悔いなき選択 ※休止   作:Jefflocka

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前回のあらすじ

星屑の庭は、都市の底へ通じる重要な鍵を抱え込むことになった。
大きすぎる秘密を前に、レックスは自分一人で背負おうとするが、アストレアから「一人で抱えるな」と静かに釘を刺される。
守るべきものと危険の輪郭がはっきりし始めた翌朝、星屑の庭に一人の少女が現れる。


CHAPTER4 奪還の黒星編
第22話 この庭に立つ


第22話 この庭に立つ

 

 朝の空気は、昨日より少しだけ重かった。

 

 空が曇っているわけじゃない。

 風が冷たいわけでもない。

 それでも、星屑の庭の中には目に見えない張りつめたものがあった。

 

 中庭を掃く音がやけに小さく聞こえる。

 厨房では朝の支度が進んでいて、裏手では水桶を運ぶ職員たちが静かに行き交っていた。

 誰もいつもと違う顔はしていない。

 でも、何かが変わったことだけは、みんな分かっている。

 

 俺は本館二階の廊下で、保管室の前に立っていた。

 

 この奥にあるのは、昨日持ち込まれた白い球体だ。

 丸く、静かで、見た目だけなら拍子抜けするほど無害そうなそれが、都市の底へ繋がる鍵なんて役目を持っている。

 笑えない話だ。

 

「また難しい顔してるな」

 

 横から声がした。

 

 ザイロだ。

 壁に肩を預けたまま、眠そうな目でこっちを見ている。

 

「してる自覚はある」

 

「あるなら少しは直せよ」

 

「直るなら苦労してない」

 

「そりゃそうか」

 

 ザイロは軽く笑った。

 

 その隣では、パトーシェが引き継ぎ用の紙を確認している。

 朝からきっちりした字で、巡回順と持ち場変更が並んでいた。

 

「昨夜の見張りに異常はない」

 

 パトーシェが言う。

 

「裏門、中庭、外周、保管室前、すべて予定通り交代済みだ」

 

「助かる」

 

「助かるで済む話じゃない」

 

 即座に返された。

 

「今ここで緩めれば終わる。分かっているな」

 

「分かってるよ」

 

「なら顔に出すな」

 

「無茶言うな」

 

「無茶を通す状況だ」

 

 正論が重い。

 

 そのとき、廊下の向こうからぱたぱたと足音が聞こえてきた。

 住み込み職員の一人が、息を少し切らして立ち止まる。

 

「レックスさん、パトーシェさん」

 

「何だ」

 

 パトーシェが顔を上げる。

 

「表にお客さんが来てます」

 

「客?」

 

「はい。アストレア様に会いたいって」

 

 職員は少し言いづらそうに続けた。

 

「ファミリアに入りたいそうです」

 

 ザイロが目を瞬かせた。

 

「この朝からか」

 

「元気だな」

 

 俺がぼそっと言うと、職員は困ったように笑った。

 

「かなり元気そうな子です」

 

 何となく嫌な予感がした。

 悪い意味じゃなく、静かでは済まなさそうな予感だ。

 

「アストレア様は?」

 

「もう玄関ホールに向かわれました」

 

「分かった」

 

 パトーシェが紙を畳む。

 

「行くぞ」

 

「俺もか」

 

「お前が行かない理由がない」

 

「ある意味では正しいな」

 

 ザイロもそのままついてくる。

 朝の静けさを引きずったまま、俺たちは階段を下りた。

 

 

 本館一階の玄関ホールには、朝の光が差し込んでいた。

 

 その真ん中に、一人の少女が立っている。

 

 赤い髪。

 まだ幼さの残る顔立ち。

 腰には細身の剣を一本。

 装備は軽く、どこか旅の途中みたいな雰囲気があった。

 

 そして、俺たちの姿を見た瞬間、ぱっと表情が明るくなる。

 

「初めまして!」

 

 声が大きい。

 

「私、アリーゼです!」

 

 その勢いのまま、アストレア様へ向かってぴしっと背を伸ばした。

 

「アストレア様のファミリアに入りたくて来ました!」

 

 真正面だった。

 

 遠回しな言い方も、探るような前置きもない。

 そのまますぎて、逆に一瞬言葉に詰まる。

 

「ずいぶん真っ直ぐだな」

 

 思わず口にすると、アリーゼがすぐこっちを見る。

 

「回りくどいと伝わりにくいでしょ?」

 

「初対面で言い切るなあ」

 

「でも本当だよ!」

 

 勢いが強い。

 

 アストレア様はそんな彼女を見て、やわらかく微笑んだ。

 

「ようこそ。私に会いたいと聞いたけれど」

 

「はい!」

 

 アリーゼは元気よく頷いた。

 

「強くなりたいんです。ちゃんと正しいことがしたいし、そのためにここで始めたいです」

 

 その言葉に、ホールの空気が少しだけ変わる。

 

 綺麗事と言えば綺麗事だ。

 でも、不思議と軽くは聞こえなかった。

 本人が本気だからだろう。

 

「どうしてここなの?」

 

 アストレア様が問う。

 

「噂を聞いたからです」

 

「どんな噂かしら」

 

「正しいことをやろうとしてる場所だって」

 

 アリーゼはそこで一拍置いてから続けた。

 

「それに、綺麗なだけじゃなくて、大変そうだって聞きました。だから自分の目で見たくて」

 

 ザイロが小さく笑う。

 

「ふわっとしてるようで、見てるとこは見てるな」

 

「褒めてる?」

 

「半分くらい」

 

「半分かあ」

 

 そこで、回廊の奥からベートが姿を見せた。

 

 話を聞きつけて来たらしい。

 面倒そうな顔でアリーゼを見る。

 

「で、入りたいって?」

 

「はい!」

 

「何ができる」

 

 遠慮がない。

 

 けれどアリーゼはひるまなかった。

 

「まだそんなにできません!」

 

 即答だった。

 

 一瞬、沈黙が落ちる。

 次の瞬間、ザイロが吹き出した。

 

「言い切ったなあ」

 

「だってできないことをできるって言っても仕方ないでしょ!」

 

 アリーゼは胸を張る。

 

「でも、できるようになるつもりで来ました!」

 

 その目だけは、冗談じゃなかった。

 

 ベートは鼻を鳴らす。

 

「威勢だけはいいな」

 

「威勢、大事だよ!」

 

「知らねぇよ」

 

 パトーシェがアストレア様へ視線を向ける。

 

「中を見せますか」

 

「ええ」

 

 アストレア様は頷いた。

 

「見るだけになるけれど、それでもいいかしら」

 

「もちろんです!」

 

 返事だけは本当に迷いがない。

 

 

 中庭へ出ると、朝の風が少しだけやわらいでいた。

 

 厨房前では朝食後の片付けが進み、裏手では備品を運ぶ職員たちが忙しく動いている。

 洗濯場では干し布が揺れ、物干しの間を抜ける風が白い布をふわりと持ち上げた。

 

 アリーゼはそれを、きょろきょろではなく、意外なくらい真面目な目で見ていた。

 

「思ったより、ちゃんと人がいる場所なんだね」

 

「どういう意味だ」

 

 パトーシェが聞く。

 

「もっと冒険者ばっかりの拠点かと思ってた」

 

 アリーゼは中庭を見回す。

 

「でも、ここって暮らしてる場所でもあるんだ」

 

 その言い方は、妙にしっくり来た。

 

 星屑の庭は戦うための拠点だ。

 それは間違いない。

 けれど剣を持つやつだけで回ってるわけじゃない。

 

 食事を作る手がある。

 洗濯をする手がある。

 補修をする手がある。

 そういう手の上に、ようやく俺たちの戦いが乗っている。

 

「へえ」

 

 ザイロが感心したように言う。

 

「ちゃんと見える子なんだな」

 

「見えてるよ?」

 

 アリーゼがすぐ返す。

 

「だって大事でしょ。誰がこの場所を支えてるのかって」

 

 言われて、少しだけ胸に引っかかった。

 

 昨日のことがまだ頭に残っているのかもしれない。

 危険も責任も、自分が前に立って受けるものだと思い込みすぎていた。

 でも本当は、庭はもっと多くの手で成り立っている。

 

「レックスくん」

 

「何だ」

 

「君、ちょっと無理してる顔してるね」

 

「初対面でそういうこと言うな」

 

「でもしてるでしょ?」

 

 否定しようとして、やめた。

 多分、顔に出ている。

 

「してる」

 

「だよね」

 

 アリーゼはあっさり頷いた。

 

「じゃあ一人で抱えすぎない方がいいよ」

 

「簡単に言うな」

 

「簡単じゃないけど、そう見えたから言ったの」

 

 さっきまでの勢いとは違う、少しだけ静かな声だった。

 

「ここって、一人で抱える場所じゃなさそうだし」

 

 その言葉の先に見えるのは、中庭を行き交う職員たちだ。

 朝の仕事を止めずに続ける人たち。

 俺たちが戦ってるから回るんじゃない。

 回っているから、俺たちも立てている。

 

 そんな当たり前のことを、改めて突きつけられた気がした。

 

 アストレア様が、そこで足を止める。

 

「アリーゼ」

 

「はい!」

 

「あなたはこの庭で、何をしたいの?」

 

 問いは静かだった。

 でも、まっすぐ芯を射抜く。

 

 アリーゼは少しだけ考えてから答えた。

 

「強くなりたいです」

 

 それは迷いのない声だった。

 

「今の私はまだ何もありません。できることだって少ないし、助けられる側だと思います」

 

 自分を大きく見せる気はないらしい。

 そこは好感が持てた。

 

「でも、それで終わりたくないです」

 

 アリーゼは拳を軽く握る。

 

「ここで始めて、ここで強くなりたいです」

 

 ベートが腕を組んだまま言う。

 

「みんな最初はそんなもんだ」

 

 あまりにあっさりした言い方に、逆にアリーゼがきょとんとした。

 

「そうなの?」

 

「当たり前だろ」

 

 ベートは面倒そうに続ける。

 

「最初からできるやつなんざいねぇよ」

 

「……じゃあ、今できないのも普通?」

 

「普通だ」

 

「よかった!」

 

「安心するところかよ」

 

 ザイロが笑い、パトーシェは小さく息を吐いた。

 

 でも、その空気はさっきまでより柔らかい。

 この時期の俺たちは、まだ完成した集団じゃない。

 それぞれが積み上げの途中で、アリーゼだけが特別下ってわけでもない。

 

 だからこそ、背伸びしないその言い方は収まりがよかった。

 

 アストレア様が静かに頷く。

 

「なら、受け入れましょう」

 

 アリーゼの顔が一気に明るくなる。

 

「本当ですか!」

 

「ええ。ただし、今日から始める子としてよ。焦らず、一つずつ覚えなさい」

 

「はい!」

 

「強さだけじゃない。この庭のこと、人のこと、自分のこと。全部を知って、それでも立ちたいと思えるかを、これから確かめていきなさい」

 

「はい!」

 

 返事が、今度は少しだけ震えていた。

 嬉しさだけじゃない。

 重さも分かったんだろう。

 

「それでも来る?」

 

「来ます!」

 

 即答だった。

 

「なら歓迎するわ。アリーゼ」

 

 

 加入の儀式は、本館の静かな一室で行われた。

 

 派手な飾りはない。

 けれど不思議と、その場所だけ空気が違う。

 日差しの入り方も、物音の遠さも、少しだけ神聖に感じられた。

 

 アストレア様が椅子へ腰を下ろし、その前にアリーゼが座る。

 俺たちは少し離れて見ていた。

 

 さっきまであれだけ元気だったアリーゼも、今はさすがに落ち着かないらしい。

 膝の上に置いた手に力が入っている。

 

「緊張している?」

 

 アストレア様が問う。

 

「……してます」

 

「逃げたくなった?」

 

「それはないです」

 

 少しだけ間を置いてから、アリーゼは続けた。

 

「怖くないわけじゃないけど、ここでやめたくはないです」

 

「いい子ね」

 

 アストレア様が微笑む。

 

「背を向けて」

 

 アリーゼはこくりと頷き、ゆっくりと姿勢を変えた。

 

 まだ何も刻まれていない背中が見える。

 当たり前だ。

 ここから始まるのだから。

 

 アストレア様の指先が、そっとその背へ触れる。

 

 部屋の空気が変わった。

 

 神の恩恵が降りる瞬間を、言葉でうまく説明するのは難しい。

 光が見えるわけじゃない。

 大きな音が鳴るわけでもない。

 それでも確かに、世界の層が一枚だけずれるみたいな感覚がある。

 

 アリーゼの肩が小さく震えた。

 

「痛い?」

 

「ちょっとだけ」

 

「我慢できる?」

 

「できます」

 

「偉いわ」

 

 静かなやり取りのあと、アストレア様の手が止まる。

 

 ほんのわずかに、その表情が変わった。

 

「……なるほど」

 

 小さな声だった。

 けれど部屋にいた全員が気づいた。

 

 ザイロが目を細める。

 パトーシェも顔を上げた。

 俺も、思わず息を止める。

 

「何かありましたか」

 

 パトーシェが尋ねる。

 

「ええ」

 

 アストレア様は穏やかに答えた。

 

「この子は、火を灯しやすいわ」

 

 アリーゼがきょとんとする。

 

「火?」

 

「今はまだ、小さな芽のようなもの。でも前へ出る意志とよく馴染む質をしている」

 

 その言葉に、アリーゼ自身はよく分かっていなさそうだった。

 でも、悪い意味ではないことは伝わったらしい。

 

「えっと……よかった、ですか?」

 

「ええ」

 

 アストレア様は即答する。

 

「ただし、強くなれることと、正しく強くなれることは別よ」

 

 アリーゼの表情が引き締まる。

 

「はい」

 

「あなたは勢いのある子だわ。前へ出ようとするでしょう。だからこそ、止まることと見ることを覚えなさい」

 

「……はい」

 

「正しさだけで届かないものがあると知っても、それでも手を伸ばすかを、何度も選ぶことになる」

 

 静かな声だった。

 でも、その分だけ重い。

 

 アリーゼはしっかり頷いた。

 

「それでも、選びます」

 

 アストレア様の指先が最後の印を結ぶ。

 それで儀式は終わった。

 

「終わったわ」

 

 アストレア様は、刻まれたばかりの恩恵を静かに見つめていた。

 

「どうでしょうか」

 

「まだ数値としては、まだ何も積まれていないわ」

 

 アストレア様が静かに読み上げる。

 

 力量 I

 耐久 I

 器用 I

 敏捷 I

 魔力 I

 

「魔法、スキル、発展アビリティも、現時点ではなし」

 

 部屋が一瞬だけ静かになる。

 

「全部、まだ同じなんだ」

 

 アリーゼが目を丸くする。

 

「当然だ」

 

 ベートが腕を組んだまま言う。

 

「今日入ったばかりだろ」

 

「そっか……いや、そりゃそうか」

 

 アリーゼは自分で言って、自分で少し納得したように頷いた。

 

「何かこう、最初からちょっとくらいすごいのが出たりするのかと思った」

 

「夢見すぎだ」

 

 ベートが即座に切り捨てる。

 

 ザイロが肩を揺らした。

 

「でもまあ、そう思う気持ちは分かる」

 

「分かるでしょ?」

 

「分かるけど出ねぇもんは出ねぇな」

 

 アリーゼは口を尖らせかけて、それからすぐに表情を戻した。

 

「じゃあ、本当にここからなんだね」

 

「ええ」

 

 アストレア様が頷く。

 

「ここから一つずつ積み上げていくの」

 

 その声は穏やかだった。

 

「ただ、器は悪くないわ。前へ出る意志もある。焦らず鍛えれば、きっとあなたらしい形になっていく」

 

 アリーゼはその言葉を聞いて、背筋を伸ばした。

 

「……はい」

 

「最初はみんな、こうして空の状態から始まる」

 

 アストレア様は微笑む。

 

「だから恥じることはないわ。何もないことは、まだ何にでもなれるということでもあるのだから」

 

 アリーゼは一度だけ、自分の手を見た。

 

 まだ細い手だ。

 剣を握ってきた手ではある。

 でも、恩恵を得た冒険者としては、今日が本当の最初になる。

 

「よし」

 

 小さく、でもはっきりとアリーゼは言った。

 

「じゃあ、ここから全部上げる」

 

 ベートが鼻を鳴らす。

 

「軽く言うな」

 

「軽くないよ」

 

 アリーゼは顔を上げた。

 

「最初が空なら、伸びるだけでしょ?」

 

 その言葉に、ザイロが笑う。

 

「前向きだなあ」

 

「悪くない」

 

 パトーシェが短く言った。

 

「数字を埋めるのは明日からだ。まずは規律と基礎から覚えろ」

 

「はい!」

 

 返事は迷いなく響いた。

 

 その声を聞きながら、俺はほんの少しだけ息を吐く。

 

 力量も、耐久も、器用も、俊敏も、魔力も、まだ同じだ。

 今のアリーゼは本当に何者でもない。

 でも、だからこそここから始まる。

 

 今日、この庭に立ったのは、完成した誰かじゃない。

 数値すらまだ空白の、一人の新入りだった。

 

 

 部屋を出ると、昼前の光が少し高くなっていた。

 

 中庭では相変わらず人が動いている。

 厨房の煙が立ち、洗濯場の布が揺れ、職員たちが足を止めずに働いている。

 庭は、今日もちゃんと回っていた。

 

 その中へ、アリーゼが加わった。

 

 まだ小さい。

 まだ何者でもない。

 でも、ここで始めると自分で決めた。

 

 ザイロは面白がるだろう。

 ベートは容赦なく振り回すだろう。

 パトーシェは厳しく教える。

 アストレア様は見守る。

 

 そして多分、俺も無関係ではいられない。

 

 守るものが増えた、と言えばそうだ。

 面倒が増えた、とも言える。

 でもそれだけじゃない。

 

 昨日まで少し重たすぎたこの庭に、新しい風が一つ入り込んだ。

 騒がしくて、真っ直ぐで、少し眩しいやつだ。

 

 俺は中庭の向こうで職員に何か話しかけている赤い髪を見ながら、短く息を吐く。

 

 今日、この庭に立ったのは、完成した誰かじゃない。

 今から強くなる一人だ。

 

 それでいいのかもしれないと、少しだけ思った。

 

          第22話 この庭に立つ 完

 

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