フリードとの連絡が途絶えてから半日が経過した。それはつまりフリードが何者かによって殺害されたことを意味しており、一誠は険しい表情でその背景について思考を巡らせる。交戦の末に敗れたか、不意打ちを受けたか、過程は一旦置いておく。
重要であるのは、彼を殺害した相手の正体だ。
真っ先に考えられるのは、やはり第三勢力だろう。というより現状で考えられるのはそれしかない。そして一誠達の手足を削ぐ目的でフリードを落としたのだとすれば、相手は相当のやり手である。
「情報が割れてるな」
オーフィスを傍らに座らせて、一誠は不愉快さを隠さずに言った。長く苦楽を共にした仲間を失ったことによる精神的ダメージもそうだが、メンバーを知られているということは潜伏先も特定されている可能性が高い。
「……やはり駄目でしたわ」
部屋に戻ってきたレイヴェルが、沈痛そうな顔で頭を振った。
「そうか、先に潰されていたか」
「どうしましょう。これではオーフィス様が……」
二人の視線の先には、腹を大きく膨らませたオーフィスがうたた寝をしている。無論、食べ過ぎでそうなったのではない。
オーフィスは、いよいよ出産を控えている。
身重となった彼女の護衛役を任されていたフリードとレイヴェルだったが、上述のように前者は殺され、実戦経験に乏しい後者だけでは不安が残る。また人手と施設に乏しいこのアジトは安全な出産場所とは言えない。
それ故に一誠は手を打っていたのだが、レイヴェルの反応からしてそれすらも潰されてしまったようだ。
レイヴェルが連絡していたのは、曹操ら元″英雄派″やソフィア達″魔法使い派″が運営する、北欧のとある片田舎に隠された孤児院だ。
曹操達とは彼らが″禍の団″を脱退する形で既に袂を別っているものの、オーフィスの出産に協力してもらえるように一誠は事前に頼み込んでおり、曹操側も赤ん坊の命を守る為にこれを承諾していた。
そして時期が来ればオーフィスとレイヴェルを孤児院に避難させ、一誠は陽動も兼ねて単独で戦争に挑み、その果てに戦死する算段だったのだ。
″禍の団″を乗っ取った事実上のテロの首謀者として。
新たな家族を守る為に。
ところが、最後の拠り所を一気に失ったことで、計画は頓挫してしまった。
「落ち着いてくださいまし。こうなれば善後策を練るしかありませんわ」
「……そう、だな。俺としたことが動揺しちまった。我ながら情けないぜ」
「いえ、気持ちは分かりますわ」
二人の声はどことなく震えていて、顔色は暗い。ヴァーリ達を失い、今また曹操達もとなれば、ショックを受けるのも当然だ。
尤も、テロリストの主犯として多くの事件を引き起こし、数えきれない程の命を奪ってきた一誠に、誰かの死を悲しむ資格はないのかもしれないが。
長い沈黙の後に、一誠は迷いながらも口を開く。
「……現魔王を頼ろうと思う」
一誠が口にした「現魔王」とは、ディハウザー・ベリアルのことを指す。
ディハウザーは今の悪魔勢力を率いる二大魔王の一角にして、冥界のトップでありながらテロリストに情報を流す内通者でもある。より厳密には、一誠の力添えで魔王に成り上がり、遂に旧上層部に復讐を果たした同志だ。
魔王自身が一誠の協力者なのだから、現在の冥界は″禍の団″の支配下に置かれているに等しく、オーフィス達を匿うこと自体は難しくない。
問題は、もう一人の魔王ロイガン・ベルフェゴールにある。
かつてヴァーリと交戦した際に、彼女は洗脳能力を受けているのだ。
「幸いにも術は解かれ、検査でも後遺症はなかったと聞いている。だが、果たしてそれは本当なのか。もしかすれば未だに洗脳下にあるのではないか。可能性を否定できない以上、迂闊に冥界に預けることもできん」
「難しいですわね。もし判断を見誤れば人質にされかねませんし……」
「ドライグ、産婦人科の知り合いはいるか?」
『無茶を言うな』
宿主の無茶振りに、翡翠の宝玉から溜め息が漏れた。中に宿るドライグだ。しかし彼にもオーフィス達を預かってくれる者に心当たりがない訳ではなかった。
″
五大龍王の中でも最強と謳われる実力者で、封印される前のドライグはティアマットとも面識があり、彼女からコレクションの宝具を借りるなど親しく付き合う仲であった。
因みに、封印された際に宝具を失くしてしまい、催促を恐れたドライグは宿主に干渉して逃走中の身である。
だが自身が歴代最高と評する相棒の妻のピンチとなれば隠しておく訳にもいかず、これまで隠していた宝具の件も含めて一誠にティアマットの詳細を語った。
『……という訳だ。彼女なら、同族のよしみで引き受けてくれるかもしれん』
「居場所は知ってるのか?」
『最後に会ったのは、″使い魔の森″と悪魔共が呼んでいる場所だ。その最奥にある泉がティアマットのお気に入りらしくてな。傍らの洞窟を別荘にしていると自慢していたのをよく覚えている』
覚えていた理由は、耳にタコができる程に自慢話をされたからだ。
「そうか、あのときザトゥージさんもそんなことを言ってたっけな……」
一誠は、寂しげに笑った。まるで遠い昔のように思えるが、オカルト研究部での活動の記憶は脳の片隅にこびりついたままだ。
『辛いことを思い出させてすまない。俺の配慮が足りなかった』
「構わんさ。それより早速、ティアマットの本拠地に乗り込むぞ。レイヴェルはオーフィスの護衛を頼む。分かっているとは思うが」
ご安心を、とレイヴェルは一礼した。
「オーフィス様と共に部屋に立て籠って、一誠様が戻られるまで全力で守り通すことを誓いますわ」
「悪い。すぐにティアマットを連れて戻ってくるから、それまで任せる」
かくして一誠は転移術式の光の中に消えていった。
使い魔の森でドラゴン達の激戦が繰り広げられていたことを、彼はまだ知らない。
▼
平和だった筈の森で、今また爆発音が鳴り響き、同時に木々の薙ぎ倒される音が幾つも重なる。特に森の最奥は爆撃に晒されたかのように焼け野原と化しており、美しかった自然は見る影もない。
その爆心地付近で、一体の青く美しいドラゴンが重傷を負って倒れていた。全身から血を流し、息も絶え絶えで、このままでは命すら危ういことは想像に難しくない。
そんなドラゴンを大勢で取り囲むのは、邪龍と吸血鬼で構成された異形の軍勢だ。
軍勢の中で一際巨大な体躯をした、巨人型の邪龍が嘲笑った。
『おいおい、どうしたどうしたぁ!? 五大龍王の筆頭ともあろうお前が地面に這いつくばって情けねえなあ! 今更ビビってんのかよ! それとも命乞いして油断させようって作戦かあ!?』
「……黙れっ! 黙れ黙れっ!」
青いドラゴンは懸命に半身を起こしながら、軍勢を睨む。吸血鬼の兵士達が剣を突きつけた先には、スライムやオークなど森の魔物達が目隠しと猿轡をされた状態で一列に並べられている。
即ち、人質だ。
魔物達を満足そうに眺めながら、リーダー格と思しき銀髪の壮年の男が言う。
「張り切るのは構わんけど殺したら駄目だぞー♪︎ ティアマットは捕らえて実験台にするんだからさあ! それにしても大勢でいきなり押し掛けてゴメンねえ? 計画の為にちょっと丈夫な母胎が欲しくって。えーと、一応聞くけど妊娠中とかじゃないよね?」
「ふざけるな……そんなくだらん計画に生命の神秘を利用するなど……許されるものかっ!」
「だって俺は悪魔だもん。命だってアメンボだって何でも利用するっての! うひゃひゃひゃ♪︎ あー、なんか面倒になってきたな」
下品な笑い声から一転、途端にテンションを落とした銀髪の男は、「人質殺すか」と気だるげに呟いた。
「……ま、待ってくれ」
途端に、ティアマットと呼ばれた青いドラゴンは目を見開くと、頭を垂れて弱々しい声で言う。
「……私は煮るなり焼くなり好きにしろ……どうか私の友だけは……」
「そうこなくっちゃな! 従順な母胎は長生きするぜ! んー、でも誰かさんに反抗的な態度を取られたしなあー。ちょっと誠意を見せてもらわんと信用できないよねえ?」
「……誠意、だと?」
「YES!! そうだねえ、うちのヴァレリーちゃんみたいに兵隊共に貸し与える訳にもいかないし」
謝罪会見かな、と銀髪の男は言った。
「悪いことしたら謝罪会見を開くべきだろ。俺達で動画サイトに投稿してやるからさ、歯向かってすいませんでした、って土下座して詫びたら許してやんよ!」
「そんな……っ!」
ドラゴンは誇りを重んじる種族であり、力の強い個体は特にその傾向が強い。例えるなら日本の武士に似て、生き恥を晒すなら名誉ある死を望む、といった価値観だ。ティアマットも例に漏れず誇りを重視しており、だからこそ男からの要求に思わず絶句した。
何せ、自分の痴態を世間に公開されてしまうのだ。
誇り高い彼女にとっては事実上の死刑宣告にも等しく、とても呑み込めない要求である。
だが断れば、その瞬間に人質は殺される。
「……分かった。要求を呑む」
究極の選択の末に、ティアマットは友の命を選んだ。
『ギャハハハ! これは傑作だ! あの五大龍王様が土下座とはなあ! ちょっと見ねえ間に随分と腑抜けちまったようだな!』
「後で首輪も嵌めろよ? これからお前はうちの大事な家畜として余生を過ごすんだからさ。それから謝罪会見ってことで」
「リゼヴィム様も相変わらず悪趣味なことで。しかし、それだと捕らえた魔法使い連中と同じ扱いになってしまいますよ。城を牧場にするおつもりですか?」
「あー、シンプルに忘れてたわ。そんなのまで覚えてるとは、ユーグリッドくんは真面目だねえ」
銀髪の男が、傍らに控える青年と何やら楽しそうに会話をしているが、ティアマットにはもう抗う気力すら残されていなかった。誇りの証である翼と角と、挙げ句に心までも折られて、どうして抗えるだろう。
悔しさのあまり、ティアマットは涙を浮かべた。さりとて自害すらも許されず、実験漬けの未来を悲観することしかできなかった。生まれて初めての経験だった。
──誰か、助けてくれ。
ティアマットは、祈った。これもまた彼女にとって初めてのことだ。
──誰でもいい。助けてくれ。
祈り続ける彼女の首に、リゼヴィムと呼ばれた男が鉄の枷を宛がった。内部に逃走防止の術式が搭載されており、これを嵌めた者が魔力を行使しようとした瞬間、それを感知して爆発する代物だ。
「ほーれ、大人しくしろよ? こいつぁ家畜の証明書みたいなもんだ! これを嵌めたらお前は家畜になるんだよ嬉しいだろ? うひゃひゃひゃ♪︎」
──誰か……。
果たして、願いは届いた。
「──胸糞悪いスカウトの手口だな。悪魔らしくて安心したぜ」
戦場に舞い降りた赤い煌めきは、今まさに枷を嵌められようとしていたティアマットを庇うようにして、リゼヴィムと対峙する。
「……おいおいおい、今日はクリスマスか、それとも正月か!? このタイミングでお前が現れるのかよ──兵藤一誠!!」
「誰だ、お前?」
「お初にお目にかかる。我が名はリゼヴィム・リヴァン・ルシファー。″禍の団″を討伐する為に正義の組織″クリフォト″を結成した単なる悪魔だ……なんちゃって!」
「……質問いいか?」
『倍加』の合図を響かせながら、一誠は訊ねる。
「お前がオーフィスを狙ってる黒幕か?」
「そうだ、と言ったら?」
それに対する返答は言うまでもない。
「──殺すに決まってんだろ」
「やってみろよ、バーカ!」
直後、赤と銀の魔力が衝突した。