悔いなき選択 ※休止   作:Jefflocka

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今後は泥を塗るような展開も積極的に広げていきます。失敗があってこその成功なので、成功だけでは終わらせません。


第11話 灯を広げる器、その名を街へ

第11話 灯を広げる器、その名を街へ

 

 修練棟が立ち上がってから数日。

 

 星屑の庭の隣に生えた六層の塔は、もうすっかり景色になり始めていた。

 

 人間は慣れる生き物だ。

 最初は「何だあれ」と見上げていたザイロも、今では当たり前のように本館四階から渡り廊下を渡って六階へ消える。

 パトーシェも、最初こそ鍛錬にここまでの施設が要るのかと渋い顔をしていたが、今では五階のショルダー・プレスやレッグ・プレス群の前で真顔になっている時間の方が長い。

 アストレアは相変わらず穏やかだが、ふとした時に修練棟を見て、少しだけ誇らしそうに微笑むようになった。

 

 だが、建てた。

 動いた。

 鍛え始めた。

 

 それで終わりなら、ただの自己満足だ。

 

 ここから先は、街へ出す段階だった。

 

 修練棟は今、まだ一般開放していない。

 名札も規則も認証板も揃っているが、あくまで内部始動の段階。

 会員エリアとしての下三層は、現在ゴブニュ・ファミリアとヘファイストス・ファミリアによる試験運用中だ。

 

 正式名称も、今日ここで出す。

 

 アストレア・フィットネス。

 

 アストレア・ファミリアの専用修練棟でありながら、街へ開く器としての顔を持つ名だ。

 露骨すぎる威圧もなく、だが柔らかすぎもしない。

 レックスがいくつか案を切っていった末に残った名で、アストレアも、椿も、ゴブニュ側の現場職人たちも、妙な顔をしながら最後には「まあこれが一番通る」と頷いた。

 

 運用も固めた。

 

 一階から三階は一般会員エリア。

 営業時間は六時から二十四時。

 四階から六階はアストレア・ファミリア専用エリアで二十四時間利用可。

 有人営業時間は十一時から十九時。

 優先利用時間は十三時から十七時。

 ゴブニュ・ファミリアとヘファイストス・ファミリアが会員側施設を優先的に使える時間だ。

 

 今は一階から三階の完全二十四時間営業までは切らない。

 だが、いずれ無人帯を増やしても回るよう、認証と神の鏡、住民雇用、責任者当番、裏導線の運用は最初からその前提で組んである。

 

 有人営業と清掃を担うスタッフ。

 早朝と深夜の開錠施錠を担うスタッフ。

 それらは住民から雇った。

 完全に外から引くより、庭と棟の空気を知っている人間に回してもらう方がいい。

 無論、責任者はアストレア・ファミリアの人員が交代で受け持つ。

 

 アストレアは神だ。

 全体を包むことはしても、持ち場の責任者として座るべきではない。

 実際に運営するのは眷族であり、だからこそ眷族に責任を背負わせる必要がある。

 

 なら、順番がいる。

 

 まずはギルド。

 次にウラノス。

 その後で、街へ見せる。

 

 今日の盤面は、そのためにある。

 

 エルヴィンなら言うだろう。

 夢を語るだけの施設に価値はない。

 価値があるのは、街の中へ置いても機能し、盤面を一段先へ押し出す器だけだと。

 

 だから、礼を通す。

 先に筋を通し、あとで刃を見せる。

 順番を誤れば、正しい話でも胡散臭い。

 

 

 朝のギルド本部は、相変わらずせわしなかった。

 

 依頼を抱えた冒険者。

 書類を運ぶ職員。

 掲示板の前で顔をしかめる新人。

 大広間のざわめきと紙を捲る音が、街の血流みたいに絶え間なく流れている。

 

 そこへ、アストレア・ファミリアの四人が並んで入った。

 

 アストレア。

 レックス。

 パトーシェ。

 ザイロ。

 

 最初に気づいたのは、以前にも顔を合わせた疲れ顔の女性職員だった。

 こちらを見るなり、少し驚いてからすぐ表情を整える。

 

「アストレア・ファミリアの皆さん。本日はどういったご用件で?」

 

 アストレアが一歩前へ出て、柔らかく会釈した。

 

「報告と、お礼に来たの」

 

「お礼、ですか?」

 

「ええ。それと、もし可能ならウラノス様へもご挨拶したいわ」

 

 職員の目が少しだけ丸くなる。

 だが、すぐに頷いた。

 

「少々お待ちください」

 

 通された小部屋で、アストレアはアストレア・フィットネスの概要を簡潔に説明した。

 

 星屑の庭の隣に建てたこと。

 一階から三階は一般会員エリア、四階から六階はアストレア・ファミリア専用エリアであること。

 下三層の営業時間は六時から二十四時、上三層は二十四時間利用可であること。

 有人営業時間は十一時から十九時。

 住民から雇った有人営業スタッフと清掃スタッフ、開錠施錠スタッフを置き、責任者はファミリア側が当番で受け持つこと。

 神の鏡と恩恵認証による管理。

 ただし監視は共用部のみで、信頼を損ねる運用はしないこと。

 そして、目的は筋力向上と安全な鍛錬環境の整備にあること。

 

「筋力向上、ですか」

 

 年嵩の男性職員が眼鏡を押し上げた。

 

「はい」

 

 レックスが答える。

 

「冒険者も、職人も、結局は体が資本だ。地力が上がれば事故も減る。だから、まずはそこに寄せた施設として回す」

 

 わざとそれ以上は言わない。

 クノッソスのためだとか、裏の準備だとか、そんな話をここで出す気はない。

 表で通すべき理屈は、表の理屈として完成していなければならない。

 

 アストレアが静かに言葉を重ねる。

 

「それと、以前ダイダロス通り近辺の異変について、ギルドの皆さんはできる範囲で協力してくれたでしょう。だから、まず最初にお礼を言いたかったの」

 

 疲れ顔の職員が少しだけ困ったように笑った。

 

「私たちは職務をしただけです」

 

「職務でも、助かったものは助かったわ」

 

 アストレアの礼は真っ直ぐだった。

 ギルド職員は、たぶん感謝より文句を受ける方が多い。

 だからこそ、その一言は効く。

 

 レックスも続けた。

 

「アストレア・フィットネスを街へ見せる前に、ここへ通すべきだと思った。勝手に広げて後から軋むのが一番くだらない」

 

 男性職員が頷く。

 

「賢明です。では、試験運用中という前提で内部共有しておきましょう。正式掲示は発表会の後でも問題ありません」

 

「助かります」

 

 そこで、取り次ぎが返ってきた。

 

 ウラノスが会うと言っている。

 

 

 ウラノスの部屋は、相変わらず静かだった。

 

 静かなのに、底に巨大なものが沈んでいる気配がある。

 街の底を見続ける神。

 その重みが、室内の空気そのものを変えている。

 

 アストレアが一礼し、レックスたちも続いた。

 

「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」

 

 ウラノスは静かに頷いた。

 

「修練棟の件だな」

 

「はい」

 

 アストレアが柔らかく答える。

 

「神の鏡を特例で監視用途に回していただいたこと、お礼をお伝えしたくて」

 

 しばし沈黙。

 だが、それは急かさない沈黙だった。

 

「礼を言いに来るのだな」

 

 低い声。

 重いが、冷たくはない。

 

 レックスがまっすぐ言う。

 

「貸しだとは思ってません。必要な札を切ってもらった。だから、返せる形で返したい」

 

「返せる形とは」

 

「事故らせずにアストレア・フィットネスを回すことです」

 

 ウラノスの目が少しだけ細くなる。

 

「神の鏡を便利だからと雑に使えば、信頼が死ぬ。だから共用部だけに絞った。営業時間も絞った。段階を飛ばして街へ押しつける気はない」

 

「其方は、街の流れを壊さぬよう気を使っているのだな」

 

「壊して得する盤面じゃないので」

 

 ほんのわずかに、ウラノスの口元が動く。

 笑ったとまでは言えない。

 だが、機嫌は悪くない。

 

「よかろう」

 

 ウラノスは静かに言った。

 

「人を育てる器は、時に剣そのものより強い。其方らが、その器を誤らず使うことを望む」

 

 その言葉は、妙に胸へ残った。

 

 剣より強い器。

 たしかにそうだ。

 最後に届くのは剣や槍でも、そこへ届く形へ変えるのは、結局こういう器なのかもしれない。

 

 部屋を出る直前、疲れ顔の女性職員が小さく会釈した。

 レックスも軽く返す。

 

 礼は通った。

 順番は悪くない。

 

 

 発表会は、夕刻から行われた。

 

 星屑の庭の隣に立つアストレア・フィットネス。

 その一階会員エリアを中心に、街の主要ファミリアへ向けた簡易披露の場が設けられている。

 

 来た顔ぶれは濃かった。

 

 ゴブニュ・ファミリア。

 ヘファイストス・ファミリア。

 ヘルメス・ファミリアからアスフィ。

 ガネーシャ・ファミリアからアーディ。

 ディアンケヒト・ファミリアからアミッド。

 ロキ・ファミリアからフィン、リヴェリア、そしてアイズ。

 ギルド職員たちも数名。

 

 完全な祝宴ではない。

 だが、十分に街へ開くための顔ぶれだ。

 

 もちろん、表向きの理由は一つ。

 

 筋力向上と、より安全な鍛錬環境の提供。

 それだけだ。

 

 クノッソスも、ダイダロス・オーブも、ここでは影の中で黙っている。

 

 入口前で、アストレアが穏やかに迎えた。

 

「来てくれてありがとう」

 

 フィンが小さく笑う。

 

「面白い話を聞いたからね。見に来ない手はない」

 

 リヴェリアは建物を見上げ、静かに頷いた。

 

「外観は質実剛健。だが、考えは通っていそうだな」

 

 その横で、アイズだけが別の方向を見ていた。

 

 いや、違う。

 一直線にレックスを見ていた。

 

「レックス」

 

 小さく、だが迷いなく名前を呼ぶ。

 そのまま真っ直ぐ近づいてくる。

 

 レックスは一瞬だけ嫌な予感がした。

 

 次の瞬間、アイズが袖を軽く掴んだ。

 

「来た」

 

「見りゃ分かる」

 

「会いたかった」

 

 場が静まる。

 そして一拍遅れて、笑いが広がった。

 

 フィンがまず肩を揺らす。

 

「なるほど。君が言っていた“懐かれている”というのは本当だったらしいね」

 

 リヴェリアまで口元を隠している。

 

「珍しいな。あの子がここまで素直に寄るのは」

 

 アーディが目を輝かせた。

 

「えっ、なにそれ可愛い!」

 

 ザイロが露骨ににやつく。

 

「お前、剣姫に懐かれてんのかよ」

 

「うるさい」

 

 レックスが低く返すが、耳が少し熱い。

 アイズはそんなことお構いなしに、袖を掴んだまま首を傾げていた。

 

「だめだった?」

 

「だめじゃない」

 

「ならよかった」

 

 その無垢さが余計に刺さる。

 周囲の笑いはしばらく止まらなかった。

 

 アストレアが小さく笑って言う。

 

「レックス、人気者ね」

 

「アストレア様まで言わないでくれ」

 

「ふふ」

 

 その笑みがやけに楽しそうで、少しだけ恨めしい。

 

 

 場が落ち着いたところで、レックスたちは来客を案内し始めた。

 

 一階。

 二階。

 三階。

 筋力向上と安全な鍛錬のための空間として説明していく。

 

 フィンは質問が鋭い。

 リヴェリアは運用と教育の視点で見ている。

 ギルド職員は人流と規則を気にしていた。

 ゴブニュとヘファイストスの職人たちは、もはや自分たちの仕事の確認半分だ。

 

 その中で、レックス・ザイロ・パトーシェにとって今日大きかったのは、別の三人だった。

 

 アスフィ。

 アーディ。

 アミッド。

 

 これまで点で繋がってはいた。

 だが、こうして同じ場で肩を並べるのは初めてに近い。

 

 最初に自然に噛んだのは、ザイロとアスフィだった。

 

 認証板の前で、アスフィが淡々と説明する。

 

「ここは登録会員と専用認証の切り分けです。四階以上へは一般会員は通しません」

 

 ザイロが壁にもたれて聞く。

 

「壊れねぇのか、これ」

 

「壊したいんですか」

 

「聞いただけだ」

 

「なら触らないでください」

 

「信用ねぇな」

 

「ありますよ。あなたに雑な手癖があることを知っているだけです」

 

 その返しが速い。

 ザイロが少しだけ口元を歪める。

 

「いい性格してるな」

 

「あなたほどでは」

 

「嫌いじゃねぇ」

 

「光栄です」

 

 全く光栄そうではない。

 だが会話の噛み方は悪くなかった。

 互いに手数が速い。

 棘があるのに、妙に通る。

 レックスは横目で見て、少しだけ納得する。

 

 次に、パトーシェはアーディに捕まっていた。

 

「騎士ちゃん、こっちこっち!」

 

「騎士ちゃんではない!」

 

「じゃあパトーシェ!」

 

「貴様は距離が近いな!?」

 

 アーディはまったく気にしない。

 

「だって話しやすいし! それに、あなた絶対真面目じゃん。こういう施設の運用、けっこう向いてるでしょ?」

 

 パトーシェが少しだけ目を瞬く。

 

「……分かるのか」

 

「分かるよ。こういうのって、ちゃんと見張る人がいないとすぐ崩れるもん」

 

 明るい。

 だが軽いだけではない。

 その言葉にパトーシェもすぐ反発しなかった。

 

「まあ、そうだな。規律が死ねば、どれだけ設備があっても意味がない」

 

「でしょ!」

 

「だが、近い! 近いと言っているだろう貴様、何故そんな当然みたいな顔で腕を引くんだ、いや別に嫌ではないが急にやられると判断が遅れるだろう!」

 

 早口になった。

 アーディはきょとんとしてから、次の瞬間にぱっと笑った。

 

「今の可愛かった!」

 

「かわっ……!? ち、違う! 今のはそういうのではなく――!」

 

 さらに早くなる。

 ザイロが遠くで吹き出した。

 

「出たな」

 

「笑うな貴様!」

 

 場が和む。

 そしてその和み方が、変に安っぽくない。

 アーディはちゃんと、パトーシェの真面目さを笑いものにはしていなかった。

 

 

 レックスの方は、アミッドと二階有酸素エリアの前で並んでいた。

 

 トレッドミル六基。

 クロストレーナー。

 アップライト・バイク。

 それらを見ながら、アミッドが静かに言う。

 

「思ったより、ちゃんと“継続”に寄せていますね」

 

「筋力向上が目的だからな」

 

「見栄えより回転を取ってる」

 

「そうしないと、結局使われなくなる」

 

 アミッドが小さく頷く。

 

「いいと思います」

 

 短い言葉。

 でも、その短さが妙に心地いい。

 

「怪我人を増やす施設ではなく、怪我を減らす施設にしたいんです」

 

 レックスが言うと、アミッドの視線が少しだけ柔らかくなる。

 

「それは、治療師としてかなり好きな考え方です」

 

「そりゃよかった」

 

「ただし」

 

 アミッドが二階の端を指す。

 

「有酸素は、顔色を見れる位置から管理した方がいい。呼吸が乱れる人は、自分では止まれない時があります」

 

「……そこか」

 

「そこです」

 

 レックスは素直に頷いた。

 

「あとで動線修正を入れる」

 

「はい」

 

 会話が速い。

 説明が少ない。

 でも妙に噛み合う。

 

 その様子を、少し離れたところからフィンが見ていた。

 口元がうっすら笑っている。

 気づかないふりをしておく。

 

 だが、そのあとだった。

 

 三階フリーウェイトエリアの説明に入った時、レックスは少しだけ言葉を選び損ねた。

 

「ここは多少無茶をする連中も入る。怪我はゼロにはできない。だから最悪、応急で繋いででも次へ行ける前提で――」

 

「よくありません」

 

 空気が、止まった。

 

 声量は高くない。

 だが、妙に芯の通った声だった。

 

 アミッドが、真っ直ぐこちらを見ていた。

 普段の淡々とした顔のまま。

 だが、その目だけは静かに怒っている。

 

「それは、よくありません」

 

 誰もすぐには口を挟まなかった。

 アスフィも、アーディも、フィンたちも、話の芯がそこで変わったのを感じ取ったらしい。

 

 レックスは眉を僅かに寄せた。

 

「何がだ」

 

「今の言い方です」

 

 アミッドは一歩だけ前へ出る。

 

「応急で繋げば次へ行ける、と、あなたは今当然みたいに言った。でも、それは“治す側”からすればかなり悪い前提です」

 

 空気が締まる。

 

「必要な無茶はあるでしょう。戦場ならなおさらです。ですが、それを施設の思想として口にするのは違う」

 

「思想として言ったつもりはない」

 

「でも出ました」

 

 即答だった。

 

「あなたの中に、それが前提としてあるからです」

 

 レックスは、その一言に少しだけ言葉を失う。

 

「アストレア・フィットネスは、怪我を減らすための器なんでしょう」

 

「……そうだ」

 

「なら、“壊れた後どう繋ぐか”より先に、“壊さないためにどう止めるか”を置くべきです」

 

 静かな怒りだった。

 そのせいで、余計に刺さる。

 

「治療師は、壊れたものを繋げます。繋げるためにいます。でも、それを当然の後ろ盾みたいに扱われるのは、好きではありません」

 

 レックスの頭のどこかが、一拍遅れて軋んだ。

 

 反論は浮かぶ。

 浮かぶが、言葉になりきらない。

 応急で繋がなければ死ぬ局面はある。

 壊れることを前提に動かざるを得ない盤面もある。

 それは事実だ。

 

 だが、今アミッドが怒っているのは、そこじゃない。

 

 “最初から壊れる前提で口を滑らせたこと”。

 そこだ。

 

「あなた、自分が治療される側に回るのを当然だと思っていませんか」

 

 低い。

 でも一切ぶれない問いだった。

 

 レックスは、初めて少しだけ視線を逸らした。

 

「当然じゃない」

 

「では、当たり前みたいに言わないでください」

 

 ぴたりと言う。

 

「そういう人は、治療室へ運ばれてきた時も“これくらい平気だ”と言います。周りの顔色も見ないで、次の仕事の話ばかりする」

 

 その言葉で、妙に胸の奥が詰まった。

 

 見られている。

 いや、まだ深く知られてはいない。

 なのに、そこで怒ってくる。

 

「……初対面に近い相手へ、ずいぶん言うんだな」

 

 出た言葉は少しだけ尖っていた。

 もっと上手く返したかったが、できなかった。

 

 アミッドは怯まなかった。

 

「初対面でも、治療室に運ばれてくる人間の種類は何となく分かります」

 

 そこへ、アーディが少しだけ困ったように口を開いた。

 

「アミッド」

 

「止めないでください。ここは言わないと駄目です」

 

 珍しく強い。

 アーディが目を丸くする程度には強かった。

 

「筋力向上施設を作る人が、“多少壊れても次へ行ける”を先に置くのは駄目です。そんな考え方で回したら、鍛える器じゃなく、壊す前提の器になります」

 

 沈黙。

 

 リヴェリアが、少しだけ目を細めた。

 フィンの笑みも消えている。

 アスフィは無言で様子を見ていた。

 アストレアは何も言わない。

 その代わり、レックスから目を逸らさない。

 

 逃がさないのでもなく、庇うのでもなく。

 ちゃんと、自分で受けろという目だ。

 

 レックスは喉の奥で、小さく息を吐いた。

 

「……悪かった」

 

 それは、ひどく久しぶりに口にする類の言葉だった。

 

 アミッドの目がわずかに動く。

 

「言い方が軽かった」

 

「軽いだけではなく、危険です」

 

 まだ刺してくる。

 そこまで本気なのかと、少しだけ呆れる。

 そして同時に、妙に胸が熱くなる。

 

「でも、分かりました」

 

 アミッドは少しだけ視線を落としてから続けた。

 

「あなたが本当に作りたいのは、“無茶を通す場所”じゃなくて、“無茶を減らす場所”なんでしょう」

 

 レックスは答えるまでに一拍かかった。

 

「……ああ」

 

「なら、そこは最初から曲げないでください」

 

 その言葉は静かだった。

 けれど、さっきの怒りよりも深かった。

 

 レックスは、そこでようやく腹の奥が落ちた気がした。

 

 この人は本気で怒っている。

 損得じゃない。

 面倒だからでもない。

 ただ、自分が壊れる前提を当然みたいに置いたことが、気に食わないのだ。

 

 初対面に近い相手が、そこまで怒る。

 

 意味が分からない。

 だが、不思議と嫌じゃない。

 むしろ、少しだけ嬉しい。

 

 そんな感情の動き方が、自分でも少し気持ち悪かった。

 

 

 場を戻したのはフィンだった。

 

「さて」

 

 空気をわざと軽くするように言う。

 

「それなら、この施設の思想はより明確になったわけだね。壊れても繋ぐ場所ではなく、壊れる前に止めるための場所」

 

 アミッドは小さく頷く。

 レックスも、それに乗るしかなかった。

 

「そうする」

 

 短く言う。

 

 そして、数秒迷ってから続けた。

 

「二階の説明も少し直す。継続だけじゃなく、停止判断も運用へ入れる」

 

 アミッドがそこで初めて、わずかに表情を緩めた。

 

「それなら良いと思います」

 

 たったそれだけの変化なのに、妙に目が離せなかった。

 

 アーディが「いやあ、びっくりした!」と笑って場を和らげ、アスフィは「静かな治療師ほど怒ると怖い典型ですね」と淡々と言い、ザイロは遠くから「お前、珍しく真正面から怒られてんな」とにやついた。

 パトーシェは真顔で頷いている。

 たぶん、今のは完全にレックスが悪いと思っている。

 

 それでいい。

 今回は、それでいい。

 

 

 一通り案内が終わる頃には、アストレア・フィットネスの空気そのものが少し変わっていた。

 

 最初は“新しい建物”として見ていた連中が、今は“どう使うか”を考え始めている。

 それが一番大きい。

 

 ギルド職員たちは会員管理の話を住民スタッフと詰めていた。

 ゴブニュとヘファイストスの職人たちは、試験運用中のフィードバック項目を再確認している。

 フィンはフィンで、リヴェリアと何やら小声で話していた。

 アイズはまだレックスの近くからあまり離れていない。

 もう好きにしてくれという気分だ。

 

 最後に、アストレアが一階の中央で皆へ向き直る。

 

「今日は来てくれてありがとう」

 

 場が静かになる。

 

「このアストレア・フィットネスは、ただ新しい場所を作りたかったわけではないの。鍛えるための器を、ちゃんと街の中で回る形で作りたかった。だから、まずは一か月、試験運用を行うわ」

 

 その声は柔らかい。

 だが、芯はぶれない。

 

「ゴブニュ・ファミリアとヘファイストス・ファミリアには、会員エリアの優先利用時間で協力してもらう。住民スタッフと私たちも研修を積む。その上で、一般開放へ繋げるつもりよ」

 

 ギルド職員の一人が頷いた。

 

「段階を踏むのは賢明です」

 

 フィンも静かに視線を上げる。

 

「いい判断だね。器は、立てるより回す方が難しい」

 

「ええ」

 

 アストレアは微笑んだ。

 

「だから焦らない」

 

 その一言で、今日の発表会の芯は通った。

 

 ここは見栄の塔じゃない。

 筋力向上のための器であり、ちゃんと回していく場所だ。

 それを、街へ見せることができた。

 

 

 客が帰り始める頃、入口前でアスフィ、アーディ、アミッドの三人が並ぶ場面があった。

 

 レックス、ザイロ、パトーシェも自然とそこへ寄る。

 

「今日は助かった」

 

 レックスが言う。

 

 アスフィが肩を竦めた。

 

「認証板の説明くらいなら当然です」

 

 アーディは明るく笑う。

 

「でも面白かった! 今度ほんとに使いに来たい!」

 

 アミッドは静かに頷いた。

 

「私も、運用が本格化したらまた見ます。怪我を減らせるなら、それは良い施設ですから」

 

 ザイロがアスフィを見る。

 

「じゃあ次は、壊れねぇかお前が横で見てろ」

 

「壊す前提で言わないでください」

 

「壊さねぇよ」

 

「信用は半分です」

 

 パトーシェはアーディへ向き直る。

 

「今日は……その、悪くなかった」

 

「ほんと!?」

 

「貴様は騒がしいが、場を軽くするのは上手い」

 

「やった!」

 

「だが、近い! 喜び方が近い!」

 

 また早口だ。

 アーディが笑い、ザイロがそれを見て笑い、アスフィがわずかに呆れた目をした。

 

 そして、レックスは少しだけ迷ってからアミッドへ言った。

 

「さっきは、悪かった」

 

 アミッドが目を上げる。

 

「いいえ」

 

「いや、よくない。あれは俺の認識が甘かった」

 

 自分でも、ここまで言い直すとは思っていなかった。

 だが、言わないと終わらない気がした。

 

 アミッドは数秒だけ黙ってから、小さく息を吐く。

 

「……分かればいいです」

 

「怒るんだな、あなた」

 

「怒りますよ。治療師ですから」

 

 その返答が、少しだけ面白かった。

 

「初対面に近い相手にも?」

 

「そこは関係ありません」

 

「変な人だな」

 

「あなたに言われたくありません」

 

 ぴしゃりと返される。

 だが、さっきまでの怒りとは違う。

 少しだけ温度が下がっている。

 

「また来てくれ」

 

 今度は自然に出た。

 

 アミッドは少しだけ目を細めた。

 

「必要なら」

 

「必要だよ」

 

「……なら、来ます」

 

 短い。

 だが、それで十分だった。

 

 初対面に近いのに、ここまで本気で怒ってくれた。

 その事実が、妙に胸の奥へ残っていた。

 まだよく分からない。

 だが、忘れない気がした。

 

 

 夜。

 

 発表会が終わったアストレア・フィットネスは、また静かな塔へ戻っていた。

 

 会員エリアは閉じている。

 共用部では神の鏡が無言で光を拾い、四階から上の専用エリアだけがまだ生きている。

 

 レックスは四階の窓辺に立ち、オラリオの灯を見ていた。

 

 ギルドにも礼を通した。

 ウラノスにも挨拶した。

 街の主要ファミリアにも見せた。

 発表会は、十分に意味を持った。

 

 しかも今日、ただ見せただけじゃない。

 人の線もできた。

 

 ザイロとアスフィ。

 パトーシェとアーディ。

 そして自分とアミッド。

 

 まだ大きな何かじゃない。

 でも、線は引かれた。

 こういう線は、後で効く。

 

 隣ではアイズが、まだ何故か当然のように居た。

 

「まだいるのか」

 

「いる」

 

「帰れよ」

 

「もう少し」

 

 即答だった。

 少しだけ笑ってしまう。

 

 窓の外、オラリオの灯が静かに揺れている。

 

「……悪くない」

 

 小さく呟く。

 

 器は整った。

 街にも見せた。

 線も増えた。

 なら次は、使い、回し、直し、積む番だ。

 

 だが、今日残ったのはそれだけじゃない。

 

 “壊れる前提を当然みたいにするな”。

 

 あの言葉が、まだ胸の奥で引っかかっている。

 

 正しい。

 少なくとも、嫌なほど正しい。

 だから腹が立たない代わりに、妙に消えない。

 

 初対面に近い相手が、あそこまで本気で怒る。

 しかも、自分が雑に扱われることじゃなく、自分が自分を雑に扱うことに。

 

 意味が分からない。

 でも、少しだけ嬉しかった。

 

 そこまで考えてから、自分で自分に少しだけうんざりする。

 

「面倒だな」

 

「何が?」

 

 いつの間にかアイズがこちらを見ていた。

 

「別に」

 

「考えごと」

 

「そうだよ」

 

「怒られた?」

 

 やけに核心が速い。

 

「……怒られた」

 

「珍しい」

 

「そうだな」

 

 アイズは少しだけ考える顔をしたあと、ぽつりと言った。

 

「大事にされたんじゃない」

 

 レックスは、そこで初めて完全に言葉を失った。

 

 窓の外の灯が、少しだけ滲む。

 いや、滲んだように見えただけかもしれない。

 

 アイズはそれ以上何も言わなかった。

 ただ、当たり前みたいな顔で隣に立っている。

 

 大事にされた。

 その言い方は、妙に乱暴で、妙に正確だった。

 

 アミッドはたぶん、今日の自分の言い方を正しいと思っている。

 そこに駆け引きも、飾りもなかった。

 だからこそ、刺さったのだろう。

 

 アストレア・フィットネスは、ただの塔じゃない。

 表へ開き、裏で牙を研ぐ器。

 そして今日、その灯は街の中へ知られた。

 

 同時に、レックスの中にも小さな灯が一つ増えた。

 

 まだ名前はない。

 だが、信頼の芽というものは、案外こういう痛みの中で生まれるのかもしれなかった。

 

第11話 灯を広げる器、その名を街へ 了




なお、この日のアイズはそのままでは帰りませんでした。
レックスの横に当然のように居座り続けたため、最後はじゃが丸くんで釣られています。
「……帰る」
と言いながら受け取っていたので、たぶん本人の中では釣られていません。
たぶん。
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