【完結】Fate/stay nightで生き残る   作:冬月之雪猫

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第十六話「あなた達に此度の聖杯戦争における数多の異常の解決への協力を要請します」

 地獄。そこは紛れもなく地獄だった。あたかも、龍に襲われているのかと思うような光景が広がっている。紅蓮の大蛇がとぐろを巻くように蠢き、家々を焼き払い、人を喰らい、闇夜を赤々と照らしている。遠くで微かに聞こえていた悲鳴ももはや聞こえない。

 死が蔓延する中に彼は居た。一秒ごとにナニカが彼から失われていく。死に対する憎悪を見失い、理不尽に対する憤怒が零れ落ち、希望と言う足場は崩落し、最後に自我が闇に呑まれ往く。

 瓦礫の山に横たわり、彼はただ只管、広がり続ける地獄を眺めている。何もかもを失い、彼は自らの運命を受け入れた。けれど、それは諦め故では無い。死に往く者は死に、生ける者は生きるという自然の摂理を理解しただけに過ぎない。

 けれど、彼は理解すると同時に思ってしまった。

 

“ああ、だけど――――、この場で何もかもを救う事が出来るなら、それはどんなに素晴らしい事だろう”

 

 それが衛宮士郎の持つ正義の味方への憧れの源流。

 最初はただ、誰も苦しまなければいいと思っただけだった。その為に、衛宮切嗣が掲げる“正義の味方”という在り方は都合が良かった。何より分かり易いし、理想的に思えた。

 だから、目指した。行き先が見えているから、どんなに険しい道でも突き進む事が出来た。

 その道の果てに行き着く為に、彼はあらゆるものを――――、犠牲にした。

 

 

 日の出と共に二人は遠坂邸を後にした。

 

「――――確認するけど、私達がこれから踏み入ろうとしているのは郊外の森。未だ、人の手が入っていない広大な樹海。そのどこかにアインツベルンの別荘がある筈」

「あそこか……。かなり深くて広いって話だよな。前に藤ねえから聞いた話だと、年に何人か、あそこで遭難者が出てるらしいぞ」

「まあ、アインツベルンの結界の防衛機能の影響も少なからずあるでしょうけど……。イリヤスフィールの事を抜きにしても、あの場所は危険よ。常に警戒を怠らない事。いいわね?」

「ああ、もちろんだ」

 

 数分後、予約したタクシーが指定の場所にやって来た。凛と頷き合い、士郎はタクシーの運転手に目的地を告げた。

 

「……郊外の森かい?」

 

 怪訝な表情を浮かべる運転手。当然の反応だと思う。あの森は自殺の名所としても有名な上、国道が走っている以外に何も無い。

 娯楽施設の一つも無い樹海の傍へ早朝から赴こうとしている高校生二人。怪し過ぎる。

 最悪、凜に暗示を掛けて貰う事を視野に入れていた士郎は諦めたように凜にアイコンタクトを送った。

 凜は優雅に微笑み、頷く。分かってくれたようだ。ホッと一安心……、

 

「ただのデートですよ。前々から樹海を見てみたかったんです。その事を彼に相談したら、『任せておけ』って。なーんか、下心を感じるんですけど、彼はアウトドアの経験が豊富なので」

 

 一体、この方は何を言い出しているのでしょう……。

 

「なーるほど、デートか! けど、あそこには野犬も多いぞ?」

「もっと怖いケダモノが傍に居るから、あんまり怖くありませんよ。彼、格闘技の経験も豊富なんです」

「そうかい、そうかい。けど、あんまり無茶はいかんよー?」

「まあ、国道沿いに外周を見て回るだけですから」

 

 あれよあれよという間に凜は運転手を説得してしまった。士郎に下心満載のケダモノという不名誉な称号を押し付けた上で……。

 タクシーが郊外の森に到着した後、運転手は去り際に「あんまり、外で盛り上がったらいかんぞー!」と言い残して走っていった。

 森に踏み込む前から、士郎は激しい疲労感に襲われた。

 

「もう少し……、何とかならなかったのか?」

「いいじゃない。ああいう中年男はこの手の話で煙に巻くのが常套手段よ。暗示の魔術で運転に支障が出たら、こんなに早く到着出来なかったでしょうし」

「まあ、それはそうだけど……。いいのか?」

「何が?」

「その……」

 

 士郎は言い難そうに頬を赤らめている。

 

「俺と恋人同士みたいに扱われて……、遠坂はいいのかよ」

「……ップ」

 

 士郎の言葉に凜は堪らず噴出した。

 

「な、なんでさ!?」

 

 笑われるのは心外だと立腹する士郎に凜は言った。

 

「構わないわ」

 

 凜は言った。

 

「……え?」

「別に構わない。そうね……、貴方風に言うなら、私も貴方の事が嫌いじゃない。だから、恋人同士に見られても、別に構わない」

「と、遠坂……」

 

 茹蛸のようになる士郎に凜は微笑んだ。

 

「なーんてね。そういう甘酸っぱいのはセイバーを助けてからにしましょう。……それとも」

 

 凜は目を細め、真面目な顔をして問う。

 

「このまま、二人で逃げちゃう?」

「……それは」

「貴方がそうしたいって言うなら、一緒に逃げてあげてもいいわよ?」

「遠坂……」

 

 凜は語る。

 

「ハッキリ言って、イリヤスフィールに協力を要請しに行くなんて、死にに行くのも同然。だって、此方から差し出せるものが皆無だもの。等価交換どころじゃない。私達がしようとしている事は一方的な要求を突きつけて頷かせようって行為。それにもし、イリヤスフィールと協力関係を結べたとしても、相手はセイバーとアーチャーを手中に収めたキャスター。ハッキリ言って、バーサーカーだけだと勝ち目は薄い」

 

 淡々と語る彼女に士郎は口を閉ざす。

 

「もう、詰んでいるも同然の状況なのよ。だから、逃げるも一手だと思う。二人で遠くの街に逃げて、結婚でもして、幸せに暮らす。それって、割と素敵な未来じゃない?」

「ああ、そうだな……」

 

 士郎は一瞬、凜と共にある未来を想った。

 

「だけど、遠坂は諦めないだろ?」

 

 確信に満ちた問い。凜は答えない。

 

「もしも、遠坂が本気で俺と一緒に居てもいいって思ってくれているなら、凄く嬉しい。だけど……、もしも、そっちの未来を取ったら、俺達はきっと――――」

「ええ、間違いなく後悔する事になる。二人揃って、おかしくなる」

 

 士郎と凜は顔を見合わせ、笑い合った。

 

「だって、それは自分を曲げる事だから……」

 

 凜の言葉に士郎が頷く。

 

「俺はセイバーを助けたい」

「私はアーチャーを取り戻したい」

 

 願いは同じ。進む覚悟も出来ている。

 

「……けど、さっきの言葉は嘘じゃないわよ?」

「遠坂?」

「貴方の事、嫌いじゃないわ。だから、これからは無理はせずに生き残る事を第一に考えて行動しなさい」

 

 凜の真っ直ぐな瞳に士郎は途惑う。

 

「貴方が死んだら、少なくとも私が悲しむ。貴方、私を泣かせたら唯じゃ済まないわよ?」

「……ああ、肝に銘じておく。遠坂も……、絶対に死ぬな。俺も遠坂が傷つくのを見るのは嫌だ」

 

 あまりにも眩しい。彼女は魔術師で、普段は猫を被ってて、実はとっても溌剌とした性格で、学園一の美少女で、士郎にとっての憧れで、とても魅力的な女の子。

 

「さあ、行こう」

 

 森へと足を向けながら、士郎は思った。

 もし、イリヤとの交渉が決裂し、戦闘になったとしても、遠坂の事は必ず守る――――、と。

 

 国道から離れ、雑木林を抜け、樹海に入る。三時間くらい歩き続けたところで一息吐く。

 一筋縄ではいくまいと覚悟はしていたけれど、実際に樹海を進んでいると精神的にキツくなってきた。

 既に陽が完全に昇っているというのに、森の中は仄暗く、十数メートル先すら見通せない。行けども行けども風景に変化は無く、自分が今、正しい道順を歩いているのかどうかも分からない。

 獣の息遣いは欠片も感じられない。この森に存在する生命体は己と凜の二人だけ――――、そんな気がする。

 

「ストップ」

 

 更に奥へと進もうとすると、凜に待ったを掛けられた。

 首を傾げる士郎に対して、凜は奇妙な表情を浮かべている。

 

「おかしい……」

「どうしたんだ?」

 

 凜は答えず、森の奥を睨んでいる。

 

「……ここは既にアインツベルンの領域である筈。なのに、幾らなんでもアクションが無さ過ぎ……――――!?」

「とおさ――――ッ!?」

 

 瞬間、地面が大きく揺れた。遠くの方から爆発めいた音が響いてくる。

 

「これは――――」

 

 凜が走り出す。士郎も慌てて彼女の後を追った。

 胸騒ぎがする。この先に待ち受けているものが何なのか分からない。なのに、それが“とてもよくないモノ”である事は分かる。

 

「――――投影開始」

 

 干将・莫耶を投影する。真に迫る出来栄えと言えど、やはりオリジナルには敵わない。

 この先で待ち受けているものが何であれ、コレで対処出来ればいいが……。

 

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは既にその存在を察知していた。

 衛宮士郎からライダーが既に敗北している事を聞いた時、己と同じ存在が別個に存在している事を認識し、調査を進めた結果だ。

 冬木全域に放った使い魔からの情報を束ね、ソレが間桐の手の者である事を突き止めた。

 

「――――これは」

 

 問題なのはソレの危険性。本来なら、歯牙にも掛ける必要の無い雑魚である筈なのに、ソレが敷地内に侵入して来た瞬間、イリヤは逃走を選択せざる得なかった。

 ソレの正体は――――、“聖杯”。

 聖杯戦争で破れたサーヴァントの魂を受け入れ、奇跡の為の薪とする魔術炉。アインツベルンが聖杯戦争の度に拵えるモノであり、此度の聖杯戦争における聖杯こそ、イリヤの正体だった。

 だと言うのに、この聖杯戦争にはもう一つ、聖杯がある。とは言え、アインツベルンの聖杯とは似て非なるものではあるが……。

 本来、聖杯とはアインツベルンの魔術特性である“力の流動”と“転移”を基盤として作られている。対して、ライダーの魂を横取りした間桐の聖杯は吸収や戒め・強制という間桐の魔術特性を基盤としている。

 聖杯としての本質的な機能である、“サーヴァントの魂の回収”は備えているらしいが、間桐の聖杯にはアインツベルンの聖杯には無かった凶悪な機能が追加されている。

 その追加された能力はあまりにも危険過ぎた。最強であると確信している自らの狂戦士ですら、アレには敵わないと確信する程の脅威。

 故に逃げた。

 逃げ切れるわけも無いのに、逃げた。

 そして――――、追いつかれた。

 

「賢明な判断だ。勝てぬと悟り、迷わず逃走を選ぶとは、此度のアインツベルンが用意した人形は中々に筋が良い」

 

 深いな声と共に目の前に現れたのは枯れ木を思わせる老魔術師。そして、その傍らに佇むは――――、

 

「ふーん。アサシンの魂までそっちに横取りされたのかと思ったけど、反則に反則を重ねてくるとは思わなかったわ」

 

 この聖杯戦争に召喚されたアサシンは青い衣を纏う侍だった。

 けれど、本来なら聖杯戦争に侍が召喚されるなど、あり得ない。冬木の聖杯戦争のシステムはアインツベルンの魔術師基盤を用いているが故に西欧で名の知れた英霊以外は召喚出来ない筈なのだ。

 よほど、ヨーロッパ諸国にも名が知られている大剣豪なら話は別かもしれない。かの剣聖、宮本武蔵や第六天魔王、織田信長あたりならば召喚する事も出来るかもしれない。

 けれど、佐々木小次郎などという実在したかどうかすら定かでは無い侍を召喚する事は不可能なのだ。

 それが最初の反則。キャスターが為した、“英霊が英霊を召喚”するという禁忌。それ故に起きたイレギュラー。

 この老魔術師はその反則に更なる反則を行使した。それ即ち――――、

 

「アサシンを寄り代に新たなるアサシンを召喚するなんて、やるじゃない……」

 

 アーチャーによって寄り代であった山門ごと吹き飛ばされたかのように思われたアサシン。

 けれど、彼はその時点でまだ生きていた。元々、彼は此度の聖杯戦争において、最高の敏捷性を誇っていた。故に山門の破壊を最優先としたアーチャーの矢を寸前で回避する事に成功していた。

 だが、その瞬間を老魔術師に狙われた。寄り代が破壊され、野良サーヴァントとなったアサシンを使い、老魔術師は本来呼び出されるべき暗殺者を召喚したのだ。

 名は――――、ハサン・サッバーハ。アサシンという単語の由来ともなった暗殺教団と呼ばれる組織の長を務めた歴代の指導者。その内の一人。

 

「マトウゾウケン……」

 

 名を問うまでも無い。故郷の城で教わった同朋の魔術師。

 

「聖杯に選ばれてもいないモノが、マスターの真似事をするなんてお笑い草ね」

「是は異なこと。聖杯がマスターを選ぶなど、教会の触れ込みに過ぎぬ。アレはただ、炉にくべる薪を調達する人間を欲するのみよ」

「――――確かに、聖杯はただ注がれるだけのもの。マスターはただ、儀式の一端として用意されるだけのものよ。だけど、器たる聖杯に意思は無くとも、大本である大聖杯には意思がある。そんな事も忘れてしまったなんて、マキリの衰退は本当に深刻なようね」

 

 イリヤの嘲りを臓硯は呵々と笑って受け止める。

 

「案ずるな。マキリの衰退もここまでよ。事は既に成就しているも同然。だが、あまりにも事が順調に進み過ぎておって、逆に不安が大きくなる。故、万が一の為にお主の体を貰い受ける。ここで聖杯を押えて置けば、我が悲願は磐石となるであろう」

 

 臓硯の瞳に鬼気が宿ると共に白面をつけた黒衣の暗殺者は戦闘態勢に入る。

 けれど、踏み込むには至らない。当然だろう、彼の前には最強の護衛が君臨しているのだから――――。

 

「ふーん。主に似て、臆病なのね、アサシン。死ぬのが怖い? なら、最初から戦わなければいいのに、愚かね」

「生憎、儂もこやつも易々とは死ねぬ。悲願があるのだ。儂は不老不死を、こやつは永劫に刻まれる自身の名を望んでおる。己の命は何より大事。だが、前に進まねばならぬ苦渋。お主には分かるまいて。我等にあるのは邁進のみよ」

 

 その在り方にイリヤは嫌悪感を覚える。

 

「マキリも終わりね。貴方の技術は確かに役に立った。だから、同朋として、これ以上の無様を晒す前に終わらせてあげる。もう、手遅れかもしれないけど……」

 

 不老不死などという世迷言を聖杯に託すなど、イリヤからすれば正気の沙汰じゃない。

 

「……所詮、お主は人形よな。如何に精巧に作られていようが、人間には近づけなんだ。短命を定められし作り物よ、貴様は人間を理解出来て居らぬ。死という終焉を越え、永劫に自己を存続させる祈りは現在過去未来、万国共通の人類の悲願よ」

 

「――――ええ、理解出来ないわ。だって、貴方はまるで自分こそが人類の総意を語っているみたいに思っているようだけど、そんなの勘違いだもの。貴方は人間の中でも特例。自らの寿命を受け入れられずに乱心している病人よ」

「ッカ、死が恐ろしくない人間など居らぬ。それは如何なる真理、如何なる境地に達した者とて同じ事よ。最期に知っておけ、人形よ。目の前に生き延びる手段があり、手を伸ばせば届くと言うのなら、人は――――、あらゆる倫理を棄て去り、あらゆる犠牲を払い、なんとしても手に入れようとするものなのだ」

 

 その言葉にイリヤの表情が一変した。

 

「呆れたわ、マキリ。私達の悲願、奇跡に至ろうとする切望が何処から来たのか、本当に思い出せないの? 何の為に、私達が人の身である事に拘り、人の身であるままに、人あらざる地点に至ろうとしていたのか……」

 

 冷たい声に臓硯は一拍の間言葉を失い、されど狂気の笑みを浮べ言い捨てた。

 

「――――人形風情がユスティーツァの真似事をした所で響きはせん。お主の体には用があるが、心には無い。さらばだ、アインツベルンの人形よ。貴様に宿りし聖杯は、この間桐臓硯が貰い受ける」

 

 老人の足下から影が伸びる。瞬間、バーサーカーが吼えた。

 主の命よりも早く、動き出す狂戦士にイリヤは「駄目!! 戻って、バーサーカー!!」と叫んだ。

 ソレを相手にすれば、バーサーカーは戻って来れなくなる。それを知るが故に少女は叫ぶが、狂戦士の耳には届かない。

 否、届いていても踏み止まる事など不可能。何故なら、自らの停滞は少女の死を意味するが故――――。

 

 

 徐々に地響きが近くなってくる。もう直ぐ、現場に辿り着く。

 あの木々を抜ければ、目前に最強の英霊の戦場が広がっている筈――――、

 

「――――ッ」

 

 足が地面に縫い止められたかのように止まった。

 木々の無い開けた場所に出た瞬間、全身が警鐘を鳴らした。

 逃げろ。全身全霊の限りを尽くして逃げろ。さもなくば死ぬ。死なずとも、死よりも恐ろしい結果が待ち受けている。

 そんな警鐘を力ずくで黙らせ、瞼が閉じぬように気合を入れる。

 

「あれは……」

 

 そこにあり得ない光景が広がっていた。

 戦場に立つは三体のサーヴァント。内、一体はバーサーカー。

 背後に幼い主を庇い、奮闘している。

 

「うそ……」

 

 もう一体は正体不明のサーヴァント。白い面をつけた黒衣の英霊。既に七体のサーヴァントを確認済みだから、アレは八体目という事になる。

 それだけでもとんでもない異常事態だが、士郎と凜の瞳は最後の一体に引き付けられている。

 そこに立っていたのは――――、

 

「セイ、バー?」

 

 あり得ない。何故、彼がここに居るのだろう?

 凜が何かを叫んでいるが、士郎の耳には届かない。

 誰よりも守らなければならなかった筈の存在。誰よりも救わなければならなかった筈の存在。何を置いても取り戻さなければならない存在。

 セイバーが目の前に居る。だけど、様子が少しおかしい。

 常の蒼天を思わせる甲冑が黒く染まっているし、その顔は無骨なプレートに覆われている。

 何より、その身に纏う禍々しい魔力が以前の彼と全く違う。

 

「どうなってんだよ……」

 

 うろたえる士郎を尻目に戦闘は苛烈さを増していく。

 狂戦士が雄叫びを上げ、斧剣を振るう。岩山をも切り裂く一撃を受け、セイバーはされど一歩も引かずに前進すらしていく。

 恐怖という感情を失ったかのような戦い方に只管戦慄する。

 懐に入り、容赦の無い一撃を繰り出すセイバー。如何なる攻撃も無効化させる鋼の肉体を易々と切り裂く。

 

「駄目、逃げなさい、バーサーカー!! そいつは違うの!! 戦っちゃ駄目なのよ!! そいつにやられたら戻ってこれなくなっちゃう!!」

 

 泣くようなイリヤの叫び。

 

「無駄だ。無駄無駄。如何に最強の名を冠する英霊とて、三対一では敵わぬが道理」

 

 嘲笑う老人の声。何者なのかと士郎が困惑する最中、凜が彼の正体を看破した。

 

「間桐……、臓硯。なるほど、アイツがキャスターのマスターってわけね」

「ど、どういう事だ?」

「分からないの!? あそこの白面のサーヴァントは間違いなく、アサシンよ!! しかも、セイバーまで連れてる。だったら、答えは一つじゃない!!」

「で、でも、アサシンはアーチャーが倒したって」

「アイツの勘違いだったんでしょ。山門を吹き飛ばして、速攻で貴方を助けに行ったみたいだし、一々確認してる暇は無かったでしょうからね」

「間桐……、臓硯」

 

 士郎は老魔術師を睨む。アレが元凶。己からセイバーを奪った下手人。

 飛び出しそうになる自分を必死に抑えながら、戦況をつぶさに確認する。

 彼等の地面には黒い沼が広がっている。それが何なのかは分からないが、底なしの沼となり、バーサーカーの動きを鈍らせている。しかも、沼から黒い蔦が幾つも伸び、彼の手足をも縛り付けている。

 

「あれは一体……」

 

 惑いは一瞬。剣と剣のぶつかり合う甲高い金属音に意識が戦場へと戻る。

 最強である筈のバーサーカーが圧されている。このままでは、限界が直ぐにやって来る。

 セイバーは沼を苦も無く走破し、バーサーカーの体を裂いていく。その姿に吐き気が込み上げて来る。

 あんな風に無情に他者を傷つける事はセイバーにとって何よりの恐怖であった筈。殺す為の行為など……。

 

「勝負あったな。後は任せたぞ、アサシン。これ以上、ここにおっても巻き添えをくらうが関の山よ。バーサーカーが呑まれ次第、その人形を捕らえ、戻って来い」

 

 臓硯の体が霞む。咄嗟に飛び出そうとする士郎を凜が止めた。

 

「な、なんで――――」

「駄目よ。さすがに今の状況は危険過ぎる」

「でも――――」

「黙って」

 

 凜に口を封じられ、口篭る士郎の耳に臓硯の声が響く。

 

「……よいか。アレは目に付くモノを見境無く呑み込む。魔力の塊であるサーヴァントやそこな人形も例外では無い。失態を犯すでないぞ」

 

 その言葉を最後に臓硯は気配ごと完全に消え去った。残ったのはアサシンとバーサーカー。そして、黒き光を帯びるセイバー。

 

「駄目!! お願いだから、逃げて、バーサーカー!! このままじゃ死んじゃう!! ううん、それよりもっと酷い事になる!! だから――――」

 

 少女の叫びは狂戦士をただ奮い立たせるのみ。

 逃げるなどという選択は無く、只管、背に守る少女の為に剣を振るう。

 膝まで沈んだ足を動かし、泥を蹴散らす。暴風の如く暴れるバーサーカー。彼は自らを縛る黒い蔦に手を――――否、ソレ自体に触る事の危険性を知るが故にソレらが纏わりついた腕を自ら引き千切った。

 狂戦士が奔る。拘束が緩んだ一瞬を逃さず、セイバーに襲い掛かる。

 最後にして、最強の一撃。瀕死になりながら繰り出した究極の一撃。

 

「だ、駄目だ、セイバー!!」

 

 もはや、止まれない。状況的に見て、明らかにバーサーカーが不利だが、あの一撃にセイバーが耐えられるとも思えない。

 セイバーが死ぬ。その光景を幻視し、士郎は凜の拘束を振り解いた。

 けれど、士郎の足が大地を蹴るより速く、セイバーが動いた。

 

「――――あ」

 

 弾き返した。最強であるバーサーカーの一撃をセイバーは難なく弾き返し、バーサーカーの胸を切り裂く。

 

「や、やだ!! いかないで、バーサーカー!!」

 

 走り出すイリヤ。巨人の足下に広がる黒い沼が目に入っていないかのように、一心に狂戦士へと奔る。

 

「だ、駄目だ、イリヤ!!」

 

 走る。どちらに味方するべきかなど、考えている余裕は無かった。

 だって、セイバーとイリヤは両方とも士郎にとって大切な日常のピースなのだから――――。

 

「イリヤ!!」

 

 バーサーカーへと駆け寄るイリヤを真横から抱き止め、必死に足を動かす。

 逃げなきゃ殺される。今のセイバーはもはや別人だ。キャスターを倒せば、取り戻せる筈だけど、今は無理だ。

 セイバーを救いたいと猛る本能を理性で押し潰し、凜の下へ走る。

 もがくイリヤに「すまない」と何度も謝罪を繰り返しながら走り続ける。

 

「――――士郎!!」

 

 凜の叫びと同時に音が止んだ。凜の下に辿り着き、振り返った先に見えたのは――――、

 

「なんて、デタラメ――――」

 

 魅入られた。たった、一瞬の間に心の底に焼き付いた。

 アーチャーの双剣やランサーの槍もアレの前では見劣りしてしまう。

 段違いの幻想。造形の細やかさや、鍛え上げられた鉄の巧みさで言えば、他にもソレを上回るモノがあるかもしれない。

 だけど、アレの美しさは外観だけでは――――否、そもそも、美しいなどという形容すら生温い。

 

 その剣はただひたすらに――――、“尊い”。

 

 あまねく戦場に倒れ逝く兵達が願った夢。

 剣を手にした者達が等しく謳う理想。

 そうした、人々の“希望”という名の想念が紡ぎし、『最強』。

 名は――――、

 

「約束された勝利の剣」

 

 闇色の光が森を吹き飛ばす。あまりにも強烈な輝きに視界が霞む。

 けれど、必死に堪える。ここで倒れるわけにはいかないと自らの体に渇を入れる。

 そして、見た。黒い炎を背に佇む剣士の姿。

 敵意も殺意も持たず、剣を向けて来るソレに士郎は無意識の内に呟いていた。

 

「――――お前は誰だ?」

 

 違う。この女はセイバーとは別人だ。外見が違うとか、性格が変わったとか、そういうんじゃない。

 ただ、違うと思った。

 

「アルトリア・ペンドラゴン。貴様は我が写し身のマスターだな。いや、キャスターに奪われたのだったか……。相見えたいと思っていたのだが、今回は諦めるとしよう。その人形を渡せ。さすれば、命までは取らない」

 

 その声はまさにセイバーそのもの。けれど、そこに宿るのは彼には無い冷たさ。

 酷く神経に障る声だ。

 

「断る。イリヤはお前達になんて渡さない」

「ならば、殺して奪うだけの事だ」

 

 剣士が黒い剣を振り上げる。

 瞬間、既に消滅したかと思われた狂戦士が雄叫びを上げた。

 酷い有り様だった。体の半分以上が消し飛び、もはや現界している事自体があり得ない状態。

 にも関わらず、残った腕で斧剣を握り、バーサーカーは剣士に襲い掛かる。

 彼の脳裏には一つの光景が浮んでいた。

 

『バーサーカーは強いね』

 

 雪の中でそう呟く主。

 

『だから、私は安心だよ。だって、どんなヤツが来ても、バーサーカーさえいれば負けないもん』

 

 そう己に告げた主が怯えた表情を浮かべている。

 殺されようとしている。

 ならば、己がやるべき事は一つ。如何にこの身が死に瀕していようと関係無い。

 己は最強でなければならぬのだ。でなければ、主が怯えてしまう。

 

「バーサーカー……――――!」

 

 狂戦士は吼える。その声に宿らぬ筈の意思を士郎は感じた。

 逃げろ、と狂戦士の背中が告げている。

 

「士郎、行くわよ!!」

 

 凜が走り出す。それで漸く、士郎も迷いを棄て去れた。

 バーサーカーが剣士を引き付けている今しかない。イリヤを抱えたまま走り出す。

 先行する凜の背を追い続ける。けれど、背後から迫る気配があった。アサシンだ。

 

「士郎、後ろ!!」

 

 振り向く間すら惜しみ、士郎は干将を振るう。

 黒塗りの短剣が干将にぶつかる。その向こうから声が響く。

 

「――――そこまでだ。オマエは要らない」

「いや、勝手に要らないとか言って殺すなよ。俺達はその小僧に用があるんだからよ」

 

 そんな軽口がアサシンの攻撃を防いだ。

 

「な、なんで……」

 

 口をポカンと開ける士郎に青き槍兵は楽しげに笑った。

 

「言っただろ、用があるってよ。そのまま走れ! 殿は俺が務めてやる!」

 

 何が何だか分からない。

 いきなり現れて、用があると言われても、相手は己を二度も殺そうとした相手だ。

 はい、そうですかと頷ける筈が無い。

 

「迷っている時間は無いぞ。アサシンはともかく、あの影とセイバーもどきに追いつかれたら詰みだ」

「……っくそ、分かってる!」

 

 ランサーの言葉はもっともだ。

 迷っている一瞬一瞬が命取りになる。士郎はイリヤを抱く手に力を篭め、走る事に集中した。

 

「そうだ、それでいい。その娘っこを守るんだろ? だったら、何が何でも守り切りな!!」

 

 言われるまでも無い。イリヤは守る。その為なら、過去の因縁も脇に置く。

 ランサーが何のつもりで助力しているのかは分からない。けれど、イリヤを守る一助となるなら是非も無い。

 利用するまでだ。

 

「行くぞ、遠坂!!」

「ええ、全力で走り抜けるわよ!!」

 

 速度を上げる士郎と凜。

 

「逃がさん!!」

 

 アサシンも二人を追撃する為に速度を速める。

 しかし――――、

 

「おっと、俺というものがありながら、余所見は感心しないぜ」

 

 赤い槍が走る。

 邪魔だとばかりにアサシンは黒塗りの短剣を投げる。

 ソレをランサーは軽く槍を振るうだけで防ぎ切る。

 アサシンの放つ短剣はそれこそ、アーチャーの射撃にも匹敵する破壊力がある。それも至近距離から受けて尚、ランサーが防げる理由が一つ。

 

「何らかの加護か――――」

 

 舌を打ち、アサシンはランサーから距離を取る。

 投擲が効かぬと分かっても、距離を詰める愚作は犯さない。

 三騎士の一画であるランサーに接近戦を挑むなど、それこそ死にに赴くようなものだ。

 故に狙うは無防備な士郎と凜の背中。如何なる理由かは知らぬが、ランサーは二人を賢明に守っている。

 ならばこそ、勝機はそこにある。

 走り続ける事一時間あまり。全力疾走を続けた士郎と凜は動きが徐々に鈍っていく。

 けれど、出口は間近に迫っていた。

 それがランサーに刹那の隙を生み出させた。

 

「――――貴様は死ね」

 

 歪つな腕。布に覆われたアサシンの腕が露出する。

 その身に見合わぬ巨大な腕を振り上げ、アサシンは叫ぶ。

 

「妄想――――」

 

 対して、ランサーは――――、嗤った。

 

「いや、お前は大した奴だったぜ、実際。ぶっちゃけ、技術も能力も眼力も悪くなかった。ただ、運が悪かっただけだ」

 

 ランサーは肩を竦めながら呟く。

 何故、アサシンの言葉が途切れたのか、士郎と凜は一瞬分からなかった。

 けれど、息が整い、視界が明瞭になった瞬間、理解した。

 そこに佇んでいたのは赤い髪の女だった。周囲に奇妙な球を浮かせ、拳を前に向ける女。

 そして、彼女の射線上で心臓に小さな穴を穿たれ消滅するアサシン。

 彼女がアサシンを殺したのだ。

 まさか、新たなるサーヴァントか?

 士郎の迷いは直ぐ後に彼女自身の口から否定された。

 

「――――魔術協会所属、封印指定執行者、バゼット・フラガ・マクレミッツ。アインツベルンのマスター、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。遠坂家当主にして管理人、遠坂凛。魔術師殺しの息子、衛宮士郎。あなた達に此度の聖杯戦争における数多の異常の解決への協力を要請します」


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