小鳥のさえずりがどこからともなく聞こえてくる。
辺りを包む草木たちは、風と戯れて踊っていた。
街並みが小さく、視界におさまり一望できる。
空が近い、いつもの場所。
街の喧騒はどこか遠くに行ってる。
時間の流れから取り残されたように、ゆっくりと時間が流れている。
草木の香り。
土の匂い。
温かく自分を包む。
街中の埃っぽい空気とは違い、澄んだ空気。
心が休まる。
「……タケル」
手を差し出すと転がるように仔犬が駆け寄ってくる。
途中に石でもあったのか、足をからませてボールの様に倒れる。
「……タケルはおバカさんだね」
めげずに駆け寄ってきたタケルを優しくなでる。
「……」
どうしてなのだろう。この仔を見ていると白銀のことを思い出してしまう。
「くぅ~ん」
気がつくと手が止まっていた。
タケルがちょこんと行儀よく座り、心配そうにこちらを見上げていた。
「……大丈夫。なんでもない」
その言葉の意味が伝わったのか、タケルは元気よく一吠えすると体を摺り寄せてきた。
「……タケルは生きることに悩みがなさそうでいいね」
そばの木に背をあずけて空を流れる雲を見る。
雲は絶えずカタチを変えていく。
「タケルはいいね」
またポツリと言葉が漏れる。
実際、タケルはノラだから自分より生きるのが大変だと思う。
食べ物が必ずいつも手に入るとは限らない。車に轢かれるかもしれない。
身の回りに潜む危険は大小様々ひしめき合っているだろうに。
でもそうは見えない。
明るく、陽気で元気がいい。
誰にでもすぐ好かれるような気がする。
「タケル、ゴハン」
焼きそばパンを取り出す。
「……お座り」
タケルは行儀よく座る。
尻尾がせわしなく上下に動いている。
「おたべ」
ワンと一吠えすると、目の前に置かれた焼きそばパンに飛びかかる。
「じゃあ、わたしは学校に行くから」
一度タケルの頭をなでるとその場を後にする。
行き先はいつもと変わらない。
堅苦しく、窮屈で居心地の悪い場所。
***
「彩峰さん」
廊下を歩いていると後ろから声がかけられる。
「おはよう。今日はどうしたの?」
そこには担任の神宮寺まりも先生の姿。
どことなくまだ学生のような雰囲気があるのは年齢が近いからかな。
さっきの時間、授業があったのか教科書などを小脇に抱えている。
「……今日は龍気に急激な気の流れを感じたから」
ふう、と小さなため息がもれる。
「彩峰さん、せめて一時間目に間に合うように登校しなさい」
時間的に今日は早く登校した方。
まだ、二時間目が始まるまで五分以上の余裕がある。
「……考えておきます」
「お願いね」
そう言って微笑むと神宮司先生は職員室に向かっていく。
先生というより歳上の友人と言う感じ。
白銀が『まりもちゃん』と呼ぶのもなんとなくわかる気がする。
私は、神宮司先生の背中を見送るとまた歩き始めた。
***
「あっ、慧ちゃんだ。おはよ~」
教室に入ったわたしを真っ先に珠瀬壬姫――通称たまが声をかけてくる。
「……おはよう」
いつも通りに挨拶を返して席につく。
「彩峰さん」
ほら、来た。
いつも通り。
「今日はどうして遅刻したの?」
鋳型にはまったガチガチ人間。
周囲にばかり気をとられて自分を見失っている。
「……」
わたしの一番嫌いなタイプ。
自分を見失っているのに気がつかず、他人のことばかり気にしている。
「何とか言ったらどうなの! いつもいつも遅刻して」
「……ナントカ」
まともに相手する気はさらさらない。
疲れるだけ。
「あなたねー! もう三年なのよ。クラスの雰囲気を乱すような行動は控えなさいよ」
たてまえ、たてまえ。
ぜんぜん本心に聞こえない。
裏ありすぎ、含みすぎ。
その上、それに気づいていない。
爆最悪。
「――でなのよ――」
まだ何か言っている。
周りが見えてないね。
暖簾に腕押し、糠に釘ってことわざ知っているのかな?
あっ、馬の耳に念仏も……かな。
「榊さん、榊さん」
別の声が耳に届く。
どうやら熱説を中断させてくれる。
「もうすぐ先生がくるよ」
声の主に目を向ける。
鑑純夏。
白銀といつも一緒。
嫌いじゃない。
でも、なんか彼女も見ていると――
「彩峰、もう少し委員長をうまく流せないのか」
横からまた別の声。
「……」
確認せずにもわかった。
白銀武。
よくわからない。
主観的――自己中な発言をするかと思えば、客観的な発言をする。
でも、このタイプに多い人を見下したようなところが無い。
かつ、単純。
「お~い、せめて反応ぐらいしてくれ」
情けない声をあげる白銀。
なんか可愛い。
とりあえず、無視しておこう。
それよりも睡眠学習の用意、用意。
***
退屈な時間。
窮屈な空間。
いられない、いたくない。
周囲の人間が足並みそろえて生活できるのが不思議でたまらない。
窮屈で仕方ない。
心がつまりそう。
寝る準備をしたものの寝れない。
「……今日も早退決定だね」
授業開始十分で、大多数の賛成が得られたので決議されました。
退屈な授業を聞き流して学校を出てからの事をわたしは考える。
***
いつものように購買で焼きそばパンを購入する。
学校の購買だけど、なかなかの味。
「……タケルのゴハンもいるね」
並んでいるパンを物色する。
まだ昼休み前なので種類も量も十分。
五分ほど悩んだ結果、カツサンドとパックのオレンジジュース、牛乳を追加。
チャイム五分ほど前に玄関から出る。
シンと静まり返った廊下。
誰の姿も無い。
「……」
いつものように学校裏の丘に向かう――予定だった。
「障害物発見」
いつものルートの付近を蝿のように動く人影。
しつこく嫌いな生活指導の秋田だ。
別に授業を抜け出すことはなんとも思わない。
家でやっているので成績は悪くない。
文句をつけられる筋合いは無い。
ただ、他人と余計に関わりたくない。
特に規則を重視するような人間とは。
「仕方ないね」
踵を返して見つからないように、逆の方に歩みはじめる。
多少遠回りをしても面倒が無くていい。
どうせ急ぐ予定は無い。
***
「いい天気だね」
目を細めて見上げる空は雲がほとんどなく、文句なしの晴天。
いつもと違うルートを通っているためか、少し気持ちが弾んでいる。
前はもっとこんな気持ちが続くと信じていたのに。
湧きあがってくる想いを無理やり追いつめ、閉じ込める。
沈んでいく気持ち。
せめてこんなにいい天気のときは、あの頃の半分、いや四分の一でもいい。
明るい気持ちでいたい。
自然と歩みが速くなる。
タケルに会わないと。
タケルの明るさを少し分けてもらいたい。
景色が次々と流れていく。
気がついたとき、わたしは走っていた。
***
肩で息をしている。
――みっともない。
押さえ込んだ想いが、感情がこみ上げる
――情けない
泣いていない
――うそつき。
「はぁ、はぁ、はぁ」
このまま止まるとこらえきれなくなるかもしれない。
「はぁ、はぁ、はぁ」
見えた。いつもの場所。
木に手をついて息を整える。
「はぁ、はぁ、はぁ」
呼吸が、動悸がなかなかおさまらない。
「わんわんわん」
わたしに気づいたタケルが駆け寄ってくる。
嬉しそうに尻尾を振っている。
「タケル」
わたしは思わず足元に擦り寄ってきたタケルを抱きしめる。
「くぅん」
少し苦しそうな声。
しかし、揺れる尻尾が足にあたる。
嫌がってはいない。
タケルの温かさが制服越しに伝わってくる。
その確かなぬくもりが妙に心が落ち着いた。
「タケル、ゴハン」
買っておいたカツサンドを開いておく。
喉が乾いているので最初にオレンジジュースを飲む。
生ぬるい。
「おいしかった?」
満足げなタケルに声をかける。
返事の代わりに尻尾がゆれる。
陽はまだ高い。
食後特有のけだるさにまぶたが重い。
優しく吹き抜ける風が心地よい。
木陰で風の音に耳を傾けることにした。
***
「……」
どうやら眠ってしまったらしい。
空はもうじき赤く染まりだす。
タケルは寄り添うように身をあずけて丸まっていた。
規則正しく上下に動く体。
優しくなでる。
まだ眠っているけど、心持嬉しそうに見える。
「……ん」
微かに背後――校舎の方から人の気配が近づいてくる。
ここを離れるべきか。
しかし、もうしばらく幸せそうに眠るタケルを見ていたい。
そう悩んでいると人の気配が止まる。
「……」
そっと木の陰から覗く。
同じ制服に身を包んでいる少女。
その顔には見覚えがあった。
面識は無い一方的な認識。
「涼宮……茜」
それが彼女の名前。
白陵で一番有名人。
水泳部の怪物。
わたしには関係も今後関わりも無いはずの存在。
平行のまま交差するはずも無い存在。
しかし――
彼女は何も言わずただ静かに丘の上から赤く染まっていく街並みを眺めている。
寂しそうに、何かに耐えるように。
彼女はしばらくするとまた来た方へ戻っていった。
もうすぐ空は闇に飲み込まれる。
「タケル」
軽く呼ぶとタケルは眠たそうな目をしたままわたしを見上げてくる。
「今日はもうサヨナラ。タケル、おやすみ」
優しく撫でながらそう告げる。
タケルは嬉しそうに目を細めて尻尾を振っていた。
いい夢を……そう呟いて、わたしはその場を後にする。
***
「……ただいま」
返事も聞かず、自室に入る。
とりあえず勉強していれば干渉されずにすむ。
いつも通り。
べつに一人は嫌じゃない。
だからこれでいい。
なんとなく時を過ごし、夜がふければ眠る。
べつにみる夢なんてない。
どんなに望んだ世界があらわれても、しょせん夢。
起きて夢だとわかればむなしいだけ。
だから夢はみなくていい。
寝て時間をすごす。
それだけ……それだけだ。
***
休日の橘町は人が多い。
近場の娯楽施設があるから仕方ないか。
「人の多いのはやっぱりウザいね」
あてもなく歩く。
べつに連れもいなければ目的があって、ここにいるわけじゃない。
なんとなく。
何気無く街を眺めていると一点で目がとまる。
彼女――涼宮茜だ。
――ファミリーレストラン『すかいてんぷる』
彼女はそこの店先にいた。
彼女に気を止める通行人はいない。
普段は遠目でも存在感のある彼女。
しかし、今はその存在が稀薄に感じる。
べつに模造品が飾ってあるわけでも待ち合わせでもなさそう。
何かに耐えるような寂しい表情で中を見つめている。
彼女が何を見ているのか、自分に関係ない。
それなのに、どうしても気になって仕方が無かった。
無意識のうちに近づいてしまう。
彼女まで十メートルほど距離で、わたしは足を止める。
彼女に声をかける人物――榊が現れたからだ。
「げ……最悪」
わたしは榊に気づかれないように気配を消す。
先ほどまでの彼女の表情は、わたしの見間違いだったのだろうか。
いつもの彼女がいる。
存在感もいつも通りで、そこにいるだけで目を引く。
彼女はなにやら榊と会話をしているようだけど、わたしには関係ないね。
わたしは再び人の流れに乗って歩き出す。
午後、タケルの所に顔を出そうかと考えながら、わたしは人の波に従って歩き始める。
「彼女、暇?」
空耳だね。気にしない、気にしない。
「そう固くならないでさ」
空耳と思ったのにどうやらわたしに声をかけてきたのか。
当然、無視だね。
「ねぇ、暇?」
前に回りこんでくる鼻ピアス不良。
とりあえず、牛坊。
「遊ぼうよ」
横に並ぶツンツン髪の不良。
とりあえず、剣山。
ピアスが二人合わせていち、に、さん、……大量だね。
「ねぇ、ねぇ」と牛坊。
「楽しいよ」と剣山。
ウザい、マジでウザい。
最悪。
「無視しないでよ」と剣山。
「俺らいいヤツだよ」と牛坊。
全く真実み無し。
「いこうよ」
牛坊の腕が伸びてくる。
マジで嫌。
どうするかな。
「ごめん! 遅刻した」
別の声。
牛坊と剣山の間に割り込む人影。
「悪い。埋め合わせするから」
白銀だ。
軽くウィンクをしてくる。
……キモイよ。
「なんだてめぇは!」
「邪魔すんなよぉ!」
わめく不良コンビ。
「ん……あぁ、すまんね。俺が先約だから」
向き直って片手を挙げて軽く『すまん』とポーズする白銀。
不自然さが無い。
「やばっ、時間が無い。いくぞ」
白銀はわざとらしく声をあげる。
そして、わたしの手を掴んで走り出す。
他人に触れられるのは嫌だけど、白銀に手をひかれる感覚は……嫌いじゃない。
人ごみを縫うように連れられていく。
流れていく街並み、すれ違っていく人並み。
絶えず姿を変える視界の中で変わらない背中。
そして、伝わる手のぬくもり。
他人と関わりをもつのは――
言葉にしていないのに、心の呟きなのに、そこから先が出てこない。
「もういいだろ」
気がつけば街並みは消え、海が広がる。臨海公園だ。
どうして白銀は人の心に無断で入り込んでくる。
心が不安定になる。
これは恐怖なのだろうか。
わたしは望んでいない。
独りでいい。
独りで平気なのに……こばめない。
白銀はどうして……。
「あっ、握りっぱなしだった」
見つめていたわたしに気づいて慌て出す。
慌てて離された手。
外気が冷たく感じる。
白銀のぬくもりが失われる。
――嫌だ。
無意識に手を握り締め、ぬくもりを護る。
「……何故、白銀いたの?」
誤魔化すように尋ねる。
かっこ悪い。
「あぁ、尊人とバルジャーノンやろうと思っていたんだけどな、捕まらなくて」
「……スナ○キン?」
「いや、イマイチ意味がわからないが、旅に出たという意味なら当たりだ」
「……やったね」
白銀がため息をつく。
「尊人の家に電話したんだけど『現在、南米の神秘を求めに行っています。無事帰郷できましたら聞きますので発信音の後にメッセージをどうぞ』って」
「……イカすね」
望んでいた返答ではなかったのか白銀が肩を落とす。
「まともの返答を期待した俺がバカだった」
「頭悪いと大変」
肩を落としている白銀の頭を撫でる。
「……」
白銀がもの言いた気な表情で見て――睨んでいる。
なんか可愛い。
「……どうしたの?」
「綾峰、俺で遊んでる?」
遊んでる。
「え、ばれた?」
白銀は長いため息をつく。
「俺をからかって楽しいか?」
楽しい。
楽しくなければやらない。
「……いい天気だね」
とりあえず、誤魔化す。
空には雲ひとつ無い。
白銀をからかうのは本当に楽しい。
白銀があきらめたのか開き直ったのか体勢を立て直す。
「もういい。話は変わるけど昼飯はどうする? すかてんは無理だがファーストフードぐらいなら奢るぞ」
もうそんな時間なんだ。
気がつかなかった。
通りでお腹がすくはず。
なかなか魅力的な提案。
でも――
「……ゴハン遠慮。ただより高いモノは無い。それに裏がありそう」
これ以上距離が近づきたくない。
口に出せば白銀は納得するだろうか?
嫌だ。
納得してもらいたくない。
「じゃ」
このままでは、白銀に感づかれてしまいそうだった。
なるべく自然に軽く手をあげて白金の返事も聞かずにその場を離れる。
いや、逃げるの方が正しいかもしれない。
白銀が何か言ったけど、よく聞き取れない。
追ってきてはくれないよね、やっぱり。
何故、寂しい?