でも更新頻度が落ちても1週間に2〜3回は投稿できるように感張ります。
乾いた打撃音が真昼の雑居ビル裏の駐車場へ響いた。
踏み込みと同時にアスファルトが軋む。
俺は低い姿勢のまま一気に間合いを潰し、右の拳を悠の顔面目掛けて振り抜いた。だが、その拳は届かない。
攻撃の手を緩めずに何度も攻めるが、その全てが相手に掠ることすらできずに空を切る。
悠は半歩だけ身体を傾け、俺の攻撃を紙一重で躱した。
そのまま流れるように俺の腕へ触れ、勢いを軽く逸らしてくる。
このまま俺の体勢を崩すつもりだろう。
そう思った瞬間には、もう次の動きへ入っていた。
踏み込んだ足を軸に身体を回転させる。
腰の捻りを乗せた回し蹴り。空気を裂く勢いで放った一撃だったが、悠はそれすら真正面から受けない。
腕で受け流すように軌道をずらし、そのまま俺の体勢を崩していく。
「っ……!」
まずい、バランスが流れる。
俺が踏ん張るより先に、悠が一歩踏み込んできた。
とても速く、一切の無駄が無い、気づいたときには目の前に攻撃が迫っていた。
掌底が目の前でぴたり止まる。
雑居ビル裏の駐車場へ静寂が落ちる。
俺は数秒そのまま固まった後、小さく息を吐いた。
「はぁ、参りました……」
その言葉と同時に、悠が苦笑しながら手を引く。
「透也さん近接もすごく強いね。驚いたよ」
「いや、悠さん余裕で全て躱してましたよね……?」
俺はそのままアスファルトへ座り込んだ。
息が熱い、汗が首筋を伝っていく。
ASCの入っている雑居ビル裏の駐車場。
車数台分しかない狭いスペースだが、普段ほとんど使われていないため、玲奈達は簡易訓練場代わりにしているらしい。
周囲には古びたフェンス、積まれたタイヤ、使われていないカラーコーン。いかにも雑居ビル裏という景色だった。
悠は壁際へ寄り掛かりながら、タオルを投げて寄越す。
「透也さんは身体能力は凄いけど、そのせいで能力に頼り切りになってる感じかな。ちゃんと訓練したらもっと強くなれるよ」
「そうですかね……」
「うん、絶対」
悠は俺を励ますように笑った。
俺はタオルで顔を拭きながら、小さく息を吐く。
正直かなり本気だったが一発もまともに入っていない。
身体能力だけなら、比較するまでもなく俺の方が高い。
踏み込み速度も瞬間加速も筋力も、純粋なスペックだけで見れば俺の方が遥かに上回っているはずだ。
廃棄区画で悠が苦戦していたヴィランを圧倒できたのだから俺の方が彼より強いと思っていた。
だが、結果は惨敗。悠は俺の攻撃に苦戦する様子もなく全部捌いていた。
俺は技術で、経験で、圧倒されていた。
自分じゃ手も足も出なかったという事実に少し落ち込んでしまう。
俺は自分の力を過信していたみたいだ。
「うーん、透也さん、多分実戦しか経験したことないんじゃない?」
悠の言葉に俺は少しだけ首を傾げる。
そんな俺を見て悠は笑った。
「透也さんみたいな万能なイデアがあるなら実戦だとそれを使った方が早いし、今みたいな近接戦闘の技術を磨く必要性が無いから。だから透也さんが今はまだ未熟なのは仕方がないよ」
「うぐぅ……」
悠にそんなつもりはないだろうけど、俺が力にかまけて努力を怠っていた事実を突きつけられて思わず唸ってしまう。
その時、不意に数日前のことを思い出した。
ASC事務所のソファへ座っていた玲奈が、珍しく真面目な顔をして言ったのだ。
『透也ちゃん、一回ちゃんと訓練した方がいいわ』
『訓練?』
『悠を助けた時イデアが暴発したって言ってたでしょ?透也ちゃんには悠のヒーロー活動のサポートを頼もうと思ってるの。だからイデアはしっかり制御してもらわないとね』
あの時の感覚を思い出し、俺は小さく顔を顰める。
何気なく振るった力が制御を外れた結果が大量破壊。
彼女の言う通り、イデアの制御は早急にどうにかするべき課題だ。
玲奈は珍しく真剣な顔をしていた。
『多分、透也ちゃんは自分の力をちゃんと理解し切れてないのよ。だから上手く扱えないし暴発するの』
『うっ……』
『だからね、一回しっかりと理解できるように整理するの』
そして現在に至る。
「というわけで!」
玲奈がばんっと車のボンネットを叩いた。
「能力検証会でーす!」
さっきまでの真面目な空気どこ行った。
俺と悠の組み手後、ASCの全員で駐車場に集まっていた。玲奈はなんだか楽しそうだ。
蓮司は壁際でタブレットを操作していて、悠は玲奈を見て苦笑しながらその隣へ立っていた。
「とりあえず透也ちゃん、今出来ること一通り見せて」
「はい」
俺は軽く息を整えながら、駐車場中央へ立つ。
まずは運動量操作を利用した身体強化。
イデアへ意識を向けると、身体が軽くなる感覚が広がった。
踏み込み、瞬間的に地面を蹴る。
次の瞬間には十メートル近く先まで移動していた。
アスファルトへ着地し、そのまま近くに積まれていたタイヤへ掌を押し当てる。
鈍い音と共にタイヤの山が吹き飛んだ。
「思った以上に出力凄いわね……」
玲奈が呟く。
俺は少し息を吐きながら、今度は近くに落ちていた空き缶へ視線を向けた。
軽く指先で弾く。その瞬間、空き缶が凄まじい速度で加速し、フェンスへ突っ込んだ。
ばんっ、と金属音が響く。
最後に少し透明化をして終わりだ。
悠が少し目を丸くする。
「イデア使用有りだったら僕に勝ち目なさそう……」
「まあ、悠じゃ相性最悪だし当然よね」
玲奈が腕を組みながら頷く。
その横で、蓮司がタブレットを見つめたまま静かに口を開いた。
「……ベクトル操作、でしょうか」
その言葉に、俺は首を傾げる。
運動量を操る能力だと思ってたけど違うのか。
と言うか運動量操作とベクトル操作って何が違うのだろうか。
玲奈は首を横へ振った。
「違うわね」
即答だった。
「透也ちゃんの認識通り運動量操作で間違いないと思うわ」
「ベクトル操作と何の違いが?」
悠と俺の声が綺麗に重なる。
玲奈は「やっぱそこ引っ掛かるわよねぇ」と笑った。
「方向を変えたり、透明化したり。全てベクトルを操作していると考えれば辻褄が合います」
蓮司がそう言うと、玲奈は地面を指差す。
「じゃあ透也ちゃん。そこに落ちてる小石に直接イデア使って動かしてみて。石以外には干渉しちゃ駄目よ?」
視線を向けると、アスファルトの上に小さな石が転がっていた。
俺は軽く集中する。
イデアへ意識を向け、小石へ干渉するイメージを作る。
……動かない。
もう少し強く意識する。
だが、小石は微動だにしなかった。
「……あれ?」
おかしい。今までは普通に触れずとも吹き飛ばす事はできていた筈なのに。
悠も不思議そうに首を傾げている。
「あれ?どうして……?」
玲奈は満足そうに笑った。
「それが私が運動量操作って判断した理由よ」
そう言いながら、玲奈は小石を拾い上げる。
「ベクトル操作なら、ありとあらゆる物の“方向”そのものへ干渉出来るの。だから静止してる物でも動かせる」
そして、小石を軽く上へ放った。
「でも透也ちゃんの能力は“運動量”への干渉」
落ちてくる小石。
「今、使って」
言われた瞬間、意識を向ける。
次の瞬間、小石が凄まじい速度で地面へ突き刺さった。
ばきっ、とアスファルトへ亀裂が入る。
「っ!?」
思わず目を見開いた。
玲奈は楽しそうに続ける。
「つまり透也ちゃんは“動いてるもの”にしか干渉出来ないのよ」
「……あ」
「そもそも静止してる物には運動エネルギーが存在しない。だから能力の対象外」
その言葉で、一気に繋がった。
今まで自分がやっていたこと。
加速、衝撃、身体強化。全部、“既に発生している運動”を増幅していたのか。
「だから透也ちゃんのは運動量操作で確定ってこと」
玲奈は楽しそうに笑いながら、アスファルトへ刻まれた亀裂を見下ろした。
「だから身体強化との相性が異常に良いんですね」
蓮司がタブレットを操作しながら呟く。
「そういうこと。加速や減速、衝撃の増幅、反動の緩和。全部、既に発生してる運動へ干渉してるの」
「なるほど……」
悠が感心したように頷く。
俺も少しずつ理解出来てきた。
今まで感覚だけで使っていた能力へ、ようやく理屈が追い付いてきた感覚だった。
だが、その時ふと別の疑問が浮かぶ。
「私のイデアは一つだけってことですか……?」
「ええ、と言うかイデアは普通1人一つよ。複数持ちなんて聞いたことがないわ」
「えっ、じゃあ透明化は……?」
その瞬間、玲奈が「あー」と声を漏らした。
「確かにそこを説明してなかったわね」
透明化、俺が使っている能力の一つ。
完全に消えることはできないが、視認をかなり困難に出来る。
ヘリオスの実験によって複数のイデアを所持してるから、運動量操作とは別の能力だと思っていたけど実際はどうなんだろう。
玲奈は少し考えるように顎へ手を当てた後、近くのフェンスへ寄り掛かった。
「透也ちゃん。光って何だと思う?」
「え……?」
なんか急に授業始まったな。
俺が困惑していると、悠も「えぇと……」と考え込み始める。
玲奈はその反応を見て少し笑った。
「光ってね、ざっくり言えば電磁波なのよ」
「電磁波……」
「電磁波は波として空間を進んでるの。光は質量こそ無いけど、運動量は持ってるわ。だから理論上は透也ちゃんの能力でも触れられるわ」
その言葉に、少しだけ思考が繋がる。
俺はナオと同じで、複数のイデアを持つ実験の成功体なんだと思っていた。
でも違った。ただ一つの能力を、制御し切れていなかっただけだった。俺って普通に失敗作では……?
ショックを受ける俺に気づいた様子もなく、玲奈は話を続ける。
「透也ちゃんは多分、無意識で自分の周囲を通る光の運動へ干渉してるのね」
「……光の運動」
玲奈は空中へ指を滑らせる。
「本来なら透也ちゃんへ当たるはずだった光が、周囲へ逸れてるのよ」
悠が少し目を丸くした。
「それってかなり高度な事をしてない?」
「かなり無茶苦茶なことしてるわよ。普通なら脳が焼き切れてもおかしくないレベル」
玲奈はあっさり言った。
怖いこと言わないでほしい。
俺が少し顔を引き攣らせていると、玲奈は苦笑した。
「ただまぁ、安心して?透也ちゃんの脳が焼き切れることなんて余程の事がない限りありえないから」
「どう言うことですか……?」
玲奈は指を一本立てる。
「イデア保持者はね、普通の人と体の構造が違うことが多いの」
「体の構造……?」
「ええ、例えば悠は身体能力を強化するイデアを持っているわ」
玲奈はそう言って悠を指差す。
「身体能力を強化するイデアを持ってる人は、自分の力に耐えられるように常人より体がずっと丈夫なの」
玲奈は続ける。
「炎を操るイデアを持ってたら熱への耐性があるし、毒を操るイデアを持ってるなら毒への耐性があるわ」
「なるほど…」
「恐らく透也ちゃんの脳は、イデアの負荷に耐えられるように常人よりも遥かに処理能力が高くなってるわ。そもそも、運動量操作なんて普通の人がやったら一瞬で廃人よ?」
原作知識にも無かった話だ。だからこそ、余計に興味を引かれた。イデア保持者の体の構造についてに解説なんて無かったからとても勉強になる。
原作では身体能力の高いキャラが多くて、読者からは“この世界は空気中にプロテインが含まれてるからみんな強い“なんて言われていた。
「つまり、イデア保持者は自分の能力に合うように体が最適化されてるって認識で大丈夫ですか?」
「ええ、その認識で大丈夫よ」
玲奈は楽しそうに笑う。
「だから制御できないなんて事は普通はないんだけど」
「えっ」
「でも制御できないって事はそれだけ大きな力って事だから、伸び代凄いわよ?」
玲奈は面白そうにこちらを見る。
「透也ちゃんがイデアを完璧に制御できるようになったらASCも安泰ね」
その言葉に、思わず小さく息を呑んだ。
自分では、そこそこ使いこなしているつもりだった。
だが実際は違う。玲奈から説明されるまでは漠然と自分の力を認識していただけ。
俺はまだ、自分の能力の輪郭しか掴み切れていないみたいだ。
♢
その後、俺達は場所を事務所へ移した。
「よーし、次はもっと細かい制御やってみましょー!」
玲奈が楽しそうに言う。
完全にテンションが研究者側なんだよなこの人。
俺は机の前へ立ちながら、小さく息を吐いた。
「細かい制御、ですか」
「ええ、透也ちゃんって出力高いけど、色々大雑把なのよね」
否定出来ない。
今までの戦い方も、基本的には雑に扱った力をぶつけるだけだった。
精密制御、そういうのはかなり苦手だ。
玲奈は机上に置いてある紙を指差す。
「まずは、小さな風を起こしてみて」
「風……」
空気への干渉は何度もやったことがある。
大丈夫のはずだ、出力の調整さえミスしなければ。
俺は集中する。
事務所内を流れる微かな空気。
エアコンの風、人の動き、呼吸。
普段なら意識しないような微細な流れへ、ゆっくり感覚を伸ばしていく。
そして、ふわり、と机上の紙が揺れる。
「おぉ」
悠が少し目を丸くした。
玲奈も楽しそうに笑う。
「いいじゃない。ちゃんと感覚掴めてるわね」
俺は更に集中して空気の流れを変える。
ゆっくりと渦を描くように。
すると、机上の紙がくるくると回り始めた。
「おぉー!」
玲奈が楽しそうに拍手する。俺もちょっと楽しい。
今までは感覚で雑に何かを壊したり、ヴィランを吹き飛ばすとか、そういう使い方ばかりだった。
でも今は違う、ちゃんと自分の意思で細かく操作している感覚がある。
制御が上手くいっていた俺は少し調子に乗った。
もっと速く、もっと上手に。
そう思った瞬間、ぶわっ、と風が巻き上がった。
「あっ」
気づいた時には遅い。
飛ばしていた紙以外にも机上の書類が一斉に舞い上がる。
書類が吹き飛び、事務所中へ散乱した。
「うわっ!?」
悠が慌てて書類を押さえる。
玲奈は「わぁー!」と楽しそうに笑っていた。
そして数秒後、蓮司のキーボードを打つ音が止まる。
嫌な予感がして、恐る恐るそちらへ視線を向ける。
蓮司が、静かに眼鏡を押し上げていた。
「……榊さん」
声が低い。
「次はありません」
「ご、ごめんなさい……」
怒鳴ったりはしてないが淡々と感情のない顔で静かなまま怒る蓮司はかなり怖かった。
「社長、外でやってください」
「えぇー? でも今いい感じだったじゃない」
「もし榊さんが出力調整を失敗すれば事務所ごと吹き飛びかねません」
「大袈裟よぉ」
全然大袈裟じゃないと思う。
蓮司は深いため息を吐きながら散乱した書類を拾い集め始める。悠も慌てて手伝っていた。
俺も流石に申し訳なくなり、床へ散らばった書類を回収する。
「……すみません」
「いえ、訓練自体は必要ですから仕方のない事です。しかし、誰にも迷惑のかからない場所でやってほしいですね」
蓮司は淡々と話すが、俺は迷惑と言われて普通に落ち込んだ。
玲奈はそんな俺を見ながら、少しだけ考えるように顎へ手を当てている。
「んー……」
数秒後、何か思い付いたみたいに、ぱんっと手を叩く。
「そうだ!」
玲奈はそのまま事務所奥の棚へ向かい、がさごそと何かを漁り始めた。
「確かこの辺に……あった!」
そう言いながら取り出したのは、黒縁の眼鏡だった。
少し縁が太い、しかも普通の眼鏡にしては微妙に大きい気がする。
更にフレーム内側には細かな金属パーツみたいなものまで見える。
玲奈はそれを俺へ差し出した。
「はい透也ちゃん」
「……眼鏡?」
俺は困惑しながら受け取る。
見た目は伊達メガネっぽい。だが妙に重い。
「これ、何ですか?」
「イデアを抑制するためのデバイス」
玲奈はさらっと言った。
なんか名前が急に物騒になった。
悠も興味深そうに覗き込んでくる。
「そんなのあるんですね」
「まぁね」
玲奈は得意げに腕を組む。
「その眼鏡、脳波と神経信号をリアルタイム監視してるのよ」
「なるほど……?」
「で、能力演算が一定以上になると、強制的にリソース制限がかけられるの」
よく意味が分からない。
俺が完全に固まっていると、玲奈は「えーっとねぇ」と言いながら説明を続けた。
「透也ちゃんのイデアって、出力調整が上手にできなくて暴走気味になるでしょ?」
「はい」
「だから、その眼鏡でイデア使用量を制御するの。簡単に言えば安全装置ね」
玲奈は俺の手の中の眼鏡を指差す。
「それ付けてる間は、イデアの出力が一定以上には上がらないように制限されるわ」
「……そんなこと出来るんですか?」
「出来るわ」
即答だった。
蓮司も補足するように口を開く。
「イデア使用時には脳波や神経信号へ特有の変化が出ます。それを監視して制御する技術ですね」
「つまり透也ちゃんの場合、出力高過ぎて操作が上手くできない問題が解決できるってこと」
玲奈はにっと笑う。
「これ、最初から出せば良かったのでは?」
「道具に頼らずに制御できるならそれが一番でしょ?」
「それはそうですけど……」
俺は改めて手元の眼鏡を見る。
いや、普通にハイテク過ぎないか?
「これ、かなり高そうですね」
素直な感想だった。
すると玲奈は「あー」と軽く頷く。
「まぁ、同じような物はヒーロー企業にしか出回ってないから一般人が買おうとしたらそこそこ高いわね」
「やっぱり」
「でも別に珍しい技術じゃないわよ?」
「え?」
玲奈はソファへ腰掛けながら続けた。
「ヴィラン捕縛用の拘束具にも似たような技術使われてるし」
その言葉に少し眉を顰める。
拘束具、つまりヴィランの能力を封じる装備か。
玲奈は気にした様子もなく続けた。
「能力使用時の脳信号や演算領域を妨害したり制限したりする技術って、今じゃ結構普及してるのよ」
「へぇ……」
「どこのヒーロー企業にも大体似たような装備あるわね。出力制御用だったり、拘束用だったり用途は色々だけど」
悠も感心したように眼鏡を見る。
「ASCにもこんな便利な物があったんだ」
「いや、これうちの会社の物じゃないわよ?」
玲奈がさらっと言った。
「前に用事で別の会社に行った時、試作品を拝借したの」
「ど、泥棒……!」
「透也ちゃん失礼ね。ちゃんと許可はとったわよ」
彼女の適当な性格を考えると、本当に許可を本当に取ったのか疑わしい。
玲奈へ訝しげな視線を向けるが、彼女は全く気にしていなかった。
「ほら、とりあえず掛けてみて」
言われるまま眼鏡を掛ける。
視界自体は普通、だが次の瞬間。
耳元で、小さく電子音が鳴った。
《Synchronize complete》
「うわっ」
思わず声が漏れる俺を見て玲奈が楽しそうに笑った。
「ちゃんと認識したわね」
「この眼鏡、なんか喋りましたけど……?」
「初期同期よ初期同期」
不思議な感覚だ。
眼鏡を掛けた瞬間、頭の奥にあった妙な熱っぽさが少し静かになった感覚がある。
イデアを意識しても、いつものような感覚がない。
玲奈はそんな俺を見ながら、満足そうに頷いた。
「うん。ちゃんと制御掛かってそうね」
そして楽しそうに笑う。
「じゃあ透也ちゃん、第二ラウンド行ってみよっか」
俺は半信半疑のまま、小さく息を吐いた。
正直、まだ信じられない。眼鏡一つでそんな変わるのか。
だが、確かに眼鏡を掛ける前と後ではどこか違う感じがする。
「……やってみます」
俺は机の上へ置かれていた紙コップへ視線を向ける。
中には水。
玲奈はにやにやしながら言う。
「今度はちゃんと制御してみてね?じゃなきゃまた蓮司に怒られるわよ?」
「善処します……」
我ながら不安しかない返答だった。
俺は小さく集中する。
水の揺れや流れ。その微細な運動へ意識を向ける。
すると、前より感覚がはっきりしていた。
今まではイデアを使う時、大きな水門を無理やり開け閉めしているような感覚だった。
余計な情報が一気に流れ込んできて、無理やり押さえ付けるようにしていた。
でも今は違う。必要な感覚だけが綺麗に浮き上がってくる。
前までが水門なら、今は蛇口を軽く捻るくらいの気軽さで使える気がした。
「……あ」
思わず声が漏れる。
水が、ゆっくりと浮いた。
さっきの紙と違って今度は不安定な様子は無い。
透明な球体として、空中で静かに揺れている。
悠が目を丸くした。
「凄い、安定感がさっきと全然違うね」
「でしょ?」
玲奈が得意げに笑う。
俺はそのまま慎重に水を動かしていく。
ゆっくりと回転させて少しずつ速度を上げていく。
今度は減速。ゆっくりと丁寧に行なっていく。
今までみたいに暴走しない。制御出来ている。
水球が俺の指先へ吸い付くみたいに滑らかに軌道を変えていく。
「凄い……!」
素直にそう思った。
今までの能力使用って、細かな操作が難しくて、常にアクセル全開って感じだった。
でも今は違う。必要な分だけ細かく踏める。そんな感覚だ。
玲奈は満足そうに頷いた。
「どう? 結構変わるでしょ?」
「はい、かなり……」
俺は空中の水球を見つめる。
ここまで安定して操作出来たのは初めてだった。
すると玲奈が急ににやりと笑った。
「じゃあ次、透明化やってみよっか」
「わかりました」
俺は少し迷いながら目を閉じる。
透明化。周囲を通る光へ干渉する能力。
だが、上手く感覚が掴めない。
今まで透明化を使っていた時って、運動量を操作して透明になろうと意識して使っていたわけじゃない。
気配を消そうとした時。隠れようとした時。気付けば発動していた。
つまり完全に感覚任せだ。
だから今みたいに、意識して透明化しようとすると逆にどうすればいいか分からなくなる。
「……あれ?」
俺は眉を顰める。
光へ干渉するイメージ。
玲奈から聞いて理屈は理解した。
でも、理解したからといって再現出来るわけじゃない。
どれだけ使おうと意識してみても何も起きない。
玲奈が少し考えるように顎へ手を当てた。
「やっぱりこうなるかぁ」
「今までは出来てたのに……」
「うーん、多分今の透也ちゃんに透明化のコントロールは無理ね」
さらっと言われた。
俺が少し複雑な顔をしていると、玲奈は俺の掛けている眼鏡を指差した。
「というか、その眼鏡付けてる状態だと透明化は多分無理ね」
「え?」
「透明化って、透也ちゃんが無意識で処理してる能力だから」
玲奈はソファへ腰掛けながら続ける。
「でも今その眼鏡、脳波と演算領域を常時監視して制御掛けてるでしょ?」
「あぁ……」
「つまり、無意識の暴走処理が抑えられてるの」
その言葉で少し理解する。
透明化って、感覚的にはかなり曖昧だった。
無意識で発動していた。だが今はその無意識での発動へ制限が掛かっている。
玲奈は続けた。
「透也ちゃんの透明化って、現状ほぼ“無意識演算頼り”なのよ」
「無意識演算……」
「だから意識して再現しようとしても難しい。逆に考え始めると使えなくなってたし」
「色々と難しい能力だね……」
「そうねぇ……」
悠は苦笑する。
玲奈も納得したように頷いた。
「そもそも光への干渉が難度が高いのよね。透也ちゃんに似たイデアを持ってるヒーローは何人かいるわ。でも、光に干渉できてるほど使いこなしてるのは1人だけだし」
俺は小さく息を吐く。
俺の力はもっと単純なものだと思っていた。
強く念じれば動く。使おうと思えば使える。
そんなものだと。でも実際は違う。
感覚、思考、無意識、脳波。色々なものが複雑に絡み合っている。
玲奈はそんな俺を見ながら、少しだけ真面目な顔になった。
「色々と難しく考える必要は無いわ」
「玲奈さん……」
「透也ちゃん、訓練始めたのだってつい最近じゃない」
「でも……」
「今日の力の確認で自分の立ってる場所はわかったでしょ?なら後は進むだけよ。焦っても仕方がないわ」
その言葉に、少しだけ黙る。
焦っている、確かにその通りだ。多分自分でも思っている以上に俺は焦っている。
もっと強くならないといけない。もっと使いこなさないといけない。原作知識があるからこそ、余計にそう思ってしまう。
この先何が起こるか知っている。だからこそ、焦らずにはいられない。
玲奈はそんな俺を見透かしたみたいに、小さく笑った。
「透也ちゃん、考え込み過ぎ」
「……顔に出てましたか?」
「ええ、顔に大きく”焦ってます“って書いてあったわ」
恥ずかしい。俺が視線を逸らすと、玲奈は続けた。
「イデアってね、透也ちゃんみたいに感覚で使ってる人の方が多いの。しっかりと理解しようとしたら今まで出来てたことが急に出来なくなった、なんて話も珍しくないわ」
「そういうものなんですか」
「そういうものなの」
玲奈はあっさり頷く。
「焦らずにいきましょう。イデアの制御に関してなら本職の悠がいるんだし。私や蓮司だって力に──」
ぐぅぅぅ。
玲奈の言葉を遮るように、どこからか間の抜けた音が響いて部屋が一瞬で静まる。
焦ったように悠が「あっ」と口元を押さえた。
そんな様子に玲奈が吹き出した。
「話遮っちゃってごめん……」
「そう言えばお昼食べてなかったわね」
「朝からずっと訓練してましたからね……」
気付けば、事務所の窓から見える空は、既に夜色へ染まり始めていた。
玲奈は時計を確認すると、小さく伸びをした。
「よし、とりあえずご飯買いに行きましょうか」
「あ、じゃあ私行きます」
反射的にそう口にしていた。
玲奈がきょとんとした顔でこちらを見る。
「今日は色々と付き合ってもらいましたしそれくらいはやらせてください」
「僕も一緒に行くよ」
「大丈夫です。私に任せてください」
悠の申し出を断る。
本当に今日はみんなに色々と付き合ってもらった。
訓練にも付き合ってもらったし、書類を吹き飛ばして拾うのまで手伝ってもらった。これ以上みんなを動かすのも申し訳ない。
俺がそう考えていると、玲奈は少しだけ目を丸くした後、ふっと笑った。
「真面目ねぇ透也ちゃん」
「普通だと思いますけど……」
「そこは”じゃあ荷物持ちお願いします”くらい言ってもいいのよ?」
「そんなこと言いませんよ……」
玲奈は楽しそうに笑いながら財布を取り出した。
「じゃあ、はい。これでみんなの分お願い」
差し出されたのは数枚の紙幣だった。
俺が受け取ろうとすると、玲奈が思い出したみたいに「あ」と声を上げる。
「私はロールケーキがいいわ」
「晩御飯ですよね?」
「ええ、そうよ?」
ブレないなこの人。
玲奈のリクエストに呆れていると悠が少し申し訳なさそうに手を挙げた。
「じゃあ僕はおにぎりでお願いします」
「具は何かリクエストとかありますか?」
「あったらツナマヨと明太子がいいな。無かったら適当なので大丈夫だよ」
「了解です」
その横で、蓮司はキーボードを打ちながら淡々と答えた。
「私はなんでも構いません」
「それ、一番困るんですけど」
「では、パンなどの両手が塞がらない物をお願いします」
玲奈はそんなやり取りを見ながら楽しそうに笑っていた。
「じゃ、よろしくね透也ちゃん」
俺は小さく苦笑しながら金をポケットへ入れる。
「じゃあ、行ってきます」
「あっ、プリンもお願い!」
「甘いものが増えてる……」
玲奈の声を背中に聞きながら、俺は事務所を出た。
♢
外へ出た瞬間、冷たい夜風が頬を撫でた。
見上げれば、空はすっかり暗くなっていた。
街灯やネオン、車のヘッドライト。
色々な光が街中へ滲んでいる。
俺は近くのコンビニへ向かいながら、小さく息を吐く。
身体は疲れ果てていた。だが、それ以上に頭が疲れている。
能力、運動量操作、無意識演算。
今まで感覚だけで使っていたものへ、急に理屈が流れ込んできたせいで頭の中が妙に散らかっていた。
歩道を行き交う人々や車の走行音、遠くから聞こえる電車の音。
世界は常に動いている。そう考えると少しだけ落ち着かない。
今までは気にしたことなんてなかった。でも今は違う。
空気の流れや人の動き。揺れる光。全部を自然と意識してしまう。
「……だから疲れるのか」
ぼそりと呟く。
能力を理解し始めたせいで、逆に情報量が増えて収まりがつかなくなってるのだろう。
俺は考えるのをやめて近くのコンビニへ入り、適当に弁当や飲み物を籠へ入れていく。
玲奈のロールケーキとプリンに、悠のツナマヨおにぎり。明太子は無かったので紅しゃけにした。これは俺の好みだ。
蓮司の分は少し悩んだ末、無難にサンドイッチにした。
レジで会計を済ませ、袋を片手に再び夜道へ出る。
コンビニ袋が手の中で小さく揺れた。
俺は歩きながら、また考える。
もっと細かく制御出来れば、光の流れを掴めれば、運動量を正確に操作出来れば。
戦い方も変わる。多分、もっと強くなれる。
でも。
「……光だけは意味分からないんだよな」
あれだけはどうしても扱える気がしない。
感覚的にしか扱えず、意識して細かく操作する事はできない。
本当に運動量操作と同じ能力なのか疑いたくなるくらいだった。
俺は歩きながら空を見上げる。
高層ビルの隙間、光の滲んだ夜空。
この世界へ来てから、少しの時間が経った。
前までは前世とは全然違うこの世界にも少しずつ慣れてきたと思っていたけど、改めて俺は何もわかっていないんだな、と思った。
俺がASCに加わったことで、これから先原作とは違う流れになることだろう。
俺のせいで玲奈達に危険が及ぶ可能性だって大いにある。
考えれば考えるほど、焦りだけが膨らむ。
もっと強くならないと。
そんなことを考えながら歩いていた、その時だった。
どんっ、と真正面から誰かがぶつかってきた。
「っ」
反射的に相手の身体を支える。
かなり軽い。そのままだと倒れそうだった相手の腰を掴み、慌てて視線を向けた。
「すみませ──」
言葉が止まる。
ぶつかってきた相手はぼろぼろだった。
汚れたフード付きのパーカーを着ている。さっきまで走っていたのか呼吸も荒い。
まるで何日もまともに休めていないみたいな姿だ。
そして、その相手の顔には見覚えがあった。
「……ナオ?」
その名前が口から漏れた瞬間。
ナオの肩がびくりと震えた。