ミラがひとり、闘技場の砂地へと姿を現すと、観客席のあちこちから歓声と拍手が湧き上がった。昨日の惨事を忘れたかのように、あるいは無理やり忘れようとしているのか、観客の熱気は異様に高ぶっている。
実況の男は、その熱をさらに煽ろうと声を張り上げた。
「最初に登場したのは、キタル族代表だ! 昨日、不幸な事故はありましたが、大会執行部の努力により、本日の決勝戦が実現しました! その上で、今年の決勝戦は公平に行うため過去の慣例にならい、前王時代のルールとなります」」
その瞬間、観客の一部からはどよめきが走る。だが大半は喝采の声を上げ、血を欲するような眼差しを戦場に注いだ。
観客席の一角で、アルヴィンは乾いた笑みを浮かべながら吐き捨てる。
「どんな理屈だよ……」
同じ頃、別の通路で警備に立つレイアは、人の波に圧倒されていた。
「うへ~、すごい人……。エリーゼ、迷子になっちゃダメだよ?」
彼女の注意は群衆にばかり向けられ、隣を歩くエリーゼの視線が別の一点に釘付けになっていることには気づかない。
──その先にいたのは、イスラ。
「……あっ」
エリーゼが思わず声を洩らした瞬間、イスラは肩を震わせ、振り返るや否や慌てて群衆の中へ紛れ込んでいった。
「待って……!」
衝動に駆られるように、エリーゼは一人で駆け出した。レイアの制止の声は届かない。
その頃、闘技場の中央では、砂塵を巻き上げながら対戦相手が奇妙な武器を構えていた。黒く鈍い光を放つ筒状の器具。ミラが身を翻した瞬間、閃光が走り、地面が砕け散る。
「……っ!」
ミラはかろうじて回避しながら眉をひそめる。
観客席からそれを見ていたジュードが驚きの声を上げた。
「今、詠唱しなかった!」
ローエンの顔色が変わる。
「あれほどの力……まさかっ」
レイアの声が震えを帯びる。
「黒匣……!?」
彼女の視線は戦場に釘付けで、仲間の少女が姿を消したことにまだ気づいていない。
通路の影で、エリーゼは必死にイスラを追う。その足が誰かにぶつかり、よろめいた。
「きゃっ!」
次の瞬間、彼女の腕に抱えられていたティポが荒々しくもぎ取られる。
「何、や、やめて! 返して!」
エリーゼが叫び、手を伸ばす。
「やめろー、はなせー!」
ティポも必死に暴れるが、掴んだ男は乱暴に腕を振り払い、エリーゼの小さな体を壁際へと弾き飛ばした。
「じゃますんな! コラ!」
男の怒声が耳を打つ。
床に叩きつけられた衝撃に息を詰まらせながら、エリーゼは涙ににじむ視界の中で必死に叫ぶ。
「待って!」
エリーゼの悲鳴が人波の中に溶け、やがて小さく遠ざかっていく。彼女は必死に小さな足を動かし、奪われたティポを追って走り去った。
ようやくレイアがその異変に気づく。振り返った瞬間、視線の端からエリーゼの姿が消えかけているのを見て、血の気が引いた。
「あ、あれ?! エリーゼっ!! いつの間に!?」
闘技場の中央では、ミラがわずかに視線を逸らし仲間の動揺を感じ取る。
「どうした?」
Xの冷ややかな声が割って入った。
「どうやらティポさんがさらわれたみたいですね~」
「何だと!?」
ミラの目が鋭く見開かれる。
レイアは肩を震わせ、唇を噛む。
「ご、ごめん! 私、よそ見してて気づかなくて……わ!」
慌ててエリーゼを追いかけようとしたレイアだが、人の波に押されて先に進めない。
「ちょっ、どいて! どいてってば!!」
もがくレイアの姿を見てジャンヌが、大きな声で問いかけた。
「いかがいたしますか、ミラ様」
そのやり取りの最中、アルヴィンの顔に苦々しい影が走る。
「くそっ……そういうことか!」
──刹那。
ミラの目の前で、対戦相手が一人から二人、三人……瞬く間に数を増し、ついには十人の影が砂を踏みしめて現れた。
「えっ!? 対戦相手が増えた!?」
ジュードが叫ぶ。
「前王ルールとは、いったい何だったのでしょうかねぇ」
Xの皮肉めいた声が響く。
ローエンは、深く嘆息した。
「やられましたね……。決勝戦にアルクノアが関わっているどころか、決勝戦そのものがアルクノアの手で開催されていたという訳ですか」
レイアは必死にアルヴィンを問いただす。
「アルヴィン君、どういうことなの!?」
アルヴィンは拳を握りしめ、吐き捨てるように答えた。
「やつらの狙いはミラじゃない。きっと初めからティポだったんだ! 客席から狙うなんて話、最初から存在しなかったんだ!」
「そんな……!」
レイアは愕然とする。
マシュが静かに言葉を継ぐ。
「我々はまたしても……この作戦の踏み台にされた、というわけですね」
その一言に、ミラが声を張り上げた。
「アルヴィンっ!!」
呼びかけに、彼は顔を上げる。
「わかってる。今、そっちに──」
だがミラは強い瞳で彼を射抜き、言い放った。
「ティポを任せるっ!!!」
「何……?」
アルヴィンは息を呑む。思わず足が止まった。
「お前、俺を試して……」
「お前しかいない。頼んだぞ!」
それは疑いの余地のない、真摯な信頼だった。
「なっ……そう来るかよ……」アルヴィンは乾いた笑みを浮かべ、そして目を伏せる。胸の奥で渦巻く躊躇いを、ひとつ大きく息を吐くことで押し流した。
振り返りざま、銃の柄を強く握りしめる。
「どうなっても知らないぜ!」
吐き捨てると同時に、彼は人波をかき分け、ティポを連れ去った男たちの後を追った。
すぐにマシュがその背を追い、短く告げる。
「私も参ります」
闘技場はなお歓声と熱狂に包まれている。だがその喧騒の裏で、仲間を取り戻すための別の戦いが静かに始まろうとしていた。
「私も参ります」
マシュが短く告げて駆け出す。アルヴィンの背を追うその姿は、刹那のためらいすら見せなかった。二人の影が観客の喧騒に溶けて消えると、闘技場はふたたびミラを中心に緊張の空気を張りつめる。
ジュードは走り寄りながら、不安げに辺りを見渡した。
「よく聞こえなかったけど……アルヴィンたち、ミラの助けに行ったのかな?」
ローエンは眉をひそめ、わずかに首を振る。
「客席からミラさんを狙う者はいないという言葉が聞こえましたが……」
ジュードは遮るように強い声を放つ。
「とにかく、僕たちも行こう!」
二人は裏手を回り、会場の砂地へと飛び出した。
だがそこにいたのは、レイアとX、そしてジャンヌだけ。戦いに赴いたはずの仲間たちの姿はない。
「あれ? 三人だけ? アルヴィンたちは……?」
ジュードの問いかけにミラは振り返らずに答えた。
「アルクノアにティポがさらわれた。エリーゼとアルヴィン、それにマシュはそれを追っている」
「なんと……!」
ローエンの顔から血の気が引いた。
ジュードは拳を握り、悔しげに唇を噛む。
「僕たち、反対側にいたからよく聞こえなかったけど……そんなことが起きてたなんて……」
ジャンヌは深く頭を垂れ、毅然と告げる。
「我らはミラ様をお助けするべく参りました」
隣でXが口角を吊り上げる。
「ええ。黒匣を使うということは精霊の敵。すなわち私の敵ですからね」
ミラは静かに剣を構え、冷ややかに言い放った。
「行くぞっ!」
砂塵を巻き上げ、敵兵に一斉に襲いかかるジュードたちだった。
◇ ◇ ◇
「……終わりだっ!」
彼女の剣閃が闇を裂き、敵兵たちは次々と膝を折った。砂塵の中に静寂が訪れ、やがて場内に残るのは荒い息と観客の困惑したざわめきだけとなった。
「こ、これは……! キタル族が優勝なのか!? というか、これは大会として成立してるのか?!」
実況席の声が、震え混じりに場を覆う。熱気を保とうと必死に叫ぶものの、その声色には隠しきれない困惑が滲んでいた。
ローエンが冷静に呟く。
「どうやら、あの実況の方は何も知らされていなかったようですね」
ジュードは額の汗を拭い、苦笑した。
「いや、知らなすぎでしょ……。一対一のルールなのに、敵が十人も出てきても何も言わなかったし」
ジャンヌは静かに視線を落とす。
「所詮は彼も巻き込まれた側。始められた戦いを止める権利など、持ち合わせてはいなかったのでしょう」
その言葉に、ミラは無言で足を進め、倒れた男たちが落とした黒匣を踏み砕いた。ガラスの割れるような鋭い音が、空気を震わせる。隣でXが無造作に刃を振るい、残る黒匣を一つひとつ切り裂いていく。
「これで全部っと」Xが軽く手を払う。
しかしジュードは、なお胸のざわめきを抑えられなかった。
「……それで、これからどうしよう?」
ジャンヌが迷わず進路を示す。
「ともかく、まずは下へ向かいましょう」
ミラが頷き、剣を握り直す。
「そうだな。アルヴィンたちを追いかけよう」
仲間を救うため、そしてアルクノアの真意を暴くため。彼らは闘技場を後にし、さらに深い闇へと足を踏み入れていった。
お聞きしたいのですが、1話何文字ぐらいが読みやすいでしょうか?
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