ご了承ください。
屑霧島
放課後になると鈴の部活めぐりに付き合う。
どうせクラシックCDを聞くぐらいしかやることがないのだから、暇なのだろうと、鈴に拉致されたからだ。そして、なし崩しに、一夏と共にIS学園の施設を見学する約束をしていたシャルルもそれに付き合うことになった。
「一夏は何の部活見るの?」
「とりあえず、運動系の部活は網羅するつもりだ」
「アンタは相変わらずね。体験入部で暴れても良いけど、程々にしなさいよ。IS以外ではたぶん誰もアンタには勝てないんだからね」
「否、私と対峙するのなら、手心を加えないのが礼儀というものだ。女子供分別は無い。むしろ、わざと負けるなどという愚行は相手を見下す行為であって、無礼に当たる。だがな、それよりな、鈴。私は全霊の境地へと辿り着きたいのだよ」
「……はぁ、アンタに聞いた私が馬鹿だったよ。でも、アンタが荒らすのは勝手だけど、勧誘津波に会っても知らないわよ」
一夏に手加減するように説得しようとした鈴だったが、一年半経っても変わらない一夏の姿を見て、諦め、ため息を吐いた。
一夏は中学時代、帰宅部であった。
というのも、家庭の家計を支えるためにお花屋さんのバイトをしており、友人である鈴と弾、数馬以外と遊ぶ時間以外に暇な時間というモノが無かったからだ。
それに、一夏は全力を振り絞ることこそが己の目的であって、青春しようなどとは微塵も考えておらず、時間が拘束されることや誰かに指導されることを極端に嫌っていた。
ちなみに、鈴が言った『勧誘津波』とは鈴の造語で、大勢の運動系のクラブの部長たちが群れとなって一夏を入部させようと一夏の教室に詰めかける現象のことを言う。
「一夏って、運動できるの?」
「シャルル、一夏が運動できるっていうのは、普通に運動が出来るって次元の話じゃないのよ。一夏は運動が出来過ぎるのよ。」
「どういうこと?」
「中学一年の春にね、一夏、陸上部に体験入部したの。それで、二年生や三年生と100m走で勝負するってのがあったんだけど、……全国大会級の記録を出して、一夏の圧勝。その時に言った言葉が『足を速く動かしただけだ。特別な技術は何も身に着けておらん』よ」
「……一夏ってすごいね」
「まだあるわよ。……ボクシング部の体験入部なんて、部長に一発KO勝ち。その時に言ったのが『私は腕を振るっただけだ。卿らが騒ぐほどのことではない』よ」
「一夏って苦手な運動あるの?」
「私の苦手なモノか。加減が出来ぬ性分故、一部の球技ぐらいだな」
「え?どうして?」
「たとえば、私がサッカーをしたとする。私が本気でボールを蹴れば、ボールで人が宙を舞い、グラウンドにはクレーターが出来てしまう。故に、私が参加すれば、グラウンドは死屍累々となり、サッカーというゲームそのものが成立しないのだよ」
「……」
「これが織斑一夏よ、分かった?シャルル?」
「……うん、分かった。」
一夏が規格外すぎてシャルルは焦る。一夏の機嫌を損ねて本気の喧嘩になったら、ハンバーグかミートボールという結末しか見えなかったからだ。
一夏との会話には気を付けようと心掛けるシャルルだった。
その後、三人は様々な部活を周り、体験入部した。
ソフトボール部ではホームランを3打席連続で打ち、クレー射撃部では満点を出し、空手部では瓦割で二十枚割り、乗馬部では誰も乗れなかった荒馬を乗りこなした。
ラインハルト・ハイドリヒはアムステルダム五輪にフェンシングの部門で出場している。それ以外にも、乗馬やスキーや近代五種競技や飛行機の操縦を得意としていた。そのため、肉体が聖餐杯の贋作に劣化したといえども、専門で競技に励んでいるわけではない現役女子高生に劣るはずがない。故に、これぐらいのことは一夏にとって当然なのだ。
そんな優秀な運動神経を持つ生徒を部に入部させようと、それぞれの部の部長たちは必死になり、鈴が恐れていた勧誘津波が起きた。
宿題ノート見せるだの、三食昼寝用の膝枕付きだの、お背中を流す専属マネージャー付きだの、部長との混浴権だのと、一夏を物で釣ろうとする。
一夏はそれらを丁重に断るのだが、男に飢えているのか部長たちの勧誘は激しい。
そのため、一夏は鈴とシャルルを担いで、脱兎のごとく逃げる。
一夏に担がれた鈴は顔を真っ赤にし、一夏の肩の上で暴れている。
シャルルは借りてきた猫のように大人しくしていた。
そして、二人を担ぎながら、逃走する一夏は悪くないと笑っていた。
一夏の前世であるラインハルト・ハイドリヒは『全力で戦える機会が欲しい』という己の渇望を世界に流出させようとした男で、逃走というものを織斑一夏になるまで行ったことがなかったからだ。此処で全力で戦うことは容易いが、一夏以外で死傷者が出てもおかしくない。普段の彼ならばそんなことはお構いなしなのだが、英雄の卵かもしれない彼女らを傷つけることは今の一夏にとって不本意である。結果、彼は逃走という選択肢を取った。逃走という行為は一夏にとって未知に近かった。
十数分ほど全力で走り、校舎裏に逃げ込むことで、追って来る各部の部長たちを巻いた。
担がれ疲れたと鈴が言い、シャルルがそれに同意したため、近くの自販機でジュースを飲みながら、休憩をとる。
鈴は『黒ウーロン茶』を、シャルルは日本に来て初めて見るという『あたたかいコーンポタージュ』を、一夏は炭酸飲料の『スプlight』を飲んでいる。
「で、一夏とシャルルは部活決めた?」
「僕は部活に入るのやめておこうって考えているんだ。」
「どうして?」
「男子って僕と一夏だけだから、注目されて、肩身が狭くて、緊張しちゃうから、…ほら、此処の女の子ってその凄いから」
「あぁ、……確かに、シャルルってなんだか気弱そうだし、そういうの苦手そう」
「うぅ、反論できないから、辛いよ。鈴は?」
「あたし?ラクロス部。なんかあの棒がちょっと格好よかったから。それで、一夏は?」
「私が心躍るものは今のところなかったな。アレが毎日と思うと些か退屈だ。私の余興になるに値しない。」
「あんな暴れ馬相手にして、『些か退屈だ』なんて、どんだけチートなのよ」
「確かに、最初はロデオみたいだったね。僕が一夏だったら、絶対に振り落とされていたよ。一夏って本当に凄いね」
「なに、アレは誰でも出来る方法を使っただけだ。故に、私でなくとも容易にできる」
「そうなんだ。ちなみに、どうやったの?」
「馬の眼を見て、『私にひれ伏せ』と念じた。要するに、威嚇しただけだ」
「そう言うけどね。アンタの場合、その威嚇するときの念じ方が肉食獣じみてんのよ。そりゃぁ、背中に人の皮を被った恐竜がいたら、強気な性格でも根っこが草食動物の馬なら、普通怖くて言うこと聞くでしょ」
鈴はそう言うと、空になった缶をゴミ箱に向かって投げる。
空き缶は綺麗な放物線を描き、見事ゴミ箱の中にチップインした。
ガッツポーズをとりながら、鈴は立ち上がる。
「で、一夏、後、何か所回るの?」
「次で最後だ」
「ふーん、で、その栄えあるラストの部活は何?」
「剣道部」
一夏はメインディッシュを目の前にしたグルメのように笑った。
待っていたぞ。ようやく来たか。
私を唸らす料理であってくれと。私を楽しませてくれよと。
右手に持っていた空になっていたアルミ缶は音を立てて、縮んでいき、最後には団子ぐらいの大きさへとなった。一夏はそれをゴミ箱に投げた。
そんな様子を横に居たシャルルは開いた口が塞がらなくなった。
世界最強の姉を持つのだから、人間離れしているのは当たり前だろうと思っていたが、此処まで来ると、人間離れしすぎている。シャルルは、これからの三年間で多くの奇想天外なことが起こるんだろうなと覚悟し、こんな一夏みたいに自分も強くありたいと思い一夏のことを羨ましく思った。
「何をしている、シャルル、卿も来るのだろ?このままでは日が暮れてしまう。遅れるなら、置いていくぞ」
「うん、すぐ行くから、ちょっと待って」
シャルルは『あたたかいコーンポタージュ』を飲みきると、空き缶をゴミ箱に捨て、駆け足で一夏と鈴の後を追った。
道場へ向かう途中、一夏は終始笑顔だった。
朝の自己紹介の時の愛想笑いではない。純粋に歓喜に満ちている。
だが、今の一夏の歓喜は普通の歓喜とは大きく異なっているように他人からは見えるだろう。なぜなら、歓喜とは純度が上がれば上がるほど、ある異物が混じり始める。
狂喜という言葉を知っているのなら、分るだろう。
喜び過ぎて、タガが外れてしまい、合理的とは程遠い頂へと辿り着いてしまう。
故に、そう、狂気だ。
一夏は笑顔ではあるが、一夏の中から歓喜が溢れ出ているわけではないため、鈴もシャルルも一夏は笑っていることに気付いていたが、その歓喜は狂喜であり、その中に狂気が渦巻いているということに気付かない。
そんな笑顔の理由をなんとなく察した鈴は一夏に話しかける。
「一夏、アンタ、最後に剣道部選んだでしょ?」
「よく分ったな。鈴」
「何かアンタ嬉しそうだし。一応、その理由聞いて良い?」
「剣道部には箒が入部する筈だからだ」
「箒って、僕たちのクラスで、今朝一夏相手に喧嘩腰になっていた篠ノ之箒さん?」
「はぁ?アンタ、ケンカ売られたの?どんな猛者よ!って言うか、箒ってアンタのファースト幼馴染よね?」
「確かに、彼女は私からすればファースト幼馴染である。だが、彼女からすれば、私は切ったはずの腐れ縁であり仇のようなものだ」
「アンタ、箒って娘に何したのよ!まさか、セクハラしたんじゃないでしょうね?」
「私は何もしていない。私の渇望と彼女の理想が大きく異なっただけだ」
「それだけ?」
「あぁ、だが、意見の食い違いというものは衝突を起こすに十分すぎる。意見衝突が発端となった革命や戦争は少なくない。宗教なり、民族なり、私欲なり、国益なり、平等なり、自由なり。故に、箒が私を敵視するは必然」
「敵意向けられてよくもアンタ平気よね」
「無論。私は全てを愛している。箒も例外ではない。故に私は敵意も享受する」
「え?ええぇ!?一夏って、もしかして自分を蔑んだ目で見てくれる人のことが好きになの?でも、あれ?ふぇぇ?」
シャルルは顔を真っ赤にしながら、頭を抱え込んで座り込みだした。
そして、何かブツブツ呟いている。
「馬鹿一夏!それは言葉の重みが減るから言うなって言ってるでしょ!それに、シャルルが混乱してるじゃない!どうすんのよ!シャルル、変なこと妄想してるわよ!」
鈴は一夏の襟を掴み、グワングワンと力いっぱい揺すりながら、怒鳴る。
一夏はなされるがまま、シャルルが混乱しているさまを見て楽しんでいる。
そんな鈴と一夏の元に、シャルルが近寄ってきた。
そして、上目づかいで心配そうな目をしたシャルルはこう言った。
「あのね、一夏が鞭とか蝋燭とか好きな変態さんでも、僕は絶対に嫌いにならないからね。ずっと、友達だから、悩みとかあったら、男の僕に相談できることなら、相談してね。」
時が止まった。時間が停滞したわけではない。完全に停止した。
ツラトゥストラの『新世界へ語れ超越の物語』がシャルルから流れ出たかのような錯覚に一夏は陥った。事実、自分を揺すっていた鈴は固まっているし、己の思考もシャルルの言葉に追い付けない。聖餐杯の贋作であるこの体が一寸も動かなかった。
「フッハッハッハッハッハッハ!ハーッハッハッハッハッハッハッハ!私が変態か!カールよ!私はこれほどの未知を見たことないぞ!ハーッハッハッハッハッハッハ!」
だが、一夏は次の瞬間、大爆笑していた。
まさか自分が変態扱いされるとは露とも思っていなかったからだ。
一夏の身近には好きな女の足跡を時間軸から切り離して保存するような超が付くほどの、変態の境地へと辿り着いたようなド変態を超えるコズミック変質者が居る。
そんなカール・クラフトに比べれば、自分は普通の性癖だと思っている。
故に、自分は変態ではない。
それに、そもそも自分の真意がシャルルにちゃんとした形で伝わっていない。
そこで、一夏はシャルルに自分の愛の形について、説明する。
「シャルルよ、私はな。この世にあるすべての物を祝福し、受け入れ、存在を否定しないが故に、愛していると言っているのだ。卿が言ったような趣味趣向を私は持ち合わせておらんよ」
一夏は自分の本音の一部を隠し、シャルルに弁解した。
事実、この世にあるものは何かしらの意味を持って誕生していると考え、全てを慈しんでいる。だからこそ、一夏は全てを壊し、その灰燼と化するその様すらをも愛でる。自分に壊されるために誕生したものを、自分の障害になるために誕生したものを見つけるために。故に、彼の愛は破壊へと直結する。
だが、ここで、鈴とシャルルに愛するモノを破壊するとは言わない。
なぜなら、ここでその話をすれば、自分は狂人扱いされる。事実、ラインハルトは狂人だが、此処には自分の楽員と騎士団に加わるにふさわしい英雄を探しに来ているのだ。
故に、此処で狂人扱いされては、自分で立てた目的の障害を自分で立てることとなってしまう。今は穏便にことを進める必要がある。
それに一年半前の友人の忠告のこともある。
「そ、そうだよね。ごめんね、一夏、その……変態さんって言っちゃって」
「よい、私は気にしておらん」
「良かった。今思ったんだけど、『全てを愛している』って、一夏、牧師さんみたい」
「ほう、私が主に仕える聖職者か。卿は面白いことを言う」
「え?何かおかしかったかな?」
「いやなに、卿が当たらずとも遠からずな事を言ったのでな、少々驚いただけだ。私に逆鱗はない故、これからも卿の思うことがあれば、私に聞かせてくれ」
「「??」」
鈴とシャルルは首を傾げる。
だが、一夏に置いて行かれそうになった二人は慌てて、一夏を追った。
数分歩くと、剣道場にたどり着いた。
剣道場の前には多くの女生徒達が一夏を待っていた。
どうやら、部活荒らしの一夏が回った部活を片っ端から調べ上げ、まだ来ていない部活が此処であると分かり、此処に来ていたらしい。
鈴は見たことがある光景であるため、驚くことは無かったが、シャルルは驚きっぱなしだ。
一夏は堂々と剣道場に入り、入ってすぐのところに居た部員に尋ねた。
三年のリボンをしており、自分を待っていたように立っていたことから、一夏はこの部員がこの部の部長だと推測した。
「卿が剣道部の部長か?」
「如何にも」
一年生の一夏の圧倒的な存在感に負けないようにするために、剣道部の部長は偉そうに、一夏の質問を肯定する。
「すまんが、此処の部活の体験入部はどういった物をしているのか聞いても構わんか?」
「竹刀の素振り指導だけど、織斑君は竹刀を持ったことある?」
「数度、下手ではあるが、振り方も知っているつもりだ。」
「それじゃ、素振りの指導じゃ、織斑君は退屈しちゃうでしょ?とっておきのモノを用意しておいたよ」
「ほう」
一夏は靴を脱ぎ、剣道場に上がる。鈴とシャルルもそれに続く。
部長の案内で一夏は更衣室に入り、特大サイズの剣道着を着る。鈴とシャルルは一夏の友人として、試合場の前に設置された特設の席に座らされる。一夏の部活荒らしを見学しに来た女生徒達も剣道場のギャラリーに詰めかける。だが、全員入りきらなかったため、立ち見や剣道場の外から脚立を使って、窓から剣道場の中を覗きこんでいる生徒もいる。
数十人の剣道部員が出てくると、剣道部の部長はメガホンを取って喋りはじめた。
「レディース・エーーーンド・ジェトルメェン!さあ!やってまいりました。織斑君のための剣道部体験入部、『剣道部員勝ち抜き戦!』司会は私剣道部部長と解説は織斑千冬先生でお送りいたします」
すると、剣道場の奥からスーツ姿の織斑千冬が現れた。
鈴以外のギャラリーは拍手で迎える。千冬が着席すると、剣道部部長は試合のルールを説明し出した。一夏は面突きも胴突きもありで、いかなる方法でも相手に一本でも有効打を与えることが出来れば、勝ちとする。だが、剣道部員は通常のルールに乗っ取り一夏と試合をすることとなった。これで一夏が何人抜きをするのかということが見どころとされている。
「さぁ、では、最初の一戦です」
次の瞬間、審判である副部長の合図とともに、試合は始まるのだが、次の瞬間には勝敗が決していた。千冬が解説する暇もなかった。
一夏が行ったことは単純な事だった。
素早く脚を運び、素早く腕を振るい、素早く面を打った。
その一連の動作があまりにも早すぎただけだ。
まるで、西部劇のガンマンの決闘のように、始まったと同時に決着がついていた。
一夏の足を運ぶ音と、面を打つ時の声、竹刀が面に当たった音が同時に聞こえるほどに。
鈴やシャルルや、観客どころか、一夏の対戦相手である剣道部の部員も、審判の剣道部員ですら、最初は何が起きたのか、判断できなかった。一夏以外で何が起こったのか、すぐに理解できたのは、実姉の千冬と、幼馴染の箒だけであった。
千冬は唖然とする審判に代わり、勝敗を言う。
「勝者、織斑一夏。」
千冬の言葉で織斑一夏という人間は常人からかけ離れていると剣道部員は理解した。
だが、先ほどの試合を思い出した剣道部員は、一夏は素人であり、数度しか竹刀を握ったことのないという一夏の言葉は嘘でないと言うことも分かった。
事実、一夏の動きは剣道家が見れば、無駄だらけだろう。
フェンシングと剣道では勝手があまりにも異なっている。故に、踏込、足の運び方、竹刀の握り方など数えきれないほどのミスがある。
だが、一夏は持ち前の運動能力でそれらをカバーしきっている。
そのため、剣道部が使う剣術という術を力でねじ伏せる結果となった。
剣道部員は気を引き締める。舐めて掛かっては勝負が成立しない。
勝負が始まった瞬間に勝負を始めるには遅すぎる。戦う前から、勝負をしている気で居なければ、不意を突かれ、敗北を喫するは必然となってしまう。
剣道部員たちに緊張が走る。
だが、気を引き締めただけでどうにかできる実力差ではなかった。
剣道部員はこれまでの経験を生かし、ある者は勝負が始まったと同時に、間合いを取ろうと試みるが、一夏の圧倒的な跳躍力により、一夏の間合いに自分が入ってしまう。ある者は勝負が始まった瞬間、一夏に飛び込むが、それを上回る速さで一夏は面を取ってくる。数人ほど一夏の早業より早く攻撃が出来た者が居たが、振るった竹刀が一夏の竹刀に防がれてしまう。一夏の防ぎは強固であったため、肘を固いものにぶつけた時のような痺れが両腕に襲い掛かり、思わず竹刀を手放してしまう。
最初はこれで良いと剣道部員たちは判断していた。
様々な方法を試し、一夏の苦手な打ち方を探るつもりだったからだ。
だが、この方法は間違っていたということに気付き始める。
なぜなら、一夏は戦いの中で、効率的な竹刀の振り方を身に着け始めたのだ。
結果、剣道部員は一夏に有効な戦略を発見するどころか、一夏との実力差をさらに離されていってしまい、勝利する要素が完全に消失してしまった。
五十人近くの二年、三年を叩き伏せた所で、一夏の前にある一年生が立ちはだかった。
「一夏、私と戦え!」
その一年生とは箒だった。
箒は去年の全国剣道女子中学大会を圧倒的な実力で優勝しており、剣道の実力ではおそらく剣道部の部長より上である。
そのため、人一倍剣道には自信があり、人一倍剣道の在り方というモノを大切にしていた。だから、信念が全くなく、暴力的で、相手を狩るように振るわれている一夏の剣を許せるはずがなかった。自分が目指したのは誰かを守れるような活人剣だ。
力というモノは壊すためにあるのではない。守るためにあるのだ。
それこそが正しい力のあり方だ。それを一夏の敗北という形で教えてやる。
箒は一夏打倒に燃えていた。
「よかろう、箒。どこからでも掛かって来るがよい。」
一夏は箒の宣戦布告を受け取ると、竹刀を構えた。
その瞬間周りから歓声が起きる。
一夏のことを名前で呼んだことと、箒の声に覇気があったから、箒は一夏の知り合いだと観客と剣道部員たちは読み、因縁の対決のような試合が見られると感じ取ったからだ。
とくに剣道部員の盛り上がりは凄まじい。片や圧倒的な力で自分たち五十人をねじ伏せた男子で、片や圧倒的な技術で女子中学ではあるが全国制覇をした女子である。ゆえに、一夏の消化試合にならないのではと期待していたのだ。
審判の合図でそんな二人の試合は始まった。
試合開始の合図と同時に、箒は前に出る。電光石火の早業で相手が防御の姿勢を取る前に勝ちを取りに来たのだ。結果、箒は一夏より早く攻撃を仕掛けることが出来た。
それに対し、一夏は防御の姿勢を取らず、後ろに下がりながら、竹刀を振るう。
竹刀同士の衝突を狙っての行動だった。
当たれば、箒の手は痺れ、竹刀を手放してしまうほどの一撃だった。
だが、箒は咄嗟に腕を引き、竹刀との衝突を回避した。
箒は腕を引いたまま、一夏の懐に入り込む。
距離を取ろうとすれば、一夏は力技で自分を打ち取りにくると判断したからだ。
両者の腕と竹刀の柄がぶつかり、押し合いになる。
重心の低い箒は一夏を押し上げるような形で押せば、一夏の体勢は崩れるので、その瞬間に胴を放ち、打ち取ろうと試みる。
「!!」
だが、一夏の体が全く動かない。
勢いをつけて、押そうとしても、全く動かない。
目の前に居る一夏は地中に根を張った大木なのではないのかという錯覚に箒は陥った。
重機でも動かせるのかと疑ってしまうほどだ。
この瞬間、箒の中で勝敗は決してしまった。
なぜなら、押せないのだから、この場は退くという選択肢しか存在しない。
では、後退すればどうなるのか、考えられる結末は二つ。
退いた瞬間、一夏は攻撃を仕掛けてくるだろう。そこで、自分は竹刀で防ぐか避けるしかない。だが、人体というのは思いのほか大きい。一夏の速さと力を持ってすれば、竹刀で面や胴、籠手を打つには十分であり、外れるはずがない。
であるなら、防御すれば、窮地を脱することが出来るかと言えば、そうでもない。防御をすれば、さきほど一夏と試合をした上級生と同じ結末であるのは明白だ。一夏の渾身の力によって振るわれた竹刀は己の持つ竹刀に当たり、コンクリートを金属バットで渾身の力で叩いた時のような痺れが己の腕を駆け巡り、自分は竹刀を手放してしまうだろう。
結果、自分は詰むのだ。
だが、箒は自分から負けを宣言できるような諦めの良い人間ではない。
諦めが悪いからこそ、全国優勝を勝ち取ったのだ。此処で退いては自分が積みかねてきた物が崩れてしまう。自分が自分でなくなってしまうような気がした。
では、どうすればいい?自分はどうすれば、負けてもなお、篠ノ之箒で居られる?
「……違う」
そもそも自分が負けたわけではない。今はまだ試合中で、勝敗はこれから決まるのだ。
自分が諦めてどうする?こんな信念の無い暴力の塊に負けてどうする?
それこそ負ければ、自分が自分で居られなくなってしまう。箒は自分に言い聞かせる。
箒は覇気を振り絞り、渾身の力で一夏を押し崩そうと試みる。
だが、次の瞬間、箒の耳に一夏の声が飛び込んできた。
「恐れで私は斃せぬよ」
一夏はそう言うと、肘に力を入れ、箒を押し上げた。
自分が行おうとした戦術をまさか一夏もしてくるとは思っていなかった箒は簡単に押され、崩され、足が床から離れてしまう。そんな箒の眼には自分に迫りくる一夏が映った。
咄嗟に、箒は竹刀を前に出そうとするが、一夏相手ではあまりにも遅すぎた。
一夏は竹刀を振り下ろし、一夏の竹刀は箒の面を捕らえる。
結果、有効だと判定されてもおかしくないものを受けてしまった。
今のが、仮に有効でなかったとしても、自分は仰向けに倒れた衝撃で思わず竹刀を手放した上に、場外に出てしまったため、反則二つによる相手の一本となり、自分の負けだ。
負けた悔しさと、自分から敗北するという選択を取らずに済んだと安心したことに対する憤慨から、箒はその場から動けなかった。
「私の勝ちで構わんな?姉上?」
「あぁ。勝者、織斑一夏」
一夏の完全勝利宣言に観客たちは湧いた。
大声が剣道場の中で木霊する。