悔いなき選択 ※休止   作:Jefflocka

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まさかまさかの現実のジムとダンまち要素をうまく融合w


CHAPTER2 研牙築城編
第8話 積み上げる牙、修練棟計画始動


第8話 積み上げる牙、修練棟計画始動

 

 クノッソスの存在に触れてから、星屑の庭の空気は少し変わった。

 

 穏やかさが消えたわけじゃない。朝の光は同じように石畳へ落ちるし、井戸の水も変わらず冷たい。アストレア様の声も、夜になれば相変わらず柔らかい。

 

 けれど、その全部の下に、見えない緊張が一本通った。

 

 俺たちはもう、ただ裏路地で血の匂いを拾って噛みつく野犬じゃない。獲物を見つけて食らい、危険を嗅いで退き、死にかけても翌日にはまた牙を剥く。そういう生き方でここまでは来た。

 

 だが、それだけじゃ届かない場所を見てしまった。

 

 地下に迷宮がある。

 人が攫われ、資材が流れ、命令が飛び、補修が続いている。

 あれは隠れ家じゃない。

 都市の足元に埋め込まれた、もう一つの戦場だ。

 

 敵は根を張っている。

 

 なら、こっちも場当たりの咄嗟だけじゃ足りない。

 

 俺の『一厘直観』は、不利の底でこそ冴える。だが、冴えた先に動く体がなければ意味がない。ザイロが噛みつく線。パトーシェが止める間合い。俺が縫う隙間。誰が前に出て、誰が半歩遅らせ、誰が生きたまま退くか。

 

 そういう盤面そのものを、体に叩き込まなきゃならない。

 

 つまり、鍛え直しだ。

 

 

 夜明け前。

 

 星屑の庭の石畳にはまだ露が残っていた。空気は冷たく、息を吐けば白い。俺は短剣を握り、誰もいない中庭の中央で構える。

 

 重心。

 肩の力を抜く。

 足から腰へ。腰から背へ。背から腕へ。腕から刃へ。

 

 一歩。

 二歩。

 横薙ぎ。

 切り返し。

 突き。

 退く。

 もう一度。

 

 地味だ。

 

 ひどく地味だ。

 

 だが最後に物を言うのは、たいていこういう積み上げだともう分かっている。戦場で閃くものは、結局、平地で積んだ反復の総量からしか出てこない。

 

「遅ぇな」

 

 横から、心底感じの悪い声が飛んできた。

 

 ザイロだ。

 

 庭の端で腕を組み、寝起きみたいな顔でこちらを見ている。だるそうな面のくせに、目だけはやたら冴えていた。

 

「朝から人の鍛錬にケチつけるとか趣味悪ぃぞ」

 

「褒めてんだよ。前よりはマシだ」

 

「それ褒めてないだろ」

 

「俺基準では十分褒めてる」

 

 面倒くさい男だ。だが、嘘はつかない。こいつが前よりマシと言うなら、少なくとも動きは変わっている。

 

「なら次は、お前が立て」

 

 俺が短剣の切っ先を少し向けると、ザイロは片眉を上げた。

 

「朝からか?」

 

「朝だからだ。頭が冷えてるうちにやる」

 

「はっ。生真面目だな」

 

 そう言いながらも、ザイロは立つ。素手のまま。構えは低く、重心は深い。気怠げな空気と、全身の静けさが噛み合っていない。そういう男だ。

 

「三本」

 

 俺が言う。

 

「先に一本取った方が勝ち」

 

「安い勝負だな」

 

「鍛錬だからな」

 

 次の瞬間、ザイロが消えた。

 

 速い。いや、速いだけじゃない。無駄がない。一歩目の沈み込みから懐へ入るまでが短すぎる。正面から来ているはずなのに、視界の端ではもう脇腹にいる。

 

 『一厘直観』が軽く脈打つ。

 

 下がるな。

 右へ半歩。

 肩じゃなく肘を見ろ。

 

 体が先に動いた。短剣の腹で流し、ザイロの腕筋を外へ逃がす。だが、その次の肘打ちが来る。近い。嫌な距離だ。

 

 防げない。

 

 そう思った瞬間、自分から膝を入れて距離を潰した。まともに受けるんじゃない。崩しに行く。

 

 鈍い音。

 

 二人とも半歩ずつ弾かれる。

 

「……悪くねぇな」

 

 ザイロが口元を歪めた。

 

「前なら顔面に入ってた」

 

「言い方が最悪だな」

 

「事実だろ」

 

 その時だった。

 

「朝から何をしているのだ、貴様らは!」

 

 うるさい。振り返らなくても分かる。

 

 パトーシェだ。

 

 案の定、槍だけじゃない。木剣まで持っている。嫌な予感しかしない。

 

「鍛錬だ」

 

「見れば分かる! そうではなく、何故私を置いて始めている!」

 

「寝坊したからだろ」

 

 ザイロが即答する。

 

「寝坊ではない! 祈りの時間が長引いただけだ!」

 

「長ぇんだよ、その祈りが」

 

「神への敬意を何だと思っている!」

 

「少なくとも鍛錬サボる言い訳じゃねぇな」

 

 いつもの応酬。だが今日は少し違った。パトーシェは怒鳴りながらも、ちゃんと木剣を構えていた。最初から混ざる気だ。

 

「よし、では私も入る!」

 

「待て」

 

 俺が即座に止める。

 

「今日は個人戦じゃない。連携だ」

 

 パトーシェが目を瞬いた。

 

「連携?」

 

「ああ。クノッソス相手に、もう“自分だけ強い”は通らない。お前の槍、ザイロの近接、俺の差し込み。その噛み合わせをやる」

 

 ザイロが鼻を鳴らした。

 

「ようやくそこまで言うようになったか」

 

「前から言ってた」

 

「言ってたのと、実際にやるのは別だろ」

 

 図星だった。

 

 俺は木剣をパトーシェへ向ける。

 

「まずお前。一直線に突っ込むな」

 

「それは私の持ち味だ!」

 

「だから死ぬって言ってんだよ」

 

「なっ……!」

 

「お前の槍は“届くこと”が強みだ。なのに毎回、自分から最短で肉薄して長所を殺してる。まず間合いを支配しろ。届く距離から届かせろ」

 

 パトーシェは露骨に不服そうだった。だが、反論の言葉は飲み込んだ。こいつも分かっている。クノッソスを見た後では、自分のやり方だけで勝てるとは言えないと。

 

「ザイロ、お前は逆だ」

 

「何が」

 

「近すぎる。噛みつくまでが速いのは武器だが、全員がそれを前提に動くと盤面が潰れる。お前は“自分が最初に喰う”以外の噛み方を覚えろ。中衛からでも殺せるようになれ」

 

 ザイロが露骨に嫌そうな顔をした。

 

「つまんねぇな」

 

「生き残る方が面白い」

 

「……それで納得させる気かよ」

 

「させる」

 

 

 そこから始まったのは、地獄みたいに地味な鍛錬だった。

 

 パトーシェには、前へ出る足を半歩止めさせる。

 届く距離から届かせる。

 突いて、引く。

 押し込まず、線を支配する。

 相手を倒す槍じゃなく、“そこへ入れない”ための槍へ変える。

 

 ザイロには、わざと一拍遅らせて動かせる。

 パトーシェが作った穴へ滑り込み、俺が誘導した死角へ入る。

 単独最速じゃない。

 隊列最速へ変える。

 

 そして俺は、その二人の間を縫う。

 差し込み、引き、崩れた線を繋ぐ。誰かが不用意に前へ出そうになれば声で止める。

 

 何度も。

 何度も。

 何度も。

 

「違う、パトーシェ、一歩深い!」

 

「ぐっ……!」

 

「ザイロ、早い! そこはお前が先に喰う場面じゃない!」

 

「チッ!」

 

「二人とも俺の位置を見ろ! 自分の戦いじゃなく盤面で動け!」

 

 息が上がる。

 汗が落ちる。

 腹が立つほど噛み合わない。

 

 だが、それでいい。

 

 連携なんて、一度で綺麗に噛み合うようなものじゃない。自己犠牲の騎士。他人の自己犠牲が嫌いな暴力男。その間で盤面を繋ぐ俺。この歪んだ組み合わせが、一発で美しくまとまるならむしろ気味が悪い。

 

 でも、少しずつ感触はあった。

 

 パトーシェの槍が、前より“生きて戻るための槍”になり始める。

 ザイロの暴力が、“自分だけで終わらない暴力”になり始める。

 俺の指示も、前より短く、前より通る。

 

 完璧じゃない。全然だ。むしろ失敗だらけだ。

 

 パトーシェは一度、自分が止めた敵へそのまま詰めに行こうとして、ザイロと正面衝突しかけた。ザイロはザイロで、待たせた瞬間に露骨に機嫌を悪くし、あえて逆側へ抜けて盤面を壊した。俺も二人を止めることに意識を割きすぎて、自分の差し込みの角度を一度見誤った。

 

 綺麗じゃない。

 

 だがその綺麗じゃなさが、逆に現実だった。

 

 

 昼前には三人とも汗だくになっていた。

 

「休憩だ」

 

 俺が言うと、パトーシェはその場へ座り込み、ザイロは壁へだるそうに背を預けた。

 

 ちょうどそのタイミングで、アストレア様が庭へ出てきた。冷たい水と簡単な軽食を持って。

 

「お疲れさま」

 

 それだけで少し空気が緩む。神の声ってやつは、こういう時ずるい。

 

 アストレア様は三人を見回し、少しだけ目を細めた。

 

「形になってきたわね」

 

「まだです」

 

 俺は即座に否定する。

 

「地下じゃ、この程度じゃ足りない」

 

「足りなくても、前より進んでいるなら意味はあるわ」

 

 その言葉に、パトーシェが少しだけ顔を上げた。こいつはアストレア様のこういう言葉に弱い。正義の女神に“進んでいる”と言われるのは、何より効くんだろう。

 

「……私は、ちゃんと変われているだろうか」

 

 珍しく、弱い問いだった。

 

 アストレア様は迷わず頷く。

 

「ええ。あなたはもう“自分だけの正しさ”では動いていないわ。仲間と一緒に、正しい結果を作ろうとしている」

 

 パトーシェが少しだけ唇を噛む。それから、静かに頭を下げた。

 

「……はい」

 

 ザイロはその様子を横目で見て、鼻を鳴らした。

 

「ま、俺から見ても前よりはマシだな」

 

「お前は言い方を学べ」

 

「お前もな」

 

 水を飲みながら、俺は無意識に門の外ではなく、本館と塀の向こうを見た。

 

 星屑の庭の隣。

 荒れたまま放置されている小区画。

 崩れかけた物置の残骸、伸びた草、積みっぱなしの古材。

 

 以前なら目に入っても、ただの余りの土地にしか見えなかった場所だ。

 

 今は違う。

 

 そこへ、ひどく具体的な形が重なって見える。

 

 細長い別棟。

 下三層に会員エリア。

 上三層にアストレア・ファミリア専用エリア。

 本館は偶然にも四階まである。なら、四階から渡り廊下で専用区画へ繋げられる。

 生活の場は守る。

 庭の静けさも残す。

 その上で、戦うための器だけを隣へ生やす。

 

 しかも、ただの鍛錬場じゃない。

 

 下は外へ開き、運営して稼ぐ。

 上は閉じ、牙を研ぐ。

 ゴブニュに設計と建築。

 ヘファイストスにマシン制作と維持管理。

 住民を雇って清掃と安全管理。

 責任者はファミリアが交代で立つ。

 ゴブニュとヘファイストスには優先利用時間を設定し、その分だけ依頼費を割り引いてもらう。

 そしてシャワールーム。

 絶対に要る。汗臭いまま本館へ戻るのは論外だ。

 

 あまりに鮮明すぎて、自分でも少し笑いそうになる。

 

 悪い顔、してるな。

 内心でそう思った。

 

「……レックス?」

 

 アストレア様の声で我に返る。

 

「何考えてるの?」

 

 パトーシェとザイロもこっちを見る。ザイロは露骨に嫌そうな顔をした。

 

「その顔、また何か思いついたな」

 

「失礼だな」

 

「当たってんだろ」

 

「……まあな」

 

 パトーシェが眉を寄せる。

 

「何だ」

 

 俺は一度、茶を飲んだ。喉を落ち着かせる。それから、隣地を指した。

 

「修練棟、作るぞ」

 

 沈黙。

 

 アストレア様が目を瞬く。パトーシェはそのまま固まり、ザイロは数秒遅れて鼻で笑った。

 

「はっ」

 

「何だその反応は」

 

「いや、やっぱりそこ行くかと思ってな」

 

「お前も考えてただろ」

 

「少しはな」

 

 パトーシェがようやく声を出す。

 

「待て、修練棟? 鍛錬のための建物を、わざわざ建てるのか?」

 

「わざわざじゃない。必要だからだ」

 

 俺は隣地を示したまま続ける。

 

「今の庭じゃ足りない。三人で連携鍛錬してるだけでも生活空間を圧迫する。今後人数が増えたらもっと無理だ。しかも鍛え方が雑すぎる。走る、振る、踏み込む、終わり。それじゃ弱点を弱点のまま抱える」

 

「ぐ……」

 

 パトーシェが少し刺さった顔をする。だが無視して続ける。

 

「だから切り分ける。動きを分ける。部位を分ける。負荷を分ける。段階を分ける。積み上げを仕組みに変える」

 

 アストレア様が静かに訊いた。

 

「具体的には?」

 

 来た。

 なら、もう止まらない。

 

「隣地に六階建ての修練棟を建てる。下三層は一般会員エリア。上三層はアストレア・ファミリア専用エリア」

 

「六階?」

 

 さすがにアストレア様もそこは驚いた。パトーシェは「ろ、六」と口の形だけ動かし、ザイロはとうとう肩を揺らして笑い始めた。

 

「やべぇ、ほんとに悪い顔してやがる」

 

「うるさい。細身でいい。豪華にする気はない」

 

 俺は指を折る。

 

「本館は四階まである。偶然にも、四階からなら向こうの四階へ渡り廊下を繋げられる。下は会員、上は専用。導線を分けるには都合がいい。生活空間からも騒音を切り離せる」

 

「待て待て待て」

 

 パトーシェが木剣を抱えたまま前へ出た。

 

「何故そんなに具体的なのだ」

 

「必要な形が見えてるからだ」

 

「いや、そうではなく、何故そういう発想になる!?」

 

「今さらそこ聞くのかよ」

 

 ザイロが笑う。

 

「こいつ、ずっとそういう奴だろ」

 

「しかし限度があるだろう!」

 

「限度を決めるのは地下迷宮じゃなくこっちだ」

 

 言い切ると、パトーシェがぐっと言葉に詰まる。アストレア様だけは黙って聞いていた。藍色の瞳が、俺の顔ではなく、隣地と本館を順番に見ている。もう想像している顔だ。

 

「一階から三階は会員用です」

 

 俺は続ける。

 

「設備は全部同系統。四階から六階の専用エリアも、基本は同じ設備を置く。ただし上は俺たち専用。鍛錬内容も連携も外へ見せない」

 

「設備が同じ、ということは」

 

 アストレア様が静かに訊く。

 

「下を使って収益を回し、上を維持するのね」

 

「そうです」

 

「……なるほど」

 

 その一言が、肯定だった。

 

 俺はさらに畳みかける。

 

「ゴブニュ・ファミリアに設計と建築を頼む。荷重、基礎、柱、騒音、導線、渡り廊下込みで。ヘファイストス・ファミリアにはマシン制作と維持管理。可動部、滑車、重石、保守契約」

 

 ザイロが感心したように息を吐く。

 

「そこまで切ってんのかよ」

 

「当然だろ。建てて終わりの施設にする気はない」

 

「清掃は?」

 

 アストレア様が今度はすぐに訊く。いい。もう完全に乗ってる。

 

「住民を雇う」

 

「安全管理は?」

 

「同じく住民。ただし責任者はファミリアが交代で立つ。規律と機密は外に丸投げしない」

 

「シャワールーム」

 

 それを言ったのはパトーシェだった。全員がそっちを見る。

 

「……要るのか?」

 

「絶対に要る」

 

 即答した。

 

「一階に男四、女四。四階にも男四、女四。トイレは男二、女二、一階も四階も同じ。汗だくで本館に戻るのは無理だ」

 

 ザイロが腹を抱えて笑い始めた。

 

「そこだけ妙に切実で笑う」

 

「笑いごとじゃない。運営上も衛生上も必要だ」

 

「いや、分かるけどよ」

 

「分かるなら笑うな」

 

 パトーシェは少し赤くなっていた。

 

「そ、そこは確かに……必要かもしれんが……」

 

 アストレア様が口元を押さえて笑っている。何だその顔。

 

「でも大事ね」

 

「大事です」

 

「ええ、そこは本当に大事」

 

 女神がそこを即承認するの、妙に強いな。

 

 少し笑いが混ざったあと、空気がまた静まる。アストレア様がゆっくり言った。

 

「……行くのね」

 

「どこへ」

 

「ゴブニュ・ファミリアへ」

 

「ええ」

 

「今日?」

 

 俺は隣地を見る。それからアストレア様を見る。

 

「今すぐでもいい」

 

 ザイロが「出たよ」と呆れたように言い、パトーシェは半ば本気で引いていた。だがアストレア様だけは少しだけ目を細め、それから笑った。

 

「そういうところ、好きよ」

 

 思わず黙る。真正面から来ると不意打ちなんだよ、それ。

 

「……でも、神に会いに行くなら礼は通しましょう」

 

「当然です」

 

「初対面なのだから、まずご挨拶。それから本題。そこは崩さないこと」

 

「分かってます」

 

「本当に?」

 

「本当に」

 

 アストレア様はそこで小さく息をつき、でも嬉しそうに頷いた。

 

「なら、行きましょう」

 

 その言葉に、胸の奥で歯車が噛み合う音がした。

 

 ただ鍛えるだけじゃない。

 ただ思いついただけでもない。

 今ここで、星屑の庭の外へこの構想を持ち出す。

 それだけで盤面が一段進む。

 

 

 昼過ぎ。

 俺たちは職人区画へ向かった。

 

 道中、パトーシェは妙に口数が少なかった。珍しい。ザイロは露骨に面白がっている。

 

「緊張してんのか、騎士女」

 

「していない!」

 

「声でかいぞ」

 

「していないと言っている!」

 

「してるやつの反応だな」

 

「貴様は本当に……!」

 

「まあ落ち着け」

 

 俺が言うと、パトーシェは少しだけ頬を膨らませた。

 

「何だ」

 

「いや……お前は緊張していないのか」

 

「してる」

 

 二人とも一瞬黙る。

 

「してるのかよ」

 

 ザイロが言う。

 

「当たり前だろ。初対面の神相手に、大規模建築と面倒な設備導入と金の話を持ってくんだぞ」

 

「じゃあ何でそんな平気そうなんだ」

 

「平気じゃない。必要だから行くだけだ」

 

 それを聞いて、ザイロが少しだけ笑った。パトーシェも、ようやく肩の力を少し抜く。

 

 職人区画の熱気は相変わらずだった。焼けた鉄の匂い。木を削る匂い。油。汗。人の手で街を回している場所の音だ。

 

 

 最初に向かったのは、ゴブニュ・ファミリア側の工房群だった。

 

 通された作業場の奥にいた神は、大柄だった。装飾は少ない。だが、ただ座っているだけで“積み上げる”という行為そのものの重みを持った存在感がある。

 

 ゴブニュ。

 

 神の視線が、俺たちを静かに見た。

 

「アストレア」

 

 低い声。地鳴りみたいに落ち着いている。

 

「久しいな」

 

「ええ、ゴブニュ。今日はお願いがあって来たの」

 

 アストレア様が一礼する。俺たちもそれに倣う。

 

「アストレア・ファミリア、レックスです」

 

「パトーシェ・キヴィアである」

 

「ザイロだ」

 

 ゴブニュは順に見て、最後に俺の方で少しだけ目を止めた。

 

「……この少年か」

 

「鍛えるための棟を建てたいそうだな」

 

「はい」

 

「しかも、ただの増築ではなく」

 

「設計から噛ませたいです」

 

 そこでゴブニュの口元が、ほんの少しだけ動いた。

 

「物を知らぬ者ほど“ただ建ててくれ”と言う。最初から設計を欲しがるなら、まだ話はできる」

 

 第一印象は悪くない。

 

 アストレア様が柔らかく続ける。

 

「生活空間と鍛錬空間を分けたいの。けれど、ただの物置ではなく、今後の運営も含めて機能する棟が必要なのよ」

 

「ほう」

 

「そして言い出したのは、この子」

 

 アストレア様が俺を見る。その視線が妙に信頼に満ちていて、少しだけ腹がくすぐったい。

 

「なら語れ」

 

 神の前で語る。やることは同じだ。

 

 俺は一歩出て、隣地、本館四階、渡り廊下、六階建て、下三層会員、上三層専用、設計建築、シャワー、トイレ、住民雇用、責任者当番、優先利用時間まで一気に話した。

 

 途中でザイロが横で「全部言うのかよ」という顔をしていたが、止まる気はなかった。ここは最初から全札を切るべき場面だ。

 

 ゴブニュは最後まで聞き、それから静かに言う。

 

「……面白い」

 

 アストレア様が少しだけ微笑み、パトーシェは明らかにほっとした顔をした。だが俺はまだ気を抜かない。

 

「ただし、お前」

 

 神の視線が刺さる。

 

「言っていることの半分は面倒だ。六階。渡り廊下。会員と専用の導線分離。衝撃吸収。重量区画。浴室。全部、ただの増築では済まん」

 

「分かってます」

 

「分かっていて言っているなら、なお面白い」

 

 ゴブニュの太い指が机を叩く。

 

「アストレア、お前の子は悪い意味で図々しいな」

 

 アストレア様がふっと笑う。

 

「ええ。でも、嫌いじゃないでしょう?」

 

「嫌いではない」

 

 神同士の、妙に分かり合った空気があった。

 

「いいだろう。設計と建築、こちらで預かる。見積もりは厳密に出す。だが、その前に実測と現場確認だ」

 

「ありがとうございます」

 

 俺が頭を下げると、ゴブニュは鼻を鳴らした。

 

「礼は早い。まだ高いぞ」

 

「承知してます」

 

「しかもお前、割引まで言ったな」

 

「言いました」

 

 ザイロが吹き出しかけ、パトーシェが肘で止めた。ゴブニュは完全に呆れていた。だが、その呆れは悪いものじゃない。

 

「優先利用時間を作るから、その分だけ割り引け、と」

 

「はい。完成後、ゴブニュ・ファミリア側が下層会員エリアを優先的に使える時間帯を設ける。それを報酬の一部へ組み込めないか、と」

 

「神相手に商売するか」

 

「必要なので」

 

 沈黙のあと、ゴブニュが笑った。深く、重く、愉快そうに。

 

「気に入った。そういう遠慮のなさは嫌いではない」

 

 アストレア様が少しだけ目を細める。今のでまた好感度が上がった顔だ。

 

 

 次に向かったのは、ヘファイストス・ファミリアの工房区画だった。

 

 こちらはゴブニュ側より鋭い。火と鉄と意地の温度が高い。

 

 案内された奥で、赤い髪と瞳の女神がこちらを見た時、空気が少しだけ変わった。理知的で落ち着いている。だが、その静かさの奥に火床みたいな熱がある。

 

 ヘファイストス。

 

 アストレア様が微笑む。

 

「久しぶりね、ヘファイストス」

 

「ええ。あなたがわざわざこちらへ来る時は、大抵何か面白い話を持ってくる時だと思っていたわ」

 

「今日はお願いよ」

 

「でしょうね」

 

 視線がこちらへ移る。

 

「初めまして。アストレア・ファミリアの子たちかしら」

 

 礼を取り、名乗る。

 

「レックスです」

 

「パトーシェ・キヴィアである」

 

「ザイロ」

 

「で、何を作らせたいの?」

 

 単刀直入。ありがたい。

 

「修練棟のマシン群よ」

 

 アストレア様が答える。

 

「ゴブニュには設計と建築を。あなたたちにはマシン制作と維持管理をお願いしたいの」

 

 ヘファイストスの目が少しだけ細くなった。

 

「……へえ」

 

「面白いでしょう?」

 

「面白いわね。ずいぶんと思い切ったことを考えるもの」

 

 俺は一歩出た。

 

「器具は全部導入する方針です」

 

 ヘファイストスの片眉が上がる。

 

「全部?」

 

「はい」

 

 そこからは、一つずつ話した。背中、肩、胸、腕、腹、脚、臀部。有酸素。フリーウェイト。ファンクショナル。下層と上層で同系統設備。維持管理前提の設計。滑車。重石。交換部位。

 

 ヘファイストスは途中で一度も止めなかった。ただ、必要な箇所でだけ問う。

 

「左右独立にこだわる理由は?」

「初心者用補助機構はどこまで安全を優先する?」

「重石の切り替えは細かさ優先か、壊れにくさ優先か?」

「保守周期はどう考えている?」

「利用者の汗や汚れを前提にするなら、交換前提部品はどこへ置く?」

 

 鋭い。

 全部、“作った後も生きるかどうか”に向いている。

 

 話し終えた時、ヘファイストスは静かに言った。

 

「……なるほど。あなたの中には、奇妙なくらい具体的な鍛錬思想があるのね」

 

「ええ」

 

「それはどこで覚えたの?」

 

 ここは嘘をつかない。

 

「妙に鮮明な記憶があるんです。夢みたいな断片です。でも鍛えることに関してだけは、器具も使い方もやけに残ってる」

 

 ヘファイストスは驚かなかった。ただ静かに頷いた。

 

「そういうこともあるのでしょうね」

 

 そして俺をまっすぐ見た。

 

「いいわ。受けましょう」

 

 パトーシェが小さく息を呑む。ザイロが肩を竦める。俺は一歩だけ頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

「ただし、全部を一度に完璧にはできない。最初は核から入る。保守も契約制。大きい修理や追加は別料金。そこは譲らない」

 

「問題ありません」

 

「それから」

 

 ヘファイストスの口元がわずかに柔らかくなる。

 

「優先利用時間の話、面白いわね」

 

 アストレア様がそこで笑った。

 

「でしょう?」

 

「ええ。こちらが制作と維持管理を担う以上、実際に使って確認する時間があるのは理にかなっている。むしろ好都合だわ」

 

「では」

 

 俺が言う。

 

「その分、依頼費を少し割引してくれますか」

 

 パトーシェが「言った!」みたいな顔をし、ザイロが肩を震わせた。アストレア様は笑いをこらえている。ヘファイストスは一瞬だけ目を丸くしたあと、ふっと笑う。

 

「遠慮がないのね」

 

「必要なので」

 

「アストレア」

 

「何かしら」

 

「あなた、この子気に入ってるでしょう」

 

「ええ、かなり」

 

 真正面から返されて、今度は俺が黙る番だった。やめろ。二柱がかりでそういうのは反則だ。

 

 ヘファイストスは椅子にもたれ、静かに頷いた。

 

「いいわ。優先利用時間の設定を契約へ組み込む。その分、初期費用は多少見直してもいい」

 

「助かります」

 

「ただし、壊された時は別よ」

 

「それは当然です」

 

「それと、マシンの使い方を理解しないまま乱暴に使われるのも困る。利用規則と責任者教育はきちんとやりなさい」

 

「やります」

 

「ならいい」

 

 

 そうして、ヘファイストス側も通った。

 

 帰り道、夕焼けがオラリオの屋根を赤く染めていた。パトーシェはまだ少し夢見心地で、ザイロは明らかに上機嫌だった。アストレア様は、隠そうともしない柔らかい笑みを浮かべている。

 

「……何だよ」

 

 居心地が悪くなって言うと、アストレア様は首を傾げた。

 

「何が?」

 

「その顔」

 

「どの顔かしら」

 

「妙に嬉しそうな顔」

 

「嬉しいもの」

 

 さらっと言う。

 もう少し濁せ。

 

「あなたが、鍛えることも、運営することも、街と繋がることも、ちゃんと全部まとめて考えていたから」

 

「必要だっただけです」

 

「そういうところが好きなのよ」

 

 まただ。しかも今度は前より真正面だった。ザイロが肩を揺らし、パトーシェは何故か自分が褒められたみたいな顔をしている。やめろ。

 

「……帰るぞ」

 

 ぶっきらぼうに言うと、アストレア様はくすくす笑いながら頷いた。

 

 星屑の庭へ戻る頃には、空はもう藍色へ沈み始めていた。

 

 本館四階の窓から見える隣地。そこへ、まだ影もない修練棟の形を重ねる。

 

 一階から三階が一般会員エリア。

 四階から六階がアストレア・ファミリア専用エリア。

 本館四階から渡り廊下。

 上下同系統の設備。

 シャワー。トイレ。責任者席。住民スタッフ。会員導線。専用導線。

 

 全部、まだこれからだ。

 

 だが、もうゼロじゃない。

 

 ゴブニュも、ヘファイストスも、アストレア様も、呆れながら笑っていた。

 それでいい。

 気に入られたならなおいい。

 

 剣はまだ届かない。

 されど、届かせるための器はもう動き始めた。

 

 第8話 積み上げる牙、修練棟計画始動 了

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