空白の観測者と、真紅の共犯者   作:りー037

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【第十九章】管理者の夕餉と、魔境への算段

[Time: 2004年 2月4日 午後5:30]

 

[Location: 冬木市 新都外れ ── 竜胆茜の自室(安アパート)]

 

 

冷たい冬の雨は夕刻になっても降り止む気配を見せず、薄暗い新都の路地を灰色の帳で覆い隠していた。

 

 

 

 

コンコンコン、と。

 

 

控えめだが、どこかリズミカルで主張の強いノックの音が、竜胆茜の安アパートの鉄扉を叩いた。

 

床に敷かれたケーブルの海の上で、胡座をかいて疑似魔術基盤の再調整を行っていた茜は、無言で視線を扉へと向ける。

 

インターホンなどという気の利いた設備はこの部屋にはない。《構造解析》や《環境並列演算網》を回すまでもない。この波形、この足音の主が誰であるかは、彼の中のシステムが最も強く記憶している。

 

 

「……開いているよ、遠坂」

 

 

茜が声をかけると、ギィと音を立てて重い扉が開いた。

 

「お邪魔するわよ。まったく、鍵くらい閉めときなさいよね」

 

 

雨に濡れた傘をパサリと畳みながら入ってきたのは、私服姿の遠坂凛だった。

 

その両手には、スーパーのロゴが印字されたビニール袋が、ずっしりと重たそうに提げられている。中からは長ネギの頭や、肉のパックが透けて見えていた。

 

「……遠坂。それは?」

 

 

茜が首を傾げると、凛は靴を脱ぎながら呆れたようにため息をついた。

 

「見れば分かるでしょ、食材よ。今日の昼間、私が宣言したことをもう忘れたの? 『今日から私がアンタのシステムを管理する』って言ったわよね」

 

 

凛はずかずかと部屋に上がり込むと、部屋の片隅にある、魔術用の水晶とスクロールの山に埋もれた小さなキッチンへと直行した。

 

流し台には、空になったカロリーメイトの箱と、怪しげなサプリメントのボトル、そして栄養剤のゼリー飲料のパウチが文字通り山を成している。

 

 

「……改めて見ると、本当にひどいわね。アンタ、これでどうやって生きてたのよ」

 

 

「必要なカロリーとビタミン、アミノ酸の摂取量は計算してある。生命維持と脳の演算において、咀嚼や消化というプロセスは無駄なリソースを食う。サプリメントと流動食の方が圧倒的に効率がいいんだ」

 

 

茜が平然と答えると、凛は持っていたビニール袋をドンッと流し台に置き、振り返って茜をビシッと指差した。

 

「あのねぇ、アンタは機械じゃないの! 人間なの! 胃袋にちゃんとした固形物を入れて、温かいものを食べて、人間らしい血を巡らせないと、魔術回路だってすぐに焼き切れるわよ。だから、私が今からアンタの血肉になるものを作ってあげる」

 

 

 

凛の言葉に、茜は目をパチクリとさせた。

 

彼の極端に低い自己評価と、「背景」として徹しようとする卑屈な精神が、すぐさま警鐘を鳴らす。

 

 

「……非効率だ、遠坂。君の貴重な時間を、僕の食事なんかのために割かせるわけにはいかない。僕はサプリで十分だし、君はこれからの戦いに備えて休むべきだ」

 

 

「うるさいっ。管理者の命令に口答えしない。おとなしく座って待ってなさい」

 

 

凛は腕まくりをすると、流し台のカロリーメイトの空箱を横のゴミ袋に容赦なく叩き込み、手際よくまな板と包丁を取り出した。

 

「ふふっ。マスター、叱られてしまいましたね」

 

 

部屋の隅に控えていたメディア・リリィが、口元を袖で隠してクスクスと笑う。純白のローブを纏った神代の魔女は、現代のキッチンで奮闘し始めた凛の姿を、どこか眩しそうに見つめていた。

 

 

 

『──まったく、手際が悪い。玉ねぎの繊維はそう切るものではないぞ、凛』

 

 

 

不意に、凛の背後の空間が歪み、赤い外套の英霊が実体化した。

 

アーチャーは腕を組み、凛の包丁さばきに呆れたようなため息をこぼす。

 

 

「ちょっと、アーチャー! あんたは黙っててよ。私が作ってるんだから!」

 

 

「任せておけん。このままでは玉ねぎの甘みが完全に死ぬ。貸してみろ」

 

 

アーチャーは凛から半ば強引に包丁を取り上げると、驚くべきスピードと正確さで玉ねぎをみじん切りにし始めた。トントントントントンッ、というリズミカルで心地よい音が、殺風景なアパートの部屋に響き渡る。

 

 

「……なんでアンタが料理のプロみたいな顔してんのよ」

 

 

「舐めるな。私はこれでも家庭科には自信があるんだ」

 

 

凛が頬を膨らませながら文句を言い、アーチャーが涼しい顔でフライパンに火をかける。狭いキッチンに二人が並び、肉を炒め、野菜を煮込む香ばしい匂いが立ち込め始めた。

 

リビングの床に座ったまま、茜はその光景を黙って見つめていた。

 

 

(……奇妙だ。あのアーチャーという英霊。……彼の骨格の動き、魔力の流動、そして何より、あの背中から発せられる波形)

 

 

茜の《構造解析》で、アーチャーの正体を暴こうとしているわけではない。だが、無意識下で処理される情報群が、一つの「既視感」を彼に訴えかけていた。

 

全く違うはずなのに。その立ち振る舞いや、小言を言いながらも面倒見の良い空気感が、どうしてもある人物の姿と重なってしまう。

 

 

(……衛宮士郎。……なぜ、あの英霊から、衛宮の波形に似たものを感じるんだ?)

 

茜は首を傾げたが、すぐにその思考を打ち切った。今は、そんなノイズに気を取られている場合ではない。

 

 

 

 

 

 

一方、キッチンで鍋の火加減を調整しながら、アーチャーは背中越しにリビングの茜を観察していた。

 

 

(竜胆茜、か。……魔術回路を極限まで酷使し、自らの存在を「システム」として定義する狂気の魔術師。だが……)

 

 

 

アーチャーの視線の先。

 

茜は、メディア・リリィから手渡された温かいお茶の入ったマグカップを両手で包み込むように持ち、少しだけ背中を丸めてキッチンの方を──正確には、凛の姿を、じっと見つめている。その瞳には、彼自身も気づいていないであろう、無防備で穏やかな光が宿っていた。

 

(恐ろしいシステムを組む割に、ひどく人間臭い雰囲気もある小僧だ。……凛が放っておけないのも頷ける)

 

アーチャーは口の端をわずかに吊り上げ、鍋の蓋を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数十分後。

 

 

床のケーブルを避け、唯一の平らなスペースである小さなローテーブルの上に、湯気を立てる肉うどんと、出汁巻き卵が並べられた。

 

「はい、お待たせ。栄養満点、体が温まる遠坂特製うどんよ」

 

 

凛が自信満々に腕を組む。

 

半分以上はアーチャーの仕事であったが、彼もあえて訂正はしなかった

 

「……ありがとう、遠坂。でも、本当に申し訳ない。僕なんかのために……」

 

まだ卑屈な言葉を紡ごうとする茜に、凛は割り箸をパキッと割って強引に押し付けた。

 

「いいから、食べなさい! 冷めるでしょ!」

 

「……いただきます」

 

 

茜は観念したように割り箸を取り、うどんを口に運んだ。

 

カツオと昆布の豊かな出汁の香り。甘辛く煮込まれた肉の旨味。そして、心臓の奥まで染み渡るような、温かさ。

 

普段、サプリとゼリーで済ませている茜の胃袋と脳細胞が、その圧倒的な「生命の味」に歓喜の声を上げるのを感じた。

 

 

「…………美味しい」

 

 

茜の口から、システムの計算を一切介さない、純粋な感嘆がこぼれ落ちた。

 

いつもは氷のように冷たい彼の表情が、ほんのわずかに、しかし確かに緩む。それは、中学時代を彷彿とさせる、柔らかくて人間らしい笑顔だった。

 

「……美味しい。ありがとう、凛」

 

 

「っ……!」

 

名前で呼ばれ、しかもその無防備な笑顔を向けられた凛は、顔を一気に赤くして視線を逸らした。

 

「そ、そう。なら良かったわ。……しっかり食べて、体力をつけなさいよ」

 

 

凛は照れ隠しのように自分のうどんを啜る。

 

冷たい雨の降る冬の夜。殺風景な観測者の暗室に、ほんの束の間の、優しくて甘酸っぱい日常の温度が満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 同日 午後7:00]

 

[Location: 竜胆茜の自室 ── 作戦会議]

 

 

食事が終わり、アーチャーが手際よく片付けを済ませると、部屋の空気は「日常」から「魔術師の戦場」へと切り替わった。

 

ローテーブルを囲むように、凛、茜、アーチャー、そしてメディア・リリィが座る。

 

茜は、自らの演算で構築した冬木市の立体ホログラムのような魔力図を、テーブルの上の空間に投影した。

 

 

「……さて。腹も満たされたところで、本題に入ろう。目標は、深山町の間桐邸。そして元凶である間桐臓硯の排除だ」

 

 

 

茜のトーンが、冷徹な分析官のものへと戻る。

 

「臓硯について、遠坂はどこまで知っている?」

 

 

凛は腕を組み、険しい表情で口を開いた。

 

「間桐の魔術特性は『吸収』と『束縛』。他者の魔力を奪い、自分のものにする術式に長けているわ。そして何より、あの家は『蟲』を使い魔として使役する。……臓硯本人は、何百年も生きているという噂の妖怪よ。普通の魔術が通じる相手じゃないわ」

 

 

「その通りだ。僕の《構造解析》と《因果ログ解析》から得られたデータでも、それは裏付けられている」

 

 

茜はホログラムの映像を切り替え、柳洞寺で臓硯が使役していた蟲の拡大図を空中に映し出した。

 

「間桐臓硯の肉体は、すでに人間のそれじゃない。何万という数の『蟲』の集合体として、己の魂を分散させている。つまり、頭を吹き飛ばそうが心臓を貫こうが、あいつは死なない。無数の蟲をすべて焼き尽くさない限り、完全に殺し切ることは不可能だ」

 

 

「物理的な破壊が通用しない不死身の怪物ってわけね……厄介極まりないわ」

 

 

 

凛が眉間を揉み解す。

 

「加えて、間桐邸の結界だ。何百年もかけて構築された蟲の結界は、物理的な侵入を拒むだけでなく、内部で起きた事象を外部に漏らさない隠蔽機能を持っている。正面から結界を破れば、即座に臓硯に感知され、無数の蟲による罠が起動するだろう」

 

 

「なら、どうやって突入するのよ。こっちにはアーチャーがいるとはいえ、相手の土俵で蟲の波状攻撃を受ければジリ貧よ」

 

 

そこで、静かに話を聞いていたメディア・リリィが、そっと右手を挙げた。

 

 

「あの……私から、提案があります」

 

 

彼女の純粋で可憐な声に、三人の視線が集まる。

 

「間桐臓硯の魔術……その『蟲』と『腐敗』の術式は、神代の視点から見れば、非常に醜悪で、美しくない泥くれの継ぎ接ぎです。……あんな不浄なもの、私の炎で綺麗に消毒して差し上げます」

 

純真無垢な笑顔で、恐ろしいほどの容赦のなさを放つメディア・リリィ。

 

「間桐邸の結界の『基点』を、マスターの解析で炙り出していただければ……私が外側から神代の魔術で結界の術式を『上書き(ハッキング)』します。そうすれば、臓硯に感知されることなく、内部への物理的な侵入経路を作れます」

 

 

「なるほど。神代の魔女の術式なら、現代の蟲の結界など容易く上書きできるというわけか」

 

アーチャーが感心したように頷く。

 

茜が、その言葉を引き継ぐ。

 

「完璧なアプローチだ。僕の解析で結界の最も脆い座標を特定する。メディアがそこから結界に穴を開け、遠坂とアーチャーが突入し、臓硯の本体──蟲の群れを物理的・魔術的に焼き尽くす」

 

 

「そして、私は外に残り、あの『黒い影』が増援として現れた場合に備えて、間桐邸の周囲に空間遮断の結界を張ります。影を中に入れません」

 

 

メディア・リリィが杖を握りしめて決意を語る。

 

「突入、制圧、外部遮断。……文句のつけようがない完璧な布陣ね」

 

 

凛の顔に、自信に満ちた不敵な笑みが戻った。

 

「決まりだね。突入のタイミングは、魔力が最も深まる深夜12時。……それまでに、それぞれの魔力を完全に回復させておいてくれ」

 

 

茜が空間のホログラムを消去し、作戦会議を締めくくった。

 

 

 

時計の針は、午後9時を回ろうとしていた。

 

出撃の刻まで、あと三時間弱。

 

 

「……私、外の結界の調整とメンテナンスに行ってきますね!」

 

 

メディア・リリィがふわりと立ち上がる。

 

「ああ、頼むよ。無理はするな」

 

 

茜が声をかけると、彼女は嬉しそうに微笑んで、雨の降る外へと姿を消した。

 

 

「私も霊体化して、魔力消費の削減に努めるとしよう。……凛、準備は怠るなよ」

 

 

 

 

アーチャーもまた、静かに空間へと溶け込んでいった。

 

狭いアパートの部屋に、再び凛と茜、二人きりの静寂が訪れる。

 

嵐の前の、最後の休息の時間が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 2004年 2月4日 午後9:15]

 

[Location: 冬木市 新都外れ ── 竜胆茜の自室(安アパート)]

 

メディア・リリィとアーチャーが姿を消し、冷たい雨音が窓ガラスを打つ音だけが、薄暗い部屋に規則的に響いている。

 

作戦会議の張り詰めた空気は去り、そこには嵐の前の静寂と、ほんの少しの倦怠感が漂っていた。

 

遠坂凛は、散乱するスクロールを避けるようにして、壁際にペタンと座り込んだ。

 

そのすぐ隣──肩と肩が触れ合いそうな距離に、竜胆茜も背中を壁に預けて座っている。普段なら近すぎると、文句の一つも言いそうな凛だが、今の彼女は茜の微かな体温を感じるその距離を、どこか心地よく受け入れていた。

 

 

「……少し、休むといい。君の魔術回路も、作戦前にアイドリング状態に戻しておくべきだ」

 

 

茜が、天井を見上げたまま静かに言った。

 

「分かってるわよ。アンタこそ、少しは目を閉じたら? 頭の中でずっと計算を回してるんでしょ」

 

凛が横目で茜を見ると、彼は首を横に振った。

 

「L4のバックグラウンド処理は止められない。でも、負荷は最低限に抑えている。……それに」

 

 

茜は視線をゆっくりと凛の横顔へと移した。

 

「今は、君の顔を見ていたい」

 

 

「……っ!」

 

 

ドクン、と。凛の心臓が不意打ちを食らって大きく跳ねた。

 

茜の口調はいつも通り無機質で、そこに甘い抑揚など一切ない。だが、だからこそ、その言葉が純度一〇〇パーセントの「観測結果」であり「本音」であることが伝わってきて、凛の顔をカッと熱くさせた。

 

 

「なっ……な、なによ急に! ば、馬鹿じゃないの……!」

 

 

凛が慌ててそっぽを向くが、茜の視線は外れなかった。

 

「……本当に、君は綺麗だ。そして、強い。魔術師としての矜持も、弱者を助けようとする人間としての善性も、君は決して手放そうとしない。……僕は、君のそういうところが、どうしようもなく眩しいんだ」

 

 

茜の瞳の奥で、静かな熱が揺れていた。

 

彼は自身の起源である『解析』を通して、世界中のありとあらゆる事象の裏側を、醜い部分を、残酷な真実を見透かしてきた。だが、遠坂凛という少女だけは、どれだけ解析の解像度を上げても、その本質が「気高く美しい」ままだったのだ。

 

 

「……だから、僕は君の背景になりたかった。君という完璧な絵画を、僕みたいなバグだらけの存在が汚してしまわないように。……僕は所詮、システムのノイズを処理するだけの数合わせだ。主人公の隣に立つ資格なんてない」

 

 

自嘲気味に、どこまでも卑屈に自身を定義する茜。

 

その極端に低い自己評価を聞いた瞬間、凛の中の気恥ずかしさは吹き飛び、代わりに静かな、しかし確かな怒りと愛情が湧き上がった。

 

 

「……ふざけないで」

 

 

凛は茜の方へと向き直り、彼の手の甲に自らの手を重ねた。

 

茜の氷のように冷たい手を、彼女の温かな魔力がじんわりと包み込む。

 

 

「数合わせなんて、二度と言わないで。アンタは、私のために自分の命を削ってまで、この理不尽なシステムと戦ってくれたんでしょ? ……アンタは、私の大切な同盟相手よ。ううん……それ以上に、かけがえのない大切な存在よ」

 

 

凛の真っ直ぐな言葉が、茜の胸の奥の『黄金球体』の軋みを、優しく宥めるように染み込んでいく。

 

「主人公とか背景とか、そんなのどうでもいいわ。私たちは今、こうして一緒に並んで座ってる。互いの背中を預け合ってる。……それで十分じゃない」

 

 

「……凛」

 

 

茜の目がわずかに見開かれ、そして、ゆっくりと伏せられた。

 

重なっていた手がそっと裏返り、茜の指先が凛の指に絡みつく。

 

二人は言葉を交わすことなく、ただ雨音を聞きながら、互いの存在の重みと温もりを確かめ合うように、静かに身を寄せ合った。

 

美しくも強い、絶対的な信頼関係が、この暗い観測者の部屋で確かに完成していた。

 

 

 

 

「マスター、お待たせしました! 外の結界の調整と地脈の接続、完璧に終わらせてきましたよー!」

 

 

 

ガチャリと扉が開き、パタパタと足音を立ててメディア・リリィが帰還した。

 

その声にハッとして、慌てて絡めていた手を離し、不自然なほど距離を取った。

 

 

「お、おかえりなさいキャスター! ご苦労様!」

 

 

凛が裏返った声で言いながら、わざとらしく咳払いをする。

 

メディア・リリィは小首を傾げながらも、「はいっ!」と無邪気な笑顔を見せて二人の前に座り込んだ。

 

 

空気が少し和み、出撃前の緊張感が適度にほぐれていく。

 

 

「これで準備は万端ね。……ところで」

 

 

凛は、ふと何かを思い出したように腕を組み、茜をジロリと見据えた。

 

「作戦の共有はしたけど、よく考えたら一番大事なことを聞いてなかったわ。アンタ……いつから聖杯戦争に裏で関わってたのよ。それに、どうやってキャスターを召喚したの? 触媒なんて持ってたわけ?」

 

 

「えっと……」

 

 

茜はあからさまに視線を泳がせた。

 

「……偶然だ。街を歩いていたら、たまたま中東系の魔術師が落とした触媒を拾って……」

 

「嘘おっしゃい」

 

 

凛がズイッと顔を近づけた。

 

その瞳は、茜の言い逃れを一切許さない、圧倒的な「圧」を放っていた。単なる怒りではない。彼の身体のボロボロの具合を見て、彼がどれほどの死線を越えてきたのかを案じる、深い心配の混じった瞳。

 

 

「……っ」

 

 

茜は、この瞳にだけは致命的に弱かった。

 

世界中のどんなシステムをハッキングできても、遠坂凛のこの真っ直ぐな視線だけは、彼の中の防御壁(ファイアウォール)を容易く貫通してしまう。

 

 

「……わかった。話すよ」

 

 

茜は観念したように息を吐き、ポツリポツリと、あの聖杯戦争開幕の夜の出来事を語り始めた。

 

 

時計塔の封印指定執行者、バゼット・フラガマクレミッツを強襲したこと。

 

 

その直後に顕現した、アイルランドの光の御子、クー・フーリン(ランサー)との死闘。

 

 

そして──神代の呪いである必殺の宝具『ゲイ・ボルク』を、己の因果遅延のシステムで真っ向から受け止め、強引に相殺したこと。

 

 

 

「……その代償で、胸の黄金球体に亀裂が入って、魔術回路の擬似神経が少し断裂した。……そのあと、アトラムの工房を内側から崩壊させて、彼から触媒を奪ってメディアを呼んだんだ」

 

 

淡々と、まるで他人のプレイ録画でも語るように説明する茜。

 

だが、それを聞いている凛の顔は、みるみるうちに青ざめ、やがてワナワナと震え出した。

 

「ア、アンタってやつは……!!」

 

 

 

凛は両手で頭を抱え、絶句した。

 

「神話の英霊の、必殺の宝具を、因果操作で真っ向から受け止めた!? アンタ、死にかけてたんじゃないのよ! というか、普通は死んでるわよ! だからあんなに顔色が悪くて、血を吐いてたのね!?」

 

 

「……結果的に生きているから、エラーの範囲内だ」

 

 

「全然範囲内じゃないわよ大馬鹿!!」

 

 

凛が茜の肩をポカポカと叩き、本気で説教を始めようとする。

 

このままでは出撃前に彼女の魔力と体力を無駄に消耗させてしまうと判断した茜は、L3《確率分布の整形(ルート・ウェイト・エディット)》をほんのわずかに応用し、部屋の話題のベクトルを強引に逸らすことにした。

 

 

「……メディア」

 

 

茜は、凛の説教をBGMにしながら、傍らに控えていた少女に視線を向けた。

 

 

「そういえば、あの神話の狂戦士(バーサーカー)とは、君は生前から知り合いだったのか? 昨夜、君の魔力波形が彼を認識した時に、ほんの微かに悲哀のノイズが混じったのを観測した」

 

 

「えっ……」

 

 

メディア・リリィは驚いたように目を丸くしたが、凛もその名前に反応して手を止めた。ギリシャ神話における大魔女と、大英雄。その生前の縁。

 

「……はい」

 

 

メディア・リリィは、少しだけ寂しそうに伏し目がちになり、杖の先端を撫でた。

 

 

「アルゴノーツ……アルゴ船の冒険の旅で、ご一緒したことがあるんです。ヘラクレスは、とても気高くて、強くて……誰よりも仲間想いの、立派な英雄でした」

 

 

彼女の純真な瞳に、遠い神代の記憶が浮かび上がる。

 

「だから、あんな風に理性を奪われ、ただの殺戮兵器(バーサーカー)として召喚されてしまったことが……とても、悲しいです。……もしまた戦うことになったら、私の魔術で、あの人の魂を少しでも安らかにしてあげたい……」

 

 

少女の口から語られる、神話の英雄たちの儚い背景。

 

 

その切ない響きに、部屋の空気は静かなものへと変わり、凛も説教を収めて小さく息をついた。

 

「そう……英霊たちにも、それぞれ背負ってるものがあるのよね。……でも、私たちは私たちの道を切り開くしかないわ」

 

 

凛が立ち上がり、自身の両頬をパンッと両手で叩いて気合を入れた。

 

 

 

 

時計の針が、午後十一時三十分を指し示した。

 

出撃の刻だ。

 

 

 

『──時間だぞ、マスター』

 

 

 

空間が揺らぎ、アーチャーが実体化する。その手にはすでに、戦意という名の魔力が満ちていた。

 

「行くわよ。間桐臓硯を叩き潰して、この街のバグを、私たちで完全に駆除する」

 

 

 

凛の力強い宣言。

 

 

茜もゆっくりと立ち上がり、黒いコートを羽織った。

 

傍らでは、メディア・リリィが決意に満ちた表情で杖を構えている。

 

そして、アーチャーが前衛として背中を見せる。

 

 

 

管理者と、観測者と、二騎の英霊。

 

完璧な信頼と役割分担で結ばれた彼らは、冬木の闇を払うべく、雨の降る夜の街へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

[Time: 2004年 2月4日 午後11:30]

 

[Location: 冬木市 深山町 ── 間桐邸・地下(蟲蔵)]

 

 

同時刻。

 

完璧な連携のもとに出撃する凛たちとは対照的に。

 

圧倒的な孤独と、底なしの絶望が、間桐の地下を支配していた。

 

 

 

「……よくも、よくも桜を…………!!」

 

 

 

 

 

カサカサカサカサッッ!!

 

 

 

 

 

無数の蟲たちが波打ち、貪欲な牙を剥いて衛宮士郎の肉体を喰らわんと迫る。

 

むせ返るような腐臭と、桜が受けてきた地獄の痕跡。

 

 

「クカカカ! さあ、お行き。……衛宮の小僧を、新たな苗床にしてくれるわ!」

 

 

間桐臓硯の嘲笑が、地下室の闇に木霊する。

 

 

 

サーヴァントはいない。

 

勝ち目など、万に一つも存在しない。

 

 

 

だが、士郎の瞳には、かつての「正義の味方」としての理知的な光はすでに失われ、ただ一人の少女を救うための「鬼」の炎だけが赤々と燃え盛っていた。

 

 

 

(……俺は──桜の、■■に)

 

 

 

士郎の身体から、バチバチと火花のような魔力が漏れ出す。

 

不完全な魔術回路が、彼の意志の暴走に耐えきれず、一本ずつ焼き切れていく。神経がショートし、血が沸騰するような激痛。

 

 

 

だが、彼は一歩も引かなかった。

 

死の恐怖すらも焼き尽くすほどの怒りを込めて、彼は両手を虚空へと突き出した。

 

 

「──投影、開始(トレース、オン!!」

 

 

絶望の泥濘の中で。

 

少年はただ独り、自身の魂の形を歪な剣へと変え、蟲の海へと立ち向かっていく。

 

二つの運命が交差する魔境の夜が、ついにその牙を剥いた。

 

 

 




あとがき

評価してくださった方ありがとうございます!!
感謝です!



ヘブンズフィールルートの聖杯ってどうやって顕現させるんだっけ……UBWはギルが慎二に突っ込んでたけど。

マジで思い出せねぇ……
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