P.I.T(パイナップル・インザ・チューカスブタ) (完結) 作:コンバット越前
「……お水どうぞ」
「……ありがとうございます」
イカ料理専門居酒屋『イカ931MAX』は季節折々の美味しいイカ料理が安く提供されることで、常に大盛況なお店である。しかしそんな賑やかな店の片隅で、一組の男女は場違いにも辛気臭さを存分に撒き散らしながら向かい合っていた。
「あの、織斑君……」
「はい」
「本当にここでバイトしてるんですか?」
「……はい」
「学園にそのことは届けているんですか?」
「いえ……」
「駄目ですよ。特に織斑君の場合は色々注目される立場なのに……。しかもこんな遅くまで働くのは……」
「そうですね……すみません」
IS学園はバイトに関しては基本禁止にしている。機密保持などの理由から、よほどのことが無い限り認めてはいない。そもそも全寮制で、通っている生徒は皆世間一般からすれば超が付くほどのエリートという認識、更に保障される身分などから、わざわざ好き好んでバイトなぞする者など普通はいないのだ。
故に山田としては学園の教師として、更には担任として強く注意すべきことであったが、言えなかった。言えるはずも無かった。
ゲ○まみれで生徒に介抱された教師が、どの口で倫理や教育を語ると言うのか。
山田は先程とは違う意味で泣きたくなるのを堪え、出した水分を補うようにグラスの水をあおった。
一方の一夏も居心地の悪さに関しては山田に負けていなかった。
介抱した女性が学園の教師でしたー。しかも担任でしたー。しかもゲ○まみれでしたー。イエーイ!……なんてシャレにならない。いやシャレにする人もいるかもしれないが、少なくとも一夏はそんな趣向を持ち合わせていない優しき男なのだから。
結果、場には恒例の沈黙が降りることになる。
一夏は黙って目を伏せ、山田が時折水を飲む際の「カラン」と中の氷が鳴る音だけが虚しく響く。
二人は居心地の悪さだけはシンクロしながら、ただ無言の時間だけが過ぎていった……。
「嬢ちゃん落ちついたかい?」
そんな最悪の沈黙を破る野太い声が上から聞こえ、二人は同時に顔を上げた。そこに立っていたのはこの店の店長。テカったハゲ頭にねじり鉢巻が、年季が入ったオッサンの姿を如実に表している。
「は、はい。ご迷惑をお掛けしました」
「気にすんな。つーか俺は何もしちゃいねーよ」
「いえ。お水を頂いて、しかも休ませてもらい本当に感謝しています」
「いいってことよ。にしても一夏の知り合いってことは嬢ちゃんも大学生か?どっちにしろ小娘がヘベレケ状態になるのはちとマズイよな」
「ち、違います!」
山田は童顔のコンプレックスを指摘され、顔を真っ赤に反論する。
だがそこでふと言葉の違和感を感じた。嬢ちゃん『も』?
一夏の方を見ると、彼はスッと目を逸らした。まさか……。
「あの、すみません。彼とはどういったご関係で?」
「どうって、バイトと雇い主だよ」
「えっと、彼のことご存じないんですか?」
「ん?バイト欲しかったところに、丁度ダチの紹介があって雇ったんだよ。コイツも幼く見えっけど、二十歳の大学生なんだろ?」
一夏を指差す店の大将に、山田は何言ってんのこの人、という目を向ける。
「履歴書とか見なかったんですか?」
「嬢ちゃん覚えとけ。男の仕事は履歴とか関係ねーんだ。大切なのはその心意気なのさ……。俺はコイツを一目見たとき、その瞳の奥に『ゆるぎない意思』を感じ取ったんだ。それで俺には分かったんだよ、コイツはいい店員になるってな……」
ドヤ顔でほざくタコに、山田は何言ってんだこのハゲ、という目を向ける。
その後「わははははは」とアホ声上げて去っていくオヤジを見送ると、山田は一夏に再度向き合った。一夏の動揺を表すように、彼の指先がピコピコ動く。
「織斑君。年齢偽称して働いていたんですか?」
「ち、違いますよ。……いや違いませんけどそれは成り行きで」
「年を偽ってまでバイトしたかったんですか?」
「だから違うんですよ!西……とある人に紹介されて春休みの間働くことになったんですけど、来てみたらいきなり大学生ってことになってて、俺のほうが逆に驚いたくらいなんです」
「ちゃんと説明して訂正しなきゃダメじゃないですか。本来18歳未満は22時以降の労働は禁止されてるんですよ」
「ですけど、あの人基本的に人の話聞かないし。……それで俺のほうも面倒になってそのまま……」
「まぁなんとなく気持ちは分かりますが」
あの手の類の人間は人の話を聞かない。聞いたとしても自分の都合のいいように解釈するのだ。大体男というのは皆そうだ、人の気持ちも都合も考えず勝手なことばかり。
山田は拳を握り締めると、自身が受けた最近の屈辱とを重ね合わせ怒りに震えた。本当に男って……!
「あの……」
「何ですか!」
山田の勝手な八つ当たりに一夏は少し怯むが、そのまま続ける。
「先生は、その、何かあったんですか?」
「えっ……ええっと、そのぉ」
直ぐに素に戻り、何時もどおりに山田はテンパった。
どうしよう……。
一夏に返す言葉が出ず、またも沈黙が訪れようとした。
「ヘイお待ち!」
そこに空気を読めないオッサンのむさい声が響き、二人はまたも同時に顔を上げた。
「え?なんですか?コレ」
「ウチの名物の特製イカ塩辛だ。うめぇぞ」
「私注文していませんが……」
「いいから。まぁ食ってみろよ」
「しかも一緒についているこの徳利って……。まさかお酒ですか?」
「おいおい。ウチのイカ塩辛を酒無しで食べる気かい?そりゃ勿体無いってもんだぜ」
「あのですね。お気持ちは嬉しいのですが……」
「安心しな。これは奢りだからよ。だから遠慮なく食えや」
話聞けよこのハゲ。
色々限界が近い山田は心でそう罵ると、ヤケクソに箸で摘み口の中に塩辛を放りこんだ。
「……ん?」
思わず目が丸くなる。食べてびっくりメッチャ美味い。
そのまま山田の手は無意識に酒が入った徳利へ伸びる。あれだけ醜態を晒して、もうお酒はこりごりだと思っていたのに我慢できない。そのままお猪口を傾ける。
「はぅ……」
思わず満足な息を漏らす。まさにお酒と塩辛が奏でる極上のハーモニー。
「どうだ?うめぇだろ」
「……はい。これは凄いですね……」
「だろ?」
「塩辛ってこんなに美味しくなるんですか」
「イカの可能性は無限なんだよ」
「においが少し強烈ですけど。でもそれを補っても美味しい……」
「熟成の証だな。それがこの美味さを出すんだ」
半ば無意識に山田の手がまたもお酒に伸びる。このハーモニー、止められない止まらない。
「このイカの塩辛……辛いだけじゃない。すごく豊かな風味があって、そして……」
そしてお猪口の酒をぐっと飲み干す。
「すごく……イカ臭いです……」
山田の発言に一夏と店長が固まる。
が、天然教師山田さんはそれに気付くことなく、店長に向き直ると、お酒によって桜色に染まった頬のまま微笑んだ。
「店長さんイカ臭いって凄いんですね。これすごくイカ臭いです……」
「お、おう。そうか……うっ」
何故か股間あたりを押さえて去っていくオヤジ。山田は首をかしげてそれを見送る。
「店長さんどうしたんでしょう?」
「先生……」
「なんですか?」
「発言には気をつけましょうね」
「へ?」
この場において唯一の常識人の一夏は、天然教師にそう注意すると、疲れたようにため息を吐いた。
四季折々のイカ料理が楽しめるイカ料理専門居酒屋『イカ931MAX(イカ・ナインスリーワン・マックス)』
ナイスミドルの店長が素敵な笑顔でお出迎え!皆様のご来店を心よりお待ちしております。
最後に店の名について、どうか卑猥な邪推をしないようお願い致します。