼやくと、ローエンが落ち着いた口調で笑った。
「ふふっ。これは大人の嗜みというもの。その辺がまだまだわかっていないようですね、アルヴィンさんは」
「へいへい。わーったわーった」
賑やかにおしぼりを使う一行。その雰囲気が食堂の喧騒に溶け込んでいた――その時だった。
入口近くから慌ただしい足音が響き、ユルゲンスの仲間と思しき男性が駆け込んでくる。その顔色は蒼白で、呼吸も荒い。彼の後ろから、同じく顔をこわばらせた女性が続いた。
「ユルゲンス、大変だ!」
「何、どうしたの?」
ユルゲンスが立ち上がる。食堂のざわめきが、彼の鋭い声と共に一瞬だけ静まった。
「この前の落石、事故じゃなく事件だったらしい。人為的に破壊された痕が見つかったみたいだ」
「何だと?」
ユルゲンスの目が驚愕に見開かれる。背筋を冷たい汗が伝うのを彼は感じていた。
「この前のって……もしかして、レイアたちが危なかったやつ?!」
ジュードの声が裏返る。心臓を鷲掴みにされたような感覚が走り、胸が苦しくなる。
「嘘っ!? それじゃあ、あれって……」
レイアの瞳に恐怖が広がった。楽しかった食事の空気が、氷のように冷たく変わっていく。
「我々を狙った何者かの策謀……」
マシュが低く呟いたその瞬間――ミラが鋭く声を上げた。
「策謀? ……っ! 食事には手をつけるな!!」
その叫びに、場の空気が弾け飛ぶ。
「え、何……??」
エリーゼが戸惑いの声を漏らす。
既にスプーンを口に運ぼうとしていたアルヴィンの手が空中で止まる。その横で――。
次の瞬間、食堂にいた他の客たちが、一斉に椅子を蹴り倒し、崩れるように床へ倒れ出した。
重い音が連鎖する。皿が割れ、スープが床に広がり、悲鳴が上がる。
「な、なんだ……これは……」
ユルゲンスの声は掠れ、震えていた。
食堂は一瞬にして地獄と化していた。苦悶の表情を浮かべて椅子から転げ落ちる人々。皿や椀が床に散乱し、まだ湯気を立てている料理が冷たい石床の上で無惨に広がっていく。呻き声は次第に途絶え、やがて一人、また一人と動かなくなっていった。
「みんな! 食べてない!?」
ジュードの声が鋭く響いた。
「わ、我々はまだ……」
ジャンヌが震え声で答える。
「いったい何が……」
マシュの顔には珍しく驚きが浮かびあがり、目は床に崩れ落ちた人々を注視して離さない。
仲間の無事を確認し、ジュードたちは急いで倒れている人々に駆け寄った。だが、何をすべきか判断できず、ただ胸を締め付けられるような焦りばかりが募る。
「ジュード、何かわかるの?」
レイアが縋るように問いかける。
「う~ん……それは……」
ジュードは顔をしかめ、必死に思考を巡らせるが、答えは簡単に出ない。
そこにローエンが膝をつき、冷静に観察を始めた。彼は深く息を吸い込み、眉をひそめる。
「わずかですが……独特の木の実のような臭いがしますね」
「匂い?」
ジュードは促されるように鼻を近づけた。立ち込める匂いの中から、確かに不自然な甘さと渋みのようなものを感じ取る。
「……うん、確かにするね」
その瞬間、ローエンの顔が強張った。
「……もしや、メディシニア!?」
「メディシニア? それって確か……」
ジュードの脳裏に、書物で読んだ知識がよみがえる。
「水溶性の毒、ではありませんでしたか?」
マシュが静かに口を挟んだ。声には落ち着きがあったが、その目には不安の影が宿っている。
「はい、間違いありません」
ローエンは深く頷いた。
「やっぱり! じゃあ、この人たちは皆、食事に盛られてた毒で!?」
「おそらくは……」
言葉を失ったように、アルヴィンが食卓に視線を落とす。彩り豊かなはずの料理は、今や鮮やかさではなく恐怖を象徴する存在と化していた。香ばしい肉の香りさえも、毒の匂いに混じり、吐き気を催すほどに嫌悪を誘う。
「じゃあ、ちょっと私が味見をば」
すると、その話を聞いたXが匙でスープを一杯口に運んでいく。
「あ、ちょっ!?」
心配するジュードを他所に、ゆっくりと舌で吟味したXはと言えば、確信したように結果を述べる。
「ほむほむ……あ、うん。間違いなく毒が入ってますね。しかも、普通の人だったら即死レベルのが。私はただの水の塊なので問題ないですけど」
「そ、そんな……」
エリーゼの声が震え、目に涙がにじむ。
「それじゃ、僕達も食べてたら危なかったってことー!?」
ティポの甲高い声が、緊張で張り詰めた空気をさらに強調する。
「ジ、ジュード! とにかく治療しなきゃ!!」
レイアが叫んだ。
その声には恐怖と必死さが入り混じり、ジュードの胸を強く打つ。
――助けなければ。
頭の中でその言葉が何度も響いた。
「ジ、ジュード! とにかく治療しなきゃ!!」
レイアが必死に叫ぶ。声は震え、瞳には涙がにじんでいた。倒れ伏す人々を前に、どうにかして助けたい――その想いだけが彼女を突き動かしていた。
だが、マシュの返答は冷酷だった。
「いえ……残念ですが、メディシニアの解毒はジュードさんの精霊術ではどうしようも……。解毒薬自体は存在しておりますが、それを手に入れる頃には流石に手遅れかと……」
ローエンが低く言葉を重ねる。
「とにかく殺傷能力が強いのがメディシニアです。おかげでナイチンゲール協定でも両国は使うことはおろか、開発や研究することすら禁止されているのですから」
「そんな……」
レイアは口元を手で押さえ、震える肩を抑えきれなかった。
場の空気が凍りつく中、ユルゲンスが険しい表情を浮かべた。
「まさか、決勝の相手が勝とうとして……」
「それは無いんじゃないかな?」
ジュードがすぐさま否定する。必死に理性を保ちながら、倒れた人々を見回し、続けた。
「流石に無差別すぎるし……見た限りじゃ、ここには決勝に出る予定の人だってたくさんいるみたいだよ? 全員ではないにしろ」
「確かに。これでは味方まで巻き込みかねません」
ローエンが頷く中で、ミラが目を細めて言った。
「一つ、思い当たる節がある……」
「ほう? 思い当たる節とはいったい……」
Xが首を傾げる。だが、その問いに答えるよりも早く。
「……悪い。ちょっと急用!」
アルヴィンが椅子を蹴るように立ち上がり、顔を逸らして食堂を飛び出していった。
「えっ?」
ジュードは思わず声を漏らす。
「待て、アル――」
ミラの制止も空しく、彼の背中は人混みに飲まれて消えた。
「どこ行くのー! ……行っちゃったよ」
レイアの声がむなしく響く。
「もー! こんな時に何するっていうのさ」
ティポの抗議も、答える者はいない。
間を置かず、マシュが一歩前へ出た。
「……では、私が様子を見てきます。皆様はここでお待ちを」
「あ、ちょっと! マシュまで!」
ジュードが呼び止めるが、マシュの姿もすぐに食堂から姿を消してしまう。
取り残された仲間たち。食堂に残るのは、倒れ伏す人々の無惨な姿と、胸を締め付けるような重苦しい空気だけだった。
「こんな時にアルヴィンさんはどちらに行かれたのでしょう?」
ジャンヌの問いかけに、ミラは無言のまま彼らの行った先を見つめている。
「一体……何が起きてるんですか……」
エリーゼが不安に声を震わせ、レイアが感情を抑えきれず叫んだ。
「……どういうこと? なんでこんな!」
「ミラ……」
「そういえばミラ様のお話しの途中でしたね」
Xが静かに促す。
「……そうだな」
ミラは一度深呼吸をし、冷たい視線を残された料理へと投げた。
「ひとまず場所を変えよう。毒入りの食事の前では、ゆっくり話も出来んだろう」
「では、我々はこの事件の裏を探るとしよう」
ユルゲンスが重々しく告げる。
「お願いします」
ローエンが深く頭を下げると、張り詰めた緊張の糸がさらに固く絡み合っていった。
お聞きしたいのですが、1話何文字ぐらいが読みやすいでしょうか?
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