東方亡霊侍   作:泥の魅夜行

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加持丸さん、終わりの始まり

 刀の切っ先が天へ伸びる。呼吸を止めて一瞬で刀を振り下ろす。日課の鍛錬だ。

 一輪が命蓮寺で暮らし始めて数年が過ぎた。先生の護衛が増えると、俺は一人称を「私」へと改める。公然の場で礼儀知らずと言われれば、先生の名に傷がつくからだ。

 この数年で身長も伸びた。力も上がり刀の腕も上がったと感じる。とはいえ、寅丸様には未だに追い付けない。

 息を整え呼吸を乱さず刀を振るう。

 命蓮寺も人と妖怪問わずに先生の仁徳のおかげか信者が増えている。特に先生が新しく連れて来た船幽霊の娘っ子は驚いたものだ。まさか宙を浮く船を見ることになるとは思わなかった。

 木々が風に揺れて葉が落ちて来る。一太刀目で葉の中心を両断。返す刃で左右に葉が離れる前に一閃。葉は十字に断ち切られた。

 鍛錬をしていると様々な事が浮かぶ。それは泡の様に浮かんでは消えて行く。すると段々、頭の中に何も無くなって最後には無心で刀を振っている。

 自分の事も、先生の事も、一輪の事も、この瞬間だけは浮かぶ事無く刀を振るう。

 

「加持丸」

 

 そう呼ばれ私は漸く刀を鞘へとしまった。

 

「一輪、雲山殿。おはよう」

 

「おはよう。そろそろ戻ろうよ御飯の時間だし」

 

 何時からか、一輪が私の事を呼び捨てで呼ぶようになった。これは嬉しかった。何と言うか、お互いの距離と言うものが近くなったからだ。初期は一輪が顔を紅くして挙動不審だったが、今は普通に呼んでくれている。

 

「相変わらず凄い動きだね。そして、それに勝つ寅丸さんも凄いわ」

 

 然り然りと雲山殿が相槌を打つ。

 

「なら、一輪も一緒に鍛錬をするか?」

 

「やめておく。私、人やめてるけどあれに付いて行けないし。……加持丸、人間だよね?」

 

「手足は四本、胴は一つ、頭は一個だ」

 

「違うそうじゃない」

 

 何がだ。

 

「ねえ、加地丸。私が此処に来て結構経つよね」

 

 不意に一輪がそんな事を言い出した。

 

「そうだな。三年か?」

 

「四年」

 

「そんなに経っていたか」

 

 普段はそんな事を気にする事など無いが、そう言われると一輪と雲山殿と出会って結構な時が経っていた。 

 

「加持丸は……さ、その、なんだ、あの……」

 

 一輪にしては妙に歯切れが悪い。何だ? 

 

『ほれ、さっさと聞いておかんかい。でなければ色々遅くなるぞ』

 

「いや、ほら、やっぱこういうのを聞くのって変じゃない?」

 

『この先生一筋男が話題に出すと思っておるのか?』

 

「うぐ……っ! あ、あのさぁ、加持丸ってこ、ここここ婚約とかそう言うのは……」

 

 婚約。男女の契り。夫婦となる事。つまり一輪は私にそう言う願望があるのか知りたいのか?

 

「無いな」

 

 時が停まったような気がした。いや、正確には一輪と雲山殿が静止した。

 

「…………そ、そうかー、何で?」

 

「少し朝食が遅くなるがいいか?」

 

 私は二人をある所に連れて行くことにした。私がそう言う事を考えぬ理由がある場所へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは……?」

 

 一輪の呟いた言葉。命蓮寺が鎮座する山の頂上のそれより少し下、私と先生と寅丸様しか知らぬ場所。

 私が整地し、作った小ささ広場だ。そこには荒く不恰好な仏とその周りに小さな墓が造られている。

 

「一輪、私の過去は知っているだろう? 四年前、彼奴との戦いの最中に言ったことだ」

 

「うん……」

 

「ここは彼らの墓だ。私が殺した者の墓。しかし、名前など分からぬ、知らぬ。言葉すらうろ覚えの歳だったからな」

 

 何人殺した? 何十人? 命乞いは聞こえない知らないの殺しの日々。つまりは私は彼らの骸の上で生きていた。

 

「救われて、人の理を知って、人になって漸く分かったのだ、自分のしてきたことの所業をな」

 

 後悔しても遅い、知らなかったら幸せだったろう。それでも、私は知ったから……

 

「彼らか彼女らかは分からないが、私は一生を掛けて祈る。彼らがせめて極楽いける様にな。私が殺した人間は、善人だったかもしれないし、悪人だったかもしれない。でも、私にはどっちでもいいのだ。どちらも救われて欲しい。生きたいと思う人として、当たり前の事を私は奪って行ったのだから」

 

「でもっ……そうじゃないと加持丸が生きれなかった」

 

「そうだな。でも、あの飢饉のときに死んでいれば、少なくともこの中の幾名かは死んでいなかった」

 

 瞬間だった。私の横っ面に一輪の拳が叩き込まれて、そのまま地面を跳ねて木に背中から強か打った。

 

「……ぐ……ぉ……! な、なにをする」

 

「雲山」

 

「ちょっと……待て! 雲山殿! ま……ごふ! がぶっ! 落ち着つっぶぅ!!」

 

 溝にいいのが何発か入った。不味い不味い!

 

「加持丸、今も昔も私はあんたの気持ちなんて想像なんてつかないよ。多分、温い同情くらいしか出来ないと思う」

 

「ま、待て、なら何故殴った!?」

 

「怒ってんだよ、分かりなよ。死ぬべきだった? そんな奴に私と雲山は救われたんだよ!」

 

「っ!」

 

「私も雲山も加持丸が居なかったら死んでた。いや、私は多分生きてるだけど心は死んでた! 阿子木に! でも、助けてくれたのは加持丸だよ!? 私は加持丸が居たから生きることに……っ!」

 

 一輪は私から目を逸らし、そのまま麓へと駈け出していった。

 

「……やってしまったな」

 

『門番としては優秀だがそれ以外はまだまだだな』

 

 痛む腹をさすりながら吹かくため息が出た。

 

「私自身、人殺しだ。そんな人間が人並みの幸せを望むなど……」

 

『本音はそれか? 今の時代珍しくはあるまい』

 

「時代がそうでも、私が……俺が納得せんよ」

 

「気づいているのだろう? 一輪の気持ちは」

 

「私なんぞには勿体ない素晴らしい女性だ」

 

 そうだ、これでいい。私はもう恵まれている。この命蓮寺にいるだけでも幸せだ。もうこれ以上は……。

 だが、一輪が去る時、最後に小さく呟いた言葉。それが強く心に残る。

 

「幸せになれた、か……」

 

 本当に、私には勿体ない女性だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおー! 加持丸ぅ! おかえりおはよー!」

 

 雲山殿と微妙な空気の中、命蓮寺に戻ると此方へ向かって手を振って来る小さな人影。

 その快活な少女の声で誰なのか分かり返すよに声を掛ける。

 

「ああ、おはよう水蜜」

 

「ムラサで良いって言ってるじゃん! ま、いいか。ねね、さっきから一輪の機嫌が悪いけどなんかあったの?」

 

 純粋な顔でいきなり確信を突かれた。雲山殿に助けを求めようと視線を向ければ既に居ない。

 逃げられた。そう考えつつも、ねー? ねー? と声を掛けて来る水蜜を曖昧な返事でのらりくらりと躱しながら本殿へと向かう。

 

「よ、おはようさん」

 

 廊下で会ったのはナズーリン。何故か憎らしい笑いを顔に張り付けていた。

 

「よお、振られ女泣かせ」

 

「待て、ナズーリン。色々誤解があるようだがな、決してそう言う事では無く……」

 

「え、一輪に振られたの!?」

 

 頼む、水蜜あまり大きな声で驚かないでくれ。

 

「何!? 振られた!!」

 

 横の障子が突然開くと寅丸様が出て来た。不味い、この流れはいけない。

 

「どういう事です!? 一輪を怒らせたのですか!?」

 

「待ってください落ち着いて下さい一度話し合いましょう」

 

 三人、特に寅丸様の勢いが凄まじい。名づけ親と言う事で此方を大分気遣ってくれるのはとてもありがたい事だが、寅丸様はどうも大袈裟に対応してくるのだ。

 この騒ぎをいかにして納めるか、朝から大変な労働になりそうだ。

 取り敢えず、してやったな顔をしているナズーリンは後で拳骨をくれてやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝から凄まじく気を使った。

 軽く吐息を吐き、山の下の門へと向かいながら私は思考する。

 朝の朝食を終えて、ついぞ一輪は口を聞いてくれなかった。と言うより、無視された。視線を抜けるだけで目を逸らされるほどだ。水蜜達からの視線が気まずかった。

 先生にばれる事が無かったのが救いか、いや、気づいて無視してくれたのかもしれない。先生は鋭いから。

 一輪……。

 

 『気づいているのだろう? 一輪の気持ちは』。

 

 雲山殿の言葉が頭に反芻した。分かっているさ、雲山殿。分かっている。だからこそ、駄目なのだ。

 私は奪った。死にたくないから他者を殺してここに居る。

 人の屍を背負い、祈り、懺悔し、生きる。それが私の生涯であるべきだ。人殺しはそうであるべきだ。

 先生のおかげで人に戻れた獣はそれでいい。

 幸せは望まない。せめて彼女の幸せを護りたい。

 だから、神でもいい、御仏でもいい。

 

「どうか一輪に幸いを……」

 

 門の前にたどり着いた。門番として周囲に警戒を飛ばす。

 

「加持丸」

 

「っ!?」

 

 振り向けば、先生が此方を見ていた。

 

「先生? どうしました? わざわざ出向かなくとも呼ばれれば其方に向かいましたのに」

 

「加持丸。一輪と何かあったようですね?」

 

 柔和だが、問答無用な威圧。自然と目が逸れてしまう。

 

「一輪の好意は知っています。それに貴方が答えないと言う事も」

 

「ええ、その通りです」

 

「加持丸は一輪の事をどう思っていますか?」

 

「好きです」

 

 嘘偽りは無い。

 

「何故と言われても、答えるのは難しいですがね」

 

「想っているからこそですか? 自分を遠ざける」

 

「はい」

 

 沈黙が満ちる。

 

「そうですか。私が無遠慮に横やりを出すのも無粋と言うものかもしれません。ですが、お互い仲違いをしてはいけませんよ? 今日の様に」

 

「日を置いてお互いに話し合おうと思います」

 

「はい、しっかりね」

 

 話に区切りが付いた。再び周囲を見ると、此方に近づいて来る影が見える。

 人数は一人。服装は浄衣。陰陽師が着る服である。布で顔を隠しているが歩きからして男と予想した。

 此方と数十歩の距離で止まる。

 何もしない。向こうは此方に声も掛けずに黙り込んだままだ。

 何者だ? と警戒するが、このままと言うわけにもいかぬか……。

 

「もし、どちらでございましょうか?」

 

「此方が命蓮寺で間違いございませんでしょうか?」

 

「はい。その通りでございます。何か御用でしょうか?」

 

「実はこの地方の領主様がご病気になりまして、どうかご病気を消して貰えないかと思い此処へ」

 

「失礼ですが、お医者様へは?」

 

「いえ、これは命蓮寺でしか治せぬのです。そう、妖怪を匿う魔僧・聖白蓮殿と言う病を消すには、ね?」

 

「どういう意味だ!?」

 

 声を荒げて、差した刀へと手を伸ばす。ばれた!? 馬鹿な、何処から漏れた。

 

「そのような事を何処から?」

 

「いえ、ね。私こう見えて陰陽師でして、妖怪退治もよく行っているのですよ。何時もの様に妖怪を殺していると、死にぞこないから声が聞こえたのですよ。『助けて聖様ー』でしたっけ?」

 

「……っ」

 

 先生を見る男の前へと動き牽制を掛けつつ、この状況に歯噛みする。

 この男にばれていると言う事は、この地方の領主も知っている。この状況を一刻も早く寺の皆にも知らせなければいけない。

 仕掛けるか? いや、男の力量が分からない。

 

「で、気になったので、怪我を治して拷問したら吐いてくれましたよ。簡単ではありませんでしたけどね。四肢潰して目玉抉ってやっとですよ、ははは」

 

「惨い事を……」

 

「惨い? 人を喰ってる化け物に惨い事しちゃ駄目でしょうか? 何時も人間が惨い事されてますよ? それとも貴方も化け物だったり?」

 

「……一人か?」

 

「さあ? 一人かも?」

 

 周囲、地面から、茂みから、畑の中から、黒装束の者達が一斉に現れる。黒装束の者が一斉に何かを投擲する。

 狙いは先生。

 

「先生!!」

 

 反射的に先生の元へ走り出す。投擲されたのは小型の刃。飛び道具として特化しているのか速い。

 滑り込む込むように先生を掴み、勢いを止めずに飛ぶ。

 

「加持丸! 狙いは私です。早く……」

 

「時間を稼ぎます。急いで寺へ!!」

 

 この瞬間、一番優先すべきことは先生の安全。全ては二の次でしかない。

 

「早く! 御逃げ下さい!! 失礼!」

 

 先生を階段の上へと放り投げた。先生の身体能力ならばこの程度の着地は容易。

 階段に着地した先生は一瞬此方を見て、すぐに上へと消えた。

 

「凄いですね。流石、妖怪を手なずけているだけはある」

 

 軽い拍手をしながら、男が階段に足を掛けた。

 

「先生をどうするつもりだ」

 

「殺すと言えば」

 

「させぬ」

 

「出来ますかね?」

 

 時間を掛けることは出来ない。速攻でこの男を倒す。

 

「命蓮寺護衛兼門番、加持丸参る!」

 

「陰陽師。妖怪退治専門、安倍と名乗っておきましょうか」

 

 刃と札の中へと飛び込んだ。

 

 




「加持丸の馬鹿やろー」
『……どうしかもんかのー』

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