第十四話『ジネブラ・ウィーズリーの決意』
ホグワーツが休校になって、一週間が経過した。
私は今、ハリーの家の前にいる。この日の為に、一生懸命マグルの生活を勉強した。
それと言うのも、ハリーを家に迎える為だ。
去年は
「……落ち着くのよ、ジネブラ。大丈夫。大丈夫だから」
深呼吸をする。失敗は許されない。
「ハリー……」
ハリーは家族と上手くいっていない。幼い頃から、度重なる虐待を受けてきた。
理由は、彼が魔法族だから。一部の魔法族が純血主義を掲げるように、彼らは反魔法族主義を掲げている。
初めて、彼の過去を聞いた時、私は怒りで我を失いかけた。ハリーに落ち度など無いのに、生まれを理由に虐げるなんてどうかしている。その考えは、今も変わっていない。
だけど……、彼は憎むべき存在である彼らを心の底では愛している。本心では、仲良くなりたいと望んでいる。
「……それなら、私は」
力になりたい。助けてあげたい。彼らの間に広がる溝を少しでも埋めてあげたい。
だから、私はマグルの事を勉強した。彼らの普通に合わせられるように。魔法族だって、同じ人間なんだって、知ってもらえるように。
「さて……」
パパ達には離れた場所で待機してもらっている。
あの人達は、絶対にダーズリー家の人々と会わせられない。マグル贔屓と言われている我が家だけど、とんでもない。嫌っていないだけで、パパ達はマグルを軽んじている。言いたくはないけれど、動物園の猿のように思っている。
マグルが造り上げた科学の結晶である機械を見て、パパはいつも言っている。
――――マグルは実に面白い! わざわざ、遠くの人間と話す為にこんなものを作るなんて!
感心している風に見せて、実際は笑っている。
これは、パパに限った話じゃない。魔法族は、純血主義を掲げていない人でも、マグルを見下している。
自分を見下してくる相手と仲良くなりたいと思う人間なんて、いる筈がない。
「行くわよ」
だから、ここから先は私が一人で行かなければいけない。
愛する人の幸福の為に……。
インターホンを鳴らすと、妙齢の女性が玄関の扉を開けてくれた。
私を見ると、首を傾げた。
「あら、どちらさま?」
大丈夫。フレッドとジョージを脅して、マグルのファッション雑誌を買って、最新の流行服を選んだ。
「あの……、はじめまして。私はジネブラ・ウィーズリーです。急な訪問をお許し下さい。ハリー・ポッターの友人です」
出来る限り、礼儀正しく挨拶をした。
ハリーの名前を出した途端、明らかに雰囲気が変化したから、急いで手土産を差し出す。
これも、マグルの雑誌で研究した。老舗デパートの定番商品だ。
「あの、こちらをどうぞ」
「これは……、御丁寧にどうも」
良かった。ダーズリー夫人の空気が一気に緩んだ。
「……貴女、ウィーズリーさん。ハリーの……、どういった関係かしら?」
私はゴクリとツバを飲み込んだ。ここが正念場だ。
「……その、親しくさせて頂いております。あの……、恋人として」
「ま、まあ! そ、そうなの……。あの子の……」
ダーズリー夫人は少し戸惑っている様子を見せた。
女はゴシップが好き。それは、魔法族でも、マグルでも変わらないものみたい。
「あ、あの……、健全なお付き合いをその……、させて頂いております」
顔が熱い。でも、恥ずかしがっている場合じゃない。
「ハ、ハリーはご在宅ですか?」
「あっ、その、少し出掛けているわ。買い物を頼んだのよ。……ごめんなさいね」
「そ、そうなんですか?」
なんて事なのかしら。タイミングが悪かった。
まさか、不在だなんて!
「……で、では、出直して」
「いえ、待ってちょうだい! その……、上がって、待っていてもいいのよ? お茶をご馳走するわ」
「い、いいんですか!?」
「ええ、もちろん」
心臓がバクバク言っている。
緊張しながら、ダーズリー家の敷居を跨いだ。
「……貴女も、魔女なの?」
「は、はい……」
「……別に責めてなんていないわ。顔を上げてちょうだい」
「は、はい!」
驚いた事に、ダーズリー夫人は私を魔女と知っても態度を変えなかった。
美味しい紅茶を淹れてくれて、お菓子まで用意してくれた。
「ありがとうございます」
「……あの子は幸運ね」
「え?」
「貴女は、とてもいい子だわ」
「あ、ありがとうございます」
些か予想外な展開に加えて、緊張がピークに達し、私の頭の中は真っ白だった。
「私達の事をあの子から聞いているのね」
「……は、はい」
考えがまとまらない。失礼な事を言わないように気をつけないといけないのに。
「その服やお土産は自分で選んだの?」
「は、はい。その、雑誌を読んで選びました」
「そう。その服は《パープル》の表紙を飾っていたものね。とても似合っているわよ」
「ありがとうございます」
ダーズリー夫人は、とても普通に話してくれた。
気づけば、肩の力が抜けて、私も自然体で受け答えが出来るようになっていた。
「……あの、ダーズリーさん」
「ペチュニアでいいわ。どうしたの?」
「……その、失礼な事を聞いてもいいですか?」
「なにかしら?」
「どうして……、私を受け入れてくれたのですか?」
聞くべきでは無かったかもしれない。
折角、友好的に接してくれているのに、台無しになってしまうかもしれない。
だけど、聞かずにはいられなかった。
「……だって、あまりにも必死だから」
ダーズリー夫人は言った。
「貴女、たくさん勉強してから来たのね」
「……はい」
うつむきそうになる顔を必死に持ち上げながら言う。
「……ペチュニアさん。貴女は、ハリーを憎んでいますか?」
私の言葉にペチュニアは険しい表情を浮かべた。
だけど、深く息を吐いて感情を押し殺した。
「さっきよりも失礼だったわよ」
「す、すみません」
「……私は」
ペチュニアは苦悩の表情を浮かべた。
それで、十分だった。
「貴女は、ハリーを憎んでなんていないんですね」
「……どうして、そう思うのかしら?」
「だって、憎んでいたら私を受け入れる筈が無いもの。でも、分からない。それなら、どうしてハリーに冷たく当たるの!?」
私は泣きそうになっていた。
彼女はハリーを想っている。なら、どうして……。
「……随分と、他人の事情に踏み込むのね」
「私は……、ハリーの恋人です。彼は、貴女達と家族でありたいと願っています! 私は……、彼の望みを叶えたいと思っています!」
私の言葉に、ペチュニアはため息を零した。
「……あの子が悪いわけじゃないの」
彼女は言った。
「だけど、どうしても……」
彼女は首を横に振った。
「……そんな目で見ないでちょうだい」
彼女は弱りきった表情を浮かべた。
「貴女は……、どこか妹に似ているわ」
「……ハリーのお母さんですか?」
ペチュニアは小さく頷いた。
「あの子も深みのある赤い髪の毛で、とても可愛らしかった」
哀しそうに、彼女は言った。
「……あの日、ハリーは母親を失ったわ。だけど、同時に私も妹を失ったの。魔法の世界が……、私から家族を奪ったのよ。だから、バーノンと誓ったの。魔法族と縁を断つことを……」
私の中に、彼女の言葉がストンと入って来た。
まるで、今まで噛み合っていなかったパズルのピースがピタリとハマったような気分。
ハリーの話を聞いていて、私は違和感を感じていた。私の知っているハリーは優しくて、礼儀正しくて、そして、勇猛果敢な人。
憎しみだけを向けられて育ったのなら、もっと歪んだ性格になっている筈なのに、彼はとても真っ直ぐだ。
「……奪われたくなかったのね」
それは歪な形だけど、たしかな愛情だった。
「魔法なんてものに関わらせたくなかった。だけど、結局、あの子も魔法界を選んだ。リリーと一緒……」
哀しそうに、どこか諦めたように、彼女は呟いた。
「……私達は、あの子の家族になれないわ」
「そんな事……ッ」
ペチュニアは言った。
「私は、魔法界を選んだあの子の事を許す事が出来ない。愛する事が出来ないのよ」
「……どうして」
「仕方のない事なのよ。私達とあの子の関係は、あまりにも複雑過ぎるの……」
頭に血が上る。
彼女の言い分は分かる。だけど、納得いかない。
「そんな事ない!!」
気がつけば、私は立ち上がって、彼女に怒鳴りつけていた。
「どうして、諦めた目をするの!? たしかに、とても複雑だわ。難しい事かもしれない! だけど、きっと変われる! 愛し合える筈よ!」
「……ジニー?」
その声にハッとして振り返ると、そこにはハリーがいた。隣には、大きな体の男の子もいる。きっと、ハリーの従兄弟のダドリーだ。
「は、ハリー……」
「ど、どうして、ジニーが……。っていうか、何をしているの?」
「あっ……、その……」
涙が滲んでくる。ハリーとダーズリー家の人々の間を取り持つはずが、感情のままに怒鳴りつけてしまった。
最悪だ……。
「ハリー」
ペチュニアが口を開いた。
「……その子はあなたに会いに来たのよ。恋人なら、しっかりとエスコートしなさい」
「え?」
ハリーは目を丸くした。
「この子はとてもいい子だわ。泣かせてはダメよ」
「う、うん……」
呆然となるハリー。隣のダドリーもキョトンとした表情を浮かべている。
「ペチュニアさん……。私、ごめんなさい……」
「……謝る事なんて何も無いわ。ハリーの事をよろしくね、ジネブラさん」
「……は、はい!」
ペチュニアがハンカチを差し出してくれた。私は好意に甘える事にして、涙を拭いた。
「ど、どうなってるの?」
ハリーとダドリーが顔を見合わせる。だけど、私達は何も言わなかった。
ただ一言、ペチュニアに対してだけ言った。
「……私は、諦めません」
「そう……」
ペチュニアが淹れてくれた紅茶を飲む。
冷たくなってしまった紅茶が喉の通りを良くしてくれた。
「ハリー」
「な、なに!?」
「今日は、我が家に招待する為に来たのよ。もちろん、返事はオーケーよね?」
「えっ!? おい、ハリー! お前、どういう事だ!?」
「いや、その! えっと……、僕の恋人なんだ。彼女……」
「なっ!?」
私はハリーの腕に抱きついた。
「ペチュニアさん。ハリーを借りていきますね」
「……ええ」
ペチュニアはハリーを見た。
「粗相をしないようにね」
「え? あっ、えっと……、は、はい!」
ハリーは少し顔を赤くしながら言った。
声も上ずっている。
「……いってらっしゃい」
その言葉に目を見開き、ハリーは震えた声で「いってきます」と言った。
荷物を纏めて玄関を出ると、ハリーは凄い表情で私に詰め寄ってきた。
「いったい、どんな魔法を使ったの!?」
「……秘密」
「ええ!?」
私はダーズリー邸を振り返った。
今すぐには、彼女の言うとおり難しいかもしれない。
だけど、私は諦めない。きっと、ハリーとダーズリー家の人々を仲良しにしてみせる。
「……覚悟しといてよね、ペチュニアさん」
「じ、ジニー……? あの、おばさんを脅してないよね?」
「ハリー? あなた、私を何だと思っているのかしら?」
「あ、いえ、その……、すみません」
私はハリーの腕を引っ張り、パパの下へ向かった。