FREE, HOPE AND OATH   作:夏野青菜

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 本編第四話、樹の歌のテストの話です。
 ここで、大赦側の動き、「鷲尾須美~」と「結城友奈~」の間の大赦の動きを妄想して見ました。


PART.3 EXCEPTIONAL ROUTINE WORK

 大赦研究室。

 大赦内でも、神樹を観測し、勇者システムを管理し、人類の仇敵バーテックスを研究し続ける大赦内組織の一つである。よって、人類の未来を守る為に、勇者の戦闘をバックアップするという重要な役割を担う。

 しかしながら、確かに、人類の為と言えば聞こえは良いだろう。だが、どの組織にも免れることが出来ない宿命がある。

 それは、派閥争いである。

 室長の椎名鈴子は、そんな大きな組織に起こりがちな、トラブルの渦中にいた。

 室長室の椅子に座りながら、頭を抱えたい衝動を堪えていた。

 そして、何度目かも分からないやり取りに、何度目かも分からない溜息を吐いた。

「一体、どういうことだ!?」

 彼女の前で居丈高となる、仮面の烏帽子の神官。不思議と、顔を見なくても、彼の感情が何を現わしているのか、分かってしまう位、うんざりしていた。

「何故、異邦人の力を研究しようとしないのだ!!」

「言った通りです。彼らとの協力関係が、我ら人類の存続に関わっています」

 そう、神官は異邦人の研究に躍起になっている。

「ふざけるな、バーテックスを倒す為に彼らの力が、必要と言ったのは、椎名室長本人では無いか、忘れたとは言わせないぞ!」

 椎名は、口に含んだ感情や不満を吐き捨てたい衝動に襲われるが、押し留める。

 そして、オブラートに包んで、

「力を“貸してもらう必要”があると言ったのです。あなた達の様に、異邦人を使って勇者を強力な兵器にするつもりはありません」

 神官は愚か三大老の言う、人類の救済。それは建前で、本当の目的は、大赦支配の盤石化だ。

 あの二年前の「瀬戸大橋跡地の合戦」。

 椎名にとって、忘れられないものとなっていた。

 彼女がかつて、学び舎で教えた子どもたちが世界を双肩に背負って戦ったのだ。

 この戦いに於いて、人類の仇敵、バーテックスの弱点が分かり、勇者システムも向上した。そして、勇者は大赦の名家が担う必要もなくなった。

 しかし、それらの代償は余りにも大きすぎた。

 彼女の“教え子”が命を落とした。人間としての生活を半ば否定させられた子もいる。そして、今も、障がいを負いながらも、勇者として戦わされているというのも知っている。更に、勇者が四国全土の思春期を迎えた少女の身体検査も行い、全児童のデータも保管していることも。

 そして、最悪なことに、

「どれだけ勇者システムが変わっても、バーテックスの弱点が分かっても、あなたたち神官と乃木家を中心とした三大老が、未だ大赦の中枢にいる。異邦人たちが、警戒するのもよく分かります」

 椎名は、生理的嫌悪感を隠そうとせずに言った。

 勇者は全国から、適正値で選ばれても、結局、“瀬戸大橋の合戦”で活躍した三名家と神官の“私兵”であることには変わらなかった。そして、それに気付いた勘の良い家族が、子供を逃がそうとして、大赦警備隊に命を奪われた。

「そして、大赦警備隊を使って、体よく異邦人を“訓練”と称して、叩きのめそうとしたら、“返り討ち”に遭われましたね」

 6月12日に、大赦上層部は、警備隊にある訓練を行わせた。

 それは、大赦警備隊の新装備及び新兵器の稼働テスト。これらは、大赦に叛意を持つ勇者や“能力者”を想定したものだ。そして、それらの武装は何処から提供されたか?

「それも私たち研究室の、兵器開発部門の新装備と開発中止された兵器を、あなた方が勝手に持ち出して、勝手に負けて泣き言を持ちだして来ましたね。今度は、あなた方自慢の“勇者”を持ち出しますか? どの様に、彼女が答えるか楽しみです」

 椎名は、自分の頭に嘲りの言葉しか浮かばないのが、本当におかしかった。

 警備隊の新装備は主に二つ――“玉依”と“応神”である。

 “玉依”は、長宗我部に向けて作られた武器である。霊的エネルギーを充填することで、刃を付与又は同エネルギーの銃弾を放つことが出来る。

 次に、“応神”は厳密に言うと武器では無いが、霊的エネルギーを使った強化装甲である。ギブスと特別繊維のタイツに霊的エネルギーを流すことで、上半身を膨張させる。これは、集団戦を念頭に置いて作られた物だ。

 しかし、これらの装備の弱点は、霊的エネルギーのバッテリーパックである。精密機器である為、接触の少ない背後に付ける必要があったのだ。必然的にそこを避けるので、それを、異邦人のソルとカイに弱点として見破られ破壊された。

 最後に、彼らの持ち出した兵器は、霊的結界 試作型の“金剛鎖”。これは、一定の範囲内にある対象の霊的エネルギーを探知し、機動力を抑える兵器である。本来、多人数制圧型であるが、拘束用の霊的エネルギーを“常時”提供出来なければ、ただのガラクタである。必然的に、“霊的エネルギー”の強い人間が必要になる。そこで、白羽の矢が立ったのが、西園寺姉妹である。神樹による神の統一が行われた時、それに反発したのが西園寺一族である。だが、その力の大きさに目を付けた、大赦は姉妹を取り上げ、家族を離散させた。

 “金剛鎖”は、讃州市の港湾跡地に持ち込まれたそうだが、それが返ってきていないどころか、ソル達の側から説明できる“雷”の所為で“部品の回収”が困難な状態となっていた。

 椎名の研究室の兵器開発部門も、その対応に追われていた。警備隊の戦闘から得られたフィードバックは、能力者を前にしても、ガラクタにしかならなかったということであった。余りにも、ソル、カイ、シンの三名の力が規格外過ぎ、勇者を対象とした強化及び勇者システムの“隠蔽”に費やし過ぎたことの手痛い代償を支払うこととなった。

 神官たちは、ソル達の鼻を明かそうとする余り、見事、墓穴を掘った結果に終わったのだ。

 そして、先の椎名の言葉も合わさり、ぐうの音も出せなくなった、神官は俯き加減となるが、

「これ以上言うと、利敵行為と見做しますよ、椎名室長。あなたが、ある“団体”と会っているのは分かっているのですよ?」

 最後の抵抗と言わんばかりに、絞り出す。

 しかし、

「なら、その団体をご自慢の警備隊や勇者で黙らせてみたらどうです? 流石に、そんなことが出来る程、あなた方に勇気や責任があるとは思えませんが?」

 椎名も引くつもりは無かった。

 大赦に、疑義を持つ組織は一つでは無い。その求心力を保つために、彼らはそう言った組織を葬ってきたが、どうしても手を出せないのが一つだけある。それは、複合的な要因が重なり、上層部も揺るがしかねない醜聞となっていて、容易に手が出せない。その為、三大老や神官集は黙認せざるを得ないのである。

 神官は、捨て台詞を吐いて、室長室を後にする。

 漸く、静かな朝を迎えることが出来、椎名は背伸びを行う。目を覚ます為に、机の上のすっかり冷めた珈琲を口にし、改めて溜息をついた。

「大赦は…変わったわ」

 椎名は、室長室の棚にある写真を見て呟いた。

 デジタル写真に写るのは、三人の少女たち。そして、彼女たちの後ろに立つ自分。

 かつて、神樹館小学校の教師として、「勇者」をサポートしていた時の思い出である。もうあれから二年になるのだ。彼女たちと戦うことは、人類の為になっていると感じることの出来た、希望に満ちていたときのことである。

 だが、勇者が一人死んだことで、大きく変わっていった。

 勇者システムに取り付けられた精霊は、勇者を死なせることがなくなった。満開により、新たな精霊も追加され、戦力増強も可能である。

 だが、人間の本質は変わらない。力への渇望は、欲望を生み出す。力、特に権力は腐敗する。絶対的に。

 大赦は、瀬戸大橋跡地の合戦で、活躍した勇者の内、一人を所有している。目的は、讃州市の勇者に不測の事態が起きた時の督戦隊として。しかし、どんな美辞麗句を言っても、彼女を擁することが、大赦での影響力を左右させるという事実に変わりは無かった。

  それに加え、椎名鈴子が、大赦への疑念を決定付けたのは、勇者の所有だけではなかった。

  バーテックスの出現周期である。神樹館で勇者を補助していた時に現れた数は、6ヶ月で10体。概ね、20日に一体である。しかし、今回、「連日」で現れた。異例とも言える事態だが、彼女はこの予兆とも言える出来事があったのを覚えていた。

  それは、彼女の上司の行った勇者システムと神樹の結界についての調査である。

  神樹の結界は、バーテックスから守る為にある。しかし、強固にしすぎた場合、中で暮らす人間たちに悪影響が出る。だから、わざと弱い部分を作り、バーテックスを樹海に入れる。それを勇者が撃退する。

  しかし、大橋の戦後の影響を調査した結果、樹海の回復速度が遅くなっていた。精霊を採用してからである。これを調査した上司は、原因不明の事故でこの世を去った。それから、大赦研究室の人事刷新が行われ、大赦の神官よりの人事の中で、椎名は室長となった。

  口止めと追認させる為の作為的な人事である。この時、大赦は神官派と研究室の二つに分かれていたことを知った。そして、重要な情報が彼女ではなく、巫女から「神官」に伝えられて、自分が解読という名の「追認」という形で行われることとなった。

  それ以来、彼女は自分の無力を呪った。上司だけではなく、彼女の教え子たちも、大赦のすることを見ていただけではないか。そうして、自分で自分を叱責する日々。

  しかし、ある時変化が訪れる。ソル、カイ、シンの異邦人の召喚。彼女は、彼らを庇う為に、動いた。彼らを、自分の贖罪の為に利用しているのは分かっている。その罰も甘んじて受けようと思った。

  子どもに対して、あの時、何も出来なかった大人としての責務を果たせるなら。

 ――三人で勇者、そうよね乃木さん?

  彼女の視線は、机の上にばら撒かれた資料や写真に移動する。その中の一枚、彼女は写真中の異邦人。赤き戦士、ソル=バッドガイを見据えていた。彼だけでなく、カイとシンのキスク兄弟、彼らから、あの時の勇者達と同じ何かを感じていた。

 

  ソル=バッドガイは、頭を抱えていた。

  それは、今、何がどうなっているのかが、分からない。何が分からないかは、「どうして」かが分からない。そして、その「どうして」を考えると、大抵、行き着く問いがある。「何時」、「誰」、「何処」の3つだ。

  これらをまとめていると、こうだ。

  何時かは、神世紀300年、六月末の放課後だ。

  誰かはソルを除くと、カイ、シン、そして…勇者部5人組である。彼は、彼女たちを一括りで纏めることにした。

  何処か…それが、難題だ。何故なら、その切っ掛けを五人組が覚えているのかが、かなり怪しいのだ。

「ソルさん…食べますか?」

 そこで、向かいの席に座る、勇者部部員の樹が、チョコで包まれたプレッツェル菓子を差し出してくる。その笑みは、何処か引き攣って見えるのは、こちらの心境を読んでくれているのだろうか?

 一応、袋から一本取り出して、礼を言う。そして、齧る。こういうのは、程よい歯応えの音が鳴る物だが、それは叶わなかった。

 何故なら、

 

 ~Edelweiss, Edelweiss~

 

 そう、マイクで増幅された歌声に遮られる。二人の男性。バスと言うよりは、アルトの二重奏。その主は、ソルの良く知る…もとい、腐れ縁二人だった。ケミカルで、カラフルな明かりに包まれ、ノリノリで歌う、連王カイ=キスク。そして、嫌々ながらその息子、シンが続く。

 二人の合唱に、東郷、友奈、そして、風が笑顔で合いの手を入れている。夏凜は、やれやれという顔をして見ていた。ソルは、初めて、そんな夏凜に愛着を感じた気がした。

 キスク親子のエーデルワイスが終わると、背後で得点が表示される。

 80点。中々、得点が高い。

「お…得点が高いじゃねえか。そろそろ、オレは抜けるわ」

「いえ…シン。次は、高得点を目指しますよ」

 カイは、初めてのカラオケに見事にハマってしまった。シンも初めは、楽しく歌っていたが、カイの熱意という毒に当てられたのか、終わってから、距離を離す…いや、逃げようとしている。友奈たちもその様子を見て、楽しんでいた。

 カイ自体、向上心が高いと同時に、勝負にこだわるという性格を忘れていた。そうでなければ、聖騎士団の時代からソルとの勝負を聖戦後までこだわるという芸当が出来る筈も無い。

 ソルは、取り敢えず、制限時間になる前に、

「お前ら…何で、カラオケに来たのか忘れてねえだろうな?」

 樹を除いた、勇者部部員とカラオケに嵌った22世紀の連王に、釘を刺すつもりで言った。

 問われて、風は冷や汗を掻きながら、曖昧な笑みを浮かべる。友奈も風を見て、同じ様な笑みを浮かべる。そして、何故かカイも冷や汗を掻き始める。

――何で、テメェまでやるんだよ、不良王?

 ソルが頭の中でぼやくと、シンもカイに向けて、白い目を向ける。

 そう、ソル、カイ、シンが勇者部とカラオケに行くことになった発端。それは、犬吠埼樹である。

 彼女に歌のテストが迫っていた。しかし、自信が無かったので、彼女の歌のテスト合格させることが、勇者部の仕事となった。

 そして、友奈曰く「習うより慣れろ」と言わんばかりに、提案した場所がカラオケボックスである。

 教師が放課後に児童とカラオケに行くのは、問題ないのかとソルは考えていた。

 しかし、カイは、

「コミュニケーションが取れていません。夏凜さんが加わってから、勇者部の活動に忙殺されて、かめやに行く暇もありません。こういった娯楽も必要だと思いますよ?」

 確かに、勇者部の活動は忙しくなっていった。

 マラソン大会の運営の手伝い、堆肥作りに花壇の手入れ。そして、節電対策のマスコット作り。後者に関しては、色々賛否両論を呼ぶことになった。

「みんな…節電のマスコットは良いのだけど、何でエネルギーを放っているものばかりなの?」

 東郷が冷静にツッコんだ結果、確かにボツとなる物が多かった。

 ソルたちもマスコットを作った。だが、ソルのは、機械で炎や蒸気機関をモチーフ。カイやシンは、雷を中心にしたもの。

 成程、これは疑問を持たれてもしょうがない。

 忙しさが必ずしも、仕事の出来に比例するとは限らないこともある。だから、カイの提案にソルは渋々同意した。

 加えて、ソル、カイ、シンは一週間前の大赦警備隊からの襲撃で、昂っていた部分を抑えるのに、勇者部の活動に打ち込んだが、マスコットの失態を繰り返しては信用問題が発生する。一念発起としようと思ったが、

「最後に樹がマイクを握ったのは?」

 ソルがジロリと睨みつけると友奈、風、カイの眼が泳ぎ始める。

――だから、何で、テメェが目を泳がせてんだよ…不良王?

 カイの動作に、シンも白い目を向ける。

 歌った順は、風、友奈と夏凜、カイとシン、樹、ソル。そして、さっきのエーデルワイスでカイとシンが二回目である。

 カイの回数からも分かる様に、彼はカラオケが初めてである。そして、息子のシンも。

 そういう意味で言えば、今回のカイがカラオケに行こうと言う案は、実はカラオケに行きたかっただけじゃないのかと、ソルは勘繰りたくなった。

「私、みんなと歌えて楽しいですよ」

 樹が笑顔で言うが、

「楽しめてもテストが悪かったら、元も子もないだろ?」

 ソルは溜息を吐いて、アイスコーヒーをストローで一口。

「樹は、1人で歌うとカタくなっちゃうんですよね」

「見られていると思うと…」

 風が惜しそうに言って、樹が更に小さくなる。

「なら、尚更慣れる為に、誰かと一緒でマイクに触れる必要があるじゃねぇか。時間も限られているんだ。カイとシンは、暫く歌うな」

  シンがソルの一言に安堵して、机の菓子を食べようとする。だが、菓子の殆どが友奈の精霊の牛鬼に食べられていたので、怒りを露わにして捕まえようとする。しかし、彼の動きを見て、牛鬼は軽やかに避けて、追跡劇が始まった。

 カイは樹のテストという優先順位を思い出して、下がる。しかし、彼の視線は、得点板に釘付けとなっていた。

――暫く、カラオケはカイの前では禁句だな。

 ソルは溜息を吐くと、次の曲が流れ始めた。

「私の曲です」

 東郷が声を上げたので、

「おい、樹。東郷と一緒に――!」

  そう言うソルの耳に、太鼓とラッパの音が轟いた。

  友奈、風、樹が起立して、直立不動。右手で敬礼をし、視線を真っ直ぐ見つめる。

  ソルは、何事かと目を見張り、周囲を見ると、カイと夏凜も驚いて、言葉を失っていた。

 

 ~~我ら、古今無双~御国を~守る為に~

 

 車椅子の上、ハスキーな声で歌い始める、東郷。

 言葉の違いで、初めは分からなかったが、ソルは彼女の歌が“軍歌”であることに気付いた。歌詞の違いはどうでも良かったが、夏凜を除いた勇者部の隣に同じく、直立不動で立つ者に、理解が追い付かなかった。

「…シン!?」

 カイが、凛々しくも何処か引き攣った顔で敬礼をしている息子を見て、驚いていた。

 夏凜は、東郷の軍歌の流れる間、英霊を思って凛々しく豹変した部員たちに言葉を失ったようだ。

 歌が終わり、東郷を除いた部員が着席すると、友奈がソル達の視線に気づく。

「東郷さんが歌う時は、いつもあれをやるんですよ」

 夏凜が友奈の回答に、曖昧に相槌を打つ。

 しかし、問題はそこではない。

「シン…あなた、何時敬礼を覚えたのですか…?」

 カイが、小刻みに震えるシンに、疑問を投げかけるが、

「…トウゴウが歴史の勉強をする時、“身に入るから”って、これを流して。そうしたら、頭の中にグロリアスでパトリオチックな“敬礼”が、いきなり…浮かんで…」

 シンは、震えながら答える。

 ソルは、シンの変貌に対して、カイと目を合わせた。

 二人は恐らく、同じ考えに達した。

「ヤキが回ったな...」

 掛け算が出来たが、シンの育児について別の懸念事項が、ソルの前に浮かんだ瞬間だった。

 呆然としたカイを横目に頭を抱えていると、ポケットから振動が伝わってきた。大赦から提供された携帯端末のロック画面にメールの着信が告げられていた。

「オヤジもか?」

 シンが液晶画面を突き出して言う。カイもソルに向けて、頷いて返す。

 同時期に、三人に同じ内容のメールが来た様だ。

 友奈が樹に、デュエットをしようと誘っているところに、ソル達は、断ってブースを出た。

 すると、風もソルに続いて、部屋を出る。

 彼女は、彼らに頭を下げて、別方向に向かう。

 関係ないと考えて、ソルは踵を返した。ただ、夏凜の視線が風の後を追っているのが、彼の目に留まった。

 

「つうかよ、何で駐車場なんだよ?」

 ソルたちがメールで指定された場所は、カラオケボックスの横の駐車場。

 昼間からカラオケボックスを利用している客は、学生が中心なのか、車の数は全くない。

 シンは、そんな閑散とした場所に、カラオケを楽しんでいた最中に呼ばれたので、不機嫌さを隠そうとしない。

「確か、”話したい”ことがあるとメールに書かれていましたね」

 カイが端末を取り出して、液晶を見る。

 三人に送られたメールは、至急話したいことがあると書かれていた。

 ドメインは大赦であることは、前にソルに送られたのと同じパターンである。

 ソルとカイの本当の素性を、神世紀にいる中で、唯一知っている送信者のものからだ。

「でも、いないじゃねえか!?」

 シンはオーバーに両腕を広げて、声を大きくして言う。

「つうか、見回しても何もねえよ…いるとしたら、鴉だけだよ!!」

 彼の右一指し指の先にいるのは、何処からともなく、飛んできた鴉が一羽。

 ソルは、頭を抱えたが、シンの一言に、ふと思い出した。

 メールが最初に送られた時に、ソルを見た鴉が一羽いたことに。

 彼が、ふと鴉に目を向けた。

「どうも、ご無沙汰しています。背徳の炎さん、連王様」

 ソルたちは、驚いた。鴉が喋ったことではない。その内容と声。

「お前は、あのヴェールの!!」

 そう、シンが言う様に、彼らが大赦に連行された時に聞いた声。

 神官集、三大老という大赦中枢の木乃伊、その向こうにいた何か。

 そして、ソルとシンの苗字を、知っていた者にして、彼らの命を救ったもの。

「テメェ...何で、俺らのことを知っている? それと、イリュリアに今、何が起きている? いや、テメェには聞きたいことが山ほどある。答えてもらうぞ、糞鴉?」

 ソルは、ワームホールからジャンクヤードドッグを取り出そうとするが、

「待ちなさい、ソル!」

 カイが静止する。

「彼女のメールを忘れないでください。話したいことがある。それを聞いてからでも、遅くはありません」

 カイの落ち着いた声には、何処か剣のような鋭利さがあった。

 ソルは、カイの中にある静かな怒りを感じ、法力を止めた。

「なら、すぐに話せ」

 肩を竦めて、ソルが促した。

「まず、ごめんなさい。大赦の大人達を止められなくて」

 鴉から流れた第一声が、それだった。恐らく、大赦警備隊の襲撃についてだろう。

 あれから、ソルたちは警察関係者に隊長の三好春信の名前を出し、アパートに帰ることが出来た。そして、港湾跡地の戦闘は「観測史上初の最大規模の突風」ということにされた。

 勇者部もバーテックスの戦いの影響かと言っていたが、ソル達は適当に話を合わせて終わった。

「大赦は、あなた達を恐れ、世界を破滅に追い込むと考えているんです。神官は、勇者を所持することで、権力を維持したい。三大老は、家柄を傷付けたくない。権力を維持したい人たちと彼らに疑問を持つ人たちが争っているの」

 鴉から出る声に、ソルは訝しげな顔をする。

「私たちは、二つの大赦の間に立たされているということですね」

 カイの言葉は、神官と三大老という保守派と椎名を中心とする研究室の改革派を指しているのだろう。これで、ソル達の味方となるのが確定した。だが、問題が一つ。

「じゃあ、警備隊は敵なのか?」

 シンは、今にも鴉に飛び掛かりそうに言うと、

「大赦警備隊は、基本的に神官たちとの立場は対等だったけど、二年前から変わってしまったの」

――二年前、確か「瀬戸大橋跡地の合戦」か?

 そういえば、警備隊との戦いの状況を整理した時、河野という斧使いが、過去、勇者適正値の計測を拒んだ親子を殺したというのをカイから聞いた。更に言うと、長宗我部 信方は、大赦上層部を蛇蝎の如く嫌い、春信と対等に接しているかのようだった。

 警備隊隊長の三好春信は、夏凜が勇者になっているので、神官たちに従わざるを得ない。そして、長宗我部の様な男が隊長に近い地位にいると言うことは、上層部とは険悪と言える。 

 だが、

――俺らを許せんだろうな。

 武闘派である為、恐らく「借りを返すまで」襲い掛かって来るだろう。実質、警備隊と神官の二派がソル達の振りかかる火の粉である。

 ソルは考えてから、

「なら、讃州中学の勇者部は?」

「勇者たちは、神官によって選ばれるの。そして、大赦研究室が、戦闘の補助として勇者システムの管理を行うの。今回の5人目の勇者は、神官が4人を監視する為に送ったみたい」

 夏凜は、組織で言うと、本部からの監督ということになる。ということは、彼女は、ソル達と険悪な神官たちと繋がっている可能性が高い。よく考えると、あそこまでソル達の大赦の扱いについて、簡潔に言えるのだ。夏凜の勇者の監視には、ある程度、ソル達についての情報も含まれている筈である。

「“完成型勇者”とはよく言う…なら、勇者と戦うことになるな」

 恐らく、勇者もある程度、いるはずである。それこそ、小隊を作れるくらい。それに、友奈たちを加えたら、下手な軍隊よりもタチが悪い。指揮系統や戦力はGEARに劣るだろうが、後味が悪い結果になる。特に、シンと勇者部を中心に。

「させない。わ…いや、讃州中学勇者部と、あなた達は戦わせない。彼女たちに人殺しはさせないよ、絶対に」

 何処か、限界まで研いだ剣の鋭さの様な澄んだ声が、ソルの意見を拒絶する。

「話したいことはそれだけでしょうか?」

 カイが鴉に話しかける。その口調は、何処か急いている。

 その気持ち自体、ソルも良く分かった。

「七つの星が降って来る」

 唐突な言葉に、呆気にとられるソル達三人。

「総攻撃が起きる」

「何だよ、いきなり」

 鴉の声を訝しんだシンに、カイがハッとする。

「バーテックスですか!?」

 そういえば、バーテックスの名前は、黄道十二宮の星座から来ていた。その内、5体は滅ぼした。残りは7体である。

「それだけか?」

 ソルが冷徹に言うと、鴉は黙る。

「良いか、俺らは今、大赦に雇われている賞金稼ぎだ。報酬と身分の保障がある限り、何が来ようが戦ってやる。俺らが知りたいのはな…俺らの世界で今、起きていることだ」

 ソル達の報酬は、元の世界に帰れることである。

 イリュリア連王国は世界の中心だ。もし、夢の通りなら何らかの法力の力が、そこで働いている。だが、それで何の混乱も無いと言うのは疑問がある。もし、イリュリアを停止させる規模のそれが働くなら、それこそ、ジャスティスの意思を継いだ自立型GEARのディズィーが発見され、全世界から賞金首にされたものに匹敵する騒ぎが生じている筈だ。

 あの時はGEARの所有を巡った、列強の軍事的勢力均衡が争点だったが、今回はそれだけでなく、経済、金融、そして、外交も絡む。国連加盟国、独立自治領のツェップはおろか、アサシン組織に傭兵ギルドも笑顔で見逃す筈が無い。

「私は、神樹様の“風景”を伝えているだけだよ。そして、神樹様があなた達の名前や、素性も教えてくれたの。ただ、神樹様はあなた達の“世界”で何も起きない様にしているとしか言えない。説明したいのだけど、使える精霊が限られていて…これしか言えないの。重ねて、ごめんなさい」

 余りにも、荒唐無稽だった。

 仮に、夢の通り、時間に干渉出来るのなら、それこそ大混乱である。

 ソルの知る限り、時間に干渉出来るのは“あの男”の側近のイノか、20世紀の英国人、アクセル=ロウ位しかいない。ただ、それでも時間停止ではなく、時間旅行が関の山である。最も、アクセル=ロウの場合、時間移動させられているのだが。

 それに、バックヤードが反応しないと言うのも、やはりおかしい。

「神樹が、何らかの形で俺らの世界に干渉している…その限り、俺たちが懸念することも起きない。そう考えて良いと言うことか?」

 ソルは、強引に纏めると、鴉から肯定の返事が来た。

 だが、彼女の言葉の中に、ソルは聞き捨てならないものを思い出した。

「それと、さっき精霊と言ったが…テメェも、勇者か?」

 ヴェールの声を伝える鴉の唐突な告白の内容に、カイとシンが警戒に入る。讃州中学勇者部と、自分たちを敵対させないことは、確約した。しかし、神官たちはそうではない。友奈たち以外の勇者が彼らの管理下にある以上、確実に、何人かは牙をこちらに向いてくる。目の前の鴉を通して、会話をしている者もその中にいる筈である。

 しかし、ソルは不自然に思って、

「なら、何故俺らを助ける様な真似をする?」

「他の勇者はどう考えているか分からないけど、あなた達には死んでほしくないんだ…私たちと似た境遇の、あなた達には…」

「どういうことだ?」 

 ソルの問いに、鴉は答えないが一言。

「ごめんなさい。私は立場上、あなたたちと長く話すことが出来ないの。でも、これだけ」

 鴉はソル達の前で、

「彼女たちに満開を使わせないで」

「満開!?」

 カイが反応すると、鴉は光を放ちながら消えて行く。シンが、捕まえようとすると霧散、空を抱く。

「結局、何が言いたかったんだよ!?」

 シンが晴天下で叫ぶ。

「ただ、収穫はありましたね」

 カイの言葉に、ソルは頷いた。

「大赦での俺らの味方になり得る派閥、バーテックスの襲来、イリュリアは安全であること、メールの送信者。後は…」

 カイとシンが、彼に目を向ける。

「満開は、手痛い代償を支払う」

 

 翌日の放課後、家庭科準備室にいるソル達と勇者部の前に、膨大なプラスチック容器が、並べられた。

「喉に良いサプリを持って来てあげたわよ」

 容器のラベルをよく見ると、アミノ酸やコエンザイムなど、21世紀を生きたソルでも、把握しきれない量のサプリメントである。しかも、夏凜はそれを全部説明している。だが、何より、シンが驚いたのは、

「リンゴ酢にオリーブオイル、カリン…イツキに料理でも作るのか?」

 そう、プラスチック容器の群れから、突き出ている二本の瓶。それぞれリンゴ酢やオリーブオイルと書かれたラベルが貼られている。

「調理するなら、まだ”マシ”かもな」

 ソルは、机を占領する容器と瓶から、悪い予感を感じ頭を抱えた。たしかに、ソルの世界でもオリーブオイルやリンゴ酢を直に口に入れる者はいる。それでも、スプーン一杯やコップ一杯だが、

「樹、これを全部飲むのよ」

 ソルの予感が的中し、更に頭痛が酷くなった。

 樹が微かに、引き攣りながら戸惑う。その顔には、好意を無碍にしたくないと思う反面、得体の知れないモノを避けたい本能が相克している様が垣間見える。

 ソル達は、大赦を知る鴉と会話を終え、友奈たちと合流をした。しかし、結局、樹のテスト対策の方針は、練習に留まることとなった。ただ部員は、対策を考えるなとも言われなかったので、各々の自由課題となった。だが、その日、東郷がα波に拘り、変なことを考えそうだったので、ソル達は先手を打とうと考えていた。しかし、彼らが準備し、発表しようとした矢先に、夏凜である。

——まさか、違ったベクトルでアレとは。

 確かに、夏凜は前とは見違える程、勇者部への態度を軟化させた。清掃ボランティアにも参加し、その従事に専念している。それに、部活の助っ人も好評だ。友奈、風に夏凜と言う、運動部系は、活動の幅が広がっていった。

 しかし、清掃ボランティアでゴミを「駆逐」すると独特の言い回しは未だしも、運動部の助っ人のスポーツチャンバラでは、友奈共々大暴れしたらしい。ソルとカイは、彼女がいつかやらかすのではと考えていた。

 それに、夏凜について最近、発見したことがある。

「全種類って多過ぎじゃ!? それ、夏凜でも無理でしょ!? いくら夏凜さんだってねえ…」

「良いわ、お手本見せてあげるわよ!」

 風の言葉に、夏凜は顔を赤くして、手元のサプリメントの蓋を開ける。間髪入れずに、中身を全部彼女の口に放り込んだ。見る見るうちに机のサプリメントの容器を開けていく。

 そう、夏凜と風の相性は、絶望的なまでに悪い。

 二人は、大赦という繋がりがあるが、 喩えるなら夏凜が本部の官僚なら、風は現場の叩き上げ将校である。それに、5体目のバーテックスを倒した時の、お互いの第一印象から致命的だ。加えて、夏凜の沸点は、シンに匹敵する低さだ。

 煽られた彼女をソル達と勇者部は、見守った。

 夏凜は、ソル達の懸念を他所に、サプリメントを全部飲むと、次に入れたのはリンゴ酢だ。ラッパ飲みで、瓶内の液体が、彼女の喉に流し込まれる。それを空けたら、間髪入れずにオリーブオイルに取り掛かる。

 ソルは苦虫を噛み潰した様な顔を作った。

 隣のカイは、口を少し開き、右手を抑えながら、固唾を飲んでいる。

 シンは、口を閉じてただ、青い顔となっている。

 友奈は、怯えながらも何時でも駆け寄れる様に構え、東郷も車椅子の左右の車輪に手を置いている。そして、風は口の端引き攣らせ、樹の口元が震えている。

「どうよ!?」

 全て飲み干した、夏凜は全員の前で、勝ち誇って言う。

 だが、彼女の勝利宣言は、長く続かなかった。その後、顔が赤から青に変わる。暴飲暴食したものが喉を逆流してきたようで、両手を抑えて、友奈が問いかけるよりも速く移動して、部室を後にする。

 嵐の様な夏凜の後ろ姿を見送り、頭を抱えたソルは、

「シン…吐きたいなら、行って来い」

 眼帯の青年は、夏凜の悪食に当てられて、後に続くようにトイレへ向かう。シン自体、食欲を誇る程、舌に肥えている。夏凜のサプリ一気飲みで嫌な味がフィードバックされたのだろう。

「さて…夏凜とアホのシンが帰って来るまでに、テスト対策の準備をするぞ」

 ソルは、カイに合図をして、ホワイトボードを夏凜が抜けた勇者部の前に置いた。

「あくまで、風の言った様に、“練習”しかない。だが、目標無く練習するのは意味が無い。そこでだ、お前の心の中にあるテストへの不安をこの際、吐き出して貰う」

 ソルはホワイトボードの前に立ち、青のマーカーを左手に持つ。

「…吐き出してもらう?」

 風がソルの言葉から物騒な雰囲気を感じ、樹を守ろうとする。

 そして、友奈と東郷も気まずい顔をし始めると、

「ソル…夏凛さんとシンのアレもあるのだから、本当に言葉を選んでください」

 カイの指摘に、ソルは気まずそうに頭を掻きながら、ホワイトボードの正面の椅子へ、樹を座らせた。

「今からやるのは、ブレインストーミングの一種だ。制限時間を設けて、そのテーマに関係し、思い浮かんだ言葉を出来る限り話せ。何でも良い。準備が出来たら、何時でも始める」

 意外なことかもしれないが、人間は不安に思っていても、問題を解決するのに必要な手段を自覚しているのだ。しかし、それに対する障害を言葉に出来ないので、解決が遅れる。そこで、人間は心の不安を誰かに聞いてもらうと、安心するのだ。そうして「不安」等自分に去来するものを自覚が出来、その解消にベクトルを向けることが可能となるのだ。

「それと、今回初めてやるから、時間を見ながらやる。まず、2分。出し切っていないと感じるなら、休憩を挟んでもう2分。大体、大学の記述式試験はテーマを読んで、その時間内に考えて書く。準備は良いか?」

「はい!!」

 樹が気合を入れると、

「待て、これは一応“リラックス”してやるものだ。落ち着かせろ」

 ソルに言われて、焦りながらも深呼吸をする樹。

 彼が、再度聞いて、彼女が首肯するとカイに右手で合図を送る。

 樹が口を開けると、ソルはホワイトボードに彼女の言葉を書き出していった。彼の手で、ホワイトボードの半分が文字で埋まっていく。スペースが無くなれば、文字を小さく。関連性がある単語は、矢印でつなげる。そして、足を使って左右に機敏と動かしていった。

 樹は始めの方では、言葉が詰まっていたが、段々とはっきりだしていった。

「2分です!」

 カイの合図で、ソルが、ボードの左端に立つ。樹に目を向けると、仄かに頬を赤くして、肩で息をしている。

 白いボードに、樹の胸中に浮かんだ不安が書き連ねられていた。

 文字は、「歌えない」に始まり、「上手くない」、「恥ずかしい」、「間違えたくない」とも。

「そういうことか…」

 風が内容を見て頷いた。東郷も納得した。

「風と東郷は分かったようだな」

 友奈と樹が、疑問符を頭に浮かべる。

「カイ、音楽の教師にテストの評価のポイントについて訊いたな?」

 ソルがカイに話題を振ると、

「はい。彼女によると歌詞を覚え、メロディに合わせられることです。そして、今までの学んだ理論の範囲内での歌唱力も見る、とのことです。樹さんは、授業を欠かしたことは無く、特別必要なことは無いので、この点はクリアされています」

 そう、今日の練習の為に、カイとシンには準備を3つ手伝ってもらった。その内の二つは、ホワイトボード、テストの評価項目の再確認だ。

「…どういうことですか?」

 樹が疑問を恐る恐る口に出す。

「歌の上手い下手じゃないのよ」

 そしてソルは、風の言葉に従い、黒板の文字の歌の出来に関する言葉に、青い線を入れていく。

「テストはあくまで”やった範囲”しか出ない」

 ソルが言うと、東郷が、

「ということは、皆は同じ土俵に立っている」

 そして、消して行くのは、恥ずかしさの部分。

「だから、巧さも人の目も気にする必要は無い」

 ソルの言葉に、友奈がハッと気付く。

「必要なのは…」

「歌詞を覚えること、そして、音に合わせられること」

 ソルが締めくくった。

「端的に言えば、歌の試験は、ある種のプレゼンだ」

 樹が戸惑う。

「実は、音楽の試験から、歌うことへの苦手意識を覚えることが多いそうです」

「子どもの頃は、集団で好きなように歌う。しかも、それがフォローなくいきなり、個人になり、一気に優劣を意識させられたら、無理もない」

 戸惑った樹へ、カイとソルが解説を行う。そして、ソルは、

「テスト勉強をする上で、この二つの点を重視していく」

「敵を知り己を知れば、百戦危うからず、ですね?」

 風の言葉にソルが頷くと、カイから何かを受け取り、

「ということで、シン!!」

 何かをシンに向けて放り投げる。

 扉を開け、溜息を吐きながら真っ青な顔をしたシン。彼は、目の前に飛び込んできたそれに驚きながらも受け取ると、

「いきなり、何だよ。オヤジ!?」

「国語と音楽の授業だ」

 ソルがシンに向けて投げたのは、音楽の教科書。

 ソルは、彼女に親指を向けて、彼へ加わる様に言った。

 これが、三つ目のテスト対策。シンと一緒に歌の練習である。

「ふざけて、時間を停滞させると…分かるな?」

 彼の睨みに、シンが渋々と、カイと勇者部に加わる。

 それから、夏凜が続いて、部室に入って来る。これまた、シンと同じ顔色で入って来る。

「…サプリは一つか二つで十分ね」

 ソルは心で、「当たり前だ」と呟き、樹の好みに合うサプリメントを選んで始めろと言った。

 それから、準備したものの三つ目をソルは机に置いて、

「良いか…歌詞を読んで、覚えていく。それから、音に合わせて歌う。この二つを一日にこなせ。無理だと感じたら、不安と感じるところを優先しろ」

 キーボードを袋から出しながら言う。

 電源を入れようとすると、ソルの端末から呼び出し音が鳴った

 カイに、始める様に指示を出して、端末の液晶を確認する。

 “椎名 鈴子”

 大赦研究室の室長の名前を確認すると、外で答えると返した。

「ごめんなさい、今時間は良かったかしら?」

「歌の練習の邪魔にならん様に外に出ただけだ」

  ソルが校舎を出て、二階の勇者部部室である家庭科準備室を見上げる。すると、放課後の部活に励む生徒や下校する生徒の声に混じり、樹の大声、シンの力強くも快活な声が響く。

「…今なんて?」

「気にするな。で、要件は?」

  椎名の戸惑った様が、ソルの脳裏に浮かんだので、早めに切り出した。

「突然でごめんなさい。近い内に貴方と話せないかしら?」

  ソルは、承諾した。

  正直言うと、昨日の鴉の内部告発では、分からないところが解消された訳では無い。それに、ソルたちの求めているモノと、彼女の答えようとしているモノは恐らく、いや確実に食い違っている。昨日の会話から判断して、今のところ、大赦研究室が、大赦と敵対するソル達の数少ない味方であり、内部事情に詳しい。それに、椎名達には、やって貰うことがある。その確約が必要だった。今までは一方的な、連絡か敵対しかなかったので、この様に大赦の成人と会えると言うのは、正に渡りに船だった。

「会話アプリで日時を送るわ。確認したら、返信してもらえる?」

 ソルは、椎名の言葉に緊迫した。

 大赦のメールアプリは恐らく、監視されている。そして、ソル、カイとシンの携帯には、勇者部の端末専用のNARUKO以外の民間の会話アプリがインストールされている。それを使うということは、確実に大赦に知られず、中枢に関する情報を教えるということだ。

 若しくは、

――敵対する覚悟を見究めるつもりか?

 椎名鈴子は、バーテックスを倒す為に、ソル達の監禁、研究に解剖という手段を選ばなかった。

 ソル達の様に警備隊と大立ち回りを振るえ、20メートルは超す巨体のバーテックスと戦える者が勇者以外にいると分かるなら、恐らく、反大赦関係の組織に加入を紹介するはずだ。そして、場所の紹介も大赦の盗聴は愚か、監視も付かないところを選ぶだろう。

 考えていると、会話アプリに着信があると端末に表示。すかさず、確認し、日時をクリックして予定表に入れた。

「それでは、当日会いましょ」

 ソルは端末の通話機能を切って、校舎に入る。

 家庭科準備室の前に差し掛かると、樹とシンの歌声が、メロディによって流れて来る。シンの声が大きいが、樹の声は、まだぎこちない。

――まだ、時間はある。

 ソルは家庭科準備室に入ると、勇者部部員とカイ、シンを認め、

「電話が入って済まない。それよりも、今は伴奏付きのようだな?」

「ええ、樹さんとシン、二人ともよく読めていましたよ」

 そう、カイは今、四つに纏めた机の上に置かれたキーボードで課題曲を演奏している。

「今日は、ルーチンの確認だけだ。樹?」

 カイの前にシンと並んで立つ、樹に、

「慣れていないから、疲れている筈だ。キリのいいところで、止めろ。あくまで、人の前で口に出して歌えることが、ゴールだ。喉を酷使することが、試験にパスすることじゃないからな」

 樹は頬を微かに赤らめて、首肯する。

「オヤジ…俺には、何もねえのかよ?」

「樹のクラスに、テストの時だけ編入するなら、労ってやるが?」

 彼はソルの冗句に「うへぇ」と喚く。その様に、友奈、東郷とカイ、樹が笑う。

 だが、ソルはふと不自然な感覚を覚えた。

 それは、ソルの冗句に反応しなかった二人。

 夏凛は、感情表現が素直でない。だから、反応しないのは、理解していた。

 しかし、問題はもう一人。樹の姉、犬吠埼風である。感情の起伏は激しくないが、社交的な部類に入る。だが、ソル、カイ、シンに向ける視線。瞳が揺れ、未知の恐怖を警戒している様だった。

 

『大赦警備隊の精鋭が、ソル=バッドガイ、カイ=キスク、シン=キスクにやられたわ』

 カラオケでの夏凜の一言が、一日中、風の頭の中でずっと響いていた。

 そして、今晩の夕食の買い物をしていている最中も続いている。奇しくも、夏凜の家へ行くときに立ち寄った、スーパーでも。

 勇者部とソル達でカラオケに行った日、その最中に風へ大赦からメールが届いた。その内容は、余りにも衝撃的で、一人になりたい程の物だった。そして、ソルたちとは別方向、女子トイレに向かった。

 メールには、バーテックスの出現周期が予測していたパターンと違うので、最悪の事態に備えろというお達しだ。

 風は整理する為に、一人の時間を作りたかった。それは、友奈、東郷に樹。彼女たちに焦りを見せたくなかったのだ。始末を付ける自分が慌てたら、示しが付かない。 

 しかし、そんな気遣いを無視した存在が一人いた。

 三好夏凜、大赦から派遣された完成型勇者にして、讃州市の勇者の監視者。

 内容を伝えられなかった不満を漏らしながら、風に指揮権を移譲しろと言う。だが、風は断った。友奈、東郷、そして樹。彼女たちの日常に別れを強制させたのは、風自身だからだ。ただ、バーテックスに殺された両親の仇を打つ。そういった単純な動機。それを叶えるのと引き換えに、風は大赦からの生活に関する全ての支援を受け入れた。

 犬吠埼風にとって、樹は掛け替えの無い家族だった。彼女を守る為には、何を犠牲にしても構わなかった。だからこそ、自分の行った行為の矛盾が許せなかった。

 樹を守る為に、彼女を大赦の勇者にしたこと。

 彼女には、贖うべき罪がある。その覚悟がある。

 そう考えながら、野菜のコーナーで、白菜、人参、ホウレンソウに長葱を加えた。

 値段の比較に集中していると、風に対して、夏凜が投げ込んだもう一つの爆弾を思い出した。

 ソル、カイ、シンの三人が、大赦警備隊の精鋭を下した報せである。その中でも最強格で、四天王と恐れられている者たちだ。風は、彼らと直接会話をしたことが無い。だが、個人の戦闘力は一騎当千と言われ、勇者がバーテックスを倒せなかったら、前線にいるのは彼らだったと言われている。恐らく、隊長である夏凜の兄もその一人だろう。

 しかし、風が驚いたのはそこでは無い。大赦が、機密理に彼女たちの協力者へ喧嘩を吹っ掛けたことである。下手をしたら、風たちの協力者が死に、負け戦となったところである。その時、夏凜に詰問したが、

『落ち着きなさい。私は顛末を聞いただけよ。何一つかかわっていない。異邦人自体、大赦の幹部たちとの協力関係の見返りに対して、更に要求して泥を塗ったわ。彼らも覚悟をしていた筈よ』

 彼女の一言を思い出しながら、汁物の出汁、カレー粉を加えていくと、目の前に生鮮品のコーナーが目に映った。

――嫌な偶然ね…。

 人が襲撃をしただのという話題を思い出し、生鮮品類、特に肉類が真っ先に目に入り込んだ為、冷や汗と動悸を感じた。

 呼吸を整えながら、ふと考えた。

――彼らは、並行世界に送られて、大赦の襲撃も覚悟して何を守ろうとしていたの?

 大赦自体の存在、神樹に召喚されたソル達は、神世紀の世界について分からなかったろう。しかし、それでも、未知の世界の敵意や運命に抗いながら、今も勇者部と共に戦っている。

 自分は、バーテックスを倒す、復讐の為に樹を生贄にしたのだ。ただ、大赦へ抵抗せずに、彼らの勇者となることを条件に、生活の支援を受け入れた。

「力を持つことの意味を考えて欲しいのです」

 夏凜とカイが、口論した時に出た言葉。

 必ずしも、自分の思い通りとなることは無い。

 そんなことは分かっていた。しかし、バーテックスと戦った時に感じた死の存在。そして、樹がバーテックスの抵抗に会い、空へ飛ばされた時に感じた恐怖。それらが、生々しく風の中で甦り、心臓を鷲掴みされた感覚を覚えた。

「風さん?」

 不意に聞こえた声が、彼女を現実に引き戻した。

 そこに映ったのは、

「カイさん?」

 金髪碧眼の青年、白の上下、その胸から見える黒いインナー。開放的な服装をした、カイ=キスクである。彼の右腕に掛けた、買い物かごには、ブロッコリー、人参に白身魚の切り身。そして、食パンが一斤。

「これですか? 今日は、私が食事当番です」

 彼は、あくまで笑顔で答える。

 その顔は、世の婦女子を魅了する絶世のものだが、風は彼の双眸から漏れる殺気を知っているので、美貌に酔うことは到底出来なかった。

「顔色が悪かったようですが、大丈夫でしたか?」

 カイに言われ、風は慌てて大丈夫であることを伝える。

 彼自体、警察の高官で聖騎士団の元団長という肩書を持っている。質問が鋭いので、まるで、何か悪いことをしている様に思ってしまうのだ。最も、目の前の男性が、自白の強要と言うのをしないと思うが。

「そうですか…良かった。戦いが無い時ほど、戦後後遺症が出るとも言います。そういったことに苛まされず、日常を送れているのは良いことです」

 カイは、本当に裏側も無い、安堵した表情で言う。

 その顔に、風も安心した。

「カイさん。今の心配ごとは、樹のテストですからね。シンさんと言うライバルも出来ましたから、練習前に潰れなければ、良いんですけど」

 風は笑いながら、カイに言った。

「ソルの提案とは言え、樹さんのテストにシンも乱入させる真似をしてすみません」

「良いんですよ、カイさん。あの子は、勇者部に関わらない時は、私と一緒か一人で何かをするから、シンさんの出現は、良い刺激になっていますから、本当に」

 カイのお辞儀に、風は焦りながら返す。

 勇者部の構成からして、一年生が樹一人である。確かに、初めの内は積極的に外と関わろうとしなかったが、今では清掃ボランティアで話しかける程である。だが、殆どの行動が、風を筆頭とした年長者の枠組みによって決められている。失礼かもしれないが、教育水準が低く精神年齢が自分たちと、ほぼ同程度のシンがテスト勉強をすることは、彼女の周りの枠組みを良い意味で壊してくれるだろう。それは、確実に実力を高め、テストの合格率を高めることにも繋がるのだ。

「だから、樹はシンさんに負けんと、本読みと歌の練習に一層力を入れていますよ」

 風は、カイとスーパーを歩きながら、色々な会話に花を咲かせた。勇者部の募集していた、猫の引き取り手が決まりそうなこと。先の遊戯会で、夏凜と親しくなった、冨子からメールが届いたこと。そして、カイとソルのレクリエーションが、演劇「明日の勇者」に次ぐ人気であること。

「それは良かった…。シン自体、ソルといる時間が長かったので、粗暴な面が見えるのが玉に瑕ですが…」

 カイが溜息を吐いて言う。

 確かに、シンの言い回しにギョッとさせられることはあるが、それでも素直で悪意が無いので間違いは受け入れられる。それに、向上心もある。カイから聞いたが、ソルが、彼に教養の一環として、掛け算を教えていたことがあるが、勇者部に来るまでは5の段を除いて、散々だったらしい。

「というか、ソルさんって…どんな教え方をしていたんですか?」

「サバイバルに偏った教育と言っていました…」

 風の問い掛けに、カイは頭を抱えながら言う。恐らく、世間一般で理解しがたい内容なのか、カイ自身が受け入れ難いものなのか。はたまた両方か。

「ただ、私は学校に行ったことが無いので、皆さんと学んでいるシンが少し羨ましいと思います」

「そうなのですか!?」

 風がカイの唐突な告白に驚いた。三人の中では、佇まいが理性的で、知性もずば抜けて高いので、それなりに質の高い教育を受けていると思っていたからだ。

 風の反応に彼は、

「正確には、教会での最低限の読書き。剣術、法力に戦術です。私の青春は、戦争の中にありましたから」

 余りにも予想外な答えだった。

 旧世紀には、様々な国家だけでなく、格差や宗教による対立があったことは聞いていた。そういう意味で言えば神世紀は、他の国がウィルスで滅び、日本の四国だけで神々は神樹に統一された。それは、三世紀に及ぶ平和を与えた。だから、戦争というのは、遠い過去の様に思えた。

 バーテックスの襲来も戦争と言えば戦争だが、カイの言う戦争とは何かが違う。そんな気がした。彼が組織云々と言ったことや、力の重要性を訴えたことも無関係ではないだろう。

「カイさんは、どうして聖騎士団に入ったのですか?」

 風は、カイへ唐突に訊いた。

「私は、幼い頃、親を亡くしました。それから、街で暮らしていましたが、半年後、GEARの襲撃で街は壊滅しました」

 カイの言葉に、風は息を呑んだ。

「そこで、聖騎士団に入れて欲しいと当時の団長、クリフ様に頼みました」

「…どうなったんですか?」

「“5年生き延びろ。”それが、彼の出した入団の条件でした。だから、私は生きました。そして、聖騎士団に入ることが出来ました」

 カイの表情はあくまで、平静だ。だが、瞳の輝きは爛爛と燃えていた。その炎は、戦火によるものか、それとも彼の生への意志か。

「それから、団長としての地位を頂き、ただ、聖戦を駆け抜けました。全てのGEARを操っていたジャスティスも封印出来ました。しかし、待っていたのは復興と、新しい敵。犯罪者たちでした」

 カイの言葉に絶句した。彼も自分と同じ。バーテックスの様な存在、GEARの襲撃で、日常を失ってしまった。だから、戦場で生きるしかなかった。しかし、GEARの脅威は無くなっても戦いは続いた。世界が続く限り、人の愚かさもなくなることは無かった。

「カイさん…絶望しなかったのですか?」

「しなかったと言ったら、嘘になります。でも、それを防いでくれた人たちがいました」

 カイは、笑顔で風に言う。

「守るべき、大切な人たち。聖戦が終わった後に、見つけた掛け替えの無い人達。私を世界と繋げてくれる、唯一の存在。愛する人たち。そして、私を守ってくれた人たち。彼らの望む未来を、世界を守れる。そう考えると、私は絶望にも立ち向かえます」

「シンさんもですか?」

 風は、自分に重ねて、カイに聞いた。彼は風を見て、笑顔を作る。その眼の輝きから、聞くことは無粋だと気付き、恥ずかしくなった。

「アタシは…妹の樹をこの戦いに巻き込みました。友奈に東郷も。カイさんは、進んで戦いに参加したと思います。でも、私は復讐をしたいが為に、力を求めて友達を売りました。こんな、アタシにも…」

「そうでしょうか?」

 カイの疑問が、風を遮る。

「本当に、樹さんはそう考えているのでしょうか?」

 風は彼の問いに、きょとんとした。

 でも、彼女は首を振って、

「分かりません。でも...」

「なら、一度聞いてみた方が良いですよ」

 カイの笑顔が、風に語る。

「案外、こういう問いって、聞きにくいと思われますが、あなたが守りたいと思う人たちは、簡単に答えられると思いますよ。あなたが何の為に戦っているか、そして、その人たちも、あなたの為に戦いたい意思があることも」

 風は、カイの言葉を初めて疑った。

 戦闘の時は、彼の指示に従う機会が多かった。彼だけでなく、ソルからも。彼らは戦闘を潜り抜けて来たというのが分かるから。だが、風が巻き込んでしまった者について、そんな虫の良い答えを出すのだろうか。そもそも。東郷を怒らせた前例があったのだ。

「樹さんもテストを頑張っているでしょう。彼女が全力を出す為に。だから、これは私からの宿題です。力は何の為にあるのか…その答えを知ることです」

 カイは、少し茶目っ気を含めた声で言う。だが、彼の顔には、勇壮で風を激励している様に思える。

 それから、カイは携帯端末の着信に答え、先に帰ると断り、風の元を去る。

「本当にそうなのかな?」

 スーパーの喧騒に、風の問いはかき消されて行った。

 

「気になる」

 シンは、腕を組みながら、昼下がりの路地を歩く。その顔は、しかめっ面である。右目の眼帯が少し前に子供を驚かせたであろう、絵本の海賊の様に演出されていた。

「シンさん、考えすぎですよ――っと」

 隣を歩く友奈が、両手で掴んだ子猫を車椅子の東郷に渡して言う。

「そうそう。別に、私たちに後ろめたいこと…大赦関係以外でないでしょ?」

「でも…女子からすれば、カイさん、シンさんとソルさんの関心は高い筈。でも、ソルさんだけ、勇者部の用事と別に外へ出ると言うのは…問題があるかも」

 夏凜は両手を後頭部に回しながら、東郷は猫の毛布の入った段ボールを抱えながら神妙な趣で言う。

 4人は今、学校に帰っている途中である。

 今日、勇者部部長の風から、先月から行われている「子猫の飼主探し」で、二匹の貰い手が見つかったという報告が届いた。放課後、それぞれを、友奈を始めとした東郷、夏凜、シンの四人、風、樹、カイの三人が引き取りに行くことになったのだ。

 しかし、本来、一人部室に残る予定だったソルが、

「悪い、今日は出掛ける。時間までには帰るが、テメェら貴重品は持って出ていけ」

 ぶっきらぼうに言うが、目的はおろか、誰に会うかは説明してもらえずじまいだった。ソルは、カイと何か打ち合わせていたようだが、結局、教えてもらえなかった。

「いや…こんなことは、考えられねえ。まさか…」

「大盛りラーメン」

「焼肉食べ放題」

「特上寿司」

 友奈、夏凜、東郷がシンの答えを先回りした。

 食べ物が、ソルの隠す用事ではないかとシンは考えていたのだが、

「って、お前らなんで、先回りして言うんだよ!? オヤジの隠し事気にならねぇのかよ!?」

「恐らく、アンタとアタシたちの関心は、全く違うから」

「シンさん、“花より団子”ですね」

 夏凜と東郷が、シンにぴしゃりと言う。

 友奈もフォローしようとするが、苦笑いしか出来ない様だった。

「それって、“ナよりミを取るんだろ”? なら、後ろめたいことって言ったら、黙って食べること以外に考えられないだろ?」

「食べるのが問題ではありませんよ、シンさん。ソルさんは、教師なんですよ。物理の代理教師で勇者部の顧問、しかも女子に人気の美丈夫。国防を担う彼が、もし外で勇者部の活動以外で問題があったら、私たちの問題にもなるんですよ?」

「東郷、何を言っているのかが分からないけど、教師としての職務もあるんじゃないの? 抜き打ちの校外見回りとか、勇者部に関係した大人と話し合うこととか」

 夏凜が溜息を吐いて、シンに言うが、

「つうか、それなら何で俺らに何も話さねえんだ。だって、カイも顧問で皆と偶に外に行くこともあるのに、何でオヤジだけ…」

 彼は疑問を夏凜に投げかけた。今まで、放課後、勇者部とソル達の何れかで、行動をしていたのだ。三手に、しかもソルだけになるというのが腑に落ちなかった。

「不思議と二人を見ていると、私が邪で不純な考えをしている様に聞こえるわね?」

 突然、シンと夏凜に向けて東郷は笑みを向けて来る。だが、車椅子からの視線は、何故か鋭く、二人の心臓を捉えている。

「トウゴウ、お前すんげぇ怖い」

「何で、私にも向けているの!?」

 シンと夏凜が、心臓を捉える東郷の射抜く視線に怯えていると、

「まあまあ…お前、二人をそこまで震え上がらせなくても」

「ソルさんの素行の問題に対する危機感が違いすぎるんですよ。あなたの教育が、甘いので、二人を柱に縛ってお説教します」

 友奈と東郷が何故か、夫婦漫才を始める。

 夏凜が「夫婦か」とツッコむ。

「何て、バイオレンスな家族なんだ」

 シンの一言に友奈が笑うが、

「アレ、あそこにいるのソルさんだよね?」

 彼女が指した方へ、シンたちはファミリーレストランに入っていくソルを見掛けた。

 そして、彼の隣に長髪の女性。白いシャツと黒のパンツスーツを纏い、凛とした雰囲気を醸し出している。

 東郷も同伴者に驚き、

「まさか…逢瀬?」

 と呟く。しかし、シンと夏凜は彼女と異なる反応を示した。

「あれ、アイツ?」

「シン=キスク、気付いた?」

 友奈、東郷がシンと夏凜を見る。二人の目に好奇心が宿る。

「誰ですか?」

「…えーっと、誰だ?」

 東郷の問いに、シンが思い出せず、友奈と夏凜がコケそうになる。

「大赦研究室の室長よ、椎名鈴子」

 シンを含めた四人は、ソルと椎名の入った建物、夏物の麺類やスタミナメニューの幟が立つ、ファミリーレストランを見た。

 そして、シンは、ソルの奇行が、食べ物や、東郷の考えるものでもない、それ以外のとても深刻な事態であることに気付いた。

 

「全く、訳分からんな」

 奥の席を取った、ソルと椎名。

 彼は、辟易してウェイトレスにアイスコーヒーを頼んだ。

 椎名はブレンドコーヒーを、注文に加える。

「拍子抜けした?」

「大赦に、知られんように動いてんじゃなかったのか?」

 ソルは、初夏の熱を払わんと、お冷やを口に含んだ。

「もしかして、二人になれるところを期待していたとか?」

「戯言を言う為に、俺をこんなところに呼んだのか?」

 ソルは、椎名の目を見据えた。

「安心して…ここのファミレスのオーナーと従業員は、口の堅い人たちよ」

 椎名の凛とした声と視線が、ソルの耳朶と双眸に飛び込む。

 彼は、溜息を吐いて要件に入る様に、首肯した。

 すると、彼女がハンドバッグから何かを取り出す。

 それは、薄型のクラムシェル型のラップトップ。電源を入れて、キーボードの上に右手を滑らせながら、ファイルを開いていく。

 そうして、椎名のラップトップの液晶一面に出て来た、情報の波紋にソルは、

「これは…バーテックスだと?」

「私の誠意と…謝罪よ」

 椎名の出した資料は、バーテックス…ソルが見たことのないものだった。

 幾つかの画像ファイルによる波紋。それらは、水瓶座、天秤座、牡羊座、魚座、そして獅子座と名前が打たれている。

「あなたの求めていた、バーテックスの資料よ」

 夏凜によると資料はなく、神託が一次情報だと言った筈だ。

 ソルは訝し気に、液晶画面を見つめていると、

「恐らく、勇者から“神託”が唯一の情報と言われた顔ね。でも、神託は“解読する”人が必ずいる」

「研究も出来ると言うことか?」

「勇者と神官だけだったら、今頃、人類は滅亡している…そう言える位、自負はあるわ」

 目の前の凛とした、長髪の女性は誇りを含めて言う。

 だが、何処かやせ我慢の様に見えるのは、気のせいだろうか?

 ソルはやりにくさを感じながら、

「その割には、遅かったな」

「見極めたかったの…」

 彼女の凛とした視線が、ソルを捉える。

 そして、彼の目の前に、差し出される親指サイズの補助記憶装置。

「私たちと一緒に、大赦と戦えるかを?」

――やはり、来たか。

 椎名の行動自体、バーテックスと言う人類の敵と戦い、世界の中心とも言える大赦の行動に背くものばかりだ。それに、このレストラン自体、口の堅い者がいるということは、彼女の縄張りに入ったも同然である。

「何か勘違いしていないか?」

 そういうソルに、運ばれてきたアイスコーヒー。それをそのまま、ストローで一口入れて、

「俺らは、あくまで“賞金稼ぎ”だ。今のところ、バーテックス専門のな。全て倒したら、俺たちは元の世界に帰る。その条件の筈だ。今更、反故は無しだ」

「もし、バーテックスを倒して、直ぐに帰られるなら、大赦はあなた達を脅威と見做さないわね」

 ソルは彼女の言葉に眉を顰める。

「その言い方だと、バーテックスを倒しても帰れないと聞こえるな」

「事実、その通りよ」

 ソルが驚愕していると、珈琲が椎名に運ばれる。彼女は、コーヒーカップを口に運ぶ。

「今、持っている記録にもあるのだけど、あなた達はかなり稀有な移動をしたわ」

 そうして、椎名は別のファイルの画像を幾つか開く。

 上下に放物線を描いたグラフとソル、カイ、シンの三人の写った画像が開かれる。

「このグラフは、あなた達が移動した時の神樹のエネルギー量の推移。一体目の乙女座の時は、激しく反応を示しているけど、それ以降は変化ないわ。ついでに言うと、あなた達を霊的医療による診断をしたところ、二つのエネルギーを確認したわ」

  三人の写真、それぞれの画像の白い欄に二つの百分率が打たれている。

 

 霊的エネルギー分析表

 未確認由来:50%

 神樹由来:50%

 

 数値を見て、ソルはその意味を理解した。

「俺たちは、神樹の力に依って存在を固定されている」

 椎名は頷いて答える。

 そもそも、並行世界を移動するのは、莫大なエネルギーが必要だ。しかも、世界の技術水準に開きがある。そんな不安定な二つの世界の境界が壊れた日には、よくてどっちかが吸収するか、双方滅亡だ。だから、半分神樹が力をソルたちに提供し、バックヤード由来のエネルギーと情報が、こちらに流入しない様に防いでいる。だが、帳尻合わせとして、バーテックスが強化される羽目になった。

 そして、椎名の結論がソルの耳に響いた。

「それに、神樹が今、あなた達の世界との壁を塞いでいて、こっちから何も送れない状態なの」

 ソルのアイスコーヒーに入っていた氷が、砕けた音が響く。それは、まるで、崩れた氷がソルの逃げ道を塞いだ様に聞こえた。

 

 今朝の出来事程、犬吠埼風を戸惑わせたことはなかった。

 だから、子猫を引き取りに行く道中、カイは愚か、樹にも目を向けられなかった。

「お姉ちゃん、ありがとう。家のこと、勇者部のこと。お姉ちゃんにばっかり大変なことさせて」

 そう、寝ぼけ眼で元気なく、礼を言った樹。彼女の周囲や勇者部を取り巻く現状を、樹は重く受け止めていたのだ。

 二年前、バーテックスによって、両親が殺され、風は樹の姉だけでなく、母親として生きることを強いられた。そして、彼女の為に料理を学び、勉強も見て、生活を支えた。彼女は、唯一、樹へ遺された肉親だ。だからこれ以上、大切な人を奪われる訳にはいかなかった。

 それに、大赦から生活の支援と引き換えに、姉妹共々、勇者となる取引に応じてしまった。友人たちも売ってしまった罪は消えない。

 しかし、だからと言って、妹に余計な気を使わせるわけにも行かなかった。

「そんなのあたしなりに理由があるからだね。世界を守るためかな。だって勇者だしね。何だっていいんだよ。どんな理由でも、それが理由で頑張れるならさ」

 そう、罪の意識。そして、樹を始めとした勇者部への贖罪。夏凜にも譲れない、勇者部長で讃州市の勇者としての矜持。そして、彼女たちを日常に帰すことがそれだ。

 樹の瞳に何か、光が走った気がした。彼女の視線が、何か確固とした信念を宿らせた様に思えた。だが、風の中には、嫌悪感があった。結局、自分の中にあるのはバーテックスへの復讐心。そして、その正当化に樹を理由にしている事実であった。

 そう考えていると、引き取る子猫を預かっている家に辿り着いた。

 カイが、先に出て勇者部であることを告げる。

 しかし、彼の声に反応したのは、歓迎では無く、口論だった。

 カイは、戸惑って風と樹を見て来る。

 風も事態が把握出来ないと言う。そして、彼は家の引き戸を開け、風と樹は彼の背後から、家の中を見る。

 風たちの目の前には、母親と少女がいる。しかし、彼女たちは口論をしていた。主に、感情を露出しているのは、少女で母親はどう伝えて良いのか分からないと言う具合だ。それに、二人から出る話題は子猫のことばかりである。

「もしかして、子猫を連れて行くのを嫌だったのかな?」

 樹の言葉に、風とカイは納得した。恐らく、引き取って欲しいと言ったのは、母親だろう。現に、彼女から家では飼えないと、少女の説得をしている。

 そして、風はカイとアイコンタクトを取って、断って敷居を跨いだ。

 怯える少女が、風たちに気付く。

 そこで、重なるかつての風と少女。親を亡くした彼女たちに訪れた、仮面と装束を纏った大赦の大人たち。彼らによって告げられた両親の死とバーテックスの存在が、非日常への入り口だった。

 今、自分たちは、丁度、風に、かつて訪れた非日常からの使者の側に立っていることに気付かされた。

 

「どうするの、ソルさん?」

 椎名が右手の補助記憶装置を、ソルのアイスコーヒーの隣に置く。

「一つだけ、確約しろ」

 ソルは、椎名の凛とした輝きを宿す眼を見つめる。

「俺、カイ、シンから出た生体サンプルの何れも、大赦の神官たちに渡す様なことをするな」

 椎名の凛とした瞳の輝き。そこには、微かな揺らぎが混じっているのに気付いた。

 かつて、科学者として理想に燃えていたが、その炎によって“焼き払ったモノ”があり、それを取り戻さんと流し続ける涙のようだった。

「当然よ。あの子たちの悲劇は繰り返さない。あなた達の帰る手段も必ず、見つけ出すわ」

「“あの子たち”だと?」

「私は、教師だったの。坂出の神樹館小学校で…」

 椎名は、コーヒーを再び口に入れて、溜息を吐く。まるで、重荷として背負ったものを下ろした時のそれに似ている。

「大赦の命令で、教員免許を持っていたから、勇者として選ばれた三人の子どもたちのいるクラスを任されて、カウンセリングと訓練も行ったの…」

 神樹と言う名前の付いている小学校。大赦の息の掛かっている、施設に違いないとソルは踏んだ。

「彼女たちと戦えたことは、名誉に思えたわ。バーテックスに対する発見も出来た。彼女たちの成長を自分のように喜べたわ。しかし、そう思えなくなったのは…」

「二年前だな」

 ソルは、次の語を継げなかった椎名の後に続けた。

 彼女が頷いて、続けた。

「そう、瀬戸大橋跡地の合戦。一人の勇者が命を落としたわ。彼女の犠牲にも関わらず、二人は勇敢に戦った。そう思いたかった…でも」

 理性的な輝きの椎名に、感情が微かに籠り始める。

「でも、違った。彼女たちは言ったの。“私たちは三人で勇者だ”と…。彼女たちの言葉に気付かされたの。私は、犠牲が当然と考えていたことに。無意識の内に。彼女たちも友人を失った悲しさを持つ、普通の子ども達に…犠牲を押し付けようとしていたの。そして、命を数える真似をしていたの」

 かつて、ソルも同じ状況にあった。法力という画期的な技術。そして、それにより作られたGEAR細胞という無限の可能性に魅入られた“フレデリック”だった頃。椎名鈴子は、あの時の自分と同じ状況にあるのだ。

『アリアは、僕も君も…殺したんだ』

 バックヤードで、ヴァレンタインを破壊した後の、あの男との会話。

 そう、力への欲望は、色々なものを霞ませる高揚感があった。

 命の価値や思い出の尊さ、そして友情や愛も。

「でも…その時には、手遅れだった。彼女たちを…失わない為に、勇者システムを改良したのだけど…その“満開”にはー!」

 椎名の隣に、禿頭で髭を生やした男が現れ、彼女に耳打ちを始める。

「何が起きた?」

「店の周りで、変な子供たちを見掛けたって…」

 ソルの問いに、椎名が戸惑いながら答える。

 そして、ソルに気付いた禿頭の男は、店長と名乗る。

 二人とも尾行を避けて、このファミレスに来たのだ。しかし、それでも椎名が戸惑うのは、

「彼女たちがいる以上、申し訳ありませんが、話を切り上げて下さい」

 という、店長の言葉である。

 どうやら、椎名との話し合いはこれで終わりらしい。誰かに見られたのだろうか?

 ただ、ソルは椎名の“子供たち”という言葉に、嫌な予感がした。そして、禿頭の店長の“彼女たち”という単語でそれが確定した。

 問題は、

――どっちの“彼女たち”か?

 ソルは、ファミレスの窓を見渡す。すると、窓から幹線道路に目を向けて、彼は確信した。

「電話を掛けさせろ。長くは掛からん」

 

 ファミレスにいるソル達を見つめる、4対の目。

 その中の一対に、シンはいた。

 そして、唐突に携帯端末が鳴り響き、友奈たちが警戒する。

 シンの端末の着信、その名前が“オヤジ”だからだ。

 友奈は恐れ、夏凜が息を呑む。

 東郷が落ち着くように言って、シンは応答した。

「オウ…オヤジ?」

「出るのに時間が掛かったな?」

 質問なのだが、鋭いジャブを受けた様な錯覚を覚えた。

「子猫はどうした?」

「おう、引き取ったよ...」

 そうかとソルの声がスピーカーから伝わる。

 シンは、この安心できない感覚を覚えていた。そう、掛け算の7の段が出来なかった時の反応だった。

「まあいい。よくやった。ところで、腹が減ったか?」

「もう、腹ペコだよ。オヤジ!!」

 シンの声が上ずって、夏凜が、

「ちょっと、変なことは言わないでよ!!」

 大声を出して言うが、

「夏凜ちゃんも声を下げて?」

 東郷が笑顔で言う。しかし、声は笑っていない。

 友奈が固唾を飲んで、見守る。

「何か食いたいものはあるか?」

 友奈がシンの端末から漏れた声を聞き、彼に「言わないで」と小声で伝える。

「…何って?」

「何でも作ってやるぞ?」

「オヤジ…マジで!?」

 夏凜が青ざめた顔で、両手を交差させて黙らせようとする。

「イイよ…オヤジの作る物なら何でも」

「何でもか…レストランの特製冷麺にスタミナステーキセットだ」

「スゲエ、オヤジ、レストランの冷麺とスタミナステーキセット作れるのか!?」

 シンの歓喜の声と共に、電話が切れた。

 彼が喜んでいると、反対に沈んだ顔の友奈、夏凜、東郷が目に付いた。

「お前ら、どうしたんだ?」

「シン、あれを見なさい」

 頭を抱えながら、夏凜は指で示したのは、ファミレスの幟。

 シンは、自分の言った物とソルの言った物。リフレインさせると、

「俺…やっちまった?」

 彼の過ちの結果が、今、東郷の携帯端末に表れた。

 彼女が猫を抱えながら、二、三言交わすと、溜息を吐いた。

「友奈ちゃん、夏凜ちゃん。ソルさんから、シンさんを逃がすなって。それと、シンさん…逃げ場所は無い。そして、アホ面が手に取る様に分かるとも」

 シンは、アホ面が分かるという言葉に、辺りを見回した。

 丁度、中古車販売店の、駐車場の凸面鏡が目に留まる。その存在に顎を落としたシン、呆れた夏凜の顔と、茫然と見上げる友奈と東郷が映っていた。

 彼らは、ファミレスの入り口に目を向けた。

 そこには、一歩ずつこちらとの距離を縮めて来る、ソル=バッドガイ。

 走れば逃げられるかもしれない。

 だが、彼の闘気と怒気に阻まれて、動けない。正に、蛇に睨まれた蛙である。

 シンたちは、強張った顔で、ただ、怒り狂うソルを出迎えることしか出来なかった。

 そして、ソルの後ろで戸惑いながら、付いてくる、凛とした女性、椎名鈴子。

「…オヤジ?」

 シンが恐る恐る声を出すと、

「…テメェら、何か言うことはないのか?」

 ソルは、首を鳴らしながら、シンと友奈、夏凜、東郷の四人の前に立つ。そして、親指で背後の椎名鈴子を指す。

「ちょっと、ソルさん?」

「忙しい中、時間を取った話し合いを反故にするべき理由があるなら、話してもらうぞ」

 椎名が物々しいソルを止めようとするが、彼は下がらない。

「何で俺に黙って、シイナと会ってんだよ…」

 シンの口から言葉が絞り出される。

「あん? 聞いているのは、こっち――」

「答えろよ、オヤジ!」

 ソルのぶっきら棒な問いに、シンが大声で叫んだ。

「シイナと会ってでないと…話せないって、元の世界に帰れないってことかよ!?」

 シンは考えて言った。簡単なことだった。東郷や女子たちが、自分たちをどの様に考えているか分からない。だが、神世紀という世界で、初めてまともな会話…特に、異なる世界について交わした人物、椎名と隠れて会うことといったらそれしかない。

 シンの言葉に、ソルは苦虫を噛み潰した顔を作る。

「本当ですか?」

 東郷が聴いて、友奈と夏凜が視線をソルたちへ向ける。

 ソルと椎名は、向き合って頷く。

「現段階では、見つかっていない」

「私たち、大赦研究室もバーテックス対策と並行作業で、元の世界へ帰す作業を進行しているわ」

 友奈は、ソルたちの回答に悲痛な顔をする。

 シンは友奈を見た。彼女は、讃州市でも躊躇わずに、自分たちに初めて話し掛けてくれた。そして、生活にしても困っていることがあれば、色々と助けてくれた。カイに竹刀を貸して、稽古をする時間も与えてくれた。だから、彼女もシンたちが帰れないという、絶望的な状況に言葉でなく、気持ちに出るのだろう。

「…シン、変な気は起こす――」

「どんな気だよ?」

 シンは、ソルと対峙して言った。

「オヤジ、もしかして、帰れないからって…バーテックスとの戦いで、手を抜くとか、寂しがっているとか考えてねえよな?」

 ソルは口を結んで、シンの目を覗き込む。

 そして、シンは溜息を吐いて、

「確かに、帰れなくて、俺は寂しいし怖いと思うよ…。でもユウナ、トウゴウ、カリン、フウ、イツキは、バーテックス倒せなかったら、この世界で帰る場所や大切な人も無くなってしまうんだろ? だったら、ただ怖がるよりも“トモダチ”を助けるに決まってんじゃねえか!? 子ども扱いすんなよ!!」

 少し前、カイと共にヴィズエルと戦った時、「悔いて嘆くよりも、もがきながらも光を取り戻したい」とシンの前で言った。今が、父の言う時ではないのか。だから、ここで帰れないことを嘆くのは、“迅雷”の名として相応しいのか?

 シンの答えは決まりきっていた。

 友奈の彼の答えに、笑顔で力強く頷く。彼女は、東郷と夏凜にも目を向ける。東郷も頷いて返すと、夏凜は照れくさそうに首を縦に降る。

 目の前にいるソルは、シンたちを見て、

「ったく、面倒くせえ」

 頭を掻いて吐きすてる。

「シンさん、勇者部の皆さん。ごめんなさい」

 椎名が、頭をさげる。

「ソルさんを借りたのは、元の世界に返す手段だけじゃなく、今後の戦いを左右しかねない情報を報せたかったの。後は、シンさんやカイさんも含めた身分や生活について。ソルさんは、今の世界の生活習慣や技術にも明るかったから、先に彼へ一報を入れたの。結果として、あなた達に心配を掛けさせたわね。ごめんなさい」

「そっか。オヤジじゃないと、ブラックテックも日本の生活も分からないもんな…当の昔に失われているから」

 シンは納得して言った。

 22世紀では、法力が現れるとすぐに、環境に影響を与える化石燃料、兵器に情報端末等の科学技術はブラックテックと言われ禁止された。日本も失われているので、文化再興の渦中である。それに、カイは愚かシンも、機械類を余り扱えない。日本の地理や機械類は、殆どソル、又は友奈たち勇者部が教えてくれ、やっと神世紀で人並みの生活が出来るようになったのだ。

 夏凛も椎名の弁明に納得するが、東郷は少し俯いてシンを見る。

「これからは、シンさんだけでなく、カイさんも話し合いに呼ぶわ…バーテックスとの戦いもだけど、元の世界へ帰るのも、重要だから」

 笑顔でシンに言うと、バツが悪そうに彼女の謝罪を受け入れた。

「分かったよ…。約束だからな」

 シンの言葉に椎名は苦笑して、

「だから、ソルさんとの話は終わり。あなた達に返すわ」

「…テメェ、俺は猫か何かか?」

 ソルは椎名に抗議をすると、シンを筆頭に笑われる。

「オヤジ、マタタビいる?」

 シンを蹴ろうとするソルに、友奈が割り込んで来た。そして、シンには夏凜が付いて、喧嘩を防ぐ。

「そうだ、友奈ちゃん。ソルさんにもアレを頼もうよ」

 東郷の提案で、友奈は鞄から便箋とシャーペンを取り出す。

「イツキのテストでのサプライズだってさ、オヤジ?」

 シンの言葉、友奈と東郷の笑顔に押されて、

「尾行じゃなくて、こっちの方に頭を回せば良いんだよ」

 ソルは、頭を掻いてから、一筆を加える。

 彼の横顔を愉快に見ているシン。

 しかし、気掛かりなことが二つあった。

 主に二つの視線である。

 まず、椎名から東郷に向けて。椎名の視線は、かつてカイが幼少期に自分に向けていたのと同じ雰囲気を感じさせた。

そして、もう一対。東郷の視線は、ただ、険しくソルを追っていた。鋭い視線は、まるでソルの体の中まで覗き込みかねない、好奇心の刃そのものだった。

 

「良かったね、お姉ちゃん」

 カイの眼の前を歩く樹は、風へ嬉しそうに言う。

 しかし、そう言われた風は、沈んだ顔をしている。

 カイ、風、樹は、子猫を引き取りに行った家庭で、母と娘の言い争いを、どうにか収めた。

 いや、収めたと言うのは正確では無い。「猶予期間」を与えたのだ。

 カイは、母親へ猫を里親に引き渡しても、上手く行かないことがあると説明し、一週間、娘に預けてみてはどうかと提案した。そして、風が娘の方から、母親に「猫の世話を欠かさない」という意思表示を聞かせ続けた。母親に動物アレルギーの類は無かったのも確認したので、カイは娘と猫について、今後よく話し合うことを勧めた。

 ただ、少女の意志は固いことから、猫を放すことはない。また、彼女の母親も、今後の動向次第では、少女から取り上げることもないだろう。

 カイは、里親候補の人にそう連絡をして、謝罪を加えた。

 そうして、三人は讃州中学への帰路として、差し掛かる橋の上を歩いていた。

「ケンカにもならなかったし、お姉ちゃんとカイさんのおかげだね」

 カイは謙遜を返した。

 しかし、カイの視線は、樹にでなく風に注がれていた。彼女の後姿は何処か、憔悴仕切っている。昨日、スーパーで風と会った時も沈んだ顔だった。恐らく、勇者部部長として妹と部員を、バーテックスとの戦いに巻き込んだこと。その理由が、両親の復讐。その為に、友人を巻き込んだこと。それらが、風を良心を悩ませているのだ。

 今は、夕刻。黄昏というのが、向かってくる人影が分からないことを由来としているのなら、今の風はその沈む太陽と共に消えかかっているようだった。

 カイ自体、GEARであるディズィーという掛け替えの無い大切な人を見つけた。だが、その過程で得た「人類の英雄」という肩書、そしてそれを揺るがしかねない醜聞を使い、彼を意のままに操ろうとする国連元老院と、何よりGEARとして生まれたシンの「未来」。人間とGEARの共存、その理想と信じた正義の前に、立ちはだかった「現実」に打ちひしがれていた。そして、シンも自分の理想に巻き込んでしまった後悔もあった。

 だから、カイは、目の前の現実に打ちひしがれる風にアドバイスを与えたかった。悩む必要はある。しかし、答えは一人で出せない。大切な人が知っているのだから。

「ごめんね、樹」

 風の沈んだ、思い謝罪の声が、喜んでいた樹を引き留める。

「…何で謝るの?」

「…樹を、勇者部なんて大変なことに巻き込んじゃったから」

 戸惑った樹の目が風を見つめる。

 カイの眼に、風の後姿が揺らいで見えた。だが、支えることはしなかった。これは、彼女の乗り越えるべき試練だ。力に向き合う為に、そして誰の為に戦うかを再認識する為に必要なのだ。

「さっきの子、お母さんに泣いて反対してたでしょ?」

 風の声は、微風に消えそうな位、小さかった。

「樹を勇者部に入れろって、大赦に命令された時、あたし…やめてって言えばよかった。さっきの子みたいに泣いてでも」

 風の声は震えている。何時も、大人を前に堂々と振る舞い、同年代の勇者部部員とやり取りを嬉々としている彼女からは、想像も出来ない弱々しい声。

「そしたら、樹は勇者にならないで普通に...」

「何言ってるの、お姉ちゃん!」

 伏し目をしていた、風は普段の樹から想像できない、凛とした声に思わず頭を上げる。

「お姉ちゃんは間違ってないよ。私、嬉しいんだ。守られるだけじゃなくて、お姉ちゃんとみんなと一緒に戦えることが」

 その一言が、風の迷いに一石投じた。彼女の目に微かな、輝きが戻る。

 風は、笑顔を取り戻すと、樹に礼を言う。そして、帰ったら歌の練習を行うと風は言い、彼女を困らせる。

 何時もの風である。

 彼女は、カイに目を向けて、笑顔を送る。

 そう、大事な人がいるから戦える。そして、絶望からも引き上げてくれる。

 それを教えてくれたのは、GEARとして生まれたシンだった。

『パパが傷付くとママが悲しむんだ。だから、ママを悲しませる奴は、ぼくが許さない』

 正義が信じられなくなったカイを、ソルが喧嘩を吹っ掛けて立ち直らせようとした時のシンの言葉。倍以上の身長のあるソルの前に立ちはだかった時に、刻まれた幼き彼の大きな勇気。

 彼と同じ勇気と優しさを、樹から、カイは感じていた。

 

  教室に広がる静謐な空気。

  そして、壇上に立つ樹に注がれる視線。

  黒板には、歌のテストと書かれている。

  樹が今日の日まで、勇者部と共に頑張ってきた課題。

  ピアノに座る中年女性の教員が、彼女を見つめている。

——でも、やっぱり!

  そう、どれだけ練習しても一人であることに変わりない。

  自分を見つめる無数の視線に、怯えて思わず教科書を落とした。慌てながら拾うと、1枚の便箋が本の隙間から溢れる。

  樹は入れた覚えは無かった。

  掴んで見ると、その内容に驚いた。

 

 樹ちゃんへ

 “テストが終わったら、みんなでケーキを食べに行こう 友奈”

 “周りの人は、みんなカボチャ 東郷”

 “敗北の女神がお前を差別している!! シン”

 “気合よ”

 “KEEP ON ROCKING!! ソル”

 “あたしは樹の歌が上手いことは、よく知っているよ 風”

 “貴女は冬を越え、花咲く春にいます カイ”

 

 樹は便箋の書置きを見て、笑顔になった。

 恐らく、名前が無いのは夏凜のだろう。何処か、仏頂面でも、可愛い仕草の先輩に頬を緩めた。

 そして、文字となり生きる、勇者部の思いに、心が躍動した。

――違う。今、私はーー!

「大丈夫ですか、犬吠埼さん?」

  教員が話し掛けて来るが、大丈夫であると告げる。

――みんなと一緒にいる!

  樹は、腹に力を込めて、勇者部との時間を思い出しながら、口を開いた。

 

「アイツ、待つということが出来んのか?」

「首輪を付けるという教育をしていたら、必然的にああなると思いませんか?」

 ソルは家庭科準備室の開いた窓から外を見つめながら、黒板の前で文庫本を読むカイと会話していた。

 物々しい内容は、机の上で作業をする夏凜を驚かせる。

「比喩だよ…比喩」

 友奈が慌てながら、夏凜に落ち着くよう言う。恐らく、友奈は本当にするものとは考えていないのだろう。だが、彼女たちは知らない。ソルはそれを実際したことに。

 シンは放課後、樹が帰ってこないか待ちわびていた。ソル、カイに友奈が彼女は大丈夫であると言ったが、

「大丈夫か分からないから、迎えに行く!」

 これまた、右斜め上のことを言って、部室を出たのだ。

「シンさん、元気ですね」

東郷が机から離れたデスクトップから手を離し、車椅子を振り向く。

「落ち着きがあれば、何も言うことは無いのですが…」

「カイ、テメェ。俺の教育方針に口を出さないんじゃなかったか?」

「確かに、“どうなっても知らん”とは言ったかもしれませんが、目に余るところは見逃せとは一言も言っていませんね。大体、あの構えは酷すぎます」

「テメェこそ、聖騎士団員から、ペン回す癖に貧乏揺すりを注意するとか、言われてんの知らないとは言わせんぞ? 落ち着きの無さは、間違いなく――!」

 友奈と風が、それぞれソルとカイの間に入って、宥める。

 そこに、

「みんな、グレイトでマーベラスな報らせだ!」

 シンが、スライド式ドアを勢い良く開けて、家庭科準備室に駆け込んで来た。

「喧しい! テメェの言葉で、楽しみを半減させてんじゃねえ! 後ろの樹が怯えてんじゃねえか!?」

 樹が家庭科準備室のドアから、怯えながら顔を覗かせる。

「ソル、寧ろ貴方の声が怖がらせていますよ…って、アレ?」

 カイが首を傾げて、樹を除いた勇者部も、ソルとシンのやり取りを反芻した。

 そして、樹に視線が注がれて、

「樹…もしかして?」

 風が息を呑み、友奈が大丈夫か聞くと、

「バッチリでした!」

 樹の一言で、勇者部が湧く。

 そして、シンが喜びながら、樹とハイタッチ。

 それから、彼女は恥ずかしがる夏凜と手を叩きながら、ソルの元へ。

「オヤジ!」

 シンに急かされて、右手を差し出した。

 樹のハイタッチの小さい音に、ソルは溜息を吐いた。

「ったく、シンもよく騒ぐ」

「同年代の友達、同じ勉強をして、学んだ喜びを共有出来る友人がいなかったんだ。今は、共有させてあげよう」

「別れがキツくなるぞ?」

 ソルは、勇者部と騒ぐシンを見てカイに言う。

「あの子なら大丈夫だ…母さんの子だから」

 カイの顔を見て、勝手にしろとゴチた。

「ソルさん。ケーキ、食べに行きましょうよ」

 友奈が提案して、皆が賛成する。

「カイ、お前…俺が甘いもの好きじゃ無いのは――!」

「ソルさん、私の牡丹餅を鷲掴みで食べていましたよね?」

 彼の言葉を否定する、東郷。

「それに、大赦の女性と珈琲を飲みに行っていたわね」

「何それ、ソルさんも隅に置けないな~」

「会いに行くのが、楽しみで跳ねていましたね」

「夏凜…テメェ、珈琲は関係ないだろ? それと、カイ…風に何を盛って話してやがる!?」

 夏凜、風とカイに、すかさず反論するが、

「ケーキ位、良いじゃねぇか。オヤジ?」

「俺は健こ――!」

「今更、健康を気にする身でも無いでしょ、ソル? バーテックスが来ないなら、樹さんのテストを祝える細やかな日常を可能な限り、皆と享受すべきです。そうですよね?」

 シンとカイに言われ、試験から解放された樹の笑顔が飛び込む。

 彼女たちの笑顔には、どう足掻いても勝てないと考え、

「良いか、部費からは落ちねぇから…自費で買え。絶対、立て替えないからな」

 ソルは肩を竦めた。

 頭を抱えながら、窓からの微風がソルの頬を撫でるのに気付いた。

 カイ、シン、友奈、東郷、夏凜、風に樹にも風が、髪を撫でていく。

 まるで、初夏に吹く涼風が、彼らの細やかな日常を祝福しているかのようだった。

 

 樹のテストから、数日後。

「勇者部、結城友奈、只今到着しました!!」

「同じく、東郷美森、只今到着しました!!」

 車椅子の東郷を押す友奈の二人が、カイの前で敬礼をする。とは言っても、映画の真似事であるが。

「わざわざ、お越しいただきありがとうございました」

 そう、笑顔のカイが二人を出迎えた。

 今、家庭科準備室で勇者部部長の風と顧問のソルは、引き取った猫を里親候補に届けている。

 勇者部の仲介人であるシンは、そろそろ、夏凜の助っ人が終わるので、彼女を出迎えに行っている。

 直に、二組は帰って来る。

 だが、

「樹さんを知りませんか?」

 カイがふと思い出すと、

「樹ちゃんは、直ぐに来ると返信を頂きました」

 友奈がそう応えると、カイは納得した。

「分かりました。それでは、貴女方に資料を予め渡しておきますね」

 そう言って、カイは友奈と東郷に、机の上に置いていた紙束を二束渡した。

「これは、何ですか?」

 東郷が一枚めくりながら話すと、

「大赦の中枢にいる人物から提供されたバーテックスについての資料です。夏凜さんも言った様に、最悪の事態を考慮し、犠牲をゼロにしていく上で作戦会議を行おうと思いました」

 友奈と東郷は、カイの眼を見つめる。

「貴女方に、満開は使わせません。その為のものです」

 あの時、鴉を遣わせた勇者。そして、ソルと会った椎名。二人とも、“満開”に危機感を抱いていた。何が起きるか分からない。だからこそ、それを使わせない様にするのが、かつて聖騎士団団長として戦争を経験し、イリュリア連王として臣民を守れなかった、カイの役割だった。

 

「待った、シン?」

「漸く終わったのかよ、カリン?」

 讃州中学の武道場の入り口で、シンは夏凜を出迎えた。

 今回、夏凜は剣道部の助っ人に呼ばれたのだ。

 シンも加わりたかったが、ソルやカイから「無茶苦茶」過ぎるので、止めろと言われた。彼はその意味が理解できなかったが、入る訳にもいかないので、専ら校内で緊急の依頼を受ける為に見回った。だが、こういう時に限って、何もないので、夏凜を迎えに行ったのだ。

 そうして、二人は歩き出した。

 シンが、呼びかける女子生徒に向けて、手を振った。そして、返って来る黄色い声援。

 それを楽しむシンに、夏凜は徐に口を開く。

「ねえ、あなたは何の為に戦うの?」

 シンは、生徒たちとの会話から、夏凜に耳を向けた。

「私は、大赦の勇者。この世界の為に戦うわ。あなたは何の為に?」

「俺も世界の為に戦うよ」

 シンは夏凜に向き合って、

「だって、俺の世界は、俺の“トモダチ”のいる世界なんだ。ユウナ、トウゴウ、フウ、イツキ…そして、カリン…お前やトミコたちのいる、この場所を守る為に」

「そんな…私たち勇者は、大赦、そして神樹と人類を守る為にあるのよ」

「なあ…前から疑問に思っていたんだけどよ、大切な人やトモダチを守る為に、“大赦の勇者”である必要あんのか?」

 シンにとっては、大赦と敵対しているが、夏凜は友達であることには変わらない。友奈、東郷、風、樹。そして、児童館で知り合った冨子と勇者部を通して知り合った人達の全てが、シンがこの世界で戦う理由である。それは、大切な人の未来を守る為に、イリュリア連王と言う茨の道を歩んだ、父親のカイと同じだ。大切な人を守ることは皆を守ることであると、彼から学んだ。

 だから、「大赦の勇者」を、戦う理由で強調する夏凜が凄く不思議でしょうがないのだ。

 だが、彼の問いに答えず、夏凜は黙り込む。そして、彼女の瞳に、疑問、驚きと戸惑いの色が広がる。

 そんな夏凜を見るシンに、違和感が発生した。

「どうしたの、シン?」

 夏凜が、シンの異変に尋ねると、彼は短く返した。

「頭がざらつく…」

 

「何で、俺がお前と一緒に猫を里親に引き渡しに行かなければならん?」

「ソルさんだけ、暑い中、喫茶店で女性とアイス珈琲を飲んでいたからだと思いますよ?」

 ソルの不満を、風が手痛い指摘をして言う。

「ふざけるな、あっちが呼んだんだがな?」

 頭を掻き毟りながらソルが言うと、

「全校女子に言わせれば、“有罪”で、カイ先生を見習って欲しいそうですよ?」

 現に人の口に戸は立てられないという、言葉がある様にソルと椎名の会合が学校内に広まった。教師は大赦からの圧力で、不純な目的はなかったと言う釈明を受けたが、子どもたちにはそうは行かなかった。やはり、成人した男女が時間を過ごすことに、妙な想像をしてしまうものらしい。

 取り敢えず、勇者部の活動を真面目に行っているという証拠として、放課後、猫を里親に引き渡すことをカイから言われ、ソルは風とその帰路に着いていた。

「普通、校外で教師と生徒が二人きり、というのもマズい気がするんだが?」

「恐らく、“勇者部”と一緒だから、讃州中学の生徒は安心するんですよ」

 要は、ソル、カイ、シンは勇者部の監視下にあるから、安心という認識らしい。

 初めて、神世紀に来た時のヴェールの向こうの勇者に、犬吠埼風の監視下に入るということを言われたのを思い出した。ただ、それが校内で一般的になるのは、ソルにとっては完璧に想定外だった。

「…シンに次いで、ガキどもと関わるとは、ヤキが回ったものだ」

 ソルがぼやいていると、

「お姉ちゃん、ソルさん」

 ボブカットで白いワンピースとジャケットの讃州中学の制服を着た、犬吠埼樹が手を振る。

 彼女の立つ場所は、以前歌の練習と称して、勇者部で立ち寄ったカラオケボックスの入り口。

「樹、待った?」

 風の言葉に、樹は首を振った。

 カラオケに行っていたのだろうか、その顔は微かに、赤く染まっている。

 だが、彼女以外誰もいない。

 一人カラオケ自体、珍しいことでは無い。

 ソルがかつて人間だった時もあったのだ。21世紀初頭の生活水準なら、珍しくも無いだろう。

「こんにちは、ソルさん」

 樹の挨拶に、ソルは頷いて返す。すると、彼女は笑顔を返す。

「今日もかわいい笑顔だぞ?」

「お姉ちゃん、それ今朝も言ったよ?」

 風の称賛に、樹が照れていると、

「姉妹愛を確認し合うのは構わんが、取り敢えず、その熱に俺が当てられて、高血圧で心臓発作になる前に学校へ行くぞ」

 ソルが歩き出すと、二人が後ろから付いて来る。

 彼らの急ぐ理由は、勇者部部室――家庭科準備室で開かれる作戦会議だ。ソルの得た、大赦中枢の研究室室長、椎名鈴子の情報を元に対バーテックスの戦略を立てる。とは言っても、過去に出現したバーテックスしかない。彼が彼女と会った後で、カイと情報を精査して、資料を作成した。それらを、勇者部にも見せることで、戦略を更に洗練させるのだ。

「ソルさん、高血圧に悩むならお酒止めれば良いのに」

「お姉ちゃんも…女子力高めるなら、饂飩は一杯だけだよ」

 怒り狂う風によって、頬を抓られる樹を横目に、ソルは考えた。

 最も、資料をもらったものの、12体全てのバーテックスが網羅されている訳ではない。抜けているのは、双子座と牡牛座である。また、一次情報を得た時期から、バーテックスの行動パターンも変わっている可能性もある。これらの不確定要素で戦局が反転する可能性も否定できない。

 結局は、出たとこ勝負という対症療法しか取れない。しかし、何体かの敵を知っている分、手探りでも大分マシになるだろう。

 だが、ソルの関心事はバーテックスに限らない。

 ヴェールの勇者と椎名の懸念する、"満開”。後遺症に関しては、詳細は明らかにされていない。そして、ヴェールの勇者が“鴉”をよこしたことから、少なくとも“まともな状態”ではないことはまだしも、満開には、話せない程の重大な欠陥があると言うことでもある。

 最後に、大赦そのものだ。大赦警備隊を下したばかりでなく、椎名と彼女独自のネットワークと繋がりを持ってしまった。それに、バーテックスを倒して、帰る手段も無いとなると、この世界でソル達を生かす理由は無い。鴉が友奈達を大赦の命令で敵対させないとは言うが、“人質”にしないとは一言も言っていない。戦いが終わると、急転直下で事態が変わるだろう。

「ソルさん、大丈夫ですか?」

 樹が心配そうな表情で、話しかける。

 ソルは、条件反射のように、心配ないと言った。

「ソルさん、あなたも勇者部の一員なんですよ。悩んだら、ぜひ相談してください。可能な限り、助けになりますから」

「気持ちだけ頂く」

 ソルは、風に振り返らずに言った。

 彼女たちに、話さないことが思いやりである場合もある。現在だけでなく、彼らや彼女たちの未来にも知らない内に影響を与えてしまうのだから。

 ただ、考えすぎは周囲を心配させたと考え、一息吐こうとした瞬間。

「…このざらつきは?」

 久しく感じていなかった、感覚がソルを襲う。

 ヴァレンタインと彼女率いる異形の戦団ヴィズエル、元老院のバルディウスやあの男との戦いに襲ってきた頭のざらつき。GEARであるソルやシンに、特有の反応。

 風と樹が、片膝を着いたソルに駆け寄るが、二人は空を見上げて呆然とした。

 覆われる空とソル達に迫り来る、花嵐。

 そう、樹海と言う根に覆われた世界への誘い。

「バーテックス!!」

 ソルが花吹雪の中、吐き捨てた。

 その様は、まるで風に煽られた龍が、咆哮を上げているかのようだった。

 




 取り敢えず、これにて本編の五話、バーテックス総力戦に続く終わりです。

 一応、前話の「DRUNKARD~」でも書きましたが、私自体の書きたいものの一つ目が書けました。
 それは、力を持つと言うことの意味。
 世界を守るのと引換に、少数の犠牲を押し付けるべきなのか。
 また、大赦の存在意義に疑問を持てないことは、果たして本当の意味で彼女たちの戦いは終わりを迎えたのか?
「鷲尾須美は勇者である」の最後でも、結末部分で、教師は複雑な表情をしていたのに、何もしなかったのか? 彼女たちに近い立場の大人たちは、勇者となった彼女たちを犠牲にして世界を守ることに疑問を持てなかったのか?
 後、ギルティギアからの人物の立場で。
 ソルは、勇者部と椎名たちから垣間見える、フレデリックの面影に何を思うのか?
 カイは、同じ様な青春を経験している夏凜と風に示す答えとは?
 シンが、同年代の子ども達と過ごし、どの様な別れを迎えるのか?

 これを機に、結城友奈は勇者である、又はギルティギアに触れて頂ければ、幸いです。
 
 ここで、並行世界のメカニズムを解説しましたが、ドクター・フーの「嵐の到来」、「永遠の別れ」をモチーフにしました。作中で、並行世界は、ボイドと呼ばれる虚無の空間を挟む様に世界の壁があります。その壁の崩壊によって、片方の世界でエネルギーが得られ、片方の世界で温暖化が起きました。それを神樹が防いでいる為、ソル達が時間移動しても、普通に過ごせると言うことです。

さて、次回 第三話 “SOUL AND SEED"をご期待ください。

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