TS転生失敗作ちゃんが頑張る話   作:cannolo

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13.英雄覚醒

 

「……ナオ?」

 

その名前が口から漏れた瞬間、目の前の少女の肩がびくりと震えた。

 

フードの奥から覗く瞳が、ゆっくりこちらを見る。

暗い目だった。酷く疲れ切っている。呼吸は浅く、肩は小刻みに上下していた。

 

近くで見ると更に酷い。パーカーは汚れ、袖口には乾いた血が滲んでいる。頬には擦り傷。足元もふらついていて今にも倒れそうで、まるで何日もまともに眠っていないみたいな顔だった。

 

「……なん、で」

 

掠れた声が漏れる。ナオは俺を見上げたまま、小さく眉を寄せた。

 

「どうして……名前……」

 

「あ……」

 

しまった。反射で口に出していた。

原作知識があるせいで、つい“知っている前提”で喋ってしまう。

 

俺が言葉に詰まっていると、ナオはぼんやりした視線のままこちらを見続けていた。警戒しているわけではない。何かを探るような目。まるで俺の感情を読んでいるみたいな視線だった。

そういえばナオのコピーしたイデアの中には、人の感情を読み取る力があったな。

 

そんなことを考えていた、その直後だった。

ふらり、とナオの身体が蹌踉めく。

 

「えっ、ちょ!?」

 

慌てて支えると、ナオの身体は驚くほど軽かった。

腕の中へ倒れ込んできた身体は熱を持っていて、呼吸も不安定だ。

 

「ナオ?」

 

返事はない。完全に気を失っていた。

 

「……まじか」

 

思わず小さく呟く。どうする。

脳裏へ原作知識が過る。

 

灰崎湊とナオ。

原作序盤の二人は、ずっと一緒に行動していた。湊がヘリオスの追手と戦っている最中に追手から逃げたナオが結局逃げきれずに攫われてしまう回がある。

今、ナオが湊といないということは、丁度その時期でナオは今絶賛逃走中なのだろう。

 

確か、攫われたナオを湊が助けに向かい、そこでヘリオスの幹部と戦う。そして戦いの中で自分の力の使い方に気付いてパワーアップする。という流れだったはずだ。

つまり、ここで俺が関われば、原作が大きく変わる可能性が高い。

 

「……」

 

少し迷う。

だが、腕の中のナオを見る。呼吸は荒く、顔色も悪い。

今にも倒れそうどころか、もう倒れている。流石にこのまま放置は出来なかった。

 

「はぁ……」

 

深く息を吐く。

結局、答えなんて最初から決まっていた。

俺はコンビニ袋を持ち直し、ナオを支えながらASCのある雑居ビルへと向かった。

 

夜の街を歩く。

ネオンが滲む歩道、行き交う人々、車のライト。

そんな日常の景色の中で、俺だけが妙に浮いている気がした。

片腕で意識を失った少女を支えながら歩く姿なんて、どう考えても普通じゃない。

 

通行人が何度かこちらを見るが、誰も関わろうとはしなかった。面倒事の気配を感じ取っているのだろう。

 

雑居ビルへ辿り着き、階段を上がる。

ナオは完全に意識を失っていて、力なく俺へ体重を預けていた。すごく細い。ちゃんと食べているのか心配になる。

事務所の扉を開けた瞬間、玲奈がこちらを見てソファから勢いよく立ち上がった。

 

「えっ!? その子誰!?」

 

悠も驚いたようにこちらを見る。蓮司だけはパソコンから視線を上げ、静かに状況を確認していた。

 

「榊さん、その方は?」

 

「ちょっと色々あって……」

 

そう答えながら、俺はナオをソファへ寝かせる。

近くで見ると本当に酷かった。小さな身体に細かな傷が無数に刻まれている。必死でヘリオスの追手から逃げていたのだろう。

 

ナオはソファへ横になったまま微かに眉を寄せ、苦しそうに呼吸を繰り返している。

ナオを見つめていると悠が心配そうに近付いてきた。

 

「この子、大丈夫かな……」

 

「多分気絶してるだけだと思いますよ」

 

「この子、髪色もだけど、顔もよく見たら透也ちゃんにそっくりねぇ……」

 

玲奈が覗き込みながら呟く。だが、その表情はすぐ真面目なものへ変わった。

 

「……前に言ってた組織が関係ある感じ?」

 

「えっと、はい……」

 

俺は少し迷った後、口を開く。

その瞬間、事務所の空気が少し変わった。

蓮司が静かに視線を向けてくる。

 

「では、この方も榊さんと同じように追われていると?」

 

「はい。というか多分メインで追われてるのはこの子です」

 

玲奈は黙ったままナオを見る。探るような視線。だが数秒後、小さく息を吐いた。

 

「まぁ、放っとけるわけないわよね」

 

「社長」

 

「だってこの子、今にも死にそうな顔してるじゃない」

 

玲奈はそう言いながら毛布を引っ張ってくる。

悠も慌てて水を用意し始めた。なんだかんだで、この人達は本当に優しい。

 

その時だった。

 

「……み、なと」

 

小さな声。全員の視線がソファへ向く。

ナオの指先が微かに動いて、その後ゆっくりと瞼が開く。ぼんやりとした視線が天井を映し、その後、周囲を確認するように揺れる。

 

そして次の瞬間。

 

「っ!」

 

勢いよく身体を起こした。

 

毛布がずり落ちる。

ナオは荒い呼吸のまま周囲を見回した。知らない場所。知らない人間。当然混乱しているだろう。その中で視線が俺へ止まる。

 

「……あなた」

 

「落ち着いて。とりあえず安全ですから」

 

ナオは数秒黙ったままこちらを見ていた。

多分、感情を読む能力を使ってみんなが危険かどうかを探っているのだろう。

数秒後、ゆっくりとナオの肩の力が抜けた。

玲奈が少し屈み込みながら聞く。

 

「ねぇ、あなたの名前を聞いてもいい?」

 

「……ナオ」

 

「オッケー、ナオちゃんね。私は玲奈。こっちの人達は悠と蓮司と透也ちゃん」

 

悠が軽く頭を下げる。蓮司も静かに会釈した。

ナオはまだ少し疲れた顔のままだったが、少なくとも怯えてはいなかった。

 

そのまま数秒沈黙が落ちる。

そして、俺へ視線を向けてナオがぽつりと呟いた。

 

「……湊が」

 

その瞬間、俺は小さく目を細めた。

やっぱり原作であったあの回で間違いなさそうだ。

ナオは唇を震わせながら話を続ける。

 

「敵と戦ってた……でも、すごく強くて……だから……私だけ逃がして……」

 

何かに怯えるような掠れた声だった。

それだけで、どれだけ追い詰められていたか分かる。

そんなナオの言葉に、悠が真っ先に反応した。

 

「場所は!?」

 

びくりと肩を震わせたナオを見て、悠は慌てて言い直した。

 

「驚かせてごめん。でも早く助けに行かないと……!」

 

「……わか、らない」

 

ナオは俯いたまま小さく首を振る。

 

「必死で逃げてて……気付いたらここに居たから……」

 

玲奈が小さくため息を吐く。蓮司も静かに腕を組んだ。

情報が足りない。流石にこれでは探しようがない。

悠は悔しそうに拳を握る。

 

「っ……」

 

「悠」

 

玲奈が少し低い声で呼ぶ。

 

「少し落ち着きなさい」

 

「でも……!」

 

「焦っても仕方ないわ」

 

悠は何か言い返しかけたが、結局黙り込んだ。

その間も、ナオは不安そうな顔をしている。

視線が揺れていた。湊を置いて逃げてきたことへの罪悪感。ちゃんと湊が生きているのか分からない不安。色んな感情が混ざっているのだろう。

玲奈はそんなナオの様子を見ながら、小さく息を吐いた。

 

「ナオちゃん。とりあえず、今日はここに泊まりなさい」

 

ナオがゆっくりこちらを見る。

 

「でも……」

 

「今その傷だらけの状態で外に出ても危険なだけよ」

 

ナオは少し黙った後、小さく俯いた。

玲奈は明るい声で続ける。

 

「それに、ここはヒーロー企業だから、その湊君って子もちゃんと助けるわ!」

 

優しく笑う玲奈を見て、ナオはまだ少し迷っている様子だったが、やがて小さく頷いた。

ナオが頷いた後、事務所の空気がほんの少しだけ緩んだ。

とはいえ、安心出来る状況じゃないことに変わりはない。

湊がヘリオスの追手と戦っている。

しかもナオの反応を見る限り、相手はかなり強い。原作知識がある俺は、その敵が誰なのかなんとなく察しがついていた。

 

ヘリオスの幹部。原作でも湊を追い詰めた相手。正直、今の湊じゃかなり厳しい。

 

「……」

 

無意識に眉間へ力が入る。だが、今はどうにも出来ない。

場所が分からない以上、動きようがなかった。

玲奈はそんな重い空気を変えるように、ぱんっと手を叩いた。

 

「はい! とりあえず湿っぽい空気終了!」

 

急に明るい声が響く。

悠が少し困ったように玲奈を見る。

 

「玲奈さん……」

 

「だってこのままみんなで暗くなったってしょうがないでしょ?」

 

玲奈はそう言いながら、机へ置かれていたコンビニ袋を覗き込んだ。

 

「あ、ちゃんとプリン買ってきてる」

 

「頼まれましたからね」

 

「えらい!」

 

玲奈は妙に嬉しそうにプリンを取り出す。

その様子を見ていたナオが、小さく瞬きをした。

多分、拍子抜けしているのだろう。玲奈みたいなタイプは警戒しづらい。

さっきまで真面目な顔をしていたのに、次の瞬間にはコンビニスイーツで喜んでいる。

緊張感があるんだか無いんだか分からない人だ。

玲奈はスプーンを咥えながらナオへ視線を向ける。

 

「ナオちゃん、お腹空いてる?」

 

ナオは少し迷った後、小さく頷いた。

 

「……少し」

 

「少しどころじゃないでしょその顔色。悠、おにぎり貰ってもいい?」

 

「うん」

 

悠はすぐにコンビニ袋からおにぎりを取り出す。

ナオは少し戸惑った様子だったが、悠から差し出されたおにぎりを両手で受け取る。

 

その動きはやけにゆっくりだった。警戒しているというより、単純に疲弊している。

ナオは包装を開けると、小さく一口食べた。

そして数秒後、少し驚いたみたいに目を瞬かせる。

服の汚れや傷の具合から長時間、追手から逃げ続けていたのだろう。多分まともな食事は久しぶりなはずだ。

 

そのまま黙々と食べ始める。

玲奈はそんな様子を見ながら、どこか安心したみたいに笑った。

 

「うんうん、ちゃんと食べるのって大事よね」

 

「……」

 

ナオは無言のまま食べ続ける。

その姿を見ていると、原作で見た時よりずっと幼く見えた。

コピー能力。他人の悪意へ晒され続ける人生。ヘリオスからの逃亡。

そういうものを全部背負っているせいで、原作のナオはいつも達観していた印象が強い。

 

でも実際に目の当たりにして見ると、ただの少女にしか見えない。

疲れて、怯えて、居場所を失って、それでも必死に逃げてきた。

そう思うと少し胸が痛くなった。

 

その時だった。

 

「透也ちゃん」

 

玲奈が不意にこちらを見る。

 

「仮眠室の準備手伝って」

 

「あ、はい」

 

俺は立ち上がる。

 

仮眠室は事務所奥にある簡易部屋だ。元々空き部屋だった場所へベッドや棚を置いて無理やり仮眠室にしているだけらしいが、泊まるには十分だった。

 

玲奈はシーツを広げながら、小さく息を吐く。

 

「……大変な子を拾ってきたわねぇ」

 

「すみません」

 

「どうして謝るの?」

 

玲奈は苦笑する。

 

「透也ちゃんが困ってる人を放っとくタイプじゃないの分かってたし。むしろナオちゃんを見ないふりせずに連れてきてくれて安心したわ」

 

玲奈はシーツを整えながら続ける。

 

「あの子かなり追い詰められてる様子だったわね」

 

「そうですね」

 

「透也ちゃんが前言ってた組織?」

 

「多分」

 

玲奈はそれ以上深く聞いてこなかった。

その代わり、少しだけふざけた様子で呟く。

 

「透也ちゃんも、最初ここ来た時あんな顔してたわよね」

 

「え」

 

思わず間抜けな声が漏れる。玲奈は少し笑った。

 

「ナオちゃんと違って素直じゃないから大変だったわ」

 

「……申し訳ないです」

 

実際、あの頃の俺はかなり余裕が無かった。

玲奈はベッドを整え終えると、ぽんっと軽く俺の肩を叩く。

 

「まぁ、なんとかするわよ。透也ちゃんの時みたいにね」

 

その言葉は根拠があるわけじゃない。

でも玲奈が言うと、不思議とそんな気がしてくるからずるい。

事務所へ戻ると、ナオはおにぎりを食べ終えていた。

悠が空になった包装を受け取りながら安心したように笑う。

 

「食欲はありそうだね」

 

「……ごめんなさい」

 

「謝らなくていいよ」

 

悠は優しく言った。

その柔らかい声に、ナオが少しだけ目を伏せる。

多分、こういう風に普通に優しくされること自体が久しぶりなんだろう。湊も根は優しい。ぶっきらぼうすぎて周りの人間に優しさが伝わらないだけで。

 

玲奈はそんな二人を見ながら、わざとらしく明るい声を出した。

 

「よーし! 今日はもう解散!」

 

「社長、雑じゃないですか?」

 

「だって情報も無いから動けないし!」

 

玲奈はそう言いながら伸びをする。

 

「悠は明日から湊君探し。蓮司は情報収集。透也ちゃんは……」

 

そこで少し考え込む。

 

「ナオちゃん係!」

 

「なんですかそれ」

 

「なんか懐かれてるっぽいし」

 

懐かれてるんだろうか。

俺が視線を向けると、ナオは小さくこちらを見返してきた。

感情を読む能力で俺に敵意が無いことは分かっているんだろう。

それでも、ほんの少しだけ不安そうだった。

その視線を見て、俺はナオに声をかけた。

 

「……大丈夫ですよ」

 

ナオが小さく瞬きをする。

 

「彼は強いですから」

 

原作知識込みの言葉だった。

 

湊は主人公だ。簡単には負けない。

だが、ナオは数秒黙った後、小さく首を傾げた。

 

「……別に、それは心配してない」

 

「え?」

 

「湊が強いのは、知ってる……」

 

ナオは真顔のまま続ける。

 

「でも……帰り道ちゃんと分かるかなって」

 

「ん?」

 

「湊、方向音痴だから……」

 

事務所が静まり返る。

 

数秒後、玲奈が吹き出した。

 

「なにそれぇ!」

 

悠も思わず笑っている。

蓮司ですら僅かに口元を緩めていた。

俺は呆気に取られた後、小さく笑ってしまう。

 

さっきまでのシリアスな空気が一気に崩れた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、ナオは玲奈に連れられて仮眠室へ向かった。

 

「ナオちゃん、今日はもう寝る?」

 

「……うん」

 

「あっ、そうだ!歯磨きする? お風呂入る? ロールケーキもあるわよ」

 

「これから寝る相手に持ちかける内容ではありませんね」

 

後ろから蓮司が冷静に突っ込む。

玲奈は「えー?」と不満そうな声を出していたが、ナオは少しだけ困ったみたいに小さく笑っていた。

それを見て、少し安心する。少なくとも、さっきまでのように不安そうな顔はしていない。

 

仮眠室の扉が閉まる。事務所へ静けさが戻った。

さっきまで賑やかだったせいか、急に静かになると妙に落ち着かない。

 

悠はソファへ腰を下ろしながら、小さく息を吐いた。

 

「……湊君、無事だといいんですけど」

 

「大丈夫ですよ。原──」

 

原作ならここで死ぬことはない。

反射的にそう言いかけて、俺は慌てて口を閉じた。危ない。

悠はそんな俺へ気付いていない様子だったが、蓮司は一瞬だけこちらを見た。心臓に悪い。

 

俺は誤魔化すように視線を逸らす。

悠は真剣な顔のまま続けた。

 

「かなり危険な状況ですよね。ナオさんの様子からしても……」

 

「まぁ、相当追い詰められてた感じだったわねぇ」

 

玲奈が戻ってくる。どうやらナオを寝かし付けてきたらしい。

玲奈はそのままソファへ倒れ込むと、疲れたみたいに天井を見上げた。

 

「透也ちゃん」

 

「はい?」

 

「その湊君って子の事知ってる様子だけど、強いの?」

 

その質問に、少しだけ言葉へ詰まる。

強い。かなり強い。だって彼はこの世界の主人公だ。

でも、それをそのまま言うわけにもいかない。

俺は少し考えた後、曖昧に頷いた。

 

「……多分」

 

「ふーん」

 

玲奈はそれ以上深く聞いてこなかった。

その代わり、小さく笑う。

 

「なら大丈夫じゃない?」

 

「そんな軽く……」

 

「だって透也ちゃん、さっきからその子のことあまり心配してないもの」

 

ぎくり、とする。

玲奈は面白そうにこちらを見ていた。

 

「ナオちゃんのことはすごく心配してたけど、でも湊君の話になると、透也ちゃん妙に落ち着いてるのよね」

 

「……」

 

鋭い。この人、本当に勘が良い。

俺は内心冷や汗をかきながら、小さく視線を逸らした。

 

「まぁ、そんな強いならなんとかなるでしょ」

 

玲奈は深く考えずにそう締めくくった。

悠はそんな玲奈を見ながら苦笑する。

 

「玲奈さん。またなんとかなるってなんて言って、ちゃんと考えてる?」

 

「実際今までなんとかなってるんだからいいでしょ!」

 

「雑だなぁ……」

 

そんなやり取りを聞きながら、俺は小さく息を吐く。

……でも、本当に大丈夫なんだろうか。

原作知識があるからこそ、不安になる。

確かに湊はここで覚醒する。でも、もし俺がナオを連れてきた事で流れが変わったら?

ナオがASCに保護された事でヘリオスと湊が戦う機会がなくなるかもしれない。

もし、湊が覚醒しなかったら?

そこまで考えた瞬間、嫌な汗が背中を伝った。

 

原作知識は武器だ。

でも同時に、未来を壊す引き金でもある。

俺が動く度に、あったはずの未来は少しずつ形を変えていく。

 

「……」

 

嫌な予感がする。だが今更見捨てるなんて選択肢は無かった。

その日は結局、それ以上大きな動きは無かった。

悠は明日の捜索準備を進め、蓮司はヘリオス関連の情報収集を始める。

玲奈は途中から完全にソファで寝転がり始めていた。

 

「社長、せめて毛布掛けてください」

 

「んー……」

 

蓮司に言われながら、玲奈は適当に返事をしている。

自由だなこの人。

俺はそんな光景を眺めながら、深く息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝。まだ空気が少し冷たい時間帯。

俺が事務所へ入ると、既に悠は準備を終えていた。

ジャケット。ヒーロースーツのデバイス。

いつもの柔らかい雰囲気とは少し違う、仕事用の顔。

 

「おはようございます」

 

「……早いですね」

 

「じっとしてられなくて」

 

悠は苦笑した。やっぱり湊のことが気になっているのだろう。

玲奈はまだ眠そうな顔でソファへ座っている。

 

「ふわぁ……悠、無茶しちゃ駄目よー」

 

「分かってますって」

 

悠はそう言いながら装備を確認する。

その横で、蓮司もノートPCを閉じながら立ち上がった。

 

「私は別方向から情報を当たります」

 

「お願いします」

 

「榊さん」

 

急に名前を呼ばれる。

 

「はい?」

 

「社長の監視をお願いします」

 

「監視?」

 

「ええ、私が居ないと好き放題するので」

 

「失礼ねぇ!?」

 

玲奈が抗議する。だが誰も否定しなかった。

悠は苦笑しながら事務所を出ていく。

蓮司もそのまま別方向へ向かった。

扉が閉まり、事務所へ静けさが落ちる。

 

残ったのは俺と玲奈、そして仮眠室で寝ているナオだけだった。

玲奈はソファへだらしなく身体を預けながら、小さく伸びをする。

 

「いやぁ、二人とも完全にやる気モードね」

 

「まぁ、放っておけないでしょうし」

 

「優しいわよねぇ」

 

玲奈はどこか嬉しそうに笑った。

 

その時だった。事務所奥の扉が静かに開く。

視線を向けると、ナオがゆっくり出てきた。

昨日より顔色は少し良い。足取りもしっかりしている。

だが、どこか落ち着かない様子で周囲を見回していた。

 

「お、起きた」

 

玲奈が軽く手を振る。

ナオは小さく会釈した後、こちらを見る。

 

「……おはよう」

 

「おはよう」

 

そう返しながら、俺はふと違和感を覚えた。

昨日、頬にあった擦り傷が消えている。

袖口から見えていた細かな裂傷も無い。

服は汚れたままなのに、肌だけが妙に綺麗だった。

玲奈も同じことへ気付いたらしい。

 

「……あれ?」

 

不思議そうに目を瞬かせながらナオへ近付く。

 

「ナオちゃん、怪我はどうしたの?」

 

ナオは少しきょとんとした後、自分の腕を見る。

 

「あぁ……治した」

 

あまりにも自然な口調だった。

玲奈が数秒固まる。

 

「……治した?」

 

「うん、コピーしてた治癒系のイデアを使ったの」

 

「えっ」

 

空気が止まった。

玲奈が勢いよく身を乗り出す。

 

「待って待って待って、さらっと言ったけど今かなり凄いこと言わなかった!?」

 

ナオは逆に困惑したような顔をする。

 

「……?」

 

「コピー!? 治癒系!? そんなイデアあるなんて初めて聞いたわ!」

 

玲奈の食い付き方が凄い。

ナオは少し視線を逸らしながら、小さく呟く。

 

「別に……普通」

 

「普通じゃないわよ!」

 

玲奈が即座に否定する。

俺はそのやり取りを見ながら小さく息を吐いた。

ナオにとっては“普通”なんだろう。

 

色んな能力をコピーして、使って。生き延びてきた。

だから感覚が麻痺している。

でも、普通に考えればかなり異常だ。

能力のコピー、それだけでも十分危険なのに、そこへ今までコピーした無数の能力まで加わる。

ヘリオスが彼女に執着する理由もよく分かる。

玲奈はまだ興奮した様子でナオの周囲をうろうろしていた。

 

「え、待って。他には!? 他にはどんなのコピーしてるの!?」

 

「玲奈、距離近い……」

 

「だって気になるじゃない!」

 

完全に研究者モードだった。

ナオは少し困ったように視線を泳がせた後、小さく俺を見る。

助けを求めるみたいな目だった。

 

「……玲奈さん、ナオが困ってますよ」

 

「あ、ごめん」

 

玲奈は意外なくらい素直に引き下がった。

その後、気まずさを誤魔化すみたいに視線を逸らし、ふと事務所の隅へ目を向ける。

 

「あ」

 

玲奈は何か思い付いたように声を上げた。

棚の下へ置かれていたゲーム機へ手を伸ばす。

 

「そうだ、ナオちゃんゲームとかする?」

 

ナオが小さく瞬きをした。

 

「……ゲーム?」

 

「うん、暇でしょ今。湊君が見つかるまでやる事もないし」

 

玲奈はそう言いながら慣れた手付きでゲーム機をテレビへ繋ぎ始める。

 

「こういう時って考え込み過ぎると余計しんどくなるのよねぇ」

 

その言葉に、ナオは少し黙り込んだ。

多分、湊のことを考えていたのだろう。

今も無事なのか。怪我していないか。ちゃんと逃げられたのか。

平気そうにしてるけど、不安が消えるわけじゃない。

玲奈はそんな空気を無理やり軽くするみたいに、明るい声を出した。

 

「対戦ゲームしかないけど大丈夫?」

 

「うん……」

 

ナオは少し迷った後、差し出されたコントローラーをおずおずと受け取った。

その様子を見て、玲奈が嬉しそうに笑う。

 

「よーし、じゃあお姉さんが社会の厳しさを教えてあげるわ!」

 

「玲奈、弱そう……」

 

「失礼ねぇ!?」

 

そして、数分後。

 

「ちょ、待って待って待って!」

 

玲奈の悲鳴みたいな声が事務所へ響いた。

テレビ画面の中では、玲奈のキャラクターが派手に吹き飛ばされている。

 

“K.O.”

 

無慈悲な文字。ナオはコントローラーを持ったまま、小さく首を傾げた。

 

「……これで終わり?」

 

「終わり!? じゃないのよ!」

 

玲奈が机をばんばん叩く。

 

「なんでそんな強いの!? 初心者じゃないの!?」

 

「初心者、だよ……?」

 

「絶対嘘よ……!」

 

俺はソファへ座りながら、その光景をぼんやり眺めていた。

最初こそ玲奈は余裕たっぷりだった。

 

「お姉さんに任せなさい!」

 

なんて言いながら、初心者向けの説明までしていたくらいだ。

だが、一戦目の途中から空気が変わった。

ナオが異様に強い。反応速度が明らかにおかしいのだ。

攻撃を全部見てから対応しているみたいな動き。

玲奈のフェイントにも引っ掛からない。回避も防御も異常に正確。

 

結果、開始数分で玲奈がボコボコにされていた。

 

「え、待って、今の反応出来るの!?」

 

「玲奈はできないの……?」

 

「うぅ、才能の差を感じるわ……!」

 

玲奈は完全にムキになっていた。

さっきまでナオを元気付けようとしていたはずなのに、今は普通に勝負へ熱くなっている。

ナオはそんな玲奈を不思議そうに見ながら、再びコントローラーを握り直した。

 

「……まだやる?」

 

「当たり前でしょ!」

 

即答だった。

 

「今度は本気だからね!」

 

「玲奈さん、さっきからだいぶ本気っぽいですけど……」

 

「今までのはウォーミングアップよ!」

 

絶対違う。俺は思わず小さく笑ってしまう。

するとナオがこちらを見た。

 

「……笑った」

 

「いや、玲奈さんがあまりにも滑稽で」

 

「透也ちゃん失礼ね!?」

 

玲奈が抗議する。

だが、その空気は昨日よりずっと柔らかかった。

ナオも気を張っている感じはない。

もちろん、不安が消えたわけじゃないだろう。

湊のことだってある。でも少なくとも、昨日みたいな追い詰められた顔ではなくなっていた。それだけで少し安心する。

 

ゲームが再開される。

 

だが、数分後。

 

「なんでぇ!?」

 

再び玲奈の悲鳴が響いた。

ナオのキャラクターが玲奈を一方的に追い詰めている。

玲奈は段々と前のめりになっていった。

 

「また負けた……!」

 

「ウォーミングアップは、終わった……?」

 

「うううう!悔しいわ!!」

 

ナオの言葉を聞いて玲奈が完全に子供みたいになっている。

俺は苦笑しながら、その様子を見守っていた。

その時、不意に脳裏へ原作の記憶が蘇る。

 

ヘリオス、ナオ、そして灰崎湊の覚醒。

原作では、ナオが攫われたことがきっかけだった。

湊はナオを助けるためにヘリオスの幹部と死力を尽くして戦い、その極限状態の中で能力を覚醒させる。

それが、主人公としての大きな転機だった。

 

だが今、ナオはここにいる。

玲奈と楽しそうにゲームをしてる。

 

つまり。

 

「……あ」

 

俺の表情が固まる。嫌な予感がした。

これはかなり不味いのでは?

 

「もしかして……」

 

主人公の覚醒イベント潰した?

その考えが浮かんだ瞬間、背筋へ嫌な汗が流れた。

 

原作。その言葉が頭の中で嫌に重く響く。

もし湊が覚醒しなかったら。

もし未来そのものが変わったら。

そう考えると胃が痛くなってきた。

 

俺は思わず頭を抱える。

 

「どしたの透也ちゃん」

 

玲奈が不思議そうにこちらを見る。

 

「……いえ、ちょっと」

 

咄嗟に誤魔化す。

流石に、主人公の覚醒イベント潰したかもしれないから焦ってる、なんて言えるわけがない。

玲奈はそんな俺を数秒眺めた後、再びゲーム画面へ視線を戻した。

 

「よーし次!」

 

「まだやるの……?」

 

「私が勝つまでやるに決まってるでしょ!」

 

「玲奈さん大人気ないですね」

 

「透也ちゃん、最近私に遠慮が無くなってきたわね……」

 

玲奈は真顔でコントローラーを握り直す。

完全に意地になっていた。

ナオはそんな玲奈を見ながら、小さく首を傾げる。

 

「……玲奈、弱いね」

 

「弱くないわ!」

 

即答だった。だが直後。

 

“K.O.”

 

「また負けた……!!」

 

悲鳴が響く。

俺は思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、小さく息を吐いた。

さっきまで重かった空気が、今はかなり軽い。

ナオも完全に打ち解けたわけじゃないが、昨日みたいな張り詰めた様子は薄れていた。

 

ふと、何かを思いついたかのように玲奈が急にコントローラーを机へ置く。

 

「……そうよ。糖分が足りないから脳が上手く働かないせいで負けてるのよ」

 

玲奈は真剣な顔で言った。全然説得力がない。

玲奈はそのままソファへ倒れ込みながら、だらけた声を出す。

 

「お願い透也ちゃんコンビニ行ってきてぇ……」

 

「自分で行けばいいのでは?」

 

「今席を立ったら負けを認めることになるわ……!」

 

意味が分からない。

ナオはそんなやり取りを静かに見ていた。

少しだけ口元が緩んでいる。

その顔を見て、俺は小さく息を吐いた。

 

……まぁ、少し外の空気吸いたいのも本音だった。

頭を整理したい。原作が変わることについて、一回落ち着いて考えたかった。

 

「しょうがないですね……」

 

玲奈がぱっと顔を上げる。

 

「プリン!あとチョコお願い!」

 

「糖分の摂りすぎは逆効果だと思いますけど……」

 

悠と蓮司が居たら絶対突っ込んでいただろう。

玲奈はそのまま財布からお札を抜き取ると、俺へ押し付けてきた。

 

「はい、これでみんなの分お願い!」

 

「分かりました」

 

「ナオは何か欲しいものはありますか?」

 

ナオが小さくこちらを見る。

 

「……私、なんでもいい」

 

「じゃあ適当に甘いの買ってきますね」

 

ナオは少し迷った後、小さく頷いた。

玲奈は再びゲームの画面を見ながら、ぶつぶつ何か言っている。

 

「tier1のキャラ使って性能でゴリ押せば勝てるかしら……?」

 

本当に大人気ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑居ビルの階段を降りると、外の空気が肌へ触れた。

 

昼前の街は、人と音で溢れていた。

車のエンジン音が途切れなく道路を流れ、歩道では誰かの笑い声や話し声が重なり合っている。

信号機の電子音が規則的に鳴り響いてた。

 

いつも通りの平和な日常の風景。

だが俺の頭の中は全然平和じゃなかった。

 

原作が変わって灰崎湊の覚醒が無くなってしまったら。

もし本当に俺が未来を狂わせていたら。

 

「……かなり不味いよね、これ」

 

思わず呟く。

原作知識は俺の最大の武器だ。

でも同時に、俺が動けば動くほど未来はズレていく。

それは分かっていた。分かっていたけど。

 

「主人公の覚醒イベント潰すのは流石に笑えないんだけど……」

 

眉間を押さえながら歩く。コンビニまではあと少し。

 

その時だった。不意に、視線を感じた。

 

誰かに見られている。ざわり、と背筋が粟立つ。

俺は思わず足を止め、ゆっくりと視線を上げた。

人混みの流れから半歩外れるようにして、電柱へ寄り掛かるボロボロの黒いパーカーを着た男が立っている。

 

無造作に乱れた黒髪の隙間から、鋭い目がこちらを射抜いている。

身体中に決して浅くはない傷跡が走っていた。

だが、何より異様だったのは、その男が纏う空気だ。

全身から張り詰めた殺気が滲み出ている。

今にも倒れそうなくらい消耗している様子なのに、その奥に潜む鋭さだけは微塵も死んでいない。

まるで、傷付きながらも牙を剥く獣。

 

その姿を見た瞬間、俺の心臓が一瞬だけ強く跳ねた。

 

「……灰崎、湊」

 

原作主人公。間違いなかった。

 

その姿を見た瞬間、背筋がじわりと冷える。

湊も、こちらへ気付いていた。鋭い視線が真っ直ぐ俺へ向けられる。

その目には、隠そうともしない警戒が宿っていた。

張り詰めた空気。獣が縄張りへ踏み込まれた時みたいな、剥き出しの緊張感。

 

当然だ。手負の状態で敵か味方かわからない相手と遭遇したのだから。

しかも、今の湊はまともな状態じゃない。

 

黒いパーカーは汚れと擦り傷だらけで、所々血が滲んでいる。

呼吸も浅く荒い。

今にも倒れそうなくらい消耗しているのに、それでも視線だけは鋭く、少しでも怪しい動きを見せれば、即座に飛び掛かってきそうな危うさがあった。

 

まずい。また前みたいに敵認定されそうになってる気がする。

とにかく、安心させて警戒を解かないと。

 

「……ナオなら無事です」

 

そう言った瞬間だった。湊の目付きが変わる。

空気が、ぴん、と張り詰めた。

周囲を走る車の音も、通行人の話し声も、一瞬だけ遠くなったような気がした。

 

湊の視線が、突き刺さるみたいに鋭くなる。

 

「……なんでお前がナオの名前を知ってる」

 

低い声だった。抑揚はほとんど無い。

なのに、その一言だけで空気が重く沈んだように感じた。

 

ぞわり、と肌が粟立つ。

消耗しているはずなのに、この圧力。

 

原作主人公。その言葉だけじゃ足りないくらい、目の前の彼の圧は異様だった。

 

しまった。内心で舌打ちする。

まただ。また原作知識を前提に喋ってしまった。

俺の悪い癖だ。

俺は表情を崩さないよう意識しながら、慎重に言葉を続ける。

 

「昨日、偶然会って保護したんです。今は私の仲間と一緒にいますよ」

 

湊は何も答えない。ただ黙ったまま、値踏みするような視線をこちらに向けている。

嘘を吐いていないか。罠じゃないか。少しでも違和感があれば即座に攻撃に移る。

そんな緊張感が、ひりつくほど伝わってくる。

 

だが次の瞬間、湊の眉間へ僅かに皺が寄る。

 

「お前に仲間がいるのか……?」

 

「えぇ、今はナオとちょっとしたゲームをしていますよ」

 

「……ゲーム?」

 

警戒は解けない。むしろ強くなった気さえする。

湊からしたら俺は怪しさの塊でしかないし当然か。

俺はどう説明したものか迷いながら頭を掻いた。

 

「ええ。でも、やりすぎていないか心配ですね」

 

「……どういうことだ?」

 

湊の視線は、一瞬たりとも逸れない。

 

俺は内心で少しだけ苦笑する。

玲奈さん、俺が事務所を出る直前もナオ相手に妙な張り合い方してたしな……。

ゲームくらいで子供相手に本気になるの、本当に大人気なさすぎる。

 

「いえ、一人ちょっと加減を知らない人が居るのでナオが心配だ、と言う話ですよ」

 

軽く肩を竦めながら答える。

多分これで、少なくともナオが今危険な目に遭ってないことは伝わっただろう。

事務所でゲームでもしながら騒いでる光景を想像して、少しだけ肩の力が抜ける。

 

これで多少は警戒も解けるか。

そう思いながら、ふと視線を上げた。

 

その瞬間、心臓が、どくりと嫌な音を立てる。

湊の目付きが、先程までとは完全に変わっていた。

空気が凍る。殺気。明確な敵意。

肌へ突き刺さるみたいな圧力に、背筋を冷たいものが走った。

 

次の瞬間、俺の視界から湊の姿が消えた。

 

「っ!?」

 

反射的に身体を捻る。

 

直後、耳を劈くような轟音が炸裂した。

湊の拳が頬を掠め、そのまま背後の自販機へ突き刺さる。

 

ばきん、と嫌な金属音。

分厚い鉄板が紙みたいに歪み、自販機全体が大きく揺れた。

衝撃で缶が中から暴れ、がこんがこん、と鈍い音が連続する。

 

そんな様子を見ていた通行人達が悲鳴を上げて逃げている。

 

「ちょ、え!?待ってください!?」

 

「黙れ」

 

次の瞬間には、もう湊が踏み込んでくる。

 

速い。消耗しているはずなのに、それでも異常な速度だった。

アスファルトを蹴る音と同時に、一気に視界が埋まる。

俺は咄嗟にイデアを発動した。

自分自身の運動量へ干渉。強引に上へ跳ぶ。

その瞬間、ぶわっ、と空気が爆ぜる。風圧だけで皮膚がひりつくようだ。

 

「っ……!」

 

直後、眼下で凄まじい破壊音が響いた。

振り抜かれた拳がガードレールへ直撃し、金属が飴みたいにひしゃげる。

速いだけじゃない。一撃一撃が異常に重く、鋭い。

 

湊は自身のイデアにより生み出されたエネルギーを操作する能力を持っている。

そして、彼のエネルギー制御による身体能力の強化幅は異常だ。

覚醒後なら近接戦は作中でも間違いなくトップクラス。

それでも、覚醒前の彼なら平気だと心のどこかで油断していた。

 

でも、実際に相対すると迫力がまるで違う。

死を直接連想させるような濃密な殺気。

ヒーローというより、まるでヴィランだった。

 

湊は止まらない。俺が着地するより先に距離を詰める。

 

視界の端で身体が回転する。回し蹴りだ。

空気を裂く音と同時に、横殴りの一撃が迫る。

俺は反射的に腕を上げる。

 

次の瞬間、衝撃が炸裂した。

 

「ぐっ……!」

 

骨が軋む。腕ごと身体が吹き飛びかける。

まるで重機に殴られたみたいな衝撃だった。

 

だが、その瞬間、俺は同時に能力を発動した。

接触した瞬間に蹴りの運動量へ干渉。

流れを逸らす。咄嗟だったし威力が強すぎて完全に逸らす事は無理だ。

それでも、威力をかなり逃がせる。

 

俺の身体が横へ吹き飛ぶ。

だが、痛みは少ない。ダメージは殆ど消せたようだ。

 

「……なるほどね」

 

思わず小さく呟く。

今までよりスムーズにイデアの発動ができてる。

眼鏡型のイデアの抑制装置。これのおかげだ。

 

いつも頭の奥で感じていた熱が無い。

感覚に任せるのではなく、自分の意思で完璧にコントロールできる。

 

湊が再び突っ込んでくる。俺は周囲へ視線を走らせた。

空き缶、小石、落ち葉。少しでも動いているもの。

その全てが俺の能力の対象になる。

俺は足元の小石へ干渉した。

 

次の瞬間、弾丸みたいに加速した小石が湊へ飛ぶ。

湊は反射的に腕で弾いた。だが、その隙が生まれる。

俺はすかさず地面を蹴って加速する。

 

「っ!」

 

湊の懐へ潜り込み、脚を振り抜く。

直撃と共に鈍い音が響いて、湊の身体が数メートル吹き飛んだ。

アスファルトを滑り、道路標識へ激突する。

 

「少しは落ち着きましたか」

 

「チッ……」

 

湊が舌打ちをしながらゆっくりと立ち上がる。口元からは血が流れていた。

だが、その目はまだ死んでいない。むしろ鋭さが増していた。

 

「お前……」

 

低い声。俺は慌てて両手を上げる。

 

「だから誤解ですって、ナオは普通に保護してるだけで──」

 

その瞬間、湊の姿がブレるように消えた。

また来る。俺は反射的に空気の流れへ干渉した。

横風を発生させる。僅かだが、湊の踏み込みがズレる。

 

そこへ更に能力を重ねた。

俺は横へ身体を流しながら、湊の腕を掴んだ。

そして、運動量の向きを変える。

 

「っ!?」

 

湊の身体が勢いそのまま横へ投げ飛ばされた。

湊はコンビニ前の駐輪場へ突っ込み、自転車が派手に倒れる。

通行人が悲鳴を上げて逃げていく。

 

俺は自分の手を見る。

ここまで細かい制御、昨日までなら絶対に無理だった。

 

「抑制装置、凄……」

 

思わず本音が漏れる。

だが、その瞬間だった。

ぞわり、と。背筋へ悪寒が走る。

 

 

駐輪場の奥。ゆっくり立ち上がる湊の周囲で、青紫色の光が揺れていた。

最初は霧みたいに淡く滲む粒子だった。

だが、それは徐々に濃くなる。

空気が震える。びり、と肌が粟立った。

 

「……え?」

 

俺は思わず目を見開く。

俺はこの光景を知っている。原作で何度も見た。

青紫色の粒子が湊の身体へ絡み付くように集まり、輪郭を作り始める。

腕や肩、胸部、やがて粒子は全身を包んでいき、まるで生き物みたいに装甲が形成されていく。

 

「まさか……」

 

黒に近い深い色合いの装甲。

その隙間を、青紫色の光が脈動するように走っている。

原作序盤最大の覚醒イベントを経て灰崎湊が手に入れた新たな力。彼のヒーロースーツ。

 

俺は思わず息を呑んだ。

 

「……良かった」

 

安心したみたいに呟く。ちゃんと覚醒した。

原作と展開は違うが彼が弱体化するような事態は避けられた。

だが、安心したのも束の間だった。

湊がゆっくり顔を上げる。

 

その瞬間。

 

「……っ!?」

 

視界から消えた。

速いとか、そういうレベルじゃない。

最低でもフィンと同等、いやそれ以上の速度に感じる。

気づいた時にはもう攻撃が目の前に迫っていた。

 

青紫色の光を纏った拳が視界を埋める。

少し反応が遅れるが、咄嗟に腕を上げて防御と同時にイデアを発動させて衝撃を弱める。

 

「重っ──!?」

 

骨が軋む音がした。

次の瞬間身体が吹き飛び、視界が回転する。

背中からアスファルトへ叩き付けられ、そのまま数メートル滑った。

 

「っ、は……!?」

 

身体が痺れる。衝撃が身体の芯まで残っていた。

さっきまでの一撃とは、重さがまるで違う。

俺は慌てて起き上がる。

その瞬間、目の前へ黒い影が迫っていた。

また反応が遅れる。湊の蹴りが横から叩き込まれた。

 

「ぐっ……!」

 

衝撃で身体が浮く。

肺の空気が強制的に押し出される。

俺は空中で無理やり能力を発動した。

勢いを抑えて着地する。

だが、完全には勢いを殺し切れず、靴底がアスファルトを削った。

 

「速すぎ……!」

 

さっきまで押していたはずなのに、一瞬で逆転されていた。

黒い装甲。原作で見た、灰崎湊の覚醒状態。

実物で見ると圧迫感が異常だった。

装甲の隙間から青紫色の光が漏れている。

まるで身体そのものがエネルギーを噴き出しているみたいだった。

 

湊は何も言わずに、一歩踏み込む。

その瞬間、地面が砕けて彼の姿が掻き消えた。

 

「っ!?」

 

また来る。俺は咄嗟に空気の流れへ干渉した。

フィンの時のように回転を発生させる。

だが、それを湊は無理やり踏み抜いた。

 

「うそでしょ!?」

 

再び拳が迫ってくる。俺はギリギリで頭を逸らして回避した。

轟音が響いて背後の街灯が根元からへし折れる。

 

俺は反射的に距離を取った。

 

不味い。かなり不味い。

原作だと、覚醒後の湊は一気に戦闘力が跳ね上がる事はわかっていた。

でも、実際に相手するとここまで強いのか。

 

「少し落ち着いて、話をしましょう」

 

「話ならいくらでもしてやるさ。お前を倒してナオを助けた後でな……!」

 

低い声。完全に敵だと認定されていた。

俺は額へ冷や汗を浮かべながら周囲を見る。

いつのまにか通行人はいなくなっている。この戦闘で皆逃げたらしい。

 

ほっとしたのも束の間、次の瞬間、視界から再び湊の姿が消えた。

 

「っ!」

 

俺は反射的に身体を捻る。

直後、真横から衝撃。

 

「がっ!?」

 

回避も防御も間に合わない。湊の拳が脇腹へめり込む。

今まで感じたことのない程の痛みに思わず顔を顰める。

身体が横へ吹き飛び、コンビニの壁へ叩き付けられた。

ガラスが割れて店内から悲鳴が上がる。

 

「っ、ぁ……」

 

息が詰まる。痛い。段々と意識が朦朧としてきた。

俺は咳き込みながら立ち上がる。

湊は戦いながら、どんどん動きが鋭くなっていた。

まるで、戦闘の最中に進化していっているみたいだった。

 

 

「これ主人公補正ってやつ?ズルじゃん……」

 

思わず本音が漏れる。湊は当然答えない。

次の瞬間にはまた踏み込んできていた。

俺は咄嗟に小石を加速させて、弾丸みたいに数発射出する。

 

だが、湊は回避することなくそのまま突っ込んでくる。

黒い装甲へ当たった小石が砕け散った。

 

硬すぎる。いや、反則では?

俺は慌てて後退するが、湊の方が速度は上だ。

距離を詰められて、俺は咄嗟に能力を発動した。

湊の運動への干渉。

 

だが。

 

「っ!?」

 

重い。湊は俺からの干渉を気にした様子は無い。

常識はずれの膂力で無理やり押し切られる。

拳が肩を掠めた瞬間、服が裂けた。

 

「クソッ……!」

 

イデアの抑制装置のおかげで上手く力をコントロールできるようになったが、その代わりに大幅に出力が低下している。

眼鏡を外せば今の湊の力にもきっと対応出来るだろう。

だけどその場合、俺がイデアのコントロールをミスした時の街への被害は計り知れないため、この方法は使えない。

 

八方塞がりだ。打つ手がない。原作で彼と相対したヴィランはみんなこのような絶望感を味わっていたのだろうか。

 

そんな事を考えていた時だった。

 

湊の姿が掻き消える。次の瞬間には、もう彼は目の前まで迫っていた。

青紫色の光を纏った拳が、視界を埋め尽くす。

気付いた時にはもう、攻撃を叩き込まれる直前だった。

 

俺は反射的に腕を上げるが防御はもう間に合わないだろう。

 

迫りくる攻撃に恐怖を覚え、俺は思わず目をぎゅっと閉じる。

 

次の瞬間、轟音と共に凄まじい衝撃波が周囲へ弾け飛んだ。

 

「っ!?」

 

だが、痛みは来なかった。

 

状況が理解できず、恐る恐る目を開く。

 

最初に視界に映ったのは白い装甲だった。

 

緑色のラインが走るヒーロースーツ。

装甲の隙間からはマントのように薄く淡い黄色の光が漏れ、風を纏うみたいにはためいている。

青紫色の拳を真正面から受け止めながら、その人物が低く息を吐く。

 

見覚えのあるヒーロースーツ。思わず俺は目を見開く。

 

「悠さん……!?」

 

普段の柔らかい雰囲気とは別人みたいだった。

突き刺すような鋭い雰囲気。

湊は警戒するように飛び退いて悠から距離をとった。

 

「……透也さん、無事?」

 

安心したみたいな声。

その聞き慣れた声音を聞いた瞬間、張り詰めていたものが一気に緩みそうになる。

 

助かった。本気でそう思った。

湊の覚醒後、ずっと気が抜けなかった。

一瞬でも反応が遅れれば終わる。そんな緊張感の連続だった。

だからだろう。悠が来た瞬間、身体から力が抜け始めた。

 

「彼が灰崎湊です。ナオの事を話したら、何か誤解してしまったみたいで……」

 

言いながら、自分でも声に力が入っていないのが分かった。

 

痛みが酷い。全身が悲鳴をあげているみたいだ。特に腕と脇腹が痛い。

そう自覚した瞬間、急に全身の疲労が押し寄せてきた。

そういえばフィンと戦った時も、脇腹に酷い傷を負ったな、なんて関係のないことに思考が逸れる。

 

続けて、視界が少し揺れる。

 

「……透也さん?」

 

悠が僅かに眉を寄せる。

俺は何か言おうとして、そこで初めて自分が思っていた以上に消耗していたことへ気付いた。

 

抑制状態でのイデアの連続使用。

そこへ湊との戦闘ダメージまで重なっていた。

悠の姿を見て安心した瞬間に全部が一気に襲ってきた。

 

思わず足から力が抜ける。

 

「あっ」

 

身体が傾く。

その瞬間、悠が俺の身体を支えた。

 

「ちょっ……透也さん!?」

 

「……だ、大丈夫……です……」

 

全然大丈夫じゃなかった。視界がぼやける。

遠くで湊の青紫色の光が揺れているのが見える。

悠の焦った声。風の音。

 

色んな物が遠ざかっていくような感覚を最後に俺の意識はゆっくり暗闇へ沈んでいった。

 

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