三月。俺は一人、トレセン学園を訪れていた。とあるウマ娘に渡したいものがあったからだ。
彼女を探して暫く学園内を徘徊していたのだが終ぞ見つかることはなかった。
見慣れない男がいたからであるだろう。学園内の生徒からはしばしば懐疑的な視線を向けられていたせいでなんだか疲れてしまった。
少し歩いて外のベンチを見つけるといつのまにか空を仰いでいた。今日は肌寒いが見事な快晴である。
暫くぼーっとしていると、ウマ娘には似合わないカツカツとした足音が聞こえた。
これは一昨年の頃によく聞いた音だ。そう思ったのは束の間に、青い空が突然栗色に染まった。
「なにしてるの?」
ぱっちりした瞳に、あどけなさが残る顔。
軽く体を起こし彼女を一瞥すると、松葉杖をついていた。
ウマ娘は基本見た目ではあまり年齢が判別できないのだが、なんとなしにこの子はまだデビュー前なのだろうと漠然に思った。なぜなのかはわからない。
綺麗な栗毛の長髪に幼さを連想させるツーサイドアップ。最近流行りのうまスタやウマッターにあげたら大バズり間違いなさそうな具合のキュートさであるが表情は少し暗い。その表情からあまり足の状態は芳しくないのであろうかと勝手に予想してしまう。
「怪我したのか」
つい聞いてしまっていた。
「軽い炎症? よくわからないけどしばらくは安静にって」
デビュー時期遅れちゃうなー。と彼女は自分の足を見ながら言う。
それ程重症ではなさそうで俺は安堵する。
怪我で引退するウマ娘を見ると悲しくなってしまうのは俺だけではないはずだ。トレーナーという職業柄もあってそれを見る回数も、距離も近い。
まぁ
ついに声もかけられてしまったし、あまり長居するわけにはいかないなと思いベンチから立ち上がる。
「そうか、ちゃんと治せよ」
「かえっちゃうの?」
「ああ、もう此処に用はない」
一つ心残りがあるとすれば、タキオンに"これ"を渡せなかったことだがしょうがない。
ファイルを抱えて脇に挟む。ふと彼女が俺のトレーナーバッチを眺めているのに気が付いた。
彼女もまたトレーナーを探しているのだろうか。デビュー前の怪我ともなれば担当を探すのも少し苦労するだろう。
「やめちゃうんだトレーナー」
ふと、彼女が言った。俺の雰囲気から察したのだろう。否定する意味も特にないので肯定しておく。
「マヤも、やめちゃおーかな」
俺は帰ろうとした足を止めた。何か言おうと思ったわけでもなかった。ただなんとなく、彼女の続く言葉を聞いていた。
「だってさ、レースは好きだけどトレーニングするのは嫌いだし。それに走れもしないんじゃこんなの意味ないって思っちゃったんだもん」
「キミはなんでやめちゃうの?」
「……ま、夢に敗れて燃え尽きたってところだ」
適当に濁した俺に「ふーん」と彼女はなにやら意味深な目線を送る。
彼女の目線になぜか少し居心地の悪さを感じ、彼女がどんな話をしたいのかわかるわけもなく、自身が気になっている本来の目的のことを聞いてみることにした。
「ところでなんだが、アグネスタキオンというウマ娘をしっているか?」
「んー、ちょっとマヤの記憶にはないかも」
「そうか…」
聞いておいてなんだが記憶の中のタキオンはとても交友関係が広そうには見えなかったので返答には予想の範囲だった。どちらかといえばーー悪目立ちはしていそうである。
「ともだち?」
「研究仲間が近いな。少し渡したい物があったんだが」
手元のファイルを一瞥する。
これはウマ娘の走りや人体に関する研究がまとめてあるものだ。彼女、タキオンも足の研究をしていてその理由が俺の思う通りなら、これは非常に役に立つだろう。そう思う。
突然、パッとファイルが手から離れた。気が付くと目の前の彼女がペラペラとページを捲っていた。捲っていたページが止まったのはウマ娘のリハビリトレーニングについて書かれているページだった。
彼女は眉をひそめながらそのページを見つめた。とても理解できているようには思えないが、しばらくそれを眺めてから、俺に顔を向き直す。
「キミって……なんだか不思議」
松葉杖をつきながら、首を少し傾げる。
「マヤがトレーニングつまらないって言ったとき、『お前な』って呆れたような顔してたけど……怒らなかった」
「それに……『やめちゃおうかな』って言った時も、『そんなこと言うな』とか、『頑張れ』とかも言わなかったし」
それは、トレーナーを辞める身の俺が言えたことじゃない。そう思っただけだ。
「キミ『やめる』って言ってるけど、なんだか寂しそうな顔してる。マヤと同じで、本当はつまらくなっちゃっただけなんでしょ?。トレーナーのお仕事」
それはーーそうだったかもしれない。自分の選んだウマ娘と二人三脚で、試行錯誤しながら一つずつ階段を上がっていった時期はとても楽しかった。でも俺は……
「マヤもね、レースは大好きなの。でも毎日のトレーニングがつまんなくて……同じことの繰り返しで、なんでやってるのかよくわからないの。でもみんなはちゃんとそれをやってて……みんなと違うマヤはキラキラのウマ娘になれないのかなって、そう思ったの」
少し寂しそうにそう呟く。
「そんなことはない」
気が付くと俺はそう言っていた。
マヤが驚いたような顔で俺を見上げる。なぜそんな言葉が口からでたのか、自身にも分からなかった。
「キラキラのウマ娘になるのに、皆と同じである必要なんてない」
言葉が勝手に続いて出る。
「お前は……レースが大好きなんだろう?、それだけで十分だ。トレーニングがつまらないと思うのも、なんでやってるのかわからないと思うのも、それは普通のことなんだ」
なぜこんなことを言ってるんだろう。今日でトレーナーを辞めるはずだったのに。
「でも……」
「みんなと違うからダメなんて、誰が決めた?」
いつの間にか、彼女の目線と同じくらいになるように膝を曲げていた。
「お前には、お前にしかない良さがある。それを見つけるのがーー」
そこで言葉が詰まった。それを見つけるのが"俺達"トレーナーの仕事だ、と言いかけて。
「キミ……本当はトレーナーやめたくないんだ」
その言葉が胸に刺さった。俺は立ち上がろうとしたが、何故かうまく動けない。
「マヤね、キミと話してたらなんだか久しぶりにわくわくしてきたかも。キミならきっと……マヤをキラキラさせてくれそう」
なぜ俺は彼女を励ましたんだろう。なぜ心が動いたんだろう。
分からないまま、俺は彼女の瞳を見つめていた。
そこから少し間を置いて彼女は言った。
「キミがマヤのトレーナーになってよ」
彼女の言葉が、心に響いた。
俺はなにも答えられずにいた。さっき自分が口にした言葉が、まだ頭の中に反響している。
それと同時にあの時の記憶が蘇ってきた。
"凱旋門賞"での敗北の後、更なる速さを追い求めてーー俺の担当していた彼女は、怪我をしてしまった。担当している子のことを一番に考えるなんて、当たり前のことを俺はできなかったのだ。彼女はそのままレースに復帰することなく、引退してしまった。
担当を怪我させて引退に追い込んだ。そんな自分がトレーナーをやるべきでないことは自分自身が一番わかっている。
それでも、目の前の彼女から目を離せない自分がいた。
「でも俺は……俺のせいで、あの子を……」
「キミが何をしたのかはしらない。でもマヤに『お前にしかない良さがある』って言ってくれた。それなら、キミにもキミにしかできないことがあるはずでしょ?」
「それにさ、ちょっと見ただけだけど凄く担当の子の事を考えてこの文を作ってるんだって、マヤわかったもん」
少し開かれたファイルを一瞥し、すぐに俺の目に視線を戻す。彼女の瞳が、真っすぐに俺を見つめていた。
その純粋な眼差しがかえって俺を苦しめた。
「マヤ、一人じゃつまらないトレーニングも続けられないと思う。でもキミとなら……きっと楽しめるよ。」
俺の体と心が、急に重く感じられた。また同じ過ちを犯すのではないかと。しかし同時に、自分の担当を絶対に勝たせたいと思って、走りの研究を始めたときの純粋な気持ちも思い出していた。