折寺中学校の教室は、いつだって騒がしくて退屈だ。
「ユノー! あんな先生の話なんて聞かなくていいから、私とお話ししましょーよ!」
オレの耳元でブンブンと飛び回りながら、甲高い声でアピールしてくる小さな影。淡い緑色の光を纏った手のひらサイズの妖精、ベルだ。
オレの個性──『風精霊魔法』が発現したあの日からずっと一緒にいる彼女は、オレの能力そのものであり、相棒だ。自我を持つ個性というのは珍しいらしく、昔は気味悪がられることもあったが、今は少し違う。
「おっ、今日もユノの妖精ちゃんは元気だな!」
「ユノ君、今日もかっこいい……!」
クラスメイトたちがチラチラとこちらを見てくる視線を、オレは頬杖をつきながら適当に受け流す。
日本人離れした、この容姿のせいか、あるいはこの『風』を操る強力な個性のせいか、いつの間にかオレは周囲から一目置かれる存在になっていた。
だが、そんな周囲の評価など、オレにとってはどうでもいい。
「プリント、配るぞー。 みんな静かにしろー!」
担任の教師が束になった進路希望調査のプリントを教卓でトントンと揃える。
「お前らももう三年だ。そろそろ将来について真面目に考える時期だが……まぁ、どうせお前ら、全員ヒーロー科志望だよな!」
教師がプリントを宙に放り投げると、クラス中から歓声が上がり、あちこちで個性のアピールが始まった。手が伸びる奴、火を吹く奴、様々な個性が教室を飛び交う。
「先生! 俺をその他大勢と一緒にすんなよ!」
バンッ! と机の上に飛び乗り、不遜な笑みを浮かべて叫んだのは、爆豪勝己だ。
派手な爆発の個性を持つこいつは、確かに強い。だが、その傲慢な態度はどうにも気に食わなかった。
「あー、そういえば爆豪は雄英高志望だったな」
「うげぇ、あの全国トップの!?」
「俺はあそこの試験をパスできる唯一の器だ! オールマイトすら超えて、俺がトップヒーローになる!」
得意げに語る爆豪に、ベルがオレの肩から身を乗り出して「あーらら、またあの爆発頭が吠えてるわよ。ユノのほうがずーっとすごいに決まってるのにね!」と言い放つ。
「ああん? んだとクソ羽虫!」
「だーれがクソ羽虫よーっ!」
爆豪とベルが睨み合いをきかせる中、先生がポツリと言う。
「……あ、あと、グリンベリオールと緑谷も雄英志望だったな」
教師の何気ない一言で、教室の空気がピタリと止まった。
そして次の瞬間、爆豪の顔が怒りに歪む。爆豪の視線の先には、オレではなく、教室の隅で小さく縮こまっている緑谷出久の姿があった。
「デクゥ!!!」
ドガァン! と机が爆破され、出久が尻餅をつく。
「てめェは個性すらねェただの木偶の坊だろうが!! なんで俺と同じ土俵に立てると思ってんだ!!」
「ち、違うんだかっちゃん! 僕はただ、昔からの夢で……!」
怯えながらも必死に言葉を絞り出す出久。その姿を見て、周囲の生徒たちも嘲笑い始めた。「無個性のくせに」「ありえねーだろ」という心ない言葉が教室に響く。
……本当に、退屈な奴らだ。
オレはゆっくりと立ち上がり、指先を軽く弾いた。
ヒュッ、と鋭い一陣の風が教室を駆け抜け、爆豪の手から立ち上っていた煙をあっさりと吹き飛ばす。
「あ?」
「うるさいぞ、爆豪」
オレが低い声で告げると、爆豪はギリッと歯を鳴らしてこちらを睨みつけてきた。
「てめェ……! 風野郎がぁ! また俺の邪魔すんのかぁ!」
「お前が勝手に騒いでるだけだろ。それに──」
オレは出久の隣まで歩み寄り、手を差し出した。
出久は少し驚いた顔をした後、その手を取って立ち上がる。
「出久が無個性で終わるなんて、ありえねー……!」
「ユノ君……」
「はぁ!? てめェ、まだそんな寝言言ってんのか! こいつは昔から何一つできねェ、ただの石ころだろうが!」
激昂する爆豪を、オレは冷めた目で見下ろした。
こいつらには分からないのだ。あの夕暮れの公園で、震えながらもオレの前に立ち塞がった出久の背中が、どれほど強かったか。
個性があるかないかなど、関係ない。出久の根底にあるヒーローとしての魂を、オレは誰よりも知っている。
「……オレは出久と勝負してるんだ。どっちが先に最高のヒーローになるか」
「なっ……!」
「だから、出久は俺のライバルだ。お前みたいな奴に、出久が負けるわけない」
言い切ったオレの言葉に、教室は水を打ったように静まり返った。
爆豪は顔を真っ赤にして今にも飛びかかってきそうだったが、ベルが牽制するように強風を纏って威嚇すると、舌打ちをして自分の席に戻っていった。
ちなみに、ベルはそれを見てあっかんべーしていた。
「ありがとね、ユノ君。でも、ごめん、僕のせいで……」
「謝るな、出久」
オレは振り返り、出久の目を真っ直ぐに見つめた。
「オレは本気で言ってる。雄英で待ってるぞ」
「……うん! 僕、絶対に諦めないから!」
出久の目に、あの日の公園と同じ、強い光が宿る。
それを見ただけで、オレの胸の奥が熱くなるのを感じる。
出久は絶対に──限界を超えてくる……!
早く、あいつと同じ舞台に立ちたい。
オレのヒーローへの道は、いつだってこの幼馴染との誓いと共にあるのだ。
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放課後。商店街を歩いていると、遠くから鼓膜を揺らすような爆発音が響いた。
黒い煙が空高く舞い上がっている。
「ねえユノ、なんだか焦げ臭いわよ? 爆発でもあったのかな?」
「……行ってみよう」
オレはベルを肩に乗せ、煙が上がる方向へ駆け出した。
現場である路地裏は、すでに野次馬とプロヒーローたちでごった返していた。燃え盛る炎と、周囲に充満する有毒な臭い。その中心にいたのは、巨大な泥の塊のような異形のヴィランだった。
「なんだあれ……誰か捕まってるぞ!」
「あの中学生、すげえ個性を抵抗に使ってるみたいだけど、それが逆に火災を広げてて……プロでも手が出せねぇ状況らしい!」
野次馬の声を耳にしながら、俺は目を凝らした。
ヴィランの体内に取り込まれ、もがき苦しんでいる金髪。……爆豪だ。
「……っ!」
オレは舌打ちをし、一歩前に出ようとした。だが、すぐに足を止める。
今の路地裏は爆豪の個性によって火の海になっている。オレの『風魔法』をここで下手に使えば、炎に酸素を送り込み、周囲の被害をさらに拡大させてしまう恐れがあった。
「駄目よユノ! ここで強い風を出したら、火がもっと燃え広がっちゃう!」
「分かってる……!」
プロヒーローたちも「自分たちの個性じゃ相性が悪い」「助けが来るまで待て」と立ち止まっている。
爆豪の息が徐々に弱まっていくのが見えた。普段は気に食わない奴だが、このまま見殺しにするつもりなんてない。被害を最小限に抑えつつ、ヘドロだけを吹き飛ばす風のコントロール──。
オレが頭の中で魔力の練り上げを計算し、ベルと共に一気に踏み込もうとした、その瞬間だった。
「──っ!!」
オレよりも早く、規制線を飛び出した影があった。
緑色のもじゃもじゃした髪。小柄で、何の力も持たないはずの背中。
「出久!?」
プロヒーローの制止を振り切り、出久は燃え盛る炎の中へ、ヘドロのヴィランに向かって一直線に駆け出していった。
勝算なんてあるはずがない。それでも出久は、背負っていた鞄をヴィランの目に力いっぱい投げつけた。
「かっちゃん!!」
泥が怯んだ隙に、出久は爆豪を必死に泥から引き剥がそうとする。
「なんでてめェが……!」
「君が! 助けを求める顔をしてたから!!」
その言葉が響いた瞬間、オレの胸の奥で、あの日の夕暮れの記憶が鮮明に蘇った。
そうだ。こいつは昔からずっと、誰よりもヒーローだった。考えるより先に、体が動いてしまう。誰かを助けるために、自分の命すら投げ出せる。
「……だから言っただろ、爆豪。出久が無個性で終わるなんて、ありえねーんだよ」
オレは口角を上げ、手のひらに風を集中させた。
もはや躊躇う理由はなかった。出久が作った僅かな隙。そこを確実に射抜けばいい。
「ベル!」
「まかせて!」
オレは右腕を鋭く振り抜いた。
炎を巻き込まないよう極限まで圧縮した、鋭い風の刃。それは一直線にヴィランの巨体へ向かい、出久と爆豪を覆っていたヘドロの一部をスパッと切り裂いた。
「なにッ!?」
ヴィランが驚愕し、二人の拘束がわずかに緩んだ。
だが、完全に助け出す前に、突如として周囲の空気が一変した。
圧倒的なプレッシャーと、安心感。
「プロが高校生に……情けない!」
突風と共に現れたのは、No.1ヒーロー、オールマイトだった。
彼は出久と爆豪を瞬時に引き剥がすと、その巨大な拳を構えた。
「デトロイトォォォ……スマッシュ!!!」
凄まじい風圧が吹き荒れ、ヘドロのヴィランは一撃で粉砕された。オールマイトの拳が起こした上昇気流は、空の雲すらも吹き飛ばし、夕立を降らせた。
「純粋なパワーだけでこの風を……。バケモンだな……」
周囲が歓喜に沸く中、事態は収束した。
その後、爆豪は「すごい個性だ」とプロヒーローたちに褒めちぎられ、飛び出した出久は「死ぬ気か!」とこっぴどく怒られていた。オレも「的確なサポートだったが、危険だぞ」と軽く注意を受けた。
解放された出久が、しょんぼりと肩を落として歩いていくのが見えた。
オレは小走りでその後を追いかけ、隣に並んで歩いた。
「ユノ君……ごめん。僕、足手まといになっちゃって」
俯く出久に、俺は呆れたように息を吐く。
「馬鹿か、お前は」
「えっ?」
「あの場にいた誰よりも早く動いたのは、お前だった。プロヒーローですら足がすくんでたのに、お前だけが爆豪を助けようとした」
オレは立ち止まり、出久の目を見据えた。
「お前が一番、ヒーローだった。……最高にかっこよかったぞ」
オレの言葉に、出久はポカンと目を丸くした後、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。
オレは何も言わず、ただ静かにそっぽを向いた。ベルが「もう、出久ったらすぐ泣くんだから!」と笑いながら出久の頭の周りを飛んでいる。
その出来事が終わってから、出久が今まで以上に努力を続けるようになったことを、オレとベルは知っている。