あれほどの事件があったにもかかわらず、行き交う人々にはざわめきに溢れ、エリーゼの件で心に影を落とすジュードたちは、辟易した表情で町を歩いている。
すると、雑踏の中で、ジュードの視線がふと一点に止まる。
人混みの向こう、前髪に差し色がなされた女性――イスラだった。
「イスラさん」
ジュードの声に、彼女の肩がわずかに跳ねた。
イスラは振り返り、そして困ったように笑う。笑みの奥に、わずかな怯えが滲んでいた。
「あら、あなたたち……」
その口調には、懐かしさよりもむしろ“気まずさ”が漂っていた。
彼女は何かを悟ったように、視線を逸らす。
「少し時間いいですか?」
ジュードの言葉に、イスラは小さく息を呑む。
「時間? ……ああ、えっと……」
曖昧に笑いながら後ずさる彼女の前に、ローエンが静かに歩み出た。
その声音は穏やかだが、決して逃げ場を与えない冷ややかさがあった。
「エリーゼさんのことでお伺いしたいことがございます」
その瞬間、イスラの表情が固まる。
だがすぐに作り笑いを浮かべ、服の袖を握った。
「あ、ごめんなさい。私、急ぎの往診があって……」
「まぁまぁ、いいじゃねぇの。ちょっとぐらい」
軽口を叩くような声とともに、イスラの行く手をアルヴィンが塞いだ。
いつの間にか、彼女の背後に回っていたのだ。
「アル!?」
「正直、俺ら以外にもあんたの昔はバレてるんだしな」
その声には、かすかな呆れと同情が入り混じっていた。
イスラは唇を震わせ、後退る。
「な、何を言って……」
「残念ですが、すでにジャオさんより裏は取れております。あなたが自ら名を告げ、エリーゼさんを“増霊極”の研究所に売ったことを」
ローエンが淡々と告げる。
「なっ!? わ、私があの子を売ったですって?! な、何をバカげたことを……そんなの、そのジャオとかいう人の勘違いかも知れないじゃない!」
イスラの声は必死だった。だがその焦りが、すでに答えを物語っているようでもあった。
ジュードは静かに首を振る。
「確かにその可能性は否定できないけど……だけど、あなたがそういう人間であった場合、あることに辻褄が合ってしまうんです」
「辻褄が合う……?」
イスラの瞳が揺れる。
「……アルヴィンのお母さんの薬」
その一言で、彼女の顔色が蒼白になった。
街の喧騒が遠ざかる。風の音さえ止んだように感じられた。
「確かその薬って、アルクノアにしか作れないんだよね? 闘技大会で大勢の人を毒殺した、あのアルクノアだけにしか」
ジュードの声は静かだった。
「……ああ」
けれど、アルヴィンの返答により、その静けさこそが刃のように鋭く、イスラの心を抉る。
「……っ」
「それなのに、どうしてアルヴィンのお母さんの面倒をあなたが診てるんですか? いや、面倒を“看られている”んですか? その薬は、どこでどうやって手に入れているんですか?」
イスラは唇を噛みしめた。
「そ、それは……そ、そう! 私はただ、アルヴィンから渡された薬を、定期的に飲ませるよう言われてただけで――」
すぐさま言い訳を思いついたイスラだったが、ジュードが追い打ちをかけるにように言葉を遮る。
「数日や数週間分ぐらいなら分かりますけど……しばらくアルヴィンは、僕たちと一緒に居たんですよ? それに、患者の病状は刻一刻と変化していく可能性があるから、常に経過を観察して、薬も適切な量や配分を考えなければならないってのは、医者であるあなたなら知ってますよね? それなのに、それだけ長期間分の薬があるって、おかしくないですか?」
「さ、最近は、アルヴィンの代理って人から渡されてたのよ! だから――」
再びのイスラの言い訳もジュードがすぐさま反論する。
「だとしたら、そもそも薬を投与するのは、イスラさんじゃなくてもいいじゃないですか。下手に一般人を巻き込むことは、アルクノアにとってもリスクはあるだろうし。それこそ、アルクノアの誰かにやらせるべきだ」
「確かに。であれば、あなたがアルクノアであるか、はたまたアルクノアにとって、何かしら都合が良い存在であれば、その憂いは断てそうですね。たとえば、人身売買の件を婚約者に知られたくない、とかであれば」
「そ、それは……」
そうして、ローエンにまで詰められたイスラは、新たな言い訳を考えようと必死に頭を悩ませていたが、そんな状況を呆れてみていたアルヴィンが遂に口を開き始める。
「……もう、全部ゲロっちまえよ」
「アルヴィン?」
「ま、待って! アル!」
イスラの声は震えていた。
だがアルヴィンは冷たい目で彼女を見下ろし、深く息を吐いた。
「こいつはエリーゼだけじゃねぇ。色んな子供を攫って、色んな所に売ってたんだよ。表じゃ“子供専門の医者”って触れ回って、預かった子供を病気で死んだことにしてな」
「な、なにそれ!?」レイアが悲鳴のように声を上げた。
「ま、医者としての知識があるのは本当だけど……」アルヴィンの声は沈んでいた。
ジュードの脳裏に、あの日の光景がよみがえる。
まだ何も知らなかった頃の記憶――。
『イスラさんは、この子に見覚えはありませんか? この子、昔のことを覚えていないようでして』
『……さぁ? こんな喋るぬいぐるみを連れた子には覚えはないけど……。子供は昔にいっぱい見てきたし』
あの時の、何気ない一言。
――「子供は昔にいっぱい見てきた」。
それは医者としての経験ではなく、“商品”としての記憶だったのか。
「……そっか。僕達と初めて会った時……『子供は昔にいっぱい見てきた』って言ったのはそういう……」」
ジュードは苦く呟いた。
レイアは首を振りながら、震える声を漏らす。
「ウソ……イスラさん……ウソだよね?」
イスラは何も答えなかった。
白衣の裾を握りしめ、わなわなと震える。唇が、かすかに動いた。
「……あの人たち……ばれないから……平気だって言ったのに……」
それは懺悔ではなく、ただ己の破滅を恐れる者の呻きだった。
ジュードはその呟きを聞き逃さなかった。
「……やっぱり」
その一言に、イスラは顔を歪めた。
何かが決壊するように、胸の奥から言葉があふれ出す。
「……でも! でも、仕方なかったのよ! ユルゲンスにバラされたいのかって……脅されて……」
ローエンはゆっくりと目を細め、重い息を吐いた。
「やはり、弱味を握られていましたか」
「でも! それはイスラさんが、そんなことをしたから――!」
レイアが食い気味に声を上げる。
而して、イスラの叫びは悲鳴のようだった。
「しょうがないじゃない! 私は孤児だったのよ? 何の力もない子どもがひとりで生きていくには、あんな商売をするしかなかったのよ! このア・ジュールじゃね!!」
言葉にこもる怒りは、他人に向けたものではなかった。
それは、自分自身への呪詛のように響く。
「今はまだまともになったけど……ガイアス王が統治するまで、この国がどれだけ酷かったか……あなたにわかるの!? そんな私の気持ちが!!」
「それは……」
レイアは言葉を失い、拳を握りしめた。
イスラの瞳には涙が光っていたが、それは懺悔の涙ではなく、過去に取り残された少女の泣き顔のようだった。
「……あの子には、すまないと思っているわ。でも、あの時の私には、それしか……。お願い、彼には――ユルゲンスには黙っていて!」
そう言って、イスラは膝を折り、石畳に手をついた。
服の裾が汚れていくのも構わず、深く頭を下げる。
その背中を見つめながら、ジュードは呟いた。
「ユルゲンスさんは知らないの?」
「言えるわけないじゃないっ!」
イスラは顔を上げた。頬を伝う涙が、空の色を反射して赤く光る。
「……ユルゲンスはとても純粋な人なのよ」
その声の奥に、かすかな誇りと、どうしようもない恐怖が混ざっていた。
「でも、なぜ話さないんです? 仕方の無いことだって、あなた自身言ってるじゃないですか。なら……」
Xの言葉に、イスラは首を振った。
「あなたも女ならわかるでしょ? こんな醜い女を彼が愛してくれるわけない。あのことを知られたら……私は捨てられる」
「イスラさん……」
レイアが口を開きかけたが、それ以上の言葉が出てこなかった。
イスラの目はどこか遠くを見つめ、ひどく寂しげだった。
「私は幸せになりたいだけなの。ようやく手に入れた幸せを、壊したくないだけなの。今さら、私が償えることなんてないけど……お願い……彼には言わないで……ください」
その言葉の最後は、風にかき消されるように小さかった。
街の喧噪が再び流れ込み、子どもたちの笑い声が遠くで響く。
けれどこの一角だけは、まるで別の世界のように、冷たく沈黙していた。
「う~ん……私にはさっぱり理解できませんね~。どうします? ジュードさん」
ジュードはしばらく黙っていた。
何かを言えば、それは彼女を断罪する言葉になってしまう気がして――。
「……少なくとも、僕たちがどうこう言っていいことじゃないと思う」
その答えに、ローエンが静かに頷く。
「そうですね。こればっかりは、エリーゼさんに直接お話しいただく他ありませんね」
「う……うう……」
イスラは嗚咽を漏らし、その場に崩れ落ちた。
ジュードたちは、重い空気を残したままその場を離れる。
背後で、イスラのすすり泣く声が、いつまでも耳に残っていた。
しばらく歩いたところで、ジュードがふと足を止めた。
振り返ると、遠くでイスラが、力なく立ち上がり、喧騒に紛れて歩き去っていくのが見えた。
「どうした?」アルヴィンが問いかける。
「イスラさん……“今さら何も償えない”って言ってたけど……本当にそうなのかなって。できること……本当に何もないのかなって?」
ジュードの声は、風に溶けるように弱かった。
ローエンが静かに答える。
「それは……彼女が自分で考えるか、あるいは――」
「エリーゼに、だね」
「はい」
しばらく沈黙。
やがて、アルヴィンがぼそりと呟く。
「んで? どうするよ? このことはエリーゼに……」
「……今は伏せておこう」ジュードは首を振った。
「ティポのこと、ご両親のこと。エリーゼは一度に色んなものを失ったんだ。そこにこんな話まで聞かされたら……」
「だな」アルヴィンが短く相槌を打つ。
西の空には、未だ陰ることなく輝く空があった。
その光はどこか儚く、まるでイスラの心の残り火のようにも見えた。
ジュードたちは誰も言葉を発さず、その沈黙を抱えたまま、ゆっくりと街の奥へと歩き出した。
胸の奥には、それぞれに異なる痛みと、割り切れない想いを抱えながら――。
本日も1話配信とさせてください。よろしくお願いいたしますm(__)m
お聞きしたいのですが、1話何文字ぐらいが読みやすいでしょうか?
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