宿屋の前は、穏やかな日差しに包まれていた。茜に染まる雲がゆっくりと流れ、旅の疲れを癒やすように街のざわめきもどこか穏やかに感じられる。
ジュードが扉に手をかけた、そのとき――。
「……あれ? ジャンヌ?」
宿屋の出入口から、大きな箱を持ったジャンヌが出てくるところだった。
彼女の表情はどこか沈み、瞳の奥には複雑な影が宿っている。
「みなさん……」
声にいつもの張りがない。
Xが、訝しげに問いかけた。
「ずいぶん大きい箱ですね? 何が入ってるんです?」
「それは……」
ジャンヌは一瞬、言葉を飲み込んだように沈黙した。
そして、どこか覚悟を決めたようにそっと箱の蓋を開ける。
その中から聞こえてきたのは、場にそぐわぬ明るい声だった。
「はじめましてー、まずは、ぼくに名前をつけてねー!」
ジュードの息が止まる。
「ティポ!? でも、これって――」
「初期化してません?」
Xの言うように箱の中のティポは、あの頃のように愛嬌を振りまくでもなく、ただ機械的に、同じ言葉を繰り返していた。
「……はい」
ジャンヌの声が震える。
彼女の手の中で、ティポはただ無邪気に笑いかける。だがその「笑顔」は、誰に向けられているわけでもない。
「どうやらデータメモリなる物の無いティポは、記憶を保持できないようで、このように……そこでマシュなら何か知っているのではと思い――」
「私を探していた訳ですね」
マシュが静かに一歩前に出ると、無言でティポを手に取った。
ティポは変わらず、同じ声で繰り返す。
「はじめましてー、まずは、ぼくに名前をつけてねー!」
その声が、まるで過去の記憶を嘲るかのように響いた。
「なんかわかったか?」とアルヴィン。
マシュは目を細め、わずかに息を吐く。
「おそらく、エリーゼさんがティポさんを拒絶しているのが原因かと」
「エリーゼが?」
「はい。私は第三世代型の増霊極(ブースター)について詳しいわけではありませんが……ティポさんは、エリーゼさんの脳の影響を受けたことで、自分の意思で動いていたかのような振る舞いをされておりました。ですので、メモリが無くともエリーゼさんの脳に繋がっていれば、ティポさんは昔の記憶を失った状態の新たなティポさんとして稼働するはずです。ですが……」
ジュードの表情が曇る。
「エリーゼがティポを拒絶してるから、ティポはエリーゼの脳の影響が受けられなくなって……」
アルヴィンが腕を組んで続けた。
「記憶も残らねぇから、こうなっちまってると」
ティポがまた明るく笑う。
「はじめましてー、まずは、ぼくに名前をつけてねー」
その言葉が、やけに遠く響いた。
ジャンヌは唇を噛みしめ、そっと箱の中のティポに視線を落とした。
「……そう、ですか」
マシュが小さく頷く。
「こればかりは、エリーゼさんご自身が向き合わなければならない問題です」
「……ありがとうございます。しばらくティポは、こうして箱に入れておいた方が良さそうですね」
そう言ってジャンヌは、マシュからティポを受け取り、再び箱の中へと静かに戻した。
パタン――。蓋の閉まる音が、夜の訪れを告げる鐘のように重く響く。
「だね……それで、エリーゼはどう?」
ジュードの問いかけにジャンヌはしばらく言葉を探すように沈黙した。
「良いとはいえませんね。とはいえ、私にはどうすることもできないので、傍にいることしかできず……」
Xが柔らかく笑った。
「ま、でも、そういう人が傍に居てくれるってだけでもありがたい、的なことだと思いますよ。今のエリーゼさんにとっては。……よく知りませんけど」
「おたくなぁ……」
アルヴィンが呆れる中、ジュードは頷いている。
「うん、僕もそう思うよ」
しかし、ジャンヌは俯くと、小さく声を漏らした。
「……そうだといいのですが」
そうして深く一礼したジャンヌは、箱を抱えたまま、静かに宿屋の中に戻っていく。
残されたジュードは、どこか遠い目をして呟く。
「エリーゼ……」
「なるようになれ、ですよ。……いや、なるようにしかならない、かな?」
Xが軽く肩を叩くと、ジュードは小さく笑いながらも、目の奥に滲むものを隠しきれなかった。
「……そう、だけどさ」
シャン・ドゥの風が、静かに通り過ぎる。
その音に、ジュードの胸の奥の痛みがかすかに共鳴していた。
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