悪魔の沙汰も 作:表通路地
「簡単に言うわ。お金ないの」
「わぁ、かんたん」
きゃっきゃと笑う妖精メイド達に苦笑しつつ、フランドールは説明する。
ひとつ、自分たちは結界から出られない。ひとつ、金属の在庫は無限ではない。今のペースならあと五年で空になる。ひとつ、今のところ有効な解決の手立てはない。
おそらく、自分たち――特に、頭の出来が良くない妖精達――向けに、ずいぶん省略されているのであろうが、しかしまぁ、金が無くなりそうだということは美鈴にもすんなり理解できた。
「しかし、フラン様。金がないからと言って、そんなに深刻なことなんですか?」
美鈴のもっともな疑問である。
たしかに、食事するにも食材はいるだろうが、飲み食いなど趣味のようなものである。別に明日からないと言われても、困る困らないで言えば、美鈴は気にも留めないだろう。
「そうね、確かに、お金なんてなくても」
「別に困りませんよねぇ」
「メイド長はごはん食べないと!」
言われてみればと言いたげに、パチュリーやその使い魔、妖精達が声を上げる。
人間である咲夜のために、一応の食事は目処を立てる必要があるだろうが、それだけならば五年と言わずもっと長い時間を稼げる。その間になんとかすればいい。なんなら、稼いだ時間の間に咲夜は寿命を迎えるかもしれない。
館の住人から、危機感が抜けてゆく。しかし、レミリアとフランドールの目は未だ厳しい。
「うーん、じゃ、試してみよっか」
そういって、フランドールから提案されたのは、一週間の断食。
お菓子も、紅茶も、食事も取らず、咲夜は最低限の食事をする。
妖怪らしく、必要ないなら飲まず食わずで行こう。というのだ。
「お姉さまも、いい?」
「……いいけど、フランには、何か考えがあるの?」
「考えっていうか……」
フランドールは、一時考えこむような顔をする。
「やっぱりね、体験しないとわからないかな?って。自分たちで、一回自分たちのことわからないと、多分うまくいかないと思う」
そうして、紅魔館は一週間の断食へ突入した。
手首を掴まれた妖精は、絶望に目を見開いていた。
掴んでいるのは悪魔の妹、フランドールだ。妖精たちが懐く人好きする笑みはなく、無表情に座り込んだ妖精を見つめている。手首しか掴まれいないはずなのに、何か、決定的に大事な部分が掴まれている感覚。
不意にフランドールが手首を離すも、妖精はその瞳から目をそらせない。首はまるで凍ってしまったかのように言うことを聞かないし、目もしびれたように震えるだけでちっとも動かない。言い訳するために使うべき舌も口も、うまく動かない。
フランドールの小さく色づきの良い唇が不意に開く。小さなため息と、低い声。
「思ったより、早かったなぁ」
ざわめきに包まれた大広間を静かにするには、壇上へフランドールが昇り、一つ拍手をするだけで十分だった。
先週の解散時にはニコニコしていた妖精たちも、どこか怯えるように震え、なにか張り詰めたような空気を醸し出している。特に、レミリアのそばに控えた咲夜への非難めいた視線が、ひどい。部屋中から突き刺さるその視線の最中は、暴風雨のようだろう。
「えー、この一週間で、館内で盗難が十件起こりました」
なんの気負いもなくフランドールから放たれた言葉に、部屋のあちこちで怯えるような気が爆発する。おそらく、その盗難の下手人だろう。
まさか、たった一週間でそんな状態になるとは思いもよらなかった美鈴は、驚愕に目を見開いた。
「一応言っておくと、責めないわ。そうなるように仕向けたのは私だし」
「仕向けた?」
「だって、咲夜に隠れて食べるなって言ったもん。あえて食堂でいつもどおり食事しなさいって」
美鈴が咲夜に視線を向ければ、咲夜は沈痛な面持ちで俯いている。何か、辛いことでもあったのだろうか。それとも、部屋中から彼女へ注がれる視線こそが、その原因なのか。
「盗みといってもね、可愛いものよ。咲夜のご飯が勝手に食べられたりとか、戸棚のお菓子が消えたりとか」
そんなものかと安心して息を吐いた瞬間、美鈴は、自分がなにか重大な勘違いをしていることに気づく。
レミリアは笑っていない。むしろ凍ったような表情だ。
パチュリーを見てみろ、動揺に目が泳ぎ、視線をせわしなく迷わせているではないか。
妖精たちはどうだ?数人は肩を抱いて震えているではないか。
「なにを、なにをしたんですか、フラン様!」
「んー、特に何もしてないわ。あえて言うなら『貧ずれば鈍する』よ」
「なんですそれは」
「東方のコトワザよ」
「……コトダマとかいう霊術ですか」
「いえ、ただのproverb。めーりん風に言うなら、諺語ね」
「……どういう意味です?」
「見ての通りよ」
美鈴が周りを見渡せば、そこにいつもの暖かな館の姿はない。
どことなく……いや、明らかに悪い空気が蔓延している。
こんな状態になったのは明らかに一週間前の断食が発端だ。しかし、その契機たるフランへの非難はなく、咲夜にばかり非難が集中しているように見える。
「当たり前すぎて、気づいてなかったかもしれないけど」
フランドールが指でコインを一枚弾き上げる。キィンと鳴った澄んだ音は、全員の瞳を釘付けにした。
「私達妖怪って、道徳的に出来てないじゃない」
手元に落ちてきたコインを掴み、またもや弾き上げる。
「そんな私達の道徳を支えてたのは多分、『豊かな暮らし』って奴なのよ」
ぽつぽつと語るフランドールだが、その声はよく通る。
コインの弾かれる澄んだ音と、フランドールの甘い声が交互に耳に突き刺さる。
「それを奪われ、そしてそんな中でそれを甘受してる奴が一人居る」
コインが弾かれれば、何故か全員の視線は咲夜へ向いた。
咲夜は、暗い表情でコインとフランドールを見つめている。
「この縮図を、紅魔館と外に広げても、同じよ」
ああ、そうだ。紅美鈴は知っている。今、咲夜に向けられる視線を知っている。
あれは、夜道を街灯に照らされ歩く人を暗闇から見つめる妖魔の目だ。
あれは、日の中にあってなお気配すら忘れられた妖精が人を見つめる目だ。
あれは、持っていないものが持っているものを見つめる、目だ。
なんとなく、理解した。
自分たちは羨ましいのだ。
自分たちは、卑しいのだ。
その時、レミリアが壇上から朗々と声を上げた。
「私達は、紅魔の一族。誇り高く気高き夜の覇者。愛すべき家族」
瞳には強い意思が光っている。沈みきっていた部屋の空気を押し出すように、レミリアの声が部屋を跳ねまわる。
「あなた達の過ちを、すべて許す。いじわるなことをして、ごめんなさい」
当主とその妹自らが頭を下げ、謝罪する。
当然、向けられた妖精たちは慌てふためくが、即座に頭を下げる。
――幾人かは、咲夜へ向けて。
「私達の幸せも、尊厳も、道徳も損なわせてはならない。そのために豊かでないと、きっと保っていられない。私達は暗く寒い夜の使者。暖かであるために、暖炉の薪を切らしてはならない」
「私達、多分もっと真剣ならなきゃダメなの。お金なんてって笑っちゃ、きっとだめなの。みんな、力を貸して」
吸血鬼の姉妹は、真剣な眼差しで自分たちを見つめている。
さっきまで震えていた妖精達も、もうしっかりと自分の足で立っている。
もはやここには、たった一枚のbaniであろうと笑うものはいない。
しかし、目下の問題は大結界であることに変わりはない。
「フラン、パチェ、あの結界、どうにかならない?」
破壊と魔術の二人に聞くも、色よい返事はない。
「多分、術じゃないんじゃないかな……『目』とか『筋』がないの。どこにも緊張も弛緩もない。結界っていうにはへんてこ」
「同意見ね。でも、見覚えはあるわ。この土地そのものを覆っていた結界。あれに似てる。でもあれよりもっと強固よ。プローブも出れないし」
転移前、調査のために幻想郷へ魔導プローブを飛ばすのは、非常に難しかった。
しかし、作って放置しておいたプローブがある日なくなっていることに気づいたパチュリーは、プローブ製作直後に忘却の魔法薬を飲むという、聞きしに勝る『幻想入り』を利用した投下方法を思いついてからは、面白いようにプローブを送り込むことが出来た。
そういう調査あってこその大転移である。
「あの」
おずおずと手を上げたのは、咲夜だ。
まだ十代そこそこの娘である咲夜は、どうしてもこういった魔術や力について疎い。
話についていけなかっただろうかと、心配してレミリアが視線を投げれば、自信なさげにではあるが、咲夜は自分の見解を語りだす。
「おそらく、結界の類ではなく、境界の類かと思われます」
「境界?」
「はい。魔界や幽界といった、界を隔てる壁のようなもの、というか、線のような」
「なるほど、確かにそれなら『目』が見つからないね」
「ああ、それで見覚えが」
フランドールとパチュリーが得心するあたり、その仮説は実に真実に近そうだ。
「お手柄ね咲夜。でも、どうしてわかったの?」
「時間が、平行しているような感覚というか、門の外と中で共有できていない感じが」
「……なるほど」
咲夜は先天的に時間を操る能力をその身に備える。
時を『止める』『長くする』『圧縮する』といった不可思議な力の行使は、本人にも説明しがたい、実に感覚的な理解から行うものらしい。
おそらく咲夜にとって時間とは『流れていくもの』ではなく『流していくもの』なのだろう。だからこそ、常人には気づけないものに気づく。
「しかしそうなると、本気で出れそうにないわね……」
レミリアが悪態を付く。しかし、悪態をついてもどうにかなる問題ではない。
「私がドッカーンって殴り飛ばしたらそこの境界割れたりしませんかね?」
「美鈴はかわいいね」
「ふ、フラン様なんでそんな優しい顔なんですか!?」
閉じておくべき門が開かぬ壁と相成った門番は使えそうにないなと頭を振る。
しかし、そこに暗い雰囲気はない。妖精たちも各々が話し合い、どうにかならいだろうかと頭を捻っている。希望も、策もないけれど、まだ、諦めが心を食いつぶしてなどいない。
「お困りのようですわね」
部屋の空気が凍る。
「何か、お力添えできればと思って伺ったのですが」
嵐のような害意が彼女に向く。
こいつが、こいつが今自分たちの温もりを損なう原因の最たるものだと、全員が理解している。
「なんだか、歓迎されてないみたい」
害意の暴風雨の中、春の日だまりのように微笑む女。
「うふふ」
八雲紫は、笑っている。
ちなみに。
話中に出てくる横文字(bani や aur 、 proverb)はルーマニア語です。
かの有名なヴラド・ツェペシュの国ワラキアがルーマニア語圏(だと思う)ので、それにそってルーマニア語を使っています。日本語はみんな覚えたので、幻想郷に移住するにあたって日本語を常用語とした、という感じです。
ただ、辞書を引いた直訳なので、正確なルーマニア語ではないかと思います。ルーマニア語に詳しい人がいたら教えて欲しい……