宿屋の一階。窓から差し込む外の光が、木の床をやわらかく照らしていた。
旅の疲れを癒すように、それぞれが椅子に腰を下ろしていると、不意に賑やかな声が響いた。
「……あぁ! マクスウェル様!!」
「あぁ! 本当!! すぐに分かったわ!」
見知らぬ男女が、興奮したようにミラへ駆け寄ってくる。
その表情には畏敬と喜びが入り混じっていたが、ミラはどこか訝しげに眉を寄せた。
そのとき、隣にいたアルヴィンがそっと立ち上がる。
「……俺、ちょっと生理現象」
「もー、いちいち報告しないで」レイアが呆れたように手を振る。
アルヴィンは軽く肩をすくめ、そのまま奥の方へと姿を消した。
ミラは改めて、目の前の二人に向き直る。
「お前たちは……?」
男が一歩前へ出た。どこか懐かしさを漂わせる微笑。
「覚えていませんか? 子どもの頃、一緒に遊んだ者です」
「子どもの頃……?」ミラの瞳が細められる。
そして、ふと息を呑んだ。「あの時の子どもたちか!」
レイアが思い出したように声を上げる。
「それって、ガラス玉をくれた?」
「はい」女が柔らかく頷いた。「マクスウェル様を祀る村の噂を聞いて訪ねてみたのですが、いらっしゃらなくて」
「でも、どうしてももう一度お会いしたくて……」男が言葉を継ぐ。「イバルという方から、シャン・ドゥに居ると聞いたのです」
「……何の話?」
一方、カラハ・シャールでの出来事を知らないジュードが、レイアにコッソリと尋ねている。
「あのね、小さい頃にミラが、子供からガラス玉を貰ったことがあったらしくてね。今はペンダントにしてるんだけど……」
「その方々とお会いしたということですか」
レイアの解説にローエンが納得している中、ミラの表情が懐かしさと喜びにほころぶ。
「言われてみれば……二人とも、面影があるな。よく来てくれた」
ジュードが微笑んで促した。
「そういうことなら、ミラ、せっかくだからゆっくり話してきなよ。出発までにはまだ時間があるし」
「しかし……」
ミラは一瞬、逡巡したが──
「マクスウェル様、ぜひ!」
「うふふ、よろしければ、また鬼ごっこでも?」
その屈託のない笑顔に、かつての無邪気な日々が重なり、ミラの頬がわずかに緩んだ。
「……そうだな。二人とも、少し歩こう」
◇ ◇ ◇
宿屋を出ると、穏やかな風が頬を撫でた。街路樹の影が石畳に揺れ、遠くで鐘の音が微かに響いている。
三人はゆっくりと並んで歩き出すと、徐々に人気の無い場所へと移っていく。
「またお前たちに会えるとは思っていなかったよ」
ミラの声には、どこか懐かしさが滲む。
「ええ……私たちも、あなたが“マクスウェル”とは思わなかった」女が静かに答える。
「一緒に遊んだ少女が、倒すべき敵だったなんてな」男の口調が変わった。
「……なに?」
ミラの足が止まる。
その一言に、空気が凍りついた。
男が軽く手を振ると、物陰から黒衣の影が次々と姿を現した。
宿の裏路地から、屋根の上から──無数の気配がミラを取り囲む。
アルクノア。
「アルクノア……!」ミラの声が低く響く。「お前たちは……!」
女が微笑みを消し、冷たい目で告げた。
「そう、アルクノアの子どもよ」
「お前が破壊した第一拠点の、生き残りだ」
女が続ける。
「私たちは、偶然お使いに出ていて助かったけどね」
ミラの脳裏に、あの戦火の光景が蘇る。炎に包まれた施設、崩れ落ちる瓦礫、悲鳴──。
自らの判断で放った“正義”の一撃が、いま目の前の二人を孤児にしたのだ。
「そうか……。残敵がいないか、四大に探らせている間に、お前たちに出会ったのだったな」
「ぞっとするわ」女が怒りに震える声で言った。「何も知らず、家族の仇と遊んでいたなんて!」
「マクスウェル!」男が叫ぶ。「お前に殺された同胞の仇、討たせてもらう!」
瞬間、刃が閃いた。だが──同時に別の悲鳴が上がる。
「ぐわっ!」
ミラが視線を巡らせると、倒れたアルクノア兵の背後に見覚えのある姿が立っていた。
その男は、いつものように軽く口角を上げる。
「加勢するぜ」
振り返ったミラの視線の先、血煙の向こうにアルヴィンの姿があった。
「アルヴィン!」
「お前は……なぜっ!」女が叫ぶ。
アルヴィンは苦笑を浮かべた。
「用心棒が雇い主助けるのは当然だろ?」
その余裕ある言葉の裏には、かすかな疲れが滲む。
男が歯ぎしりしながら叫んだ。
「くっ、まとめて殺れ! 黒匣(ジン)全開!」
瞬間、精霊の消失の気配を感じたミラは、これ以上はさせまいと剣を抜いた。
「……仕方あるまい!」
◇ ◇ ◇
倒れた男女、その背後に散らばるアルクノアの兵たち。
焦げた土の匂いと、冷たく濡れた石畳。
ミラはゆっくりと息を吐いた。
「……助かった、アルヴィン」
アルヴィンは銃を納め、片眉を上げた。
「いやいや、たまにはポイントを稼がないとな」
軽口を叩く声の裏で、彼の目は少しだけ陰っていた。
ミラはその視線を受け止めながら、静かに言葉を続けた。
「しかし……そうか。アルクノアも、人間だったのだな」
「当たり前だろ。魔物とでも思ってたのか?」
「……いや、わかっていたさ」
ミラは壊れかけた黒匣の一つを拾い上げた。
黒い外殻に、まだ微かに力が残っている。
「だが、何者であろうとも、黒匣を使う輩を見逃すわけにはいかない。そう思ったら……ついな」
そう呟き、ミラは掌に霊力を込める。
黒匣がひび割れ、淡い光とともに粉々に砕け散った。
風がその欠片をさらっていく。
アルヴィンはしばらく黙っていた。
ただ、その横顔を静かに見つめ──そしてようやく口を開いた。
「……そうかい。とりあえず戻ろうぜ。みんなが待ってる」
「ああ」
◇ ◇ ◇
宿屋の扉を開けると、温かな灯りと人の声が迎えた。
先ほどまでの血の匂いが、夢のように遠い。
「あれ、ミラ。もう戻ってきたの?」ジュードが顔を上げる。
「うむ。話は済んだ」
レイアが茶を飲みながら、いたずらっぽく笑った。
「もしかして、告白されたとか?」
「告白? ……ああ。されたな」
「ホントに!?」レイアの目が丸くなる。
ジュードは少しだけ息を呑んだ。
「ミラ……」
「心配するな。私の進む道は変わらない」
その言葉に、ジュードは安心したように微笑む。
「……うん。それは信じてる」
「それでは私は、先に休ませてもらうとしよう」
「あ、うん。おやすみ」
◇ ◇ ◇
ミラは静かに廊下を歩むが、不意に手の中の小さなペンダントを見つめていた。
それは、かつてあの子どもたちからもらったガラス玉。
透き通る青が、宿屋の明かりに淡く光る。
その中に、あの日の笑顔が映るような気がした。
「……」
そのとき、不意に背後から声がした。
「そういや、そのガラス玉って、あいつらから……」
振り返ると、アルヴィンが壁にもたれていた。
「ん? ……ああ」
ミラは小さく頷く。
「……どうする訳? それ」
「どうするとは?」
「おたくにとって、それはもう価値のあるものじゃないんだろ? だったら、持ってたってしょうがなくね? って話し」
ミラはしばらくガラス玉を見つめ、それから静かに微笑んだ。
「……ふむ、そうだな。……だが、やはり捨てる訳にはいくまい」
「どうして?」
「確かに結果はああいう形にはなってしまったが……あの時、あの場所で過ごしたひとときは、私にとって本物であったと思う。おそらくだが……それは彼らにとっても。だから、それまで捨ててしまうのは──きっと違う、と私は思うのだ」
ミラの声は、風の音に溶けるように静かだった。
アルヴィンはしばし黙って彼女を見ていた。
その横顔には、ほんの僅かに微笑が浮かぶ。
「……そうかい」
窓の外から漏れる冷たい光が二人を照らし、ペンダントの青がその光を受けて、ひときわ強く輝いた。
お聞きしたいのですが、1話何文字ぐらいが読みやすいでしょうか?
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