東條さんがやった事。
8月10日 帝都 陸軍参謀本部 次長室
「なるほど……防御戦ではあるが、ユニバーサルキャリアーやラ式対戦車砲の配備・実戦投入は成功、効果があったか」
報告書を見ながら原大佐、重見中佐に言った。
「はい。ユニバーサルキャリアーを与えられた対戦車砲中隊、山砲連隊はその機動力、並びに展開力を大幅に高めました。また、歩兵・工兵に配備された物は現地で撃破した戦車、装甲車の牽引回収に使用されております」
「『歩兵・工兵隊等の機動力・輸送力・作業効率の向上』の名目で配備しましたから、その一端と考えれば大成功ですな」
原大佐、重見中佐はウンウンと頷きながら言った。
それを見て、永田次長も笑みを浮かべる。
「しかし、彼のお陰で上手く立ち回りましたな。特に対戦車砲の件に関しては、例の『説明会』(第21話の事)での砲部門の者達の顔が忘れられませんので」
「『説明会』で『ノモンハンで94式37㎜対戦車砲の砲弾に欠陥が…』と彼が言った瞬間、葬式の真っ青顔から、死刑宣告を受けた罪人の白に近い青い顔になっていたからな……滝崎君は色々と諌めてくれていたが」
「故にチハの耐弾性の確認を含め、外国製対戦車砲を…となった彼が言いましたからね。『ある所から買えばよいのです。ついでに大量に買って、戦力にしてしまいましょう』、と」
そこからは簡単で、滝崎の話を聞いた永田次長は国民党(政府&軍)に問い合わせをかけると、アッサリに『売買は持ち掛けられた。しかし、それほど必要もないので、数門しか買ってない』と返答された。
この為、国民党の仲介で上海のドイツ商会からラインメタル3.7cm PaK36対戦車砲の購入を打診した。(もちろん、ドイツ本国にも打診)
当初、各種試験向けに4門の購入を提示した時点でドイツ側は疑心暗鬼であっが、続けて『後継開発完了までの繋ぎとして二桁後半、出来れば100門程購入したい』と言うと、一転歓喜し、トントン拍子で話が進んだ。
何故かと言うと、ドイツ側としては国民党への武器売買が不調(売り手と買い手の商品違い)であり、日本からの大量購入は魅力的であったからだ。
(なお、国民党はこの仲介により、欲しかった物(野砲)を入手)
「そう言えば、関東軍からの報告書がえらく詳細なのですが…永田次長は何かご存じで?」
原大佐の問いに永田次長は言った。
「適任者が最終確認をしているからな」
同じ頃 満州帝国首都 新京 関東軍本部 参謀長室
「ふむ……うむ、これで参謀本部に提出しよう。私の一筆書きを沿えて送付してくれ」
「はっ、わかりました」
提出する報告書を確認した東條参謀長がそう言うと持って来た士官が返事をした。
「それにしましても…今回は衛生の部門まで事細かいですが…」
「国境紛争とは言え、ソ連が動いた。国内での粛清、欧州での領土問題、更にはスペインでの内戦が代理戦争化してる中での動きだ。今回、様々な新たな試みをやった以上、次のソ連との戦いに備え、問題点を確認し、改善する。これは必要な事ではないか?」
参謀長の言い分に士官はそれ以上言わない。
しかし、何かを思い出したかの様に口を開く。
「そう言えば、投降兵の件で特務機関長が一考あるそうです」
「樋口季一郎少将がかね? ふむ……具体的な提案書を書いて、直接持って来るように言ってくれ。実利的ならば、一筆書いて上申する、と言うのも伝えてくれたまえ」
「はっ、わかりました。失礼します」
そう言って士官が出て行く。
そして、東條参謀長は後ろの窓から新京の街を眺める。
「前線では最近攻勢はなく、にらみ合いの状況。逆にモスクワでの停戦交渉も佳境に入っている。もうじき終わるだろう。だが……」
参謀長の立場であるため、前線だけでなく、外交交渉の過程も伝わっている。
しかし、これがまだ始まりだと知っている東條参謀長の顔は真剣だった。
「……約1年でどれだけ準備出来るかが勝負を分ける。今回、ソ連軍は本気ではなかった上に、矢面に立ったのは朝鮮軍だ。しかも、比較的地形的に有利、かつ事前的な準備も容易だった…だが、ノモンハンはそう簡単にはいかんだろう」
そう呟き、メモ帳を取り出し、ノモンハンの簡易図、そして、今回の一連の戦闘報告で気になった点を描いたページを開く。
「…この関東軍も備えなければならん。私が矢面に立つかは解らんが、誰が就いても問題なく対処出来る様にせんとな」
そう呟き、メモ帳に黙々とメモを書き始めた。
翌8月11日、モスクワで行われていた停戦協定が締結され、『事件』は終結した。
終始日本優位のままに戦闘が進んだ結果、外交交渉も有利に進み、日本の主張をソ連側が受け入れる形で落ち着いた。
だが、ほぼ一方的な展開で戦闘が推移した為、ソ連側の被害は甚大であり、当然な事ではあった…が、交渉後半でのソ連側のすんなりと条件を受け入れる様に、日本側は『やはり』今後も警戒が必要と判断し、既に進めていたトルコ、フィンランド等への外交接触・諜報能力の強化を一層進めていく事になる。
なお、この時、援軍として参加した関東軍側から出た意見を収集・編集し、東條参謀長自身が一筆添えて提出した物は後に『東條(関東軍参謀長)上申書』と呼ばれ、各方面に活かされる事になるのは別の話である。
また、この件について、東條参謀長自身は『私はこれを纏めたに過ぎない。真に評価すべきは、現場で事にあたった者達、そして、その者達の意見を聴取した者達である』と自らへの賛辞を終生断り続けていた。
次号へ
ご意見ご感想をお待ちしております。